つかびれた
いやはや、今回の日本復帰は実につかびれた。(つかびれた、と言うのは私の造語。つかれたと、くたびれた、を合わせた物で、「つかびれた〜」というと、実に感じが出る。)
21日朝にシドニーに到着して、家へたどり着きそのままベッドに潜り込み、午後2時過ぎまでこんこんと、寝てしまった。前の晩飛行機の中で寝続けていたのにである。
それでも、疲れが取れない。
中々、コンピューターに向かう気力が湧かず、この日記の更新も、延び延びになってしまった。
三月に手術を受けて以来、日本へ行ったのは今年初めて。
流石に体力の低下は甚だしく、和歌山県の取材は、体にこたえているのが分かる。
しかし、和歌山県の取材が上手く行ったので、深い満足感を味わっている。
日本は本当に素晴らしい国だ。
地方へ行くたびに、ああ、ここに本当の日本人がいる、と感激する。
地方の人々は、心が優しくて、正直で、親切で、真面目だ。
地方を回って帰って来る度に私は熱烈な「愛国者」になっている。
日本の素晴らしさ、日本人の素晴らしさは、都会にいては分からない。
都会の人間も、もともと、純粋、正直、真面目な日本人なのだが、現在の強盗資本主義の強いる苛酷な競争に疲れて、本来の日本人の良さを見失っているのではないだろうか。
都会で、自分の居場所を見失っている若者たちよ、田舎へ行きなさい。
田舎で、例えば農業でも、養鶏業でも、今までとは違った価値を付加するやり方で取り組めば、絶対に明るい未来がある。
現実に、有機農法で、都会にいたときより遥かに良い生活を送っている若者たちが沢山いる。
ネットカフェや漫画喫茶で寝泊まりしている若者たちよ、派遣でリストラされた若者たちよ、地方へ行け。
地方には未来があるぞ。
都会にはもう何もない。
前回の第一次和歌山県取材の時のことで、もう一つ付け加えたい。
今までに、捕鯨問題で取材に行ったことのある、和歌山県の捕鯨の町、太地に今回も行った。
私は、クジラの皮を油で揚げた、コロのおでん、が大好きである。
クジラの舌の、さえずりも大好きだ。
今回は、その、コロを揚げている所を取材に行ったのだ。
訪れたのは、重大屋由谷商店(重大屋と書いて「じゅうたや」と読むようだ)の、コロ製造所。
製造所の前で車を降りた途端、強烈なにおいが鼻を突いて、一瞬たじろいだ。
クジラの脂のにおいである。
製造所の中に入ると、青年が一人大きな釜の前に立って、長い柄のついた大きな手網で釜の中をかき回している。
釜の中は、白い泡が湧いていて中味がよく見えない。
しかし、この強烈なクジラの脂のにおいはこの泡の沸き立つ釜の中から立ち昇って来ているのだ。
釜の中には、クジラの皮が入っていて、それを揚げているのだ。
作業をしているのは、油谷商店、由谷金三さんのお孫さんの、恭兵さん。
まだ若く、颯爽としている。
釜の中が最初泡立っていたのは、生のクジラの皮を入ればかりだったのであって、クジラの皮が揚がって行くにつれて、泡はなくなっていく。
これが、原料のクジラの皮。これは、ごんどうクジラの皮だそうである。
そして、これが揚げて仕上がったコロ。
揚げたてを食べてみろと、恭兵さんに勧められて食べてみたら、おでんで食べるコロとはまるで違う。ぱりぱりと、まるで揚げ煎餅のような歯触りで、噛むとさらさらと砕けてしまう。香りも良い。
これには、驚いた。
もっと驚いたのは、コロを揚げていたクジラの油で、サツマイモを揚げて食べさせていただいたことである。
その時までには、クジラの脂のにおいにも慣れてきていたが、それでも、クジラの油で揚げたサツマイモとなると、一体どんなものか、ちょっと尻込みをする。
サツマイモは、クジラの皮と一緒に釜の中に入れられ、やがて頃合いになると引き上げられる。サツマイモの下、釜の中は揚げられているクジラの皮。
そして、これが、揚げたサツマイモ。
おそるおそる食べてみると、おお、なんと言うこと!
