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- 2012/02/05 - 悪い冗談悪い冗談 サッカーのイングランド代表の、DFジョン・テリーが代表首将を解任された。 その理由は、ジョン・テリーが試合中に相手の選手に対して人種差別的発言をしたために、起訴されたからである。 このように、欧米では、「ヘイト・クライム」と言って、人種間のヘイト(憎しみ)を煽るような言動は犯罪である。 イングランドと言えばサッカーの本拠地、そのイングランドの代表チームの主将ともなると、国民的にも絶大な人気がある。 その、ジョン・テリーが起訴されるのである。 さて、最近「石原新党」等という物が話題になっている。 大阪の橋下新市長の率いる「維新の会」と国民新党・亀井静香代表、平沼武夫・「立ち上がれ日本」が石原氏を担いで新党を作るという。 私は、その石原氏とは、石原伸晃氏のことだと思っていたら、あにはからんやおとうとはかるや、その石原氏とは、息子の方ではなく、父ちゃんの方だった 私も大抵のことには驚く男だが、矢張りこれには驚いた。 石原慎太郎氏を日本の首相にしたいという勢力があり、石原慎太郎氏本人も満更ではないのだそうだ。 まあ、民主党なんか最初の約束は全て破って、何が何だか分からないどぶ泥のようなたわごとを口走る首相になってしまった。 それなら俺でも大丈夫と石原慎太郎氏が考えても不思議はない。 これが、おもしろいね。 管首相が、「反原発」じみたことを言った途端に、日本のマスコミは、菅氏についてありとあらゆる悪口雑言をかき立てたのに、野田首相が「どじょうでございます」といって、原発推進を口にすると、手のひらを返したように、これ以上の善人はいないかのようにかき立てる。 日本のマスコミ人士の正体が見えましたね。 そこで、ジョン・テリーなのだが、石原慎太郎氏は首相になったとしても絶対に外国に行かないことをお勧めする。 行った途端に、ジョン・テリーと同様起訴される恐れがある。 石原慎太郎氏が「中国人の犯罪DNA」論を述べたのが2001年、それ以前に、まだ衆議院議員の時に選挙戦の際に同じ選挙区の新井将敬代議士の選挙ポスターに(1996年に北朝鮮から帰化)と書かれたシールを石原慎太郎代議士の第一公設秘書が指揮して貼って回ったこともあった。両方ともとっくにいわゆる時効だが、石原慎太郎氏は欧米だったら、とっくに塀の向こうの住人になっていたはずの人である。(石原氏の言動にはまだ時効にかからない物がある公算大である) 今の世の中何が起こるか分からない。橋下氏の率いる維新の会は大変に威勢が良いらしく、あちこちの政治家が接近しているようだ。 このままでは、石原新党が衆議院第一党になり、橋下大阪知事と石原東京都知事が手を組んで、「じゃ、まあ、お歳の順に」なんてんで、石原慎太郎氏が日本の首相になるかも知れないのだ。 これで、意気上がった石原慎太郎氏が勢いに乗って再び、中国、朝鮮、韓国がらみの痛い話を海外でするかも知れず、そうすると日本の首相で初めて海外で起訴されると言うとになりかねない。 私は、小泉氏首相が登場したときに、日本で最悪の首相が誕生したといった。その通りになった。 野田首相は小泉首相より悪い。 喋る言葉喋る言葉、全てどぶ泥が溢れてくるような感じで、うっかり氏の話を聞いていると、どぶ泥を呑込んで呼吸停止をおこしそうである。 「ヘイト・クライム・スター」か、「日本どぶ泥漬け作戦請負人」か、私たちに与えられているのは、このようなすてきな人ばかりで、泣くのもアホらしいから、笑ってしまいましょうかなあ。 とにかく、イングランドの、ジョン・テリーは日本がうらやましいだろう。
- 2012/01/24 - 日本の底力震災以後、ろくな話がないのだが、私自身体験した、日本の底力について話したい。 2011年12月に小学校の同級生達と、大阪旨い物探訪旅行に行った。 このページでも何度も出て来るが、大田区立田園調布小学校の六年二組の同級生達とは、小学校の時のままの楽しいつきあいを続けている。1956年卒だから、年齢はお察し下さい。(私は、病気で二年遅れているので、同級生達より二歳年上です) 同級会は年に数回開かれます。さらに、正式な同級会とはしないで、都合の良い者どうしが集る会は頻繁に持たれている。 そして、年に一回は、旅に行く。 2011年は12月に大阪に旨い物食べの旅行に行った。 いつもは参加者の人数が10人を超えるのだが、今回は都合が悪くなった人間が多く出て、最終的に9人という小人数になってしまった。今まで一番人数の少ない旅行だった。 大阪で私たちが楽しんだ食べ物話はまた、次の回にして本題を進めよう。 12月1日、朝、我々六年二組の仲間は東京駅に集合した。 大阪へ新幹線で行くのだ。 新幹線の切符とホテルの手配は、六年二組のIT技師長サヨポン(本名・佐世子)が済ませてくれていて、私を除く他の仲間はすでにサヨポンから切符を受取っている。(ネットで新幹線代とホテル代こみで買うと、普通に買うより遙かに安くなる。この辺の技がIT技師長サヨポンの腕の冴えで、私たちには、一体どこをどうするとそんな手品みたいな事が出来るのか、さっぱり分からない。) 私の漫画に良く出て来るドカンとサヨポンが相談の結果、「トッちゃん(私のこと)に前もって切符を渡すと必ず失くす。当日駅で手渡さなければ駄目だ」と言うことになって、みんなは直接新幹線乗り場に行ったのに、私はドカンと東京駅の「銀の鈴」の待ち合わせ場で会い、そこでドカンから切符を貰うことになった。 私はこれまでに様々な失敗を重ねて来たので、六年二組の同級生達の信用を完全に失っている。 「トッちゃんは絶対どじる」とみんな確信している。 そう言う訳で、他の仲間はさっさと新幹線乗り場に行ったのにドカン一人だけ、私のために、「銀の鈴」待ち合わせ場で私を待っていてくれたのだ。 今まで、私の漫画にドカンは何度か出て来る。 本人は、「漫画に書かれた自分よりも、本人の方がずっと色男だ」と主張するので、今回特別に、ドカンの姿をお見せしよう。 [caption id="attachment_1430" align="aligncenter" width="150" caption="我らのドカン"][/caption] さて、そこでドカンに切符を貰い、新幹線乗り場に行き、そこで他の仲間達と合流して、男共とは「よお、よお、やあ、やあ」と挨拶を交わし、女性達とはハグをし、旅行出発の時の、あの浮き浮きした気分が盛り上がった。 何歳になっても、旅行出発前のあの気分の盛り上がりと言ったら、たまりません。小学校の遠足当日の朝の気分を思い出してください。 みんな孫がいる歳なのに、会うとあっという間に全員小学生に戻ってはしゃいでしまう。 騒いでいる内に、新幹線が到着しました。 全員乗車しました。 それぞれ、自分の切符に書かれた指定席に座る。 ぎゃお、ここで、大問題発生。 私の切符がない。体中くまなく探したが、どうしても、見つからない。私は切符を失くしてしまったのだ! 同級生達全員が慌てたが、サヨポンが「この辺9つの席は私たちが予約してあるから、みんなが座ったあとに空いた席が、トッちゃんの席よ。取りあえずその席に座っていなさい」と言った。 確かに、私以外の8人が座ると、1つだけ空席が出来た。 そこが、私の買った切符の席らしい。 運良く、サヨポンの隣の席で、「もう、本当に仕方がないわね」と怒られながら、神妙に座った。 しかし、切符がないと大変に不安な物である。 ドカンは、頭を抱えて 「ああ、あそこでトッちゃんに切符を渡したのが間違いだった。大阪まで、僕がずっと持っているべきだった」と嘆く。 こちらは、一言もない。大変に居心地が悪い。 私は、一体どこでドカンに貰った切符を失くしたのか、必死に考えた。 そこに、改札の乗務員が回って来た。 みんなの改札が進み、私に順番が回ってきたところで、やおら私が「実は、私、東京駅で切符を失くしました」と言ったら、「むむっ」と厳しい顔になった。 そこで、私は、はっと思いついた。 「あ、改札口を入ったところに『オーガニック・サンドウィッチ』と言う店がありました。 私はそこで、オーガニック・サンドウィッチとは一体どんな物か、眼鏡を胸のポケットから取り出して、点検しました。 その時、眼鏡を取り出す際に、切符が眼鏡と一緒に飛び出してその店の床に落ちたんだと思います」 と、乗務員に言った。 乗務員は、うなずいて、「そうですか、それでは、東京駅に確かめてみましょう。取りあえず、ここに座っていてください」と言って、車内の他の席の改札に向かった。 同級生達は、がっかりして、「そんなところで、切符を落としてもそれがいつまでも残っているはずがないじゃない」「それを、鉄道会社の人が探しに行くなんて考えられないよ」などと言う。 「いいよ、じゃ、新しく切符を買い直すよ」と私が言うと。サヨポンに怒られた。 「同じ指定席の切符が手に入るとは限らないわよ。しかも、私が買った方法じゃなくて、普通に買うと凄く高いのよ」 そう言われて、私もへこんでしまった。 折角の、楽しかるべき大阪旅行も、初っぱなの私のどじで、同級生達も意気阻喪して、いつもの賑やかさがなくなってしまった。 私も 「どうして、おれはいつもこうなんだろう。身の回りのもの、手に持った物を、一体幾つ失くしたことか。中には、大分時間が経ってから、『あれ? そう言えばあの物はどこへ行ってしまったんだろう』と気がついたが、その時は既に遅く、見つからず仕舞い、と言う物も数多い。 おれは、人生の落伍者だ。救いがない欠陥者だ。もう、生きていてもしようがない、死んでしまおう」 どうやって死のうかと考えているところに、乗務員が戻ってきた。 「東京駅に確かめたら、確かに、『オーガニック・サンドウィッチ』の店に、お客さんの切符が落ちていました。 お客さんが、ちゃんと切符を買って乗車されたことがはっきりしました」 私たちは、驚いた。 「ええっ、本当に、あったんですか」 「お店に確かめたの」 乗務員は、柔和な表情のまま、淡々として紙片を私に渡して言った。 「新大阪で降りるときに、改札口でこの紙を渡してください。それで問題ありません」 私は、その紙片を手にして驚いた。 (紙片には乗務員さんのお名前も書かれている。本来はプライバシーを守るためにそのお名前の部分を消さなければならないのかも知れないが、今回のような有り難いことをして下さった方のお名前を公にしても、問題ないだろうと判断して、そのまま載せます。 問題があったら,ご一報ください。直ちに、訂正します) [caption id="attachment_1431" align="aligncenter" width="150" caption="命の助けの証明書"][/caption] 「ええっ、これで、いいんですか」 「これは切符の代わりです。大丈夫です」 私は、お礼を言ったが、乗務員は何事もなかったかのようにさっさと別の車輛に移っていった。 その紙片は、同級生達の間に回った。 一同感心した。 「へえ、こんな用紙があるんだ」 「なくした切符を良く探してくれたね」 「良かったね、トッちゃん」 ドカンは、納得いかない風に言った。 「最初から、トッちゃんに切符を渡さずに僕が持っていたらこんな騒ぎにならなかったんだ」 ドカンの言うことは正しい。 しかし、お陰で私は大変な経験をさせて貰った。 私が切符を失くしたことで、ちょっと気分が沈んでいた同級生達もたちまち元の浮き浮きした気分を取り戻して,話が弾んだ。 おかげで、その後の旅行も愉快に楽しく進行した。 私の言いたいことはここからだ。 私は少なからず海外を旅したことがある。 主に、欧米の経験から言うが、今回の私の場合のように「切符を失くした」と言っても、十中八九、相手にされないだろう。 有無を言わさず、「新しい切符を買いなさい」となる。 大変に親切な場合でも「では、その切符を持っていたという証拠を見せなさい」と言うことになる。 運良く、私が、その切符のコピーでも持っていれば、認めてくれるかも知れない。 しかし、切符のコピーを取ってから列車に乗るなどと言うことは、まずあり得ない。 乗車料金を改めて取られるだろう。場合によっては、「怪しい」と疑われて車両から降ろされてしまうこともある。 それが、海外での常識である。 今回の出来事で、私が、凄いと思った事を列挙する。 1)切符を持っていない私に乗務員がいきなり別料金を課さず、席をどけとも言わず、其の場に留まるのを許したことが凄い。 2)その乗務員が私の言葉を信じて、「東京駅に確かめよう」と言ったことが凄い。 3)実際に乗務員が車内から東京駅に電話をかけて確かめることが凄い。 4)東京駅の係員が、列車の乗務員の要請を聞いて、私の切符が本当にその店にあるかどうか、確かめに行ったのが凄い。 5)その店の人間が、私の落とした切符を保管していてくれたことが凄い。 6)東京駅の係員が、列車の乗務員に「切符があった」と報告し、それで私が正当に切符を買って列車に乗ったことを認めてくれたことが凄い。 7)その報告を受けた乗務員が、直ちに書類を作り、その書類の写しを乗車券代わりに私に渡したことが凄い。 (あとで、私の友人にこの件を話したら、「写しが正式の書類なんですよ。ボールペンで書いた物は改竄できるが、カーボンコピーした物は改竄できないでしょう」と言われて、目から鱗が落ちる思いがした。それでは、あの乗務員が私にくれた書類は実に価値の有る物だったのだ) 8)以上の流れが円滑に進んで、一人の乗客の窮地を救ったと言うことが凄い。 何をくどくどと大げさなことを言うのか、と思われる方は、日本の社会の心地よさに浸っていて、その有り難さが分かっていないのだ。 1)から8)までにあげた、それぞれのことが、きちんと行われる社会というのは、世界中探しても、滅多にある物ではない。 私は、日本の底力、と言った。 その底力とは、上に挙げた1)から8)までの規律の取れた動きのことを言うのかと、思った方はまだ考えが浅い。 私が、心底驚いたのは、乗務員に貰った書類の写しだ。(友人によれば、書類の真物) 私は、このような書式が存在することに驚いたのだ。 なぜ、驚くのか。 それは、こう言う書式が存在すること自体、新幹線の会社が、乗客に対する「信頼」を基本的な物として持っていることの証しだからだ。 乗客を信頼しなければ、切符を持っていない乗客は最初から相手にしない。失くしたと、と言っても信用しない。 それならば、あんな書式の書類を用意するはずがない。 しかし、新幹線の会社は、乗客を信頼するという基本的な態度があるから、あのような書式の書類を作り、乗務員全てに持たせているのだ。 乗務員は、今回の私のような問題が起きたとき、直ちにその非をとがめるのではなく、まず言い分を聞く。 そして、その言い分が正しいかどうか確かめる。 これは、基本的に客に対して「信頼する」、と言う態度がなかったら、あり得ないことである。 世界中どこへ行っても、まず人を疑ってかかる、疑心暗鬼の虜になっている人々が圧倒的に多い今の時代に、素性も分からない乗客をまず信頼するという、新幹線の会社の基本的態度は驚くべき物である。 私は、感動した。 そして、この相互「信頼」こそが日本の底力だと気がついたのだ。 2011年3月11日以来、東電・政府・東電に餌付けされた学者達、のあの無責任で醜悪な姿を見ていて、日本という国に対して自信を失いかけていた私だが、今回の切符紛失事件で、「信頼」という物が、如何に日本の社会を力強く円滑に公正に動かしているのか、それを痛感して、心が和らいだ。 東電と「原子力村」の連中は、この日本人にとって大事な「信頼」を崩した。 早く心を入れ替えて、みんなの「信頼」を取り戻すようにして貰いたい。 日本の社会に色々目を配ってみると、しっかり動いているところは、みなこの「信頼」がきちんと定まっている。 「信頼」こそ、日本人の底力なのだ。 それを今回、新幹線の会社が私に教えてくれた。 切符を失くすというドジのお陰で、日本人の底力、と言う物に気がついた。 その後、旅行は大変楽しく、美味しい物を沢山食べて、我々六年二組は幸せでした。 そうだ、私を救ってくれた乗務員さん、ご親切に感謝します。 東京駅の係員の方も、「オーガニック・サンドウィッチ」のお店の方も有り難うございました。 双方の方の親切心は世界に誇るべき物です。 私は、このことを,世界中に自慢して回るつもりです。 皆さんのような方がいる限り、日本は大丈夫です。 ああ、うれしい!
- 2012/01/07 - 新年のご挨拶ちょっと遅くなりましたが、新年のご挨拶を申し上げます。 去年は、東北の大震災があって、私たち日本人にとっては最悪の年になりました。 実際に被害に遭われた方達、命を落とされた方達のことを考えると、なんと言って良いのか、言葉を使うのが物書きとしての私の仕事なのに、その言葉が出て来ません。 物書きとして、無能の限りですが、被害に遭われた方達、命を落とされ方達の辛さ苦しみの数分の一でも、僭越ながら私も共にしていると申し上げたいのです。 今年は、その多くの犠牲を教訓に、これ以上の悲惨な状況を生み出さない努力、震災による被害で現在も苦しんでいる方達へのご支援など、出来る限りのことをして行くつもりです。 私の友人のF氏が、「脱原発を三十年以上訴えてきた自分にとって2011年は『悔い』が残る年として刻まれる」、と新年の挨拶の中に書いてきた。 それに対して、私は、次のような返事を書いた。 「Fさんの文章の中に、『悔いている』と言う言葉がありました。 『悔いる』と言うのは、自分のしたことに対して言うことであって、今回の原発事故をFさんが『悔いる』必要はないと思います。 『原発を止める努力が足りなかったことを悔いる』と仰言るかも知れませんが,政府・財界・官僚・御用学者たちのあの強力ないわゆる『原子力村』に対して、どのような努力をすれば良かったのか、それは考えられない事です。 とはいえ、連中の手の内も今回のことでよく分かりました。 今まで何もかも隠されていて掴めなかった、闘う手掛りも掴めました。 そう言う意味では、これからは『悔いのない』ように、戦い抜きましょう。(なんて、偉そうなことを言ってしまった) 今まで真面目に反原発に取り組んできた人達は、今度の原発事故を防げなかったことを自分の責任のように思っている。その真面目さには、頭が下がるし、心が痛む。 しかし、私が、友人への返事に書いたように、今回の事故で、東電・政府・財界の正体と手口がはっきりした。 今までどうすれば良いのか分からなかったが、反撃の手掛りを掴む事が出来た。 実際に事故が起こるまで、分からなかったのは残念だが、今回の事故は、「原子力村」に対しても打撃を与えた。 彼らの真の姿が見えてきたし、だれが関わっているのかも分かってきた。 「原子力村」に対する攻撃法を彼ら自身が我々に教えてくれたと思う。 あの、人間離れした卑劣で悪質で強欲な連中と対抗するのは容易なことではないが、今年はなんとしても、反原発を推し進めるための努力を尽くさなければならない。 反原発を推し進めるためには、原子力に代わるエネルギー源の開発、電気に頼り切りの現在の生活態度の変更、等も必要だろう。 するべきことは沢山ある。 へこたれずに、前進しましょう。
- 2011/12/31 - 福島報告2今回私は、福島県の浜通りと、会津を回った。 中通りの取材は、次回に回す予定だ。 福島取材の第1回は、原発の被害の一番大きいところと、原発の影響がほとんど無いところと言う二つの地域に行ったことになる。 前回も書いたように、あと二回取材をする予定なので、詳しい報告は取材全部が終わってからのことにして、取りあえず、今回は、浜通りで特に気がついたことを書く。 放射線については、前回私が生まれて初めて高い放射線量の空間に入ったときの驚きを、私の間抜けな上ずった声を聴いて頂いてお分かり頂けたと思う。 8ヶ月も経って、何を今更そんなに驚くのか、と言われるかと思うが、初めての事なので仕方がない。 何を今更驚くのか、と言う方がおかしいのだ。 私が最初に驚いた、0.34μSv/hなどより遙かに高い線量のところに現在も住んでいる人々が大勢いる。その方達は、どんなに不安な思いをしておられることか、あるいは全てあきらめておられるのか、その方々の心境は察するに余りある。 この放射性物質を現在の人間の持つ科学の力では取り除くことは非常に困難である上に、現在も福島第一原発からは毎日大量に放出され続けているので、事態の改善は容易なことではない。 前回、震災後8ヶ月も経ってから、福島に行くのは遅すぎるのではないかと思ったが、実は遅すぎることはなく、8ヶ月経った時点だからこそよく分かることがあった、書いた。 震災直後の被害が如何に甚大であるか、テレビや、新聞で、知ることが出来た。 ここ数年、日本以外の様々な国を震災や津波が襲った。 それらの国々の大多数では、1年も経てば、それ以前の生活を基本的に取り戻すことが出来ている。あるいは、取り戻すめどが立っている。 ところが福島では、震災後8ヶ月経っても、復旧が仲々進んでおらず、この先復旧のめども立たない所が広い範囲にわたって存在する。 震災直後に福島に行ったのでは、地震、津波、など直接的な被害に眼が行って、今回の福島の災害の本当の大本を理解することが無かったのではないかと思う。 震災直後のあの混乱がある程度収まると、福島県が受けた本当の被害の意味が分かってくる。 単なる、地震と津波による、一過的な破壊ではない、解決の先が見えない被害に現在福島がさらされていることを震災から8ヶ月経ったからこそ、はっきりと認識できたのである。 復興が進んでいない地域を取り上げてみよう。 ◎ 相馬市、原釜、松川浦 原釜地区には松川浦新漁港と言う大変立派な漁港があった。 それが、地震と津波で漁港自体も、その周辺の漁業産業の建物も全部破壊された。 で、8ヶ月経ったあと、どうなったか。 それは、次の写真を見て頂きたい。 左、上方に見えるのが、魚市場である。 その周辺は、加工工場、冷凍工場、など様々な漁業産業の建物があったところである。今は、ご覧の通り、地震と津波で破壊された跡を片付けているが、そこに新たに、魚市場、漁業関連産業を立て直すという動きは見られない。 それは何故なのか。 原発である。 福島第一原発から漏れ出し続けている放射線物質のために、福島県沿岸の海域は激しく汚染されている。 そのために、福島県沿岸で魚を捕ることは禁止されている。 建物だけ復興して魚市場作ったところで、それでは何の意味もない。 漁港が稼働しないのであれば、漁獲物の加工工場なども、立て直す意味がない。 下の地図を見て頂きたい。 この地図の右の下の方に、松川浦があり、その上に港ので具に架かった橋がある。橋のたもとに、「川口神社」がある。私が撮った《写真1》はここに架かる橋の上から漁港を向いて写した物である。 同じ場所で、振り返って、背後の松川浦の方を撮したのが次の写真である。 地図も付けます。この地図を見れば状況がよく分かるでしょう。 この辺の説明は、日本全県味巡り、青森県篇以来お世話になっている、歩く百科事典、世の中に知らないことは何も無い(ただ血圧についてだけは知らないのか,知りたくないのか血圧値210で動き回っているという自殺志願の哲学者・民俗学者・ラーメン研究者であるところの、斎藤博之さんの文章を、無断で使わせて頂く。 何度電話をかけても出てくれないので、著作権は私の物になったと判断した。(なに、乱暴すぎるとおっしゃいますか。乱暴でなければこんな乱世はわたれない。 以後、斎藤さんの文章を引き写す。) 「松川浦の港に3艘ほど船が写っていますね。(雁屋註・写真を拡大すると分かります。細七菜が苦延びた堤防に停泊しています) 川があって、 松川浦という汽水湖に注ぎ、 河口があって、 砂州のむこうに太平洋がある。 宍道湖や十三湖・小川原湖などと同じように、 じつに多様な生物がここにいました。 海で漁をするための港と、 湖で漁をするための港が、 隣り合わせに並んでいるということじたいが、 奇跡的な環境であったことを教えてくれます。 たとえば、この海で捕れる魚に 松皮鰈(雁屋註・これは松川鰈の誤変換ではありません。その海域一帯で獲れる大変美味しい鰈だそうです。私はまだ食べたことがありません。あるいは食べたのに記憶が失せたのかも知れません)があります。 松皮鰈は、昔は茨城や福島の沖で捕れたようなのですが、 現在の産地は三陸沖から北海道にかけてが主な産地です。 原釜の沖にこんにちでもこの鰈の漁場があるということが、原釜の海の豊かさを示しています。 松皮鰈の刺身は、歯ごたえも、旨みも、季節によっては平目を上回るかもしれません。 脂が乗っているので、焼いても、煮ても、うまい魚です。 松川浦の漁港に接して温泉宿が建ち並んでいますが、 ここでこういう魚をつつきながら、湯浴みできたわけです。 3月11日以降、 海も川も放射能に汚染されてしまったので、 この土地がかつての豊かさを取り戻すのは、 容易なことではありません。 それでも海で生きようとしている原釜の人びとが、 外洋に目を向けているのは、理由のあることでした。」 斎藤さんのこの文章を読んで、当時のことを思い返すと、悲しくなってきます。 震災から8ヶ月経って、失った物の大きさ、そしてそれを取り返すことが至難の業であることがはっきりしたのだ。 松川浦はラムサール条約の候補地で、非常に自然が豊かだった。 その豊かな自然も海嘯で壊滅した。 更に地盤沈下が甚だしく、潮が満ちてくると、それまで陸地だったところにまで水が上がって来る。 松川浦は、美しい自然を楽しめる、環境公園があった。 それが、地盤沈下のために、満ち潮になると、このように入り江のようになってしまう。(引き潮になると地面が顔を出すが、以前の美しい公園の姿はない) この辺の浜は美しく,潮干狩りも人気があった。 その潮干狩りの入場券を販売していた事務所も、満ち潮になると水につかってしまう。 この建物は海岸を通る道のすぐ脇である。 民家も水に迫られている。 近くのスーパーの駐車場も、海が近いので、下水道を通じてだろうか、水が上がって来る。 この写真を撮影した後、水はもっと上がってきて、道を走るのに、小川を走るような感覚になった。 松川浦は放射能だけでなく、地震による地盤沈下にも苦しんでいる。 ◎ 新地町、大戸浜 松川浦の漁港もそうだが、最初の地図を見てください。 原釜の北に大戸浜「釣り師浜」の漁港がある。 その光景を見ていただきたい。 漁港に漁船が並んでいるが、周囲の漁港の設備は荒廃したままでだ。復旧しないのは、松川浦の漁港が復旧できないのと同じ理由である。 背後に豊かな三陸の海が広がっている。本来なら、豊かな海の幸をこの港に水揚げできたはずだ。 それが、福島の海では漁業禁止、となっては、建物だけ復旧しても意味がない。 ◎いわき市、小名浜 放射線汚染による海の荒廃は、福島北部だけではない。 福島の一番南部、いわき市の小名浜漁港は三陸でも屈指の水揚げ量を誇る漁港なのだが、今は殆ど機能していない。 漁船は、この通りあるのだが、福島の海域には出漁できないのだ。 この船も、手入れをしているが、出漁できない。 中央に立っているのが船主なのだが、出漁できなくても乗組員をクビにすることは出来ないから、引き続き働いて貰って、こうして船と用具の手入れをしているのだと言った。 小名浜は地図を見ていただくとお分かりのように、茨城県に接している。これまでも茨城沖で漁をしていたので、これからも茨城沖に出漁することを許可して欲しいと思っているのだが、海上保安庁が厳しくて出漁できないという。 事実、私が話を聞いた後すぐに、海上保安庁に人間が来て、「出漁するんじゃないだろうな」と確認に来たという。 茨城沖で獲っても、小名浜に陸揚すると福島産の水産物となって買い手がついても叩かれるという。 ◎ いわき市、薄磯 さらに、小名浜のすぐ北に、薄磯と言う浜がある。地図で見れば塩屋崎灯台が小名浜の北にすぐ見つかる。 その塩屋崎灯台の北に広がる浜が、薄磯である。 この薄磯は、ウニ、アワビ、が良く獲れるところでしかも質がよい。 ここでは、獲れたばかりのウニを、ホッキガイの貝殻に詰めて焼いた物を「貝焼き」(この辺では、「かやき」という)として市場に持って行くと、80グラムのウニを詰めた物が2000円以上で売れたと言うから、凄い。 この写真の一番右の海に少し見えているがここの磯が宝の山だったのである。 こんな近くの海に潜るだけで、豊かな漁獲量を得られたのである。 それが、今は海に出ることも禁止されている。 常に海上保安庁が目を光らせていて、ちょっとでも海に入ると、捕まるのだそうだ。 ここで、何十年もウニとアワビ漁で生計を立てていた、漁師の方二人とお話を伺ったが、一体どうしたらよいのか、分からないと、力を失っていた。 しかし、ここで体験した放射線量が、今回最悪の物だった。 浜辺で、ウニ、アワビ漁師の方にお話を伺っている間中、0.65μSv/h を下回ることがなかった。 全く、気が気ではないのだが、その方たちはもうなれてしまっているのだろう。 高線量を気にすることがないのだ。これは恐ろしい。 上の写真、前方に煙突が見える。 東電の火力発電所で、この背後に、福島第一原発がある。 驚くべきことに、この方面から風が吹いてくると、空間線量が突然上がる。 0.65μSv/hから、いきなり0.75μSv/hに上がる。 これには仰天した。 お話を伺っているときに、その方々は、もうなれきった樣子で「風向で線量が変わるんですよ」と言った。 風向きで線量が上がるとは、今も、福島第一原発から、日常的に大量の放射性物質が放出されていることの証拠である。 ついでに、灯台下の砂の吹きだまりでは、1.5μSv/hを計測した。 なんと言ったらよいのか、言葉もない。 さて、今回の報告は、ここまでにしておこう。 これが、震災後8ヶ月の福島の浜通りの実状である。 つまるところ、原発である。 事故後九ヶ月経った今も、福島第一原発は、毎日大量の放射性物質を放出し続けている。 結局、福島、なかんずく、浜通の復旧、復興は、福島第一原発の今後にかかっている。 既に汚染された海域をどうすればよいのか。 原発事故直後心配されたことが、8ヶ月経って、予想されたより深刻になっている。 今のところ、誰も回答を持っていない。 次回、来年の、5月、6月に取材に行くときには、少しは復興の方向に向けたことを報告できるようしたいと思う。 (写真は、クリックすると、大きくなります)
- 2011/12/24 - 福島報告1私は11月12日から、19日まで、福島県に行ってきた。 その報告を一月も経ってからするというのは、どうも遅すぎるが、福島での体験は、自分のこれまでの人生からは想像も出来なかったことが多く、帰って来てすぐに書くと、冷静さを失って感情的になる恐れがあったので、冷却期間をおく必要があったのだ。 私は前回、震災から8ヶ月も経って行くのは遅すぎると思ったが、実は遅すぎることはなく、8ヶ月経ったからこそよく分かることが多かったと書いた。 どうして、そう思ったのか、この報告の最後にその理由を書く。 私は、いつも取材に協力してくれる安井敏雄カメラマンと、東北自動車道を通って福島へ向かった。 私が訪ねたのは、次の場所である。 ◎ 福島市内(通過しただけ。福島県庁付近で高線量計測) ◎ 相馬市原釜・尾浜(津波の被害で壊滅状態の原釜漁港。 ◎ 相馬市松川浦(ラムサール条約の候補地で自然が豊かだった。津波の被害は大きく、漁港も壊滅) ◎ 原釜朝市(実際は救援物資配給) ◎ 南相馬市鹿島町(津波の被害、放射線の被害大。「緊急時避難区域」であったにもかかわらず、一度避難した住民がすぐに戻り住んでいる) ◎ 南相馬市市原町(津波、放射線の被害その後の状況など、鹿島町と同じ) ◎ 土湯温泉(福島県で人気のある大温泉街だが、原発事故以来観光客激減) ◎ いわき市小名浜漁港(カニ・アンコウなど、小名浜の漁業は壊滅) ◎ いわき市薄磯、塩屋崎(塩屋崎灯台の下の砂の吹きだまりで、1.5μSv/h、約13mSv/yを計測。ICRPの基準値の13倍。) ◎ 田村市船引町(伝統的な「えごま」は・放射線検出せずの結果を得るも、原発事故後の混乱で加工・販売業者と契約できず) ◎ 会津若松市北会津町(すとう農産。前回救援をお願いした。) ◎ 喜多方市山都町(宮古蕎麦が有名で蕎麦愛好家が多数訪れていたが、原発事故後、客数激減) ◎ 大沼郡金山町沼沢湖(天然ヒメマスで有名) ◎ 南会津郡檜枝岐村(原発事故の影響皆無の豊かな自然と食文化。 蕎麦を使った各種料理、またぎの獲った熊肉など) この各地について、逐一細かく書いて行くと大変なので、特に書きたい事柄を書く。 ★ 私は前回書いたように、ウクライナ製の線量計、TERRA-MKS-05を持って行って、要所要所で放射線(主に、γ線)を計量した。 途中、埼玉県埴生のパーキングエリアで測定したら、0.12μSv/hだった。 (以下、線量は、私の線量計が計測した値で、その絶対値は必ずしも正確ではないだろう。プラス・マイナス15パーセントほどの誤差はあるようだ。しかし、一定の指標にはなり得ることは確かだ) これで年間ICRPの安全基準値1mSv/yぎりぎりなので、本来ならここで深刻に捉えるべきだったのだが、「基準値ぎりぎりだからまあいいか」、と気楽に考えて、線量計のスイッチを切りっぱなしにして置いた。 しかし、福島県に入って、「そろそろかな」と思って、スイッチを入れたら、途端に、線量計が「ピー、ピー」とけたたましく鳴り始めた。 場所は、東北自動車道で福島県に入ってすぐの白河付近である。 線量計は0.3μSv/hを超えるとアラームが鳴るように設定されている。 高速道路を走る車の中で、そんな線量を超えるとは思ってもいなかったので本当に驚いた。 その時の、私の声を聴いて頂こうか。 白河で(クリックで音声が再生できます) この時私はあまりに驚いて「これはやばい」などと口走っているのだが、さすがに、そんな生の声を大っぴらにするのはまずいのでそこの部分は削除した。 しかし、これだけでも、生まれて初めて0.3μSv/h以上の空間線量に出合ったときの驚きは読者諸姉諸兄に伝わるだろうと思う。 それまで、テレビや新聞で、各地の線量を見たり聞いたりして大変な物だと思っていたが、実際に自分がその空間線量の中にさらされていると知ったときの驚きは大変な物だった。 放射線の存在を初めて自分の体で体験しているのだと実感した。 正直に言って、驚くと同時に恐怖を感じた。 それまで、テレビや新聞で見ていた数字は絵空事としか捉えていなかったのだとも痛感した。 だが、 0.34μSv/hなんか、ほんの序の口で、そのあと塩崎灯台下で空間線量0.75μSv/hなど、もっと高い線量を体験することになるのである。 しかし、放射線とは怖い物で、実際にそれだけの線量にさらされていると分かっていても、痛くもかゆくもないので、2日もすると不感症になる。 「ああ、ここは0.2μSv/hないや。これなら安全だな」などと言って、安井カメラマンに「何を言ってるんですか。ICRPの基準値を超えているじゃありませんか。」とたしなめられるようになってしまった。 実際に今回回った地域で、会津を除いて、空間線量が0.2μSv/hを下回った地域は少なかった。 一番高かったのは、私が学生時代二夏を過ごした、懐かしくて愛着を抱く霊山神社のある霊山町の1.1μSv/hである。 その霊山町に人は住んでいるし、それより低いと言っても、0.8μSv/h以上有るところにも、普通の感覚で人々は暮らしているのが車中から見て取れた。 中学生が、マスクも何もせずに、自転車通学をしているのも何度か見た。 犬を連れて散歩している人も見かけた。 「健康のための散歩だろうけれど、こんなところを散歩したら、返って健康に問題があるのではないか」と私たちは,車の中から見て心配したが、私は、原発事故が起きた当時、官房長官が「直ちには健康に害はありません」という決まり文句を繰返していたのを思い出した。 たしかに、8ヶ月経っても、人々は高い空間線量の中で、以前通りの生活を送っている。本当に「直ちには健康に被害はない」ように見える。 いや、それは間違いであって「健康の被害は直ちには見えない」と言うのが正しいのではないだろうか、と私は思った。 「ピー、ピー」と警告音を響かせ続ける線量計を手にして、私は一体この状況をどう把握するべきなのか、途方に暮れた。 宮城県、岩手県、青森県の被災地を回ったときと、今回福島県を回ったときの、一番の違いは、地震と津波の被害に加えて、この原発事故の影響の大きさだった。 私は、福島県にいる間、ずっと、線量計を手放すことが出来なかった。 (次回に続く)
- 2011/12/10 - 西原理恵子さんも応援西原理恵子さんが、ご自分のブログで、「すとう農産」を応援してくれています。 ご覧下さい。 http://ameblo.jp/saibararieko/entry-11101922497.html ただ、その中で、須藤さんを私の知り合いと書かれていますが、私は須藤さんと取材の時に初めて出会ったのであって、知り合いではありません。 須藤さんにお会いしたのは1度だけです。 しかし、じっくりと話を伺って、信用できる方だと思いました。
