大失敗
前回このブログで、適菜収の書いた本を取り上げ讃めてしまった。
それは、「国賊論」という書名で、副題に「安倍晋三とその仲間たち」とあるように、安倍晋三首相批判の書だった。
やたらと、「バカ」という言葉を使っていて、見苦しいのだが、それだけ安倍晋三首相に対する怒りが強いのだろうと考え、大目に見た。
しかし、ブログに記事を書いている間にも、この適菜収言う人物は何者なのだろうという疑問を抱いていた。保守主義者と言うが、何を保守しようと思っているのか、それが分からない。
そこで、適菜収の書いた本をもう一冊読んだ。
「日本をダメにしたB層の研究」という本だ。
この本を読んで、私はとんでもない人間を讃めてしまったとほぞを噛んだ。
以前読んだ「国賊論」が口汚いけれど安倍晋三首相を批判していたので、うっかり書いた本人のことを確かめずに讃めてしまったのが大失敗の元だった。
そこで私は、前回のブログの中で適菜収について言及した部分を削除した。
削除してしまったからには、「あれはダメだから削除しました」ですむのだが、うっかり私のように引っかかる人間がいるといけないので、一応適菜収について書いておく。
実は書こうとしても、正直書くことはないのだ。
あまりに馬鹿馬鹿しい内容なので、馬鹿馬鹿しい内容でした、と書いてしまうと一行ですんでしまう。
それではあまりに愛想がないので、何か書いてみようと思う。
一応お断りしておくが、適菜収の書いた物は読むだけ無駄だから、読者諸姉諸兄におかれては適菜収の名前を見たら、直ちに素通りすることをお勧めする。
私はうっかり讃めてしまったために責任を取って、何か言うことにする。
全く、とんでもない災難だ。
適菜収は改革や革新という言葉に反感を持っているらしい。
このB層とは数学で使うグラフの横軸に、
◎グローバリズム
◎普遍主義
◎改革・革新・革命
をとり、縦軸に、
◎IQ
を取って、数学で使うx,y二次元グラフのように、縦軸横軸共にプラスの人間をA層。
縦軸マイナス、横軸プラスの人間をB層としている。
数学で言えば第一象限をA、第二象限をBとしているのだ。
で、B層とはグローバリズム、普遍主義、改革・革新・革命に積極的だが、IQの低い人間を言うらしい。
IQを人を分類する指標として使えると考えるところに、適菜収の出来の悪さがある
要するに、適菜収は、改革・革新・革命に前向きの人間はIQが低いとけなしたいのだ。
適菜収は自分が空想的に作り出した人々B層の人間について、悪罵を連ねる。
その一つ一つを取り上げていっても仕方がない。
適菜収のような人間は今までにも良くいた。
蓑虫あんちゃんとか、蓑虫野郎とかいう手合いである。
蓑虫は木の葉などを切って集めて蓑を作り、その蓑の中に棲息する。時々自分のひり出した糞を外に放り出す。
蓑虫は木の葉を切って蓑を作るが、蓑虫あんちゃんは思想家や作家の言葉を集めて自分を守るための蓑を作る。
蓑虫はひり出した糞を放り出すが、蓑虫あんちゃんは汚い言説をふりまく。
他人の言葉を集めて、その言葉に乗っかって場当たり的な言説を繰返すのが蓑虫ゲスペタである。
蓑虫は葉を切取ってきた木の幹や根のことについて無関心である。
それと同じで、蓑虫下郎は切取ってきた言葉の真意やその言葉の載っている著作の意図するところも分からない。
ただ、都合の良いところを切取ってそれを援用して自分の言説をデッチ上げる。
だから、適菜収の言うことをいちいち取り上げて論ずるのは無意味な所業である。
ただ、これだけは見逃せない言説があるので、それを取り上げよう。
この「日本をダメにしたB層の研究」の第4章、「素人は口を出すな!」に至って適菜収は汚泥を大量に放出した。
適菜収は民主主義と平等主義を理解しようとせず、口汚く罵る。
適菜収はチーチェの言葉を使って、「民主主義の根底にある平等主義は『神のまえでの霊魂の平等』という概念から来ている。絶対存在である《神》を想定しないと出て来ない発想だから、民主主義はキリスト教カルトである」と言い、ハンナ・アーレントの言葉「フランス革命で人民が神格化されたのは、法と権力を共に同じ源泉(キリスト教のこと)に求めようとしたために起こった不可避の帰結であった」を引用して、「法と権力を同じ源泉に求めてはいけないのです、権力の集中はロクな結果を生み出しません。」といい、突然「以上で民主主義の説明を終わります」と結論する。
まことに奇怪な論である。自分でも何を言っているのか分からないのではないか。
私は、キリスト教に限らず一切の宗教を信じることはできないし、《神》の存在など考えたこともない。
しかし、私は全ての人間は平等である、と固く信じている。
適菜収君よ、平等権は《神》の存在などなくても、まともな人間ならきちんと心に抱く物なんだよ。そんなことも分からずに、何か言ったりしたらダメだよ。
さらに、フランス革命の際に、ロベスピエールがキリスト教を法と権力の源泉に求めたとハンナ・アーレントが言ったからと言って、民主主義という物は法と権力を共に同じ源泉に求めるもの、と言ってしまう。
ロベスピエールのフランス革命と我々が取り組もうとしている民主主義と何の関係があるのか。
例えば、民主主義で三権分立をきちんと守れば、法と権力を同じ源泉に求めるなどと言う批判の起こりようがない。
蓑虫あんちゃんは、フランス革命などと言う特殊な状況を用いて、一般に布衍することの出来る論を立てられると思っている。
大抵のことは何を言っても見逃すことができるが、平等権を否定し、民主主義を否定する蓑虫は、ゴミために掃き捨てなければならない。
末法の世になると恐ろしい物で、このような蓑虫下郎の戯言を、大出版社が本にして売り出す。
適菜収には、もう一度きちんと本を読んで勉強し直し、論理的に物事を考える訓練することを勧める。
適菜収は「国賊論」の中で、人を罵る言葉、「バカ」を多用した。
私が高校のときに、同級生に「バカ」と言ったら彼は次のように返してきた、
「バカバカと、バカをバカバカ言うバカは、バカはバカでも大バカのバカ」
これをそっくり、適菜収に贈ろう。
以上で、適菜収についてはおしまいである。
読者諸姉諸兄にはご迷惑をお掛けした。
これからは、きちんとその人間の正体を確かめてからその言説を取り上げることにする。
全く、大失敗だった。
間違っても、適菜収の書くものを読まないように。時間の無駄だけでなく、腹の底にイヤな不潔な物がたまる。