雁屋哲の今日もまた

2012-10-08

残念、でも楽しかった

6日は、日産スタジアムに横浜マリノス対広島サンフレッチェの試合を見に行った。
前回は、観客数があまり多くなく、心配したが、6日は36,000人。
でも、45,000人は、最低来て欲しいな。
サンフレッチェのサポーターもかなり来ていた。
駐車場で広島ナンバーの車で、サンフレッチェのユニフォーム着た五人組のサンフレッチェ・サポーターを見かけた。
広島から来て、今日中に広島まで帰るのだろう、実にえらい。
現在、J1一位だけあって、サンフレッチェのサポーターも気合いが入っていると感心した。
ただねえ、あの紫色の旭日旗は、ちょっとなあ。

マリノスは主力を二人欠いていて、不利だったが、ボールは良く保持していた。
ただ、攻撃力がない。
ハーフ・ウェイ・ラインから相手側に入ったところで、球を回し続ける時間が長く、大昔のサッカーを見ているような気持ちになった。
攻撃が遅いので、マリノスが相手陣営に入った時にはすでにサンフレッチェはディフェンス態勢ができあがってしまっていて、その厚いディフェンスを縫ってパスを通すことが出来ないので、いつまでもボールを回している。

それに反して、サンフレッチエの攻撃は素早い。
とくに、ミキッチの足の早いこと。
サイドを走って、味方が送った長いパスに追いついてゴールに迫る。

マリノスも、小野と齊藤が良く攻めて相手のゴールに迫ったが、他の選手がついてこないから、シュートまで全部自分でしなければならない。
サイドに走り込んだ時に誰かがゴール前まで出て来てくれたら、センタリンダでも出来るのに、センタリングしようにも、他のマリノスの選手は全然いないんだ。
たった一人の仕事では、今のサンフレッチェは、いや他のチームでも崩せない。
それに引き替え、サンフレッチェは攻撃が早い。
数人でゴールに迫る、誰がパスを回しても誰かがそれを受けてシュートできる。
何度も、あわや、という場面があり、その度に、我々は腰を浮かし「わ、わ、わ、」と言葉にならぬ声を発し、肝を冷やしたが、運良く切り抜けてくれた。

今回も、中澤のディフェンスは見事だった。
ここぞと言う時に、しっかり守ってくれる。
一緒に行った私の友人は、「うーむ、中澤はマリノスの要だな」と言っていました。
そうそう、私は、ワールド・カップのドイツ大会の時のNAKAZAWA 22のユニフォームを着て行ったが、連れ合いが球場の売店でマリノスの中澤のユニフォームを買ってくれた。BOMBER 22と書かれたユニフォームだ。
次回から、こっちを着て行こう。

後半30分前に、中村俊輔が退いた。
たしかに、今回中村俊輔は精彩を欠いていた。
あんな選手ではないのに、と思うけれど、前にも書いたとおもり、他の選手の攻撃態勢への動きが遅いので、中村俊輔も自分がボールを保持した時には、サンフレッチェのディフェンスを縫ってパスを前に送れない。
仕方がないから、後ろの方でパスを回していた、と言えるかも知れない。
しかし、中村俊輔が退いた時に、なんだか嫌な気持ちがした。
中村俊輔が退いてすぐに、小野がPKを取った。
その時、我々は、「キックなら中村俊輔だ。中村俊輔にキックをさせろ」とわめいたが、ああ、一旦退いた選手を戻すことは出来ない。
小野は自分が取ったPKだからなのか、自分でPKを蹴ることになった。

いつも思うのだが、キーパーにとってPKほど残酷な物はない。
あの距離からキックされたら人間の反射神経は対応出来ないという。
今回も、PKとなってゴールにキーパー一人が残る際に、立ち去るサンフレッチェの他の選手たちは、キーパーの肩を叩いたり、抱いたりした。
まるで、処刑される人間が処刑台に上るのを友人たちが見送り別れを告げる時のような悲壮な感じである。

