最近のお笑い芸人
〈「子育て記」に「第一章 その3」を掲載しました。〉
昔のお笑いというのは、今にしてみれば中々に高級であって、ヴェルレーヌの詩、
ちまたに雨の降るごとく
我が心にも雨が降る
・・・・・
なんて文句を漫才で使っているのを聞いたことがある。
しかし、最近のお笑いというのは、私には何が何だか分からない。
NHKの番組で「爆笑オンエアバトル」というのがある。
若い芸人たちがそれぞれの芸を披露して、会場にいる観客が面白いと思った芸人(芸人たち)に投票する。その投票結果でどの芸人の芸がテレビで放映されるか決まる。
テレビの視聴者は、観客が選んだ芸人の芸をビデオで見ることになる仕組みだ。
毎週十組くらい出演して、そのなかの五組くらいの芸が放映されるが、中には連続何週間も放映の栄誉を獲得している芸人もいる。
時々私は、もしかしたらと言う期待を抱いてその番組を見る。
私は昔からお笑いが大好きで、優れたお笑い芸人のビデオやDVDを集めているくらいだ。
優れたお笑いは、心がよじくれている時など、その心のもつれを解きほぐして、すっきりさせてくれる。
笑うことは、人間にしかできない高等な精神の働きだ。
笑うことを下品と思う人もいる。男子は一年に一度、片頬をゆるめる程度でよい、などと馬鹿げた侍精神を立派なことと思っている人もいる。
笑うことは人間の精神の働きの中で一番高等な物であり、笑うことを知らないのは、精神の発達が遅れた下等動物である。
それで、私は、若い新しいお笑い芸人を発見出来るかもしれないと期待して、その番組を見るのだ。
ところが、その番組を見ても、何一つ面白く感じない。
面白くないどころか、心が寒々と冷え込み、白けてかさかさした気持ちになる。
拷問にかけられたような気分になって、途中でスウィッチを切ることがしばしばだ。
一体どうしてしまったのだろうか。
会場の観客は笑っている。その観客は非常に若い。
今の若い人達には、あの芸人たちの芸が面白いのか。
すると、悪いのは私であって、私が時代に遅れてしまったと言うことなのか。
笑いの質は時代によって、こんなに変質する物なのか。
ここで、最近の芸人は芸がないとか、見た目がまず汚らしい、貧相だ、大声を張り上げて、意味不明な行動を取って、それで観客をとまどわせて失笑させる、それをお笑いと勘違いしている、とか、それを見て笑っている若い人達の頭の程度もひどいもんだ、とか、そんな批判をするつもりはない(と言いながら、しちゃってらあ)
この訳の分からなさは何なのだろう、と不安になってくるのだ。
この番組に出る芸人は正確に言うと芸人志望の段階であって、本職として認められた芸人ではない。
では、本職として認められた若い芸人の笑いが面白いかというと、私には少しも面白くない。
日本で民間放送の番組を見ていると、良く若いお笑い芸人が出て来るが、これが、「爆笑オンエアバトル」に出て来る芸人志望の連中と全く変わらない。
どうして、こんな事でお金を貰えるのだろうと不思議になる。
見ていて、笑うどころか、不愉快になるだけである。
彼らを見ていると、笑いとは高等な精神の働きである、などと言えなくなってしまう。
若者が持っているはずの、若々しい、みずみずしい、そして生き生きとした反抗的な感じが何もしない。
廃墟を見るような無惨な感じ。荒廃した心を見せつけられた時の嫌悪感。そんなものだ。
昔から、老人は、若者のすることをけなし、世も末だ、人間はどんどん悪くなる、社会は崩壊の一途をたどっている、と言うことに決まっているらしい。
私も、ついにその老人の仲間入りをしたと言うことなのかも知れない。
老人は若い者を批判するが、その若い者を育てたのは自分たちだという責任を忘れている。
若い人達をけなすことは、自分をけなすことなのだ。
それは分かっているが、自分の子供だって思うように育ってくれないのが現実だ。ましてや、よそ樣の子供たちとなったら手も足も出ない。
どうして、こうなってしまったんだろう、とため息をつくしかない。
お笑い番組をいて、気持ちが沈んでしまっては、これはお終いだ。
はあ・・・・・、なんと言ったらよいのやら。