雁屋哲の今日もまた

2012-08-14

謎の農耕勤務隊

Twitterを始めました。

最近仕事が忙しく、なかなかきちんとした文章をブログに載せる閑がないので、思いついたことをちょこちょこ書くのにTwitterが便利だと思ったのです。

ブログの更新がないとお叱りを受けているので、少しでもそれをごまかせるかも知れないと思って。

Twitterは、

雁屋哲@kariyatetsu

です。

 

で、今日の本題。

最近、驚くべき本に出会った。
書名は「もう一つの強制連行、謎の農耕勤務隊」
著者は、雨宮剛氏

(以下の写真はクリックすると大きくなります。)


この本のことは、東京新聞の電子版で知った。
記事には、
「太平洋戦争末期、日本軍に農作業させられた朝鮮人兵を調べた証言集「もう一つの強制連行 謎の農耕勤務隊」を、東京都町田市相原町の青山学院大名誉教授雨宮剛さん(77)が自費出版した。韓国の元隊員から聞き取り、全国の目撃証言も集めた。公的資料が乏しく、研究もほとんどされていない分野だけに貴重な記録となる。」
とある。(2012年7月27日付け)

(この写真は、前記東京新聞電子版から借用した。無断借用の件、平にご容赦のほどをお願いします。)

私はこれまでに、日本が行ってきた、朝鮮人、中国人の強制連行、慰安婦問題、アメリカ、オーストラリア、イギリス兵捕虜に対する虐待・強制労働などについてはかなり調べて、人並み以上の知識を持っていると思っていたが、農耕勤務隊として朝鮮兵が強制連行されてきた、と言う話は聞いたことが無く、心底驚いた。
自分では、第二次大戦についてはずいぶん勉強してきたつもりだったので、自分の知識に抜けがあったと知って、うろたえた。

この本は、雨宮剛氏が自費出版した物なので、購入するためには氏に直接電話でお願いするしかない。
私はさっそく電話をかけた。
電話口には雨宮氏が出て来られた。
私が御著書を購入させて頂くようお願いすると、氏は最初固い口調で「どうして、この本を購入しようと思ったのですか」と尋ねられた。
私は、上に述べたようなことをお話しし、自分がそのような「農耕勤務隊」という形の強制連行があったことを知らなかったことに衝撃を受けて、その事実を知りたいのだと申し上げると、氏の声音が和らいだ。

後で知ったことだが、雨宮先生(突然、ここから、雨宮氏ではなく、雨宮先生になってしまうが、実際にお声を聞くと、「氏」などと、よそよそしい呼び方が出来なくなると同時に、尊敬の念が湧いてきて、「先生」とお呼びしないと、私自身気持ちが悪いので、これから敢えて、「雨宮先生」と書くことにする)がこの本を書くための調査を始めてから、嫌がらせの電話があったそうで、それで最初は少し警戒されていたのではないだろうか。
私もさんざん経験していることだが、世の中には、日本の過去の歴史をきちんと見る勇気のない人が沢山いて、正しく歴史を見ようとする人に対して、自分の人間としての程度の低さを、とことん見せつけなければ気が済まないような、浅ましい、嫌み、脅迫を仕掛けてくる。
そういう人達の存在が、日本人の誇りを傷つけ、アジア各国、なかんずく韓国・朝鮮・中国の信頼を失い、かつての経済力を失った今、日本の世界的な立場を脆弱な物にしている。
日本の経済力が大きかった当時は、遠慮していたアジア諸国も、これだけ経済が弱体化した日本を見ると、今まで言えなかったことをきちんと言おうと自覚するようになった。
その、現状を理解せずに、名古屋の市長のように「南京虐殺はなかった」などと歴史を無視したことを言う輩が、モグラ叩きのモグラのように、正しい歴史認識によってどんなに叩かれても、ほとぼりが収まるとぴょこぴょこ頭を出す。
そういう人間がいるので、雨宮先生もご用心なさったのだと思う。

私の真意をご理解頂くと、先生は丁寧にお話し下さった。
大学の名誉教授などと言う人には往々にして「私は専門家だ。専門家の私が学問のない相手に話してやっているのだ」という態度をとる人がいるが、雨宮先生はそのようなことは一切無く、実に誠実に、熱心に、しかも暖かく、私の初歩的な質問にも親切に答えて下さった。

