交通安全協会って何なんだ?
一昨日、運転免許証の更新を受けに出かけた。
オーストラリアの免許更新は実に簡単な物で、日本のように、交通事故の様々な場面を撮影したビデオなど、見せられずに済む。
あのような、残酷なビデオを見せるのは、外国では許されないのではないか。
見たくない物は強制的に見せてはいけない、と言うのが、一般的に国民の意識の進んだ国では当たり前のことだが、日本は遅れているのだろう、悲惨な事故の場面を、免許更新時に見せられる。
危険な運転をすると、こう言う目に遭うんだぞ、と言う警告である。
私は、そのような、事故の例を見るのは非常に役に立つと思うのだが、それが、いやで、更新に中々いけないと言う人間が少なくない。
行っても、そのビデオを見なければならないときには、目を伏せていると言う人間もいる。
やはり、事故の現場のビデオは見るのが辛い。
オーストラリアで、一番、驚くのは、更新手続きの簡単なことである。
日本では、そのために、「交通安全協会」という組織があって、それが必ず、警察署の隣にあって、全ての手続きは、その「交通安全協会」に頼まないと円滑に動かないようになっている。
その「交通安全協会」のボスは全部、もと警察官僚である。
「交通安全協会」は警察官の天下り組織なのである。
「交通安全協会」が無くなったからと言って、免許更新事務に何の影響もないと思う。
むしろ、「交通安全協会」があるために、余計な手間がかかり、余計なお金を我々は払わなければならないと痛感している。
「交通安全協会」で私達が出会うのは、協会の正規の雇用者ではなく、派遣なのか、臨時雇なのか、そう言う身分で、例外なく中年過ぎの女性たちである。「交通安全協会」の内部組織の人間ではない。
実に不思議なことに、「交通安全協会」の組織の人間に一度たりとも会ったことがない。あの人たちは、どこにいるんだろう。
彼女たちが、昔は、仮名漢字タイプで免許更新用の文書を作り、最近は、コンピューターで書類を作り、デジタルカメラで証明用写真を撮る。
その値段がえらく高い。
昔の写真館で取った方が遙かに安い値段である。しかも、今はデジタルだ。私達から見れば、ただ同然の写真である。どうしてデジタルカメラで撮った写真にこんな高い値段を払わなければならないのか。
しかも、必要以上の枚数を買わされる。免許に必要な写真は一枚だけなのに、どう言う訳か、二枚買わされるのである。
こんな写真、他にどう言う利用法があるというのか。
パスボートの写真と微妙にサイズが違うから使えない。
他の証明用の写真に一切使えない。運転免許証独特のサイズなのである。
ようするに、自動車免許証にしか役に立たない写真を二枚買わせるのはどう言う訳か。
オーストラリアの免許証を取るときには、一年有効、三年有効、五年有効、の三つから選べる。
それぞれ値段が違う。
五年有効が一番値段が高い。
更新窓口にカメラがあって、その前に座って撮った写真を新しい免許証にそのまま印刷する。
五分もかからない。使い道のない写真を買わされることもない。
しまった、こういうことなら、ひげも整え、きれいなシャツを着てくれば良かったと思うのだが、それはいつものことで、当日になるときれいさっぱり忘れているので、とても人相の悪い写真がこれから五年間私の免許証に載るわけだ。
アメリカで車を運転する場合、このオーストラリアの免許証で全て通じる。
なるほど、英語国どうしなら、それで良いわけだ。
私が今一番心配なのは、「交通安全協会」について、余計なことを書いたばかりに、つぎに、交通取り締まりで、捕まってひどい罪を着せられるのではないかと言うことだ。
日本の警察は、最近、中国の警察にそっくりになってきたからね。
日本の警察官僚は、何もかも自分たちで支配して、気にくわない奴は、刑事事件で立証して、刑務所に入れて、その人間の持つ社会的地位を破壊することを旨としているように思える。
むかしの、特高警察そっくりの様相を呈してきた。
それに加えて、官僚組織を守るために、平気で、与党とつるんで司法の力を使う、司法のあり方が問題だ。
ここまで来ると、そろそろ、日本も見かぎり時かなと思ってしまう。
おいおい、なにも、自動車免許証の更新くらいでここまで言うことはないだろう。
本当に私は偏っているな。うむ、偏っている。