雁屋哲の今日もまた

2009-01-14

絶酒しています

 去年の十二月中頃から、体調がひどく下降していたのを、何とかなるだろうと高をくくっていたところ、三が日を過ぎる頃から、心身共に真っ逆さまにどん底に転落。
 千仞の谷底から、遙か上方にかすんで見えるか見えないか定かでない世間様をぼんやりみて、生きているのか死んでいるのか自分でも分からない日々を過ごしている。
 毎日朝から本ばかり読んで過ごしている。
 それも、あれこれと、手当たり次第バラバラに読むだけで、何一つ勉強にならない。
 頭の中も脳みそではなく、どぶ泥でもつまっているみたいに感じる。
 それで、日記の更新も怠けてしまった。
 どうも、格好が悪いことだ。

 酒も美味しくないので、今日で7日間絶酒。
 鎌倉から来ている母の毎日の楽しみは、食前に、私から見ればほんのわずかの酒(ウィスキーにするとグラスの底から二センチほど)を飲むことだ。
 息子として、当然母の酒にはつきあわなければならない。(量は母の十倍は最低行ってしまうが)
 しかし、今の状態では、飲んでも面白くないので、親不孝を謝りながら絶酒をしている。
 私は毎年、一ヶ月、完全に絶酒をするのだが、それは二月と決めていた。それは、二月が十二ヶ月の中で一番短いと言うこともあるが(実に酒飲みは卑しいね)、年末から二月の初めまで母がシドニーに遊びに来てくれるので、母がいる間は孝行息子として絶酒など出来ない。母につきあって酒を飲まなければならない。で、母が鎌倉に帰ってから絶酒を始めるのが毎年の決まりなのだが、今年は、年の初めから親不孝をしている。
実にいかんことだ。
 何とか早く飲酒を復活せねばならない。
 親孝行のためだ。頑張ろう。

 最近、「シドニー子育て記」を読んで下さった方から、メールを何本も頂戴した。
 本当はその一つ一つに、返事を差し上げるべきだが、今の私にはちょっと物理的に不可能なので、無礼の段をお許し頂くようにお願いします。
 私以外にも、日本の教育制度(受験勉強一辺倒、偏差値最重視、訳の分からぬ規制で子供を縛ることなど)に、不満を抱いている方が多くおられることを知って、私はあの本を出版した意味があったように思えて嬉しい。
 先日も、NHKのテレビのニュースで、フリー・スクールに関わる人達の会のことが報道されていた。
 フリー・スクールと言うのは、様々な事情で普通の学校に行くことを拒否する児童のために私的に作られた学校で、そこでは、規制のための規制や、種々の差別や、勉強の強制や、偏差値で子どの間に上下の区別を付けること、などがないので子供たちは心を開くことが出来る。
 そのニュースの中で、フリー・スクールで初めて救われたと、一人の高校生か中学生かの年齢の女性が発言しているのを聞いて、私は身につまされる思いがした。
「シドニー子育て記」にも書いたが、私の中学・高校時代は毎日砂に埋まって砂を噛むような思いの日々だった。
 あんな思いを自分の子供にさせるのはいやだ。それが、日本から子供を連れ出した原因だ。
 あの当時、フリー・スクールなどという考えを知っていれば、その運動に取り組みながら日本にいることが出来たのにと悔しく思うが、もう過ぎたことは取り返しがつかない。
 今、日本でフリー・スクールの活動に力を尽くしている方たちに、連帯の思いを伝えたい。
(私は中学生の時に、不登校と言う選択肢があることに、全く気が回らなかった。
 ああ、そんな手があったのか、と今にして「しまった」と思う。
 しかし、多分私には、不登校になるだけの勇気がなかっただろうな。両親の前でいい子のふりをしていたかったし)

