15日に日本へ出発
15日に日本へ行く。
「嫌韓」「嫌中」にけりをつけたいのだが、日本へ行ってしまうと、資料がない。
11月21日にシドニーに戻ってくるまで、「嫌韓」「嫌中」問題はお預けだ。
11月7日に、長い間私の心を負債で苦しめていた「子育て記」が出版される。
これで、十数年来の重石が私の心から取れることになる。
しかし、この本は、地味な内容なので、売れるわけもない。
売れないと分かっている本を出すのは辛い物だ。
出発に備えて、準備が大変だ。
持って行く物、取材の準備、薬の準備、いやはや、毎回日本へ行くたびに大変だ。
もう、日本へ戻ってしまいたい。
私自身としては、もはや、オーストラリアに滞在する意味がない。
のんびり暮らせることはよいことだが、まだまだ、したい仕事が沢山ある。
私は日本語でしか物を書けないから、日本の読者だけが頼りなのだ。
私は中国生まれで、三歳の時に中国から引き揚げてきた。その時に味わった、日本に対する違和感がいまだに尾を引いている。
だから、日本に故郷という感じを抱けるところは一個所も持てないのだが、どうしても、日本人であることに束縛されていて、異常な愛国心の塊である。
それは、実に良くないことで、愛国心なんて物は、さっさと振り捨てなければならないのだが、中々そうは行かない。
どうしてなんだろう。
日本はいやでいやで仕方のないところが多いのだが、心の底まで震えるほど日本人に生まれて良かったと思うことも多いのだ。
ま、愛国心を基本に据えて、日本という国を批判して行くしかないんだろうな。
私の心はどう見ても分裂していて、子供たちにも、お父さんは矛盾しすぎていると呆れられる。
そりゃそうだよね。全くの無神論者なのに、「俺の占いは良く当たるぞ」などと言う物だから、子供たちは、私をどう捉えて良いのか分からなくなる。
私だって自分のことは良く分からない。
子供たちに私のことが分かるわけがないだろう。
所で面白いですね。
ピタゴラスは、あの大昔に、星占いなんて物はまるで下らないと喝破した。
その理由は簡単で、一卵性双生児の運命がそれぞれに違うのを見て、同じ星の下に、同じ時間に生まれた人間の運命が違うのでは、そんな星占いなんて嘘っぱちだと喝破した。
それなのに、いまだに週刊誌には毎週星占いが載っている。
全く人間という物は度し難く、愚かで非理性的だ。
血液型占い、なんて、日本人以外の人に言うと、何のことだか分からずきょとんとなる。
説明すると、私のことを、理性を欠いた、科学的精神のひとかけらもない人間と思いこまれる。
そこで、あわてて、それは、脳みその代わりにどぶ泥を頭に詰め込んだ人間が反吐として吐き出している言葉が、脳みそが空っぽの人間の頭に妙に相性が良いだけの話で、こう言う現象は、欧米に昔からあったでしょう。と例を上げていくと納得する。「日本は、科学技術が進んでいるが、遅れているところもあるんだね」と安心する。
前回話したヒッチンスの「God is not Great」を日本語に訳す人がいないのなら、私が訳して出版しようかな。
その本を読むと、占いとか、奇跡、などと言う物が如何に馬鹿馬鹿しい物であるか、すっきりと分かる。
あの、マザー・テレサに関しても、随分下らない奇跡物語が流布しているんだね。
たしか、数年前のTIMEだったと思うんだが、マザー・テレサ自身、キリスト教に対する信仰が揺らいでいた、と言う話を読んだ記憶がある。
それなのに、マザー・テレサの持ち物を体に当てると子宮ガンが治ったなどと言う奇跡物語が有名になっている。
くそだ。
それとも、私が、ヒッチンスよりもっと、分かりやすく、日本人向けに宗教とか、占いとか、そんな物のくだらなさを書いてみようかな。
天皇制を批判し、ユダヤ教を批判し、キリスト教を批判し、イスラム教を批判し、仏教を批判し、当然、日本の新興宗教全部を批判し、とこうなると、誰かに殺されるね。
でも、世界中を覆う、この宗教の下らなさ、無惨さ、非人間的な残酷さ、こんなのもを、「信教の自由」なんていい加減な言葉で、放ったらかしにしておくのは、人間としての責任の放棄だ。
糞は糞とはっきり言わなければならない。
そして、糞は掃除しなければならない。
ああ、あ。
いい歳をこいて、少しも、私は穏やかな気持ちを持てないんだなあ。
さあ、日本へ行く準備だ。
いそがしい。
幸い、脚の痛みが、上手い具合に抑えられている。
痛み止めを飲まずに、2キロ近く歩ける。
流石に、夕方になると痛くなるが、そんな物、手術以前の膝の痛みに比べたら天国だ。
和歌山取材は厳しくなると思うが、勇気凛々だ。