で、小野が、蹴った。
その寸前、私は、「こう言う時に、失敗することがあるんだよな」と不安のあまり言ってしまった。
ああ、悪いことは口に出すべきではない。
言霊という言葉がある。
言葉には力がある。時に、言葉が周囲の物事を動かすことがある。
私が、そんをことを言ったせいではないが、小野の蹴った球は、ゴールの遙か上空を飛び越えて宇宙の果てまで飛んで行ってしまった。
36,000人(除く、サンフレッチェのサポーター)の上げた悲鳴が日産スタジアムを゛どよもし、揺るがし、天まで吹き上がった。
私も、「ぎゃーっ、ぎゃーっ、うわーっ!」と叫んだ。
私はいつも言う。「サッカーほど体に悪いものはない」
この時も、私は死ぬかと思った。

結局、ゼロ対ゼロの引き分けに終わった。
マリノスは現在9位。ここで勝っておけば、順位が上がったのに、と思うと無念でたまらない。

しかし、試合の後、マリノスの選手たちが会場を一周してファンたちに挨拶をする時に、サポーター席の前に並んだら、サポーターたちから、PKを失敗した小野を励ます声が大きく上がった。
本当に、小野は辛いだろう。今夜は眠れないだろうと思ったが、そのサポーターの熱い声援を聞いたら、少しは心が慰められたのではないか。
マリノスの、サポーターは、最高だぜ。サポーターとしてあるべき態度だ。本当に選手をサポートしている。
選手たちが私達の席に近づいて来た時、私は立ち上がって「なかざわーっ!」と叫んだ。中澤はまだ私達の手前にいて、ちょっとタイミングが早すぎた。
私達の席の前に選手たち全員がそろって、一礼してくれる時に私は再び「なかざわーっ!」と叫んだが、その際に声が裏返ってしまって、得意の大声が出なかった。
私も、小野と同じで、肝心の時にとちった。
中澤の耳には届かなかっただろうなと思うと、口惜しい。

夕食は、そのまま、横浜関内に移動して、以前、桂歌丸師匠の落語を聞きに行ったときに、友人に連れて行ってもらった「登良屋」に行った。
その時の友人とその夫人、私達夫妻と私の次女の五人である。
前回、「登良屋」に行った時に、私は天婦羅屋と聞いていたから、友人がメニューを見て、シマアジの刺身を頼もう、と言ったので「やめろ、やめろ、養殖のシマアジなんてくさくて食べられないぞ」と反対したら、それを店の女性に聞かれてしまい(私の声は大きいらしい)、「うちの店は養殖物は置きません。全部天然物です」と厳しく言い返されたので、仕方がないから注文したら本当に天然の素晴らしいシマアジが出て来て感激した、ということは、2010年12月04日のこのページに書いてある。
その時のことがあるから、今回は最初から天ぷらを食べる前に、魚を食べようと言うことになって色々と注文した。
今回食べたのは、メジマグロ、コチ、アジの刺身、トコブシの煮物、キンキの煮付けである。