 文部科学省がフリー・スクールを学校として認めないために、フリー・スクールに通う子供たちは、社会的に様々な不利を背負わされている。また、親の経済的な負担も大変だ。
 文部科学省の役人たちにしてみれば、「おれ達の決めた教育制度に従わない奴のことなど、知ったことか」と言うことなのだろう。
 日本の官僚は、国民を自分たちの意のままに操るために、様々な規制を設け、法律を作る。
 経済官僚は、経済界を支配するために、天下りなどの特権を得るために、規制や法律を作る。
 経済は、直接心を縛らない。
 しかし、文部官僚の作る規制や法律は人の心を縛る。
 教科書検定などで、子供たちが国の支配に逆らわない人間になるように規制し、教育委員会などを通じて教員たちの思想まで支配する。
 今問題になっている不登校児童の件も、それは不登校児童自身のせいではない。悪いのは制度だ。
 こういう文部行政に携わっている官僚たちが、フリー・スクールをそんなに簡単に認可して、補助金を出したりするとは思えない。
 しかし、あきらめてはいけない。
 強く、日本の社会に訴え続けていけば、これだけ不登校問題で苦しんでいる日本だ。かならず、フリー・スクールを認可させようとする声が強くなって来るはずだ。
 文部官僚が動かざるを得ないまでに、強い声になる日が必ず来る。
 フリー・スクールの活動を続けている方たちに是非頑張っていただきたい。

 そもそも、ことのはじめに、認識し直して貰いたいことがある。
 それは、教育を受けることは権利であって、義務ではない、ということだ。
 日本の「義務教育」という言葉自体がそもそもおかしいのだ。
「義務」などと言うから、お上の決めた教育制度ただ一本しか認めないなどと言うことになるのだ。
 私のオーストラリアの知人は自分の子供二人を自分の家で自分で教育している。
 それでも、オーストラリアでは全く問題にならない。
 大学に行きたければ、日本の大検のような試験を受ければいいだけである。
 ヨーロッパでも、いくつかの国で、日本のような単線ではなく、複線の教育制度を取っている。
 どんな形の教育でも良いのである。
 上級学校に入りたいとなれば、その試験に合格さえすればよい。
 教育は「権利」である、と認識すれば、どのような形であれ子供は教育を受ける権利があり、そのために国は必要な援助を施さなければならない、と言うことが分かる。
 そもそも、国の決めた教育方針に従うのが義務である、などと言うこと自体が間違っている。
 繰返すが、我々は教育を受ける権利は断固として持っている。しかし、教育を受ける義務はない。
 フリー・スクール運動は、我々個人の人権を根本から問い直す重要な活動だ。

