何をするべきか
二〇一三年はひどい年だった。
個人的に言うなら、二千十一年五月以来続けて来た東北大地震の被災地の取材、福島の取材が一段落し、福島についての原稿を書き上げたことは大収穫だったが、七月の末に右のすねの骨を複雑骨折してしまい、それが未だに完治せず、日常の生活も不自由だし、取材などの活動もろくに出来ない。第一痛くてたまらない。
体が自由にならないと、気が滅入る。
何をする気にもならない。
このブログもすっかりご無沙汰してしまった。
気が滅入るのは、体の調子のせいばかりではない。
安倍晋三氏は就任してから一年近く経ち、軽薄なマスコミがアベノミクスなどと、後先のことを何も考えず囃し立てるので、すっかり自信を付けたらしく、とうとう本性を現して、かねてから腹の中で企んでいた計画を実行に移し始めた。
それにしても、全く、今回ばかりは油断をしていたと言うほかはない。というより、安倍首相の手際の見事さに、まさか、まさか、とまさにでくのぼう状態で目を白黒しているうちに、相手の手が上がり試合終了のゴングが鳴っていた。
「特定秘密保護法案」は時間を掛けて広範囲に議論する物だと思っていた。
それが、なんと言うこと、あっという間に衆議院を通過してしまった。
なんだ、これは。
自民党の作成した法案の中身を知った時、このような法律ができたら取り返しのつかないことになる、と寒気がした。
こんな法律を作ろうと思うこと安倍晋三氏の精神構造自体、飛んでもないことだが、国会にかける前に、国民広範囲に法案の内容を説明し、じっくり議論をするくらいの良識は幾ら何でもあるだろうと思っていた。
なんと私の考えの甘かったことか。
今回の、特定秘密保護法案の概要の発表が九月三日、国会提出が一〇月二五日。衆議院特別委員会で議論が始まったのが、一一月七日。そして、一一月二六日には衆議院で強行採決。
参議院の特別委員会で審議が始まったのは、一一月二八日。
そして、一二月五日に強行採決。
一二月一三日に公布、一年を超えない範囲内で、施行、と言う段取りになってしまった。
概要発表から、法案成立までわずか三ヶ月。まさに、あれよあれよという間のことだった。
国民がその中身を良く知る前に、この法律を作ってしまおうという、安部首相の(あるいは、安部首相の背後の一団)の企みは、物の見事に決まった。
こんな事が、白昼目の前で起こるとは、通り魔事件よりひどいことだ。
問題はその後だ。
それまで、たいして騒がなかった新聞がやっと、衆院で成立する数日前あたりから紙面で例えば朝日新聞は反対をし始めた。
そして、それから一週間ほどは何やら秘密保護法についての記事が出ていたが、年を越えて、今日は一月一二日、大手の新聞は特定秘密保護法案について、もう忘れてしまったようだ。
東京新聞が「特集・連載」で「特定秘密保護法案」を扱っているが、たいした「特集」ではない。共産党が「特定秘密保護法案」廃案の動きに出ていることを報道する程度だ。
「しんぶん赤旗」は志位委員長が「日本共産党が通常国会に特定秘密保護法案の廃止法案を出す」と言ったと伝えている。
全体として、国民全体の熱気をかき立てるような力がない。
ちょっとは騒いでみたからそれで義務は果たしたとでも言うのか、それとも、正月の餅がのどに引っかかって脳みそに血が回らなくなったのか。
この途方もない法律が制定されてしまったと言うのに、抵抗もせずのんびりゴルフでもしているんだろうか。
これは、以前に見た光景と同じだ。情けないことを言うようだが、一体何人の人が、2003年の「個人情報保護法」のことを憶えているだろうか。
二〇〇三年五月に参院本会議で可決・成立した個人情報保護法は
1)基本法則と民間の個人情報保護を定めた法。
2)行政機関の保有する個人情報の保護に関する法。
3)独立行政法人の保有する個人情報の保護に関する法。
4)情報公開・個人情報保護審査会設置法
