「こしあぶら」とは、
昨日の検診の結果は、順調に回復していて、膝は七十度までしか曲がらないが今のところはそれで結構、と言うことになった。麻酔を打って無理矢理曲げる、なんてのは、脅しだったんだな。
あの、医者め。たちが悪いぜ。更にたちの悪さを見せつけるように、リハビリの担当者に、これからもっと厳しい訓練をするようにという手紙を書きやがった。
もっとも、これからがリハビリの正念場で、これから本当に悲鳴を上げつつ膝を曲げる訓練、筋肉をつける訓練、を重ねないと、いつまでたってもまともに歩けるようにならない。辛抱我慢、辛抱我慢、と自分に言い聞かせて、鬱へ落ち込む谷のへりに手でしがみついて、鬱の底へ転がり落ちるのを必死にこらえている。
一昨日、私たち小学校の同級生の掲示板に「いのさん」(掲示板上の通名)がお嬢さんの結婚した相手の実家から「こしあぶら」という山菜を送ってもらったと言う書き込みがあった。
天ぷらにしても何にしても美味しくて、あの「タラの芽」より希少価値のある山菜だとある。
私は山菜が好きで、地方に行くたびに色々な山菜を食べた。その中で、「タラの芽」は、大好物中の大好物。しかし、その「タラの芽」より希少価値のあると言われている「こしあぶら」なる物については、口惜しいが知らなかった。
昂奮して、もっと詳しくその「こしあぶら」について教えて欲しいと書き込んだら、本人と、また別の級友「定さん」(これも、掲示板上の通名)から、詳しい報告が来た。
我が、田園調布小学校1956年度卒業の六年二組の仲間には物知りや、知恵者が多いので助かる。
「いのさん」は子供の頃から絵の名人で、三年生くらいで、当時人気のあった樺島勝一ばりのペン画で戦艦大和や零戦の絵を細密に描いて見せて級友一同を驚かせた。(樺島勝一、だの、ペン画などと言っても、若い人には分からないでしょうね。分かる人だけ分かってください)卒業文集の表紙絵も、「いのさん」が描いた。
三つ子の魂百まで、あるいは、本当の才能は子供の頃から芽吹くというが、そのとおりで「いのさん」はデザイナーになり、いまは時々絵の個展を開く。
我々、六年二組は結束が固いから、「いのさん」の個展などと言うと、級友共が大挙して押しかける。
去年だったか、おととしだったかの展覧会の時に、会場の係りの人が、あまりの大勢の若者たち(我々のことですよ)が集ったので、驚いた、ということもあった。
私の寝室の本棚に、「いのさん」が描いてくれた「田園調布の宝来公園の入り口」の絵が置かれていて、私は毎日、朝晩、見て楽しんでいる。私が大学四年生まで、毎日家から田園調布の駅まで行くのに通った公園の入り口の絵だ。その絵を見ていると、子供の頃、その公園で過ごした楽しい日々の思い出が、次々に甦ってきて、懐かしく、そして少し悲しくなる。素晴らしい絵だ。そんな絵を描いて呉れるのも、小学校の同級生ならではのことだ。
グーグルで検索してみたら、「こしあぶら」の写真まで載っていた。栽培キットを売っているところもある。
なんと言うことだ。知らなかったのは私だけだったのか。
良くこんなことで「美味しんぼ」なんて食べ物の漫画を描いてきたもんだ。慚愧に堪えません。
写真を見ると、「こしあぶら」の芽の生え方も、「タラの芽」に似ている。
最近市場で売っているタラの芽は、殆ど栽培物で、たらの木の枝を何十本も畑に植えて、そこから出た芽をつんで市場に出す。
如何せん、栽培物は、天然物に比べて味も香りも薄い。
一度、ちょうど良い時期に長崎に行って、そこで野生のタラの芽をご馳走になったが、これは美味しかった。美味しいだけなく、体中が洗われたような、自分の血液がきれいになったような、壮快な気分がした。
ただ、タラの芽は、たらの木の枝のてっぺんについて、しかもそのたらの木の枝にトゲが生えているので、採取するのは手間が掛かる。
山に入ってタラの芽を集めるのは、大変な労働だ。
「こしあぶら」もこれは採取するのに手間が掛かりそうだ。
今年は間に合わないが、来年は必ず、この季節に日本へ行って、「こしあぶら」を堪能してくるぞ。
