雁屋哲の今日もまた

2012-02-19

あれから一年経った

一昨日、次女が何かの際に「今日はポチ子の誕生日。生きていたら18歳だわ」とつぶやいた。

すると、長女が「死んだ子の歳を数えるのはやめなさい」とたしなめるように言った。長女も辛かったのだろう。

我が家の愛犬ポチは、去年の1月に死んだ。

ラブラドール・レトリーバーで17歳まで生きるのは長命だと言われている。

ポチと言う名は普通雄犬に付ける物だが、ポチが来る前から「今度犬を飼うときにはポチと名前を付ける」と私が決めていたので、実際にポチが家に来たときにその通りに名前を付けた。

私は結婚してすぐに飼った雌の子猫にもポチと名前を付けた前科がある。

娘達はそんな名前でなくもっと可愛い名前がいいと言ったのだが、そのとき娘はまだ中学生で、考えてみれば、その頃まではまだ私も家の中で自分の意見を通すだけの力があったのだ。

今はもう、連れ合いと、長女、次女の言うとおりに従わなければならない身の上で、自分の意見を通すなんて飛んでもないことだ。嗚々・・・・。

私は、そもそも、オーストラリアには2、3年しかいるつもりはなかったし、秋谷の家の二匹の猫と一匹の犬を姉に託して置いてきていたので、オーストラリアで犬猫を飼うつもりは全くなかった。

しかし、思いの外オーストラリアに長逗留することになってしまい、その間に秋谷の猫と犬は姉の手厚い世話の元に川を渡ってお花畑の世界に移った。

そうなると、二匹の猫と一匹の犬に申し訳ない気持ちが深くなって、犬猫を飼う気持ちにはなれなくなった。

ところが、小学生になった次男が、よその家の犬を大変に怖がるのをある時知って、これはいけない、と思った。

私は子供の頃から身の回りに犬猫がいなかったことはない、と言う生活を送ってきた。犬や猫は,人間の生活を明るく楽しくしてくれる。

その犬を怖がるとは次男の人生にとって大きな損失であり、そう言う人間は動物一般、ひいては他人に対しても冷たい人間になる可能性がある。

私は次男の教育のためにも犬を飼おうと思った。

次女は生まれつきの動物好きなので、以前から犬を飼ってくれ、犬を飼ってくれと言っていた。長男も長女も、犬が欲しいと言っている。

ちょうど良いから、子供達の願いを聞き届けると言う形で、犬を飼うことにしたのだ。

ただ、その際に、私は子供達に忠告して言った。

「犬を飼ってもいいけれどね、その犬は結局この子(次女)の物になるぜ」

次女は、赤ん坊の時から猫に遊んで貰って育ったせいか、無類の動物好きだ。

それも桁外れだ。

次女がまだ4歳の時に、連れ合いは次男を妊娠していて予定日が10月なので夏休みにも子供達と遊んでやれない。そこで、私が子供達を楽しませてやろうと思って、伊豆に連れて行った。

その帰りに、箱根で休んだ。丸い草だけが生えた小山があった。その小山のふもとに敷物を敷いて休んでいる夫婦がいた。その横に日本犬がいた。

それを見た次女は「あ、可愛いワンちゃん」というなり駆け寄って抱きついて、仲良し、仲良し、と頬をすり寄せた。その次女を夫婦が息をのんでみている。

その態度がおかしいので、私は、「すみません、ご迷惑ですね」と言ったら、夫婦は顔を振って怯えた声で「いいえ、この犬は噛むんです」と言った。

私は驚いた。そんな無責任な。噛み癖のある犬を人の来るところにつれて来ないでくれ。

しかし、その犬はいい気持ちそうに次女に抱かれなで回されている。

私は、よく分かった。次女の強烈な愛情の放出に犬も呑込まれてしまって大人しくいい気持ちになったのだ、と。

(次女と遊んでくれた猫チッポが、これまた忠猫としか言いようのない猫で、次女は、はいはいを始めるとチッポに向かってはって行ってその上に乗ってしまう。すると、チッポは苦しがって「フニー、フニー」と弱々しく鳴く。これが不思議なことに決して自分から逃げようともせず、次女に抵抗しようともせず、ただ、「フニー、フニー」と鳴くだけなのだ。そこで、気がついた私か連れ合いが、次女を抱きあげて、チッポを解放してやるのだが、チッポはそのまま逃げようとせず、4、50センチくらい離れたところで、また横になってしっぽを振って次女をふりかえる。次女は喜んではって行ってチッポの上に乗る。すると、チッポは「フニー、フニー」と鳴く。私たちが次女を抱きあげる、チッポを解放する。しかし、また4、50センチくらい離れたところで横になって次女を振り返る。次女は、はって行ってチッポに乗る。チッポは「フニー、フニー」と鳴く。

この繰り返しである。私たちは「チッポは逃げればいいのに」と思うのだが、チッポは同じことを繰返す。ところが、玄関の扉が開いてよその人が入ってくる気配がすると、チッポはさっと姿をくらます。

