狂気のグリーンピース1
まず、12月21日づけの、ネット版読売新聞の記事を読んで頂きたい。
【シドニー=岡崎哲】日豪関係筋は20日、読売新聞に対し、調査捕鯨船「第2勇新丸」(747トン)が同日午前(日本時間同)、豪州タスマニア島沖の南極海で、米反捕鯨団体「シー・シェパード(SS)」の抗議船「スティーブ・アーウィン号」に接近され、活動を妨害されたことを明らかにした。
日本の調査捕鯨船が、反捕鯨団体に妨害されたのは今季初めて。
勇新丸は調査捕鯨活動を中断し、現場海域を離れようと航行を続けているが、SS側の執拗(しつよう)な追跡を受けているという。
一方、SS側は「『腐ったバターの爆弾』を発射するため、乗員1人を乗せた小型船を向かわせたが、天候悪化のため引き返した」と明らかにした。発射しようとしたのは、原液が目に入ると失明する恐れもある酪酸の可能性もある。
スティーブ・アーウィン号は、今月4日に豪州東部ブリスベーン港を出港。豪州人や米国人など48人が乗船。妨害活動は「非暴力で行う」と発表していた。第2勇新丸を巡っては、昨秋から今春にかけての調査捕鯨でもSS側から妨害を受けた。
(2008年12月21日03時10分 読売新聞)
私は以前から、グリーンピースという団体は、カルトであると認識していた。
カルトとはどう言う物か、
試しに、小学館の百科辞典、スーパー・ニッポニカで見てみると、
「カルトとは、過激で異端的な新興宗教集団をさす。英語圏では正統的キリスト教を「教会」church、その分派を「セクト」sectとよぶのに対し、異端的または異教的小集団を「カルト」とよぶ。ただしヨーロッパでは、カルトの同義語はセクトである。
カルトに分類される宗教集団は、現代では世界中に多数存在し、アメリカでは2000以上ある。カルトが世界的に社会問題となっているのは、強制的な勧誘によって入信させたり、多額の寄付金を強要したりして人権を侵害し、さまざまな反社会的行動をする教団が少なくないからである。反社会的宗教集団としてのカルトには、いくつか共通の特徴がある。
その特徴とは、第一に導師やグルとよばれたり、自ら救世主を名のるカリスマ的教祖をもつこと。第二にマインドコントロールといわれる心理操作のさまざまなテクニックを用いて入信させること。それは洗脳の一種で、信徒は自覚のないまま、主義、考え方、世界観を根本的に変えてしまう。」
と書かれていいる。
ここで、カリスマ的な教祖というのは、反捕鯨団体で言えば、グリーンピースの指導者たちである。
グリーンピースの人間に、どうして捕鯨がいけないのか、どんなに論理的に問いただしても、その根拠を示すことがない。
彼らが言うのは、「クジラは頭がいい」「クジラは可愛い」「クジラは海に住む哺乳動物である」
そのような意味ない感情的なことしか言わない。
海に住む哺乳動物を人間が捕獲して、食用にしてはいけないとなったら、エスキモー・イヌイットの人達はどうする。(エスキモーは差別用語で、イヌイットと言うべきだと私は教えられてきたが、最近、とうのイヌイットの人達が、イヌイット、と言う言葉自体差別用語だという異議申し立てがあった。私はどちらが正しいか分からない。だから、両方の言葉を併記する。どちらが、現代の世界で正しいのかご教授くださる方の言葉をまっている)
反捕鯨運動を起こしたアメリカは不埒にも、イヌイットの捕鯨は許すという。
グリーンピースも、その通りの見解だ。
おい、まてよ、グリーンピース。
同じクジラを捕るのにも、イヌイットはそのままで、日本人は野蛮人だというのか。
ふざけるなよ。
我々日本人が野蛮で、どうして、イヌイットが野蛮じゃないんだ。
そう言う言い方は、イヌイットの人々に対する深い差別行為なのではないか。
グリーンピースは世界の環境を良くしようという運動を進めている。
それ自体は、私も賛成だ。
しかし、捕鯨問題については、彼らは無知な上に意図的に日本の捕鯨を標的にしている。
どこでどうして、クジラが、人間が殺してはいけない特別な動物だという観念を植え付けられたのだろう。
確かに、1940年代から、1950年代にかけて、世界中の国が、クジラを殺しまくった。
捕鯨オリンピックなどと言う言葉もあって、どこの国が一番沢山クジラを獲ったか、などと競い合ったりもした。
しかし、その中で、オーストラリアは中心的な役割を果たしていたのである。
十数年前の話だが、南オーストラリア州のある町に行くと、歯クジラの牙に色々な模様を刻んだ物を土産物として売っていた。店主に聞くと「こんなクジラの歯は、港を探れば、ざくざくと埋まっていますよ」と言うことだった。
この港は、捕鯨の中心地だったの言うのだ。「捕鯨で栄えた町ですが、今は観光客で保っています」と、店の主人が言っていた。