5)行政機関の保有する個人情報保護法案などの施行に伴う、関係法律の整備などに関する法、
の5つである。
可決成立したのは二〇〇三年であるが、齋藤貴男氏の「『非国民』のすすめ」(筑摩書房刊)に成立前後の事情が記録されていて分かりやすい。
二〇〇一年に「月刊 現代」誌の一〇月号に氏が書いた「メディア規制としての個人情報保護法」という文章が前掲書の一九四ページから掲載されている。
それを読むと、二〇〇三年の成立までに「個人情報保護法」に対しては「日本民間放送連盟」「日本雑誌協会」「日本ペンクラブ」「日本弁護士協会」などが、反対、あるいは法案の見直しなどを要求していた。
結局二〇〇三年に「個人情報保護法」は成立してしまうが、この法案が浮上してから三年近くかかっており、その間に様々議論が行われた、などと言うことが分かる。
ところが、今回の、「特定秘密保護法案」は法案が提示されてから、成立制定されるまで、僅か三ヶ月である。
実に異常としか言いようがない。
この「個人情報保護法」が制定される裏には、二〇〇二年に施行された「改正住民基本台帳法」があった。
「改正住民基本台帳法」は、住民一人一人に住民票番号を割り当て、氏名、生年月日、性別、住所、国民健康保険や国民年金の被保険者としての資格、児童手当の受給資格などが記載され、住民税の課税、選挙人名簿の作成、学齢簿などを作るための基礎データとして使おうと言う物だ。
この「改正住民基本台帳法」は国・総務省が一括して取り扱う物で、「国民総背番号制」とも呼ばれ、個人が国によって全てを把握される事に他ならず、多くの反対があったが、IT時代に必要だと自民党・公明党が押し切り成立させた。
国民一人一人に番号をつけてしまう、と言うのが画期的だ。
国民を操作するのにこんな便利な物はないだろう。
私は自分の番号を見たことはないが、どうせついているのだろう。
こうなると本名などどうでも良くなる。
私の住民票番号が「への一六番」だとすると、役所なんかに行くと私の本名では無く「への一六番さん」などと呼ばれるのだろうか。
それで理論上は国としては便利でいい訳だ。
こうして「住民基本台帳法」が出来てしまうと、このようにして集めた個人情報が外に漏れる恐れがある。
今でも、「住民基本台帳」は第三者も閲覧できる。
しかし、それにはいちいち市役所なり区役所なりに出かけていって、特定の個人について閲覧願いを出さなければならない。
閲覧のためには、閲覧する理由を明確にしなければならず、その手続きに手間がかかる。一度に何人もの住民について閲覧するのは難しい。
しかし、「住民基本台帳」が電子化されると、コンピューターの操作一つで、一つの区、市などの単位で全ての住民の個人情報が漏れ出す恐れがある。
自民党政府は「その個人の情報を保護するための法律が必要だ」と言い出したのだ。
自分たちで、個人の情報を危うくしておいて、今度はそれを守るための法律が必要だという。
マッチ・ポンプと言う言葉がある。
自分で火をつけておいて、自分で火を消す。
自分で問題を起こしておいて、自分で解決してみせて、他人の賛辞や、利益を得る詐欺師のことである。
「住民基本台帳法」と、「個人情報保護法」を制定する政府の進め方は、まさにこのマッチ・ポンプであって、白昼公然たる詐欺である。
そもそも、我々にとっては全く迷惑な「住民基本台帳法」を作っておいて、今度はそれでは個人情報が漏れる恐れがあると言って「個人情報保護法」を作る。
悪質な法律を作っておいて、それを種にして、更に悪質な法律を作る。
私達は、実に立派な詐欺師集団・政府を持ち続けてきたのだ。
その「個人情報保護法」は、表向きは体裁良くできているが、その法律の真の目的は別の所にあった。
政治家、官僚、大企業の経営者、などの不正を調査しようとすると、「個人情報保護法」を持出して、調査を妨害する。
敢えて調査すると、民事裁判に持ち込まれる。