お客が帰ると、どこからともなく再び姿を現す。

それほど、他人のことが大嫌いなチッポが次女に押さえ込まれても逃げない。それで私たちは理解した「チッポは次女と遊んでくれているんだ」。

チッポは狩りの名人で、長男・長女が赤ん坊の時にも忠猫ぶりを発揮した。

長男・長女がまだ1歳未満の頃、私たちは双子用の乳母車に長男・長女を乗せて家の玄関から表に出た。散歩をしようと思ったのである。

当時住んでいた逗子の家は玄関から、門まで前庭があった。その前庭から門へ向かう途中、私たちと一緒に出て来て乳母車の周りにいたチッポが突然私たちの前にきて、立ちふさがるように後ろ脚で立ち上がり、両の前脚を広げて、何物かに立ち向かう姿勢を取った。

どうしたんだろうと思って、チッポの前を見て驚いた。蛇がいた。

しかも、その肌には鎖型の模様がある。マムシである。

その逗子の家はすぐ前と裏を川が流れ、その川にはベンケイガニが棲んでいた。

このカニは不思議なカニで、陸に上がってくる。私の家の庭にも沢山上がってきて、庭の木に這い上がって、木の皮に生える苔をこそげるようにして食べるのだ。

今はどうなったか知らないが1970年代終わりの逗子、桜山はそんな自然が残っていた。

マムシが出て来ても不思議ではない状況だった。

そのマムシはまだ若く、大きくなかったが、マムシはマムシだ。噛まれたらおおごとだ。

私は、チッポが危ない、と思ってチッポに、逃げろ、と言ったのだが、チッポはマムシに向かっていく。マムシが鎌首をもたげると、素早く猫パンチを食らわす。蛇はひるむが、すぐにまた鎌首をもたげる、するとチッポが猫パンチを食らわす。このチッポの動きが実に素早く的確だ。あまりにチッポの動きが素早いので、マムシはチッポに噛みつくことも出来ない。

マムシは数回チッポの猫パンチを食らって参ったのか、ちょっと気を抜いた。そのわずかな隙を見のがさず、チッポは飛びかかって、マムシの頭のすぐ下の部分にがっきとかぶりついた。私が、驚いて声を上げるのを尻目に、チッポはマムシをくわえて表に走り去った。その先、マムシをチッポがどう始末したのか私たちには分からない。

私たちは、『チッポは長男と長女をマムシから守ってくれた、なんと言うえらい猫だ』、と感心し、有り難い、有り難い、と賛嘆した。)

思わず、チッポの思い出話が長くなったが、そんな風に猫に遊んで貰って育った次女は、猫も犬も大好きだ。

しかも、次女は冷静な長女と違って、愛情を押さえられない性格である。

これで、犬を飼ったら次女が愛情を注いで独占して離さないだろうと私には想像がついたのだ。

ポチが来たら、私の予言通りになった。

次女がポチを抱え込んでしまう。長女は遠慮っぽく、次女が抱いているポチを撫でながら、「私にも抱かせて」と哀願する始末である。

「犬を自分の部屋で寝かせるな。ましてや犬をベッドに上げるなんて飛んでもない」とポチが来る前から私は子供達に言って置いたのだが、次女は、その言いつけを完全に無視した。

子犬の時には自分の布団に入れ、大きくなったら犬用のベッドを自分のベッドの横に置いて一緒に寝る。「それじゃ、犬女だ」と叱っても、全く知らん顔だ。

(むう、思えば、実はこの頃から私の父親としての権威は失われていたのか)

ポチじゃ男の子みたいで可哀想だと言って、「ポチ子」と呼び、家にいる時にはそばから離さないし、犬も離れない。学校に連れて行ったりもする。

ポチはお陰で自分は人間だと思いこみ、よその犬に対しては大変攻撃的になった。良くないことである。

更に驚くべきことが起こった。次女は、高校を卒業して大学に進むときに獣医学科に行くと言う。その理由はと訊ねると「ポチの世話を見たいから」というではないか。犬のために自分の人生決めるのか。

次女は人間のための医学部に進むことも出来る点数を取っているのだから、普通の医学部に行ってくれ、と頼んでも、いうことを聞かない。

私が、「人間の医学部に入ると、『国境なき医師団』のような崇高な仕事も出来るんだぞ」というと、次女はちょっと考えて「それじゃ、私は『国境なき獣医師団』を作る」という。愛情を外に出す性格の人間は、強情でもある。(冷静な性格の長女も強情だが。あれ、考えてみると、私の家の子供はみんな強情だな。長男も、次男も強情だし。そうか、これは親が悪いんだな)

親が子供にあれこれ指示できるのは、高校三年生まで、それから先の進路は子供の自由意志にまかせると言うのが私たち夫婦の方針だから、次女の望むとおりに獣医学科に行かせた。

