レディ・ダヴィッドソン・ホスピタル
3月に膝の手術を受けた後、この日記にも詳しく書いたが、術後のリハビリテーションは地獄のように辛かった。
なんども、「この手術は失敗だったか」と絶望的な気持ちに陥った。
しかし、9月に入るや、突然痛みが薄れていき、どんどん歩けるようになった。
最初は信じられなかったが、それまでの、リハビリテーションが功を奏して、骨が成長してきた結果なのだった。
今は、殆ど痛みを感じることなく、どんな距離で歩ける。
10月、11月は和歌山県の取材に行けたほどである。
それも、あの、リハビリのおかげである。
そこで、今日は、私が3月からリハビリテーションを行ってきた、「レディ・デイヴィッドソン・ホスピタル」を紹介しよう。
場所は、シドニーの中心部からハーバー・ブリッジを越えて北上し、車で四十分ほどかかる、North Turrumarraと言うところにある。
病院から、五分も行けば、Kuringai Chase国立公園の入り口になる。
非常にしずかで、穏やかで、のんびりした良い環境である。
病院の敷地は広大だ。
広大な敷地の中に、リハビリ専門の病院が平屋建てでたっている。
このようなリハビリ専門の病院は日本では聞いたことがない。
関節の手術などをした患者が、手術後樣子が落ち着いてリハビリに取りかかれるとなったら、この病院に転院してくるのである。
この病院にしばらく入院して、リハビリテーションを専門に受ける。
そのような患者のために、部屋が幾つもあり、専門の医者もついている。
私の実感では、リハビリを受けているのは私のような外来患者より、入院患者の方が多いようだ。
これが、受付。
受付の女性は、Caroll。
この病院はみんなそうだが、Carollも親切で、リハビリの予定を組んだりするのに、力になってくれた。
リハビリを受けに来るのは、私のように膝や股関節を受けた人間、また何らかの体の不具合から運動機能が低下した人間である。
したがって、老人ばかりである。
たまに、事故で怪我をした後のリハビリを受けに若い人間が来ることがある。
自分自身老いさらばえた身だが、若い人の姿を見るとなんだかほっとする。
これが、リハビリをするジムの内部。
体育館ほどの広さがあり、中央に、フィジオ・セラピストたちが事務を執るブースがある。フィジオ・セラピストたちは、一人一人の患者について、その日の記録を細かくつける。場合によって、他の人間が担当することになっても、その記録を見れば、これまでにどう言う経過をたどって来ているか良く分かる。
この記録をつける仕事も大変な物だ。
ブースの左側に、ベッドが並んでいる。
このベッドを使って、患者たちが、フィジオ・セラピストからフィジオ・セラピーを受ける。
ブースの後ろには、様々なエクササイズの機械が並んでいる。
ブースの右側には、歩行訓練をする、バーが並んでいる。
最初に、このバーを掴んで歩く訓練をしたときは、脚をつくのが怖かった。
それから思うと、現在は進歩した物だ。
患者のリハビリテーションを担当してくれるのは、二三人を除いて二十代の若い女性である。
若いが、技術も知識も確かである。
私を担当してくれたのは、Sarah。
Sarahは非常に優秀である。様々な技術を持っていて、私の回復状況に応じて、リハビリのプログラムを次々に組んでくれた。
3月18日に手術をしたあと、退院してからすぐにリハビリテーションを始めたのだが、最初のうちは、まだ手術による痛みが激しく、リハビリテーションを受けること自体が不可能と思えるくらいだった。
私は、生まれつき臆病なたちなので、こんな痛みがひどい状態でリハビリテーションなど、出来ないと怯えた。
何をするのも尻込みをして、出来ることなら何もしないですませたい、と思っていた。
しかし、Sarahは許してくれない。
「ええっ、そんなこと無理だよ」といっても、
「大丈夫、出来るわよ」とひるむ私を励まして、行く度に運動を厳しくしていく。
こうなったら、私も男だ。ここで、逃げたら日本男子の名折れだ。
侍であることを見せなければならない。
歯を食いしばって、Sarahの指導に従った。
その死にものぐるいの私の顔を見て、Sarahは「Smile, smile!」という。
そう言われれば、意地でも笑顔を作らなければならない。