私が一番驚いたのは、雨宮先生が1945年、敗戦直前にご自分の村、当時の愛知県挙母(ころも)市に出現した不思議な兵士達に対する疑問を、六十年以上持ち続けていて、その謎を大学を退いて名誉教授になった後、しかも、脳梗塞を患った後、どうしてもその疑問を解き明かしたいと思って、日本中さらには韓国・朝鮮にまで脚を伸ばして取材を続けたと言うことである。(挙母市・ころもし、は、現在はトヨタ自動車がその地にあることから、豊田市に名前を変えてしまった。トヨタ自動車が要求したのか、自治体がトヨタ自動車におもねってのことか、分からないが、歴史がある挙母と言う名前を自動車会社の名前に変えてしまうと言うのは、一種の文化破壊であり、トヨタ自動車の名誉になる事でないと思う。)

「農耕勤務隊」とはどんなものだったのか要点をかいつまんで言うと、

  1. 戦争末期、敗戦直前に、かなりの数の韓国・朝鮮人が強制連行されてきて「農耕勤務隊」として、農耕作業をさせられたこと。
  2. 作業の目的は
    • 松根油と言って、松から油を取ること。
    • ジャガイモ、サツマイモを作ること。

であった。
その目的は、松から取った松根油は精製すると、飛行機を飛ばす燃料になる。
ジャガイモ、サツマイモのデンプンから飛行機を飛ばすための燃料としてアルコールを作ることにあった。
松根油、もサツマイモやジャガイモのデンプンから取ったアルコールも、実際に軍用機を飛ばすだけの力がなかった。
今も昔も同じことで、受験勉強だけで優秀とされたが、本来的に無能な官僚達が作り上げた机上の空論でしかなかった。
少しでも、航空燃料についての知識があれば、松根油や、ジャガイモデンプンのアルコールなどが航空燃料に役に立つと思うはずがない。
だが、受験秀才にはそんなことは理解出来ない。
福島原発の事故の件を見ても、日本の政治を司る人間達が昔も今もあまりに知的に劣弱であることに驚きを禁じ得ない。

日本の指導者達は、知的に劣弱であるだけでなく、倫理観を喪失しており、そのような全く無意味なことを、朝鮮・韓国から、まるでウサギ狩りのようにして若者をつかまえてきて、この20世紀の歴史上もっとも愚かで無意味な作業を、しかも、残虐な暴力を振るって、その若者達にさせたのである。

更に驚いたことだが、雨宮先生が調査を始めて見ると、その「農耕勤務隊」は挙母市だけではなく、日本各地に連行されてきていたことが判明した。
しかも、「農耕勤務隊」には、強制連行してきた朝鮮人・韓国人だけでなく、日本の少年だけで編成された物もあったことが明らかになった。

この「農耕勤務隊」の件が現在まで明らかにならなかった原因の一つは、敗戦時、軍が全ての書類の焼却を全国的に命令して、そのためにその資料が残っていなかったこと。
また、その「農耕勤務隊」の存在が敗戦までの短い期間であって、地域の人達広範に知られることが少なかったことが上げられるだろう。
だが、実際にその強制連行されてきた「農耕勤務隊」に身近に見て強い印象を、六十年後まで持ち続けてきた人々のいることが、雨宮先生の調査で発見された。

「農耕勤務隊」の件についても、軍は他の全ての軍関係の資料と共に焼却を命じたのだが、奇跡的に焼かれずに60年後の現在まで残っていた原資料も発見された。
これは、凄いことで、雨宮先生が60年以上悩み続けておられたことが、決して幻影でも妄想でもなく真実であったことが明確になったのである。

日本軍のその朝鮮から連行して来た「農耕勤務隊」の青少年に対する仕打ちは残虐極まりない物である。
この本の中には、その幾つかの例が記載されている。
それを読むと、私の心は重くふさがる。

私は、1995年に、日本軍がマレーシア・シンガポールで如何に残虐行為を重ねたか自分で取材に行き、同時に、日本軍がオーストラリア人兵捕虜に対して信じられないような残虐行為をした事も取材して 「日本人の誇り」(飛鳥新社版)を出版した。
(その本の題名「日本人の誇り」で、人によっては愛国右翼的な本と思われてしまったが、私は、過去の過ちを正直に認めて日本人の誇りを取り戻そう、という意味でその書名を付けたのである。)
私は、自分で取材した経験があるから、日本軍とはどんな物か思い知らされていたので、雨宮先生の書かれたこの本を読んでも、日本軍の残虐性については全く意外に思わなかった。
日本軍なら、こんなことは平気でしてのけただろうと思う。