- 2011/12/08 - 緊急のお願いまたまた、大変ご無沙汰しました。 11月12日から、19日まで福島県を数ヵ所回ってきた。 現在連載中の「美味しんぼ」被災地篇・めげない人々、もあと二回で終了する。 この被災地篇ではかつて訪問した、青森、岩手、宮城の人々を訪ね歩き、彼らが深甚な被害を受けたにもかかわらず復興の努力をしている姿を描いた。 しかし、肝心の福島については何も言及していない。 肝心の福島の被害状況と、食と放射能の問題にきちんと対峙しないことには、今まで食の安全、食環境問題を取り上げてきた「美味しんぼ」の意味がない。 そこで、福島の実態を自分の目で確かめるために、8ヶ月近く経ってからでは遅すぎるとは思いながらも、訪ねてきた。 しかし、実際には遅すぎることはなく、返って8ヶ月経っていったことで、よく分かることが多かった。 その件の報告は次回から始めるとして、今回は、緊急のお願いがあって、こうして書いている。 話を始める前に、福島県の地図を見て頂きたい。 この地図は、「財団法人 福島県農業振興公社」のページ (http://www.fnk.or.jp/farm/index.html)から、拝借した。 写真はクリックすると大きくなります。 このように、福島県は、海際から内陸にかけて、「浜通り」「中通り」「会津」の3地域に分かれている。 「浜通り」「中通り」は原発による放射線の影響があるが、「会津」は原発の間に山があって、それが風に乗って放射線物質が飛来してくるのを防いだために、放射線の影響がないところが多い。 これから書く、「すとう農産」はその会津若松市にある、米作農家である。 私達は、今回の取材の最後に会津を訪れた。 私は、ウクライナ製のガイガー管を使った線量計、TERRA-MKS-05を今回の取材に持って来て、行くところ全ての土地で線量を計った。 おなじ、TERRA-MKS-05でも、新型と旧型があって、私の持って行った物は旧型だった。 宝島社発行の「放射線測定と数値の本当の話」と言う本の中で、編集部が33機種の線量計を実際に測定して評価をしているが、その総合評価で旧型でも、5位に入っている。(新型は2位である) まあ、信頼しても大丈夫だろうと判断した。 その線量計で測り続けてきて、会津地方に入ったら突然線量が低下した。 たとえば福島県庁横では、一昨日の朝日新聞に載った数値でも0.9マイクロシーベルト毎時ある。(これは、年間にすると7.88ミリシーベルトを超える値である。ICRPの設定した安全基準、年間1ミリシーベルト、の約8倍と言うことになる。この計算は、その人間が1日24時間その場所にいたとしてのものなので、そこに4時間しかいないとなると6分の1にしなければならないが、そのような計算は、個々人の生活によるので、私はその土地の全体的な傾向を表す物として、24時間で計算する。) そのほかの土地も、私の持っていった線量計によれば、空間線量は0.2マイクロシーベルト毎時を下回ることはまれだった。 それが、会津地方に入ると、突然、0.06〜0.08の数値に収まり始めたのだ。 横須賀市秋谷の私の家で計った数値と変わらない。 (ついでに、ICRPの年間1ミリシーベルトという数値と新聞や雑誌に発表されるマイクロシーベルト毎時との間の計算は、単に、 〈マイクロシーベルト毎時の数値〉÷1000×24×365で計算できるが、そのたびに計算するのはめんどうなので、0.12と言う数字を覚えておいて下さい。 これを上記の式で計算すると、1.0512と言う数字が出て来る。 で、おおざっぱに、0.12マイクロシーベルト毎時が、年間1ミリシーベルトであると、考えておけば便利です。 0.12です。 雑誌などで時間当たりのマイクロシーベルトの数字が出て来ても、0.12より高いか低いか、高かったら、0.12よりどれだけ高いか、それで判断すると簡単です。) 会津若松市北会津町では須藤さんにお会いした。 須藤さんは、合鴨を使って田んぼの除草をすることで、除草剤を使わず、農薬も使わず、完全有機農法で米を作ってきた。 近所の農家にも栽培を委託して「すとう農産」という会社を経営している。 「すとう農産」は今まで実績を積み重ね、評判も良く、経営も順調だった。 ところが、今年の新米は、それまで個人直販で米を買っていた人の6割が契約破棄、大手の米販売会社も四千万円のキャンセルをしてきた。 須藤さんは、新米が取れるとすぐに、放射線測定をした。 理科学研究所の理研分析センター、筑波分析センターの2カ所に依頼して測定した。 ここに、理研分析センターの報告書のコピーを掲載する。 クリックすると大きくなります。 理研分析センターでは、一番測定精度が高いとされているゲルマニウム半導体を用いた検出器を使っている。 しかも、検出下限値は、 ヨウ素-131に対しては、キログラム当たり 1.2ベクレル。 セシウム-134に対しては、キログラム当たり1.0ベクレル。 セシウム-137に対しては、キログラム当たり1.4と設定してある。 国の暫定基準のおおよそ500分の1の厳しさである。 放射線に関して一番厳しいスウェーデンの食品にたいする基準値は、キログラム当たり8ベクレルだから、それよりも厳しいことになる。 それで、測定しても、ヨウ素、セシウムともに、「不検出」、実質0である。 この検査の数値から、判断すると、「すとう農産」の2011年産の米は完璧に安全である。 (原発が不安定なので、来年のことは分からない。だが、今年の米は絶対に大丈夫) それなのに、個人契約者、大手米販売会社が、キャンセルしてきたのは何故か。 それは、単に、会津は福島県、福島県の食品は危険、と言う短絡的で非理性的・感情的な判断による物だ。 これは、行政にも責任がある。 農産物の測定の網の目が粗すぎる。 地域ごとに細かい測定を行わず、突然、ある地域の米のなかに基準値を超えた物があったなどと発表する。 それでは、会津の米と他の土地の米との差が分からなくなり、会津=福島=危険と消費者は考えてしまう。 消費者は、誰一人として、国の暫定基準、キログラム500ベクレルなどと言う値が安全であるなどと信用していない。 500ベクレルという数値自体、乱暴な数値であるのに、では、499ベクレルでも安全とされるのか、とみんな不安になる。 不安になって当然なのであって、行政は国民の健康など真剣に考えず、ただひたすらあいまいにして、この場をしのいでいけば何とかなるのではないかと猿知恵を働かせたからである。 その結果、他の地域と違って放射線の影響が殆ど無い会津で、安全な米を作っている須藤さんのような人までも、消費者の「福島産だから安全ではない」、という強い思い込みによる被害を受けている。 行政は500ベクレルなどと言う数値を設定した上に、きちんと、各地域ごとに安全な物を安全とはっきりした数字で示さないから、消費者から、会津の産物にたいする信頼を奪ったのである。 私の緊急のお願いとは、「すとう農産」の米を買ってあげて頂きたいと言うことである。 安全性は、私などと言ういい加減な人間ではなく、日本で一番権威のある理科学研究所のお墨付きである。 この検査結果を疑うなら、何も食べない方が良い。 絶対に安全である、と私は断言する。 第一、大変に美味しい米である。 しっとり、もちもちした柔らかい歯触り舌触り、さわやかだがこくのある味わい。甘みも十分だ。 ご飯好きなら、この米を食べない手はない。 会津産=福島産=危険 という短絡的な判断はやめて、理性的に、合理的に判断して下さい。 この疑い深い私が言うのだ。 安全で、美味しい。 信じて頂きたい。 「すとう農産」のホームページのURLは、 http://www9.plala.or.jp/sutou-nousan/ です。 ここにアクセスして下さい。 どうか一人でも多くの方が、「すとう農産」の米を買って、その美味しさを堪能して頂きたいと願っています。 私自身百キロ買った。 親戚中に配る。友人たちにも配る。 安全な米なので安心して配れる。 福島県の報告は次回にします。
- 2011/11/05 - ご無沙汰しましたこのページにも大変ご無沙汰してしまった。 それには訳がある。 私は、現在「美味しんぼ」の「被災地・めげない人々」篇を書いている。 私が原稿を書き始めたのは七月で連載は九月から始まった。 現在私の原稿は第八回まで進んでいて、あと一回で被災地篇は終了する。 この原稿を書くことが今の私からほとんどの気力を奪ってしまっているのである。 五月の末から六月の頭までの被災地巡りは、四泊五日だったが、私の人生の中であれほどの思いをしたことはない。 九月十七日発売の「ビッグ・コミック・スピリッツ」で被災地篇の連載が始まったが、その号のスピリッツ誌の巻頭に、私が気仙沼港で、取材していた時の写真が載っている。 右前方に焼け焦げた船が岸壁に停泊している。 その岸壁は無残に破壊されて、コンクリートのかたまりが散乱している。私はその焼け焦げになった船の写真を撮ろうと、近寄っているところである。 撮影した安井敏雄カメラマンのご好意で、掲載する。 (クリックすると大きくなります。) その私の姿は、左手で杖をつき、右手にカメラを提げ、頭が少し前屈みになっている。 自分で見ても、何とひどくうちひしがれた樣子だろうと思う。 後ろ姿だから、余計に惨めに見えるのだが、私の心の中はもっと悲惨だった。 どうして、こんなことが起こったのか。 どうして、こんなひどい目に人々は会わなければならなかったのか。 あまりに理不尽ではないか。そんな思いと、こみ上げてくる悲哀に堪えかねて、あんな姿になった。 そのときの辛さが原稿を書いていると、よみがえってくるのだ。 「美味しんぼ」の中の登場人物の一人に、アメリカ人で落語家の「快楽亭ブラック」という男がいるが、その本人とは関係なく、実際に明治時代に「快楽亭ブラック」という、オーストラリア出身のイギリス人の落語家がいた。彼は、裕福な商人の家の出だが、落語にこってしまって、最初の外国人落語家になった。 家族にとって、日本の芸人になるとはとんでもないことで、家族から縁を切られたが、それでも、落語家を続けた。結構人気があったようだが、「快楽亭ブラック」の一番の功績は、当時の落語家の口演を録音して残したことだろう。 「快楽亭ブラック」自身の口演も残っている。 彼のおかげで、明治時代の落語家の落語がどんな物だったのか、実際の声で聞くことが出来る。 ついでに言うと、「快楽亭ブラック」の妹は、福沢諭吉の子供たちの英会話の家庭教師だった。 オーストラリア人で日本での生活が長い、イアン・マッカーサー氏が、二十年以上前に、その「快楽亭ブラック」についての本を書いた。 その「快楽亭ブラック」の名前が私の漫画の登場人物に使われていると知って、イアンは驚いた。 まさか、「快楽亭ブラック」が漫画の登場人物として出現するとは思っていなかったらしい。 それが縁で、イアンとは仲良くなった。 数年前、イアンは長年住んだ日本を離れてシドニーに帰ってきた。 イアンはジャーナリストとして活躍しているが、先月日豪協会主催のトークショーに一緒に出てくれと頼まれた。 「快楽亭ブラック」と日本の漫画文化についてイアンと私が話をするのである。 日本人、オーストラリア人合わせて百名ほどのお客が集まった。 「快楽亭ブラック」の件は、まだ知らない人が多く、特にオーストラリア人の興味を引いた。 「快楽亭ブラック」の話までは快調に進み、お客さんたちもオーストラリア人の落語家がいたなどと言うことを初めて聞く人が圧倒的で、みんな熱心に楽しそうに聞いてくれていた。 しかし、イアンが、話を日本の漫画文化に振り、そのまま私の漫画の紹介から、私の漫画で取り上げてきた話題の方に移っていくと、しばらくは良かったのだが、現在私はなにを書いているのかと聞かれてから、おかしくなった。私自身がおかしくなったのである。 当然、東北大震災の話をしなければならず、実際に被災地を巡って、以前に会った人達が今どうしているかそれを確かめに行った時のことを漫画に書いていると説明し、ついでに、自分で見てきた被災地の樣子を話し始めたら、突然胸の底から突き上げる物があって、危うく泣き出しそうになった。おかげで、ただでさえひどい私の英語が、自分でも訳の分からないしどろもどろのものになってしまい、会場のお客に謝って、あわてて、話題を切り替えた。 私が被災地へ行ったのは震災のあと二ヶ月半近く経ったあとで、大きながれきは市街地から取り除かれて、廃棄物置き場に山と積まれていた。 あとで、被災翌日の写真を気仙沼の方から見せて頂いたが、我々が見た物は被災した直後の本当に無残な姿ではないことを思い知らされた。 それだけ片付けられていても、いや、ある程度片付けられていて、人の姿が殆ど見えない状態のところを見て回ったから、完全な破壊という物は地上の全てを無に帰する物なのだと言うことが実感として激しく迫って来たのである。 その被災地に立ったとき私を包み込んだ悲哀と喪失感。 私の周辺の廃墟から、私に向かってわーっと押し寄せてくる不可思議な圧力。 そういうものが、原稿を書いたり、人に話し始めたりすると、自分でも思いもよらない厳しさで、私の内部で私を突き上げてきて、私自身、冒頭に載せた写真のようになってしまうのである。 そんな訳で、このブログにも取りかかろうとすると、へなへなと気持ちが萎えて、何も書けないまま今日まで来てしまった。 ちょっと気分転換になるかと思って、七日に放映されるNHKのクローズアップ・現代に出て、畜産業について話をしたが、私の持ち時間は六分しか無く、言いたいことの百分の一も言えず欲求不満の固まりになって帰ってきた。 しかし、こうして、ご無沙汰の言い訳が書けたのだから、気分転換の役には立ったようだ。 十日に被災地篇の最終回を書き上げる。 それが終われば、もっと、このブログに書き込むことが出来る。 ただ、十二日から一週間福島県に行くので、その間もちょっとブログの更改は難しい。 福島には「美味しんぼ」の取材で一度も行っていないことは以前に書いたとおりだ。 この状態になって行くのは遅すぎるとも思うが、今こそ福島の実態を伝えたいと思う。 厳しい取材になるだろう。 福島から帰ってきてからではあまりに遅いので、今の内に長いご無沙汰のお詫びをしておきます。
- 2011/09/19 - 福島第一原発の汚染水処理施設の現実前回、台風12号が各地で猛威を振るっているのを見て、福島第一原発を心配した。 和歌山や愛媛の大雨による被害を知ってから雨雲の移動状況を見ると恐怖を押さえることが出来なかった。 大きな雨雲が福島全域を覆って行くことが明らかになっていたからだ。 和歌山、愛媛を襲ったあの豪雨が福島第一原発地域を襲ったらどうなるのだろ。。 台風12号が過ぎ去って、福島原発に対する被害を聞かないので、ひとまず安心したので、ここで、なぜ私が恐怖を抱いたのか、説明したいと思う。 「週刊朝日」は7月22日号、7月29日号、で2回続きの連載「福島第一原発最高幹部が語る、フクシマの真実」を掲載した。 福島第一原発が今どうなっているのか、政府、東電からは全くその情報が出て来ないので、この連載は貴重だった。 良く「週刊朝日」は微温的だなどと批判される。 私が週刊朝日を1970年代から、定期購読しているというと、社会的に先鋭的であると言われている人に、あからさまに白けた表情で「ええっ、あんな週刊誌を」などと、言われたことが、何度かある。 私が定期購読を始めたのは結婚して両親から独立したからであって、結婚前、実家にいたときも私の家では昔から「週刊朝日」を購読していた。 小学生の頃に、当時有名だった徳川無声が時の有名人相手に対談をする「問答有用」などの記事を愛読した。 「週刊朝日」とはずいぶん長いつきあいで、私が多くの人に「 微温的」だとか「体制順応派」とか「穏健派」とか「プチブル(死語)」などと、揶揄され批判されるのも「週刊朝日」を長い間読んでいて、その影響を強く受けたからなのかも知れない。(「週刊朝日」は、ふざけるな、と怒るだろうね。ほ、ほ、ほ、ごめんなさいですね) しかし、その「週刊朝日」が、福島第一原発の事故に関しては、よく頑張ってくれているのである。 扇情的な記事で騒ぎ立てる週刊誌ではなく、その中庸を保つ姿勢だからこそ、その福島第一原発に関する記事は、信頼できるのである。 7月22日号、29日号で取り上げられた「福島第一原発の真実」の中で、最初記事の中身にばかり気をとられて、掲載されている写真に対して注意を払わなかったのだが、読み直すと同時に写真を改めて見て、私は、心底震え上がった。 「一体、これは何なのか。こんなことがあって良いのか」 という恐怖が私を包んだのだ。 一体、その写真とはどんな物なのか。 私は読者諸姉諸兄にお見せしたいと思い、「週刊朝日」に、その写真の掲載されているページをスキャンする形でこのブログに掲載させて欲しいとお願いしたのだが、断られた。 「取材源や担当者とも話したが、今回は難しい」という結論だそうだ。 残念だが仕方がない。 私が、スキャンして皆さんにお見せしたいと思ったのは、福島第一原発の汚染水処理の現実の姿を撮した写真である。 写真をお見せできないので、まだるっこしく、真実を伝えるのが難しいが、とにかくやってみよう。 福島第一原発では、原子炉を冷却するために炉内に注水している。 その水は全部熱によって蒸発しきる訳ではなく、汚染水としてたまっていく。 それが限界に近づいて、このままでは海に捨てなければならなくなるので、汚染水処理施設を作った。 その汚染水処理施設を見て、私は震え上がったのだ。 汚染水が貯蔵されるタンクに、汚染水処理施設まで、何本ものホースが繋がれている。 しかし、そのホースは、なんと地面にごろりと転がっているだけなのだ。 ホースは、原発敷地の中を一周4キロに渡って巡らされている。 その途中で、ホースは何本も繋がれている。 しかし、その繋いだ個所は白い土嚢で覆われているだけである。 そのホースは特殊で頑丈で、家庭で使うホースよりは丈夫だそうだが、所詮はホース。 そのような、ホースが、何の耐震装置も、大水対策もされず、地面に転がっているのである。 それも、全長4キロも。 もし、台風12号がもたらしたような洪水に、福島第一原発が襲われたら、こんなホースはたちまちぶち切れてしまうだろう。 そんなことになったら、福島第一原発の敷地内に汚染水が広がって、もう誰も近寄ることが出来なくなる。 遠く離れたところから水をかけることが出来ても、その汚染水はどんどん海に流れ出る。 第一、誰も近寄れなくなったら、これ以上の修復工事は出来なくなる。 本当の破局ではないか。 現実に、7月14日には、その配管が完全にちぎれる事故が起きている。 《読売新聞・電子版から引用》 「 東京電力は14日、福島第一原子力発電所の汚染水処理システムが配管から の漏水で停止している問題で、ポリ塩化ビニール製の配管接続部が完全にちぎ れていたと発表した。 破損部周辺は、放射線量が毎時100~150ミリ・シーベルトと非常に高 く、作業員1人あたり1~2分程度しか作業を続けられない。東電では同日中 に稼働を再開したいとするが、放射線の遮蔽や作業方法について慎重な検討が 必要で、修理の見通しは立っていない。 水漏れは13日、仏アレバ社製の放射性物質の凝集・沈殿装置で、薬液を汚 染水に注入する配管で起きた。 (2011年7月14日12時32分 読売新聞)」 このときは、一個所だけだったので、何とか処置できたようだ。 しかし、地震や洪水となると一個所だけではすまない。 あちこちがずたずたに、なるだろう。 私は信じられないのだ。 ずさんさにも程度という物があるだろう。 頑丈な金属製のパイプで、きちんと耐震設備・大水対策などが施された配管装置だと誰でも思っていたのではないか。 それが、幾ら家庭用の物より丈夫だと言っても、所詮はポリ塩化ビニール製のホース。 7月14日の事故のように配管接続部で完全にち切れるのだ。 そんなホースが、4キロメートルに渡って、敷地内の地面の上に直接ごろんと転がされている。 私は、台風12号が通り過ぎるまで、生きた心地がしなかった。 9月10日になって、東電がその汚染処理状況を動画で発表した。 それを見ると、「週刊朝日」の写真のとおり、配管が、ごちゃごちゃ地面に置かれている。 それにしても「週刊朝日」はあっぱれだ。 今度は、9月16日号で、今西憲之氏と「週刊朝日」取材班が、福島第一原発の内部に突入した記事を掲載した。 今西氏が、特殊ゴーグルをはめて、完全武装で、福島第一原発の内部に直接入ったのだ。 マスコミの中で、このような直接現場に乗込む取材をしたところが他にあっただろうか。 今西氏の報告は詳細で、同じ完全武装で作業している作業員がどんなに苦しい思いをしているか、きちんと伝えてくれた。「ひどいときには、汗が防毒マスクのゴーグルにたまり、水中にいるよう」だと言う。 また、そこに掲載された写真は、非常に衝撃的で、また、その実際に福島第一原発をその目で見た報告も見事としか言いようがない。 東電、政府がひた隠しにしていた福島第一原発の実状を写真と文章で明らかに見せてくれたのだ。 政府や東電によると、建屋の覆いを作るなどと言っているが、とても、覆いなど作れる状況ではない。 1,3,4号機の破壊状況は凄まじく、特に3号機は、原形を留めていない。 3号機では核爆発が起こったのではないかと、言う人も少なくない。 2号機は外観はまともなのだが、中がひどいのだという。 津波以前に、地震で内部が破壊されたという。 今西氏によれば、4号機の建屋の中で、「頭上から、時折、細かいコンクリートの破片が落ちて来る」そうだ。 また「爆発の影響で燃料プールの強度が充分でなく倒壊の恐れがあるために」作業員たちが補強工事をしているという。 こんな物に、覆いをかぶせてどうしようというのだ。そんなことになんの意味があるのだ。 「週刊朝日」は9月23日号で、更に詳しく内部の状況を報道している。 汚染水処理施設の配管の樣子も、東電が発表した動画より更に詳しく写っている。 図書館などに行けば、「週刊朝日」のバックナンバーは置いてあるだろう。 ぜひ、読者諸姉諸兄におかれては、ご自分の目で、ご覧になるようにお勧めする。 (「週刊朝日」に拍手だ。オーストラリアにいてまでもずっと定期購読してきた甲斐があったと、今回の記事を読んで思った) 台風15号が、太平洋側に接近している。 雨雲の予報では、どうも、福島県全域に雨が降るようだ。 あの、ずさんな配管が、どうか無事でありますように。
- 2011/09/05 - 福島原発は大丈夫か異常な台風12号で、各地に大変な被害が出ている。 雨雲の移動を見ると、5日午後から、夜にかけて、福島県全体を雨雲が覆う。 強い雨が予想される。 私には、一つ大きな心配事が、福島第一原発にある。 各地で洪水を起こした大雨が、福島原発地域を襲ったら、と思うと。 心配で仕方がない。 何を私がそんなに心配しているのか。 それは、雨の被害がなかったことを確認してから、書く どうか何事も起こりませんように。 こう言う時につくづく思う。宗教を信じている人がうらやましい。 神なり、仏などに、すがることが出来るのだから。
- 2011/08/23 - 福島について福島県は、私の大好きな県だと、前回に書いたが、今回は、私の福島に対する思いを語りたい。 受験浪人の時と、大学一年生の時の二夏、伊達郡にある霊山神社に長逗留したこともある。 その時に、まず福島弁の美しさに魅せられた。 あのメロディアスで、優しいなめらかな発音、東京の言葉に比べると、福島弁は優雅で、人の心をなごませる響きがある。 あるとき、福島市内の本屋に入ったところ、二人の若い女性が話しをしていた。 その言葉があまりに美しいので、私は、その二人の横に立って二人の会話にしばらく聞き惚れていた。なにか、素晴らしい音楽を聴いているような気持ちがした。あの時の心地よさは、四十数年経った今も私の胸に残っている。 (そう言えば、それから何十年か経ったある日、私と連れ合いで、軽井沢で行われる弟の結婚式に出席するために上野に向かった。そのタクシーの中で、私は、ふざけて昔おぼえた福島弁で喋ってみせた。 すると、運転手さんも福島出身で、私のいい加減な福島弁を聞いて、私を福島の人間と思い込んでにこにこして「ふくすまに帰るんですか」と私に訊ねた。やったぜ、福間県人に見られた、とうれしかったが、正直に訳を話して、耳でおぼえた福島弁を喋っただけだと告白した。運転手さんはちょっとがっかりした樣子だった) 福島弁もさることながら、福島は海の幸、山の幸が豊富であり、独自の豊かな文化も持っている。 私は福島には何度も行っているが、数年前、買ったばかりのスバル・レガシーを試すために福島まで出かけた時のことを話そう。(スバルは最高) その際に、霊山神社、檜原湖、喜多方市、会津若松、などを回った。 残念ながら、霊山神社は私が滞在していた頃とは様変わりしていて、なんと、山のてっぺんの神社まで車で上れてしまうのである。 私が学生だった頃は、山の麓から、狭い道をえっちらおっちら歩いて上るしかなかったのである。 (そうだ、思い出した、あの四十数年前、霊山の麓のバス停で降りて、鞄を引きずって山道を登り始めたら、バス停の前のよろず屋的な店の前にいた若い人が、バイクで上ってきて、私の荷物を荷台に乗せて運んでくれた。私は6歳の時に患った股関節結核の後遺症で右脚が不自由だ。その私が山道を登っているのを見て、その若い人は私を助けに来てくれたのだ。 真夏で大変に暑い日で、とても辛かったので、その若い人が天の助けのように思えた。若い人は私が丁寧にお礼を言っても、「なに、なに」と手を振るだけで、山道を駆け下って戻っていった。 人でも、土地でも、第一印象は大事である。 私が福島を非常に愛しているのは、そのバイクの若い人に最初に出会ったからなのかも知れない) 霊山神社の宮司さんは当然ながら、代替わりしており、神社の人は私が滞在していた時にお世話になった宮司、阿曽二郎太さんのことを全然知らなかった。 阿曽二郎太さんと奥様のお二人こそ、純粋で心清らかな日本人であって、その飾らない、実直で限りなく優しい心映えは、お二人のお顔の印象と共にいまだに私心の中に深く残っている。 日本の神社の運営は、どうなっているのだろう。 昔の宮司さんのことは、記録にも残っていないのだろうか。 淋しいことである。 阿曽さんご一家のその後のことを知りたかったのだが、残念だった。 霊山神社の周りは桃畑である。 朝になると、氏子の人達が、桃を持って来てくれる。 完全熟成して、独りでに木から落ちた物で、それでは返って売り物になら無いからと言って持ってきてくれるのだが、味は、そんじょそこらの桃とは訳が違う。木の上で完全熟成したのだから、色、香り、甘さ、水分、その全てが最高。 今でも忘れられないのが、赤に近い桃色をしたやや小振りの桃だったが、それを一口噛んだ時に甘美などと言う言葉では表現できない、正に天上の物ではないかと思えるような素晴らしい香りが口から鼻に、更に脳天まで貫いた。 全く精神までも深く虜にする素晴らしい香りだ。 その甘さも強烈。 官能的で、しかも清潔で、だれた甘みでなく、天上まで一本鋭い気の柱を立てたという感じの味わいだった。 四十数年前のことになるが、いまだにあの桃の味を超える果物に出会ったことはない。 桃に限って言っているのではない。今まで味わった全ての果物の中で最高の味だったと言っているのである。 あの桃をもう一度食べたいと言うのが私の願いである。 たぶん、霊山の神社に祀られている北畠顕家公が私の前途を祝福して下しおかされた桃であると私は信じている。 (私は勤王家ではないが、どうもそれ以来、北畠親房、北畠顕家の二人には特別な感じを抱くようになってしまった。) 檜原湖は素晴らしかった。ちょうど周りの山から雪解け水が流れ込む時期で、その流れ込む水の音が、どうどうと凄まじく豪快で気分が良かった。 会津若松城に行くと、桜の花が城内満開で、豪勢な美しさで、その城内の武道場で女子高校生達が薙刀の稽古をしていた。 満開の桜の花の下、大和撫子が薙刀の稽古をするなんて、余りに絵になりすぎだ、とは思いながら、心にしみ渡る物があった。 まさに、素晴らしい一幅の絵だった。 喜多方は、ラーメンで有名だが、馬車で市内を回るサービスがあった。姉と連れ合いと、三人で馬車に乗ったのだが、その馬はそれまで山の中で材木を引っ張る仕事をしていた荷役専門の力持ちの馬で、体は大きく、足は太く、蹄の上に毛がふさふさと生えている。 だから、本来馬車を引くくらい何ともないのだが、いかんせん老齢だ。しかも、左の前脚を痛めている。 一旦止まると、次に動き出すのが、大変に辛そうなのだ。 その馬の樣子が、馬車が通る商店街の店のガラスに映って見える。 私たちの席からも馬の様子はよく分かる。 異常な動物好きの姉は発狂状態になってしまった。 ハンカチを鼻に当てて、涙と鼻水を抑えて、「この馬が可哀想じゃないの。もう、いいから、止めてと言って」と私に言う。 しかし、馭者にそんなことを言っても、彼にとっても仕事なのだから、そうも行くまい。 途中、小休止と言うより、客に土産物を買わせるために土産物屋に止まり、そこには、馬に与える餌も売っている。 姉は大喜びで、馬の餌を買いに行ったら、しなびた小さな人参が一本しなかった。 姉は、実に遠慮深い性格で、私が表で、通りすがりの人に声を掛けたり、特に怒って文句を言ったりするのを非常に恥ずかしがる。 姉の運転する車の助手席に乗せて貰うと、助手席の窓を私が開けられなくしてしまう。 私が勝手に助手席の窓を開けて、通りがかりの人に、何か言うのを恐れてのことである。 それほど、どんなに正当で言うべき事でも、姉は他人の気分を害するからと言う理由で(自分が我慢をすればいいんだからと言って)何も言わない。 しかし、その時は、流石の姉が怒った。 店の人間に「どうして、馬の餌をちゃんと充分に用意しないのですが!」と詰問した。 私は、横で、「おお、姉ちゃんもやる時はやるな」と驚いてみていたが、店の人間は、「今品切れなんです」の一点張り。 仕方なく、姉はしなびた人参を一本だけ馬にやり、「これだけしかなくて、ごめんね、ごめんね」と言った。 これから、出発点まで、またおなじ馬車で戻るのは嫌だと姉は言うが、とても歩いて帰れる距離ではないところまで来てしまっている。 仕方がないからまた馬車に乗った。 帰る馬車の中、姉は、体中から不機嫌な気をびんびんと発しながら、「可哀想だ、ああ、嫌だ」と言い続けた。 私が姉に「そんなこと言うけれど、この仕事がなくなってしまったら、この馬は屠場に送られてしまうんだぜ」と言ったら、余計に姉を怒らせてしまった。 「余計なことを言わないのっ!」と姉の権威をまる出しにして私を叱った。 こんな辛いこともあったが、お目当ての喜多方ラーメンも食べたし、素晴らしく品数の多い雑貨屋で、連れ合いは直径が70センチ以上有る竹で編んだ大ざるを手に入れてご機嫌になったし、結果的に楽しい旅行だった。 また、桜の時期に来ようと三人で言い合った。 今でも、会津若松城の城内の武道館で薙刀の稽古をしていた女子高校生達のすがすがしい姿が、満開の桜を背景にして目の裏に残ってる。 雪解け水がどうどうと流れ込む檜原湖畔に雪の中から頭をぞかせたふきのとうの愛らしい姿が目に浮かぶ。(実は愛らしいではなく、うーん、天婦羅にして食べたい、と思ったのだが) 福島は素晴らしく美しいところだ。 日本全土の中でも福島の美しさ豊かさはずば抜けている。 その美しい福島の国土を何とか取り戻さなければならない。 この国のために、子孫のために。 福島の人達は、復興のために一所懸命頑張っているのだろうが、本当に頑張らなければならないのは、福島の恩恵をずっと受けてきた我々東京電力管内の人間だ。(東電、経済官僚、政治家達については言うまでもない) 私は物書きで、経済力もなく、老いさらばえた今となっては体力もなく、実に無力な存在だが、物書きではなければ出来ない方法で福島のために尽くしたいと考えている。
- 2011/08/15 - 再開しましたさて、この私のブログ、他人様の迷惑も考えずに再開致します。 弟にも注意されましたが、確かに、今までのブログの内容については、例えば「役人のクズ共」などという、汚らしい感情的な言葉を使うことがありました。 そう言う言葉を使うことは、実に物書きとして技術的に未熟な証拠であり、自分の人間性を恥じると同時に、自分の物書きとしての未熟さに恥じ入るばかりです。 これからは、姿勢を正し、油断なく物事を進めて行こうと思っています。 私は長い間「美味しんぼ」という漫画を書いていますが、地方の話題を取り上げることも少なくない。 「日本全県味巡り」というシリーズでは、様々な県の郷土料理・郷土の文化を紹介して来た。 その「美味しんぼ」に登場して頂いた方達の中で、今度の震災に被災した方達がいる。 色々人づてに、その人達の安否を確かめていたが、どうしても自分でその人達に会ってみなければならないと思い、5月30日から、6月3日にかけて、青森、岩手、宮城、の三県を回った。 なぜ肝心の福島がないのか。 それは、驚くべきことだが、今まで「美味しんぼ」で福島に取材に行ったことがないのである。 勿論、個人的には何度も福島に行っている。 そして、福島は、私が日本中で一番好きな県である。 美味しい物はあとで食べようと言う、卑しい性癖のある私は、「日本全県味巡り」で福島を回るのは、もう少し後にしようと大事にとって置いたのである。 まさか、こんなことになるとは夢にも考えていなかった。 どうしてもっと早い時期に、「日本全県味巡り」で福島を取り上げなかったのか、口惜しくて仕方がない。 今のような状況で、「日本全県味巡り」の取材に対する協力を福島の方達にお願いするのはとても無理だから、もっと落ち着いた時期に挑戦したいと思う。 もともと、この被災地巡りは、私の個人的な問題として、青森取材の時に協力して下さった斎藤博之さんにまた助けて頂いて、二人だけでレンタカーを借りて回ろうと計画していた。 その計画を、「日本全県味巡り」の島根県を取材している途中に、いつも「日本全県味巡り」にスタッフとして協力してくれている、ライターの安井洋子さん、カメラマンの安井敏雄さんにうっかり話したら(二人が同じ苗字なのは偶然である。二人一緒にいる時に、どちらの安井さんなのか区別するために、名前で呼んでいるので、此所でもこれからは名前で呼ばせて頂く)、洋子さんも敏雄さんも、「自分たちも行く」という。 「自分たちも取材でお会いした方達だ。その方達が今どうしておられるのか心配だ。どうしてもお会いしたい」という。 二人の熱意に根負けして、同行して頂くことになったが、二人に来て頂いて本当に助かった。 カメラマンの敏雄さんは、レンタカーの運転までしてくれたし、ライターの洋子さんは、道中起こった様々な問題を解決するのに力を尽くしてくれた。 (実は洋子さんも、敏雄さんも、私と斉藤さんと言う凸凹コンビがうろつき回ることを心配されたようだ。私は突発的な行動に出る癖があり、斎藤さんも面白いことがあると飛びつく。そんな二人を野放しにすることを心配してくれたのだろう) 一度、こんなことがあった。 斉藤さんが前もって、宮古のホテルを予約して置いて下さったのだが、岩手県を回り、重茂(おもえ)漁港の取材を終えた時には夜の六時を過ぎていた。 重茂のあたりに宿はないので、宮古まで行かなければならない。 宮古に着くのは七時を大幅に過ぎる。八時を過ぎるかもしれない。 斉藤さんが、ホテルに「遅くなる」と電話をしたら、そのホテルは「五時までに電話をくれなかったから一部屋減らして二部屋にした」という。冗談じゃない。 こちらは、男性三人、女性一人である。 二部屋に泊まる訳には行かない。 今はどうなのか知らないが、その当時は各地からボランティアの人達がやって来るので、東北地方はどこへ行ってもホテルが満員だった。 その宮古のホテルにしても、本来四人なのだから四部屋欲しかったのだが、三部屋しか取れないと言うので、では男三人は二部屋に分かれ、洋子さんは一人部屋にすることで、予約を取ったのである。 それが、突然二部屋に減らすという。 そもそも、斉藤さんは予約する時に五時までに確認の電話を入れるなどと言っていない。 それなのに、一方的に二部屋に減らすという。 予約を全部取り消すというのならまだ話は分かるが(それにしても、五時までに電話で確認するなどという取り決めをしていない)一部屋減らすとはどう言うことだ。 斉藤さんは大変に温厚な方である。 丁寧に、紳士的に、相手の言うことが間違っていることを説いた。 今更二部屋に減らされたら困るから、予約通り三部屋用意してくれるように言った。 最初は女性が電話口に出ていたのが、とつぜん男性に変わって、理不尽にも「そんなこと言うなら、今夜は泊めてやらない」と言い出したのである。 ここにおいて、流石に温厚な斉藤さんも怒ったが、向こうは強気である。どうせ、どこのホテルも満員だとわかっているからである。 私たちは宮古に着いたが、泊まるところがない。 そこで、洋子さんが、重茂でお世話になった宮古市議会議員の方に電話を掛けて窮状を訴えた。 市議会議員の方はいざとなったら自分の家に泊まりなさいと言って下さったが、それは、あまりに心苦しい。 そこで、市議会議員方がこのホテルに当たってみたらどうだろうと言ってホテルの電話番号を教えて下さった。 実は、そのホテルは、以前斉藤さんがこの計画を立てる時に電話をしたのだが、津波の被害を受けて営業していないと断られたところだという。 それじゃ駄目だな、と落胆した。 今夜は、もう車の中で寝るしかない。 そう覚悟を決めた。 しかし、駄目で元々と洋子さんがそのホテルに電話をしたら、何と営業を再開していて、これからでも四部屋取れると言うではないか。 我々は歓声を上げた。 一週間前に再開したばかりで、まだ、余りそのことが知られていなかったのが幸いした。 行ってみたら、綺麗にリニューアルされていて、極上のホテルである。 地獄から天国に引き上げられた感じである。 ちかごろ、あれぼど「助かった」と思った事はない。 安心すると同時に、しかし、と私達は嫌な気持ちになった。 私たちの予約を勝手に取り消したホテルのことである。 全部取り消さずに、三部屋の内、二部屋だけにしたのはどう言うことなのか分からない。 ああだこうだ、と頭をひねって、最後に、こうではないかと気がついた。 「誰かが来たんだよ。で、その人間を泊めたら、四人に三部屋使わせるより、その人に一部屋使わせ、我々四人に二部屋使わせたら、一部屋分余計に儲かる。」 うはあ、そう言う計算だったのかと気がついて、みんなうちひしがれた。それは、汚すぎる。 ボランティアの人達は善意でやってきているのに、ホテル業者はここが稼ぎ時と、余計に儲けようと企む。 宮古のホテルは、斉藤さんにこう言ったそうである。 「被災地に来て置いて勝手なことを言うな」 それはひどい言い方だ。勝手なことを言っているのはそっちである。 被災地だからといって、金儲けのために客の信頼を破っていい訳がない。大体これは、旅客法という法律に違反した行為でなはないか。 実に、寒々と心の冷える体験をした。 こう言う時に面倒な交渉をしてくれたのは洋子さんである。 洋子さんが、市会議員の方に問い合わせてくれなかったら、その晩私たちは車の中で寝ることになっただろう。(私たちを泊めてくれたホテルの名前は「熊安」という。名前は古めかしいが内装は現代的で、リニューアルしたせいか、大変に綺麗。使い勝手も良く従業員達も大変に親切。宮古に泊まるなら「熊安」ホテルだぜい。私たちにひどい仕打ちをしたホテルの名前は敢えて記さない。) 被災地の樣子は悲惨を極めた。 テレビや、新聞雑誌の写真では絶対にその実感が掴めない。 私が行った時点で事故から二か月半経っていて道などはかなり復旧していたが、至るところ、曾て町が有ったところが、完全に壊滅している。 その、被災地の真ん中に立って四方八方を見渡して、「一体、こんなことが有ってよいのか」と、あまりのむごさに体中打ちのめされる思いがした。 幸いなことに、私が訪ねた方達は、その無残な破壊の中で必死に立ち上がろうと努力されていた。 その方達の災難にめげずに立ち直ろうとする姿は私の心を深く打った。 最初は、個人的な意図で、やって来たのだが、被災地の人達と会って話を聞いている内に、これは「美味しんぼ」で書かなければ駄目だと思った。 幸い敏雄さんが写真を撮ってくれているし、洋子さんが記録を取ってくれている。 この千年に一度の凄まじい被害を受けた被災地で、めげずに復興している人達の姿を、どうしても「美味しんぼ」で伝えたい。 これまでの予定では、九月から、「日本全県味巡り」の島根県篇を連載することになっていた。 そのための取材はすでに昨年と今年二度にわたって行った。 島根県の方達には大変申し訳ないが、急遽「被災地・めげない人々」篇を九月から連載することになってしまった。 「日本全県味巡り」の島根県篇は、来年二月頃から始める。 時間が経ったら腐るような内容ではないので、問題はない。 ただ、島根県で協力して下さった方達に申し訳ない思いで一杯である。 青森県種差海岸の「洋望荘」の佐藤さん一家、 岩手県重茂漁港の皆さん、 宮城県気仙沼の「福よし」の村上さん、 宮城県唐桑の「水沼牡蛎養殖場」の畠山さん その皆さんの奮闘する樣子を、「美味しんぼ」で書く。 九月上旬から「ビッグ・コミック・スピリッツ」で連載するので、是非読んで頂きたい。 ただ、その中で、村上さんの仰言った一言が重く私の心にのしかかっている。 「何とか復興しようと努力しているんだよ。でも、福島のことを考えると、力が抜けて行くんだ」 そうだ、福島原発である。 福島原発の事故は、日本を、根底から変えた。 1945年の敗戦の時、日本中は焼け野原だった。 しかし、不思議に明るかった。 それまでの軍部の圧政から自由になって、新しい社会を作るという希望があった。 しかし、今回はそうは行かない。 震災からの復興はなったとしても、原発問題がある。 事故から、五ヶ月経つというのに収束の目安も立たず、毎日大量の放射性物質をまき散らして、福島からはるか離れた静岡県の茶葉まで汚染を広げている。 さらに、もう一つ何か事故があったら、破局的な事態に陥る。 我々は、とんでもない、魔物を抱え込んでしまった。 人類がかつて経験したことのない状況である。 不安、恐怖、不信感、こんな物に背中を焼かれる毎日を過ごさなければならない日本を誰が想像しただろうか。 私は3.11以前とそれ以後の日本は、まるで違う国になったと思う。 3.11以前の雑誌などに書かれた記事は、いまになってはあほらしくて読めない。 これは、日本だけでなく世界中に被害をまき散らす問題である。 私は、ここにおいて東電は、自分たちだけで自分たちのメンツを保つために、あるいは企業として生き残りを計るために、事実を隠し通して自分たちだけで始末を付けようとする幻想を捨てるべきだと思う。 何もかも事実を明らかにし、全てのデータを公表して、日本のみならず世界中の叡智を結集してこの事態の収束を計らなければ駄目だと思う。 今までの東電と日本政府のやり方を見ていると、とてもこの先に希望を抱けない。 東電は日本中、世界中に頭を下げて、本当に智恵ある人々の力を借りるべきだ。 それが本当の責任の取り方だ。 日本人は、東電と日本政府の隠蔽工作によって、福島原発で何が起こっているのか、放射線の何を恐れ、何を恐れる必要がないか、それをきちんと掴めていないと思う。 これから、私は、折を見て、私の掴んだ最新の知見をまじえて、多くの人に、何を心配すべきか、何を心配しないでよいのか、語って行こうと思う。 3.11以降の日本を、なんとか3.11以前の日本に戻すように私自身出来るだけのことをして行きたいと思う。 それが、このページの一つの意義であるかも知れない。 と言う訳で、これからもご愛読下さるようお願いします。
