「有機」について
普段何気なく使っているが、その意味を深く考えたことがない言葉は幾つもある。
私が、「美味しんぼ」の中でさんざん使った、「有機」という言葉も、そうなのではないだろうかと、ふと考えた。
と言うのは、先日も、夕食の時に子供たちと話していて、Organic と言う言葉は、Organ から来ているんだよ、と言ったら、長女が「あ、そうだったのか」と驚いたので、私の方が驚いた。
長女は大学で環境科学を専攻したので、有機物とは、「昔は生物によって作られる物と考えられていたが、ウェーラーが1828年に、無機物を材料にして有機化合物の一つである尿素を合成したことから、必ずしも生物に依ってのみ作られる物ではないことが明らかになった」、と言うことは知っていたが、それが、生物の器官、Organ、と言う言葉と結びつくと言うことは考えなかったのだ。
しかし、意外にそんな物なのかも知れない。有機物の取り扱いや、性質については詳しくても、その語源など、余り考えないのではないか。
そう考えると、「有機」の意味など、一般に余り考えられていないのではないかと思った。
別に言葉の語源を知らなくても、困ることはないが、「有機」の場合、知っていた方が、理解が深まるような気がする。
今まで、「美味しんぼ」の中で、「有機」の持つ意味について、語源から述べたことがないのを、今さらながら気がついて、この機会に、一寸書いておこうと思う。
繰り返しになるが、確認のために言うと、いわゆる「有機物」「有機化合物」は、かつては生命力を持つ生物によってのみ作られる物と考えられていた。
英語で「有機」の事を Organic、というのは、有機物質は生物の器官、すなわち、Organ によって作られた物と考えられていたからだ。
Organic、とは、生物の器官 Organ、に由来する物なのだ。
では、日本語の「有機」とはどう言う意味か。
それも、「有機物」「有機化合物」は生物によって作られる物、と言う概念に依って作られた言葉だ。
この場合の「機」とは機能の「機」だ。
何の機能かというと、生活機能、生命機能、であって、「有機物」とは「生活機能、生命機能、を持つ物質」と言うことになる。
昔は、有機物は生物の生命力によってのみ作られる、と思われていたのが、ウェーラーの無機物を使った尿素の合成によって、必ずしもそうではないことが分かって、有機物と無機物の間の本質的な相違はなくなったのは前に述べたとおりである。
「無機物」とは、「生活機能、生命機能、を持たない物質」のことであって、「有機物ではない」という意味だから、「有機物」に対応するために出来た言葉で、「有機物」という概念がなかったら、生まれなかっただろう。
英語では、「無機物」は Inorganic、という。inはその後に続く言葉の意味を否定する働きをする。
Inability(無能、無力)、independent(頼らない、独立の)などである。
だから、Inorganic とは、Organic ではない、と言う意味になる。
Organic が無かったら生まれなかった言葉と概念である。
では、具体的に「有機物」とは何かというと、これが、なかなかすっきりした説明がないのだが、簡単、単純、かつ強引に、
◎炭素を含む分子から成る物質であって、生物の身体の構成要素になる物。
と考えればよいのではないか。
「有機農業」になるとその「有機物」の意味を更に教義に捉えて、「生物由来の物」となる。
有機農業は、農薬、除草剤を使わないだけでなく、用いられる肥料は、基本的に「生物によって作られた有機物」であり、無機物も、化学合成された物ではなく、天然由来の物である。
こんな所で、「有機」という言葉の意味が、かなり明確に掴めるだろうと思う。
語源について云々するのは、言語学者だけにとって意味があるのではない。
実際の我々の生活のなかで、見落としがちな事柄を思い出させてくれると言う意味もある。
「美味しんぼ」のなかで、こんな事をきちんと書いておけば良かった、と反省している。
で、その有機農業で、また中国の話になりますが、中国では、共産党幹部、富裕階級のために、有機農産物が沢山作られていると言うことだ。
もしかしたら、世界最大の有機農業国かも知れないという。
中国という国は凄いですね。
共産党の幹部になると、安全で美味しい有機農産物を食べ、一本何百万円という朝鮮人参など、漢方の高貴薬を摂り、みんな長生きをする。
数年前、北京に行ったとき、昔に立てられた高い塔のついた立派な建物があったので、あれは何かと案内人に尋ねたら、「清朝末期の王妃西太后の別荘で、今は江沢民が住んでいる」と教えてくれた。
大抵のことには驚く私だが、これにも驚きましたね。
西太后の別荘に、共産主義国家の元国家主席が住むのか。
そんなの、有りかよ。
無いだろう。有っちゃいけないだろう。
中国革命とは何だったんだ。
これでは、皇帝と共産党幹部が入れ替わっただけではないか。
圧倒的な大多数を占める下層階級の苦しい生活は、革命前も革命後も変わらない。
小数の権力者が、大多数の人民を支配して安楽な生活をする。
革命なんて、小数の権力者同士の争いであって、一般大衆・人民を救う物ではない、と言うことになる。
いや、本当の革命はあるはずなんだがなあ。
本日も、体調悪し。
で、きょうはここまで。
ところで、以前に私が出した宿題、憶えていてくれていますか。
パレスティナ問題を考える、と言う宿題です。
そろそろ、取りかかるかな。
用意しておいて下さいね。
旧約聖書の最初の部分を読んでおくと分かりやすい。
パレスティナ問題は、他人事ではありません。世界中に影響を及ぼしている。
我々日本も、アメリカに追従しているから、完全にパレスティナ問題に取り込まれている。
一緒に考えましょう。