雁屋哲の今日もまた

2008-08-10

竹島(独島)問題 その1

 突然だが、パレスティナ問題を離れて、竹島(韓国では独島と呼ぶ)問題について考えてみたい。(こっちの方が、日本人にとって、喫緊の問題だと思うからだ)

 今、韓国では、日本の文部省が中学校の学習指導要領で竹島について言及したことで、強烈な反日感情が起こっている。

 私は以前から竹島のような小さな島とも言えない岩礁のことで日韓両国が争うのは下らないことだと考えている。
 最近までは、それほど韓国が欲しがっているのなら、排他的経済水域(EEZ)は両国で共同管理することにして、竹島は韓国に渡してしまえば良いと考えていた。
 しかし、今回の、韓国政府と韓国人の竹島問題に対する対応を見て、考えを変えた。
 この状況で、安易に竹島を韓国に渡すことは、両国の今後の友好関係のために良くないことだ。

 まず、今回文部省が学習指導要領の中で竹島についてどう書いたか、それをきちんと見なければならない。
 学習指導要領には、

「我が国と韓国の間に竹島をめぐって主張に相違があることなどにも触れ、北方領土と同様に我が国の領土・領域について理解を深めさせることも必要である」

 と書いた。
 これを、

「解説書は『北方領土は我が国固有の領土』と明記しており、竹島の扱いを『北方領土と同様』とすることで、間接的に『日本固有の領土』と教えることを求めた。」(朝日新聞)

 と取るのは主観的な問題だろう。

 私は、政府自民党の右派勢力のやることの汚さは十分承知している。
「日の丸・君が代法案」を考えても、成立時は、「日の丸・君が代」を強制する物ではないと言っておきながら、今や、「君が代」は教員を支配するための強大な武器となってしまっている。
「君が代」を歌うことを拒否したり、歌うときに起立するのを拒否したりしただけで、教員は懲罰を受ける。
 私の、小学校の同級生で長い間東京都の小学校の教員をしていた女性は、「『日の丸・君が代法案』の後、小学校の校長は、小学校で小天皇と呼ばれる権力を握るようになった」と言う。
「日の丸・君が代法案」を武器に、校長・教頭は教員を支配する権力を握ったのだ。
「日の丸」と「君が代」が、かつての戦争に国民を駆り立てるのに使われたことから、国旗、国歌は新しく見直そうという動きがあるのを無視して、アジア各国を侵略した日本軍の先頭に翻った「日の丸」を国旗とし、天皇を崇める物とされた「君が代」を相変わらず国歌とする。(実は、「君が代」の歌詞は、単に年賀などの意味合いの物でしかないのを、天皇と皇室の永遠の弥栄(いやさか)を祝う物と取り違えていると言う基本的な間違いがあるが、長い間に、「君が代」は、天皇と皇室の弥栄を願う歌とされてきた)
 全国民がこぞって気持ち良く歌える国歌、誇りを持てる国旗を選ばず、戦前の八紘一宇の皇国史観の象徴である、「君が代」と「日の丸」を国歌と国旗に制定したのは、政府・自民党・官僚・財界の右派勢力の力であって、日本が真の民主国家になる道を大きく曲げた。

 その「日の丸・君が代法案」のやり方を見ても、今回の、指導要領をそのまま延長して、竹島を日本領土と、中学生に教え込むようになるだろうと、考えるのも、間違ってはいないだろうと思う。

 しかし、今回の記述に関しては、日本が竹島を日本領土と宣言した、かのように取って、大騒ぎする韓国の態度は間違っている。

 私は、韓国、中国との友好を進めなければならないと考えている。
 韓国と中国に親しみを覚える人間である。
「美味しんぼ」の中でも、何度も韓国と中国との友好を進める内容の話を書いていて、おかげで、私について愉快に思わない人間の数を増やしたようだ。