私は、この十数年その町に行ったことがないから、今でも土産物店でクジラの歯に、模様を刻んだものを売っているかどうか、知らない。
だが、私の知っている範囲で、オーストラリアのその町では、クジラの歯を特産物として土産物として観光客に売っていたことは確かだ。港をさらえば、幾らでもクジラの骨や歯が出て来るほど盛んにクジラを獲っていたのだ。
アメリカもそうだ。アメリカの国民的文学とされている「白鯨(モビイ・ディック)、メルヴィル作」は、徹底的にクジラを悪魔のように描いている。
更に、旧約聖書のヨナ記を読んでくれ。信心深いヨナはクジラに呑まれるという試練に遭うのだぞ。
さらに、さらに、ディズニーのアニメの「ピノキオ」を見てくれ。愛するピノキオはクジラに呑み込まれてしまうんだぞ。
ずうっと、長い間、クジラは悪魔みたいな存在だったのだ。
いつから、アメリカ人は、クジラを天使のように扱うようになったのだ。
それは、ひとえにグリーンピースの影響だ。
グリーンピースの最初の活動資金は、アメリカの大変な資産家の未亡人の寄付金によると言う。
アメリカの資産家というと、桁外れの金を持っているから、グリーンピースのような、頭のねじの狂った人間に対して、ポチッとくれてやっても大した事は無い。
しかし、貰った方は、大いに運動が出来るから、これほど有り難いことはない。
私は、何度か、グリーンピースの人間と会って話したことがあるが、彼らは駄目だ。論理的な会話が出来ない。
最初から、クジラが可愛い、クジラは神聖だ。という思いに完全に洗脳されているから、話し合いと言う物が通じない。
彼らは職業としてグリーンピースをやっている。
クジラがいなかったら、他の動物を探して同じような運動をしただろう。
ハンバーガーや、フライドチキンを毎日食べている人間が、どうしてクジラのことになると、まるで罪を犯したことのない聖人のような態度になれるのか。
人間という物は、生きとし生けるものを、自分の生命維持のために摂取しなければならない、極めて罪深い生き物だ、と言うことを彼らは認識しない。
ベジタリアンだって、植物の生命を奪って生きていることでは、肉食の人間とその罪の深さは変わらない。
植物は、動きが緩慢だから、生きているようには見えない。
言葉も発しない。反射的な動きを見せることもない。
だから、植物を食べることは清いことだと言う偏見が世界的に広まっているが、植物の生態に目を向けてみれば、人間はこれから伸びるべき植物の新芽をつんだり、不自然な交配を繰返して、人間の欲求に合うように、植物の生態を操作していることが分かる。我々人間は、植物に対しても、その生命の尊厳を冒すことを繰返してきたのだ。
ベジタリアンが、この世の生物の生命が互いに命を循環させている実態に無関心に自分だけ無罪のつもりでいることの不自然さは、もっと深く論じなければならないことだが、反捕鯨論者が、自分自身は、クジラを食べないからと言って、われわれ、捕鯨で自分の生命を保持したいという人間に対して、文句をつける資格は何も無い。
さらに、グリーンピースは牛、羊、豚を人間が食べていることに対する言及が何も無い。
一度聞いたことがあって、たまげた。
彼らが言うには、「羊は、人間が食べるために神が作って下さった生き物だ。」
これだけで驚くが、私は、オーストラリアの羊の牧場に何度か行って、彼らの言葉を聞いて、衝撃を受けた。
彼らは、目の前で何千という羊を殺しながら
「羊は、愚かだから、何も感じないんだよ」と言った。
本当か、本当にそれでいいのか。
人間が、他の生物の命を取らなければ一日も生きていけないと言う現実をきちんと認識しているのか。
私は、何が何でもクジラを掴まえて食べようと言う、クジラ病の人間ではない。
しかし、人間が他の生物の命を取らなければ生きて行けないと言う原罪を考えたときに、捕鯨だけを非難する考え方には賛成できないのだ。
そんな、反捕鯨の人間には、自分自身の生活を見直せ、と言いたい。
もし、人間以外の動物の生命を考えるのなら、牛乳を呑むのはやめろ、赤ん坊に、牛から取り上げた牛乳を元としたミルクを与えるのはやめろ。
全ての畜産業は、動物の命を奪う物だからやめろ。
ハンバーガーや、フライドチキン、牛丼など、とんでもないことだ。
羊や牛を殺して食べるのと、クジラを食べるのと、その違いを明確に説明して貰いたい。
「クジラは可愛い?クジラは頭が良い? 」
何だそれは。
牛だって、羊だって、可愛くて頭が良いのは沢山いる。
その、牛や羊を殺して食べて、さらに、その子供を育てるための牛乳を奪ってきたのが、人間ではないのか。
この、基本的な、自分自身の罪の意識なさが、グリーンピースの連中に共通している。
罪の意識がないから、更に罪を重ねる。
次に、やはり読売新聞の12月27日のネット版を引用する。
(以下、明日に続く)