メジマグロもコチもアジも、刺身はどれも大変に良かった。トコブシも良かった。
キンキは、煮付ける前に店の人が「これですが、いかがですか」と見せにきてくれた。見た目がきれいなので安心して注文した。
このキンキの煮付けが実に良かった。
二匹を、五人で分けて食べたが、とろり・ふわりとした食感で、脂がのっているのにくどくなく、上品な味わいだった。東北や北陸ならともかく、横浜でこんなキンキが食べられるとは思わなかった。
皆で骨までしゃぶり尽くしたが、その骨と、煮汁に未練が残る。
する、お店の女性が「骨汁に出来ますよ」といってくれた。
五人でしゃぶった骨だが、なあに、みんな仲間だからかまうことはない、ということになって、全員がしゃぶり尽くした骨と煮汁で骨汁を作ってもらった。
それが、ああ、実に旨かったんだよ。
「熱湯をかけないと美味しくできないんですよ」と店の女性が言った。
料理の秘訣はそれだけではあるまい。
煮汁の色で、全体に色が濃いのだが、少しも塩辛くなく、ちょうど良い味付けで、大変に上出来の味わいだった。
ここで、わずかに骨に残ってい身も、全て徹底的にしゃぶり尽くして、今度こそ骨は、骨だけの骨になった。
もちろん、最後は天ぷらを食べるわけだが、ここの天ぷらは、銀座辺りのいわゆる高級天ぷら屋の、色が白くてさっぱりした物ではなく、ごま油の香りがぷんぷんして濃厚な味で、色も黄金色の昔風の天ぷらである。
友人は「こういう、黄金色の天ぷらが食べたかったんだ」と言った。
とにかく、材料がよいので天ぷらも美味しい。
高級天ぷら屋の軽い味わいと違って、「天ぷらだぞっ!」という力強い味わいだ。
これが、また、嬉しいのだ。
完全に堪能した。
こんな素晴らしい魚を、本当に庶民的な店で味わえるとはすごい物だ。
前回も感心したが、前回は落語を聞きに行く前だったので、時間的な余裕が無くたっぷり食べられなかった。今回は、サッカーの後だったので、この店の味を十分に味わうことが出来た。
もう、これで決まった。
マリノスの試合のあとは、「登良屋」だ。
この「登良屋」は完全に昭和の雰囲気だ。
店内の樣子も、店の女性たちの暖かくて親切で気の利いた応対も、そして、正真正銘の良い材料を使った料理も、まさに昭和の時代の物。
なんだか、三十年前に戻ったような気分がして、本当に楽しかった。

このあと、さらにおまけがついていた。
食べ終わって、店から駐車場に向かう途中、ふと街灯に目がいって、その柱に掲げてある看板を見て驚いた。
なんと「横浜 おいしんぼ横丁」と書いてあるではないか。

いままで、色々なところで、「おいしんぼ」という看板を上げている食べ物屋を、かなりの数見てきた。
しかし、「おいしんぼ」という名前の通りは初めて見た。
私は、結婚する前後三年ほど横浜の本牧に住んでいて、横浜は、関内、桜木町など、本当になじみの深いところである。
その、関内に「横浜 おいしんぼ横丁」という通りがあるとは、まったく思いもよらないことだった。
「おいしんぼ」という言葉は私が作った言葉である。
それを、横丁の名前に付けてもらうとは、しかも特別になじみ深い横浜の関内の通りに付けてもらうとは、実にありがたい。
大感激である。
一つの店ではなく、公の道、通りの名前となると、重みが違う。
この通りに、「横浜 おいしんぼ横丁」という名前を付けてくれた方たちに心からお礼を言いたい。
(でも、意外に、この名前付けた関係者たちは、漫画の「美味しんぼ」なんて知らなかったということが多いんだよな。漫画の題名と知っていたら付けなかった、などと言われたら困るな)

「登良屋」でいい気持ちになって「おいしんぼ横丁」でまた良い気持ちになった。
マリノスは引き分けだったが、試合は本当に楽しかった。
天気予報では、午後三時から雨だと言っていたのだが私は「おれは、天下無敵の晴れ男だ、雨は降らない」と豪語していたら、その通りになった。
晴天の下、緑の芝生、そこで躍動する選手たちの姿。
サッカーは最高だね。
そう言うわけで、素晴らしい1日だった。

雁屋 哲

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著書紹介

頭痛、肩コリ、心のコリに美味しんぼ
シドニー子育て記 シュタイナー教育との出会い
美味しんぼ食談
美味しんぼ全巻
美味しんぼア・ラ・カルト
My First BIG 美味しんぼ予告
My First BIG 美味しんぼ 特別編予告
THE 美味しん本 山岡士郎 究極の反骨LIFE編
THE 美味しん本 海原雄山 至高の極意編
美味しんぼ塾
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