- 2011/08/14 - 再開直前に、ひと言新しい私のホームページの形が整いました。 16日から正式に運用します。 URLは今までと変わりません。 ただ、前回も、申し上げたとおり、ページの名前というか、タイトルというか、それが、「美味しんぼ日記」から「雁屋哲の今日もまた」に変わります。 以前より、私の思うことを集中的に読んで頂けるように、ページのデザインも、極めてさっぱりしたものにしました。 私の「いやらしい、ぐだぐだ話し」を最大限、このページにアクセスした不運な人達に味わわせて差し上げるのにふさわしいデザインだと思います。 色々な人から、お前の言う事は毒がありすぎる。マムシかハブみたいな男だと言われたので、これから、私は自分の事を「マムシの哲」「ハブ哲」と自称したいと思います。 私の言葉には、私の批判の対象になった人間から見れば、「ひどい毒」があります。 3月11日過ぎに、私のホームページをダウンさせた人々にとっては、私のページは攻撃の対象にしたい「毒」をまき散らしていると感じたのだと思います。 しかし、私は、単なる事実を伝えたに過ぎない。 現実に、あの時私が書いた事実で、あのおかしな人達が攻撃してきた内容は、今になってみれば、常識になっているではありませんか。 今、あの内容を書いたところで、誰も、反感を抱いて私のページを攻撃しようとは、思わないでしょう。 私は、現在常識になっているが、あの時点で他の人が隠していた事を他の人に先立って明らかにしたに過ぎません。 それに対して、無智な人々が、恐れ反発した。 私のホームページを攻撃した人達は、今、どう思っているのでしょうか。 あの時の、私の「毒」が今では真実です。 さあ、私を攻撃して来た人達、どうしますか。 (ハブ哲がからんでいるんだよ) 私は、どんな事に対しても、「科学的」に考えると言う態度を持ち続けています。 と言うより、物事を正確に掴むためには科学的な思考以外の思考方法はないと自分の体験から確信しています。 様々な事象を自分で理解しようとする時に、物事を正確に理解し、自分以外の人達に納得して貰える説明をするためには、事実に対する科学的な分析、解析が絶対に必要である事を長い間の物書き稼業の中で痛感したのです。 科学的な考え方とはどんな物か、これについては、今までに何度も語っており、これからも、と言うより、すぐこのあとに書く「太地の中学生達に」と言う文章の中でも、語ります。 くどいようですが、この「科学的」に物事を考えると言う態度は、人間として真正な人生を送るためには必須な事だと思うので、くどいという批判を無視して、ここにも書きます。 科学的な思考態度とは、 1)どんな事を考えるにしても、その考えの基には事実がなければなりません。 2)その事実は、その説を唱える人だけが、事実として主張するだけでは不十分で、その人以外の第三者が何人もその説を唱える人と同じ条件で確かめても、同じ結果が得られれば、これは客観的な事実であると認められる。そうでなければなりません。 「自分はそう思う」「誰それさんが(神様が)そう言っているのだから、そう信じろ」という言い方は、意味がありません。 3)その客観的な事実の上に、論理を組立てていく。 これが、「科学的」な思考態度です。 宗教が科学と異なる点は、宗教が上記2)と3)を満たしていない事です。 科学的に物事を考えるとどう言う事が起きるか、その一例を挙げれば、「常温核融合」の問題があります。 核融合というと難しく聞こえますが、実際は私たちが毎日体験している事です。 我々が毎日享受している太陽の光は、どのようにして生まれているかというと、それは、太陽の中で水素原子がお互いに融合して、ヘリウムになる時に生成されるエネルギーが、光のエネルギーとなって、我々の元に届くからです。 太陽のような、極めて高温、高圧の状態では、水素原子どうしが融合してヘリウムになることは可能です。 水素からヘリウムになるときに、水素原子は0.7パーセントほど質量を失う。 アインシュタインが明らかにした事ですが、質量に光速の二乗を掛けた物が、エネルギーとして放出されます。 太陽は、地球から見れば大変に巨大な物体です。 その中の、失われた0.7パーセントの質量がエネルギーとして時々刻々放出されているわけです。 大変なエネルギーを、我々地球に与えてくれています。 そのお陰で、地球上には様々な生物が生息できるのです。 水素爆弾は、まず原子爆弾を使って核分裂によるエネルギーを生成し、それを利用して核融合を起こす物で、爆弾という限られた空間の中で、原爆という強力なエネルギーを与えられて初めて実現した核融合です。 この核融合を、人間の管理可能な状況で実現できれば、大変に具合の良いエネルギー源になると考えて、多くの科学者がこれまで研究を続けてきました。 しかし、原子爆弾のような、瞬間的に巨大なエネルギーを発する物がない状態で、核融合を引き起こす事は非常に難しい。 そのために、日本も国の研究機関で優秀な物理学者を集めて、数十年間研究を続けていますが、現実に太陽で展開されているあの状況を作り出す事がどうしも出来ない。 そのような状態を作り出すためには、極めて高温高圧高磁場の特殊な状況を作り出さなければならない。それが、ほとんど不可能だ。 ところが、20年ほど前にアメリカの二人の科学者が普通の室温で、ビーカーを使って、核融合が出来ると発表したのです。 これは、世界中の核融合研究者たちを驚かせました。 自分たちが、巨大な実験設備を使っても出来ないのに、室温・常温でビーカーの中で核融合を実現する事が出来る。 世界中がひっくり返るような大騒ぎになった。 これで、エネルギー問題は解決する、と言う期待が起きました。 ところが、実際に、その二人の科学者が、他の人達の前で実験してみせると、核融合など起こらない。 彼らと別の人間が、彼らと同じ方法で行っても、核融合は起こらない。 様々な人が、その二人が成功したと主張する方法で実験を繰り返しても、核融合は起こらなかった。 ここにおいて、二人の「常温核融合理論」は間違いであると、確認されたのです。 4)もう一つ。科学的な思考で一番大事なことは、自分の今言っている事は、現在手に入れる事の出来た事実の上に立ったもので、後に新しい事実が発見されたら、躊躇なく新しい意見を受け容れなければならない、と言う謙虚な態度です。 これが、科学的な思考方法と言う物です。 だれもが、実証可能で、確かめる事の出来る事実、それを基本にして論理を組立てていく。 私は、これが、人間にとって唯一可能な「過ちを犯さない」思考方法だと確信しています。 この私の「確信」が思いこみではなく、以上に述べた科学的な思考による物だ、と言うと、それは同義語反復で意味がないかと反駁されるかも知れません。 しかし、この、何が何だか分からない無明の世界の中で、何か物事を考えようとした時に、「科学的思考方法」以外に頼りになる物、私以外の第三者をも納得させる事の出来る議論の仕方、はないのです。 (宗教は、私の考えでは、この苦しい思考を、神や仏にすがる事で逃れた結果だと思います) 私の科学的な物の考え方、これは、どうしても、日本人全体に理解して頂きたいのです。 日本人は情緒、感情に流されます。科学的な思考は苦手です。 科学者を自認する人でも、最後の判断のところで、情緒的になることを嫌と言うほど見てきました。 (こう言う事は、私が日本人として、長い間生きて来たから言える事で、他の国の人間が言ったら、私自身簡単には受け容れられないでしょう。 ふ、ふ、おかしいね。同じことを、外国人に言われたら反発を感じるところは私も日本人なのであるわいな、と思います) 個人的な思いこみでは、たとえば、如何に、環境保護の言葉を並べても、その言葉を聞く人達は「本当かな、どうなのかな」という疑いを抱きます。 しかし、きちんとした科学的データを元に、科学的な分析の方法を説明して語ると、その話を納得して頂けます。 そのような基本的な態度を維持して、これからも、思った事を「今日もまた」書きつづろうと思います。 マムシの哲、ハブ哲は目を光らせています。
- 2011/07/20 - 再開予告長い間、お休みしていましたが、ブログを近々再開します。 ただ、これまでは「美味しんぼ日記」と言う名前でしたが、日記に書く内容が全然「美味しんぼ」と関係ないではないかと言うご意見も強くあったので、題名を「雁屋哲の、今日もまた」に変更します。 食べ物、美味しいものについても書きますが、私が日常的に考えている事を、他人迷惑を考えずに、書きます。 URLは今まで通りです。 以前、皆さんがブックマークなどされていた「美味しんぼ日記」をクリックすれば、新しい「雁屋哲の、今日もまた」に入ります。 その後、ブックマークの名前を「雁屋哲の、今日もまた」に書き換えて頂ければ、何の問題もありません。 現在、新しいページの構成・デザインに取りかかっているので、新しい装いが整い次第、再開します。 ごひいきのほど、よろしくお願いします。 てなことで、再開後挨拶で終わってしまうのも、物足りない。 二つばかり、語りたい。 1)これは、もちろんサッカー大好きな私としては見逃せない、「なでしこジャパン」のワールドカップ優勝の件だ。 正直に言って、私は女子のサッカーを今までまともに評価してこなかった。 走る時に、両腕を前後に振るのではなく、胸の前で横に振るような女子に、サッカーなど出来るかと思ったのである。(実際に、日本対スウェーデンで最初に点を入れたスウェーデンの選手は、喜んで自陣に帰る時に、両腕を胸の前で振る、「女の子走り」をしていた) ところが、今回、「なでしこ」が、決勝リーグに進んでから、テレビを見始めて、私の認識が間違っていた事を痛感した。 私は、やはり、男性優位の観念に囚われた古い人間だったのである。 「なでしこ」の戦いを見ていて、私は、これこそサッカーだと思った。 サッカーは、肉体的な強さも大事だが、それ以上に、頭脳的な戦略が決定的に大事である事を「なでしこ」は示してくれた。 もちろん、肉体的な鍛錬が元になっている事は当然であるが、「なでしこ」たちの戦いは、パス回し、位置の取り方、その全てが知的な戦略に基いていて、これこそサッカーの醍醐味だ、と思わせてくれた。 最後の三戦、対ドイツ、対スウェーデン、対アメリカ、その何れも幸運に恵まれたとは言え、「なでしこ」の知的な動き、何が何でも守りきる心意気、この二つが満ちあふれていて、「なでしこ」ひいきと言う点からを離れて、純粋にサッカーのゲームとして見ていても素晴らしく面白かった。 しかしねえ、勝つと負けるとは、天国と地獄の差だね。 試合後、アメリカの選手たちは、うちひしがれ、目を真っ赤にしてただ事ならぬ雰囲気だった。 それに反して「なでしこ」たちは、はしゃぎ回っている。 やはり、勝負というもはどんな物にせよ、勝たなければ駄目だと痛感した。 私は、連れ合いと二人の娘たちを毎日相手にしていて、「女性には敵わないな」と思っていたが、こんどの「なでしこ」の活躍を見て、日本の女性は本当に凄い、と納得した。 「なでしこ」良くやった。うれしい。こんなにいい気持ちにさせてくれて有り難う! 2)放射能汚染された福島産の肉牛が7月19日現在、700頭以上が出荷され、そのかなりの部分がすでに市場に出回っている事が明らかになった。 おかげで、牛肉を敬遠する人が増え、焼き肉店も窮地に陥っているという。 私は、政府の、福島産の肉牛に対する態度が理解できない。 一体何を考えているのか。 BSE(いわゆる、狂牛病)問題の際、日本はアメリカに、肉牛の全頭検査を要求した。 ところが、今回、福島の肉牛に対しては全く検査をしなかった。 その結果、最終段階の消費者の口に入るところで、放射能汚染が確認されて、大問題になった。 BSE問題の時に、アメリカに全頭検査を要求しておきながら、当然問題が出ると思われる福島の肉牛に対して何の処置も取らなかった、不合理で自分に都合の良いように基準を決める日本の態度は、全世界的に大きな問題になるだろう。 すでに、シンガポール、イタリアなどでは、日本からの食品に対して輸入禁止処置を取っている。 私はこれまで、そう言う外国の態度を「愚かな風評に惑わされている」と馬鹿にしていたが、今回の肉牛に対する政府の態度を見ると、シンガポールやイタリアは正しかったと言わざるを得ない。 放射能汚染食物に対する処置が、こんなにいい加減な国から、誰が食べ物を輸入するか。 こんな国からの食物の輸入を禁止した国に対して我々が何を文句が付けられようか。 一番の被害者は、福島県の肉牛肥育業者である。 彼らは、牛に与える乾し藁の放射能問題を県などから何も聞いていないと言う。 それが、いきなり、「あんたのところの牛は放射能汚染されているから出荷停止」と言われたのだ。 こんなめちゃくちゃな話があるだろうか。 普通の肉牛肥育農家にとって、乾し藁と放射能汚染の関係など、考えもつかない事だ。 それも、当然の事で、肉牛肥育農家は放射能汚染などと言う事自体、今まで経験もした事がないので、乾し藁を餌として与える事の危険性など想像も出来なかった事だろう。 事実は違う、農水省などは、ちゃんと乾し藁の放射能問題を掴んでおきながら、それをきちんと、各個別の肉牛肥育農家に伝える事を怠っていたのだ。 もし、早めに、乾し藁の放射能問題を個別農家に伝えておけば、農家も肉牛に乾し藁を与える事は無かっただろう。 そして、もし早めに、個別の土地の肉牛の放射能汚染が検知できていれば、その個別の場所の肉牛を出荷停止にせざるを得ないが、安全な肉牛は他の土地には当然あるので、福島県全体の肉牛の出荷停止と言う事にはならなかった。 怠慢なのか、問題を起こしたくないという隠蔽体質なのか、農水省は大事な肝心の情報を個別肉牛肥育農家に伝えず仕舞いになった。 その結果、汚染した肉牛だけでなく、被害は福島全県の肉牛に広がり、ひいては消費者の牛肉離れを引き起こし、社会に大打撃を与えた。 そして、世界的に、日本の食べ物に対する信用は失われた。 これから、日本の食品の輸入を禁止する国が増えることは予想される。 本当に我々日本人は愚かすぎないか。 原発事故も、既に人災による事が明らかになっている。 今回の福島県産肉牛の問題も明らかに、農水省の役人共による人災である。 原発を監督する経産省、食品を監督する農水省、これらの官庁の役人共にはその責任を厳しく取らせる必要がある。 こう言う役人共の頂点は、国家公務員試験などを高得点で通過した試験秀才たちである。 先の大戦で日本を破滅に追いやったのは、高等文官試験の高位合格者の官僚たち、陸軍大学を優秀な点数で卒業した軍官僚、いわゆる試験秀才ばかりだった。 試験秀才は、模範解答のあるような問題には上手く対処する。 それは当たり前だ、採点する方はその模範解答に合わせて点を付けるのだから。 そんな試験で高得点を取ったからと言って、それが実用になるか。 試験秀才は、模範解答にないような未知の問題に遭遇すると何の力も発揮できない。 日本が戦争に突入したのも、惨めな負け方をしたのも、全部その試験秀才たちのおかげである。 かれらは、生き物であり、模範解答の存在しない現実の動きに対処する能力がなかったのだ。 現在、軍官僚は存在しない。 いるのは、財務省、経産省、農水省などの官僚である。 この20年間、日本の経済を衰退させ続けて来た財務省、経産省の役人共は、戦前の内務官僚、軍官僚同様の試験秀才でしかなく、実際の未知の事態に対応する能力はない。クズであることを示した。 今回、原発の事故で,経産省の役人共のクズさ加減が更にはっきりした。 それに加えて、今度の福島の肉牛問題である。 農水省の役人共もクズだ。 経産省も農水省もその頂点にいるのは東大法学部出身者だ。 日本経済のバブルがはじけて、国民全部が苦しんでいる最中に「なんとかシャブシャブ」(なんとか、のところに入れる言葉は知っているのだが、流石に私はこのページではその言葉は書けない。)でお馬鹿な接待を受けていた事件の時にも、当時の大蔵省のトップの人間達が関わっていて彼らが全員東大法学部の出身者だった。 前にも書いた事だが、一つの大学の一つの学部でこれだけ日本の社会に害をなしているところは他にない。世界中見回しても、こんな大学、こんな学部はない。 東大法学部の教育方針に決定的な欠陥があるに違いない。 東大法学部は廃部にするべきである。 それが出来なかったら、東大法学部出身者は官僚として採用するべきではない。(明治以降の官僚育成政策から、必然的に東大法学部と言う物が生まれたのだし,東大法学部あってこその日本の官僚制度なのだ。となると、日本という国のあり方まで、問題になってくるね) ええと、再開予告のはずが、何だかまた物議を醸し出しそうな内容になってきましたが、まあ、私はこんな人間なので、仕方がないですね。
- 2011/03/16 - 当分休止します 地震発生以来、私がこのページに書いた文章に対する、批判・攻撃が激しく、12日の夜から13日の夜まで、私のページに繋がらない事態まで起きた。いわゆるDOS(Denial of Service)攻撃という物らしい。 その後も、余り批判のメールが届くので、管理人が悲鳴を上げた。 もう、処理しきれない、と言うのだ。 シドニーから、高みの見物を決め込んで、あれこれ言うな、と言うことらしい。 私の体は確かにシドニーにあるが、心は日本にある。 さもなければあんな記事を書く物か。 それが通じないのであれば、仕方がない。 このブログは、当分休止することにした。 5月10日に日本へ戻るので、それから、このブログを再開したい。 これで、私は確信した、日本には事実を知りたくない、あるいは知らせたくない人が大勢いると言うことを。 日本に言論の自由があると言うのは飛んでもない間違いだと今度のことで痛感した。 自分たちの意見に反する意見、例えば、私の記事などにたいする反発は凄い物だと思った。 事実を絶対に人々に知らせるな。 その、凄まじい圧力に、私のブログは動かせなくなったのです。 その圧力に負けたくないが、実際にブログが動かない。 日本は、飛んでもない国になっ行くのでしょうか。
- 2011/02/15 - 前回の訂正 前回の訂正。 1)小学校の同級生の「イノさん」から、次のようなメールを貰った。 《トッちゃんが書いた「美味しんぼ日記」の2月10日(木)付けの「自分で自分に驚いている」の文章の中で「三橋三智也」とあるのは、正しくは「三橋美智也」です。 実は小生も演歌の良さに気づいたのは、つい最近の?還暦を過ぎてから。だいぶ遅いです。中でも男は「三橋美智也」が一番好きです。 女はもちろん「美空ひばり」。不動の二人です。 そういうわけで、ご贔屓の歌手の名前を間違って出されたので 黙っていられません。 訂正の程、よろしくお願いいたします。 次回、六年二組のカラオケ大会の時はお互い演歌で行きますか?!》 (文中、「トッちゃん」とあるのは、六年二組での私のあだなです) いや、「イノさん」すまんかった 三橋、三波、と続いた三が重なったので、つい三橋三智也、と書いてしまい、それに気がつかなかった。 早速訂正しました。 私の六二組の同級生は、私が馬鹿なことを書くのではないかと心配して、このブログを見てくれているのだ。 同級生は有りがたい物だ。 「イノさん」は小学生の時から絵が異常に上手で、大学を出てから、デザイナーになった。 「イノさん」は職業としてはデザイナーだが、その水彩画がまた素晴らしい。 ときどき、作品展を開くが、勿論、我々六年二組は揃って見に行く。 私の寝室には、田園調布の宝来公園の横から入る入り口付近を描いた「イノさん」の絵が、私がベッドに寝た位置から見えるように置いてある。 その入り口から入って、宝来公園の正面口まで抜けていくのが、小学校から大学までの私の通い道であって、その「イノさん」の描いてくれた絵を見ていると、楽しかった日々を思い出して胸が熱くなるのである。 「イノさん」の許可を得て公開する。 リアルさから言えば、写真より劣る絵が、写真より絶対に、訴求力があるのは、描く人が目の前に見える物の中から描く物を選んで、それに心を込めるからだ。 写真は確かに全ては写っているが、それだけ印象が散漫になり、心に訴える力がない。(上手な写真家の写真にはそんなことはありません。念のため) 「イノさん」の最近の作品をご披露しよう。 昨年、六年二組の皆で、「『秋田内陸縦貫鉄道』のお座敷列車に乗りに行く」という旅行をしたが、その際「イノさん」は我々がお座敷列車でくつろいでいる樣子を、さらさらとスケッチした。 私たちの旅がどんなに楽しい物だったかこれでよく分かるでしょう、なんて自慢して。 勿論、記念写真も沢山撮ったが、「イノさん」のこの絵に及ぶ物はなく、欲しがる人間が沢山いたが、「イノさん」にとっても大事な絵なので、「これは駄目」と言うことで、「イノさん」自身の作品庫に入る事になった。 2)長女が「天城越え」をシドニーのカラオケ屋で覚えたと書いたが、本人から、「違うよ〜」というメールが来た。 「おばあさまと一緒にNHK歌謡コンサートと紅白を見て覚えたのだよ。おばあさまがいた頃はほとんど毎週歌謡コンサートはかかってたからね。うふふ。」 だそうです。 文中「おばあさま」と言うのは、私の連れあいの母親で、「おばあさま」がシドニーでもずっと私たちと暮らしてくれていたお陰で、家の子供たちの日本語力が落ちなかった。 3)私は、歌謡曲のCDを一枚も持っていないと書いたが、何を言ってんだか。 私は「昭和歌謡史」と言う21枚組のCDに加えて、CDカラオケ用のCDを50枚ほど持っていた。 歌謡曲・演歌の名曲は殆ど揃っている。 (CDカラオケの場合、画像が入るので、一枚に入る曲数は普通のCDに比べて少なくなる) テレサ・テンのCD、DVDも数枚持っている。 それに最近、ネットで、フランク永井のCDを購入した。 大変便利なサービスがあって、歌手ごとに好きな曲だけを選んでそれをCDに焼いてくれる会社がある。 そこで、私は、「たそがれ酒場」と「公園の手品師」の2曲を選んで焼いて貰った。 と書いて、カラオケなんて10年近くしていないことに気がついた。 子供たちが付き合ってくれないんだよな。 カラオケなんてものは、一人では出来ません。 連れあいの母親は「くちなしの花が」好きで、良く歌っていた。 (最初、これを「クチナシの花」と書いたら、直ちに、吉本興業の野山さんから、「クチナシ」ではなく、「くちなし」だと、指摘されました。慌ててまた訂正しました) どうも、長い訂正文になってしまった。 訂正だけで一回分とはひどいね。 反省します。
- 2011/02/10 - 自分で自分に驚いている 何に驚いているのか。 それは、自分自身の趣味の変化だ。 私は、音楽に関しては、長い間、ジャズとクラシックばかり聞いていた。 ロックは物によるが、殆ど受け付けない。 歌謡曲となると、軽蔑していた。 ところが、最近になって、その歌謡曲に目覚めてしまったのだ。 しかも、演歌にだ。 以前から、私は、小林旭の歌が大好きで、カラオケでは必ず小林旭の歌を歌っていた。 石川さゆりの「津軽海峡冬景色」は日本の音楽史に残る絶対的な名曲だと思っていた。 また、「昭和枯れススキ」も「さくらと一郎」のあの絶望的な雰囲気が好きで良く歌った。 しかし、歌謡曲全般に対しては、全く興味がなかった。 特に、三波春夫、三橋美智也、春日八郎、村田英雄、などと言う歌手は大嫌いだった。 ところが、最近、三波春夫の「ちゃんちきおけさ」にすっかり参ってしまった。 いい歌だ。 それに合わせて、「東京五輪音頭」をきいてこれにも参った。 むかしは、こんな恥ずかしい歌はない、と聞くのもいやだった歌が、今は、耳にすんなり入ってくるし、心が弾む。 なんていい歌だろう。 そして、村田英雄、三橋美智也を聞いて、完璧に参った。 私は、中学二年生の時に、股関節の結核が再発して六ヶ月以上入院した。 その時、家計が苦しかったのだろうか、そもそも、個室などない病院だったのか、八人が入る大部屋で半年過ごした。 その時のことは、今でも絶対に忘れられない。 私が、普通に暮らしていたのでは絶対に出会えない人達に同じ病室で出会えたのだ。 いまでも、あの、八人部屋の入院生活は、私の人生にとって非常に役に立ったと思っている。 当時は、信じられないことだろうが、ソニーのトランジスタ・ラジオが恐るべき製品と思われた時代で、普通の人は、もっと大きなラジオを病室に持込んで、イヤーフォーンを付けるか、他の人の迷惑にならないように音量を最小限に絞って、自分の好きな番組を聴くという形だった。 その入院患者の中に、四十代半ばの人がいた。 その人は、イヤーフォーンを持っておらず、小型のラジオを極力音を絞って聞くのだが、私には、全て聞こえてしまう。 その人は、歌謡曲が好きで、とくに、三橋美智也が好きだった。 三橋美智也の歌が終わると、大きな声で、「みはすみつやはいいなあーっ!」と言った。 私は、その人が素晴らしく優しく明るく誠実な人柄だったので、その人自身は好きだったが、「三橋美智也」は駄目だった。 今でも、私は、その人の、三橋美智也の歌を聴いた後の、晴れ晴れとした顔と声を忘れられない。 そして、その時馬鹿にしていた、三橋美智也の良さが今になって分かったことをその人に伝えたい物だと思う。 しっかり演歌を聴き直して驚嘆するのは、演歌歌手の声のすごさだ。 三橋美智也、三波春夫、村田英雄、彼らは民謡と浪曲で鍛えただけあって、地声が高いところまでびんびん響く。 そして、地声と裏声の使い分けが見事だ。 演歌歌手の声の操り方を聞いていると、クラシックのテノールなんて単調だな、などと思ってしまう。 (いや、テノールが大変だと言うことは分かっていますよ) 私たち小学校六年の同級会は年に何回か持たれるが、二次会はカラオケになることが多い。 私は病気をして普通の人より遅れたので、田園調布小学校には二年生から入った。 その時からのつきあいだから、人生でも一番長いつきあいの「こ」君は、民謡を経て、今は長唄を本格的に勉強しているので声がよいし、節回しが見事だ。 カラオケで得意なのは、春日八郎の「赤いランプの終列車」である。 いつも、見事な喉に、同級生たちはヤンヤの喝采を送るのであるが、私は、一つ野望を抱いた。 それは、「こ」君に負けてはいられない。 三波春夫の「ちゃんちきおけさ」「東京五輪音頭」そして、三橋美智也の「哀愁列車」を小学校の同級生たちに披露してやろうと思った。 ところが、実際に、歌ってみると、まあ、その難しいこと。 とても、私にはほかの人に聞かせられるようには歌えない。 それで、演歌歌手の実力のほどを思い知ったと言う訳だ。 私の家族は、私が今頃演歌にこっているので驚く。 「石川さゆりの『天城越え』はすごい。聞いてて涙ぐんじゃうよ」なんて、長女に言ったら、「あら、お父さんたら、今頃演歌に目覚めたのね」と軽くいなされてしまった。 長女は小学校六年生の時にオーストラリアに来て、それ以前もそれ以後も、私の家では演歌など聴く環境ではなかったのに、高校生の時に、日本で祖母、叔父、叔母、従兄弟たちなど親族が集まったところで、「天城越え」を身振りも交えて、熱唱したので、私の親族全員が、一瞬凍り付いた、と言うことがある。 私の姉が、その時のことを話してくれたのだが、「みんな、どうしてあの娘がと、びっくりして口もきけなかったわよ」と言った。 一体どこでそんな曲を覚えたのか、と尋ねたら、「お祖母さまが、お元気だった頃、NHKの歌謡番組はいつも流れていたし、紅白歌合戦も、毎年見ていた。それで覚えたのよ」と言った。 シドニーのカラオケにも、友人たちで出かけて行っているらしい。 私の姉は、音大卒業でクラシック音楽専門、姉の夫は、クラシックの曲なら、数小節聞いただけで、作曲家と曲の名前まで全部分かるというクラシック音楽第一の人間。 姉の次男は自分でバンド活動をしているが、ロック専門で、歌謡曲も演歌もまるで駄目。 そう言う雰囲気で、『天城越え』を振り付け入りで熱唱したのだから、長女が親族中から、「どうして」と言われたのも無理はない。 どうやら、私は今頃になって、長女に追いつきかけているようだ。 と思ったら、長女と次女は、とっくにJ-POPに関心を移していて、フランス語で「虹」という名前のバンドに夢中で、演歌には関心を示さない。 私は、J-POPには、まだついて行けない。 しかし、演歌の良さを分かって楽しめるようになっただけで、人生の幅が広がった。 歳のせいだろうか。 であれば、人間歳を取ることは、悪いことばかりではない、と言おう。
- 2011/02/05 - 大相撲を守れ もういい。充分すぎる。 お相撲さんを、これ以上いじめるな。 八百長をした事がはっきりした力士は厳罰に処すことに異議はない。 しかし、だからといって、その罪を他のお相撲さんに及ぼしたり、名古屋場所を取りやめたりするとは、正気の沙汰ではない。 どこの世界にも、道を踏み外す人間はいる。 全体の中の数パーセントの人間の不始末で、相撲全体を潰すなど、狂気の沙汰だ。 私たち日本人が、この数百年の間、どれだけお相撲さんを愛し、お相撲さんに力づけられてきたことか。 大関、横綱になるために、どれだけの精進をお相撲さんがしてきたか、みんな良く知っているはずだ。 八百長なんかで、大関、横綱になれる物ではない。 それだけの力があるから、大関・横綱になり、我々普通の日本人が憧れ、愛し、誇りに思ってきたのではないか。 昔から、大相撲の八百長話は、あちこちの週刊誌を賑わせてきた。 幾つかの週刊誌の八百長暴露話には、かつて幕の内力士だった人間が進んで話しをしたりして、非常に嫌な話になっていた。 それが、立ち消えになったところに、今度は、携帯メールでのやりとりと言う、否定することが不可能な証拠を警察が握った。 確たる証拠を掴んだと言うことで、テレビ、新聞、など凄まじい勢いで相撲協会を攻めに攻めまくっている。 最近の日本は、長引く不況のせいで、集団ヒステリーが起きやすい状況になっている。 日本人全体に、その正体が明らかにされない、市民団体による働きかけによって、これまた誰が誰なのか分からない不可思議な「検察審査会」が小沢一郎氏を起訴するように決め、その結果を絶対のものとして、新聞、テレビなどの誘導によって、世論調査で小沢一郎氏の議員辞職などを、過半数の人間が求めている。 小沢一郎氏が何をしたかということより、この訳の分からない「市民団体」による「検察審査会」に対する、再起訴の訴えが認められたこと。 また、どんな人間によって、どのような審査過程を踏んで小沢一郎氏を「不起訴不当」として、強制的に起訴するように持って行ったのか明らかにされていないこと。 この二つをもって、私は、日本は「民主主義国家」の看板を、直ちに引き下ろすように要求したい。 どうしても、小沢一郎氏を政界から葬りたい人間達が、検察が正面から挑んだのでは起訴出来ないのを、「検察審査会」などと言う、全く民主主義の論理から外れた機構を使って、世論を煽り、小沢一郎氏を追い込もうとしているのだ。 この醜悪さ、この悪辣さ。 そしてその策に乗り、集団ヒステリーに陥って自分たちが何をしているのかも分からなくなってしまった、日本人の情け無さ。 私は、本当にこのような不正な手続きで一人の人間を貶めることが可能である日本という国に深い絶望感を抱いている。 そこに持って来て、大相撲の八百長話騒ぎだ。 どこの世界にも、不出来な人間はいる。 大相撲で言えば、絶対に三役に上がれることがないと分かってしまう相撲取りはいる。 そのような、前途が見えてしまってそれ以上の希望を抱けない人間は、どこの世界にもいて、そう言う人間が、その人間の属する世界を深く傷つけるような不祥事を起こした事例は、今までに枚挙にいとまがない。 今回の、八百長問題も、小結、関脇、大関、横綱、という出世街道を突っ走ることの出来ない、前途に大きな野望を抱けない相撲取りが起こした問題だ。 ところが、小沢一郎氏の辞任を要求する集団ヒステリーはここにも及んできて、一部の不届きな相撲取りの不祥事だけを元に、大相撲全体をこのまま消滅させようと言う、馬鹿げた動きも出始めている。 ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな! 大相撲が、大衆の物になって以来、この二百年、日本人がどれだけ大相撲によって、元気づけられ、力づけられ、楽しませて貰ってきたことか。 大相撲は、日本の世界に誇る文化の一つである。 一握りの人間が、八百長に関連したからと言って、どうして、大相撲全体を破壊させようというのか。 よおい、皆の衆! いい加減に正気を取り戻してくれ。 集団ヒステリーはもう沢山だ。 大人の知恵を働かせてくれ。 大相撲がない日本なんか、日本じゃない。 大相撲を守れ! お相撲さんを守れ!
- 2011/01/30 - ああーっ気持ちがいいーっ! ザッケローニ監督は非常に選手の交代が上手だ。 最後にリーを出した時に、私は、これはやってくれるのではないかと思った。 そして、後半のあの長友のサイドの走り、いつもながら見事だが、そこからのセンターリングは教科書通り。 しかも、オーストラリアのディフェンスはどうしたことか、リーをフリーにしていた。リーはゴールの真ん前で、相手のディフェンスもなく一人で待っていた。 そこに、長友の見事なセンタリング。迷わずリーが一発だ。 いやあ、もう体中にたまっていた欲求不満が一気に解消した。 試合自体は韓国戦よりもっと悪かった、オーストラリアのシュートは20本近く、日本は10本程度。 日本のパスは必ず取られる。高いボールは必ず取られる。 日本がボールを取られると,オーストラリアはいとも簡単にそれをゴール前に運んで、すさまじい猛攻をを仕掛けてくる。 韓国戦のPK戦の勢いを川島が持っていて、信じられないよう好セーブの連続。 中でも、脚ではじいてゴールを外させたのは見事だった。 圧倒的にオーストラリアが優勢では私は死刑を宣告されて、死刑執行を待っている人間の気持ちになってしまった。 苦しいったらありゃしない。 とにかく、体が大きい。そして大きいくせに、すばしこい。 日本がパスをする前にするすると入って来て、パスを奪う。 ボールの保持力は、オーストラリアが圧倒的だった。 あんなに何度も、危ないシュートが続いて、どうしてオーストラリアに点が入らなかったのだろう。 これが、サッカーの面白さという物だ。 オーストラリアの選手たちは、どうして自分たちが負けたのか、信じられないだろうな。 長友とリーの見事な、サッカーのお手本みたいな、センタリングとシュートを見せつけらては、当分寝られないんじゃないか。 とにかく、これで、明日は町に出かけて行って、顔見知りのオーストラリア人に「昨日のサッカー面白かったねえ」と相手構わず言ってやろう。 これで、日本のサッカーチームも、オーストラリアに対する劣等感を解消出来たのではないか。 ああ、いい気分だ。 これで、気合いがしこたま入ったから今取りかかっている「福沢諭吉」の本がぐわーっと進むだろう。 最後に、シュートを決めた、リー・忠成は在日韓国人だったのだが国籍を日本に変えたのだそうだ。 リー選手は、日韓友好のためにも活躍している訳で、本当に嬉しいことだ。。 松井、香川と言う二人を欠いて、一次はどうなることかと思ったら、全くの幸運でオーストラリアに勝てた。 いや良くやった、はしゃぎすぎてきりがないからこれで止める。 サッカーの試合の時に、なると、どうして私は、ミーちゃんハーちゃんよりひどくなるのかね。 さあ、ぐっすり寝るぞ。 全日本のサッカーファンの皆さん、五十尺玉の花火を上げましょう。 それに、一、二、の,三、『どどどどどどどどどどっ—かーんんんんんんんんんんんんんんっ!!!!!! ずどどどどどどどどどどどどっかーんんんんんんんんんんっ!!!!!! ほうら、空に、巨大な日本の勝利を祝う赤い牡丹の花の大花火が開いたぞっ。 ああ、気持ち良かったねえっ!
