楽しかった、そして地獄
19日は、現在建築中の秋谷の家で設計士の先生と建築士の方々と半日掛けて打ち合せ。
いやはや家を建てるというのは、大変に細かいところまで気を使わなければならない。電源の取り口はどうする、インターネットの分配はどうする、風呂場のタイルはどうする、もう、何万件もの細かいことを設計士の先生と建築士の方々は考えて実行しているわけで、私のような面倒くさがり屋には絶対に出来ない仕事だ。漫画の原作みたいないい加減な仕事があって本当に助かったと思いました。
帰りに、秋谷の関沢家を襲って、また、和彦さんから甘鯛だの何だのと高級魚を奪ってしまった。
大変申し訳ないと思うが、関沢家は男の子を二人しか産まないのに、もうお孫さんがそれぞれに一人ずつ、合計二人も持っていて「孫は可愛いよ」なんて自慢をしている。私は男女二人ずつ四人も子供がいるのに、一人も孫がいない。しかも、関沢家は、御長男は同居、御次男もすぐ近くに住んでいて、夕食はいつも一緒。
余り私をうらやましがらせたから、魚を強奪しても良心の痛みは軽くなった。
秋谷の家が建って、長期に住むようになったら和彦さんの船に乗せて貰うのだ。そして、釣った魚は誰にもやらないのだ。私は和彦さんのような人格者ではないから。
20日は、小学校、6年2組の同級会。
いつも車で連れて行ってくれる逗子に住んでいる同級生が不埒にもゴルフなんかに出かけたので、自分で車を運転して田園調布まで行った。
途中高速に乗るのを間違えて、ずっと、一般道路で田園調布まで行った。
名前は聞いたことはあるが、通るのは初めてと言うところばかりで、珍しい景色を沢山見る事が出来て面白かった。
日本てえのは凄い国だね。どこまで走っても町のとぎれることがない。
商店が並んでいる。ビルが並んでいる。シドニーは30分も走れば、山と林ばかり。
人家が無くなってしまうんだから。
田園調布に入ってから、もう、まるで勝手が分からず、何度か人に道を尋ねる有様。
しかし、ようやく、目的地に到着。
当日集ったのは24人。
卒業後54年経っているにしては良く集るでしょう。
でも、このような同級会の他に、適当に同級生同士集ったり、仲間の展覧会などと言うと集まるし、新年会、忘年会、真夏のバーベキューの会などと適当な名前を付けて結局年にまとまった同級会だけで、3、4回は開いている。
さらに、例えば今度の4月2日〜4日と和歌山の旅行にも行く。私が「美味しんぼ」の取材で和歌山県に行ったときに見つけた美味しいものを、自分たちにも食べさせろと言うわけだ。
で、集って、何か話さなければならないことがある訳じゃない。
ただ、ぺちゃくちゃおしゃべりをするだけ。
みんなが集まる事だけが楽しいのだ。
今日の午前中に我々のホームページを開けたら、早速昨日の会の写真が99枚もアップロードされていた。素早いんだよ。やることが。
ただ、同級生の一人に「とっちゃん(これ、私の子供のころからのあだな)、ホームページに田園調布の悪口書くのやめて」と言われた。もう、田園調布に住んでいる人間の数は少なくなったが、やはり田園調布は我々の思い出の場所だから悪く書かないで貰いたいと言うのが友人たちの思いだ。
もう、田園調布の悪口は書きません。
成金趣味の品のない家ばかりになった、などと言うことはもう書きません。
頼まれても、ただで土地をくれると言われても二度と住みたくない町だなんて、もう言いません。
矢張り大事な思い出の場所だから。
みんなで、宝来公園まで歩いていって、楽しい思いをした。
いいところだな、田園調布って。(本当だよ)
宝来公園のすぐ近くに住んでいながら、当日出席しなかった同級生の家に一人が押しかけていったら、二日酔で寝ていた。
たたき起こして、公園まで引っ張り出した。
アメリカの土木学会の賞を2回も取っている偉い大学教授なのだが、我々にとっては単なる2組の仲間。
こうして午後四時頃まで、騒いで楽しんだ。
楽しみの後には地獄が待っている。
今日、明日で「美味しんぼ」の和歌山篇 第7回目の原稿を書き上げなければならない。その後は、来週から、「美味しんぼ」の次回の主題「環境問題」の取材にあちこち飛び回らなければならない。
しかも、取材の合間に原稿を書かなければならない。
もう、楽しいことは、和歌山旅行だけ。
一時給付金を、リーマン・ブラザーズのCEOが貰ったくらいの額でくれないかな。
2007年、既に損失を出していたリーマン・ブラザーズのCEOは引退を余儀なくされたのだが、その時の退職金が当時の日本円で150億円!
毎年1億円ずつ使っても150年かかるんだぜ。
人間って、そこまで欲張りになる物なのか。
奴らが世界の経済を、そのどん欲さのせいで壊したのだ。
世界60億の人間の生活を破壊した極悪人だ。
奴等を高くつるせ!
Hang them up high!