福沢諭吉について2
前回、私は福沢諭吉は興味のある思想家とは思えなかったたと書いた。
しかし、AERAの記事を読んで福沢諭吉に改めて興味を抱き、まず平山洋氏の「福沢諭吉の真実」を買って読んだ。
一読して、実に奇怪な本だと思った。
長谷川煕氏はその元時事新報主筆をAと仮名で呼んでいるが平山洋氏はA氏ではなく本名の石河幹明氏を名指しで批判し、石河幹明氏が陰謀策動を時事新報社内で繰り広げ時事新報社内に生き残り、その結果主筆となり、晩年は福沢諭吉の言うことも聞かなくなり、自分で勝手に新聞の社説を書いたのみならず、後に福沢諭吉全集をまとめる際に、自分の書いた社説を福沢諭吉の物として沢山紛れ込ませたというのである。
これを信ずるなら、途方もない、陰謀家がいたものである。
そうともしらず、安川寿之輔氏などは、石河幹明氏の書いた粗悪な文章を福沢諭吉の物と思いこんで、福沢諭吉を批判しているのだと平山洋氏は言うのである。
更に加えて、晩年脳溢血を患った福沢諭吉は、失語症にかかり、口もきけず文章も書けない状態になり、ますます石河幹明氏の言うなりになり、晩年の時事新報の社説はすべて石河幹明氏が書いたと平山氏は言う。
平山氏は、大妻女子大学教授の井田進也氏が発明した、一つの文章を誰が書いたか判定するための「世界に冠たる画期的な方法」(と本人が言っている)を用いて、福沢諭吉全集の中の、「時事新報社説」の文章を本人が書いた物か、他の人間が書いた物か判定していったところ、福沢諭吉の真筆になるものははなはだ少ない、と言う結論に達した。
私は、流石にこの記事に興味をひかれ、平山洋氏の「福沢諭吉の真実」、井田進也氏の「歴史とテクスト」、安川寿之輔氏の「福沢諭吉と丸山真男」「福沢諭吉のアジア認識」を購入して精読した。
その結果、平山洋氏と、井田進也氏の福沢諭吉について書いた物の内容は、とうてい信じるに値しない物と思った。
しかし、その時はそれで終わってしまった。
もともと、私は福沢諭吉に何の興味も抱いていなかったからである。
さらに、2006年に、安川寿之輔氏が、平山洋氏の「福沢諭吉の真実」と井田進也氏の「歴史とテクスト」に対する反論の書「福沢諭吉の戦争論と天皇制論」を発行され、それを読んで、平山洋氏と井田進也氏の論は、完膚無きまでに論駁されたと認識して、それで、私の福沢諭吉に対する興味は薄れてしまった。
ところが、2008年、右膝の関節を人工関節に入れ替える大手術をしたあとのリハビリテーションの厳しさをしのぐために、旧約聖書、新約聖書、コーランなどを読み返しているうちに、突然、それまで疑問だったことに対する答えを福沢諭吉が解決してくれるのではないか、という思いがひらめいた。
その長い間抱き続けて来た疑問とは、どうして、日本人は明治になると突然朝鮮・中国を蔑視するようになったのか、と言うことである。
福沢諭吉も含めて、明治の知識人が普通に使っているのは、漢文である。福沢諭吉も全ての揮毫を漢文で書いている。漢文というと古めかしいが、早い話が中国語である。
福沢諭吉は、「福翁自伝」の中で自分で言っているように、中国の文学、歴史文学、儒教の学を徹底に学んだ。
江戸時代の日本の知識人にとって、漢文学、要するに中国語は学ばなければならない第一に大事なことであり、求められれば、直ちに、自分で漢詩を書いて揮毫出来なければ、知識人としては認められない。
江戸時代まで、日本人にとって、漢文学の大本である中国、さらには、中国の文化を日本に伝えてくれた朝鮮は、尊敬の的だった。
それが、どうして明治になって、突然朝鮮や中国を蔑視するようになったのか。
それが私にとっては長い間の疑問だったのだが、福沢諭吉の思想をたどると、その理由が分かると思った。
福沢諭吉は、若いときにアメリカやヨーロッパに行く機会があって、ヨーロッパの文化に圧倒され、儒教や、漢学は、時代に遅れた文明開化の敵である、という問題意識を持つようになった。
福沢諭吉にとって文明開化とは、欧米の文化を自分たちのものにすると言うことだった。福沢諭吉にとって、蒸気機関が文明の全てを象徴する物だったのである。
福沢諭吉の、その欧米文化に対する思いの強さはすさまじい物で、文明開化とは欧米の文化を取り入れることでしかなく、しかも、欧米の文化に乗り遅れたら、日本は欧米の帝国主義の餌食になってしまう、と言う危機感をも激しく持っていた。
福沢諭吉は、この帝国主義の弱肉強食の世界で、日本が生き延びるためにどうすればよいか、必死に考えた。
私は、その当時、欧米各国が帝国主義の暴力を発揮してアジアを次々に支配下に置きつつある状況で、しかも不平等条約で欧米に苦しめられていた日本にあって、日本をその残酷な帝国主義の世界で生き延びさせるためにはどうすれば良いのか考えた福沢諭吉の、日本という国を思う個人的な心情は察するに余りある、と思うのだ。
その、欧米の帝国主義による日本の侵略を防ごうというその思いは私も福沢諭吉とともにに抱くことができる。
しかし、そのための福沢諭吉の方策が余りにまずかった。
(続く)