- 2011/01/26 - 何てことだ 今日はね、何が何でも、日韓戦前に原稿を上げなければならないと、死にものぐるいで、キックオフ1時間前に仕上げました。 そこまで、燃えるような思いを抱いて、テレビを見ていたのに、延長後半、あと3秒を残したところで、やられてしまった。 なんと言う事だ、オーストラリアの解説者は、Unbelievableと言った。 こっちも信じたくないよ。 しかし、今日は、最初から韓国ペースだった。 何時点を入れられてもおかしくないくらいに、押しまくられて、日本は殆ど何もできなかった。 バスは取られる。スペースも空けてくれない。 それに引き替え、韓国は、次々に波状攻撃を仕掛けてきた。 韓国との実力の差、気力の差は大きい。 最後に、点を取られた時の、あの韓国の攻撃の凄まじさ。 日本のディフェンスなんて、翻弄して、次々に攻めまくる。 私は、昔、西部劇で、インディアンが幌馬車隊を取り囲んで攻撃している場面を思い出しましたね。 今まで5年間韓国に勝利出来なかったのは当然だ。 どうして、折角PKで有利に立ったのに、延長戦、最後の15分を守りきれなかったかのか。 最後の3秒に得点されるとは、全くの悪夢だ。 その後のPK戦で何とか勝ったが、ちっともすっきりしない。 どうして、ここまで、韓国に弱いのか。 香川は何にも出来なかった。こんな時に何もできないなんて、カタールとの試合の時はまぐれだったのね。 本田もパスをしようと思った時に、でかい体の韓国人に囲まれてパスも出せない。 全くHopelessだ。 本田は、PKすら失敗した。 細貝がいなかったら、それまでと言う大失敗だった。 勝てばいいと言う物ではない。 こんなのは拾った勝ちだ。(川島の頑張りは認めるが) 欲求不満は甚だしく私を苦しめる。 それでも、負けるよりは良かったと言えるだろう。 明日は、久しぶりに酒でも飲んで厄落としをするかな。 本当に韓国は強い。 その韓国相手によく頑張ったと讃めてやりたいところだが、世界には韓国より強いチームが山のようにいるので、韓国くらいは、軽く始末するくらいでないと、困るのだ。 そして、決勝は、ああ、オーストラリアとだ。 日本はオーストラリアには劣等感を持っている。 ワールド・カップ・ドイツ大会以来のトラウマだ。 オーストラリアを相手にすると、縮み上がって、ひどく動きが悪くなる。 今日の韓国戦もひどかったのに、あれより動きがひどかったら、それこそ、海水浴場の射的屋で遊んでいるみたいに、相手にドンドン点を取られてしまう。 日本がオーストラリアに負けた翌日は、町に出るのが嫌なんだ。 顔見知りのオーストラリア人はにやにやしながら、「昨日のサッカー見たかい」と来る。 長男は、はらわたが煮えくりかえるような思いで「ええ?サッカー?そんな物があったの。見てないよ」と言うそうだ。 今度は、日本がオーストラリアに勝って、私はドイツ大会に着ていった、中澤のユニフォームを着てシドニーの町中を歩き回りたい物だ。 でもなあ、今日の韓国戦を見ていると、悲観的になってくる。 ああ、苦しいなあ。
- 2011/01/22 - これで良し! カタール戦、苦しかったなあ。 あの苦しい状況で良く勝った。 一番の収穫は香川が復調したこと。 特に2点目のシュートは、見事のひと言。胸のすくようなシュート。 ああいうのを待っていたんだよ。 それにしても、GKの川島はちょっと不調だね。 奪われた2点とも、ちゃんとキャッチしていれば、押さえられないシュートではなかったんじゃないか。特に2点目は。 最後、香川が完全にシュート出来た場面で、カタールが完全にファウルで倒したところに、伊野波が上手い具合について来ていた。 しかし、はらはらさせるね。 あのレフエリーは見覚えがある。 いやな予感がしたが、やはり、吉田が退場になるとは、納得出来ない審判だ。 10人でも、逆転に成功したところが、見事だ。 いやあ、良かった良かった。 それにしても、前の試合は岡崎、カタール戦は香川、となると、本田がうずうずしているだろうね。 シリア戦のPKだけじゃ、物足りないだろう。 今度は、本田の活躍があるぞ、と予言しておこう。 ああ、一安心した。 (しかし、後で、ビデオで見れば見るほど、川島の守備は頂けない。 最初の1点でも、ちゃんと受けとめられる体制ではないか。 しっかりキャッチしていれば、入るはずはない。 2点目もそうだ。あれも、キッカーはあそこしか狙えないのは分かっているはずだし、実際に川島の体はボールの正面に入っていた。あれをキャッチ出来なければ、国際試合に出るGKとしておかしいだろう。 川口、楢崎なら、あんなボールは絶対に押さえていた。 次の試合も、川島が心配だ)
- 2011/01/18 - 勝つには勝ったけれど 17日の日本対サウジアラビアの試合。 近頃これだけ、空気の抜けた国際試合という物は見たことがない。 サウジアラビアが国を挙げて戦意を喪失してしまったんだな。 スタジアムにサウジアラビアのサポーターの姿は殆どなく、客席は閑散としている。 すぐ隣の国なんだから、サウジアラビアから、カタールまで来るのは訳がないはずなのに、全然いない。 前回の、対シリア戦の際のシリアの応援団のような騒ぎも何も無い。 気合いが入らないこと甚だしい。 サウジアラビアでは、最初の敗戦で監督は辞めさせるし、今度はサッカー協会の会長まで、首にして、何人もいる王子の一人が後釜に座った。 そう言う国内での、諦めが、選手にも伝わっているのだろう。 前半8分過ぎに岡崎に最初の点を取られると、20分までに三点も取られてしまう有様。 後半に入ると、開始6分ほどで前田が得点をする。 後半35分には、岡崎がハットトリックを達成。 これで、5-0だ。 あまりに一方的な試合に、オーストラリアのアナウンサーは「練習試合みたいですね」という。 とにかく、こんな気の抜けた試合は初めて見た。 余り一方的に日本が攻めるので、とうとうオーストラリアのアナウンサーは「これじゃ、海水浴場の射的ゲーム屋だ」とまで言った。 5-0で勝ったのは嬉しいが、この5点の内、2点でも3点でも、次の試合に持ち越せないだろうか。 川島、松井、それに本田まで欠いて、ゲームが始まるまでは一体どうなることかと大いに不安だったが、試合が始まってみると、「あれれ、何だこれ?」とあきれるばかり。 対シリア戦の様な、神経をすり減らすような思いもいやだが、こんなお葬式みたいなゲームもいやだな。 適当にはらはらさせて、最後はきっちりと勝つ。 それでこそ、満足出来るという物で、昨日の試合は、なんというか、前の日にコップについで飲み残して日向に置いておいたビールのように、何の刺激もなかった。 でも考えてみれば贅沢だな。 勝ったんだから、素直に喜ぼう。 良かった、良かった。 それにしても、香川はおかしいね。 運動神経が狂っているんじゃないのか。 下らないミスを繰返す。俊敏さがない。 普通じゃない。 岡崎は、いつも、スーパー・サブだなんて言って、先発出場をさせて貰えなかったが、今日の働きで、監督の評価が変わるんじゃないか。 本田より、遙かに鋭かった。(まあ、昨日のサウジアラビア相手では、はっきりとした判断は下せないけれどね) 非常に良かった。 前田も、今までに何度もシュートを惜しいところで外していたのが今日は2本決まって溜飲を下げただろう。 良かったね。 こうなりゃ、優勝しかないね。 次の試合は、きっと、はらはらするだろうな。 そこで、しっかり勝つ。 うう、次の試合が楽しみだ。(しかし、これでは、仕事が進まない。助けてくれ)
- 2011/01/15 - 今日は困った 今日は困りましたねえ 何がって、アジアカップで、オーストラリアと韓国が対戦したでしょう。 私は22年オーストラリアに住んでいて、オーストラリアに世話になっていると言う親しみがあるし、オーストラリア人の友人たちもいる。 一方、私の隣の韓国人のご一家とは親しくつきあっているし、他にも、私の事をお兄さんと呼んでくれる義理堅い韓国人の友人もいる。 日本にも韓国人の友人がいる。 実に困った。 どっちを応援すればいいんだ。 どっちらにも勝たせたい。 どちらを応援するか、などと、中々決められない。 その内に、はっと気がついた、引き分け、と言う手があるじゃないか。 よろしい、この試合は、引き分けになって貰おう。 それなら、私は、オーストラリア人の友人たちにも、韓国人の友人たちにも、「いやあ、惜しかったねえ」と言える。 ちょっとずるいけれど。 しかし、引き分けなんてそんなに上手く行くもんだろうか。 とにかく、楽しもう。 (日本戦の時には、楽しむという、悠長な気持ちにはなりませんね、何とかして勝ってくれと、必死になる。試合の間、はらはらしっぱなしで、とても、楽しむなんて心境にはなれませんよ。勝つと心から嬉しさが湧き上がって大変な幸せ気持ちになる。この嬉しさはサッカー意外では味わえない物だ) 前半に、韓国が実に綺麗にシュートを決めた。 後半にオーストラリアが、コーナーからヘッドで上手いこと決めた。 (このヘッドを決めるのは、ある意味運でしょう。昨日のシリア戦だって、日本の前田のヘッドは決まってもおかしくないのがあった) さて、それから終了まで20数分の長いこと。 「引き分けなんだからね、これ以上どちらも点を入れちゃいけないんだからね」とテレビに向かって、両チームに言い聞かせ続けた。 私の努力の甲斐もあって、(そこまで言っていいのかな)、ついに、めでたく1-1で引き分けとなった。 オーストラリアも、韓国も、日本の強敵だ。 このどちらが、これから先日本と戦うことになるのかも知れないが、日本にとっては、韓国よりオーストラリアの方がやりにくいだろう。 韓国は上手にオーストラリアのチームの動きをコントロール出来ていたが、日本は、ドイツのワールドカップの初戦で、オーストラリアに負けて以来、対オーストラリア戦となると、萎縮してしまって力が出ない。 よほど、オーストラリアにたいする苦手意識ができてしまったのだろう。 韓国のように、のんびり、しかし、きっちり、そして素早く、立ち向かえばいいんだよ。 しかし、まず、韓国の選手の方が日本の選手より大きいし、走るのも速い。 その韓国の選手だから、オーストラリアを押さえることができるのかも知れない。 今回、オーストラリアと韓国が引き分けたことで、これから先の読みが難しくなった。 しかしねえ、昨日は朝五時まで、今日は朝二時半までテレビの前に座りっぱなし。 こいつは本当に困った。 しなければならない仕事ができない。 ああ、早く、アジアカップは終わってくれ。それも必ず日本の優勝で。 さもないと、私の仕事に大きな破綻を来す。 本当に困ったなあ。
- 2011/01/14 - とにかく、良かった ただ今、シドニー時間、14日朝5時20分。 試合が終わりました。 日本対シリア戦。(日本とシドニーは今2時間の時差があるんですよ) とにかくひどい試合だった。 前半は日本選手はよく走った。 ところが後半になって、がくんと、走りが悪くなった。 シリアに押される。 やばいなあ、といやな予感がした。 そこに、シリアが飛び込む、日本のゴールキーパー川島が押さえに走るが球を逃がし、ゴールががら空きになる。そこにシリアがシュートしようとする。 そのシュート防ごうと川島はボールに向かってダイビングする、その上にシリアの選手が倒れ込む。 すると、驚くべき事に、レフェリーは川島にレッドカード出した。 場内騒然となる。 中継放送していたオーストラリアのアナウンサーも、信じられない、と連発する。 スローモーションでみれば、それがはっきり分かる。 どうしてあれがレッドカードなのだ。 あれがファウルと言うなら、ゴールキーパーの仕事はなくなる。 レフェリーの完全なる誤審か、意図的な判断だ。 とにかくシリアは荒っぽい。 あれでは前半だけでかなり日本選手は痛めつけられたのではないか。 前半終了時点で、シリアのファウルは20、日本は8。 しかも、レフェリーがファウルに取らないシリア側のラフプレーは数知れず。 それで後半動きが悪かったのかも知れない。 PKを入れられて、しかも、キーパーは体の小さい西川に代わり、日本は10人。 ひどく絶望的になった。 ところが、またまたおかしな事が起きた。 今度は、シリアがペナルティエリアで反則。 あそこで、シリアが反則をしなければ、日本は自力得点出来ていた。 シリアは、シュートを決められるより、反則でPKを貰った方が有利だと思ったのだろう。 シュートは入れられてしまえばお終いだが、PKなら外す可能性があるからね。 しかし、本田のPKが成功して、やっと2対1に盛返して終了。 こんなむちゃくちゃなチームは見たことがない。 中国でアジアカップをした時に、中国の選手が跳び蹴りをしたのは凄かったが、シリアは、そんな大技は使わないが、確実に日本の選手の体を痛める反則を仕掛けてくる。 その反則をレフェリーは取らない。 オーストラリアのアナウンサーも、こう言うチームは見たことがないと言っていた。 まあ、とにかく苦戦だったが、勝ててともかく良かった。 これで負けたら、朝の5時半まで起きていた甲斐がなかったところだ。 しかし、すっきりした勝ち方とは言えない。 絶対にレフェリーが悪い。 レフェリーが悪いと試合が台無しになる。 また線審もおかしい。シリアのフリーキックを待っている間に、シリアの選手を肘で突いたとかなんとか、主審に言いつけ口をして、それをレフェリーが聞き入れて、日本の選手にイエローを出す。 訳が分からないよ。 勝ち点は、勝ち点だが、これから先、日本は厳しいな。 中東は、サッカーを格闘技と考えていて、反則をしてもイエローを貰わなければ構わない、と言う考えのようだ。 川島のレッドカードについて、オーストラリアのアナウンサーも解説者も、論争を招く決定だ、信じられない、と言い続けていた。 この試合の、レフェリーたちに対して、協会は審査するべきだ。 何とか勝ったので、これで寝られる。 明日の午前中は使い物にならないな。昼まで寝ていよう。 日本の応援団の中に面白い札を掲げている人がいた、 「シリア狩り 日本尻上がり」 と書かれていた。 だじゃれで応援とは、面白いじゃないか。昨日寝ないで考えたな。 ああ、あ、疲れた。 優勝して貰いたいが、こんな試合が続くと、仕事にならないよ。 助けてくれ。 何でもいいから、日本はすいすいと勝ってくれ。 今日の前半戦のあの勢いで。 頼むよ、本当に。
- 2011/01/12 - 新年のご挨拶 大分遅れましたが、新年のお祝いを申し上げます。 それにしても、9日の夜は死ぬほど苛々した人が多かったんじゃないでしょうか。 何がって、日本対ヨルダンのアジアカップの試合ですよ。 ひどかったなあ。 選手一人一人の動きが悪く、バス回しなんて最低。簡単に、ヨルダンに球を取られる。 本田も香川も何をしているのかも分からない。 こんなチームで、これから何とかなるのだろうか。 13日の対シリア戦でいい戦いを見せて欲しい。 新年早々愚痴はみっともないな。 去年は、年の暮れから、日本からお客様が来て一緒に正月を過ごしてくれた。 大晦日は、恒例のシドニー湾の花火を賑やかに楽しんだ。 一体何人のお客様がいらっしゃったのか。 シャンパンだけで12本以上開けた。しかもその中の一本は、特大のマグナム。 さらに、ワイン、日本酒と皆さん良くお飲みになった。 元旦は、日本からのお客様ご家族、次女の友人母娘、私の親友「あ」の娘さん、それに、東京で働いていて正月に帰って来られなかった次男の代わりに次男のガールフレンド、を交えて、おせち料理を楽しんだ。 おっと、おせちとなると、忘れちゃいけない。 秋谷の、関沢和彦さんが釣ってくれた赤ムツの塩焼きだ。 毎年、お正月だけに姿を現す魯山人の緑釉長鉢に載ると、赤ムツも一際映える。 とは言え、魯山人だったら、器に比較して魚が大きすぎる。 間と言う物が分からんのか、と怒るだろうな。 でも、食べて行く内に魚は小さくなって、器と釣り合うようになる。 いや、こうなっちゃ、みっともないんだけれど。 それにしても、この赤ムツ、これほど美味しい魚は他に滅多にない。 日本海側に行くと、同じ魚を「ノドグロ」という。確かに、口の中、のどの辺りが黒い。呼び方が悪いよな。その名前じゃ、幻滅だ。 いつも和彦さんに頂く赤ムツはご覧の通りに大きく、脂も乗っていて、味わいが上品で、しかも濃く、肉質はしっとりとしてきめ細やか。これを食べたら、鯛の塩焼きなんか馬鹿馬鹿しくて食べられない。 11日のアジアカップ、対インド戦で、オーストラリアは4-0で勝ったが、今、オーストラリアは洪水に見舞われて、大変で、サッカーの勝利を祝う雰囲気ではない。 年末からずっと大雨が続いている。 過去10年間、干ばつ続きで困っていたところ、去年の11くらいまでいい具合に雨が降って、久しぶりの豊作かと喜んでいたら、突然の大雨で大洪水に襲われて、収穫寸前の農作物が全滅した地域も多い。 洪水で水に覆われた面積が、オーストラリア全土でドイツとフランス両国を合わせた面積より大きいと言うのだから、その規模を察して下さい。 クリスマスに洪水に襲われて大被害を受けたクィーンズランド州が、またこの数日、大雨が続いて、トゥウーンバという町は、「陸地で起きた津波」と表現されるようなすさまじい洪水に襲われて、今まで判明しているだけで十人の死者が出ており、行方不明の人は90人に達する。 30分間に100ミリの雨が降ったと言うから、恐ろしい。 クィーンズランド州の州都ブリスベーンも川の水位が上がって洪水の危機に瀕している。 12日の朝になっても、ブリスベーン付近の状況は悪化している。 道はずたずた、4000以上の店舗工場が水に浸かり、20万戸以上で停電している。 テレビで見る画像がすさまじい。 自動車が数台、水に流されて行く。 電信柱に引っかかって止まった車の中から人を助け出すのに救助隊が必死の活動をする。 水が引いた後は、車が裏返っていたり、七台も八台も折り重なっていたり、地下の駐車場にまだ水がたまっていて、駐車していた車が水に押し出されてきて入り口で突っかかっていたり、家が破壊されていたり、何ともはや言いようのない惨状だ。 家の破壊はまるで、爆撃にでも遭ったかのようで、見なければ信じることができない光景だ。 水が引いたと言っても、川の水位はいまだに洪水寸前であり、一雨来ればどうなるか分からない。 50過ぎで、知的でしっかりした感じの男が、テレビのリポーターに「昨日のようすはどうでしたか」と尋ねられて、「いや、」とか何とか口篭もっていて、その内に、目から涙があふれ出した。 大の男が、涙を流すほどの無残な状況なのだ。 水の力という物は恐ろしい物だ。 どうも、今年も、大変な年になりそうだ。 なんて、余りおめでたくない新年のご挨拶になってしまった。 あ、大事な事を言い忘れていた。 懸案の「福沢諭吉」の本の執筆に取りかかりました。 3月か4月出版を目ざします。 福沢諭吉については、日本人はみんな名前と顔は良く知っている(当たり前だな。一万円札の顔だもの)。 「天は人の上に人をつくらず」と言う言葉も良く知っている。 (本当は「天は人の上に人をつくらず、といえり」と、本人は書いているのに、世間の人は、最後の「いえり」を無視して、その前の文章だけを憶えている。「いえり」がつかなければ、「天は人の上に人をつくらず」という言葉は、福沢諭吉の言葉として認められるが、「と言われている、と誰かが言った」というような意味の、「いえり」がつくと、それは、福沢諭吉の考えではなく、「誰かさんがこんなことを言っていた」と言う、ただの伝聞を書いただけの話になってきて、「天は人の上に人をつくらず」は福沢諭吉の言葉でもなく、福沢諭吉の思想にも関係がないことになる。 これは、実に大きな意味を持つことであって、みんなが、福沢諭吉を尊敬するのは、この言葉が福沢諭吉の言葉で、福沢諭吉の思想を表していると、誤解しているからだ。) ところが、実際に、福沢諭吉の本を読んだことのある人は、極めて少ない。 慶應義塾出身者に聞いても、90パーセント以上は、何も読んでいない。 その実像を知らずに、虚像だけで、日本人は、福沢諭吉を偉人扱いにしている。 福沢諭吉の書いた物を読むと、虚像だけしか知らなかった人達は、みんな仰天するだろう。 有名な「学問のすすめ」で、「学問をすれば、貧乏人でも豊かになれる」というようなことを書いておきながら、後になると「一番怖いのは貧しいのに学問のある人間だ(色々学んで真実を知ると政府に反抗するから)。 貧乏人には学問をさせるな」といっているのだ。 福沢諭吉は自分の発行している新聞「時事新報」などで、当時の、朝鮮、清(今の中国)の侵略を徹底的に煽り立て、日清戦争の結果、台湾を獲得すると、今度は「台湾が欲しいのは、その豊かな土地だけ。その上の人間はいらない。日本の支配に抵抗する者は皆殺しにしろ」とまで、主張する有様。 福沢諭吉は、日本が西洋文化を輸入したことで、文明国として日本の方が朝鮮、清より進んでいるとして、途方もなく滑稽な優越感を抱き(従って、同時に西洋には劣等感を抱く)、浅ましいまでに下品な言葉を使って、朝鮮、清、の人間を非文明人、と嘲罵する。 朝鮮、清、台湾の人々に対して福沢諭吉の投げつけた侮蔑の言葉は、読むだけで恥ずかしく悲しく、胸が苦しくなる。 日本がアジア各国を侵略できたのは、その根本に、アジアに対する蔑視観があったからだ。 そのアジアに対する蔑視観を日本人に植え付け、アジア侵略を説いたのは福沢諭吉なのだ。 日清戦争に日本が勝利した後、福沢諭吉は大満足して死ぬが、その後の日本は、福沢諭吉が主張していた通りに対アジア侵略を推し進めて行った。 1945年の日本の敗戦による壊滅は、福沢諭吉が叩き込んだアジア蔑視感を土台にして、福沢諭吉があらかじめ引いたアジア侵略路線を日本が突っ走ったからだ。 と言うような、非常に、不愉快で、日本人の感情を逆撫でにする内容になってしまうが、真実は真実なのだから、仕方がない。 ご期待下さい。 読者諸姉諸兄にとっても、私にとっても、今年は良い年にしましょうね。
- 2010/12/31 - 来年こそ良い年でありますように 2010年も、終わろうとしている。 読者諸姉諸兄におかれましては、どんな年でしたか。 私にとっては、厳しい一年でした。 企んだことが、何もかも上手く行かず、気の滅入ることばかり、気がついたら今年も終わっていた。 しかし、私は、負けるのが大嫌いな人間なので、今年は、沈潜と勉強の年であったと総括することにします。 これだけは、まっすぐに顔を上げて言えるが、沢山勉強しました。沢山、新しい活動のための仕込みをした。勿論、本も沢山読んだ。 その勉強と、仕込みが、来年上手く爆発出来ることを願うのみだ。 最近、このブログの更新が頻繁ではないのは怠けているからではない。 勉強と、仕込みのために、一日中自分を追い込んでいるので、仲々このページにたどり着けないのが実状なのだ。 世の中のことは、考えれば考えるほど気が滅入るので、なるべく考えないようにしているが、結局色々な世の動きが、私自身に直接影響を与えることになるので、黙ってはいられない、と言うところがある。 これからも、四辺に目配りを絶やさず、気がついたことはここで発言して行きたいと思っている。 漫画家はマンガだけ書いていろ、余計なことを言うな、と言うご意見もあろうが、漫画家というのは、私の人格の一部でしかない。 本当なら、漫画だけに没頭していたいのだが、漫画を書くのとは別の自分の内部の人格が、漫画を書くだけでは満足出来ず、いろいろと言いたくなるのである。 このブログを読むと、その内容が不愉快なので、折角の漫画の読者が雁屋哲をいやになって離れてしまう、と言う意見も聞く。 そう言う意見の人が出て、そう言う雁屋哲嫌いの傾向が強まるのも、仕方がないことだ。 私は自分自身を偽れないし、「美味しんぼ」のなかでも、かなり物議を醸した内容の物がある。 しかし、漫画が売れなくなったら、大変に困る。 それは、経済的な面だけでなく、読者の支持を失なう、という本質的な点で本当に困るのだ。 私は純文学者ではない。売れなくても構わない、という純粋な立場を取らない。 できるだけ多くの読者に読んで頂いて、私の意見に巻込みたい。 そう、思っている。 それなら、読者に対してもっと耳触りの良い話しをしたらどうなんだと言う意見にも従いがたい。 私は、私という、これだけの人間であって、それ以上の人間にはなれない。 だから、「美味しんぼ」でも、このブログでも、自分の思ったとおりのことを、様々な摩擦を受けながら書いてきた。 それが、2011年になったら、突然大人しくなった、と言う訳には行かない。 2011年は、これまで押さえていた事もまで全て爆発させるような内容の日記にしたいと思う。 ああ、これで私の書く漫画は売れなくなるだろうな。 でも、仕方がないんだ。 人間なんて、20歳で決まりますね。 それ以降は、どんなに頑張ったって、自身の変更は不可能です。 どんどん、カメレオンみたいに変わる人間はいますが、それは、元々自分自身という物を持っていなかった人なので、議論の対象になりません。 そして恐ろしいことに、議論の対象にならない人間が、今の世界、大手を振って生きているのですよ。 ああつまらん。 年の終わりに、下らないことを書いてしまった。 その、お詫びとして、読者諸姉諸兄の全てを祝福し、読者諸姉諸兄全てに幸運もたらす健康上の秘技をお教えします。 ベッド、あるいは布団の上に平らに寝る。 両手両脚を大の字に開く。 精神を、落ち着けるために、二三度深呼吸をする。 それから、本当の呼吸に入る。 まず、腹を思い切りふくらませて、鼻から空気を吸い込む。口は閉じていなければならない。(いわゆる腹式呼吸です) 腹がふくらみ切れないまでになったら、胸に空気の吸い込みを移す。 胸の両方の上端の、いわゆる肺尖と言う、肺の一番の突端まで空気を吸い込む。 次に、吸い込んだ空気ははき出さなければならない。その時には、唇を細くすぼめ、口笛を吹くような感じでじょじょに吐きだしていく。 決して急いではならない。ゆっくり、体の許す範囲でゆっくり吐き出す。 ここで重要なのは、体中の空気を全て吐き出すと言うことである。 肺を絞り、体中を丸め、本当に苦しいまでにして、体内の空気を全てはき出す。 身をよじって、最後の最後まで自分の体に残っている空気をはき出す。 これは、苦しい作業である。でも、これが重要なのだ。 そして、2)に戻る。 2)から4)までを,朝起きたら、寝床の上ですぐに行う。 できたら20回繰返す。 その際に大事なのは、両手両脚の力を完全に抜いて、大の字に広げることである。 同時に、上の運動をしている時に、「ああ、気が入って行く、自分の体に気が入って行く」と念じるのも効果的である。 感の強い人には、両手両脚の指先に、不思議な、ぴりぴりした感じが走ることもある。 私の場合は、常に感じる。指先まで、何かしびれるような、すっきりしたような気合いが通るのだ。大変に気持ちがよい。 その呼吸法を行うと、実に体調がよい。精神にも良い。 これは、親愛なる読者諸姉諸兄にしかお教えしない秘技である。 読者諸姉諸兄におかれては必ず実行して下さい。 「気」とはなにか、このことについてはまた別の機会に話そう。 人は「気」よって生きる。 これはまだ、科学的に解明出来ていないが事実として実証的には認められている。 私は以上の呼吸法勧めることで、これを、読者諸姉諸兄にたいする今年のお礼の代わりとしたい。 2011年が、読者諸姉諸兄にとって素晴らしい年であることをお祈りします。
- 2010/12/15 - シドニーは初夏です 三ヶ月ぶりにシドニーに戻ってきた。 (どうも、この「戻って来た」と言う、言い方が気になる。秋谷に帰る時にも「戻る」と言う。おかしな二重生活はそろそろやめにするべき時に来たようだ) シドニーは本当に美しい町だ。 シドニーに戻る度に、どうして、日本は、特に東京は、その町並みを美しく作れなかったのか、それを、本当に残念に思う。 例えばドイツやボーランドだ。日本と同じ戦災で町を破壊されながら、昔どおりの町並みを復元した。 おかげで、日本人の間にドイツを巡る「メルヘン街道」などのツアーが盛んである。ポーランドのワルシャワでは空襲の後再現された昔の町の美しさに酔う事も出来る。 昔の自分たち祖先の生きていたまんまの姿を見せてそれで観光客を呼び寄せる。 日本では、それは無理だ。 京都だって、美しいところがあるのは、地図で見ると、点でしかない。 一つの点、例えば銀閣寺は美しい。しかし、その周りの市街はどうだ。 とても、目の肥えた外国の観光客が満足出来る物ではない。 京都は実に汚らしい町である。その中に、点、点と、美しいところがある。 点と点とを結んで歩く間に、周りを見ないですめばよい。 しかし、そうは行かない。観光名所の間に存在する京都の町並みの醜さと来たら、これは世界中に特筆すべき物である。 銀閣寺から、苔寺に至るまでの道筋の町並みの無残なこと。 とても、外国の観光客に見て貰いたくない。 ところが、驚いたことに、江戸時代の版画を見ると、江戸でも、京都でも、その町並みが非常に美しい。 それは、考えてみれば、昔の建物は全て木造だったからだ。 東京は、関東大震災と第二次大戦のアメリカによる無差別残酷空襲によって町並みを破壊され、その日その日の生活に追われる人々の要求によって、今すぐ住める家を建てなければならず、美しい町並みを再び作り直すことは出来なかった。 四十年近く前、私が、劇画の原作を始めて、ある程度の収入が入るようになってから、日本の文化の原点である京都を知らなければならないと思って、レンタカーを借りて、当時運転免許証を持っていなかった私の代わりに、連れ合いに運転して貰って、京都の地図が全て頭に入るくらいに回った。 その時期には、京都の町並みも美しさを保っていたところが多かった。 それから、十数年経つうちに、京都の姿がひどい物に変わってしまった。 1957年に亡くなってしまったが 小林古径という日本画家がいた。 彼の描いた、京都の、「御池通り」の絵は、御池通りの町並みの屋根だけを連ねて描いた物だが、日本建築の美が作り出す美しい光景を描いた類のない素晴らしい絵だった。その本当に日本的な美しさは、「御池通り」から完全に失われてしまった。 今の「御池通り」は小林古径には見せたくない醜い物である。 (ああ、人は早く死ぬべきである。あるいは、早く死んだ人は幸せである) こんな個人的な感慨を文章にしている時に、日本滞在中にシドニーに届けられてたまっていた雑誌の中から、12月6日付けのTIME誌を発見した。 その最後のページの、Joel Steinのコラムが興味深かった。 日本で、コラムというと、1ページの中の、数行だが、TIME誌でコラムというと1ページ丸ごとである。 この、コラムの中で、Steinが言っていることで興味深かったのは、「今や、ジャーナリズムは、個人に乗っ取られた」と言うことだ。 Steinは色々な人の発言を引用している。 Steinの言うところでは、1997年に、TIME誌にコラムを書くようになってから、この業界から手ひどく非難された。 その理由は、Steinに言わせれば、彼があまりに自分自身のことをコラムの中に書いたからだそうだ。 2000年のニューヨーク・タイムズではSteinのコラムについて、 「彼は、三つの話題だけに焦点を絞っている。それは、彼自身、彼の生活、そして、彼自身の私的な問題に関わる深い考察である」 と書かれていたそうだ。 要するに、Steinは自分自身にしか興味のない人間とされたのである。 Steinはそれから13年経って、今になって、自分は勝ったと思うという。 それは、現在の、インターネットのブログやFacebookやツィートなどを見てみろ。みんな、自分の個人的な話ばかりしているではないか、と言うのが理由である。 同時に、Steinは注意深く、心理学者ジーン・トゥインジ(Jean Twenge)の「Narcissism Epidemic(ナルシシズムという流行病)」と言う本の中のトゥインジの言葉を引いている。(Steinがトゥインジを好きなのは、彼女がSteinを例に取り上げいるからだという) トゥインジは言う、 「我々は個人主義の時代を生きている」 「人々は、自分自身のイメージとブランドを作らなければならないと思われている。そんなことは10年前まで聞いたこともない事だった」 「人々が自分に期待するように振る舞うのか、それとも、『自分自身そのままである』のか、という葛藤があったが、結局『自分自身そのままであればいい』という考え方が勝ちを収めた」 「一般的に、『他の人が貴方のことをどう思うおうと気にすることはない』と十代の人々に、説かれている」 「しかし、他の人が自分のことを気にかけない世界とは、それはどんな世界なんだろう」 さらに、Steinはかつて自分のことを非常に嫌ったコラムニストについて書いているが、彼の言葉も引用している。 「物書きたちは、自分の内部のことばかり書いて、外の世界のことを書くことを永久に抛棄してしまっている」 たしかに、Steinの書くコラムの内容は、自分自身の目から見た世界、世界に対する自分自身の個人的反応、そういう物である。 Steinは自分自身のことをコラムで書く。 従って、読者は、Steinの家族のことも、彼の私的なことまでも知ることになる。それはうんざりだという読者もいる。(私の読者みたいだ) Steinは最初にTIMEという雑誌の題名を考えろ、という。 その中に、「I 」と「ME」があるではないか。 「I=私」、「ME=me=ミー」、だから、Steinが自分自身の立場から書くのは当然だという訳だ。 Steinは鋭敏な感性を持ったコラムニストである。 彼の書くコラムは、常に時代に対する批判がこめられている。 それも、政治評論家のように、第三者的に,大所高所の見地から言うのではなく、個人的にそのような政治的局面に対してどう反応するか、を書いている。 私はSteinの熱心な読者ではないが、TIMEを読んでいて、時々、彼のたっぷりの毒とユーモアを含んだコラムを面白いと思っている。 ここでも、彼は、非常に刺激的なことを書いている。 他人の言葉を引用してのことであるが、 「他の人が自分のことを気にかけない世界とは、それはどんな世界なんだろう」 「物書きたちは、自分の内面のことばかり書いて、外の世界のことを書くことを永久に抛棄してしまっている」 という、二つの言葉は、非常に重い。 特に、彼が挙げているように、インターネットの世界での文章は「おれが、おれが」という自己主張中心主義に完全に偏っている。 ただ、私は、この二つの弊害は、インターネットの匿名性による物だと思う。 インターネットでの発言は、極めて限られた人々以外、匿名で行われている。 匿名での発言については、 政治的に言論の自由が認められていない場合、自分の意見を言う。 政府や大企業などの組織に属した人間が内部告発を行う。 そう言う場合に、発言者の身の安全を守る、と言う点では評価出来る。 しかし、最近のインターネットでの発言を見ると、そのような身を守るという正当防衛的な物は少なく、自分の身を隠して、自分自身は全く安全な立場に身を置いてそこから他人を攻撃・揶揄するという、悪質な物が少なくないように私には思われる。 そのような浅ましい行為をジャーナリズムとはとても呼べないが、しかし、一定程度以上、世論の形成に力があるのは事実である。 日本以上にインターネットが生活に深く食込んでいる韓国では、インターネット上の誹謗を苦に病んで自殺した芸能人の例が最近数件報告されている。 Steinはこのような弊害をきちんと見た上で、「自分を中心にして語る言論」を続けている自分たち一派が勝ったと言っているのかどうかは分からない。 (Steinはgloatと言う言葉を使っている。gloatとは「満足して、いい気味だと、ほくほくしている」と言う意味である。単に、「勝った」と言うだけではない) しかし、Steinは「何か物事を語る時に、その中に必ず自分についてのことを語る」という行き方を正しいと思っているようである。 Steinの提議した問題は、わずか1ページの彼のコラムではとても論じ尽くせない、深くて、深刻な問題だと思う。 こうして、自分自身、ブログを公表している者にとっては、非常に深刻な問題である。 だが、私自身、自分の身元をはっきりさせて発言しているのだし、この世界で起きたことを論じる場合に、それが自分にとってどんな影響を与えるか、それを考えての上での発言だし、また、私の言うことが他の人にはどう捉えられるか、腹をくくっているので、「自分の内部のことばかり語っている、ナルシシズムという流行病に捉えられている」とは思わない。 私は、これまでのSteinの行き方は正しいと思う。 どんなことであれ、第三者的に遠くから無関係な者の視線で見るのではなく、自分の問題として引きつけてみることが大事だが、そうすると必然的に自分を語ることになる。 自分を語らずして、事象だけを語ることは、過去の歴史を語るについても許されることではない。 自分自身、旗幟鮮明にしなければ、過去も語れない。 過去は現在に繋がるし、で有れば、未来を見渡す自分の現在の立場につながる。自分自身を語らないと未来も語れないのである。 Steinの今度のコラムの記事は、何か発言しようとする人間にとって非常に意味の深い物だと思う。 私は、Steinの今度のコラムを、読んで、以下のような教訓を得たと思う。 安易に、自己愛に満ちた言論を吐くな。 自分自身のことばかり言うな。自分は外部と密接な繋がりがあることを忘れるな。 全てのことを、自分自身の身に引きつけて考えて、自分自身を巻込んで、言論にせよ。(純粋な第三者的な立場という物はない。) そんなわけで、これからも、このページでは、私の感性にまかせて勝手なことを書きますのでよろしくお願いします。 (Steinさん、だしにしてご免よ)
- 2010/12/04 - 桂歌丸独演会 12月3日、横浜関内ホールで開かれた、桂歌丸独演会に、連れ合い、友人たちと聞きに行った。 「美味しんぼ」の取材でいつも協力してくれている安井敏雄カメラマンが席を取ってくれたのだ。取材の記録係を務めてくれている安井洋子さんも参加した。 桂歌丸は大変な人気で、安井カメラマンが全部で七枚のチケットをとるのに非常に苦労させてしまった。 しかし、以前にも書いたが、桂歌丸は本当に良い落語家になった。 芸の奥行きが深くなり、落語本来の味わいをたっぷり味わわせてくれた。 桂歌丸の落語も見事で楽しかったが、桂歌丸が横浜生まれで、生まれてから横浜から動いたことがないという純粋の浜っこなので、横浜の観客も、桂歌丸に特別の愛情を懐いているようで、千人以上の観客が全員桂歌丸後援会の会員ではないかと思うほど、桂歌丸にたいする暖かい気持ちが場内を満たしていて、それがとても気持ちが良かった。 それにしても、落語というのはすごい芸だ。 たった一人で、道具も、音楽も使わず、舌先三寸で千人以上の人々の心をつかみ、自由に操るのだ。 世界中にこれほどの芸があるだろうか。 桂歌丸は今日は気合いが入っていて、落語の中でもよほどの腕っこきでなければ演じない「鰍沢」を最後にたっぷりと熱演した。 落語とはいえない、陰惨な話なのだが、全然嫌みを感じさせずに話しきったのが桂歌丸の手柄だと思う。 鰍沢の前に、三遊亭遊雀が場内を笑いに包んだ。 私は、三遊亭遊雀は今日初めて聞いた落語家だが、中々腕のある将来が楽しみな落語家だと思った。 今日の演目は、話の筋は何も無い、ただの夫婦げんかを大家が仲裁に入る。その際の夫婦の言い分を、夫婦がそれぞれの立場から言う、ただそれだけのものなのだが、夫婦の言い分のおもしろさを、まるで隙もたるみもなく、勢い良くたたみかけて、場内に笑いを爆発させる話術は大したものだ。 これから、追いかけてみたい落語家だ。 落語を聞く前に腹ごしらえをするために、伊勢佐木町の入り口で入った天ぷら屋「とらや(登良屋)」が当たった。 古い建物で、天婦羅のあぶらの匂いが外にまでするので心配したし、中に入ったら、天婦羅だけでなく魚も食べさせるという。 ふつう、天婦羅だけでなく他の料理も食べさせる店と言うのは、どっちつかずで外れることが多いのだが、ここは違った。 刺身が何種類か有るが、シマアジとかぶりなんか、養殖物だろう、などと言ったら、女店員が、「とんでもない、家は天然物しかあつかわない」というので、それを信じて、メジマグロ、シマアジ、イカの刺身を注文したが、実にびっくり仰天。 秋谷に住んでいる私が、これはすごいと感心するメジマグロ、養殖物では味わえない良い香りのするシマアジ、それも分厚く大振りにたっぷりと切ってあって、本わさびがどっさりついてくる。 しかも、ツマの大根の千切りも、この店でかつらむきから作るので美味しい。のりで巻いて食べてくれと言う。 いや、刺身のツマの大根をのりで巻いて食べることの出来る店なんてそんなにないぞ。 じつに、この刺身に感心した。 天ぷらは、お徳用のコース一人前ずつに、それぞれ巻エビを追加した。 こくのある揚げ方だが、標準を超えている。 酒は駄目だ。何の酒だか分からない、燗酒しかない。 それなら焼酎か何かにした方が良かったのかもしれない。 しかし、驚いたのは、その料金だ。天ぷらを五人前、刺身を三種類、ビール中瓶二本、お酒三本、焼き海苔人数分、ご飯、味噌汁(うれしいことに、煮干しのだしだった)、香の物。 これで、なんと二万円でお釣りが来た。 落語を聞く前にちょっと小腹を満たして行こうなんて時には最高だ。 実にうれしい店だった。 今日は、食べ物も楽しかったし、仲の良い友人たちと楽しい落語をたっぷり味わって最高の夜だった。 毎日こうありたいものだなあ。