それを恐れて、「個人情報保護法」成立以来、新聞、マスコミ、ジャーナリストの腰が引けてしまって、政府高官、高級官僚、大企業の経営者などの不正を知っても、踏み込まない。
この「個人情報保護法」は、いわゆる権力を持つ人間にとって大変に都合の良い物なのである。
これが、日本のマスコミ、新聞・雑誌、ジャーナリストを弱体化するのに大いに力があった。
二〇〇四年に亡くなってしまったが、本多靖春というジャーナリストがいた。
読売新聞に入社し、社会部の記者として活躍した。
その後、独立して、ノン・フィクション・ライターの先駆けとして多くの意味のある仕事を残した。
本田靖春が活躍したのは戦後の一九六〇年以降であり、日本人が初めて掴んだ言論の自由を謳歌するジャーナリストの一員として本田靖春は力をふるった。
心の底には、「権威に逆らう荒ぶる魂」を本田靖春は持っていた。
本田靖春の名を一躍高めたのは、「黄色い血事件」だった。
一九六二年当時、日本の医療は大きな問題を抱えていた。
それは輸血である。
今からは信じられないが、献血と言う物が殆ど無く、手術などの時に使われる輸血用の血液は全て売血によるものだった。
普通の人が自分の血を売ろうとは思わない。
当時、血を売る人間は極めて貧しい人たちだった。
商業血液銀行、と呼ばれる買血業者が、東京の山谷、大阪の釜ヵ崎、などに採血所を設け、日雇い労働者や低所得者から血を買っていたのだ。商業血液銀行はそれを病院に売り、多大なもうけを得ていた。
その、まるで人の生き血をすするような残虐な血液銀行の最大手は、中国で細菌戦の実験や、様々な生体実験を行っていた731部隊の中枢にいた人間が経営していたのである。
(731部隊については、多くの研究書が発刊されているので、ぜひ読んでみてほしい。ちょっとあまりにひどい話で、日本人は中国でここまでひどいことをしたのか、と思うと顔が上がらなくなる。最近、731部隊のことはみんな嘘だ、とネットに書き散らす者が増えてきた。恥を知らない人間には何を言っても通じない物なのだと痛感している)
売血をするにしても、頻繁に採血をすると、骨髄の中で赤血球を作るのが間に合わなくなり、血の色が薄くなり黄色っぽくなる。赤血球も足りないので比重も小さくなる。
血液としても、質が悪い。
「黄色い血」とは、この薄くなった血のことを言う。
「黄色い血」になるまで血を売る人たちの健康は当然破壊される。
ある程度以下の比重の血液は採ってはいけないという基準はあったが、売る方は金が欲しいし、買血業者は売るための血が必要だ。
そこで、買血業者は「黄色い血」まで採決したのだ。
これだけでも、十分うんざりするくらい悲惨で、考えたくもないことだ。(つげ義春の弟に、矢張り漫画家の、つげ忠男がいる。つげ忠男の漫画は暗い題材のものが多く、つげ義春のように世間的な評価は得ていないが、私のように高く評価する愛好家も少なからずいる。その、つげ忠男の漫画の中で、売血をする男達の姿を描いた物がある。私はその漫画を読んで、余りの悲惨さに心が重くなった。つげ忠男は悲惨な話を淡々と描くので、その悲惨さが余計に心に響くのだ。)
「黄色い血」の悲惨さは血を売る人たちに留まらない。
買血業者の買った血は病院に回り、手術を受ける人が輸血を受ける。
ところがその血の中にC型肝炎のビールスが入っていることがあり、輸血を受けた人が後に肝炎を発症する。
最悪の場合は肝炎が進んでガンになる。
今でも年輩の人の中にC型肝炎からガンになった例が少なくない。
さらに、C型肝炎は、売血する人にも感染する。
と言うのは、当時の買血業者は、採血をする際に何人もの人間に同じ針を使い回した。
それで、C型肝炎ではない人も、C型肝炎の人に使った針を使って採血された結果、針からC型肝炎が感染したのだ。
本田靖春はこの「黄色い血」をなくして、輸血に使われる血は全て献血による物にするために「黄色い血」キャンペーンを展開した。
