雁屋哲の今日もまた

2009-02-08

おお、私の知的怠慢

 しかしね、自分という人間が如何に、いい加減かと言うことを今度こそ思い知らされたことはありません。
 私は、去年三月に右膝の人工関節入れ替え手術をしましたが、その結果、かなり長い間、歩いたり、動いたり、そう言うことは出来ないので、(もちろん、リハビリテーションとして、様々な辛い運動をしましたが)日常的に、本を読むことで時間を過ごしました。(いや、これは、手術に関係なく、生まれてからずーっと、私は一日中本を読んでいるんだが)
 そこで、思い立ったのが、聖書を徹底的に読もうという言うことだった。
 旧約聖書、新約聖書、これを徹底的に読んだ。
 それぞれのページに、疑問を持った部分には紙を挾み、書き込みをした。
(その、旧約聖書の分については、この日記の去年の四月から五月にかけて書いている。特に、パレスティナ問題に絡めて書いてあるので、興味のある方は、読み返して下さい。改めて書き直す体力がないので)
 しかし、その際に、新約聖書を甘く見ていた。
 何故かというと、私自身、十九歳まで敬虔なキリスト教信者であり、聖書は今までに充分読んでいたという自信があったからだ。
 もちろん、聖書のマタイ伝から使徒行伝まで、聖書をもろに読むと矛盾だらけでどうしようもないと言うことは、分かっていた。
 しかし、それは、信仰の力で、どうにかなる物だと、宗教擁護的な考えを持っていたのだ。

 私達、戦後民主主義的な考えを持って生きている人間に取って、一番の弱点は、宗教だ。
「信教の自由」
 これが、全ての宗教の錦の御旗になってしまった。
 見てくれよ、今の日本は様々な新興宗教がしたい放題しているではないか。
 今の日本を動かしているのは、創価学会という宗教団体だ。
 宗教が政治に関わっていいのか。
 政治に宗教団体が関わっていいのなら、当然、宗教を政治的に取り扱っても文句はないはずだろう。
 本当は、人を惑わす宗教は禁じなければならないのだ。
 それなのに、宗教は絶対に手を付けてはいけない、治外法権的な存在になってしまった。
 税金も払わなくいいとは、これはすさまじい。

 私自身の立場から言えば、キリスト教がいい、とか、創価学会がいいとか言うつもりはない。
 人の心を惑わすことでは、両方とも大差はない。

 さて、その、聖書なんだが、マタイ伝の最初の章と、ルカ伝の第三章に、それぞれイエスキリストの系図が述べられている。
 私は実にいい加減な人間で、こう言う系図なんて、「まともに見るのはあほらしい」と言う、頭がある。
 日本でも、旧家の方にお会いすると、長々と千年前にさかのぼるような系図を見せられることが、特に地方に行くと良くある。
 それは、とても感動的である。
 地方の歴史を、こう言う形で残しているというとは素晴らしいと思う。
 しかし、それが、信仰の段階になると大変に困る。
 今まで、マタイ伝の系図も、ルカ伝の系図も、「ああ、イエスはそう言う家系の方なのね」と見過ごして、その歴代の人間を真剣に見ることがなかった。
 要するに、「イエスは神の子、それでいんでしょう」と言う、実に投げやりな態度だった。

 ところがだ、ああ、一昨日、もう一度、新約聖書を読み返して見たんだ。
 そして、ひっりくかえってしまった。
 マタイ伝も、ルカ伝も、イエスの父親のヨセフの系図を詳しく語っている。
 そんな鬱陶しい詳しい物を、私は、今まで、「ああ、そうですか」と見過ごして来ましたよ。
 ところが、それを、もう一度読み返し見ると、「ひゃあああ・・・・」と声をだしてひっくり返った。

 マタイ伝では、イエスの父親であるヨセフの父親はヤコブであり、ヤコブの父親はマタンであると書いてある。
 ところが、ルカ伝では、イエスの父親ヨセフの父親はエリであり、エリの父親はマタトであると書かれている。

 どうして、直近の父親と祖父の名前が一致しないのか。
 この辺で驚いてはいけない。
 さらに、マタイ伝では、「アプラハムの子、ダビデの子」として、イエスの系図が書かれているが、ルカ伝ではそれが、「創世記」のアダムまで伸びて、結局、イエスは神に繋がるとしているのである。