次女はポチの世話をしたいために獣医学科に進んだだけのことはあって、それからのポチの扱い方が,それまでとは変わった。

ペットを可愛がると言うより、まさに獣医が犬の健康診断をすると言った風にポチを取り扱う。ラブラドール・レトリーバーは耳が垂れていて、そのせいで耳が悪くなることが多いそうで、次女はしょっちゅうポチの耳の中を点検し、時には水薬をさしてやる。

口を開けて、歯を点検し歯茎を点検する。体を撫でるのも、まるで触診だ。

次女はこれをよその家でもする。よその家に行ってそこの家の犬が出て来ると、耳を調べ、目を調べ、口を開けて口の中を調べる。

「それは、犬を可愛がっていると言うんじゃないよ。犬を診察しているって言うんだよ」と私は呆れて言うのだが、卒業して獣医師になると、すっかり癖になったのか、職業意識が身についたというのか、犬や猫とお近づきになるとかわいがり触診が始まる。

こんな風に、次女に健康管理をして貰ったので、ポチは、17歳まで生きた。

しかし、16歳を過ぎると、弱ってきた。ラブラドール・レトリーバーは人工的に改良を加えられてきた犬種で、そのために腰が弱い。

それが影響して、まず後ろ脚が不自由になる。

階段もお尻を押してやらなければ上がれないし、あんなに好きだった散歩も長距離はいやがるようになった。

私たち家族の間には何年も前から、犬が自分で動けなくなり、下(しも)のことも自分で出来なくなったら、それ以上苦しい思いをさせるのはよそう、と取り決めがしてあった。

一月に入ると、前脚も動かなくなり、立つことも出来ない。下のこともだめである。

愛犬家・愛猫家の中には、そのような犬や猫もおむつを当てて世話をする人がいると言うが、私たちは別の考えを持っている。全く動けずただ横になっているだけの犬猫をそのままにしておくのは返って残酷だと思うのだ。考え方が違うのであって、どちらが正しい、正しくない、というものではない。

で、去年の1月にその日が来た。

ラブラドール・レトリーバーは大変に食欲旺盛な犬で、満腹感を感じる機能がないのではないかと思うほど、やればやるだけぺろりと食べる。

ポチも、そこまで衰弱しても、以前ほどでなくても食慾はあった。

数年前、ディンゴとの雑種のウィルカが肝臓癌であと一週間の命と宣告されたときには、それでもまだ歩けたので、車に乗せて次女のつとめる動物のクリニックに連れて行った。

私の家は崖の下に建っていて、裏庭はまるで岩山のようになっている。車を停めてあるところまで行くのに、裏口から岩山に切った石段を上がらなければならない。その時、車まで娘達に連れて行かれるときに、ウィルカはその石段の途中で立ち止まって、裏口の前に立っていた私を振り返って私の顔をじっと見た。私とウィルカの視線が合った。

その時の、ウィルカの目の表情が未だに私の目の裏に張り付いていて、今でも時々それがよみがえる。実に苦しい。

ポチは歩けないので、私の家に、獣医に来て貰うという。

これは、私にとっては最悪だ。

私は、その時間が迫ると書斎に逃げ込んでしまった。

全てが終わってから、長女がティッシュで鼻を拭きながら、報告に来た。

大分泣いた後の目をしていた。

最後に、ステーキを一枚焼いてやったら、ポチはぺろりと食べたという。

その情景を思い浮かべると、自分が立ち会わなかったから余計に辛い。

次女は長女とそれからすぐにヨーロッパ旅行に行った。

次女 は、何か気を紛らわせなければやって行けなかったのだろう。長女自身辛かったに決まっているが、長女は姉として付き合ってやったのだろう。

ああ、あれから一年経ってしまったのか。

これまでに私は、犬や猫を何匹飼って、何匹死なせたか分からない。

若いときと違って、歳を取ってから犬や猫を失うと、ひどくこたえる。

もう、犬や猫を飼う気持ちになれない。

死期が迫ってきて、あと一年などと分かったら飼おうと思う。

犬や猫に看取って貰いたいからだ。

そう言うと、子供達に「それはひどい」と言われる。

普通の人は、自分が先に死んだら,後に残された犬や猫が可哀想だから、歳を取ったら犬猫を飼うのを止めるものだ、という。

 

一年経つと、次女は私の若いときと同じで、次の犬や猫が欲しくなってくるようだ。

私が、「もう飼わない」というので、自分のクリニックから犬や猫を連れて来る。

飼い主の都合で頼まれたと言うのだが、積極的に頼まれているとしか思えない。

いまも、子猫を預かっている。預かったときは本当の子猫だったのだが、大分日が経って、乳歯も抜ける時期になり体も大きくなった。

私はしつこく「このまま、居着かせないでくれ。必ず飼い主に引きとらせてくれ」と念を押している。

ペットの死に目に会うのはもうまっぴらだ。

 

こちらは火葬にすると、本当にash(灰)にする。骨の形態を全く留めない。人間の場合も、犬猫の場合も同じである。

今、ウィルカのashは壺に入って長女の部屋にあり、ポチのashは次女の部屋にある。

雁屋 哲

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