しかし、愚劣な松根油作り、ジャガイモのデンプンを使ったアルコール作りのために、朝鮮から多くの若者を強制連行してきたと言う事実を、私は今まで知らずに来た。
私は自分の怠慢を激しく責めるのである。
日本が、当時の朝鮮・韓国、中国に対して行ったことで、我々はまだ知らされないことがまだ沢山あるのではないか。いや、有るに違いない。
私たちは、国全体の隠蔽工作に引っかかって、戦後五十年間、日本がアジア各国でどんなことをしてきたか知らされずに来た。
そのようなことをきちんと知らず、韓国・朝鮮、中国との友好を求める私は、間抜けも間抜け、大間抜けであった。
相手にしてみれば、この私が、自分たちのしたことも知らず、やたらと仲良くしようと言ってくるのを、「この男は、記憶喪失者か、無責任な偽善者か、軽薄なお調子者か」と思っただろう。

この本の中身を私のこのブログで紹介したいのだが、それは、雨宮先生のご許可を頂いてからのことにする。

ただ、書いておきたいことがある。
それは、雨宮先生が聞き取り調査を始めたときに、ある人が、「このことは、戦後六十年間、ずっと心に引っかかっていた。それが、こうして、きちんと話すことが出来て、本当に心が楽なった」と言ったことである。

また、その強制連行してきた朝鮮人の「農耕勤務隊」人達に、人間として当時としては出来るだけのことをした日本人も少なくなかったことも救いの一つである。

私は、雨宮先生が、戦後60年を経て、ご自分も74歳を過ぎてこのような調査をされてこの本を書き上げられたことに、心から尊敬の念を払う。
先生は、本の最後に書いておられる。

「本書が過去の日本が朝鮮半島で犯した罪に対する一日本人の赦罪と償いの表明として受けとめられ、たとえささやかであっても両者の和解への一歩に役立てばと祈りつつ編んだ次第である。繰り返しとなるが、日本にも日本人にも罪深い過去を正視し、心から詫びることの出来る人間として本当の勇気を持った国際社会から心から信頼され、尊敬され、愛されるようになって欲しいと私はひたすら祈っている。
そして、『国際社会において名誉ある地位を占め』ようではないか。
その実現には、最も近い諸国との間に一日も早い和解の成立が必須条件である。和解に至るには、私たちの側に過去に対する正しい歴史認識、罪責感と心から詫びようとする謝罪の意識が不可欠である。さらにいえば、形の如何を問わず補償がなくてはならない。その時私達は初めて赦され、和解と平和が現実となり、東北アジアが最も安定した平和を作り出す地域となり、国際平和に最も大きな貢献をなし得る地域となりうるであろう」

私は、雨宮先生のこの一文を涙なくしては読めなかった。
よくぞ、きちんとここまで言って下さったと思った。

この本は日本人全員必読の書である。
残念ながら、この本は雨宮先生が自費出版された物で、部数も七百部と少なく、しかも、書店に出ないので、手に入れたい方は先生に直接購入希望を伝えなければならない。
雨宮先生はかなりの部数を各地の図書館に寄付したと言うことなので、地方によっては、運良く図書館で読むことが出来るかも知れない。
しかし、このブログを読んで心を動かされた方のために、雨宮先生の連絡先を下に記しておく。
なお、雨宮先生は、この問題に限らず、難民支援活動をされておられる。
日本に難民申請をしたクルド人などが、どんなにひどい目に日本入国管理局によってあわされたか、そのよう難民の証言集も出版されている。
合わせて、読んで頂くようにお願いしたい。
なお、この『謎の農耕勤務隊」の本は4000円と、本としては高価であるが、雨宮先生は、他にも日本での難民救済の活動しておられて、本の代金は全てその活動に使われている。
日本で無情に取り扱われていく難民救済運動のためにも、4000円には本の代金以上の意味があるとお考え頂いてご協力をお願いしたい。

雨宮先生の連絡先。
雨宮剛
電話・ファックス;
042-771-3707

雁屋 哲

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