- 2010/12/03 - しっこし(尻腰)のない国はごめんだ またまたご無沙汰してしまった。 心身共に、絶不調のところに、社交が重なって余計に疲れてしまった。 11月26日には、2004年に亡くなった友人の家に、仲間たちが集まった。 亡くなったその友人がかつてよく行っていたと言う焼き肉屋で、亡き友人の夫人、私達四人の仲間それに私の連れ合いで亡き友人の分まで、大いに飲み食いした。 その際に、私は嫌だ嫌だと言うのに中の一人が強引に、韓国の焼酎を注文した。韓国料理は大変美味しいのに、どうして韓国の酒は美味しい物がないのだろうか。韓国の焼酎は醸造用アルコールで造った、日本で言えば甲種の焼酎で、今日本で人気のある芋焼酎、麦焼酎など、本物の焼酎の味を知っていると飲めたものではない。 しかも、その醸造用アルコールで造った焼酎を飲むと、私の場合ひどく応える。 それなのに、飲み始めると収まりがつかなくなるのが私の悪いところで、しこたま飲んだ後で、亡くなった友人の家に戻り、彼の遺影の前で、ワイン、沖縄の島酒(これは、醸造用アルコールなど一切使っていない本物の蒸留酒)をまた飲んでしまった。 そして、それ以後の一切の記憶がない。 翌日はひどい二日酔で、午後三時過ぎまで起きられなかった。 しかも、何故か膝が痛い。 連れ合いが、私を慰めると言うより、射すくめるような目つきで私を見て「膝は大丈夫?」と尋ねる。 「どう言う訳か、左の膝が痛いんだよ」というと、連れ合いはおどろいて、「昨日の夜、転んだのを憶えていないの!」という。 全然憶えていない。 連れ合いの言うところでは、私は、お茶の入ったマグカップを持って寝室に入ってくると、そこで転んで、大変な大騒ぎになったのだという。 そんなこと全然憶えていない、と言うと、連れ合いは、次々に、前の晩のことを言う。 何一つ憶えていない。 こう言う時の連れ合いの目つきは、実に、意地が悪い。 刑事か、検事か、特高か、と言うような目つきで見て、いたぶるように次々に私の酔態を私に語って聞かせる。 二日酔で苦しんでいる私に、私の酔態愚行の数々を言い立てるのである。 何と言う血も涙もない無情な仕打ちであろうか。 しかし、私が悪いのだから反論も出来ない。第一、反論しようにも記憶がないのだから、ぐうの音も出ない。 がっかりしたのは、転んだ時に、お気に入りのマグカップにひびを入らせてしまったことだ。把っ手の上部にわずかにひびが入っただけなので使うのに問題ないのだが、そのひびを見る度に、自分の愚かな酔態を突きつけられるような気がして、泣く泣くそのマグカップは廃棄処分にした。 11月は禁酒月間のはずだったのに、社交が続いて禁を破る事が重なった。 これでは、禁酒は12月末まで延ばさなければならない。 まあ、そんなこともありまして、このページの更新が滞りました。 みっともないことでございます。 でも、仕事の方も忙しくて、来年発行予定の「福沢諭吉」についての本を書くために、東大の資料センター付属の「明治新聞雑誌文庫」まで出かけていって、福沢諭吉の発行していた新聞「時事新報」の復刻版を丁寧に読んで、コピーを取ったりもしているのだ。 東大構内は、この季節、銀杏の実が歩道に散乱していて、それを人が踏むものだからすさまじい匂いで包まれている。 私が、コピーを取って、資料センターの外に出ると、買い物ついでに、私を送り迎えしてくれた、姉と連れ合いが、銀杏を拾っている。 それはいいのだが、帰りの車の中に銀杏の匂いが充満して、秋谷に帰り着くまでその匂いに苦しめられた。 このページの更新が滞った原因の一つは、あまりに最近の世相のひどさが、余計に私の鬱を昂進させるからである。 本当に嫌なことばかり。 新聞を読んだり、テレビのニュースを見るのが本当に嫌になる。 テレビは、「釣りビジョン」というチャンネルに限りますな。 私は脚にハンディキャップがあるから、出来る釣りが限られているが、釣りが大好きなので、見ていると本当に心安らぐ。 しかし、驚くのが、釣りの用具と技術の進歩のすさまじさだ。 何がすごいって、釣り竿から、釣糸、リール、などの釣り具の恐るべき進歩。さらには見たこともない偽餌類の数の多さ。 何が何でも釣ってやると言う気合いというか、何事でも夢中になると徹底しないと気が済まない日本人の国民性がこんなところにも表れていると、感じた。 大学院大学の小松教授にお話を伺ったときに、「遊漁による、漁獲量が馬鹿にならない」と仰言っていたが、「釣りビジョン」を見ていると、「こんなに釣ることもないだろうに」と思うときがある。 本音は、「俺にも釣らせてくれーっ!」というところである。 しかし、世の中は「釣りビジョン」だけを見ているわけにも行かないところがある。 金正日氏が韓国の、延坪島(ヨンビョンド)〈日本ではヨンビョン島と言っているが、韓国・朝鮮では島は(ド)と読むようなので、現地言葉に合わせる、日本だって「富士山」のことを「ふじやま」などと言われると不愉快だものね〉を砲撃したのにも、怒りを覚えた。 金正日氏は何故、この時期に、無意味で残虐な砲撃などしたのか。 11月28日からの韓米合同演習にたいする、北朝鮮の対抗意識を表明し、金正雲氏に権威を与える為に行われたものだという説が今のところ有力だ。 北朝鮮の新聞によると、金正雲氏は砲撃の天才で、今度の延坪島(ヨンビョンド)砲撃も韓国の挑発に対抗するもので、金正雲氏は砲撃術も極めているのだそうである。 あの、ぽっちゃりとした、少年の面影を残している青年が砲撃の天才と言われても俄には信じがたいが、本人がそう言うなら、それを否定する材料はこちらにはない。 しかし、だからどうした、と言うのだ。 金正日氏はそれ以前にアメリカの学者に、ウラン濃縮の遠心分離機を多数見せて、北朝鮮が核兵器に使用可能な濃縮ウランを作っていると言った。 見せられたアメリカの学者は、アメリカに帰って、「北朝鮮は核兵器を更に増産する準備を整えている」と言って、いまにも北朝鮮が何発もの核兵器を作り出すかのように言った。 真剣におびえた表情で言ったが、あのアメリカ人の学者は本気でそんなことを言ったのかしら。 私は疑い深いから、金正日氏がその濃縮ウラン作成の工程を見せたことでかえって怪しいと思った。 あの遠心分離機は、本当に動いているのか、それも毎日きちんと動かせるだけの電力が北朝鮮にあるのか。あのアメリカ人の学者が来た時だけ動かして見せたのではないか。 そもそも遠心分離機の中にちゃんとウランが入っているのか。 ウラン濃縮工場を見せる。 延坪島(ヨンビョンド)を砲撃する。 この二つで、 北朝鮮は核武装を増強する。 北朝鮮にはいつでも戦う用意がある ことを見せつけて、さあ、どうする、と韓国・アメリカを脅迫する。 脅迫して北朝鮮に有利な条件を引き出そうとする。 これは、金正日氏のいつもの手ではないか。 それも、今度は今までに比べて大分、手札が弱い。 以前は、核兵器の実験をして見せた。(成功、不成功を問わず) ミサイルの実験もした(成功・不成功を問わず) それに比べると、今回は核兵器を作る初期段階の遠心分離機を見せただけ。 ミサイルではなく、砲撃をして見せただけ。(実際に韓国人の兵士、民間人に犠牲者を出したのは、ただ砲撃するだけでは弱い思ったからだろう。) 遠心分離機と砲撃では、核爆発の実験とミサイルに比べて脅迫の道具としては、大分弱くなった、北朝鮮が持っている脅迫手段はこれだけしかないことを見せつけてしまった。 金正日氏は、今回のことで、反って北朝鮮が如何に無力なのかはっきりさせてしまった。 逆効果だったな。 しかし、これで、金正日氏には十分なのかもしれない。 実際に、北朝鮮は韓国と戦争を始めたら、一般には一月も持たないと言われているが、私は、一週間が関の山だろう、と思う。 戦争をすれば、確実に金正日氏は殺される。殺されるだけではなく、将軍様としてあがめられている今の虚名が全て失われる。名誉も何も汚泥の中にたたき込まれる。 それだけでなく、自分の親族たちも、無事でいることは不可能だろう。 金正日氏の一番いやがることだ。 だから、金正日氏は絶対に戦争は出来ない。 彼に出来ることは、今度のような脅迫だけだ。 その脅迫も、もう手詰まりになった。 金正日氏は戦々恐々としている。 何とか生き延びたい。 自分が死んだ後も、自分が、あがめられ続けられるように、権力を自分の息子に譲って、この体制を続けられるようにしたい。 金正日氏の願っているのはただそれだけである。 実に卑小な人間ではないか。 彼の目には、北朝鮮の人民がどんなに悲惨な生活をしているか見えない。 見る気がない。 Wikileaksがアメリカの秘密報告書の中で「北朝鮮は二、三年で崩壊する」と報告していることを暴露したが、アメリカだけでなく世界中がそう思っているのではないか。 金正日氏のあの顔つき体つきからして、やっと生きながらえているとしか思えない。 アメリカが「北朝鮮は二、三年で崩壊する」と踏んだのは、金正日氏が二、三年で亡くなると計算しているからだろう。 金正日氏が亡くなった後、金日成氏、金正日氏の場合のように金正雲氏にすんなり権力が移譲できるはずがない。 金正日氏が権力を引き継ぐまでには、金日成氏が健在である十分な時間があった。 金日成氏が健在な時に、すでに金正日氏はラングーン事件、など独自の強硬路線を開始していた。 金正雲氏には、金正日氏のような時間がない。 しかも、金正日氏は最後の最後まで権力は自分が握ったまま譲らないから、たとえ、金正雲氏を後継者として決めたとして、金正日氏が亡くなったときに、金正雲氏は何も実際の権力を譲られていないことになる。 金正日氏のやりかたは矛盾している。 金正雲氏に世襲したいのだが、権力は譲らない。 死ぬまで権力を譲らないだろう。それでは、三代世襲が成功するわけがない ともあれ、金正日氏は、三世代世襲を狙って、金正雲氏に箔をつけさせるために、今回の無謀・残虐な脅迫行為を行った。 (今までの脅迫行為でも、何一つ譲らなかったアメリカが、前回より格段に威力の小さい脅迫行為で何かを譲歩するとは、金正日氏だって、考えなかっただろう。 彼の頭の中にあったのは、金正雲氏に箔をつけること、それだけだっただろう) だから、今回の延坪島(ヨンビョンド)砲撃は、北朝鮮の前向きの攻撃姿勢を示すものではなく、内向きの退嬰的なものでしかない。 今回の砲撃で、私は、北朝鮮はせいぜいこんなことしかできないのだと、はっきりと理解した。 今回の砲撃は、北朝鮮はこれ以上のことは出来ない、と言う無力宣言である。 ところが、驚いたことに、菅首相は、この砲撃を機に、日本の朝鮮高校の無償化を考え直すと言い出した。とりもなおさず、有償にすると言うのだ。 日本の他の高校と差別するというのだ。 実に情けない。 こんな事をしても金正日氏には何の痛みも与えない。 政治的影響も与えない。政治的に無意味な行動である。 何のためにこんな事をするのか。 最近日本では、日本人の一番嫌な汚い部分を煮詰めて固めたような、排外主義をあおる市民団体と称する愚民団体が跋扈している。 菅首相は、その排外主義的愚民団体に追従するつもりなのか。 確かに朝鮮総連の中には、金正日氏の配下もいるだろう。 教科書の中に日本が過去に朝鮮に対して行ったことを記述しているところもあるだろう。 しかし、その点については、つい最近朝鮮高校も無償化すると言うときに議論されているはずだ。 議論の結果、その点は問題にせず朝鮮高校も無償化する決めたはずだ。 それを、延坪島(ヨンビョンド)砲撃を理由に無償化を考え直すと言い出すとは、それでは金正日氏と同列に並ぶことになる。 金正日氏の卑小さに、自分を合わせようというのか。 同じ卑小なことをしようと言うのか。 誇りを持ってくれ。 日本には、「しっこし(尻腰)のない奴だ」言う言葉がある。 ちょっしたことに怯えて、うろたえて、自分の信念を放棄して態度をころころ変える人間を、あざけって言う言葉だ。 本当に、菅首相の、今回の態度は「しっこしがない奴」とあざけられて当然だ。 菅首相は、誇りを持って、こう言うべきだ。 「金正日さんよ、あんた、そんなことしたって、わしらびくともしないぜ。 わしら日本は、個人の自由と人権を守る民主主義の国なんだ。 信教の自由、思想の自由、個人の人権はきちんと守る。 朝鮮高校の生徒たちが、たとえあんたの思想を吹き込まれていようと、それは思想の自由。日本人の中にも、あんたの思想にかぶれているものがいるが、それは個人の思想の自由だから、批判はされてもそれで国から実害を受けることはない。 朝鮮高校の生徒たちが、共和国の国籍でも、日本に住んでいるからには、日本の子供たちと平等に扱う。 ましてや、その生徒たちの親は、日本に納税している。 納税者の子供たちは、日本の子供たちと平等に扱われる権利がある。 わしら、日本は、あんたと朝鮮高校の子供たちとは別に考える。 子供たちの未来を愚かな政治家の故に台無しにするほど、わしらは遅れた国民ではない。 繰返すが、わしら日本は、信教の自由、思想の自由、個人の人権を守る民主主義の国だ。 あんたの、一度の延坪島(ヨンビョンド)に対する砲撃くらいで、わしらの主義は変わらない。」 菅首相、頼むぜ。 日本を「しっこしのない」国にしないでくれ。 ここで、金正日氏の一回の延坪島(ヨンビョンド)に対する砲撃におたおたして(日本が砲撃されたわけでもないのに)、朝鮮高校の生徒たちに非道なことをしたら、日本は世界の笑いものだぜ。 日本の誇りを保ってくれ。
- 2010/11/16 - ひゃあ、白鵬、がっかり 今日は、会社勤めの最初の第一日からお世話になった先輩「に」さんの家にお邪魔した。 横須賀、秋谷の家から出発する際に、「に」さんの家の電話番号をカーナビに入れたのが大間違い。 後で知ったことだが「に」さんは電話番号を登録していないと言う。 では、私の車のカーナビは何をしたのか。 「に」さんの家は吉祥寺だが、カーナビが「ここが目的地です」と言って連れて行ったところは三鷹市役所だった。吉祥寺とは大違い。 そこから、携帯で「に」さんに電話して「に」さんの奥方「と」さんにいちいち道順を教えていただいて、予定より大幅に遅れて、吉祥寺の「に」さん宅についた。 カーナビなんかに頼らなかったら、私は良く知っている道順なので、もっと早く着けたはずだが、今日は月曜日で環八が込む、カーナビはその混雑を回避する道中を教えてくれるだろう、と思いこんだのが大間違いだった。 「に」さんは、私のために大変な被害を被った人の一人である。 どう言う訳か、「に」さんは私が新入社員の時から、親切にしてくださって、当時の会社の出欠簿は手書きのサインだったために、私は、毎日遅刻するので、その度に、電話でお願いして、出席簿にサインしていただいていた。 出席簿にサインしていただくだけでは申し訳ないので、退勤の際に、いつも遅くまで会社に残っている「に」さんに代わって「に」さんの退勤簿に私はサインして差し上げた。 ただ、そのサインが、ちょっと問題で、「ピッチャーが、投げました。左カーブ、右カーブ、真ん中通ってストライク、応援団長がチャッチャッチャッ」と言う奴を毎日「に」さんの退勤簿に書いたのである。 ついに総務課がたまりかねて「に」さんに「『に』」くん、いい加減にし給え」と文句を言って、「に」さんははじめて自分の退勤簿に私が何を書いていたのか知って驚いたのである。 で、「に」さんは「てっちゃん、頼むから、退勤簿になにもかかないでくれ」と言った。私は不満で「ええ?そうなのお、ぼくは、『に』さんに日頃の恩返しのつもりで書いているのにー」といったら、「に」さんは、半泣きで「てっちゃん、頼むから、その恩返しとやらを止めてくれ」という。 仕方がないので、退勤簿の恩返しは止めたが、それが、何時までも私の心に負担として残って、何としても恩返しをせねばと心に誓い続けているのである。 さらに、私は会社勤めをしている際に夜遅くなると「に」さんの家に突然押しかけ泊めて貰い、翌朝、奥方の「と」さんも勤めに出、当然「に」さんも会社に行くわけだが、どう言う訳か、同じ会社に勤めている私だけが、「に」さんのアパートに居残り、「に」さんの家の冷蔵庫の中身を勝手にあさり、昼前にようやく会社にたどり着く。同僚たちは、「に」さんはいつもの通りに始業時間前に会社に着いているのに、どうして私がそんなに遅れるのか、不思議がったが、不思議がるのが間違いで、九時までに会社に来いという決まりが私の心身に適合しなかっただけである。 私は会社勤めを辞めてからも、東京で編集者たちとの打ち合わせなどで遅くなると、11時すぎに「に」さんの家に「これから行くからお願いします」と電話をかけて、勝手に押しかける。 かなり長い間、「に」さんの家は私の東京における拠点となった。 (ああ、本当に、なんと言う寛大な『に』」さん夫婦だったのだろう) 「に」さんが、ロスアンゼルス勤務になると、家族全員を引き連れてロスアンゼルスを襲い、ロンドン勤務になると夫婦でロンドを襲い、「に」さんは私からの電話が入ると、寒気がしてふるえが走るという状態が今でも続いている。 そう言うわけだから、「に」さんが、会社の常務に昇進した時に、「に」さんは、「私が、今日あるのは、てっちゃんが早めに会社を辞めてくれたおかげだよ」と私に感謝してくれた。 こう言う感謝のされ方は、喜んでいいのか、悲しんでいいのか、ちょっと困った。 しかし、今日は大収穫が有った。 連れ合いと、「に」さんご夫婦と話している間に、「に」さんが、「そうか、漫画原作者も大変だな。じゃ、これから月に6万円くらいなら上げるから」と言う言質を引き出した。 おお、月に6万円。 これだけあれば、夫婦二人で何とか暮らせる。しかも、「に」さんの家に転がり込めば、家賃もいらない、冷蔵庫の中も勝手次第である。 これで、私達夫婦の将来は安心、生きる希望が湧いてきました。 ありがたいなあ。 持つべき物は、親切な先輩ですよ。 で、帰りは渋滞もなく、順調に家に帰ってきて、ニュースを見て、ああ、大落胆。 白鵬が負けてしまっているではないか。 ああ、ああ、ああ、 私は、白鵬が双葉山の記録69連勝を破ってくれのを本当に期待していた。 多くの相撲ファンがそうだったと思う。 あの双葉山の大記録を破る力士が現れた。 それだけで、興奮するのに、もう、7日目で、それが達成できるかと思うと、わくわくしていた。 それが、負けた! ああ、神は大相撲を見捨てられたか。 ここで、白鵬が双葉山の記録を破れば、大相撲に再び多くのファンを集められたのだ。 白鵬を破った稀勢の里は私のひいきの力士である。 いつも、期待しているのに、何度も期待を裏切られてきた。 とっくに、大関横綱をねらえる逸材だと思っている。 実に辛いが、今日は、白鵬に勝って貰いたかった。 白鵬、どうした。 矢張り、重圧があったのか。 ぎゃくに、稀勢の里には、この勝利を足がかりにして、これからどんどん伸びて貰いたい。 そう有ってこそ、大相撲の人気が戻ると言う物だ。 白鵬が負けたのは本当に残念だが、稀勢の里相手だったので、まだ良かった。 稀勢の里、白鵬の記録を阻止したんだ。これからもどんどんがっばってくれよ。 白鵬も、もう一度双葉山の記録に挑戦して貰いたい。 今のところ、白鵬以外、それを達成できる力士はいない。 しかし、本当に残念だった。
- 2010/11/10 - 冷静になりましょう〈11月8日、午後に3時間半ほど、新しい日記を公開した。 しかし、内容が、誤解を招くおそれがあるので、午後4時半頃に削除した。 改めて書き直す。〉 11月1日から、今年二度目の禁酒月間に入った。(9月か10月も禁酒月間にしよう思ったが、人と会うことが多く守れなかった) 11月一杯は酒を飲まない。 ところが、11月5日に、「日本全県味巡り」の和歌山県篇の時にお世話になった、和歌山県庁の仲さんが、我が家に来られた。(仲さんには単行本103巻の「和歌山県篇」の冒頭で、活躍していただいているので、どんな人柄かお知りになりたかったら、その頁をご覧下さい) 横須賀のデパートで、和歌山県の物産展を開いていて、その関係で横須賀まで出張して来られたので、ついでに私の家によって下さった言う訳だ。 仲さんが来られたからには、酒を飲まないわけにはいかない。 そこで、5日だけ禁をといた。 仲さんは高校野球の名門和歌山智辯高校の野球部出身である。 実に、溌剌とした愉快な人格で、酒も強い。楽しくわいわいと騒いで酒を飲んだ。 その代わり、禁酒月間は、11月一杯ではなく、1日延ばして12月1日までにする。 私は意志が弱いので、週に4日飲んで3日休む、などと言うことが出来ない。 飲まないのなら、丸1ヶ月か2ヶ月飲まないと設定しないと駄目なのだ。 酒を飲まないからと言って仕事が進むわけではないが、「ああ、だらだら酒を飲んで、みっともないな」と言う自己嫌悪からは逃れることが出来る。 それにしても、禁酒月間を年に2回も作るのは問題かなあ(問題って、どう言う問題なんだろうね) ところで、先日以来、尖閣諸島での中国漁船と海上保安庁の巡視船との衝突後、引き起こされた日中の問題について色々考えてきた。 南京虐殺、全部で2000万人とも言われる中国人を殺戮したこと、731部隊の非人道的行為、その他、日本が過去に中国に侵略して犯したさまざまな犯罪的行為について、日本政府がきちんと謝罪し、被害を受けた人々に対する補償をすることが、真の日中友好関係を築くための最初の一歩である。 日本と中国は、真の友人同士にならないといけない。 そう考えて行動している日本人は、少なからずいる。 直接的な行動や、言論活動などに参加しなくとも、そのように考えている人は少なくない。 私もその一人である。 そのような考えを抱いている人達も、最近の尖閣諸島周辺海域での中国漁船と日本の海上保安庁の巡視船との衝突事件があって以来、日中友好を声高に言えなくなっているのではないか。 しかし、このような状況だからこそ、私は、周囲の声に逆らって、敢えて、中国の人々との友好を深めようと強く言いたいのだ。 中国との友好関係をきちんと築かずに、日本の過去と現在と未来もあった物ではない。 過去とは、中国から輸入した文化が今の日本文化の基礎の大きな部分を構成していると言う事実。文化の根幹である文字も中国から伝わった物だ。(もっとも、文字もそうだが、中国の文化は朝鮮を経て伝わってきた物が多いのだが) 未来とは、中国に限らないが、世界中の国と平和で豊かな関係を結ばなければ日本という国は生きて行けないという事実。 特に、隣の、朝鮮・韓国、中国とは世界中のどこの国よりも日本が一番親しい国でなければならない。 この事実を忘れて、一時の揉め事で、全てを破壊するような愚かなことをしてはならない。 中国嫌いの人々、あるいは、戦前の皇国日本の姿を有り難く思い、その時代の日本に戻りたいと願っている人間にとって、今度の中国との揉め事は願ってもない絶好の機会だろう。 中国の悪口をどんなに言っても、全く反発なく受け入れられるのだから。 私達の子供、孫の世代の日本と中国が良い関係であるためには、今の揉め事を無闇に大きく深刻にとらえて、中国に対する反発心を引き起こすべきではない。 11月5日号の週刊朝日には、「米空母を購入して対抗せよ!」などと言う記事が載っている。 言っているのは警察庁のOBである。 OBと言うからには50歳を超えた大人だろうが、言うことは、知性も洞察力も欠いた、幼稚なたわごとである。(OBとは『大馬鹿』の略か) その中に「米空母を2隻、手持の米国債で購入する用意がある、と密かに米に打診してみるのも手でしょう」とあるのには、驚き呆れた。 「手持の米国債で空母を2隻購入する」、と言うのはアメリカに「米国債」という借金のかたに、空母2隻をよこせというのと同じことだろう。 日本とアメリカの、この緊張した経済関係の中で、「借金のかたに空母を寄越せ」などといったら、どうなるか。しかも、空母はアメリカの兵器の中で最先端の技術のつまった物で、それをどうして他国に渡すはずがあろうか。 こう言う人間は、今更勉強し直せと言っても無理だから、頭を丸ごと、交換するしかない。デパートのマネキンの頭でも、今の頭よりましだから、是非交換するように勧めたい。 と、この記事に驚いていたら、11月19日号には「胡錦涛主席の仰天発言!?」として「日本を植民地にする!」という記事を載せた。 中国から亡命した反体制作家の 「胡錦涛氏は、日本を含むかつての列強を、中国の植民地にするつもりです」 と言う意見を無批判に掲載している。 この反体制作家は今でも中国にさまざまな情報源を持っているそうで、その作家によれば、胡錦涛氏は「北京郊外の地下深くにある軍事基地」で、「かつての列強を植民地に変えていく」という演説をしたという。 「地下深くにある軍事基地」ときたら、もう、まるで、アメリカ製のCIAなどの絡む、「政治的陰謀・活劇ドラマ」の世界だ。 そう言えば、アメリカの諜報部と中国が陰謀を闘わせるテレビドラマがあったな。 この亡命作家は、アメリカのテレビ映画会社にこの筋書きを売ったらどうか。 あまりに、ばかばかしくて、三流の映画会社でも、そんな筋書きは買ってくれないだろうけれど。 それにしても、こう言う記事を載せるとは、「週刊朝日」も、「駄週刊誌に」に堕してしまったということか。実に嘆かわしい。 出版社系の某駄週刊誌、某某駄週刊誌は、日本シドニーの往復の際に機内で、ちらと眺めるだけでその内容の品性の下劣さに胸が悪くなるが、「週刊朝日」もその「駄週刊誌」の仲間入りか。 30年以上も定期購読しているが、もう止めにしようかと真剣に思う。 こんな、与太くず記事を載せて、一冊380円も取るとは図々しい。 月にすれば1520円だ。シドニーに送ってもらっているからこれに送料がつく。馬鹿げた値段だ。 その、警察庁OBよりものすごいことを言う人もいる。 日本も核兵器を持て、とか、自衛隊の艦船を沖縄の尖閣諸島に近い辺りに常駐させろ、とか、今度の揉め事を奇貨として中国に対する敵意を煽り立てようとする人々がいる。それも、国立大学の元教授、現教授、という如何にも偉そうな肩書きを持った人が言うのだから呆れる。 このような立派な人間を教授や元教授に持つ国立大学を卒業した人間がそこらをうろうろしているのだから、日本という国がおかしくなる訳だ。 いったいこのような人々はどうして歴史から、何も学ばなかったのか。 1945年に、日本の敗北で終わった戦争で、日本は中国やアジア各国に多大な被害を与えただけでなく、日本自身も破滅的な打撃を被った。 武力での争いは、日本にも中国にも、何ひとつ利益をもたらさない。 憎しみを掻き立てて将来に禍根を残すだけである。 そのような争いを、どうして再び引き起こすような扇動をするのだろう。 このような人間に物を書かせる雑誌や新聞がまず問題なんだな。 そこに、11月5日に、正体不明の人間によって、尖閣諸島周辺海域で、中国漁船が日本の巡視船に衝突した現場のビデオが5日に、YouTubeにアップロードされた。 それを見て、一番印象に残ったのは、船長と目される人間の姿である。 操舵室から出て来たその男は、上半身裸で、片手に煙草を持っている。 実にだらしのない、緊張感を欠いた樣子である。 香港や広東など気温の高い土地でよく見かける中国人男性の姿だ。 最後に洗濯したのは何日前なのか分からないような汚れた下着だけしか着ていない男は、香港や広東の裏通りに行けば普通に目にする。 この船長らしい男は、下着すら着ていない。ズボンもだらしない。 この男の姿を見て、今度の衝突事故が、日本の一部の人が言うような中国の工作員による意図的な物ではないと私は確信した。 中国の工作員だったら、如何に何でも、上半身裸で、煙草を片手に、だらしない姿で、日本の巡視船をぼんやり眺めたりするわけがない。 他の船員たちも、矢張り裸で、まるで緊張感がない。 あの事件は、だらしのない中国人船長が、日本の巡視船に追われて、いらだって「一丁やってやるか」という、「中年暴走族」的な思慮を欠いた行動に出たものに違いない。 全く偶発的な事件だったと私は思う。 中国政府が意図的にやらせた物ではない。 大体、巡視船がすぐ近くにいるのにのんびり網を上げている。 日本の主張通り、尖閣諸島とその周辺海域が日本領だとすると(尖閣諸島とその周辺海域が日本領か、中国領か、その議論はここではする余裕がないから別にする)、日本から見れば日本の領海で中国人が漁をする事は違法である。 しかし、中国政府はあの領海は中国領だと主張しているので、船長は「自分の海で魚を獲って何が悪い」と頭から思っているのだろう。 あの海域に行くと日本の海上保安庁の船がつきまとって厄介だと聞いていても、魚が獲れる海域に行く、と言うのは漁師の本能である。 尖閣諸島とその周辺の海域は中国領であると常に中国は主張しているが、そのための示威行動を、APECを間近に控えている時期に、中国政府が意図的に行うはずがない。しかも、船長が逮捕されてしまうと言うような不様な形で。 領有を主張するための示威行動なら、時期を選んで計画的に行うはずだ。 ところが、そこに思わぬ事態が勃発したので、中国政府も、慌てたのだろう。 このビデオを見てつくづく思ったのは日本政府の外交能力のなさだ。 この場合、普通の外交能力を持った人間なら、まず、中国人船長を逮捕する。 そして、直ちに、強制送還する。 さらに、その時のビデオの存在は一切秘匿する。 しかし、船長送還と同時にそのビデオを、中国政府に送る。 そうすれば、中国政府も事実関係を理解し、事を荒立てずにすませた日本政府の配慮を評価するだろう。(常識のある国家なら) 要するに、この衝突ビデオは外交の際の有力な切り札になる物だった。 それが、こんな形で表に出てしまえば、切り札にも何にもならない。 返って中国政府の不信感を買い、日本政府の信用が失せるだけである。 先に述べたようにしておけば、中国政府も、別の対応を取ったはずだ。 それを、日本政府は、船長をあくまでも裁判にかけると言い張る。 それでは、中国政府は困る。 日本人が意外に考慮しないことだが、中国の指導部は一枚岩ではない。 現在の国家主席は胡錦涛であるが、2002年に胡錦涛にその座を譲った前国家主席の江沢民は今でも強い影響力を持っているという。 胡錦涛も1989年にチベットを強力に弾圧して、鄧小平に認められて出世したという強硬派で、しかも両親が日本軍のためにひどい目に遭ったことから、胡錦涛自身、日本に対して良い感情を抱いていないと言う説もある。 胡錦涛派と江沢民派は厳しい勢力争いを繰返していて、最近江沢民の地元で行われた上海万博の開会式に江沢民が姿を現さなかったことで、胡錦涛と江沢民の勝負はついたのではないという見方もある。 中国政府の指導者は、権力欲、金力欲まんまんの人間達である。 彼らの権力争いは熾烈である。 その渦中で、胡錦涛政府は外国に弱みを見せてはならない。 特に、日本には絶対に強硬姿勢で立ち向かわないと、反対派に攻撃される。 今回の場合、船長が逮捕されたと分かったとたん、胡錦涛指導部は、強硬派からの突き上げを食らったか、食らうことが容易に予期されたのだろう。 突き上げをかわすために、あわてふためいて日本に対して強硬な態度を取ったのだ。 事件以来中国政府の取った行動は理性を欠いていた。 衝突事件以後の中国政府の行いを振り返ってみようか。 まず、いきなり、テレビや新聞で日本政府を非難し、中国人船長を釈放しろと要求した。 深夜、中日日本大使を呼び出して、船長の釈放と謝罪を要求した。(非常識で礼を失した態度である。) 旧日本軍の残した化学兵器の始末に当たっていた日本企業の社員四人をスパイ容疑で拘束した。(化学兵器の始末の邪魔をしてどうする) 日本政府が中国政府の強腰に怯えて、中国人船長を釈放した後も、中国政府は日本人社員を釈放せず、数日経ってやっと三人釈放し、残りの一人は更に拘束を続け最後に、金を取って釈放した。(こう言う時に、金を取るかね) 中国政府は、日本に対するレアーアースの輸出を禁止した。(レアーアースを使った日本製の部品がなかったら、中国の工場も製品を作れないでしょう) 釈放された中国人船長を「英雄」として扱い、大々的に中国人の間に反日感情を煽り立てた。 普段は、ちょっとでも中国政府に対して都合の悪い文言がインターネットや携帯電話で流れると中国の極めて強力なサイバーポリスが直ちに削除するにも拘わらず、中国全土で反日デモの呼びかけが行われるのを放置し、結果的に中国各地で反日デモ、反日暴動が頻発している。 日本企業の建物を破壊したり、日本製品のボイコットを呼びかけるデモが行われたことで、中国政府の目的は達成されたとしたのだろう。 私が、中国政府に対し「あわてふためいて」とか「理性を欠いていた」とか言うのは、以下のような事態を、中国政府はまるで予想していなかったようだからである。 反日デモをする人々の中に「官僚腐敗の批判」など、反政府的なスローガンを掲げる人が出て来た。 反日デモが人々にデモ行動を起こすきっかけを作り、それが、反政府デモに広がるおそれが出て来たので、政府は、反日デモを押さえる方向に動き出さざるを得なくなった。 中国は南シナ海でも、周辺の国、ベトナムなどに圧力をかけ、脅威を与えている。それらの国々が、尖閣諸島問題での中国の日本に対する態度を見て、中国に反感を募らせた。 日本に対して、レア・アースの禁輸をしたことで、欧米諸国から、「中国は政治と経済は別にすると言ったが、やはり、政治第一主義だ。国際貿易の原則に反している」と言う批判を買った。 以上三点を考慮すると、中国政府は今回のことで、尖閣諸島とその周辺の海域の領有権を確保することも出来ず、返って国際的な反発を招くという損失を被った。中国が得た物は何も無い。 これが、私が、今回のことは中国政府が計画的に行った物ではないという理由の一つである。 外交能力に長けた中国政府が、こんな負の結果を招くような計画を立てるわけがない。 もう一つ、中国政府が計画的に行った物ではないと私が言う理由は、先ほど言及したAPECである。 APEC開催まで、大して日数のない時点で、尖閣諸島問題などと言う厄介な問題に手を出すほど、中国政府は尖閣諸島問題で切羽詰まった意識を持っているわけがない。 この問題に取り組むのなら、もっと用意周到に手の込んだ事をするだろう。 要するに、今回の事は、中国人船長が突発的に「中年暴走族」的な行動を取ったこと、それだけのことである。 それを日本は、取り扱いを間違え、逮捕して裁判にかけると言明していたにも拘わらず、中国政府の恫喝の前に、慌てて中国人船長を釈放してしまった。 これまた、国際的に、ひどく評価を下げた。 中国政府も取り乱した。 日本と中国は、「中年暴走族」の中国人船長に翻弄されたのである。 ここに良い教訓がある。 ヤコヴ・M・ラブキンの書いた「トーラーの名において」という本がある。 ラブキンはこの本の中で、パレスティナの地に「イスラエル」言う国を作る運動を始めたシオニズム・シオニストを、ひいては現在の「イスラエル」を純粋なユダヤ教の立場から批判しているのだが、その中で、紀元一世紀に、ローマ帝国によってエルサレムの第二神殿が破壊され、ユダヤ人がユダヤの地から追放されると言うユダヤ人にとっては最大の悲劇について、その原因は、ローマ帝国に妥協せず、あくまでも戦いを求めたユダヤ人側にあるとして、次のように書いている。 「(中略)つまり、長い目で見て、人間の一挙手一投足から導き出される帰結は予測不可能であるのだから、われわれみずからの行いについてどこまでも慎重であらねばならないことだ。」(菅野賢治訳、平凡社刊) ユダヤ人にとって最大の悲劇、エルサレムの第二神殿の破壊とは、我々にとって、日本と中国の関係の破壊に他ならない。 「中年暴走族」の中国人船長の取った行為によって、われわれは、無闇に興奮せず、慎重に事を運ぶべきだろう。 日本人も、中国人も、冷静になりましょう。 繰返すが、日本と中国は真の友好関係を築かなければならない。 日本のためにも、中国のためにも。 こんな事で、互いに反目するのは本当にばかばかしい。
- 2010/10/25 - ご無沙汰しました 老犬介護でシドニーを離れられなかった連れあいが、ヨーロッパ旅行を終えてシドニーに戻った次女と入れ替えに、21日に秋谷に来た。 一ヶ月以上、夫婦が離ればなれになっていたのはずいぶん久しぶりのことである。夜、隣に連れ合いがいないとひどく淋しい物である。夫婦は一緒にいなければならないと、つくづく思った。隣に連れ合いが寝ているだけで、精神安定剤になる。 私は、炊事洗濯掃除、何でも一人で出来るので心配はいらないと言うのに、姉が毎日私の面倒を見てくれた。 長男もついて来たのだが、姉の息子の始めた農園の手助けに熱中してあまり私の役に立たない。 ただ一つ困ったのは洗濯で、最新式の洗濯機の使い方が分からない。 姉に教わって、びっくり仰天。最初に洗濯物を入れてスイッチを入れると、その洗濯物の重さを量って、それに合わせた洗剤の量を指定してくれるのである。 しかも、その音の静かなこと。洗濯機のそばから離れたら、動いているのかどうかも分からないくらい。 シドニーの洗濯機は、グワッチャン、ドッカンとすさまじい音とともに地響きを立てて動く。洗濯機の周辺全ての部屋に轟音が響く。(決して私の家の洗濯機がおかしいのではありません。シドニーでは最新式の洗濯機を買っても同じです。) こんなこと、日本の主婦にとっては当たり前のことかも知れないが、文化果つる南半球の国から来ると、ひっくり返るくらいの驚きなのだ。 姉には、生まれたときから世話になりっぱなしだ。何てったって、私が生まれた時にはすでに先にいたのだから仕方がない。 どうも、私は甘えっぱなしの人生を過ごしてきたようだ。 母に甘え、姉に甘え、その母が亡くなったあと来てくれた今の母に甘え、結婚すれば連れ合いに甘え、今は娘二人にも甘えている。 それも、どうも図々しい甘え方のようで、時には反省しているのだ。 80過ぎの母に対して60を遙かに越えた男が「おれは、長男なんだからうんと甘やかしてくれよ」という。 すると、母は心得ていて「はい、はい、甘やかしてあげますよ」と言う。 うーむ、何かにつけて私にとっては女性の方がいいな。 私はこれからも、絶対反省せずに、甘えて生きて行くのだ。 ご無沙汰している間にも結構活動しておりました。 10月11日、12日と例によって小学校の六年二組の仲間と、秋田内陸縦貫鉄道に乗りに行きました。 一列車を借り切って仲間13人で(本来は40人定員)、 「角館」から、「鷹ノ巣」まで往復するだけ。 それで5時間とは長すぎて退屈するかと思ったら、お座敷列車でわいわい騒いでいる内に、あっという間に5時間経ってしまった。 景色はよいし、お座敷列車貸し切りとは贅沢だし、実に充実した旅だった。 考えてみれば、変な旅だ。「角館」まで新幹線で行って、最初の夜は「角館」に泊まり、翌日「秋田内陸縦貫鉄道」に乗って往復。 列車に乗るだけが目的の旅というのはどうも、鉄男さんとか鉄子さんとか言う熱烈な鉄道愛好者みたいだな。 でも、大変に楽しかった。 気分が久しぶりに、晴れ晴れとして、一瞬「鬱」が治った、と思った。 旅から帰ってくると「美味しんぼ」の原稿書きに追われ、20日、21日と大分へ取材に行った。 大分の取材は、本当に神経を使う取材だったので、疲れた。 たった一泊二日だったのに、くたくたになった。 そして、今また、「美味しんぼ」の原稿書きに追われている。 「鬱」はぶりかえしますなあ。 「鬱」と言えば、最近の中国との揉め事は鬱陶しい限りだ。 中国とのことについては、日を改めて書く。
- 2010/10/08 - 「日本全県味巡り」島根県篇 10月1日から、6日まで、「美味しんぼ」の「日本全県味巡り」ために「島根県の郷土料理」を探索する旅に出た。 6日間取材して回るのは大変に疲れる。 昔は何ともなかったのだが、、ああ、私も、既に老齢年金を貰える歳です。 (保険の掛け率が低かったので、実際には貰えないようだが。) 昔は、歳を取ると言うことは年齢の数だけ増える物だと思っていましたが、ああ、そうじゃないんですね、実際は。 年齢の数が増えるだけでなく、それに反比例するかのように体力が衰えるのです。 20年前までなら、どんぶり二杯なんか霞を食うような感じだったけれど、ああ、今は全ての食べ物が重い。 ざばざば、ざくざく、かっ込んで食べていた昔が懐かしい。 と言うくらい、衰えているのですよ。 このような老体を引きずって取材に行き、あちこちで、色々な食べ物をご馳走になって、旨いの何のって意見を言わなければならない。 これは辛い。 一応、原作者として、前回「日本全県味巡り」で回った和歌山県との違いを出したいと思う。 そのために食材や調理を選んでいるのだが、これが、大変に難しい。 私の「日本全県味巡り」の取材は、私の甥が全面的に手伝ってくれていて、私が取材に行く前に県内全てを回って、私が取材するにふさわしい所を探し回るのだ。この先行取材が、実に過酷を極める。 どこに美味しい物があるのか、見付けて歩くのだから、しまいには考えあぐねて、道を歩く人に、この辺に何か美味しい物はありませんか、とまで尋ね歩いたという。 その甥の見付けたところを、私はのんびりと取材に行って、旨いのまずいの言う訳だから、甥にとってはたまらなくいやな叔父だ。 甥だから、叔父さんのために、何とかしてやろうという愛情と熱意で「日本全県味巡り」は成立している。 甥がいなかったら、これまでの「日本全県味巡り」も全て成り立たなかっただろう。 島根県の特徴的なことは、島根県で生まれた人は、例えば数年大阪とか東京に行っても、必ず島根県に帰ってくることだ。 ある人は、四年間の大学生活を大阪で過ごしたけれど、その四年間は私にとって仮の人生だと思い続けていて、卒業するやいなや島根県に戻り、そのまま島根県で生活をしているという。 とにかく、暮らしやすいところらしい。 人々も、おっとりしていて、自分から自己主張をしてあれこれしゃべる人はいない。 極めて、控えめな人ばかりである。 私は、日本列島様々なところを歩いたが、島根県は、とにかく沸き立つ騒々しさとは無縁の国だ。 上品で、しずかで、攻撃性はゼロで、ゆったりとしている。 感動したのが吉賀町(よしかちょう)全体が取り組んでいる有機農業だ。 今まで有機農家には何人もあって来たが、町を挙げて有機農業に切り組むというのは初めてだ。 町の農家200戸が一斉に取り組んでいるという。 これは凄いことだ。 個人個人で有機農業に取り組むのと、町全体で取り組むのとでは、効果も仕事のしやすさも違う。 私は、未来の農業のあり方を吉賀町に見た。 これは、近年にない素晴らしい知らせだった。 私は、吉賀町の取組みこそ日本全農家が取り組むべき事だと思う。そうすることで、日本の農業の価値が認められ、消費者も少しばかり高くてもそのような真正な農産物を買うだろう。 みんな、外国の農産物が安いと言って喜んでいるが、たえば米について有機の米と、農薬たっぷりの米との値段の差は、ご飯お茶碗一杯で三十円にもならない。 他のおかずと比べたら比較にならない安さなのだ。しかも、安全で美味しい。 安物売りの煽りに引っかかって、安い物を買うと結局、安物買いの銭失い、と言うことになる。 パチンコや、時間つぶしでしかないゲームなどに、多額の金を費やして栄養失調で、胸も薄く、力もない若者たちが増殖しているのを見ると、それは間違っている、と思う。 私の若い頃は、とにかく喧嘩に勝てない奴は駄目。と言う時代だったからかも知れないが、今の若者たちのあのへろへろの薄べったい、折り紙人形のような体を見ると、こんな男たちは世界中どこに行っても、その土地の女にもてっこない。 相手にされないだろう。 それじゃ、つまらないなあ。 と、老人はうそぶく。 で、島根県だが、来年4月に追加取材をする。 漫画に書くのは来年の夏過ぎだろう。 それくらい、念入りに取材するのが「美味しんぼ」の方針なのだ。 島根県は日本全体で興味を持たれない県の中ではかなりのものであるらしい。 今回の「日本全県味巡り・島根県篇」が読者諸姉諸兄の島根県への興味を掻き立てる物であることを願っているのだ。
- 2010/10/02 - 友達は古いほどよい24日に、旧友三人が我が家に来た。 「あ」と「み」の二人は電通の同期入社、「た」君は「あ」の高校の同級生。 1969年以来からのつきあいである。 「あ」は私の随筆を読んで下さっている方は、「あ、あの『あ』さんですね。」言うほど、私の随筆に良く登場する。 「あ」は「鍋奉行」を通り越して「鍋閻魔大王」である。 鍋に関しては絶対に自分が支配しなければ気の済まない男だが、今回、みんなと話していて、他の面でも「あ」は絶対に自分の思い通りに周囲を振り回す、と言うことで意見が一致した。 「た」君は、「美味しんぼ」の焼酎編にも登場して貰った。焼酎の取材について来て貰ったのである。 酒や食べ物に対する感覚は鋭いので、酒、焼酎の評価について頼りにしている。 「あ」が何処かに下宿していた頃、我々全員で酒を飲んで「あ」の下宿に行って、腹が減った、何か食べるものはないか、ということになった。 「あ」は誰かから貰った素麺を一箱持っていたが、肝心の素麺を茹る鍋がない。 すると、「た」君が、ヤカンを鍋代わりにして素麺をゆでた。 その、ヤカン素麺を、いまだに我々は思い出しては大笑いする。 見た目豪快だが、実に繊細で心優しく、数年前、新橋の路上で余りに無礼な男に自転車をぶつけられそうになったので、私はかっとなってその男を殴り倒してやろうと思ったが、私のその気配を察して「た」君は、巧みに私とその男の間に自分の体を入れて、私がその男を殴るのを邪魔をする。 さんざん罵って、その男を解放してやったが、そのあと「た」君に、「もう、二度と外で喧嘩などしないでくれ」と懇々と説教された。 「み」は、実は大学の同人雑誌の仲間で、電通に入ってから相手もいるのに気がついて、「あれれ、なんだ、お前もかよ」と互いに驚いた。 私は東大の文化系の人間を高く評価しないが、「み」は別格である。 「み」は東大の仏文を出ている。フランス文学や哲学のことに通じているのは当然だが、元々生まれつき頭が良いのだろう、こういう人間を「地頭(じあたま)がよい」というが、何でも良く知っている。 我々の間に難しい問題が起きたときには必ず「みーちゃんに聞け」と言うことになっている。 なにせ、フランス哲学から芸能界の話題まで何でも知らないことはないし、学生運動で鍛えた策士だから、われわれがどうしたら良いか困っていることも、快刀乱麻解決してくれる。我々に取っての諸葛孔明、軍師である。 それなのに本人はいつも、にこにこ、へら、へら、と笑い、その頭の中に恐ろしく切れる頭脳が隠れていることを人に感づかせない。 「み」のただ一つの欠点は、私の学生時代、あるいは電通時代のでたらめ話をデッチ上げることで、私と「み」とでは仲間内の信頼が違うから、いつも私は「み」の言うような乱暴な人間になってしまう。 こう言うことがありながら、40年以上つきあっていると、もはや兄弟以上で、何かことがあるとさっと集る。有り難い仲間である。 いつもは、夫婦同伴なのだが、今回は、私の連れ合いが老犬介護のために10月半ば過ぎになるまでこられないので、男だけ四人の集まりになった。 男だけの集まりというのはいい物で、互いの連れ合いがいては遠慮して話せないようなことも、わいわい言い合える。 「たまには、女抜きの会もいいな。これからたびたびやろうぜ」と言い合ったが、次の回は見ていろ、必ず、連れ合いも一緒にと言い出す奴ばかりだと思う。 どうも、情けなくなったなあ。 26日は、田園調布小学校六年二組の仲間が、我が家でバーベキュー大会を開催した。 12時から始めて、18時すぎまで、徹底的に食べまくった。 私たちが田園調布小学校を卒業したのは1956年である。 つきあいが始まったのは、当然それ以前の小学校一年の時からだから、考えてみれば、一番古い友人とは60年以上のつきあいになる。 それぞれ、60歳半ばを越え、運の良い人間は年金など貰っているようだが、私のようにまだ働かなくては家族を養えない人間もいる。 嬉しかったのは、「ことり映画社」の3人が集ったことである。 ことり映画社とは、「こ」君、戸塚(私の本名)、「り」君、の3人で作った映画社である。 映画社とは実は名ばかりで、紙芝居会社である。 語呂がよいので、それぞれの名前の頭文字を取って付けた。 「り」君は体は大きいのに、繊細で、恥ずかしがり屋で、すぐに顔を赤らめる、純情派で、暴力とはまるで無縁な優しい人間で、みんなに「さいぼう、さいぼう」と愛され続けている。(なまえが、さい、から始まるからである) さて、その「ことり映画社」であるが、授業時間に私が話の筋を作り、「り」君に渡す。「り」君はそれを、紙芝居に仕立てる。私が、「り」君の作った紙芝居の紙の後ろにセリフを新たに書く。 休み時間になると、級友を集めて、「こ」君が、紙芝居を演じる。 「こ」君は、三年生の時に、浪花節の、広沢虎三の「石松代参」のレコードを貸してくれて二人で浪花節を研究した仲だ。 実に、紙芝居のセリフを演劇的に、ドラマティックに読むのが上手い。 今でも忘れられないのが「紅の塔」という、横長の紙芝居で、当時シネマスコープが流行り始めたころで、「さいぼう」は「ことりスコープ」と名付け実に堂々たる紙芝居を作り、「さいぼう」の絵と「こ」君の名調子のおかげで、同級生たちのご愛顧を大いに頂いた。 バーベキューを食べながら、私は、「こ」君と「さいぼう」に、「結局、僕は子供の頃から漫画の原作者になるように決まっていたのかなあ」といって笑われた。 それも、喜んだ笑いだった。 大酒飲みの「ほ」君は、私の貴重な「富乃宝山」を「これは水だよ」と言ってがぶがぶ飲み続ける。 そのうちに、半眼になって、何か訳の分からないお経のような物をうなりだした。 みんな、首をひねった、あれは一体何だ。 普通の歌じゃない、ご詠歌でもない、お経だろうか。最近の新興宗教のお経には、こんな物もあるかも知れない、しかし、民謡ではないということは民謡に詳しい「こ」君が判定してくれた。 そのうちに、カラオケキングの「みや」君が、「これは、岸洋子の歌だよ」といった。その気になって聞いていると、「恋はすてきね」とか「恋なんて」 などと言う言葉が入っている。 まさに、岸洋子の「恋心」だ。これには驚いた。 流石は「みや」君だが、それにしても「ほ」君の歌はとても「恋心」と思えず、どこかの未開の土地の部族の雨乞いの歌なのではないかと思った。 すると、効果覿面。 それまで晴れていた空が曇り始め、ぽつり、ぽつり、と降り始めてきたではないか、 まあ、その雨も、ぽつり、ぽつりで終わってしまって、バーベキューは無事終了した。 バーベキューなんて、ただ、食べてはおしゃべりをするだけで、何一つ建設的なことをするわけではない。 まあ、これが知り合って間もない人とならともかく、知り合って50年以上経つ人間たちばかりだから、同じような話を繰返すだけで、それで飽きないし、最高に楽しいのだ。 この、最近の二度の集まりを振り返って、つくづく良い友達を持ったと言う幸せを私は感じた。 友達は古いほどよい、私達はこの友人関係を更に長く続けるように努力するぞ。
- 2010/09/23 - 中国人よ今こそ「史記」を読め 最近、ふと考えた。 私はこうして日本人として生きているが、世界には160ヶ国以上の国がある。 たまたま日本に生まれたが、もし他の国に生まれていたらどうだっただろうかと考えたのだ。 在日共和国の友人たちには申し訳ないが、前から言っているとおり、私は金正日氏のやり方に我慢がならないので、共和国に生まれなくて良かったと思う。(ここで、日本の朝鮮に対する侵略の責任問題を出さないでくださいね。単純に、今、生まれて来たらと言う前提の下に話しているのだから) 生まれたくない国を列挙すると、中国、朝鮮人民民主主義共和国、ロシア、がまず筆頭にあげられる。 根拠は、人間の自由が認められないからだ。 自由に自分の意見を表明できない国など、牢獄に等しい。 中国、朝鮮人民民主主義共和国、で自国の政府を批判すると、投獄されたり、強制収容所に入れられて結局餓死させられたりする。 ロシアで、同じ事を行うと、アンナ・ポリストコフスカヤのように、公開死刑としか言いようのない暗殺で消される。 イランでも、反政府言論は死を招くだろう。 アフガニスタンでは、反タリバンの意見を言うと、すぐ隣に座っていた友人だと思っていた人間に頭を撃ち抜かかれる。 最近の、尖閣諸島周辺での、中国漁船と日本の海上保安庁の船との衝突の件を巡っての中国政府の対応を見て、本当に、今の中国は情けない国だと思った。 1945年以前の日本が中国に対して犯した侵略と、破壊・殺戮の罪は深い。 しかし、それと、今度の問題を一緒にしないで貰いたい。 当時の中国と、現在の共産党一党独裁の中国とは別の国である。 ことの本質の追究をしようとせず、一方的に自分たちに理があり、日本が不正であると言いつのる、この自分勝手な態度は奇怪である。 駐中国日本大使を夜中に呼び出す、この無礼さ。 こんな侮辱を自分たちが受けたら、中国人はどう反応するか。発狂的な大騒ぎを国中で引き起こすのではないか まったく、最低の礼節を欠いている無礼者集団が今の中国政府だとしか思えない。 1945年以後、外国で、1発の銃弾も撃たず、1人の外国人も殺さず、1センチの進出もした事がない日本を、いまだに軍国主義と罵るのは、異様なる意図を持っているのか、単に事実が見えない痴呆なのか。 この、知恵が回りすぎる中国政府を見ていると、痴呆という事は無いだろう。 日本を軍国主義とののしり続けることで、得ることが多いと判断しているのだろう。 この辺のことは、外交の非常に長けた中国と、外交能力のない日本との差であって、ここで、中国の気勢に押されて、弱気になってもならないし、プッツンと切れて攻撃的になってもならない。 これは、中国得意の外交ゲームの一つとしてみた方が良い。気長に対処するのだ。 中国人観光客が日本に来たくないと言うなら来なければよい。 日本の観光客、芸能人を上海万博に呼びたくないというのなら、日本人は行かなければよい。 ここ数年、ちょいとばかり経済が優勢になったからと言って、思い上がってここまで露骨に拳を振り回す中国政府の浅薄さが、これから先の中国政府の危うさを感じさせる。 中国は、自分の内政状態が危うくなると外敵を求める。 今、中国は、経済の曲がり角で、国内で不満が充満している。 そのはけ口に、尖閣諸島の釣り船がちょうど良い。 日本を敵にすると、中国中の不満が解消する。 そんな中国の、浅薄で、露骨な戦法に乗らず、逮捕した船長はしっかり裁判にかけ、有罪にした後で、国外退去処分にでもしてやればよい。 こんな事を平気で言える国、日本は、今のところ有り難い国だ。 1945年以前、軍部が支配していた日本は地獄だったが、世界では、その当時日本国民が味わっていた地獄を国民が味わっている国が多いのだ。 私の父は中国人を尊敬していて、中国人は本当に「大人(ターレン)」だと言っていた。 その影響で、私も中国人を尊敬していたのだが、ここ数年様子がおかしい。 わずかな一時の成功に酔って、一切を駄目にする歴史は「史記」などを読めば幾らでもその例はある。 中国人よ、今こそ「史記」を読め。