無理矢理笑顔を作った。
厳しかったのは、膝を曲げる事だった。
早いところ、90度まで曲げないと、「麻酔をかけて、眠らせておいて、その間に無理矢理90度まで曲げる」と医者はおどかす。
医者は、エックス線写真をみて、手術が旨く行っていると確信して、Sarahに「どんどん力を加えて曲げさせろ」という。
それを聞いたSarahはお墨付きを得て勇気百倍。
モーターを使って膝を曲げる機械まで持ち出してきて、とにかく曲げようと努力する。
そして、全力を込めて私の膝を曲げながら、曲がる角度を測る。
ついに、90度に達したとき、私の膝を力一杯押し曲げていたSarahは嬉しそうに「90度、行ったわよ」と行った。
それが、回復の一つの山を越えた瞬間だった。
それから、一つ一つ、痛い痛いと泣きごとを言う私を励まして、Sarahはフィジオ・セラピストとして、最大限のことをしてくれた。
Sarahのこの、献身的な指導がなかったら、今のめざましい回復は得られなかっただろう。
Sarahは素晴らしいフィジオ・セラピストだ。
心から感謝する。
Sarahとは別に、脚の運動や、筋肉トレーニングなどのエクササイズを担当してくれたのが、Eliseだ。
Eliseの名前を聞いたとき、「はて、ベートーベンの曲にエリーゼのために、と言うのがあったな」と言ったら、「親が、その曲が好きで、それでEliseとつけたのよ。私も、エリーゼのために、は弾けるわよ」と言った。
発音は、エリーゼではなく、「エ」にアクセントを置いて「エリーズ」という。
非常に真面目で、快活で、心優しい女性だ。
細かく気を配って、エクササイズを組立ててくれる。
ある週の初め、素晴らしく立派な指輪をしているので、「おお、凄い指輪だな」と言ったら、「先週末に婚約したのよ」と顔を赤らめて嬉しそうに言った。
「君のような素晴らしい女性と結婚出来る男は、幸せ者だ」と言ってあげたら、喜んでいた。
Sarahと一緒の写真もご覧頂こう。
もう一人、エクササイズを担当してくれたのが、Claudiaだ。
陽気で、元気で、沈みがちな患者の気持ちを明るくしてくれる。
下の写真を見れば、その元気なところが分かるだろう。
チョコレートが好きで、仕事の合間にチョコレートをつまむ。
「チョコレート中毒で、肥っちゃうから困るのよ」と言いながら食べている。
Eliseとの写真もご覧下さい。
プールでハイドロ・セラピーをしたが、その際に指導してくれたのが、Skyeである。
今は、ハイドロ・セラピーも自分で決まったメニューを作って、勝手に出来るが、最初の頃は要領が分からず、Skyeにだいぶん助け貰った。
細かいところにまで気がつく、大変に親切で優しい女性である。
本当に助かった。
最初の内、プールに自分で入れなかった。
椅子がクレーンのようになっていて、その椅子に座ったままプールの中に入れてくれる機械がある。
その機械を操作してくれたり、更衣室が空いているかふさがっているか、みてくれたり、面倒をかけたのが、Pranyである。本当の名前はヒンズー語でPu-ra-ni-ti(誠実)だそうだ。
現在は、もう、フィジオセラピーもエクササイズも卒業し、プールも、自分一人で勝手に使ってハイドロ・セラピーをしているので、誰の世話にもならないようになった。
Sarah、Elise、Claudia、Skye、Pranyにも会うことがなくなった。
大変に淋しい。
みんな、フィジオ・セラピストとしても、優秀だし、第一人間的に素晴らしい。
親切で、明るく、責任感があって、技術程度も高い。
厳しいリハビリを何とか乗り切れて、今の回復を得られたのも彼女たちのおかげだ。
リハビリは辛かったが、彼女たちに会えたのは大変に幸せだった。
彼女たちの仕事は、多くの人々、特に老人たちを救い、人生に希望を与える気高い仕事だ。
そのような仕事に励んでいる彼女たちの活気のある姿は美しい。
彼女たちに、心からの感謝を捧げたい。
Lady Davidson Hospital。
素晴らしい病院だった。
(写真はクリックすると大きくなります。)
なお、本日の日記の英語版を、レディ・ダヴィッドソン・ホスピタルのスタッフたちのために、別に掲載しました。
日本語版とは、少し違うところがあります。