読売新聞の社会面を大きく使って、何日にもわたって、「黄色い血」の実態を暴き、献血の必要性を説いたのだ。
本田靖春は売・買血の実態を探るために、自身日雇い労働者の格好をして、東京の山谷のドヤ街の旅館に住み着き、売血をしている人たちに話を聞くだけでなく、自分自身買血業者の採血所に行き、実際に売血をしたのだ。
本田靖春の自分の体を張ったキャンペーンの効果は大きく、ついに買血業者が「日赤が集めた血で、使われずに廃棄される血を自分たちが譲り受けることが出来るなら」という条件で、買血を止めた。
(じつは、この後731部隊の幹部だった男の関わる買血業者が、この手に入れた廃棄血液にアメリカから買って来た血液を混ぜて作った血液製剤が、エイズ薬害を引き起こすのだが、これは、本論から外れるので省く)
本田靖春の遺著「我、拗ね者として生涯を閉ず」(講談社刊)は名著である。二〇〇五年二月二一日初版第1刷で、二〇〇五年三月二八日に既に第四刷となっている。
多くの人に読んで貰いたい本だ。
この本の三八四ページに氏は書いている。
「この際だから思い切っていってしまおう。私は、世のため人のためにいささかでも役に立ちたい、という気持ちから、新聞記者という職業を選んだ」
「この私にしたところで、照れるくらいの知恵は身につけている。でも、照れない。世のため人のためといった気風が、いまやこの日本では終息してしまいそうに思えてならないからである。」
この本多靖春氏の文章を読んで、若い人たちよ、何か感じて欲しい。
このような、まっすぐで、真っ当で、純粋で、真正な言葉を私は若い人達に、しっかり受け止めて欲しいのだ。
本田靖春の何が凄いと言って、氏は売血者の中に肝臓障害で死んだ人間のことを良く知っていながら、この記事を書くために自ら買血業者の採血所に行き、何度か実際に「売血」をしたことである。
氏は晩年、肝臓がんに冒されて苦しむことになるが、それは、針の使い回しによってC型肝炎に冒されたからなのだ。
それは、氏が、すべてこの記事を書くために自分の命を捧げた結果である。
氏は本当に自分の言葉に偽りなく「世のため人のため」に自分を犠牲にしたのだ。
で、ここまで本田靖春氏の文章を取り上げておいて、何を言いたいか。
それは、今新聞記者として働いている皆さん、ジャーナリストの皆さん、本田靖晴氏の志を受け継いで頂きたいということだ。
何のために新聞記者になったのか、何のためにジャーナリストになったのか。
その根本を問い直して頂きたいのだ。
もちろん、
「大新聞社の社員となれば、社会的に高く扱われる。高い社会的地位を保って、生涯安楽に暮らせる。」
「自分自身を社会に売り込むためにジャーナリストになったんだ、テレビにジャーナリストとして出演すれば、それで一生食べて行ける」
という人たちが大部分だろう。
私は、少ない機会とは言え、大新聞社、大テレビ放送局の人たちと何度か会ったことがある。
しかし、そのような人たちと深い意味のある会話を交わしたことがない。
その理由は、本田靖春氏の上掲の著書の五〇六ページに書かれた言葉を引用したい。
氏は、次のように書いている。
「私は正真正銘の日本人で、祖国を愛することにかけては人後に落ちないつもりだが、どうしても好きになれない国民性が日本人にはある。それは、自分の考えをはっきりいわないことである。
触らぬ神に祟り無し、はまだいい方で、物言えば唇寒し、とか、言わぬが花とか、長い物には巻かれろ、とかいった格言や諺が、そういう国民性を表しているように思う」
しかし、新聞記者やジャーナリストの道を選んだ人は、そうであっては困る。
言うべきことを、しっかり言ってもらいたい。
で、問題は、「特定秘密保護法案」である。
「住民基本台帳法」と「個人情報保護法」が提案され、国会にかけられたときに、大新聞社、大出版社、大テレビ放送局の良心的な部分は、かなり強く、その内容を国民に知らせ、危険性を知るように訴えかけた。