- 2010/09/22 - 暑いねえ、今年は初春の候を迎えて、さまざまな花が咲き始めて実に気持ちの良いシドニーを後にして、9月12日に日本へ戻ってきて既に10日経ったが、意義のある日は、ただ1日だけ。 18日に安川寿之輔先生の福沢諭吉についての講演を拝聴し、飛び入りで一言余計なおしゃべりをさせて頂き、その後会食に参加した。そのことだけ。 その会食は楽しかった。 本当に真面目に物事を考える方ばかりで、みんながこう言う自由で正義感あふれる人間だったら、この社会も、ここまでひどくはならなかっただろうに、と思う。 安川寿之輔先生は78歳だそうだが、実に若々しく、身のこなしも軽い。 結構、お酒も飲まれる。 そして、論理がさえている。 高文研という真面目な本ばかり出している出版社の編集者が間に入ってくださって、安川寿之輔先生にお会い出来たのだが、福沢諭吉研究の第一人者である安川寿之輔先生と出会えたことは私の人生にとって、素晴らしいことだった。 私は、来年の春を目指して、中学生にも分かるような内容で福沢諭吉についての本を書く準備を現在進めているが、一番助けになるのは安川寿之輔先生のお書きになった福沢諭吉研究の4冊の御本である。 福沢諭吉についての研究者の本を色々読んだが、安川寿之輔先生のように、筋道を立てて論理的に解明していく、また、その論理の筋道の検証が誰にでも出来る、そう言う研究者は安川寿之輔先生だけである。 自然科学の世界では、一つの論を立てる際には、まず、誰でもが検証できる事実を元に、論理を組立てていく。その論理の筋道が、第三者にも検証可能であること、が基本である。 ところが、おうおうにして、社会科学の世界では、その点が曖昧である。 例えば、福沢諭吉について言えば、多くの福沢諭吉の論文の中から自分に都合の良い物だけ選び取り、論をこねくり回して、自分独自の福沢諭吉像を作り上げる。 しかし、そのような論は、福沢諭吉の別の論文を持って来るとあっけなく崩れてしまう。 そう言うおかしな論文でも、論文を書いた人が、俗世間的な名声があり、社会的な地位があると、高く評価されてしまう。 自然科学の場合、結果は明確な数字で出て来る。 社会科学の場合は曖昧な「心理的納得」が結果であるような場合が少なくないのではないか。 安川寿之輔先生の御本の場合、そのように、恣意的に福沢諭吉の論文を選んで勝手に安川流の福沢諭吉像を作ると言う方式ではない。 福沢諭吉の論文を細大漏らさず網羅的に読んで、それを元に科学的に論を進める。 非常に明快である。 福沢諭吉の思想も、人間像も、福沢諭吉の書いた文章から把握できる。 思いこみや、偏見は一切入っていない。真実のみである。 それでは、安川先生のその4冊の御本があるのだから、今更私のような学者でもない、ただの漫画原作者ふぜいが福沢諭吉について、何も言う必要はないようだが、安川寿之輔先生のような専門家の書き方と、漫画原作者の書き方とでは、方法が違うので、別の角度から福沢諭吉を描くことが出来るかも知れない。私の本を読めば、もっと福沢諭吉について詳しく知りたくなって、安川寿之輔先生の本に進んでくれれば有り難い。私の本は、福沢諭吉への入門書という位置づけだと思う。 それが上手く行くかどうかは、これからの私の努力にかかっている。 安川寿之輔先生という、偉大な導き手のお力もお借りして、絶対に成功させてみせる。 今年の暑さは異常だが、世間も異常だ。 あの、大阪検察庁の主任検事は何なのだ。 証拠物件であるフロッピーディスクを「遊んでいる内にデータをいじってしまった」と仰言る。 証拠物件で遊ぶのかい。ええ?検事さんよ。 また、データをいじった方のフロッピーの情報ではなく、いじらない方の情報で調書を作ったのはどう言う訳だろう。いじった方のデータを使わないのなら、何のためにいじったんだ。 その辺の解明が必要だ。何か非常に臭いものを感じますね。 それに、いじったら、それこそ証拠隠滅のために、いじった形跡を消しておけばよいのに。 訳の分からない人間がいるものだ。 しかし、こう言う人間が大阪検察庁のエースだというのだから呆れる。 この人間は、小沢一郎氏の件でも東京に出て来て小沢一郎氏の秘書を取り調べている。 小沢一郎氏の件でも、不正をしているのではないか。 大阪高検と言えば、公金の不正使用で検察庁を訴えようとした、元検事を、その直前に不可解な容疑で逮捕してしまった経歴がある。 検察庁がそれでは、ほんまによう言わんわ。 小沢一郎氏追い落としの件では、検察庁は大成功だ。 検察庁のリーク→マスコミの一斉報道→マスコミの世論調査(マスコミに煽られた大衆は検察のリーク通り小沢一郎氏を悪の権化と思う)→世論調査を真に受けた党員たちによる民衆党代表選挙で、小沢一郎氏敗北。 菅直人首相は、はやばやとアメリカ追従路線を打ち出したし、これで、日本の支配者層は一安心という物だ。 こう言ういい加減な検察庁が、日本を動かしているかと思うと、村木氏ではないが「本当に怖い」 ところで、話が変わるが、桂歌丸はいい噺家になったねえ! 「笑点」なんかに出ているので、軽く見ていたら飛んでもない。 この、二、三年、ずいずいずいーっと伸びた。 噺家は歳を取らないと駄目なのかな。 いや、そんなことはない。歳を取っても、駄目な噺家は、駄目なままだ。 桂歌丸はよほど精進したに違いない。 12月3日に横浜で桂歌丸の独演会がある。 「美味しんぼ」の取材に協力してくれるカメラマン安井さんのご好意で入場券を手に入れた。 今から楽しみで仕方がない。 演目は何なのだろう。
- 2010/09/07 - 鳩山由紀夫氏から菅直人氏へ(3)さて、今回でこの話はお終い。 実は、この話はもっと前に、アップロードしたかったのだが、前回の分があまりに長すぎる、と言う文句があちこちから来た。 あんなに長いものを続けられたらたまらない、と言う。 では、少し間を置きましょうということで、今日まで、待ったんですよ。 これまでに、どうして日本がアメリカの奴隷国家になったのか話してきた。 昭和天皇の責任もある程度話した(充分ではない)。 自民党の結成当時のことも、その表面的なことだけ話した。 (もっと、深いところは、流石にアメリカの公文書館でも明らかにしていないし、自民党関係者が、これまで真実を語る勇気を持つ訳がなかったから、仕方がない) 押さえておくべき事は、自民党は、アメリカのCIAエージェント(代理人)として、金で買われた岸信介と児玉誉士夫によって作られたと言うことである。 岸信介は、東条内閣の商工大臣。 A級戦犯である。 この、A級戦犯だとか、B級戦犯とかいう言葉は、連合軍側が付けた物であって、連合軍側から見ればA級だかB級だか知らないが、そんな呼び方を勝手に付けられた我々日本人が、連合軍側の価値判断に従って、自分たちの国の政治家をA級戦犯などと呼んで事足れりとしているのはおかしな話だ。 日本人が、日本の戦争責任をきちんと自分たちで追及してこなかった、いい加減さ、怠惰、狡さ、がここに表れている。 我々日本人としては岸信介を「特級戦犯」に指定して、我々日本人自身が彼の戦争責任を追及するべきなのに、アメリカが、CIAのエージェントになることと引き替えに釈放してしまうと、日本人は、岸が敗戦までにどれだけのことをしたのか、追及するどころか、岸信介はあっという間に代議士になり、総理大臣にまでなってしまった。 こんな男を総理大臣にしてしまうなんて、本当に日本人はどうかしている。 良く日本の政治家は悪い、などと言うが、冗談じゃない、そんな悪い代議士を選ぶ選挙区の人間が悪いんだ。 日本を悪くしてきたのは、悪い政治家を選び続けて来た日本人自身だよ。 悪い政治家を自分で選んできた日本人自身だ。 個別に喧嘩を売る訳ではないが、岸信介を始め、安倍晋三に至るまで、悪質な連中を自分たちの代表として選び続けた選挙区の人々には「君たちが日本を駄目にするのに一番力を貸し人々なんだよ」と言いたい。 君たちの一票が、日本を駄目にして行ったんだ。 その自覚なんて、君たちにはないだろうな。 岸信介のもう一つの悪行。それは、文鮮明の統一協会が日本に侵入するのを助けたこと。 その女婿である安倍晋太郎も強力な統一協会支持者だったし、その息子、岸信介の孫安倍晋三も統一協会の保護者だ。 統一協会が、霊感商法など様々な悪事を重ねても、全然潰されないのは、岸信介に始まる自民党の政治家の保護があるからだ。 勿論、その政治家達は統一協会から金を貰っている。 その金は、統一協会が日本人を詐欺に引っかけて強奪した金だ。 日本に統一協会をはびこらせたのは岸信介とその一派、自民党議員だ。 岸信介ほどの悪質な人間は、日本史の中でもまれだ。 岸信介は、アメリカが日本を軍事基地として自由に使うことを許すように、日米安全保障条約を改定した。 日本がアメリカに隷属して身動き出来ない状況を、岸は作り上げたのである。 実に、CIAのエージェントとしては、アメリカの文書にも書かれているように、優秀だった。 1965年に、日本と大韓民国の間に「日韓基本条約」が結ばれたが、これはアメリにとって、東アジアを安定させるために必要な物であり、そのアメリカの意に従って、やはり、岸信介と児玉誉士夫が中心になって事を進めた。 その時のことは、時の韓国のKCIA(アメリカのCIAのような諜報機関)の部長で、後に韓国の首相になった金鍾泌氏がNHKテレビでも証言して、児玉誉士夫と一緒の写真も見せた。 「日韓基本条約」は、アメリカの意図の元に、岸信介、児玉誉士夫というCIAのエージェントの働きで、当時の韓国の独裁者朴正煕と佐藤栄作首相の下に結ばれた。 それ以降現在に至るまで、戦前・戦中の日本政府が韓国・朝鮮人に対する被害を与えた事例が明らかになっても、その賠償問題は「日韓基本条約」で解決済みと言って日本政府は逃げている。 この児玉誉士夫という人物について、今の若い人達には理解出来ないだろうと思うので、ここでおさらいしよう。 児玉誉士夫は1911年2月18日に福島県安達郡に生まれた。 それから以後のことは省略するが、とにかく、児玉誉士夫は右翼組織に入った。 1929年、18歳の時に、当時の絶望的な農民社会、失業者群、を救うためには天皇に訴えてこの社会を何とかして貰うしかないと考えて、東京麹町で天皇の車に突進して、直訴しようとした。 当然、警察に押さえられて、懲役6カ月の刑を受けた。 しかし、それが、児玉誉士夫の右翼社会での権威付けに大きく役に立った。 天皇に直訴した、と言うだけで、それまでの言葉だけ勇ましいことを言っていた右翼とは違って、行動右翼として、大変な闘士とし恐れられ、高く買われた。 1931年、時の浜口雄幸内閣の大蔵大臣井上準之助は金の輸出禁止を解き、為替相場を安定させようとしたが、世界恐慌の深刻化とデフレ政策が重なって、日本は大不況にみまわれ(昭和恐慌)、輸出は振るわず、金は流出し、日本経済は破綻(はたん)に瀕(ひん)した。 児玉誉士夫はそれに対して井上準之助に怒りを抱き、「護身用なり切腹用なり、自由に使え」と書いた手紙と一緒に短刀の小包を井上準之助に送った。 これで、児玉誉士夫は懲役5カ月の刑を受けた。 さらに、1935年、政党財界の巨頭、重臣らを襲撃して殺害し、東京全体を混乱に陥れて、軍に戒厳令を敷かせよう。 軍部が立ち上がり我々に協力することで、政党政治を終わらせ、国家改造を達成しよう、と企んだ。 しかし、直前にこの企みが発覚し、集まりの場を警察官に急襲され、児玉誉士夫は短銃自殺を図ったが、命は助かり、懲役4年6カ月の刑に服した。 このように、児玉誉士夫は行動派右翼でもかなり目立つ存在だった。 ここまでは、反権力的な右翼だったのだが、それから後は、権力とべったりの右翼になった。 というより、権力と一体になった。 紆余曲折有って、児玉誉士夫は海軍と結びつき、「児玉機関」なる物を作り、中国で海軍に必要な物質を調達する働きをした。 敗戦後、中国から持帰った、プラチナ、ダイアモンド、タングステンなどを政治活動に使った。 特筆するべき事は、鳩山一郎に政権を取らせるために、本人が言うには「カマスに一つ半の宝石」とか「十畳くらいの大きさの部屋半分を占める量のプラチナ」を提供したと言うことである。 この、鳩山一郎との関係は、覚えておいて下さい。 その後、児玉誉士夫は日本の政財界の裏で、顔役として活躍し続けた。 何か大きな事件の裏には必ずと言っていいほど、児玉誉士夫がいた。 また、日本の暴力団を大同団結しようともした。 このときは、関西以西で、山口組と本多会という二つの暴力団が激しい争いを繰り広げていて、全国的な大同団結は出来なかったが、関東の暴力団は、稲川会、住吉会(今の住吉連合)などをまとめ上げて、暴力団のボスの上のボスになった。 後に、ロッキード事件が起こった時に、ロッキードのエージェントとして働いていたことが暴露され、ロッキード社から貰った金についての脱税容疑で起訴された。 本来なら、CIAのエージェントとしてアメリカから守られるはずの児玉誉士夫が日本の検察に挙げられたのは不思議だと思っていたが、前回挙げた、ティム・ワイナーの本に載っているCIAの文書で、その理由が分かった。 CIAは、「児玉誉士夫は、情報提供者としては役に立たない。彼は、自分の利益のことしか考えない」として、既に見放されていたのである。 しかし、ロッキード事件が起こるまで、児玉誉士夫本人も、自民党の実力者たちも、それに結託し甘い汁を吸っていた人間達も、CIAが児玉誉士夫を見捨てていたとは夢にも思わなかっただろう。 ロッキードが日本側に渡した30億円の賄賂の内、田中角栄に渡ったのは5億円とされている。 5億円は大変な金額だが、30億円のうちの一部に過ぎない。 どうして、田中角栄ばかり検察は追及したか。 もちろん、総理大臣の犯罪と言うことで大きく取り扱わなければならないだろうが、そんなことを言えば、田中以前も以後も、総理大臣が関与したと思われる事件は沢山あったが、検察は全然手を出さない。 どうして、アメリカまで出かけていって、ロッキード関係者の嘱託尋問をするまでに力を入れたのか。 事件全体を考えると、不自然である。 これには、田中角栄が、日本が独自に石油を調達する道を開こうとしたことがアメリカを怒らせたからだという説がある。 事件の発端が、アメリカ上院で始まったことも「田中角栄がアメリカという虎の尾を踏んだ」という説に信憑性を持たせた。 そもそも、ロッキード社は自衛隊にF-104戦闘機を導入し、対潜哨戒機P-3Cも売り込んだ。 トライスターなどと言う旅客機より、F-104、P-3Cの方が、遙かに値が張る物で、その導入を巡って自民党の大物政治家が賄賂を取ったと言う噂は根強いが、検察は全然動かない。 なぜ、たかが旅客機なんかで動くのか。 これも、不自然だ。 このロッキード事件が、日本の政治家達を怯えさせたことは間違いがない。 アメリカの気にいらないことをすると、潰される。 日本の警察が長い間手も出せないでいた日本のボス中のボス児玉誉士夫を一発で潰した。 今太閤で怖いもの無しの政界の実力者田中角栄も潰した。 これは、恐ろしい。 この、政治の表と裏の二人の権力者を倒されたことで、日本の政治家・官僚たちは、アメリカの力のすごさを思い知らされて震え上がったことだろう。 アメリカのいうことを聞いていれば、検察は動かないと悟っただろう。 1976年という年、日本が高度成長で図に乗り始めた時だ。その時点で日本の政治家を締め直すのにロッキード事件は大いに役に立った。 アメリカに逆らおうとする総理大臣は以後一人も現れない。 それどころか、「思いやり予算」を組んだりする始末だ。 日本のアメリカ隷属、絶対服従は、ロッキード事件以降、一層強化された。 それにしても、児玉誉士夫などの裏の勢力と密接に結びついた自民党政治は、ティム・ワイナーに「日本人は、CIAのサポートによって作られた政治システムをKozo oshoku(構造汚職)と呼ぶようになった」と書かれるくらい、汚職にまみれた腐敗した物となった。 それが、50年以上続いて、とうとう来年中には、日本の財政赤字は1000兆円を超えることが確実となるまでに、日本は破壊された。 自民党政府と官僚たち、それに結託するゼネコンなどが日本を破壊し尽くしたのである。 そこで、民主党政府に変わったところで、何が出来るというのか。 50年以上かけて、徹底的に破壊したこの国をどうして一年や二年で修復出来るというのか。 実は今回、日本のマスコミに対するアメリカの影響力について、書こうと思ったのだが、使えると思った資料が、実は精査してみると欠点だらけで使えないことが判明した。 このような微妙な問題を扱う時には、絶対に大丈夫だと思われる資料を用いることが必要だ。 「ほぼ大丈夫」では、困る。 この件については、もっと資料を固めてから、改めて書くことにする。 さて、首相が鳩山由紀夫氏から、菅直人氏に変わった。 鳩山由紀夫氏は首相になると、検察やマスコミから猛烈な攻撃を受けた。 それは、当然のことで、鳩山由紀夫氏が普天間問題で、アメリカを刺激することを言ったからだ。 日本の総理大臣で初めてアメリカの意に逆らうことを言ったのだ。 鳩山由紀夫氏は自分の祖父が、児玉誉士夫から巨額の資金援助を受けたことを忘れていたのだろうか。 鳩山由紀夫氏が突然おとなしくなって首相を辞めたのは、それを思い出したか、だれかが、もっとまずい何ごとかを、氏に告げたのでは無かろうか。 CIAのエージェントである児玉誉士夫とそれだけ親密な関係に有れば、鳩山一郎氏も、何かをアメリカに握られているはずだ。 鳩山由紀夫氏はそれを、耳元でささやかれたのではないだろうか。 菅直人氏は、アメリカの神経に障ることを言わない。 アメリカの属国であることにアレルギーがない。 それどころか、IMFの希望通り、「消費税引き上げ」を言い出した。 選挙で負けることが分かっているにも拘わらず、「消費税引き上げ」を言い出した裏に何があるのだろう。 IMFはInternational Monetary Fundの略だ。 国際通貨基金と日本語で訳されていて、国連の専門機関だし、日本もその理事国の一つだし、アジア太平洋地域事務所の所長は日本人だが、1997年のアジア通貨危機の際の動きを見ると、アメリカの意向が強いと思われる。 その、IMFは日本に消費税の増額を要求している。 結論から言えば、菅直人首相になったところで、日本のアメリカ隷属状況は変わらないだろう。 最後に、アメリカに隷属している内に、この日本の国土がどうなってしまっているのか、それを図で見て頂きたい。 (以下の図は、「週刊金曜日」のご好意で、2010年6月4日号に掲載された、「安保による日本列島の侵略基地化」を使わせて頂いた物です) まず、日本全体がアメリカの侵略基地となっているその全体図を見て頂こう。 (全ての写真は、クリックすると大きくなります) まず、沖縄県全体の面積の10.9パーセント、沖縄本島の面積の19.3パーセントを米軍基地が占めていることに注目して頂きたい。 沖縄県の面積は全国の0.6パーセント、そして、日本全国にある米軍基地の25パーセント、日本全国で米軍基地が占める面積の内75パーセントが沖縄にある計算になる。 その沖縄の樣子を、拡大してみる。 沖縄の米軍基地問題は、深刻な問題だが、我々が見のがしている大きな問題がある。 それは、アメリカが日本の空域を支配していることである。 福生市に横田基地がある。その周辺の空域は横田エリアといって、米軍の支配下にある。 そこで何が起こるか。 日本の民間航空会社は、その横田エリアを通ることが出来ないのである。 横田エリアと言うと横田基地だけのように思われるが、写真を拡大してみよう。 何と1都8県にまたがる広さである。 しかも、この図では、平面だけしか分からないが、空域となると、その上空遙か高くまで入るのである。 定期航空協会のホームページ http://www.teikokyo.gr.jp/pdf/20060511_pamphlet.pdf から、引用させて貰った図を見て頂きたい。 こんな空域の高くまでアメリカが支配していて、日本の飛行機が入れない。 羽田から西方向へ行く場合、一旦羽田を離陸した後東京湾内で大回りしながら横田エリア上空を飛び越える高さまで上昇しなければならない。 羽田発大阪行きは特別に横田エリアを飛んでも良いが、高さの制限があるから、横田エリアを出てから、最適高度まで再上昇しなければならない。 ともに、大変な燃料の無駄遣いをすることになる。 羽田・成田空港へ西から到着する場合、横田エリアを避けて飛行しなければならない。 定期航空協会の計算によれば、この横田エリアを避けるために、年に140億円も無駄な燃料を使っている。 狭い個所を往復の飛行機が通過しなければならないので、混雑する。 横田エリアだけでなく、岩国エリアもある。 ここも、当然、日本の飛行機は飛ぶことが出来ない。 自分の国の空を、アメリカに支配されていたなんて、みんな考えたことがないんじゃないのか。 燃料の無駄遣いも重大な問題だが、それ以上に日本と言う国の主権が侵されていることの方が遙かに重大な問題だ。 自分の国の空を自分の国の飛行機が自由に飛べない、そんな国は独立国ではない。 主権国家であれば、自分の国の空域を全部自分で支配するべきだろう。 その他にも、アメリカが日本の国土を支配している樣子を、地図の見方を参照にして、しっかり把握して下さい。 空域管理エリアだけでなく、演習空域なども作っているんだから傍若無人だ。 そんこと、みんな知ってましたか。 私は、この地図を見て寒気がした。泣きたくなった。 いくら何でもひどすぎる。 ここまで、踏みにじられて、平気でいられたら、まともじゃない。 ロシアが不当に占拠している、北方四島の返還を要求することも大事だが、この空域をまず返還させることの方が大事だろう。 毎日何百便もの飛行機が、横田エリアのお陰で、多大な迷惑をこうむっているのだ。 自民党、民主党、は何か事が起こった場合、アメリカの軍事力に守って貰わなければならないから、米軍基地は必要だ、と言う。 しかし、何かが起こった場合、などと言うが、どこの国が日本に戦争を仕掛けるというのだ。 ロシア、韓国、中国、北朝鮮、可能性があるのはこの4国しかないが、この4国のどれが日本に攻撃を仕掛けるというのか。 北朝鮮の金正日氏は、時々とんでもないことをするから、ノドンやテポドンを日本に打ち込まないとは限らないが、そのミサイルは、米軍がいても防げない。 ミサイル防衛計画など実際の役に立つかどうかもわからないし、まだ完成もしていない。 米軍には防げない。 しかも、アメリカは尖閣諸島で日本と中国の間で何かが起こっても関わり合いにならないという。 何処かの国が日本へ戦争を仕掛ける可能性はゼロに近い。 唯一可能性がある、尖閣諸島で起こるかも知れない中国との揉め事に際してアメリカは日本を助けないという。 それでは、アメリカ軍に日本にいて貰う必要がない。 米軍は、日本にとって厄介なだけで、何の役にも立たない。 それなのに、アメリカ軍日本に居座り、イラクやアフガニスタンに、日本の基地から攻撃に行く。 アメリカは、第二次大戦の戦利品として、日本を徹底的に利用してしゃぶり尽くすだけなんだ。 「在日特権を許さない市民の会」という集まりがあって、朝鮮大学などに激しいデモをかけているようだが、在日で一番特権を享受している米軍基地と米軍関係施設になぜ、デモをかけないんですか。 思いやり予算を今までに5兆円以上貰って贅沢な暮らしをしている在日米軍関係者こそ、一番特権を与えられている存在で、在特会が攻めるべき相手だと思いますが。 さて、結論。 鳩山由紀夫首相から、菅直人首相へ変わったところで、我々日本人がこのままの奴隷根性である限り、未来永劫、日本はアメリカの奴隷国家だ。国として、人間として、誇りも何も無い属国のままだ。 鳩山首相も駄目、菅首相も駄目、ああ、本当にみんな、何とかしようじゃないか。 私は、このまま、アメリカの属国の人間として死ぬのはいやだ。 反米を煽っている訳じゃない。 日本を普通の国に返したいと願っているだけだ。 奴隷のまま死ぬのは切なすぎるのだ。情けないのだ。みじめなのだ。
- 2010/09/05 - 父の日 いや、驚きました。 前から、書いていますが、私の家の可愛いラブラドールのポチは16歳を過ぎて、老い衰え、家族の者がいないと泣くので、この一年ほど、家族揃って食事に出られないという悲惨な日々が続いているのですが、今日は、連れ合いに 「もう、今日は、ポチを泣かしてしまおう。小籠包でも食べに行こう」 とさそったら、連れ合いは実に冷たく 「あら、私たち、ポチを泣かしたくないわよ。今日は家で夕食よ」 といなされてそれでお終い。 その、「私たち」と言うところにご注目ください。 連れ合い一人の「わたし」ではないのです。 「わたしたち」と言うからには、娘たちも入っているのです。 こうなると、私には抵抗する術がありません。 実は、シドニーの「小籠包」は化学調味料の使用量が凄く、二つ食べただけで私の場合舌が腫れ上がるのですが、あの「小籠包」自体の味は忘れがたく、ときどき、舌を腫れ上がらせながらでも食べたりするのですよ。 食べた後で「シー、ハー、シー、ハー」と口を大きく開けて舌をさましながら歩く私を見て、連れ合いや娘たちは 「もう、お父さん、小籠包なんかやめたら」などと言います。 本当にやめたいのだが、あの、熱いつゆが小籠包の中から噴き出す一瞬の快感が忘れられず、つい、食べに行ってしまって、 「化学調味料を作っている奴らを殺せ」 などと不穏なことを喚くのです。 正直に言って、シドニーの「小籠包」は「食べてはいけない食べ物」の一つです。 で、なぜ驚いたかというと、夕食の時間になって、長男が 「お父さん、ご飯だよ」と呼びに来てくれたのですが、その後のことです。 食事の迎えに来てくれたその長男が少しばかり、酒臭い。 で、「おまえ、もう酒を飲んでいるのか」とたずねると、長男は、 「料理する時は、酒を飲まなきゃ」などと言う。 おかしいな、と思いながら、食卓にたどり着いたら、ああ、なんと言う事、今日は「餃子大会」ではないか。 水餃子、焼き餃子、そして、我が家独特の「ローピン」だ。 「ど、どうしたの!」とたじろぐ、私に、家族一同が「今日は父の日よ」と言ってくれた。 日本とは違うのだが、オーストラリアでは、今日が父の日なのだ。(9月の第1週の日曜日) もう、本当に、涙、涙、ですよ。 美味しくて有り難くて、こんな幸せな思いをしていいのかな、と思いました。 餃子作りは、これは大変な作業だ。 本当に美味しい餃子なんて、簡単に作れる物ではない。 一番大事なのは、餃子の皮作りです。 スーパーなんかに行くと餃子の皮、と言うものを売っているが、あんなものを使って作ったら、我が家の餃子ではない。 私の父は十年以上前に亡くなりましたが、自分の孫たち、即ち私の息子・娘たちに餃子の皮の作り方、また、父が中国で教わってきた「ローピン」の作り方を徹底的に教えていきました。 で、今日も、餃子の皮、ローピンは長男の手による物です。 長男は、小麦粉に水を加え、塩を加え、練って練って練りまくるところを全部引き受けます。 刻んだ青ネギを練り込んだローピンも長男が作りました。 餃子の中身は、娘たちと連れ合いによる物です。 そう言う訳で、餃子の皮も中身も最高、言うことなし。 この、餃子、それも、主に水餃子を食べていると、私には、懐かしい両親の顔が浮かぶのです。 こう言うことは、子供たちには思いもよらない。 しかし、私には、日本が戦争に負けて、それまで栄華を極めていた北京から日本へ逃げ帰ってきて、突然すさまじい貧窮の世界に陥ったあの当時の両親の姿を思い浮かべて、その両親が私に伝えた餃子とローピンを、私の子供たちが完璧に作っているのを見ると、目を見開いていても、その目の裏に涙の滝が流れているのです。 感傷にふけるのはみっともない物です。 でも、感傷に浸ることの出来るのは・・・・、などと、余計な言い訳を言うのはやめます。 今夜は、思い切り、感傷にふけります。 こんな物、読んだ人は、大変な災難だね。
- 2010/09/04 - 我が家の歴史教育の成果 数日前、夕食の時に、次男を除いて家族全員そろった。(最近はみんな働いているから中々全員揃わない。しかも、次男は、今、東京で働いている) 私にとって、一番の楽しみはこの夕食の時の一家団欒で、この楽しみのために,毎日仕事をしているのである。 私は、酒を飲まないと食事は10分もかからずに終わってしまうが、酒を飲むと2時間も、時には3時間もかかる。 最近は子供たちにうるさがられるようになったから若干控えているが、昔は、私が色々とおしゃべりをした。これは、子供たちに必要だと思う教育を与える意味もあった。 子供たちも,この時間は大切だと思ってくれていたようで、次男が小学生でまだビデオゲームに凝っていた頃、食事を終わったら早くゲームに戻りたかったのか、すぐに席を立ったら、長男が次男に「おい、食事の後は皆で世間話をするんだよ」と怒った。 この、世間話、と言うところが如何にも長男らしく屈託がなく愉快だと私と連れ合いは喜んで笑ったが、正にその通りで、家族でとりとめのない事をおしゃべりするのは本当に楽しい物だ。 で、数日前の夕食の時に色々おしゃべりをしている際に、私は、「もう22年もいるし,みんなオーストラリアに仕事を持っているから、そろそろオーストラリアの国籍にするかい」と子供たちに尋ねた。 私は、子供たちが「そうだなあ、」とか、「考えてはいるんだけれど」などと、肯定的な態度を示すかと思ったら、とんでもない。鼻もひっかけない。 「そんなこと考えられないわ」「私は、日本がいい」「いやだよ、そんなの」とまるで問題にしない。 それで、その話はお終いになって、他の話題に移ってしまった。 その冷淡、無関心なことといったら、オーストラリア人の友人たちが見たらがっかりするだろうと思った。 子供たちは、自分たちが日本人であることを大変に誇りに思っていて、国籍を変えるなんて、とんでもない事だと考えているのだ。 日本一の愛国者を自認する私としては、嬉しかった。 私の子供たちは,実に堂々たる日本人である、と自慢したい。 我が家庭教育の成果ここにありだ。 私は、子供たちが物事が分かるようになってから、ずっと厳しい歴史教育をしてきた。 絶対に日本の学校では教えてくれない、日本の現代史を、しっかり教えてきた。 日本の朝鮮、中国、東南アジア侵略についての事実。 日清戦争、日露戦争が司馬遼太郎のいうような「祖国防衛戦争」ではなく、明確な侵略戦争だったこと。 日本の韓国併合が犯罪であること。 日本人の、韓国、共和国、中国人、その他東南アジアの人々に対する偏見と差別の犯罪性と醜悪さ。 慰安婦問題。 こう言うことを、きっちりと、一つも誤魔化さず、きちんとした一次資料を基に、教えてきた。 10数年前に、マレーシア・シンガポールに、第二次大戦中に日本軍がシンガポール・マレーシアでどんな残虐行為をしたか検証の旅に出た。 その結果、もう、目も耳もふさぎたくなるような、事実を見せつけられた。 今の日本人の大多数が知らないか、無視している史実である。 その時、大勢の人達とインタビューをした。 その、インタビューは困難を極める物で、まず言葉の問題が一番大きかった。 日本軍は、マレーシア、シンガポールでは主に中国人を虐殺した。それは、現地の中国人が、共産党と繋がっていると言う予測の元に、また、中国で戦線を拡大している日本軍にとって、中国人は全部敵だと思ってのことだったのだろう。 シンガポール・マレーシアの中国人は、広東語、福建語、客家語、広東地方の方言、などを話す。(中国の言葉は、同じ漢字を使っても、地方ごとに完全に発音が違う。香港などでテレビを見たことのある方はご存知だと思うが、画面で、登場人物は中国語を喋っているのに、その下に漢字の字幕が出る。それほど、地方によっては同じ中国語とは思えないほど発音も文法も違うのである) シンガポールでは、シンガポールの日本語新聞「星日報」の長井一夫編集長、清水愛砂さん、簫翰宇さんなどの力を借りた。 まず、広東の地方方言で喋る人の言葉を、その方言の分かる中国人が広東語に直して長井さんに話してくれる。それを長井さんが、日本語に訳してくれる。 別のところでは、清水愛砂さんが、広東語から日本語に翻訳してくれる。 また、簫翰宇さんが清水さんに分からない方言を聞きとって、英語で私に話してくれる。 マレーシアでは、粱麗麗さんが、広東語や福建語から英語に直してくれる。 英語を喋る人からは英語で聞く。 結果として、一番多いのが英語による聞き取りだった。 その英語の聞き取りのテープを文書に起こしてくれたのが、長女と次女である。 その内容たるや、日本軍のすさまじい残虐行為の数々である。虐殺、強姦、略奪、拷問。 そのテープ起こしを、当時高校生と中学生だった、長女と次女にさせたのである。 残虐行為の犠牲になった当の本人の生の言葉を聞くのだから娘たちには辛い仕事だっただろう。 私は、子供たちが真実を知る教育になると思って、させたのだ。 その結果は、飛鳥新社から「日本人の誇り」として出版した。 さて、日本では、歴史の書き換えをしたがっている人達が沢山いる。 そう言う人達は、過去の日本の歴史をきちんと振り返ろうとすると、それは「自虐的だ」という。 過去の歴史を正確に語ろうとすると、それを「自虐史観」だという。 冗談も休み休み言って貰いたい。 だれが、自分たちの父や祖父たちが犯した犯罪的な行為を知ることが楽しい物か。 こんな辛いことが楽しい訳がないだろう。 大体、そんな残虐行為を犯した日本兵だって、戦争で駆出されなければ、家庭では穏和で柔和で平和な男たちだったのだ。(家庭内暴力などは勿論あっただろうが、それは戦時でなく平時でも起こる全世界共通の問題だ) 普通のそこらの町の男に残虐行為をするように仕向けた物は何なのか、それを突き止めなければこの世の真実は理解出来ないのだ。 「自虐」にふけって楽しむような、変態的な性癖を私は持っていない。 ただ、私は史実を正確に知らなければならないと思っているだけだ。 「自虐史観」だ「司馬史観」だなどと言って、過去の事実をねじ曲げ、嘘で固めて過去を美化をし、子供たちに真実を教えまいとする人々の罪は重い。 その人たちは、日本の次代を背負って立つ若い人達に対して計り知れない被害を与えている。 自分たちの歴史をきちんと知らないばかりに、海外で、大恥をかいてビジネスも上手く行かなくなった例は沢山ある。 歴史を知らない日本人があまりに大勢いるので、「日本人は嘘つきだ」「日本人は不正直だ」「日本人は、また良からぬ事を企むに違いない」とあらぬ非難を現実に我々は受けている。(我々というと一般的に過ぎる。はっきりと、私は、と書こう) 日本の中にとじこもって、異常なる排外主義と変態的民族主義的ナルシシズムにふけって、仲間同士、嘘のつきっこをし、空威張りをし、あさましい慰め合いをしている分には自分たちの真の姿が分からない。 一歩、外国に出てみればよい。 経済的にこれだけ国際化が進んだ現在、特殊な職業に就いている人達(歴史書き換えに専念している大学教授、評論家、外国語もしゃべれないくせに外国の哲学を日本へ輸入することで生計の道を立てている不思議な大学教授、戦前からの右翼的風潮を強く持っている大企業、大出版社、マスコミ、などにしっぽを振って生きて行くジャーナリストと称する人間達)以外は生涯外国人とつきあわないですむ、と言う訳にはいかないだろう。観光で海外に行く人も多いし、外国からの観光客も来る。 まともな歴史教育を受けていないと、外国人と会った時に赤っ恥をかく。 外国の大学卒業程度の教養を持つ人達は、それぞれ、歴史をしっかり学んでいるし、自分の意見も確立している。 いわば、きちんと対社会的な理論武装が出来ているのである。 そこに、とんでもない嘘の歴史を教え込まれた日本人が出かけて行ったら、其の場でその日本人は、レッド・カード一発退場! おおばかもの!下らない人間のクズ!などと、あざけられてお終いだ。 「歴史書き換え論者」たちは、日本が国際的に活躍出来ないように手足を縛り上げるために、一生懸命取り組んでいるとんでもない犯罪者たちだ。 「新しい歴史教科書」なんか作っている人達は、どこか外国の破壊工作組織から金を貰って日本を駄目にするために陰謀を企んでいる人達に違いない。(わ、は、は、は、こう言う低級な陰謀論は連中にぴったりで面白いねえ) そうでなければ、あそこまで日本を駄目にしようと思う訳がない。 ああいう人間こそ、この日本を没落させようと企んでいる、悪党連中だ。 嘘をつき、ごまかしを言う人間がどれだけ、他人に軽蔑されるか、馬鹿にされるか、相手にされなくなるか、どうしてあの連中は分からないんだろう。 私の子供たちは、「歴史書き換え論者」にいわせれば「自虐的」な歴史を私にきちんと教えられた。(「自虐的」でもなんでもない、歴史的事実を教えただけだけれどね) しかし、私の子供たちは、自分たちは未来に生きるんだ、という決意があるから、過去の歴史を知ることで卑屈になったりすることはない。 過去の歴史をきちんと知っているから、自分たちはおなじ間違いを犯さないという自信がある。 私の子供たちは中国人とも韓国人とも、オーストラリア人とも、どこの国の人間とも対等に仲良くやっていっている。 次女は、大学の時に,韓国人の同級生と一緒に暮らしたりもしていたし、私の息子たちはアジア人の友人を沢山持っている。 私の子供たちは、一切の人種的偏見を持っていないし、きちんと歴史の事実を知っているから、アジア人の友人たちからも、オーストラリア人からも、みんなから信頼されている。 そして、これだけ、徹底的に、「歴史書き換え論者」たちに「自虐史観」といわれる歴史の事実を私が叩き込んでも、日本を誇りに思っていて、日本の国籍を捨てることなど夢にも思わない。 日本人として堂々と胸を張って世界中の人間を相手にしている。 アメリカに行ってもヨーロッパに行っても、人間の根本を真実で鍛えてあるから、逆におかしな差別を受けることが万一あってもへこたれない。差別と対決して勝利する力の備えは充分にある。 「歴史書き換え論者」のような連中に、嘘にまみれた歴史教育を施されると、世界における、本当の自分の姿を掴むことが出来ず、しっかり対社会的な理論武装の出来ている外国人をあいてにしたら、へなへなと、くずれおちてしまうだろう。 本当の愛国とは、嘘をついて自分を飾り立てることではない。 過去の過ちをしっかり認める勇気を持ち、二度と過ちを犯さないという強い決意を持ち、全ての外国の人々から信頼を受けて、未来に向けて日本と日本人が繁栄する道を切り開くことである。 (本当のことをいうと、愛国とか、日本人とか、日本の国とか、そんなことにこだわりたくないのだが、この世界では当分の間、これから少なくとも百年近くは、国民国家の時代が続くだろうと思われるので、今ある自分たちを守るために、仕方なく日本人とか日本の国とか、言っているのである。 早く、この国民国家の時代を終わらせて、「ヨーロッパ連合」を更に改良した形の「世界連合」を作るのが我々の義務だ。その「世界連合」では、民族意識は文化として残るだろうが、政治的な意味を持つ物ではなくなるだろう。) 「歴史書き換え論者」は、弱虫毛虫挾んで捨てろ、みたいな連中である。 自分たちの過去をはっきり見つめる勇気がない。 過ちを正す勇気もない。 人間としての誇りがない。人間のクズ共である。 私は、私の子供たちに正しい歴史教育を与えることが出来て本当に幸せだった。 「歴史書き換え論者」がこれ以上はびこったら、日本はゴミためになりますよ。 最近、「歴史書き換え論者」の努力が功を奏して、日本に大分ゴミが増えたようだ。 そう言う訳で、私の子供たちは、立派に育ってくれた、と日本一の愛国者の私は、にんまりしているのである。 (単に、子供自慢をしている訳ではありません。正しい歴史観を「自虐史観」だなどと言う汚らしいウスバカゲロウに殺虫剤をかけてやっただけですよ)(あ、本当のウスバカゲロウはきれいな昆虫です。前に書いてあるウスバカゲロウは漢字に直してください。へっへ、流石にここで私自身が漢字に直す訳にはいかないね。みなさん、それぞれにしてみてね) (ヒントをいうと、ウスバカゲロウを本来の昆虫の名称どおり薄羽蜉蝣として、薄羽・ウスバと蜉蝣・カゲロウの二つに分けないこと。ウスは薄、ゲロウは下郎という字をあてること。その間の字は簡単に分かりますね) (なんて、結局、全部ばらしちゃったな)
- 2010/08/17 - お相撲さんをいじめる前に このところ、大相撲と、暴力団と関係が問題になっている。 野球賭博にのめり込んだお相撲さんと(私は、とにかく相撲が好きなので、どうしてもお相撲さんと親しみを込めて呼びたいのだ。力士などと、つまらない言葉は使いたくない)ヤクザの関係が騒がれて、名古屋場所は開催すら危ぶまれた。 昨日は、現大関がゴルフの競技の際に暴力団関係者と一緒に写真に写っていた事が取り上げられて、騒ぎになった。 暴力団が、最悪の存在であることは論を待たない。 あの連中がいなければ、どんなに、この社会が清潔で平穏でいられることだろうか。 覚醒剤、麻薬、なども暴力団がいなければここまで社会的に蔓延しなかっただろう。ヤミ金融、右翼団体を装った暴力団による脅迫事件、ヤミ金融、貧困者を狙い撃ちにする貧困産業、など、暴力団にによって日本の社会がこうむっている被害は巨大な物がある。 日本では、公にされていないが、日本のバブル経済の破綻の大きな原因はヤクザによる物であると外国では知られている(なぜ、日本では公にされないのか、それは大企業、マスコミも全部暴力団の影響を受けていたからである)。 日本のバブル景気は不動産景気による物が大きいが、その不動産取引に大きく拘わっていたのが暴力団・ヤクザである。 バブル経済が破綻した後、不良債務を背負った企業の名前が公表されたが、その多くが、広域暴力団と関わりがあった。 いわゆる昔からの大財閥企業も、地上げなどの不動産買収に暴力団・ヤクザを使っていた。 暴力団と大企業の関係は、実は戦後の日本では当たり前のことなのである。 以前、自民党の成立時の時に書いたことだが、日本の暴力団の総元締めである児玉誉士夫が日本の政治・経済に大きな影響力を及ぼしていた。 今、問題になっている日韓条約の締結に関しても、児玉誉士夫が岸信介と共にアメリカの意を受けて大きな働きをした。 1965年に九頭竜川汚職事件、が問題になった。 その時、暗躍したのが児玉誉士夫であり、児玉誉士夫と組んだのが後の総理大臣中曽根康弘であり、さらに、中曽根康弘に協力したのが、現在日本を代表する大新聞の会長である。 このように、日本を代表する大企業、総理大臣、その他の政治家、大新聞の会長まで、暴力団と深い繋がりがあるのが、日本という国である。 私は、お相撲さんびいきで言っているのではない。 お相撲さんが暴力団とゴルフをしたことを、大相撲の存続にまで影響するほど批判するなら、どうして、大企業、政治家、大新聞を暴力団の繋がりで批判しないのだ。 第一、自分の会社の会長が暴力団の親玉と深い繋がりがある大新聞が、良くもしゃあしゃあとお相撲さんを批判出来る物だ。 私は、お相撲さんと、暴力団が関係を持つことを絶対に擁護しない。 ならば、お相撲さん以上に、この日本の社会に深く強い影響力を持っている大企業、大新聞との暴力団の繋がりを、きちんと批判するべきだろう。 お相撲さんをいじめる前に、我々がとっちめなければならない連中がいるのを忘れてはならない。 お相撲さんばかりいじめて、自分たちの汚い面には頬かぶりしている新聞や政治家をまず、やっつけることだな。 大新聞、大企業、政治家が、自分たちの身代わりに、大相撲を潰すのはこれは許せない。 ああ、野見宿禰(のみのすくね)を呼び戻して、今お相撲さんをいじめている連中を投げ殺して貰いたい物だ。 (「野見宿禰」垂仁天皇の頃の廷臣。出雲の人。天皇の命により,当麻蹴速(タイマノケハヤ)と相撲をとって投げ殺し、以後朝廷に仕えた。《三省堂、スーパー大辞林》日本の相撲の元祖と言われる人間である)
