新年のご挨拶
大分遅れましたが、新年のお祝いを申し上げます。
それにしても、9日の夜は死ぬほど苛々した人が多かったんじゃないでしょうか。
何がって、日本対ヨルダンのアジアカップの試合ですよ。
ひどかったなあ。
選手一人一人の動きが悪く、バス回しなんて最低。簡単に、ヨルダンに球を取られる。
本田も香川も何をしているのかも分からない。
こんなチームで、これから何とかなるのだろうか。
13日の対シリア戦でいい戦いを見せて欲しい。
新年早々愚痴はみっともないな。
去年は、年の暮れから、日本からお客様が来て一緒に正月を過ごしてくれた。
大晦日は、恒例のシドニー湾の花火を賑やかに楽しんだ。
一体何人のお客様がいらっしゃったのか。
シャンパンだけで12本以上開けた。しかもその中の一本は、特大のマグナム。
さらに、ワイン、日本酒と皆さん良くお飲みになった。
元旦は、日本からのお客様ご家族、次女の友人母娘、私の親友「あ」の娘さん、それに、東京で働いていて正月に帰って来られなかった次男の代わりに次男のガールフレンド、を交えて、おせち料理を楽しんだ。
おっと、おせちとなると、忘れちゃいけない。
秋谷の、関沢和彦さんが釣ってくれた赤ムツの塩焼きだ。
毎年、お正月だけに姿を現す魯山人の緑釉長鉢に載ると、赤ムツも一際映える。
とは言え、魯山人だったら、器に比較して魚が大きすぎる。
間と言う物が分からんのか、と怒るだろうな。
でも、食べて行く内に魚は小さくなって、器と釣り合うようになる。
いや、こうなっちゃ、みっともないんだけれど。
それにしても、この赤ムツ、これほど美味しい魚は他に滅多にない。
日本海側に行くと、同じ魚を「ノドグロ」という。確かに、口の中、のどの辺りが黒い。呼び方が悪いよな。その名前じゃ、幻滅だ。
いつも和彦さんに頂く赤ムツはご覧の通りに大きく、脂も乗っていて、味わいが上品で、しかも濃く、肉質はしっとりとしてきめ細やか。これを食べたら、鯛の塩焼きなんか馬鹿馬鹿しくて食べられない。
11日のアジアカップ、対インド戦で、オーストラリアは4-0で勝ったが、今、オーストラリアは洪水に見舞われて、大変で、サッカーの勝利を祝う雰囲気ではない。
年末からずっと大雨が続いている。
過去10年間、干ばつ続きで困っていたところ、去年の11くらいまでいい具合に雨が降って、久しぶりの豊作かと喜んでいたら、突然の大雨で大洪水に襲われて、収穫寸前の農作物が全滅した地域も多い。
洪水で水に覆われた面積が、オーストラリア全土でドイツとフランス両国を合わせた面積より大きいと言うのだから、その規模を察して下さい。
クリスマスに洪水に襲われて大被害を受けたクィーンズランド州が、またこの数日、大雨が続いて、トゥウーンバという町は、「陸地で起きた津波」と表現されるようなすさまじい洪水に襲われて、今まで判明しているだけで十人の死者が出ており、行方不明の人は90人に達する。
30分間に100ミリの雨が降ったと言うから、恐ろしい。
クィーンズランド州の州都ブリスベーンも川の水位が上がって洪水の危機に瀕している。
12日の朝になっても、ブリスベーン付近の状況は悪化している。
道はずたずた、4000以上の店舗工場が水に浸かり、20万戸以上で停電している。
テレビで見る画像がすさまじい。
自動車が数台、水に流されて行く。
電信柱に引っかかって止まった車の中から人を助け出すのに救助隊が必死の活動をする。
水が引いた後は、車が裏返っていたり、七台も八台も折り重なっていたり、地下の駐車場にまだ水がたまっていて、駐車していた車が水に押し出されてきて入り口で突っかかっていたり、家が破壊されていたり、何ともはや言いようのない惨状だ。
家の破壊はまるで、爆撃にでも遭ったかのようで、見なければ信じることができない光景だ。
