福沢諭吉について1
この二年ほど、福沢諭吉にとり憑かれて困っている。
その発端は、朝日新聞社発行の週刊誌AERAの2005年2月7日号、「偽札だけではない、福沢諭吉の受難」という記事にある。
その記事には、「日本の近代化に貢献した幕末・明治初期の思想家、福沢諭吉。その先覚者が、全集に混入した他人の言説などを元に批判されている。混迷深い今こそ諭吉を評価し直すときだ」と前振りが打たれている。
記事の頭には「思想も偽造されていた」とある。
この記事を書いたのは、長谷川煕氏であるが、こう言う記事を載せたからには、長谷川氏だけではなく朝日新聞社もこの文章についての責任を取らなければならないだろう。
長谷川煕氏は、ウクライナ、イラン、アラブ諸国、トルコなどを例に挙げて、いまだに近代化されていないと指摘し、それにもかかわらず非西洋国である日本が近代化されたのは何故か、とまず問いかけ、「諭吉は、近代化へと大旋回した維新期の日本に、歴史が呼び込んだような人物だった」と書き、福沢諭吉が日本の近代化を進めたと示唆する。
さらに、明治大学名誉教授三宅正樹氏の「日本の不幸は、諭吉の路線から一時期、大きく逸脱してしまったことだ」という言葉を紹介し、諭吉の近代化路線を日本が曲がりなりにも歩み続けていたら、あの対米英戦争は起きなかったのではないかと言う。
また、村井実慶応大学名誉教授の「まず天下国家を思うのではなく、生来の道理の感覚から諭吉は物事を考えた」という言葉も紹介する。
一方で、少し前から諭吉を、「アジア軽蔑者」「侵略主義者」と断じ、昭和期の日本の「大陸侵略」などのそもそもの根源をこの思想家(諭吉)に求める見解が一部で喧伝されている、と言い、「福沢諭吉のアジア認識」「福沢諭吉と丸山真男」を著した安川寿之輔名古屋大学名誉教授がその代表格として内外で知られる。04年11月にも、中国・北京市内の四つの教育、研究機関に招かれ、諭吉批判をやった、と書いている。
それに対し、静岡県立大学国際関係係学部助手平山洋氏が、その著書「福沢諭吉の真実」の中で、大妻女子大学比較文化学部長井田進也氏の作り上げた科学的な文獻検証法を用いて検証した結果、安川寿之輔氏が福沢諭吉批判に使った福沢諭吉の文章とされている物は、実は他の人物の書いた物であることが分かったと主張していると紹介している。
長谷川煕氏は、ここではAという仮名を用いているが、「大正期・昭和初期に刊行され、現行の『全集』の基礎となった『福沢全集』『続福沢全集』の編集を『福沢諭吉伝』の作成と一緒に慶應義塾側から任された時事新報社(福沢諭吉の起こした新聞社。時事新報は明治時代非常に人気があり、社会的な影響力が大きかった)元主筆のA氏の悪質な作為と平山氏は推定、ないし推理する」と書いている。
平山洋氏は次のように言っているとも書いている。
「時事新報が創刊されて10年経った1892年春ごろより、時事新報への執筆から諭吉が手を引いていったことが諭吉本人の書簡などから分かる。それにつれてAが社内を牛耳り始めた」
最後に、長谷川煕氏は「近代化でなお苦悩する非西洋世界の人々には『福沢諭吉研究』こそ勧めたい。むろん、真筆の著作を通してである。」とこの記事を結んでいる。
この記事を一読すると、福沢諭吉は、日本の近代化を進めた開明的な民主的な思想家で、福沢諭吉の路線を取れば日本も侵略戦争などを起こさずにすんだだろう、思わざるを得ない。
意図的なのだろうか、長谷川煕氏は福沢諭吉をはっきり民主的な思想家とは書いていない。
しかし、読者は、特に最後の一文などを読むと、福沢諭吉を民主主義的な思想家と思いこんでしまう。
その福沢諭吉が、逆に、「侵略主義者」「アジア蔑視者」として批判されるのは、時事新報の元主筆Aが編纂した全集の中に福沢諭吉の文章として他の人間の文章が大量に取り込まれていて、批判はその偽の文章を元に行われていると言うのである。
福沢諭吉と言えば、その「学問のすすめ」の冒頭の文句「天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず、といえり」で有名で、戦後の日本人は福沢諭吉は日本の近代民主化の旗頭と思いこんでいるのではないか。
私も、そう思っていたのだが、二十年ほど前に、頭山統一氏の再版した、福沢諭吉の「帝室論」「皇室論」を読んで、仰天した。
民主化どころか、天皇による専制をこれでもか、これでもか、と述べているではないか。
「帝室論」の中にはこんな文章がある、
「我帝室は萬世無缼の全璧(完全無傷の玉)にして、人心収攬(人々の心を一つに掴む)の一大中心なり。我日本の人民は此の玉璧の明光に照らされてこの中に輻輳し(一カ所に集り)、内に社会の秩序を維持して外に国権を皇張(外に勢いを広げる)す可きものなり。」
「皇室論」には次のような文章がある。
「帝室は日本の至尊のみならず文明開化の中央たらんことを祈り・・・」
文明開化の中央、と言うことは、世界の中央と言うことである。
天皇が世界の中央というのでは、日本を八紘一宇の戦争に追いやった天皇制思想そのものではないか。
日本の近代民主化の旗頭とされる人間がどうしてこのような本を書いたのか、私は訳が分からなくなった。
しかし、そこが私のいい加減なところで、そこから先を真剣に考えることをやめて他の方に気持ちが行ってしまった。
じつは、その前に、福沢諭吉の書いた「脱亜論」を読んで、たまげていたのだが、正直に言って、福沢諭吉なんか今更どうでも良いと思ったのだ。
私にとって興味ある思想家とはとても思えなかったのだ。
(続く)