 ひとつだけ、頂いたメールの中で、ある方が(その方の知人は)「日本のシュタイナー・スクールは営利主義だという意見持っている」とお書きになっているのが気になった。
 私は、日本のシュタイナー・スクール個々のことについて全く知識がない。
 だから、メールを下さった方が、日本のどのシュタイナー・スクールについて仰言っているか分からないし、分かったところでその学校の実態について知りようがないから、何とも言えない。
 しかし、私の理解している範囲から言うと、シュタイナー・スクールで営利を得ようというのはあり得ないことだと思う。
 私は、シュタイナー・スクールといっても、自分の子供たちの通ったシドニーのグレネオンしか知らないが、このグレネオンの創立者たちは、子供の教育に強烈な熱意を持った人達であり、およそ金儲けなど考える人達ではなかった。
 現在のグレネオンを見ても、営利どころか、学校を維持するために必死になっている。
 また、私の娘を見ても分かるが、グレネオンの教師たちは毎日の授業のために全身全霊を尽くしている。
 金儲けのことなど考えたらとても割に合わない。
 だが、学校の維持のために、私立学校だから、授業料は取らなければならない。
 私立学校に対しても国から援助は出るだろうが、それでも公立とは比較にならないほど学校の維持にはお金が必要だ。
 その授業料だけを見て、営利主義と言われたら、これは辛いと思う。
 オーストラリアの私立学校の中には、教会が背後についていたり、多額の寄付を集めて潤沢な基金を持っている学校も少なくない。
 そのような私立学校は、校舎も大きく立派で、運動場などの施設も目を見はる物がある。
 それに引き替え、グレネオンは、校舎は長い間プレハブだったり、新しく拡張した小学校の校舎も、木造の粗末な物だ。
 日本の有名私立学校の校舎と比べると、悲しいまでにお粗末だ。(いや、最近の日本は公立の学校の設備も素晴らしい)
 教師の給料も、つつましいものだ。
 それは、日本のシュタイナー・スクールも余り変わらないのではないかと思う。
 日本のシュタイナー・スクールの場合、さらに、生徒数の問題があるだろう。
 日本のシュタイナー教育はまだ緒に就いたばかりだ。
 シュタイナー・教育に賛同して子供を入れようという親の数はまだまだ少ない。生徒数は、充分に多いとは言えないのではないか。
 校舎を造るのにもお金がかかるし、教師たちも、生きて行かなければならない。
 生徒数が少なければ、その分、生徒一人当たりの負担は大きくなってしまう。
 現在、シュタイナー・スクールを運営している人達は途方もない苦労をしていると思われる。
 シュタイナー・教育に携わろうと言う人達は、例外なく教育に強い情熱を持っている。
 その理想に合わせた教育をすることがその人たちの生き甲斐なのだ。
 まだ、シュタイナー・教育に理解のない日本で、シュタイナー・スクールを運営するのは、よほど強い意志と、努力が必要だ。
 これから先、大いにシュタイナー・教育が日本で盛んになり、シュタイナー・スクールが沢山出来て、生徒数も増えて、他の有名私立学校のように盛大になれば、営利を目標にしたくなる人が出て来るかも知れないが、今の段階で、シュタイナー・スクールが営利の目的にかなうとは思えない。
 営利の目的でシュタイナー・スクールを運営しようと思う人がいたとしたら、その人は金儲けの道を知らないお間抜けだ。
 投資金額、傾ける努力、使う時間、それに比べて入る収入。
 それを計算したら、シュタイナー・スクールは営利の目的にはなり得ないと思う。
 メールを下さった方の知人が、なぜ、「日本のシュタイナー・スクールは営利主義だ」と仰言ったか分からないが、私には信じられないのである。
 日本には、大学合格率を高め、野球部が甲子園に出場したりしてスポーツの面でも成績を上げ、結果として生徒数を飛躍的に増やし、一躍日本でも有数の私立学校になったと言う例がいくつかあるのを私は知っている。
 そう言う学校経営は、ビジネス・モデルとしてあり得るだろう。
 しかし、シュタイナー・スクールはそう言う学校の対極にあると私は思う。
 それとも、日本にはよほど、営利を上げるのに長けた、あるいは営利に執着するシュタイナー・スクールがあるのだろうか。あったとしたら、それはもはやシュタイナー・教育の意味を忘れてしまった学校ではないのかと私は思うのだが。

雁屋 哲

最近の記事

過去の記事一覧 →

著書紹介

頭痛、肩コリ、心のコリに美味しんぼ
シドニー子育て記 シュタイナー教育との出会い
美味しんぼ食談
美味しんぼ全巻
美味しんぼア・ラ・カルト
My First BIG 美味しんぼ予告
My First BIG 美味しんぼ 特別編予告
THE 美味しん本 山岡士郎 究極の反骨LIFE編
THE 美味しん本 海原雄山 至高の極意編
美味しんぼ塾
美味しんぼ塾2
美味しんぼの料理本
続・美味しんぼの料理本
豪華愛蔵版 美味しんぼ
マンガ 日本人と天皇(いそっぷ社)
マンガ 日本人と天皇(講談社)
日本人の誇り(飛鳥新社)
Copyright © 2024 Tetsu Kariya. All Rights Reserved.
掲載の記事・写真・イラスト等のすべてのコンテンツの無断複写・転載を禁じます。