 日本に「嫌韓派」「嫌中派」と言う人達がかなりの数存在していることは知っている。しかし、その様な「外国人嫌い(ゼノフォービア)」の人々は世界中どこの国にも存在する。世界中の「外国人嫌い」に共通するのは、「嫌っている当の外国人に対する無知」「自分自身についての無知」「歴史に対する無知」「世界の中で自分がどの様な位置にいるかについての無知」「世界情勢についての無知」「人間性の欠除」「劣等感の裏返しと言うべき、根拠のない優越感」などの塊であることだ。

 その様な人達から私が「親韓派」「親中派」と呼ばれるのは願ってもないことで、大変に名誉なことだと思う。
 私は、死ぬまで、「親韓派」「親中派」でいたいと思う。
 私は、韓国人も、中国人も大好きである。
 どんなことが有っても、韓国人と中国人とは仲良くしていきたいと思っている。
 これは、信念などと言う、知的にこしらえ上げた物ではなく、身体の底、心の底から湧いてくる自然な思いである。

 その、親韓派の私であるからこそ、友人として、今の韓国に対して苦言を呈したい。

 そもそも、隣り合う国同士が、領土問題で争うのは昔から世界中で起こっていることである。
 竹島だけが特別なのではない。
 特に、竹島のように日韓の間に存在する、島は問題になりやすい。

 確かに、日本が竹島を島根県に編入した1905年は韓国側にとって屈辱的な年である。
 1905年11月に、英米の諒解を取り付けた日本は、韓国との間に「第二次日韓協約」(保護条約とも言う)を、日本軍の圧力の元に締結し、1906年韓国統監府を開設して、韓国を保護国とし、日本政府の代表者である統監が韓国の外交権を掌握した。諸外国にあった朝鮮の外交機関は全部廃止され、外国の外交機関はソウルから去った。
 こんな年に、島根県に編入したのだから、韓国人が、日本の韓国併合の一環として竹島を奪った、と主張する気持ちも分かる。

 しかし、領土問題は、その歴史の一時代だけで決められる物ではない。
 日本と韓国の間にある島とその周囲の海域は、それ以前から、両国の漁民がどこの国の物とも考えずに利用していた。
 ヨーロッパのように国同士が地続きの地域には、昔から領土問題は存在したが、日本と韓国の間には、その様な問題意識は、少なくとも小さな島に関しては無かったはずだ。

 だから、韓国側が竹島は昔から韓国領と考えられていたという古い文書を出してくれば、日本側も、それに対応する文書を出してきて、いや、竹島は昔から日本領として考えられてきた、と主張する。

 そのような、小さな島の帰属問題は、両国で話し合って決めれば良いことではないか。
 両国が対立して解決しなければ、しかるべき国際機関に裁定を委託すればよい。

 しかし、韓国は、その様な国際機関の裁定にゆだねること自体が、韓国の権利を侵害する物だと言って強固に反対する。
 何が何でも、竹島は韓国の物であって、それに対して、検討しようということ自体が許せないことだと言う。
 日本と話し合うことも拒否する。
 ただひたすら、竹島は韓国の物だと認めよ、と日本に要求する。
 話し合いも拒否するのでは、問題は解決しない。

 さらに、驚くことに、この問題が起こった途端、それまで、友好都市として交流関係を築いてきた日本の各都市に、韓国側から次々に友好関係を断絶の通告をしてきたことだ。

 例を挙げると、

  • 京畿道楊平郡は、姉妹血縁を結んでいる日本の静岡県御前崎市の港祭りに参加する計画を取り消した。

 楊平郡の金善教(キム・ソンギョ)郡守ら関係者4人は8月2日、2泊3日の日程で港祭りに参加する予定だった。
 楊平郡側は「最近日本が独島(日本名:竹島)の領有権を主張したことに対し、政府の方針に同意する意味で、港祭りへの参加を見送った」と明らかにした。
 郡は先月、御前崎市の要請で姉妹血縁を結び、農業や観光、青少年のホームステイなどの分野で交流を深めていくことにしていた。(朝鮮日報)