水が引いたと言っても、川の水位はいまだに洪水寸前であり、一雨来ればどうなるか分からない。
50過ぎで、知的でしっかりした感じの男が、テレビのリポーターに「昨日のようすはどうでしたか」と尋ねられて、「いや、」とか何とか口篭もっていて、その内に、目から涙があふれ出した。
大の男が、涙を流すほどの無残な状況なのだ。
水の力という物は恐ろしい物だ。
どうも、今年も、大変な年になりそうだ。
なんて、余りおめでたくない新年のご挨拶になってしまった。
あ、大事な事を言い忘れていた。
懸案の「福沢諭吉」の本の執筆に取りかかりました。
3月か4月出版を目ざします。
福沢諭吉については、日本人はみんな名前と顔は良く知っている(当たり前だな。一万円札の顔だもの)。
「天は人の上に人をつくらず」と言う言葉も良く知っている。
(本当は「天は人の上に人をつくらず、といえり」と、本人は書いているのに、世間の人は、最後の「いえり」を無視して、その前の文章だけを憶えている。「いえり」がつかなければ、「天は人の上に人をつくらず」という言葉は、福沢諭吉の言葉として認められるが、「と言われている、と誰かが言った」というような意味の、「いえり」がつくと、それは、福沢諭吉の考えではなく、「誰かさんがこんなことを言っていた」と言う、ただの伝聞を書いただけの話になってきて、「天は人の上に人をつくらず」は福沢諭吉の言葉でもなく、福沢諭吉の思想にも関係がないことになる。
これは、実に大きな意味を持つことであって、みんなが、福沢諭吉を尊敬するのは、この言葉が福沢諭吉の言葉で、福沢諭吉の思想を表していると、誤解しているからだ。)
ところが、実際に、福沢諭吉の本を読んだことのある人は、極めて少ない。
慶應義塾出身者に聞いても、90パーセント以上は、何も読んでいない。
その実像を知らずに、虚像だけで、日本人は、福沢諭吉を偉人扱いにしている。
福沢諭吉の書いた物を読むと、虚像だけしか知らなかった人達は、みんな仰天するだろう。
有名な「学問のすすめ」で、「学問をすれば、貧乏人でも豊かになれる」というようなことを書いておきながら、後になると「一番怖いのは貧しいのに学問のある人間だ(色々学んで真実を知ると政府に反抗するから)。
貧乏人には学問をさせるな」といっているのだ。
福沢諭吉は自分の発行している新聞「時事新報」などで、当時の、朝鮮、清(今の中国)の侵略を徹底的に煽り立て、日清戦争の結果、台湾を獲得すると、今度は「台湾が欲しいのは、その豊かな土地だけ。その上の人間はいらない。日本の支配に抵抗する者は皆殺しにしろ」とまで、主張する有様。
福沢諭吉は、日本が西洋文化を輸入したことで、文明国として日本の方が朝鮮、清より進んでいるとして、途方もなく滑稽な優越感を抱き(従って、同時に西洋には劣等感を抱く)、浅ましいまでに下品な言葉を使って、朝鮮、清、の人間を非文明人、と嘲罵する。
朝鮮、清、台湾の人々に対して福沢諭吉の投げつけた侮蔑の言葉は、読むだけで恥ずかしく悲しく、胸が苦しくなる。
日本がアジア各国を侵略できたのは、その根本に、アジアに対する蔑視観があったからだ。
そのアジアに対する蔑視観を日本人に植え付け、アジア侵略を説いたのは福沢諭吉なのだ。
日清戦争に日本が勝利した後、福沢諭吉は大満足して死ぬが、その後の日本は、福沢諭吉が主張していた通りに対アジア侵略を推し進めて行った。
1945年の日本の敗戦による壊滅は、福沢諭吉が叩き込んだアジア蔑視感を土台にして、福沢諭吉があらかじめ引いたアジア侵略路線を日本が突っ走ったからだ。
と言うような、非常に、不愉快で、日本人の感情を逆撫でにする内容になってしまうが、真実は真実なのだから、仕方がない。
ご期待下さい。
読者諸姉諸兄にとっても、私にとっても、今年は良い年にしましょうね。