 私も、日本で、あるいは、外国で、貴族だの金持ちだのの家系図を色々見てきた。
 だから、イエスが凄い家系図を持っていることに対しては驚かない。
 どうか、全キリスト教徒を膝まずかせるのに充分なだけの家系図をイエスは持っていて貰いたい。
 しかし、この家系図は何なんだ。
 両方とも、イエスの父親のヨセフの家系図として書いてある。

 私は、去年膝の関節入れ替えの手術をしたとき、あまりの痛みにモルヒネ系の痛み止めを多用しました。
 モルヒネは、人間の脳に作用します。
 人間の思考能力を非常に減退させる。
 そのような状態で、旧訳・新訳両方の聖書を精読したのが間違っていたのかも知れない。

 しかし、一昨日のことです。
 稲妻のごとくひらめいたことがある。

 この、マタイ伝、ルカ伝に書いてあるイエスの系図と言うのは、イエスの父親、ヨセフの家系図ではないか。
 本当に、真面目に読んでください、両方とも、イエスの父親、ヨセフの系図ですよ。

 ああ、ところが、なんと言うこと、キリスト教で一番価値の有ることの一つは、マリアが処女懐胎をしたことでしょう。

 ヨセフの妻、マリアは、処女懐胎をしたんですよ。要するに、ヨセフとは、性的に交わっていないのだ。もっと具体的に言うと、ヨセフの精子がマリアの卵子と結びつき、マリアがイエスを産むという、子供を作るのに一番大事な性殖行為に関わっていないのだ。それでは、ヨセフの精子の持っている遺伝子の情報がマリアに伝わることはないから、ヨセフがどんな過去の系図を持っていようとも、処女懐胎をして産まれたイエスとの間には伝わりようがない。

 ヨセフの遺伝子は、マリアの産んだイエスには全然関わり合いがない。したがって、ヨセフがダビデの子孫であろうと、ルカ伝の言うようにアダムの子孫であろうと、イエスとは何の関係もないではないか。イエスは、ダビデの子孫でもなく、アブラハムの子孫でもない。

 ひゃああああ、と私が叫んだはそのところです。

 ひゃあああ・・・、それじゃ、イエスは何者じゃいっ!

 私は、自分自身のあまりの知的な怠惰に驚きました。
 聖書は正しいことを書いている物だ言う思いこみが強くあった。
 しかし、ひとつひとつ、読み込んでいくと、「どうして、こんなことを二千年間にわたって多くの人が信じていたのか」
 という疑問に強く責められる。

 キリスト教の信者達は、こう言うことに対する様々な答え方を持っているのだろう。
 それでなければ、二千年も、こんな宗教が生き続けるわけがない。
 宗教というのは、恐ろしい物だ。
 人間の、理性を否定しない限り信じることの出来ない物だ。
 これが、キリスト教ならまだいい。
 非信心者を殺すことを正しいこととしている宗教と来たら、とてものことに、耐えられない。

 それは、ともかく、私は驚いた。
 一昨日に至るまで、マタイ伝とルカ伝のイエスの系図になんの疑問も抱かずに来た自分自身の知的怠惰にどうしようもなく驚いたのだ。
「おれは、ここまで、いい加減な人間だったのか」
 私は自分の頭を拳で、がんがん、と殴りました。
「マリアの処女懐胎」は生物学的にあり得ないことだが、宗教なんてものを信じる人達には理屈なんて通じない。
 しかし、このマタイ伝とルカ伝のこの系図はひどすぎる。
「マリアの処女懐胎」の意味なんてなくなるじゃないか。

「処女懐胎」を認めるんだったら、そこらの女高生が妊娠したも認めてやらんかいっ。

 キリスト教徒の皆さんは、この辺のことはどのように理解しておられるのでしょうか。

 ヨセフとマリアが結婚して、そのあと数十日も全然性的な交わりを行わずに過ごしたなんて・・・・・・・
 まあ、いいや、そう言うことについては人の好き好きがあるからね。(好きずきの問題じゃないっていう意見も今届いた)
「成田離婚」なんて言う例も少なくないという。
 しかし、イエスの系図は無理だよ。

雁屋 哲

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