  • 江陵市は、日本が中学校の新学習指導要領に独島(日本名:竹島)の領有権問題を盛り込んだことと関連し、姉妹都市である埼玉県秩父市との交流を中断することにした。

 同市は最近、調整委員会を開き、「日本の独島領有権主張は受け入れがたい内容で、市民の情緒などを考慮し、秩父市との交流を中断することにした」と22日、明らかにした。
 また、今年下半期に計画している「両都市を象徴する造形物制作事業」も、やはり中断する方針だ。市は、今年8月2日から江陵芸術文化団体総連合会の主催で行われる「第7回江陵国際青少年芸術祝典」(江陵市後援)に参加する予定だった日本の青少年60人余りの招請公演も取り消すことにした。
 さらに「日本の独島領有権の明記と関係し、日本の姉妹都市と進められているすべての交流を中断することにした」と述べた。江陵市は1983年に秩父市と姉妹提携を結んで以来、25年間にわたって文化、体育、青少年などさまざまな分野で交流してきた。(朝鮮日報)

 このほかにも、幾つもの韓国の自治体などが、これまでの日本との友好関係を断ち切ってきた。

 敢えて言うが、なんと言う浅はかなことをしたのだろうか。
 これまで、両国の間に友好関係を築くのにどれだけの時間とどれだけの努力が費やされてきたことか。
 それを、日本政府のあいまいな文書1つで、全てをぶちこわしてしまうのか。

 韓国側はこれで2つ大きな物を失った。
 1つは、日本人に対して、竹島問題を真剣に考えさせる機会を失ったことだ。
 正直に言って、大多数の日本人は、竹島について良く知らない。
 どうして、韓国人が竹島にそんなに思いをたぎらせるのか、理解していない。
 竹島について、真剣に考えたことのある日本人はごく少数だろう。
 その日本人に、韓国人が直接自分たちの思いを語り、何が問題なのか説明すれば、日本人の竹島に対する態度も変わってきたはずだ(説明の仕方にもよる。一方的に日本を非難する形で語れば逆効果だ)。
 日本人は、政府のすることを、自分たちの問題として真剣に考える習慣がない。
 その日本人に、韓国人が、友好の催し物の際に来て、友好都市の人間に竹島のことについて自分たちの考えを話したら、友好都市の人々は、韓国側の考えを理解しただろう。
 韓国側は、折角、日本人に対して、自分たちの考えを説明する絶好の機会を失った。

 もう1つは、日本人の韓国に対する友好感情だ。
 突然、友好関係を断ち切られた日本の各都市の人間は
「友人だと思っていたのに。
 友人なら、率直にそちらの考えを話してくれればよいのに、いきなり絶交とはどう言うことだ。今までの友情はウソだったのか」
 と思うだろう。
 友好関係を断ち切られた日本の各地方の人達は、今、途方に暮れている。
「どうして、こんなことになったのか」
 日本人は、政府のしたことと、国民一般の気持ちとは違う、と考えている。

 一旦断ち切られた友好関係を元に戻すのは、最初から作るより難しい。
 日本の各都市の人間は、「裏切られた」という感情を抱いている。
 こう言う感情を、抱かせてしまったら、次にどの様にしたら友好関係を取り戻せるのだろうか。

 さらに、仰天するような事態になった。

(つづきは、明日)

雁屋 哲

最近の記事

過去の記事一覧 →

著書紹介

頭痛、肩コリ、心のコリに美味しんぼ
シドニー子育て記 シュタイナー教育との出会い
美味しんぼ食談
美味しんぼ全巻
美味しんぼア・ラ・カルト
My First BIG 美味しんぼ予告
My First BIG 美味しんぼ 特別編予告
THE 美味しん本 山岡士郎 究極の反骨LIFE編
THE 美味しん本 海原雄山 至高の極意編
美味しんぼ塾
美味しんぼ塾2
美味しんぼの料理本
続・美味しんぼの料理本
豪華愛蔵版 美味しんぼ
マンガ 日本人と天皇(いそっぷ社)
マンガ 日本人と天皇(講談社)
日本人の誇り(飛鳥新社)
Copyright © 2024 Tetsu Kariya. All Rights Reserved.
掲載の記事・写真・イラスト等のすべてのコンテンツの無断複写・転載を禁じます。