しかし、今回の「特定秘密保護法案」になったらどうだろう。
一般国民より、遙かに早い段階で「特定秘密保護法案」の内容を掴んでいたはずの、大新聞社、大雑誌社、大テレビ放送局は沈黙を守りっぱなし。
そして、成立となったら、その後二三日は大新聞社も批判的に取り上げたが、それは多分、自分自身の存在証明のための言辞であって、時間が過ぎればもはや、忘れてしまったのか、あるいは「世の中の態勢に従うのが知恵ある者の生き方なり」と言うことなのか、この数日「特定秘密保護法案」については、何も聞いたことがない、読んだことがない。
本当に全く、「住民基本台帳法」と「個人情報保護法」の時とそっくりだ。
その当時は、ちょっと反対してみせるが、決まってしまったとなると、大新聞社の大記者も、大雑誌の大編集者も、大テレビ放送局の大プロデューサーも、まるで去勢された羊みたいに、黙々と日常のえさを食べているだけ。
本田靖春氏は、上挙の著書の三六六ページに、次のように書いている。
これは、「黄色い血」のキャンペーンについて書かれているものである。
「もし、売(買)血と出会うのが一九六二年ではなく、二〇〇三年であったとしたら、私はキャンペーンに取り組むのをためらっていたかも知れない」
これを、読んで、私は「ひゃあっ!」とのけぞった。本多靖春は二千三年の段階で日本人をあきらめかけていたのか。
氏は、前の文章に続けて、次のように書いている。
「その点、六〇年代初頭には、宗教心とは異なるが、「情」というものがまだ残っていた。それは、階層が低い人たちの方に色濃くあって、彼らは涙もろいのである。社会面には『泣かせ物』というジャンルがあって、こいつを一本書くと、しばらくは寄金の処理に終われることになる」
この、最後の「寄金の処理に終われる」というところが凄い。
当時の日本人は、今より貧しかっただろうが、他人の不幸に多くの人が新聞社に寄金を寄せることが出来た。そこまで心が豊かだったのだ。
氏が、この文章を書いて一〇年以上経った。
二〇一四年の日本の姿を見なかったのは、氏にとって幸せだったのではないか。
全ては、我々にかかっている。
これから、「特定秘密保護法案」にどう対処するのか。
「住民基本台帳法」、「個人情報保護法」の時のように、最初はちょっと反対してみるが、すぐに「お国の言うとおり」素直に、従順に従うのか。
「特定秘密保護法案」は法案の内容がはっきりしない上に、運用が時の権力のしたいがままに任せられている。
「何が秘密なのか、それは秘密」、なんてとんでもないパズルの世界に我々放り込むような法律だ。
そのパズルのような法律があれば「お前は、秘密にふれたから逮捕する」と言うことが出来る。
「私は、どんな秘密にふれたんですか」とたずねたら、「それは、秘密だから言えない」
などと、言われてしまえば、おしまいだ。
気がついたら、牢獄に入っている、などと言うことも想像できる。
これは、途方もない法律なのだ。
それを、今の各新聞のように、一旦ちょっと批判して見せたからそれで責任を果たしたとして、知らぬ顔を決め込むのか。
その全ては我々が何をするべきかにかかっている。
このまま、手足、口も封じられて、生きながら死ぬ事を選ぶのか。
きちんと、人間として生きて行きたいのか。
それは、全部、これから我々が何をするべきか、それを真剣に考えることによる。
2014年は、本気で自分の生き方を考えなければならない年だ。
(前回、書いた物の中で、本多靖春氏の名前を誤っていることを、読者に指摘された。
このような読者の指摘は大変に有り難い。お礼を申し上げます。
ご指摘のとおり、靖春氏を、靖晴氏と誤って書いた部分を訂正しました。
私のこのブログを読んで頂いている読者諸姉諸兄の皆様に、この際まとめてお礼を申し上げます。
これからも、よろしく、お願いします)