- 2010/08/16 - さあ、元気を出すぞ この二週間、体調が最悪で、このブログの書き込みも、殆ど途絶えてしまっていた。 別に、死んだ訳ではない。 この体調の悪さはなんと言って良いのかね。 まず、頭だろうね。 頭の腐敗が進んだというのが正しいのかも知れない。 体も心も、深く深く沈み込む。 その理由は、しみじみ、この世界がいやになったと言うことなんだろうな。 今、まともな社会、って世界中に何処か有りますか。 2億5千年万年続いて、絶対にこのまま栄え続けると思った恐竜が亡びたのが6500万年前。 今では、小惑星の衝突による気候の変動が恐竜を絶滅させたと言う説が有力である。 有力であると言うだけで、それが、正しいと決まった訳ではない。 人類は、今亡びつつあると思う。 だって、あなた、この狭い日本だけで50基以上有る原子力発電所が、地震か何かで二つ、あるいは三つ壊れてご覧なさい。 日本だけじゃない。 世界中が、大変な被害を受けます。 中国も、どんどん新しく、原子力発電所を作るという。 ちょっと待ってくれよ。 中国のあの三峡ダムは何だったの。 今回の洪水を止めるのに何の役にも立たなかったじゃないか。 あれだけ大げさなことをして、一体これは何なんだ? そう言う国が、原子力発電所を作るというのは怖いよな。 だって、ぜんぶ、共産党幹部のメンツを立て、私腹を肥やすためだけなんだもの。 チェルノブイリ一つであれだけの騒ぎになったんだ。世界中の原子力発電所が四つか五つ壊れてご覧なさい。 お終いですよ。 どうして、みんな、こんな危険な物を安全だ、安全だと言い張るんだろう。 原子力工学を学んだ者は、特別に頭が良い訳ではありませんよ。 原子力のことをよく分かってもいない。(私は、色々な原子力工学関係者から話を聞いて、彼らは、たんに希望的予想に全てを賭けているに過ぎないと確信するに至った。安全について確信を持っている関係者は一人もいなかった) 工学部で、他に行くところがないから仕方なく原子力工学部に行ったと言う人間も多い。 要するに、原子力発電に対して、自らの全てを献身するなんて気持ちはさらさら無い人達が少なくないのだ。 原子力発電所の研究員も、事故が起こる前に、自分の定年が来るようにと、それだけ願っている人々が少なくない。 実際の、危険な作業は自分たちでせず、契約社員にさせている研究員が、反論出来るか。 出来たら、反論して下さい。 このブログに、その反論を、きっちり載せますから。 ところで、東京大学から、「原子力工学科」が無くなったのは面白い。 とにかく、進学希望学生が全然来ないというのだ。進学希望学生がいなかったら、学科なんか成り立たないのは当然だ。 学生たちは分かっているんだね。 学生たちは、自分たちの未来に対して必死に考えるから、未来のない学科には行かないんだよ。そう言う意味では、東大の学生は、ちゃんと物事を考えているな。 人類が亡びるのは、原子力発電所のせいだけではない。 日本は人口減少が問題になっているが、世界的には、今人口爆発という未曾有の事態に直面している。 地球の歴史を見てみると、だいたい、一つの種の動物が過剰に繁殖すると、必ず反動が来るようだ。 今、中国、タイ、インド、あの辺りで、水争いが激しい。 中国は、司馬遷の時代から全く自国の覇権しか考えない国だから、隣の国の水問題など考えない。そう言う、感性はない。 で、いま、あのアジア大陸の川の入り組んだ辺りに、どんどん中国がダムを造って水を中国に引いていくので、近隣の国と大変に揉めているという。 しかし、今や、中国は経済大国、軍事大国だ。 タイや、インド、パキスタン、などが中国と対抗しようと思ったらこれは大変だ。 まともに戦争をすれは,中国に敵う訳がない。となると、また、局地戦争、テロの連続か。 ここまで、異常に人類が繁殖して、環境を破壊したら、もうじき食べ物と水を巡っての激しい争いが起こるだろう。 昔は、槍と刀で戦っていたが、今は、核戦力だ。 さらば、人類、その日はそんなに遠くない、と思う。 と、まあ、こんなに悲観的にならずに、元気を出そう。 それが、我々の世代の人間の責任なのだから。 ところで、最近、私の次女がラーメン作りに凝りまして、まあ、あなた、麺を作るところから始めるんですよ。 しっかり麺生地を作って、充分の時間寝かせて、それで、パスタ製麺機で細麺を作るんです。 出汁は、青森の、アジの焼き干し、健康肥育の豚の肩ロースの煮込み汁(有機認定が難しいので有機と言えないが実質有機肥育の豚だ)、それに有機肥育のニワトリのがらである。 有機肥育のニワトリの卵を煮卵にする。これがうまい。 どんぶりの表面には、豚の肩ロースの煮込みの薄切り、煮卵を半分に切った物二つ、当然、煮卵の半熟の黄身がとろりぬめぬめと旨そうに流れ出かけています、わかめ、小松菜。 もう、このラーメンを食べると、他のラーメンなんか食べられませんよ。 私なんか、このスープ全部飲んだら、塩分過多になるかなと怯えつつ、どんぶり一杯のスープを飲んでしまう。 ああ、途中でやめられない。旨いんだ。 麺が旨い、スープが旨い、煮豚が旨い、卵が旨い、何もかも本物だから旨い。 不満はただ一つ。麺の量を増やしてくれい!替え玉ありにしてくれい! この、次女のラーメンを食べる度に、ラーメン専門店は、何をしているんだ、と腹が立つ。 ずぶの素人が、全く普通に作ってこんなに美味しいのに、ラーメン専門店は、わざわざまずくするために力を尽くしているのか。 そこが分からない。 返答せい!そこのラーメン屋! ああ、早く、また次女がラーメンを作ってくれないかな。 それだけが楽しみの、今日この頃でございます。 原子力発電所よりラーメンだろう。 そうじゃないかい、皆の衆。
- 2010/07/31 - スイカのショートケーキ 最近、AERAの2010年7月5日号を見ていて、「うぉーっ!これは食べたいっ!」 と言うケーキの写真を発見した。 私も、ずいぶん美味しい物にはすれっからしになっているが、このケーキは、その写真を見ただけで、目→頭脳→舌→胃袋といきなり伝わってしまった。 このケーキを食べたいっ! 余り食べたいので震え上がってしまった。 どんなケーキかって? ここは、朝日新聞社のご好意並らびにAERAのご好意にすがって、下にそのコピーを掲載させて頂く。 (こらあ、朝日新聞文句があるか、俺ンちでは物心ついた時から朝日新聞を取っているんだぞ、シドニーでも毎日取っているぞ。AERAと来た日には、創刊号から定期購読してらい。愛読者が、写真一枚使っただけで文句は言うまいな。著作権は朝日と、写真家の間で付けてくれ。) すごいでしょ。 この、赤いみずみずしい果物のショートケーキ。 私は、イチゴのショートケーキが大好きで、私の娘たちは私の誕生日には必ずイチゴのショートケーキを作ってくれるんだが、このショートケーキには参りましたね。 この、赤い果物は、イチゴじゃないんだ。 スイカなんです。 AERAに書かれているこのケーキの作者の話によると、 「日本一を誇る山形県の尾花沢スイカは、シャキシャキと歯触り抜群、糖度も高く、適度な水分が美味です。厚めにスライスして丸型で抜き、そのままのせて迫力と歯ごたえを持たせました」 と来たもんだ。 うーん。 頭の中で、色々、味わいを試してみる訳ですよ。 この食材と、この食材を、こう、合わせたらどうなるか。 とか、この香りと、あの香りと、合わせたらどうなるか。 とか、あの食感とこの食感と合わせたらどうなるか。 とか、とか、とか・・・・・・・ 結局、とか、とか、とか、の導くところ、このケーキは美味しいに決まっていると脳髄内判定が出ました。 私は、変な風に自信があるのだが、「これは美味しいだろう」と直感で感じた場合、外したことがない。 逆に、どんなに、食通と言われる人が「これは美味しいですよ」と言っても、なんと言うのか、変な勘が働いて、「これは美味しい訳がない」と思うことがある。 私の人生はとても不幸で、悪い予感は常に当たるんです。 でもね、食べ物に関しては、話に聞いただけ、見ただけで、びびーんっと胃袋が動くんです。 そう言う時は、まず、外しませんね。 で、今回のこの写真なんだけれど、凄い。 食べたい。 その一念が強烈に湧いてきた。 お菓子を見てこんな気持ちになったのはずいぶん久しぶりだ。 しかし、ああ、悲しいかな。 問題はスイカだ。 スイカは日本の夏の果物だ。 私は、不幸にして今シドニーにいる。 シドニーは今真冬だ。 次に日本へ戻れるのは9月の半ばだ。 とっくにスイカの季節は終わっている。 と言うことは、このケーキは食べられない、と言うことだ。 チキショーッ! グヤジーーッ! 私の人生は不幸が山のように重なっているが、ここにまた、一つ不幸が加わってしまった。 ああ、情けない。悲しい。残念だ。 そう思って、記事を読んでみると、このケーキを作ったのは町田政信氏、店の名前は白金台の「パティスリー&カフェ アトリエ シュン」で、この店を監修して開いたのは熊谷喜八氏とあるではないか。 熊谷喜八さんとは、氏が葉山の「マーレ・ド・チャヤ」にいた時からの30年近いつきあいだ。 もうね、喜八さん、いい加減にしてよ。 人のために自分の体を粉にして働くのはもう止めてよ。 この間も、言ったけれど、これからは喜八さんのためのゆっくり楽しい人生を送ってよ。 本当に、熊谷さんは人が良すぎるよ。 私が、「美味しんぼ」の「日本全県味巡り」で青森県の取材をしている時にも、突然私の取材先に登場してくれた。 熊谷さんは、青森県の産物を売り出すための企画に協力している。 青森だけじゃない。 あちこちで、熊谷さんの力を頼んで地場の産物を盛り上げたいと言うところがあると、あれだけ毎日働いて疲れているのに、熊谷さんは二つ返事で出かけて行く。 私のような、利己的な人間とは正反対の生き方をしている。 でも、古い友人として心配だ。 もう、このスイカのショートケーキくらいで、いいにしてくれ。 9月に日本へ戻ったら、秋谷で釣りでもしてのんびり遊ぼうね。 喜八さん!
- 2010/07/18 - 沖縄の人達は分からん 全く、驚いたね。今度の選挙には。 沖縄の人達は、一体何なんだ。私には分からんよ。 普天間基地の件で、鳩山由紀夫氏に対して「怒」、「怒」、「怒」、「怒」と書いたプラカードを振り回して騒いでいたのは誰だったの。 普天間も何も、沖縄の基地問題の根本を作ったのは自民党政府でしょう。 鳩山由紀夫氏が普天間基地問題を上手く処理出来なかったのは、アメリカと自民党が築き上げた大きな壁と足かせのせいだと言うことが分からないほど沖縄の人間は物を考える力がないんですか。 その足かせを作るのに、沖縄の人間も多く関わっているんですよ。 普天間基地問題を上手く解決出来ないから、と言うのが鳩山由紀夫氏に首相を辞めさせた側の論理だったでしょう。 沖縄の人達は鳩山由紀夫氏に首相を辞めろと言ったでしょう。 ところが、まあ、どうでしょう。 普天間基地問題で「怒」、「怒」、「怒」とあれだけ鳩山由紀夫氏を罵りながら、普天間基地問題を作り出した自民党の島尻安伊子氏を当選させる。 どう考えても、理性では、判断出来ない行動ですよ。沖縄の人達が今度したことは。 私は、あの「怒」、「怒」、「怒」をまともに受取ってしまった。 だが、本当の意味は、あれは、自民党の決めたとおり、これからも、アメリカ軍の基地の島として、生きて行きます、と言う決意表明だったのね。 それを邪魔する、鳩山由紀夫氏に対して怒りを表明したのね。 言うことと、することがこんなに違ってしまっては、どうすることも出来ませんよ。 私は普天間の問題を真面目に考えて損をした。 「泡瀬干潟」の問題を私は「美味しんぼ」に書いたが、実は沖縄の人達は「泡瀬干潟」の埋め立ても本当は望んでいるのかと、疑いたくなる。 私が今度は沖縄の人達に、「怒」、「怒」、「怒」の札を突きつけて上げますよ。 これがサッカーなら、レッドカード、一発退場だよ。 「怒」、「怒」、「怒」、「怒」、おまけにもう一つ、「怒」だ。
- 2010/07/13 - 前回の翻訳について 次女が、今日「お父さんの、記事の綴りの間違いを直して置いたわ」と言った。 前回の私の書いた記事の中の英語に綴りの間違いを発見して直してくれたのである。 なんと、私の子供たちは、私の知らぬ間に、私のブログの管理人の権限を持っていて、子供たちが私のページの間違いを直してくれるのである。 親馬鹿をさらして大変に恥ずかしいが、自分のブログの間違いを子供が直してくれるとは、こんな父親は滅多にいないだろうと、本当に有り難いと思うのである。 しかし、さらに、次女は、私のブログの中の、英文の解釈にも異議があるという。 それは、 「As the party's leader, he(岸信介)allowed the CIA to recruit and run his political followers on a seat-by-seat basis in the Japanese parliament.」 の部分だ。 私は、この「followers」は既に岸信介の派閥に属した人間、即ち、岸の配下、と読んだのだが、次女は、文藝春秋社版の様にも読めるという。 さあ、大変だ。 親馬鹿を更にさらしてお恥ずかしいが、次女の英語力は同年代のオーストラリア人の標準より高いし、日本語能力も、同年代の日本人に劣らない。 その次女に、異議を唱えられては大変だ。 そこで、もう一度、ブログ上ではなく、実際の二つの本を取り出して比較して貰った。 次女は両方の本を読み比べてずいぶん慎重に考えていたが、「普通に英語として流して読んだら、お父さんの読み方でよいと思うが、この文章だけを取り出したら、文藝春秋社版の様に取ることも可能だ。」 という。 問題は、この「his followers」の取り方だが、私は、「既に岸信介の派閥に属する人間、即ち岸信介の配下の人間」、と取った。 次女は、「その時岸の配下にない一般議員をも岸のfollowersにするためにCIAが動いた」、とも取れるという。 一番引っかかるのが、最後の「in Japanese parliament」という言葉だ。 これがあるから、「議員一般」という感じが出て来る。 色々意議論したが、結局、「他党派の議員はともかく、地方から選出された議員で岸信介の派閥に入った議員、すなわち、岸の「follower」であっても、必ずしもCIAとの関係があると限らない。そう言う、CIAに対して無垢な自分の配下にCIAが影響力を及ぼすのを、岸は許したのではないか」という私の意見を、次女は「うーん、やはり、全体から見ればそうかなあ・・・・・」と消極的ながら認めた。 ワイナーの別の個所の記述によれば、CIAは社会党の議員もリクルートしていたのだから、それを考えれば、この部分は文藝春秋社版の様に読めるのかも知れない。 英語としてはそんなに難しい物ではないのだが、その時の政治状況を考えると簡単ではない。 この辺のところは、ワイナー自身に聞かないと分からないことなのかも知れない。 そう言う訳で、前回の、その部分、読者諸姉諸兄も解読にご協力下さいませ。 よろしくお願いします。
- 2010/07/11 - 鳩山由紀夫氏から菅直人氏へ(2) この日記を書いている間に、参議院選挙で、自民党が結構票を集めていることがテレビで報じられている。 自民党に票を投じた人が、この私の日記を読んで、どう思うだろうか。 変に勘ぐられたりするのがいやだったから、選挙前に、こう言う話を書きたくなかった。 さて、選挙が終わったので前回の続きと行こう。 前回、昭和天皇の御用掛だった寺崎英成によって、 昭和天皇はアメリカが、沖縄と琉球諸島の軍事的占領を続けることを望む。 昭和天皇は、アメリカの沖縄(必要であれば他の島々も)の軍事的占領は、主権は日本のままで、25年から50年またはそれ以上の長期リースの形で行われるのが良いと言った。 と言う事実、さらに、 日本人の国民性には美点も多いが欠陥もあるから、米軍による占領は長期間つづくほうが望ましいと、昭和天皇は感じている。 と言うことが明らかになったことを記した。 私が驚いたのは、私が書いた上記の各項は、文藝春秋社から、1991年に発行された本に書かれたことであるのに、「知らなかった」という人の多かったことである。 それを知らなくては話にならないだろう。 昭和天皇の果たした役割を考えなければ、沖縄の基地問題を論じることは出来ないではないか。 どうして、多くの日本人がこんなに大事なことを知らずに、沖縄の基地問題を論じるのか。そんなことは全く無意味だ。 よくよく考えてみると、それは、日本の新聞テレビなどのマスコミの誘導による物だと思わざるを得ない。 テレビでは「皇室アルバム」などと言う番組があり、NHKなどでは、しょっちゅう皇室を日本人の家庭の理想像のように美しく描く番組を放送している。 新聞でもそうだ。 昭和天皇に都合の悪いことはなるべく隠すのだ。 隠さないまでも、なるべく表立って論じることを避け、みんなの意識に上がらないようにしているのだ。 戦後の日本人が新聞やテレビで見せられた昭和天皇の姿は、背広姿で顕微鏡をのぞいている姿、皇后と一緒に那須の別邸の庭などを散策している姿などである。 そして、昭和天皇は「平和を愛する天皇」「科学者である天皇」、園遊会で愛想を振りまく「慈しみ深い天皇」である。 ところが、1945年8月15日までの昭和天皇は、元帥帽をかぶり、いかめしい天皇服を着て、白馬にまたがって、皇軍を率いていた大元帥の勇ましい姿だった。 白馬にまたがった勇ましい大元帥が、どうして「平和を愛する天皇」なのか。 240万の日本の将兵はみんな、昭和天皇の大元帥姿を神と崇めて「鬼畜米英」「撃ちてし止まん」「死は鴻毛より軽し」などと言って天皇のために死んでいったのだ。 その昭和天皇が「平和を愛する天皇」だって? もう、戦争の敗北が決まった段階で「もう一つ、戦果を上げてから和平に持って行った方が上手く行くのではないか」と言った昭和天皇が「平和を愛する天皇」だって? 日本が中国対して仕掛けた侵略戦争、いわゆる「満州事変」も中国在中の関東軍司令部が勝手に兵を動かして始めた物だったが、昭和天皇は最終的に関東軍に 「(前略)勇戦力闘以テ其(その)禍根(かこん=災いの根)ヲ抜キテ皇軍の威武ヲ中外ニ宣揚セリ朕深ク其忠烈ヲ嘉ス(よみする=ほめる、よしとする)(後略)」 と言う勅語(天皇から国民に下賜するたちで発した意思表示。戦前の日本では勅語が最強の力持った言葉だった)を与えた。 この、侵略戦争を褒め称えた昭和天皇が「平和を愛する天皇」だって? ついでながら、勝手に戦争を起こしておいても、後で天皇に讃められば上手く行く、と言う前例がここで出来上がったので、以後、軍部の独走が始まった。 何が何でも、恥も外聞もなく戦果を上げればよいという日本軍の性格がこの天皇の勅語によって決まったのだ。 戦争当時、昭和天皇の側近を務めた木戸幸一の記した「木戸幸一日記」という物がある。 公共図書館に行けば置いてあるから読んで欲しい。 その中には、昭和天皇の生々しい言動が記録されている。 木戸幸一日記に寄れば、昭和天皇は、対米開戦を決める前に、海軍や陸軍の指導者の話を何度も何度も、聞いた後に 「海軍大臣、総長に、先ほどの件を尋ねたるに、何れも相当の確信を以て奉答せる故、予定の通りに進むる様首相に伝へよ」 と言っている。 昭和天皇は、アメリカとの戦争を始める前にさんざん検討を重ねているのである。 それは、勝つか、負けるか、の検討であって、戦争の善悪の検討ではない。 戦前の昭和天皇は操り人形ではなかった。(同じ人間が、戦後には、アメリカの傀儡、操り人形になったのだが、戦争を始める時点では、人形ではなく自分の意志で動いていた) これが、「平和を愛する天皇」か? 同じ、「木戸幸一日記」の1942年(昭和17年)2月16日に、次の記述がある、(日本がシンガポールを陥落させた直後のことである) 「シンガポール陥落につき祝辞を呈す。 陛下には、シンガポール陥落を聴こし召され(お聞きになって)、天機殊の外麗しく(天皇の機嫌は大変に良かった)、次々赫々たる戦果の挙がるについても、木戸には度々云う様だけれど、全く最初に慎重に充分研究したからだとつくづく思ふと仰せあり。誠に感泣す。(これまでに充分研究して戦争を始めたんだから、勝つのは当たり前だ、と天皇は言ったのだ。それに対して、木戸は感動して泣いた)」 とある。 最初から、戦争を慎重に充分研究した昭和天皇が「平和を愛する天皇」だって? もうひとつ、木戸幸一日記から。 1942年3月9日、前々日に、日本軍がインドネシア、ビルマを陥れたという知らせを聞いて、 「(前略)竜顔(天皇の顔のことをこう言う)殊の外麗しくにこにこと遊ばされ『あまり戦果が早く上がりすぎるよ』との仰せあり。」 もう一つ行くか。 1942年6月8日、ミッドウェーでの敗戦を聴いた後で、 「今回の損害は誠に残念であるが、軍令部総長には之により士気の阻喪を来さざる様に注意せよ。尚、今後の作戦消極退嬰とならざる様にせよと命じ置いたとのお話しあり。英邁なる御資質を今目の当たり景仰し奉り、真に皇国日本の有り難さを痛感せり」 「あまり戦果が早く挙がりすぎるよ」と喜んだり、ミッドウェーの海戦に敗れた後も、「消極的になるな」、と言う人間が、「平和を愛する天皇」だって? 天皇について更に続ける。 昭和天皇独白録の最後に結論とされている章がある。 その中で、昭和天皇は、次のように言っている。 「開戦当時に於る日本の将来の見透しは、斯くの如き有様だったのだから、私がもし開戦の決定に対して「ベトー(Vetoのこと、通常「拒否」と訳される)」をしたとしよう。国内は必ず大内乱となり、私の信頼する周囲の者は殺され、私の命も保証できない。それは良いとしても結局狂暴な戦争が展開され、今時の戦争に数倍する悲惨事が行はれ、果てとは終戦も出来兼ねる始末となり、日本は亡びることになったであろうと思う」 こう言う言葉を今読まされて、私は、血が逆流するような思いがするのである。 あの段階で、万一昭和天皇が戦争に反対したところで、誰が昭和天皇の命を狙えたか。 確かに、秩父宮などもっと好戦的な立場の皇族がいたことは確かだ。 しかし、かれらが、昭和天皇を殺して指揮者になれたか。 そんな状況ではなかったことは全ての歴史的資料が説明している。 本当に昭和天皇が戦争をしたくなかったら、自分の命のことなど、二の次にして、堂々と「戦争はしない」、と一言言えば良かったのだ。 そう言った結果、どうしても戦争をしたい人間によって殺されたとしたら、それでこそ本当に「平和を愛した天皇」だろう。 自分がもし殺されたら他の人間によって「結局狂暴な戦争が展開され」とあるが、そんな言葉は聞きたくもない言い訳だ。 昭和天皇がやってのけた戦争以上に狂暴な戦争を想像するのは、常識を持った人間には不可能だ。 昭和天皇の残した其の一文は、卑怯な言い訳として世界史に残るだろう。 もともと、この「昭和天皇独白録」は、、昭和天皇を戦争犯罪人にせずに、傀儡として戦後の日本を支配したいというアメリカの意志の元に作られた物だ。 こう言うアメリカの工作のお陰で、昭和天皇は戦争責任を問われることなく「平和を愛する天皇」として、歴代天皇としてはまれな長寿まで生き続けたのだ。 葉山の別邸で、そこらの漁師が拾ってきた貝殻や、虫を顕微鏡で覗いていると、そばに控えている御用学者が、「陛下!世界的な新種の発見でございます。おめでとうございます」と言い、数年経つと、昭和天皇が発見したと言う新種の生物の写真が載った豪華本が発刊される。 東南アジアや、アフリカの浜辺で、漁師の少年がちょいと網を掬うと、これまで登録されていない生物が幾らも見つかる。それを新種として報告して登録するのは、貧しい漁師の少年にはちょっと無理だろう。 少年は、面白い新しい生物を見付けたという誇りを生涯持ち続けるかも知れないが、平和を愛する科学者である、などと言ってくれる人は誰もいない。 昭和天皇は、顕微鏡を使って生物の細かい状況を見るのが得意だったようだ。 それなら、硫黄島、ガダルカナル、サイパンなどの戦地に顕微鏡を持って行って、戦死した兵士の骨を顕微鏡で覗いて、この骨はどの兵士の物であるか特定に力を尽くしたら、まだ意味があっただろう。 せいぜい、葉山の貝殻じゃあなあ・・・・・・・。 「平和を愛する天皇」か・・・・・・・。 日本という国は、嘘と偽善が絡まり合って救いがない。 昭和天皇の戦争責任問題は良く議論に上るが、昭和天皇の戦後責任につい語る人は余りいない。 先の戦争で、中国や東南アジア各国合わせて2千万とも3千万とも言われる人命が失われた。 日本の将兵240万人以上も命を落とし、アメリカ軍の空襲によって50万人近くの日本人が殺された。 それから考えると、確かに敗戦後、昭和天皇の責任によってそれまでのように直接300万人もの日本人の命が失われる事はなかった。 (300万人の日本人の命を奪った人間が、戦争に負けてそれ以上日本兵を殺せなくなったから、平和を愛する天皇となった。凄い論理だ) しかし、その代わり前回にも書いた1942年にアメリカが立てた「Japan Plan」通りに、天皇はアメリカの傀儡となって、アメリカの日本支配のために大きな役割を果たした。 アジア各国に与えた被害を別にして、日本人についてだけ言えば、300万人の国民を殺した戦争責任より、1945年以来、今に至るまでアメリカに隷属し続けているこの国の構造の根底を作った、昭和天皇の戦後責任の方が重いと私は考える。 ついでに、現憲法の第一条には、 「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であり、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」 とある。 この「象徴」という言葉に、日本人はみんな頭を悩ました。 当時の憲法担当大臣の金森徳治郎は「象徴」を「憧れの中心」と説明した。 どうして、天皇に憧れなければいけないのか。これでは、混乱するだけである。 何のことはない。 1942年の「Japan Plan」で既にアメリカは、戦後の日本を統治するのに、「天皇を平和のシンボル(象徴)として利用する」と決めていたのである。 アメリカは自分が勝手に決めたことを日本国憲法に翻訳したのであって、その真意が日本人に分かる訳がない。 それを、日本の憲法専門家という先生方が議論し続けたのだからご苦労千万な話である。 (私は、以前に「マンガ 日本人と天皇」という本を書いた。「講談社のα文庫」に収められているので、読んで下さい。 その中で、象徴天皇制について、象徴と言う言葉の出所が分からなかったので、はっきり書けなかった。しかし、この「Japan Plan」が明らかになって、象徴天皇制の意味が明らかになった。 残念ながら、当時はまだ「Japan Plan」の存在など誰も知らず、私としても様々な研究書を漁ったのだがとても、「Japan Plan」など思いもつかず、なんだか中途半端な形でマンガに書いてしまった。歴史学という物は、恐ろしい物で、一つの資料が発掘されると、それまでの歴史ががらりと変わる。それを自分で体験した) 昭和天皇が、まず、自分自身を立憲君主国天皇と言いながら、その範囲を自分で超えて、「沖縄をアメリカの基地にしろ」「日本も出来るだけ長く占領を続けろ」と言った。 こう言う時の天皇の言葉の力は大きいらしく、いまだに、天皇の言葉のままだ。 日本全体のアメリカの隷属化の第一は昭和天皇の言葉による物であることは明らかになった。 言葉は力である。 昭和天皇は当時は非常なる権力者であったから、昭和天皇の言葉はそのまま強力な力となった。 では、次に日本をアメリカに隷属し奴隷となることを推進したのは誰か。 それは、過去半世紀にわたって日本を支配してきた「自民党」である。 2007年にニューヨーク・タイムズの記者ティム・ワイナーが「Legacy of Ashes. The History of the CIA」という本を出版した。 「Legacy」とは遺産のこと。 「Legacy of Ashes」で「灰の遺産」と言うことになる。 これは、もともと、アイゼンハウワー大統領の言葉だそうだが、どのような状況で何をさしていったのか、この本からだけでは分からない。 しかし、戦争直後に言った言葉であり、戦後のヨーロッパやアメリカの各地のあの壊滅的状態を思い起こせば、そして、この本のあちこちの表現を見ればその意味は想像がつく。 あの当時のドイツと言えば、遺産としては灰しか残っていなかったのだから。 「The History of the CIA」という副題から推察すると、CIAから次世代のアメリカが(現代のアメリカのことである)受け継ぐのは戦後のヨーロッパのように「灰だけだ」と言うことになる。 ずいぶん、厳しい言葉だが、この本を読んでみると、この題名に納得がいく。 私たちは、CIAというと、大変に優れた諜報機関で、全世界にスパイ網を持ち、世界中の情報を収集し、と同時にアメリカにとって邪魔な国を倒すための陰謀を巧みに企んできた恐ろしくもあり強力な存在だと思ってきた。 ところが、この 「Legacy of Ashes」では、如何にCIAが無能で、情報機関としても陰謀機関としても、大きな失敗ばかり重ねてきたか暴いているのだ。 例えば、 自発的にCIAのスパイになってくれたソ連での人々を、CIAがわのソ連のスパイが密告して全員殺された。 レーガン大統領の時に、イランに武器を売り付け其の代金を中東で使うというイラン・コントラ事件が起こって、CIAも、中東での関係もめちゃくちゃにしてしまった。 恐ろしく情報能力が低下して、ソ連の軍事能力を過信し、アフガニスタンに武器を大量に提供してソ連のアフガン侵攻を阻止しソ連を崩壊させる一助となったのはいいが、其の大量の武器が今アメリカを困らせている。 大統領がCIAを信じないし、CIAも大統領を喜ばせることしか伝えない。CIAは大統領に嘘をつくのである。 イラク戦争の時も、CIAは大量破壊兵器があると強調して戦争を始めたが、結局、全て偽の情報でイラクに大量破壊兵器はなかった。 CIAの組織力はくずれ、世界中にいるCIAの人間は、ニューヨークのFBIの職員の数より少ない。 2004年にブッシュ大統領は、CIAのしていることは「just guessing」だといった。 「guess」とは推量とか、あて推量で言い当てる、と言う意味だ。 要するに、CIAは「事実に基づいた判断ではなく、勝手に思いこみで言っているんだろう」、とブッシュは言ったのだ。 これは、「Political death sentence(政治的死刑宣告)」だとワイナーは書いている。 こんなことを今までに言った大統領はいない。 2005年に中央情報長官の職が廃止されたことでCIAがアメリカの政治の中心で果たしてきて役割は終わった。 アメリカは、情報機関を立て直さなければならないが、遺産として目の前にあるは「Ashes」である。 というのが、ワイナーのこの本に書いてあることだ。 実に恐ろしいくらい、愚かな失敗をCIAは繰返している。 CIAと言えば泣く子も黙る恐ろしい存在だと思い込んでいた私など、それじゃ、幽霊と思ってススキにおびえていたのか、と愕然となった。 今まで、CIAとソ連の諜報機関との戦いを描いていたハリウッド製のスパイ映画は何だったのと言うことにもなる。 なお、ワイナーによれば、ここに書いたものは、CIA、ホワイト・ハウス、連邦政府の55000以上の文書、 2000以上の、アメリカ情報機関担当員、兵士たち、外交官たち、のオーラル・ヒストリー(自分の歴史的体験を口述したもの)、そして、1987年以来行われた、300以上の、CIAの職員、退役職員、(その中には10人の元長官も含まれている)に対して行われたインタビューを元にしている。 この文書は、全て実名の情報に基いている。出所を明らかにしない引用、匿名の情報、噂話の類は一切用いていない。 この本はCIAの真実の全てを書いたものとは言えないかも知れないが、ここに書かれたことは全て真実である、とワイナーは述べている。 幸いなことにこの本が2008年に文藝春秋社によって日本語訳が出版されたので、日本人も容易に読めるようになった。 (なお、文藝春秋社版の日本訳と私の持っているアメリカのAnchor Books版とでは、この第12章の内容が甚だしく違うところが多い。 文藝春秋社の編集部の解説によれば、文藝春秋社版の第12章の前半と、第46章は日本語版のために著者が追加執筆した物だという。 他にも、Anchor Books版になくて、文藝春秋社版にある部分がある。 結果として、本来は50章の本なのに、日本版にはおまけで1章付け加えられた。 私は、アメリカのAnchor Books版を元にしていたので、危うくこの付け加えられた一章を見落とすところだったが、後で述べるように、1994年にワイナーによって書かれたNew York Timesの記事には、もっと厳しい内容が書かれているので、この付け加えられた章がなくとも、私には問題がなかった。 (英語版が手に入らない日本の読者には意味があるだろう) 逆に、英語版で大事なところが、文藝春秋社版では欠けているところがあるので、私は一応Anchor Books版を基本に、文藝春秋社版を参考にすることにした。) さて、改めて言うが、この本を読んで、私はCIAがこれ程までに無能な機関であり、ここまで数々失敗を重ねてきたひどい政府機関であることを知って驚いた。 そして、一番驚いたのは、この駄目機関であるCIAがただ一つ成功した例があることである。 それは、ああ、なんと、この日本という国の支配なのである。 今回の眼目は、この本の第12章である。 その章のタイトルは、「We ran it in a different way.」となっている。 「run」とは、動かす、管理する、指揮する、支配する、と言う意味である。 ここでの、「it」は日本の政治のこと。すなわち日本のことである。 「we」はCIAのこと。 「in a different way」とは、当時日本を占領していた連合軍司令官であるマッカーサー元帥とは、違う方法で、と言う意味である。 なぜ、わざわざこの部分を英語の原文のまま示したか、それは、この「We ran it in a differnt way」という言葉の持つ、冷酷さ、非情さ、おごり高ぶった情感をはっきり読者諸姉諸兄に味わって頂きたいからである。 これを、文藝春秋社の日本語訳のように「別のやり方でやった」などとしてしまっては、このアメリカの非情さが分からない。 英語と言う言語の持つ実に直裁的な冷酷な味わい、そして、それが、アメリカ人の心理をそのまま反映した物なのだが、それが消えてしまう。 我々日本人は、アメリカ人に、「run」されたのだ。「rape」と変わらない。 其の屈辱感を、しっかり身にしみて貰いたいために、あえて英語の原文を示したのだ。 始まりは、1948年の末。 ワイナーは次のように書いている。 「2人の戦争犯罪人が、他の戦争犯罪人たちが絞首台に連れて行かれた前日に、戦後三年間入れられていた巣鴨刑務所から釈放された」 その2人とは岸信介と、児玉誉士夫である。 岸信介は、1896年山口県生まれ。 東京大学の法学部を卒業して農商務省に入り、東条内閣の対米宣戦時の商工大臣であり、敗戦後A級戦犯に指定されたが、釈放され、その後総理大臣になって対米安全保障条約・新条約の締結を行った。 児玉誉士夫は、1911年福島県生まれ。 戦前右翼の活動家として活躍し、戦中は海軍の庇護の元に中国で「児玉機関」と言う組織を動かし、強奪的にタングステン、モリブデン、などの貴金属、宝石類を大量に集め、それを海軍の力を利用して日本に送り届けた。(それを自分の物としたのが凄い) 敗戦後、A級戦犯とされるが釈放された後、中国から持ち帰った巨額の資産を元に、政界に影響を及ぼし、やくざ・暴力団・右翼のまとめ役、フィクサーとして力を振るった。 Anchor Books版に書かれていて、文藝春秋社版に書かれていない文章は、以下の物である。 「Two of the most influential agents the United States ever recruited helped carry out the CIA's mission to controll the government.」 Anchor Books 拙訳「かつてアメリカがリクルートした二人の一番影響力のあるエイジェントがCIAの日本政府を支配する任務を遂行するのを助けた」 で、其の二人の男とは、岸信介と児玉誉士夫である。 リクルート、エイジェント、この二つの言葉の持つ意味は重い。 会社にリクルートされて其の会社に勤めたら、貴方は其の会社の人間だ。 エイジェントとなったら、貴方はその会社の人間だ。 これが、会社でもなく、アメリカ政府なのだ。 岸信介と児玉誉士夫は、アメリカ政府に雇われて、アメリカ政府のために働く人間になったのである。もっと正確に言えばアメリカ政府の人間になったのである。 岸信介と児玉誉士夫は日本人のためではなく、アメリカ政府のために働く人間になったのだ。 文藝春秋社版では、この岸信介が「アメリカのエイジェント」だったことを、明確に書かない。 文藝春秋社が翻訳に使った底本が、そうなっていたのかも知れない。 しかし、ワイナーの本は、まずアメリカで出版され、非常に高く評価されたのだ。 アメリカの恥部を暴いた其の著者が、国ごとによって違う内容の版を出すとは思えない。 この一文が無くては、自民党の本当の姿を理解出来ない。 この一文を見のがしてはならないのだ。 岸信介は、アメリカにリクルートされたエイジェントだった。 エイジェントとは軽い言葉ではない。アメリカのエイジェントとなったら日本のために働くのではなく、アメリカのために働くのだ。 正確に言えば、岸信介はアメリカに魂を売ったアメリカの手先、「売国奴」、だったのだ。 何度でも繰り返したい。この一文は非常に重い意味を持っているのだ。 日本国民が、日本の首相だと思っていた人間が、実は日本人のためではなくアメリカのために働いていたのだ。我々日本人は「売国奴」を首相として崇めていたのだ。 こんな事があっていい物だろうか。 ワイナーの記述は、まだまだ続く。 分かりやすいようにまとめよう。 (念のために断っておくが、ワイナーが言明しているように、以下に書くことは真実である。すべて、文書や記録が残っている。) 岸信介と児玉誉士夫は、CIAのエイジェントとなった。 CIAの助けによって、岸信介は自民党の党首となり、首相となった。 児玉誉士夫は暴力団のナンバーワンとなり、CIAに協力した。 岸信介と、児玉誉士夫が、戦後の日本の政治の形を作った。 岸信介は、児玉誉士夫の金を使って選挙に勝った。 代議士になると、岸信介はその後50年に渡って日本を支配する自民党を作り上げた。 岸信介の作った「自由民主党」は自由主義的でもなければ民主主義的でもなく、戦争で亡びたはずの日本帝国の灰の中から起き上がってきた右翼的で封建的な指導者たちのクラブだった。 CIAと自民党との相互の間で一番重要だったのは、金と情報の交換だった。 その金で党を支援し、内部情報提供者をリクルートした。 アメリカは、一世代後に、代議士になったり、大臣になったり、党の長老になったりすることが見込める若い人間たちとの間に金銭による関係を作り上げた。 岸信介は党の指導者として、CIAが自分の配下の議員たち1人1人をリクルートして支配するのを許した。 この部分、Anchor Books版では、次のように書かれている。 「As the party's leader, he(岸信介)allowed the CIA to recruit and run his political followers on a seat-by-seat basis in the Japanese parliament.」 文藝春秋社版では、そこのところが、 「岸は保守合同後、幹事長に就任する党の有力者だったが、議会のなかに、岸に協力する議員を増やす工作をCIAが始めるのを黙認することになる」 と書かれている。 この文藝春秋社版の文章では、「議員たちが岸に対する協力者となった」と読めるが、Anchor Books版の文章とは、意味が違ってくる。 Anchor Books版の文章では、「岸に協力する議員を増やす工作」とは読めず、「岸の配下の議員たちは、CIAにリクルートされて、CIAの支配下に入った」と読める。 文藝春秋社版とAnchor Books版とでは大分意味が違ってくる。 「recruit and run his political followers」は「岸信介に政治家として従う者達をリクルートして支配する」と言うことではないのか。「rectuite and run」の目的語は 「his political followers」だろう。これから、岸に協力しようという者たちではなく、すでに岸に従っている者達である。 岸信介に政治的に従う人間が必ずしも、CIAと関係がある訳ではない。 だから、岸信介は、自分の従属下に入った人間を、自分と同様CIAに仕えるように、CIAが働きかけることを許したのだ。 Anchor Books版に描かれた岸は、自分の配下をCIAに売る悪辣な男である。 岸信介は、トップに上り詰めるための策動をする間に、日本とアメリカの間の安全保障条約を作り直す作業をCIAと一緒にすると約束した。 岸信介は、日本の外交政策をアメリカの要求を満たすように変えると約束した。 それによると、アメリカは日本に軍事基地を保持し、核兵器を貯蔵しても良いというのである。 それに対して、岸信介はアメリカの秘密の政治的な協力を要請した。 もう充分だろう、と思うが、先ほど書いたように、実は、ワイナーは、1994年10月9日付けのNew York Timesに「CIA Spent Millions to Support Japanese Right in 50's and 60's. 」(CIAは日本の右翼を助けるために1950年代から60年代に書けて何百万ドルもの金を使った)と言う記事を書いている。 その記事の内容は、今回の本の内容に近いし、文藝春秋社版用に書き下ろしたと言う部分も、実はこの中に含まれている。 この本よりももっと具体的なことも書いてある。 そこから幾つか拾ってみよう。 1970年頃に、日本とアメリカの貿易摩擦が起こっていたし、その頃には自民党も経済的に自立出来ていたので、自民党に対する資金援助は終わった。 しかし、CIAは長期間にわたって築き上げた関係を利用した。 1970年代から1980年代初期に東京に駐在していたCIA職員は「我々は、全ての政府機関に入り込んでいた」と語った。 「CIAは首相の側近までリクルートしており、同時に農林省とも同じような関係を結んでいたので、日米農産物貿易交渉で、日本がどのようなことを言うか事前に知っていた」とも語った。 元警察庁長官で、1970年代に自民党の代議士になり、1969年には法務大臣になった後藤田正晴は、自分が諜報活動に深く関わってきた1950年代60年代について「私はCIAと深いつながりを持っていた」と言っている。 1958年に、当時の自民党の大蔵大臣だった佐藤栄作が選挙資金の援助をCIAに要求して、その資金で自民党は選挙に勝った。 1976年にロッキード事件が起こって日本は騒然としたが、それは、同時にCIAにとって、それまでの工作が暴露される恐れのある危険な事件だった。 ハワイで隠退生活をしている元のCIAの職員は電話で、次のようなことを語った。 「この事件は、ロッキードなんかよりもっともっと深いのだ。もし、日本という国のことについて知りたかったら、自民党の結党時のことと、それに対してCIAがどれだけ深く関わったか知らなければ駄目だ」 もう、本当に充分だろう。 日本を半世紀にわたって支配してきた「自民党」はCIAのエイジェントによって作られたCIAのために働く党だったのだ。 狡猾な旧日本帝国の官僚である岸信介、中国で強奪して来た資産で力を持ったやくざ・暴力団の親玉である児玉誉士夫。 この2人の、魂をアメリカに売り渡した売国奴によって作られた党だったのである。 作られただけでなく、自民党は長い間、政治的・金銭的援助と引き替えに日本をアメリカの代わりに支配を受け付け続けていたのだ。 日本人は長い間、自民党を支持し続けて来たが、実はアメリカの政策に従っていただけだったのだ。我々は、アメリカに支配されてきたのだ。 (それを考えれば、前回取り上げた、「思いやり予算」や、「年次改善要望書」などをなぜ日本政府が受け入れるのか、その秘密が解ける。我々日本人は、アメリカのために汗水垂らして働いてきたのだよ) CIAが、有望な若い者達にも金を与えていた、と言うことも忘れてはならない。 官僚から自民党の政治家になった者は大勢いる。 CIAの金は官僚にまで回っていたのだ。 事実、1970年代後期、80年代初めに東京に駐在したCIA局員はワイナーに「われわれは全ての政府機関に浸透した」と述べているではないか。 CIAは首相側近さえも取り込み、農林水産省とも非常に有力なつてがあったので、日本が通商交渉でどんなことを言うか、事前に知ることが出来た、とはなんと情けないことだろう。 日本の官僚たちもアメリカに逆らえない弱みを握られているのだ。 これで、日本がアメリカに隷属し続けた原因が分かるだろう。 自民党議員も政府官僚はみんなアメリカから金を貰って弱みを握られているからアメリカに反することは出来ない。 自民党の二世・三世議員も同じことだ。祖父と父が従ってきたボスにどうして息子が反抗出来るか。 だから民主党政権になって、辺野古問題でアメリカの意志に反することを言い出したら、日本の官僚組織が一団となって、小沢一郎氏、鳩山由紀夫氏を引きずり下ろすために全力を傾けたのだ。 誰なのか正体の知れない「市民団体」に訴えさせて、一旦不起訴と決まった小沢一郎氏を検察審議会に、「起訴相当」の判決を出させたりもした。 どうして、あんな事をさせるのか。 考えてみれば、日本の官僚は上下関係でがんじがらめになっている。 自分たちの先輩の決めたことを、自分が覆したら、官僚世界から追放される。 官僚は官僚の世界から追放されたら生きて行けない。東大法学部を卒業した人間はその肩書きしか人間としての力はない。その肩書きが通用するのは官僚に関係する社会だけであって、実社会に放り出されたら、全く無能力である。 だから、日本では改革などと言葉で言っても、絶対に改革が実行されない。 それと同じで、現在の官僚は、米軍の沖縄基地の自由使用、と言う過去の先輩たちの決めた慣例をひっくり返したらえらいことになると怯えたのだろう。 で、人間としての価値もない無能な官僚全体がよってたかって民主党攻撃に回っているという訳だ。 さて、もう一つ言わなければならないことがある。 それは、日本の新聞、テレビ、など、いわゆるマスコミの問題である。 民主党をけなし続けているのは、大新聞、テレビ各局である。 では、その報道機関、マスコミが、アメリカの魔手から逃れていたのか。 これが、実はそうではない。 民主党攻撃に必死になったマスコミも、実は、アメリカの手先なのだ。 ちょっと長くなりすぎたし、「美味しんぼ」の原稿の締め切りが迫っているので、今回はここまで。 マスコミなどについての続きは次回で。 ま、とにかく、日本という国が、「出来るだけ長い間アメリカに占領していて貰いたい」と考えていることをアメリカに伝えた、元大元帥閣下の昭和天皇と、CIAのエイジェントである自民党のおかげで、実は1945年の敗戦の時から今に至るまでアメリカの完全支配の元にあると言う認識だけは今回で充分持って頂いたと思います。 次回は、日本がアメリカの支配下にある恐ろしい実態を示します。
- 2010/07/01 - 有り難う! サッカー日本代表選手たち! 有り難う!サッカー日本代表! 良くやってくれた。 最後まで、素晴らしい夢を見させて貰った。 最高だよ、日本代表。 PK戦に入った時点で、もう充分すぎた。 PK戦なんて、本当に、運の物だからあれで失敗した選手は、その失敗を悔いてはいけない。 そこまで自分たちのチームを持っていった自分の功績を自分自身で称えるべきだ。 あれは失敗ではない。あの時点まで自分たちを持って行ったあかしなんだ。 誇りに思って欲しい。 本当に有り難う、日本代表選手たちよ。 控えのままで、フィールドに出られなかった選手たちも、今度の栄光は君たちの頭上にあるぞ。 日本代表選手全てに心からの感謝を捧げる。 今回素晴らしかったのは、中澤、トゥーリオ、阿部、だ。 彼らが、鉄壁の守備をしてくれたから日本がここまで進めた。 PK点を除いて日本の失点はただの1だ。 これこそ、日本! 私なら、この三人に、MVP賞を差し上げる。 今回は夢の第1幕を開いてくれた。 夢の第2幕を開くのは、今度の代表に続く選手たちだ。 あと四年間、生きて行こうという気持ちが湧いてきました。 老人にこんな気持ちを抱かせてくれた選手たちにもう一度有り難う!