てなこと、を考えると、「美味しんぼ」の種は尽きないねえ。
「美味しんぼ」に「こしあぶら」の話を書けたら面白いな。
それにしてもねえ、日本の山は荒廃の一途で、おかげでマツタケが採れなくなり、北の将軍様から日本の政治家が拝領して喜ぶ、なんて悲喜劇が起こったりもする。
「こしあぶら」も「たらの芽」もこれからもずっと我々を楽しませてくれるように、我々は自然を守らないといけないな。
自然を守らなければいけないなんて、自分で言っておきながら、実に無責任なきれい事を言うもんだと、直ちに恥ずかしくなった。
先日入院したときに気がついたのだが、最近の医療器具は全部使い捨てなんだね。昔は、ピンセットや注射器など煮沸消毒して何度も使った物だが、今、注射器はもちろん、はさみなども一度使ったら捨てる。
傷口をふさぐのに、最近はガーゼなど当てない。薄いプラスティックのフィルムを傷口に張り付ける。その方が衛生的だし、傷の治りが早いという。
傷口に直接プラスティックのフィルムを貼るなんて、一寸乱暴すぎると思ったんだが、それは私の考えが古いようだ。
問題はその様なフィルムが大げさに包装されていることだ。それは衛生上、万全を考えてのことだろうが、じつに大げさな包装だ。それを破ってフィルムを取り出し、包装は無造作に捨てる。
傷口を消毒するのも、昔は、丸めた脱脂綿の球が瓶に詰まっているのを医者や看護婦がピンセットでつまんで、それで消毒した物だが、今は違う。アルコールと消毒薬のしみこんだ紙だが布だか分からないものが二つ折りになって、ひとずつ内部に薄い金属膜を貼った袋に収まっている。その袋を破いて、消毒用の布だか紙だか分からないものを取りだして消毒して、その全てを捨てる。
一事が万事この通りで、私一人のために使った、医療器具、医療器材は膨大な量に上る。
その全てがリサイクルの効かない化学製品である。
これだけ大量に使った医療器具、医療器材は、どこに行くか。
それを考えると暗然となる。燃やすにしても、どこかに捨てるにしても、結局は環境破壊につながる。
だからと言って、私は自分の膝の治療を、ご遠慮するという気持ちにはなれない。
こんな具合に、自分一人を例に取ってみても分かるが、人間は生きるだけで環境を破壊せざるを得ないのだ。
朝から晩まで自分の食べたり飲んだりする物、その排泄物、使った電力、消費する紙類(新聞、雑誌、原稿用紙、ファクスの紙、トイレットペーパー、など、今の生活を維持するのに欠かせないもの)
利用する交通機関。
そんなことを、一つ一つ考えると、我々の生活は必然的に環境破壊につながっていることが分かる。
だから、本当に環境を守りたかったら、これ以上の生活の便利さと安楽さを求めるだけでは足りない。いま昭和三十年代を懐かしがる映画「ALWAYS三丁目の夕陽」が人気があるが、環境を守りたかったら生活の水準を、あの昭和の三十年代まで戻すことだ。
それが、あなたには出来ますか。私には出来ない。多分、全員が出来ない。
後進国の人間は、先進国並みの便利さを手に入れようと必死になっている。現実に、後進国がどんどん先進国並みの消費を重ねるようになっている。
かれらに、環境破壊になるから、おれ達みたいな便利な生活をしちゃいけない、なんて言えますか。言えないよなあ。
だから、アル・ゴアが幾ら不都合な真実などと言っても、地球温暖化が収まるわけもなく、マツタケの収穫量が増えるわけもなく、その内、「こしあぶら」も「たらの芽」も危なくなるに決まっている。
何とかしなければならないとは分かっていても、自分を含めて、では具体的にどうするか、その答えを出すのは難しいし、答えが出たところでその答えの通りに生活を変えるのはもっと難しいだろう。
石油と石炭が無くなるまで待つしかないのか。
どうも、悲観的だが、自分の生き方を考えても、省エネなどしても気休めだと言うことが分かるから、思い切り悲観的にならざるを得ない。
あ、あ、美味しい山菜の話から、どうしてこんな暗い話になるんだ。
今度は、もっと、明るい話をしますからね。
「雁屋哲の食卓」は明後日、開きます。