クジラの脂の強烈なにおいはまるでせず、ほっこりと甘く仕上がっている。
ふかし芋、焼き芋、色々食べてきたが、クジラの油で揚げたサツマイモは生まれて初めて。
これは、おいしい。
サツマイモ好きな人なら、たまらない旨さだ。
そこに、近くでクジラの内臓を煮ていると言うところから、クジラの腸を煮たものが届いた。
輪切りにしてみると、まるでソーセージ。
食べてまた一驚。
今まで色々とソーセージを食べてきたが、これだけ自然な味の美味しいソーセージは初めてだ。
早速クジラの内臓を煮ているところを訪問した。
クジラを煮ていたのは、竹内章さん。
本業は、クジラの追い込み漁で、内臓を煮るのは本業ではなく、数日後に控えた太地のクジラ祭りで出すために、臨時で煮ているのだという。
竹内さんと、クジラの内臓を煮る大釜。
大釜の中で煮られている内臓。
「へええ」と感心してみていたら、内臓を煮る係りの人が「見ているだけじゃ分からないよ」といって、煮上がったばかりの、横隔膜のあたりを刻んだ物を、私の口に押し込んだ。
「わっ」と、ひるんだが、一口噛んでみると、その香ばしいこと、美味しいこと。私は、牛のもつ煮込み、牛肉の佃煮、など牛肉を煮込んだ物が大好きだが、クジラの内臓の煮込みは、その牛肉を煮込んだものとよく似た、良い香りで、濃厚だがすっきりした良い味だ。
これにも、また驚いた。
竹内さんの話では、昨日、十数頭のクジラを追い込んであるという。
早速、クジラを追い込んだ畠尻湾に見学に行く。
湾と行っても、入り江のような感じで、素晴らしく美しい。
見ると、いた。クジラが十数頭。
二日後に、水揚げの予定だという。
竹内さんの話では、グリーンピースの人間が、この湾に入ってきて、湾の入り口に張ってある網をナイフで切って、クジラを逃がすことがあるのだそうだ。
連中は、英雄気取りで、悪いことをしたという気持ちは全くないという。
グリーンピースは、理性的な人間の集団ではない。
カルトである。
少し前に、日本の調査捕鯨船に攻撃をしかけてきた。
あれは、明らかに海賊行為であり、船乗りの命を危険にさらす凶暴な犯罪である。船の危険を冒す人間は、海賊としてその場で射殺されるのが、この世界の掟である。
グリーンピースの連中は、日本政府がおとなしいので図に乗って、そのような犯罪行為を平気で行い続けている。
調査捕鯨船の乗組員の命を危険にさらした、グリーンピースの連中は重刑に処すべきである。
日本政府は、どうしてこんな弱腰の態度をとり続けているのか。
船の航行を危険にさらし、漁民の財産の網を切ってしまう。
そのような犯罪行為をかさねて恬として恥じない。
捕鯨が、他の漁業と何ら変わるところがない、といくら理性的に説明しても聞く耳を持たない。
クジラ教というカルトにとり憑かれた、狂気の集団である。
日本政府が、正当な対応を取らないから、このような狂気集団をのさばらせるのだ。
最後に、私が、恭兵さんに貰った宝物をご紹介しよう。
ゴンドウクジラの歯で作った、釣り針型の飾り物だ。
恭兵さんは、自分の携帯のストラップにつけていたのを外して私に、下さった。
(携帯のストラップではなかったかも知れない。しかし、恭兵さんが自分の身につけているものから外して、私に下さったことは確かだ)
これは、私は終生の宝物として、大事にする。
こんなに、素晴らしい物を頂いて、感激した。
本当に有り難い。
有り難いと言えば、恭兵さんのような若者が、コロ作りを続けて行ってくださることだ。
コロは、日本の大事な食文化の一つだ。
その食文化を、恭兵さんのような若者が守り続けてくれる。
こんな有り難いことはない。
恭兵さん、頼むぞ!
下の写真は、当日の記念写真。
右から、恭兵さん、私、由谷金三さん、恭兵さんのお母さんの恵さん。
素晴らしい方々だった。
ところで、前回、神保町の「地方出版物の店」のことを書いたら、多くの方から、その店についての情報を頂いた。
その店の名前は、正確には「書肆アクセス」であり、2007年の11月に閉店したこと、しかし、経営母体の「地方・小出版流通センター」は健在であること。
http://www.bekkoame.ne.jp/~much/access/actop.html
三省堂本店の四階に、「地方・小出版コーナー」として約3千点ほどの規模で棚があること、など、色々と貴重な情報を頂いた。
情報を送っていただいた皆様に、心から、感謝いたします。
ありがとうございました。
さて、「シドニー子育て記」だが、刊行して二週間経つ。
十数年かけてやっと刊行できた私としては、この本が売れないと言うことは、私の人生を否定されるに等しい。
この本が売れなければ、首でも吊ろうと思う。
何とか、売れるように、皆さんのご協力をお願いします。
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