- 2010/06/25 - やったぞーっ! 日本! 日本やったぜーっ! デンマーク相手に3対1だ! これで、決勝トーナメントに進出だ! 韓国、お待たせ様でした。 韓国と共和国の友人たちの応援に感謝します。 この上は、日本と韓国で、決勝戦、と行こう! しかし、見事だったねえ! 二つのフリーキックを本田と遠藤が冷静に、全くの名人技で決めたのも凄いけれど、3点目、本田がゴールまで持込んで、岡崎にちょろりと球を出す。 それを岡崎があわてず、ゆっくり押し込む。 あれも、芸術的だったよ。 3対1とは、うれしい! それにしても、トゥーリオと中澤の守備は素晴らしかった。 あの2人がいなかったら、デンマークの猛攻を防げなかった。 貢献度100点だね。 オーストラリアは日本と時差が一時間有るから、キックオフは朝の4時半だった。 4時に起きて、シャワーを浴びて、身を清めてテレビの前に連れあいと2人で座り、どきどきはらはらの94分でした。だって、圧倒的にデンマークの攻撃ばかりだったんだもの。 ああ、きもちがいいっ! 勝つって、いいもんだねえっ! 外国で、決勝トーナメントに進んだのは初めてでしょう。 良くやってくれた。 今日は一日中気分がいいぞ! うれしいよーっ! ひゃっほーっ!
- 2010/06/24 - おめでとう! 凄いぞ韓国! 韓国、やったね! 16強進出おめでとう! すごいよ! 共和国の分も頑張ったね! お見事! いいなあ、うらやましいなあ・・・ 何てこと、言ってられないぞ。 日本もやるぞ! 明朝見ていてくれ! 韓国、共和国の友人たち、応援頼むぜ! デンマークを倒して、一緒に16強に入るぞ!
- 2010/06/20 - 「頭痛、肩コリ、心のコリに美味しんぼ」 宣伝です。 小学館のコンビニビエンス・ストア版マイ・ファーストビッグの「美味しんぼ」に連載中の随筆「美味しんぼ塾」をまとめて、「頭痛、肩コリ、心のコリに美味しんぼ」という題名で「遊幻社」から出版しました。 今まで、その名の通り「美味しんぼ塾」として小学館から2冊出版して好評を頂いていますが、今回は小学館のご好意で、私の弟の経営する「遊幻社」から出版させて頂くことになりました。 「美味しんぼ塾」第3、とするのも芸がないし、小学館にもご迷惑をおかけする恐れがあるので、題名を変えました。 同じ私の書いたものでも小学館から発売するのと、弱小「遊幻社」から発売するのとでは、売れゆきが天と地ほどの差があります。 小学館の力は凄いと感心するしか有りませんが、ここは一つ、読者諸姉諸兄のご協力を載いて、最低限の売上だけは確保したいと願っています。 今度の「頭痛、肩コリ、心のコリに美味しんぼ」は、この「美味しんぼ日記」とは打って変わって、のんびり楽しめる文章を集めました。 装丁も挿絵も、南伸坊さんにお願いしました。 南伸坊さんの挿絵だけで、この本を買う価値があります。 この私のページを読むと「雁屋哲って、いやな奴だな」と思われる方も多いでしょうが、そんな方も「頭痛、肩こり、心のコリに美味しんぼ」を読んで頂くと「雁屋哲はいい奴かも知れないな」と思い直して下さるかも知れません。 お試し下さい。(やっぱり、変な奴だ、と思われたりして・・・) 私が酸性・アルカリ性を示すPHの値を取り違えて、しょげていたら、このページの読者の方に助け船を出して頂いたことも書きました。 遊幻社は出す本出す本赤字続きで、今度の本が売れなかったら、弟は首をつるしかない、と言います。 で、私は言いました。 「おまえ、それはよした方がいいな。おまえは、首つりは似合わないよ」 「ぼくは、ネクタイは似合うよ」 「ベランダとか、窓から飛び降りたらどうだ」 「ぼくんちは、平屋だよ」 「そうか、じゃ、屋根から飛び降りたらどうだ」 「屋根なんか上ったら、足がすぺってあぶないじゃいないか。子供の頃屋根に上って母親に怒られたの忘れたのかよ」 「そうか、屋根は危ないな」 「そんな、危険なことを進めるなんて、ひでえ兄貴だな」 「すまん」 てなことで、本が売れないと、兄弟げんかになってしまいますので、読者諸姉諸兄、直ちにご近所の本屋さんに注文して下さい。 定価1400円(それに税金がつきます)です。 よろしくお願いします。
- 2010/06/15 - 我が師 木村壽成さん 私に、酒と食べ物の安全性について、色々教えた下さった、心の師。 中野、上高田の酒販店「味のマチダヤ」の先代社長、木村壽成さんが昨日亡くなった。 私たち、木村さんの教え子たちは、木村さんをお父さん、あるいはおじいちゃん、奥様をお母さんと呼ばせて頂いて、さんざん甘えてきた。 90歳を超えておられたから、天寿を全うされた訳で、悲しがってはいけないのだが、本当に悲しい。 木村さんは生一本の性格で、まっすぐで、実に徹底して正しい物しか認めなかった。世の不正に対する悲憤慷慨は歳を取っても衰えなかった。 心の中に思いを沢山持っている方だった。 日本酒の本当の良さを広めたのは、木村さんだと思っている。テレビで宣伝している大手酒造の酒ではなく本当に良い酒は地方にあると熱烈に説いて、「酒仙の会」をたち上げ、大勢の人々に本当の酒の味を教えてくれた。 木村さんのおかげで、地方の本当に美味しいお酒が「本物の酒」として全国に認められていった。その功績は大変に大きい。 木村さんがいなかったら、日本人は相変わらずテレビで宣伝している酒を飲んでは、「日本酒はまずいなあ」などと言っていたのではないか。 木村さんは、それまで日本人が持っていた酒に対する印象を変えた。 日本酒の本当の美味しさを日本人に広めた、日本酒再生の主である。 木村さんには「美味しんぼ」に何度も登場して頂いている。 私は、大事な、大事な心の柱を失ってしまった。 私は今、シドニーにいるので、お葬式にも出られない。 しかし、木村さんは、そんなことどうでもいいじゃないか、と今私の目の前に現れ笑いながら仰言った。 にっこにこの、笑顔が今私の目の前にある。 木村さん、私は木村さんの教えに従って、これからも、本物を追い求めていきます。いつも、私の回りに笑顔でいて下さい。 暖かい体温まで感じる。 でも、淋しい。本当に淋しい。 今夜は、木村さんに初めて教えて頂いてそれ以来熱烈に愛している「天狗舞」の純米大吟醸の四合瓶を、これまでの木村さんとのあれこれを思い出しながら、じっくり飲んだ。一瓶では足りなかったが、木村さんが目前に現れて、その辺にしておけ、と仰言ったので、はい、と答えて杯をおいた。 こんな夜に、日本がカメルーンに勝った。 悲しさと喜びが同時にやってきた。 でも、日本チームをたたえて叫ぶ。 やったぜ日本! 勝った、勝った、勝った! 見てくれ、これが日本だ! 次の試合で、 勝った、勝った、また勝った! と叫びたい。 今日は、木村さんのことがあるからはしゃげない。 次の試合も勝ってくれ。 その時は思い切りはしゃぎたいから。 全日本頼むぜ。
- 2010/06/12 - おめでとう、韓国! やったね、韓国! おめでとう! 日本と対戦する時は、敵だけれど、日本以外の国と試合する時には、私は韓国を応援する。 今日の、ギリシアとの試合は見事だった。 いきなり、開始7分で先取点を挙げ、その後もずっと、韓国がギリシアを圧倒していた。 凄かったのが、後半の、パク・チソン(朴智星)のシュートだ。 ドリブルで持込んで、ゴール前で、相手キーパーの動きをちゃんと見て、上手いところに蹴り込んだ。 これぞ、サッカーの醍醐味というものを味わわせて貰った。 ああ、いいなあ・・・・・・ 日本も勝ってくれないかなあ・・・・・・ でも、今日見ていて感じたのは、韓国の選手がギリシア人に比べて体格がちっとも見劣りしないことだ。 運動能力も高い。 日本の選手とはだいぶ違う。 日本も、これで発奮して、勝ってくれないかなあ。 今、韓国では国を挙げて大騒ぎしているだろう。 ちきしょー、うらやましいーっ! 全日本も頼む。 頼むから、勝ってくれ。 われわれにも、韓国の味わっている喜びを味わわせてくれ。 韓国おめでとう。 見ててくれ、日本もやるぜ!
- 2010/06/12 - 鳩山由紀夫氏から菅直人氏へ(1) この二週間ほど、コンピューターで手こずって無駄な時間を費やしてしまった。 基本的に私は、アップルのマッキントッシュを使っているのだが、ウィンドウズは自作が出来るので、その面白さにはまってしまった時期があった。 ウィンドウズがVistaになる前までに5台ほど作った。中学生の頃から、ラジオ少年で秋葉原に部品を買いに行って、ラジオやオーディオアンプを作るのが趣味だったので、年金を貰える年齢をとっくに過ぎた今でも、毎月コンピューター雑誌を買って、日進月歩のコンピューターの世界に後れを取らないように目を光らせている。 今狙っているのは、オーディオ専門のPCだ。 最近、デジタル・ファイル・オーディオと言うのが盛んになってきて、コンピューターを使って、CDを遙かに超える音質で、音楽を再生できるとあっては、心穏やかではない。 ベルリンフィルハーモニーも、その演奏をインターネットで、CDより良い音とその演奏の画像とを配信しているのである。 ぼんやりしてはいられない。 今度日本へ戻ったら、一台組立ててやろうと企んでいる。 (オーストラリアは技術的に非常に遅れていて、日本のオーディオ雑誌や、コンピューター雑誌に載っているような機械も部品も手に入らないのである。) コンピューターを組立てるというと、何か難しく思う方もおられるかと思うが、実は、部品を寄せ集めるだけで、プラモデルを作るような物だ。 自分で設計図を引く訳でもないので、作ってもあまり達成感はないのだが、色々な部品を組み合せて自分の好みのPCを作れるところが、面白い。 だが、組立てて、「よし、現在世界最高速度の機械が出来た」と満足するとそれでおしまい。 私は90パーセント以上はマッキントッシュで仕事をするので、ウィンドウズマシンは殆どいじらない。 もっとも、Vistaになるちょっと前から、鬱に落ち込んで、コンピューターの自作の気力が薄れて、この1年以上、ウィンドウズマシンを立ち上げることはなかった。 それに、最近のマッキントッシュはウィンドウズも普通に動かせるので、マッキントッシュだけで全て用は足りてしまい、ウィンドウズマシンを立ち上げる必要もなかったのである。 (オーディオ専門のPCを作ろうと思うようになったのは、鬱病が軽快したのかも知れない) 私は新聞や雑誌の切り抜きはスキャナーでコンピューターに取り込むことにしている。以前は、スクラップブックに貼っていたのだが、コンピューターに取り込む方が遙かに便利だ。 問題は、大抵のスキャナーがA4サイズの書類しかスキャンできないことだ。 富士通の書類スキャナーScanSnapはその点良くできていて、A3の書類も半分に折って、それを両面読み取りにすると、読み取った後でA3サイズに展開してくれる。 しかし、その半分に折り曲げるところが中々微妙で、折り曲げた部分、すなわちA3サイズの書類でいえば中央の部分を綺麗につなげるのが難しい。 それに、雑誌を見開きでスキャンするという芸当が出来ない。 そこで、以前に買った、A3スキャナーを再び使おうと考えた。 ただ、そのスキャナーには問題がある。コンピューターに接続するのに、最早今のコンピューターでは殆ど用いられなくなった、SCSIを使う。(SCSIの説明は面倒だし、読者諸姉諸兄には興味がないことと思うので省く。要するに、USBなどと同じ、コンピューターと外部機器とを接続する方式の一つです。端子の形が違うのです) 私の持っているコンピューターでSCSIの端子を持っているのは、自作のコンピューターだけである。 そこで、久しぶりにコンピューターを立ち上げたら、なんと言うこと、あまり長い間相手にしてやらなかったので、すねてしまって、案配が悪い。 以前は、ちゃんと動いたA3のスキャナーをコンピューターは認識するのに、ソフトが動かない。 エプソンのサポートに電話をしたら、実に親切で、電話で1時間半以上にわたり、実際にコンピューターを動かしながら、手取り足取り、分かるように説明してくれる。 しかし、どうにもこうにも、動かない。 エプソンによれば、このスキャナーはまだ現役で、事務用に使われているので、動かないはずはない。サボートの女性と考えられる限りのことをしたが、どうしても動かない。 こうなると、私のコンピューターのシステムがいかれてしまったとしか考えられない。 そこで、サポートの女性にお礼を言って(いや、本当にエプソンのサポートは親切だ。有り難かった)思い切って、システムを入れ替えることにした。 ここで、私は大失敗をしてしまった。 私のコンピューターには、ハードディスクを二つ付けてある。 一つはシステムとアプリケーションと、そのアプリケーションの作った書類や画像などをしまう。 もう一つは、昔のビデオから取り込んだ物をしまうのに特化している。 失敗というのは、システムを入れ替える時に、システムを容れているハードディスクだけでなく、ビデオをしまってあったハードディスクもフォーマットして消してしまったのだ。 さらに、驚くべき失敗は、システムを入れ替える時の常識として、全て大事なファイルは、外付けのハードディスクにバックアップを取るのだが、そのハードディスクを取り付けたまま、システムの入れ替えをしたので、なんと、そのバックアップのハードディスクまで、フォーマットしてしまったのだ。 なぜ、外付けのハードディスクを取り外し忘れたのか、あまりの失策に涙も出ない。 日頃ウィンドウズに親しんでいないので、こう言う時に、うっかりとんでもないことをしてしまう。 要するに、大事な物を全て一瞬にして失ってしまったのだ。 そのビデオは、子供たちがまだ幼い頃の可愛い盛りを記録した物が多い。 元になるVHSや、8ミリビデオなどは残っているとは言え、コンピューターにはそれを取り込んで色々と編集した物が入っている。 それを失うのは、本当に辛い。 血が逆流して、気が遠くなったが、私はしつこい性格なので簡単にはあきらめない。 ファイルの復元ソフトを使って、消えてしまったファイルの復元に取り組んだ。 これが、中々上手く行かない。 復元ソフトを二つ使って取り組んだ。サイズが大きく、aviと言う拡張子ついた、明らかに、ビデオのファイルと思われるものを幾つか復元できたのだが、これが、復元する時にデータが壊れたのか、ビデオとして再生できないのである。 しかし、復元ソフトで見ると、フォーマットしてしまったハードディスクにデータが残っていることは確かだ。 それを、使える形に復元したい。 それで、二週間棒に振ってしまった。 で、結果はと言えば、未だ成功せず。 別のソフトで、挑戦してみようと思う。 そんなこんなで、この日記のページにご無沙汰してしまったら、小学校の同級生に、どこか体の具合でも悪いのか、と心配されてしまった。 二週間、コンピューターで苦労している間に、政治の世界が大きく動いた。 鳩山由紀夫氏が首相を辞めて、菅直人氏が首相になった。 私も、こうなりゃ、世捨人だね。 政治の世界が動いているというのに、データの復元に熱中して失敗を繰返して、時間を過ごしているのだから。 ところで、「美味しんぼ」では、最近まで、「環境問題」を取り上げてきた。 「環境問題」を「美味しんぼ」で取り上げるのは意義のあることだったと思っている。 しかし、漫画としては、堅苦しすぎて面白味がない。 それにここらで、「美味しんぼ」本来の食べ物と料理を直接扱う話題に切り替たい。 で、次回8月末か9月の頭に始まる、次回の続き物は「美味しんぼ」は、「名料理人」「名店」を扱うことにした。 今まで私が出会った名料理人、名店を、過去に一度扱ったことがあっても、今回はもっと深く掘り下げて、名料理人とは、名店とは、いったいどこが普通の料理人、普通の店と違うのか、そこをじっくり書きたいと思う。 同時に、劇としても面白くなるように工夫する。 私は「美味しんぼ」を始める時に、読み切りの形すること、人情噺にすること、読後の後味の良いこと。 その3つを原則とした。 最近の「美味しんぼ」は人情噺が不足しているので、次回は、名料理人、と名店を人情噺にからめて描きたいと計画している。 そのための取材として、4月に私の尊敬する料理人を訪ねて京都に行った。 その方のお名前は、徳岡孝二さん。京都嵐山吉兆の先代のご主人である。 私は、二十数年前に初めて徳岡孝二さんの料理を食べて驚嘆した。 和食というと、なにか、小細工をしたり、気働きが目についたり、悪い言葉で言えばこじんまり、ちまちま、こぎれい、飾りが多い、という感じを否めない物が多いのだが、徳岡孝二さんの料理は、大胆、剛胆、思い切りが良く、しかも、細かいところまで神経が行き届いている。私は、こう言う日本料理があるのかと、圧倒された。 北大路魯山人の料理は、話に聞いたり、本で読んだりするしかできないが、徳岡孝二さんの料理を食べて、北大路魯山人の料理はこうだったのではないかと思ったものだ。 名料理人を取り上げるのに、徳岡孝二さんは外せない。 そこで、もう、引退しているとか何とか仰言るのを無理にお願いして、料理をして頂くことになった。 徳岡孝二さんは、それではまず竹の子を掘りに行きましょうと仰言る。 ご推薦の竹の子山に、取材スタッフ全員ででかけた。 私は晴れ男で、旅行でも、取材でも雨が降ったことはないのだが、当日は雨降り。取材スタッフも「取材で雨が降ったのは初めてですね」と言っていたが、こんなこともあるんだな。 竹の子山はぬかるんでいて、長靴を履いて上るのにも一苦労。 かなり山を登ったところで、竹の子山の持ち主、長濱義和さんが掘り始めた。 竹の子は頭が僅かに出かかるかそこらの微妙なところを掘らねばならない。地表に竹の子の姿になって出ている物は美味しくないのだ。まだ地中に潜っているのを掘り起こす。 結果的に深く掘ることになるので、そのためには特別に刃の部分の長いクワで掘るのだが、最初に出会ったのが大変な難物だった。 普通、掘って行って、根の部分に刃を当てて、ぐいと持ち上げると、てこの原理で比較的簡単に竹の子は取れるのだが、この竹の子は、中々そうは行かない。 周りの地面を深く掘り広げたりして根が見えるのだが、どうしても外れない。 今年は天候が不順で、暖かくなっかと思うと冬に逆戻りする、そんなことが何度か重なったので、竹の子の生長もいつもと違うのだという。 しかし、その時私が改めて認識したのは、竹の子山の地面には竹の根が縦横無尽に走っていることだ。網の目のように根が走っている。 その竹の根に、私たちが掘ろうとしていた竹の子が掴まってしまって抜けないのだ。 雨の中を30分近く格闘してやっとのことに掘り出した。 他の竹の子は、くわの先を根に当てると難なく掘り出せるのである。 よく、地震の時は竹林に逃げ込むと良いという。竹林は、竹の根が縦横無尽に張っているから地盤が丈夫で地震でも崩れないというのである。 私は、今回の竹の子掘りの苦労で、その言い伝えには根拠があると思った。 竹の根の張り方は凄いものである。 表面から見ると、綺麗な竹がすいすいと伸びて、水墨画の題材になると実にさわやかな物だが、どっこい、地面の中は恐ろしいことになっている。 節だらけの根が、野放図で醜悪と言いたいような姿で、地下に張り巡らされているのである。 前置きが長くなってしまった。 鳩山首相の辞任の話をしたかったのだ。 私は、鳩山由紀夫氏が辺野古の問題を解決しようとした事を、氏が選挙目当てに嘘を言ったものだ、とは考えない。 私は、鳩山由紀夫氏は善意の人だったと思う。 ただ、辺野古問題は、上に書いた、竹の子みたいな物だったのではないか。 氏は、掘ろうと思えば掘れると思った。 ところが、どっこい、地下の根は複雑に入り組んでいて、しかも強力で、魑魅魍魎も跋扈していて、とても掘れない。 私たちの場合は、悪戦苦闘の末に、竹の子を掘り出すことは出来たが、氏は出来なかった。長濱義和さんの使ったような、兇悪な竹の根も断ちきることの出来る刃の長いクワを鳩山由紀夫氏は持っていなかった。 氏を妨げた物は、端的に言えば、アメリカが日本の社会に張り巡らした醜悪な竹の根である。 アメリカは日本中に根を張っていて、日本人がちょっと形の良い竹の子を掘ろうとすると邪魔をする。 ときには、掘ろうとした人間の社会的生命を葬ってしまう。 今回も、鳩山由紀夫氏はアメリカの張り巡らした節だらけの根に掴まって負けた。 氏は、次の総選挙にも出馬しないという。実質的に政治家生命は絶たれてしまった。 アメリカに逆らうとこうなる、と言うことが分かって、今度首相になった菅直人氏は勿論、これから誰が総理大臣になっても、沖縄に限らず日本の在日米軍基地に対して文句を言うことはないだろう。 話を続ける前に、今までに書いたことの中で、事実関係をきちんと示していない部分があったので、そこを補足する。 まず5月4日に書いた昭和天皇と沖縄の問題である。 敗戦後、昭和天皇の御用掛を勤めた寺崎英成という人物がいる。 その寺崎英成の残した「昭和天皇独白録」が1990年に発見され、それを文藝春秋社が発表し、当時大きな反響を巻き起こした。 「昭和天皇独白録」については、さまざまな研究書が出ている。 結果として、「昭和天皇独白録」は昭和天皇による自己弁護の書である。 当時の連合軍司令官マッカーサーは、天皇を日本支配の道具として使いたいと考えていた。 じつはこれは、マッカーサー個人の考えではない。 加藤哲郎・一橋大学教授が米国国立公文書館で発見した機密文書「Japan Plan」という物がある。 下記のページに、教授の詳しい記述が記載されているのでお読み頂きたい。 http://homepage3.nifty.com/katote/JapanPlan.html これは、1942年6月3日の日付で作られた物である。 この中で、アメリカは既に戦後日本をどう取り扱うか構想を立てていた。 その構想とは、戦後、「天皇を平和の象徴として利用する」という戦略だった。 1942年6月と言えば、真珠湾攻撃からまだ半年しか経っていない。 その時期に、すでにアメリカは戦後の日本の取り扱いについての構想を立てていたのだ。 それも、思いこみによる構想ではない。日本を良く研究した上で、日本国民をどう取り扱えば占領政策が上手く行くか、論じているのである。 日本の指導者たちが、悠久の大義に生きるとか、皇道精神などと、現実離れしたことを譫言のようにいっている時に、アメリカは戦後の計画を冷静緻密冷徹に計画を立てていたのである。自分たちが勝つことを当然と考えている。 これだけ頭の程度に差があっては、戦争に勝てる訳がない。 当時の日本の指導者たちは、アメリカの指導者たちに比べると、正に精神年齢12歳の子供同然であったことが、この文書を読むと痛感させられて、実に悲しくなる。 アメリカは最初から天皇を傀儡として使うつもりだったから、「東京裁判」に引っ張り出されて有罪にされたら困る。昭和天皇に戦争責任がない形にする必要がある。 そこで、寺崎英成がアメリカ側の意を体して、同時に昭和天皇自身が欲した保身のための術として作り上げたのが「昭和天皇独白録」である。天皇が東京裁判に引き出されるのを防ぐのが目的の弁明書だから、一般の目に触れることはなかった。 その「昭和天皇独白録」は1991年に、文藝春秋社から、半藤一利氏の解説を付けて発売された。 同書には「寺崎英成・御用掛日記」も加えられた。これは、寺崎英成の残した1945年8月15日から、1948年2月15日までの日記である。 その1947年9月19日の記録に、次のような一文がある。 「シーボルトに会ふ 沖縄の話 元帥に今日話すべしと云ふ 余の意見を聞けり 平和条約にいれず 日米間の条約にすべし」 これだけでは何のことだか分からないが、1979年にアメリカの公文書館で発見された文書が、一体それがどう言うことだったのか示した。 この文書は沖縄公文書館がそのコピーを入手し、以下のホームページで公開しているので、一度見て頂きたい。 http://www.archives.pref.okinawa.jp/collection/2008/03/post-21.html そのページを開くと、その文書の内容についての簡単な説明があり、最後にPDF画像(2頁)と書かれている。 そこをクリックすると、原文のコピーが出て来る。 これは、マッカーサーの政治顧問のSebaldが、1947年9月20日づけで当時の国務長官マーシャルに宛てた手紙で、寺崎英成が、マッカーサーに伝えた天皇の言葉を報告した物である。 寺崎が伝えた天皇の言葉は、大略すれば次の通りである。 天皇はアメリが、沖縄と琉球諸島の軍事的占領を続けることを望む。 天皇は、アメリカの沖縄(必要であれば他の島々も)の軍事的占領は、主権は日本のままで、25年から50年またはそれ以上の長期リースの形で行われるのが良いと言った。 寺崎氏は、アメリが沖縄とその他の島々を、軍事的基地として獲得する権利は、日本とアメリカ二国間の条約とするべきで、連合国との平和条約の一部とするべきでない、と言った。 (主語は寺崎氏となっているが、この文書の性格として天皇の言葉を伝える物だから、この言葉も天皇の物と考えるのが自然だろう) このような一次資料を基にして、私は5月4日の日記の中で、沖縄をアメリカの基地にしたのは昭和天皇である、と書いたのだ。 無責任な憶測でも、噂話の又聞きで書いたのでもない。 事実が文書としてこうして残っていて、みんなが良く知っているのに、みんなが、言わないようにしている。 正しい事実を公に論じることをしない日本という国は、不思議な国なのだ。 天皇が、戦争犯罪に問われなかったのは、戦争は天皇が自分の意志で始めたのではなかったからだという理由による物ではなかったか。それを主張する物が「昭和天皇独白録」である。 戦争犯罪を問われそうになると、自分は立憲君主だから部下の言う事を認可してきただけで、主体的に戦争を指導したのではないと言った昭和天皇が、戦争が負けたら相手の国の元帥に、沖縄をずっと占領していてくれなど主体的に言う。 こう言うことが許されるのだから、日本は不思議な国だ。 米軍が沖縄を占領し続けることを天皇が主体的にアメリカに頼んでいるのである。 具合が悪いと、それは部下がしたことで自分は知らないと云い、自分の命に関わってくるところになると相手の元帥に自分の国を民ごと切り渡して与える。 しかも、他の国にはやらない、君だけにやるんだから、後はよろしく頼むよ、と言う。 先に挙げた「昭和天皇独白録」「寺崎英成御用掛日記」(文藝春秋社刊)の259ページに、秦郁彦教授が、マッカーサー記念館の「総司令官ファイル」の中から発掘した文書として、寺崎英成と思われる政府高官が伝えた天皇の言葉が記されている。 それによると 「(前略)日本人の国民性には美点も多いが欠陥もあるから、占領は長期間つづくほうが望ましいと、陛下は感じている」 昭和天皇自らが、アメリカの支配を望むと仰言られたのだ。 どうして、下々の人間が天皇陛下のお言葉に反することが出来ようか。 その陛下の有り難い大御心を奉じたてまつって、アメリカは日本占領をいまだに続け、以来ずっと日本はアメリカの奴隷であり続けているのである。 沖縄戦では、多くの沖縄の人間が犠牲になった。 犠牲になった人達は、皇国のため(すなわち、天皇のため)に戦いに追いやられて亡くなったのである。 昭和天皇はそのような、自分のために死んだ沖縄の人達に思いを寄せることなく、その土地をアメリカに献上した。 その昭和天皇の大御心の有り難さを噛みしめれば、辺野古の問題で反対したりするのは非国民なのである。 「うみゆかば、みづくかばね、やまゆかば、くさむすかばね おおきみの へにこそしなめ かへりみはせじ」 この、歌の文句を骨の髄までしみこませて、天皇陛下の御稜威(みいつ)をかしこみ、かしこみ、有り難いと思ってこそ日本人なのだ。 昭和天皇が、沖縄はアメリカにやると仰言っているのだ。 我々、下民が、天皇のお言葉に逆らって、辺野古問題を云々するだけで、実に不敬の極み、それどころか大逆犯である。 我々日本人は、昭和天皇のお言葉を心に刻んで信条としなければならない。 従って、沖縄の米軍基地に反対する者は、昭和天皇のご意志に反する者であるから、万死に値するのである。 沖縄の基地問題は昭和天皇が作った、と言う私の言葉が、事実に基いた物であることを示したところで、この続きは次回にする。 余り長いのは、読む方も辛いという文句を貰ったからである。 次回は、自民党政府、日本の新聞、マスコミなどが、アメリカのために奉仕してきたことを、やはり、事実を元にして語りたい。 そこをきちんと踏まえないと、沖縄の問題を語っても意味がない。 どうして、新聞などのマスコミが、アメリカべったりで、鳩山由紀夫氏を首相の座から引きずり下ろしたのか、それは、1950年まで遡らないと分からないのだ。
- 2010/05/25 - 敵を間違えるな 鳩山首相が沖縄県知事に面会して、普天間基地移転問題について、「辺野古周辺にお願いするしかなく、県外に移転すると言う公約を守れなかったことをお詫びする」と言った。 鳩山由紀夫氏の今回の基地問題についての敗北宣言である。 「ほら、鳩山は出来なかった」と、新聞・テレビははやし立て、沖縄の人びとは「鳩山は裏切った」とか「鳩山は嘘をついた」などと言って怒っている。 私は、鳩山由紀夫氏を支持する者ではないが、これまでの経過を冷静に見ると、当然の帰結だと思う。鳩山由紀夫氏は、公約を守ることが出来なかったのは事実だが、一体今の鳩山由紀夫氏のような立場におかれて公約を守ることの出来る政治家がいるだろうか。 鳩山由紀夫氏が公約を守ることが出来なかったのは、氏個人だけの責任ではない。 我々日本人全体の責任だ。(戦後の「一億層懺悔」の真似をしようと言うのではない) 私の考えをまとめよう。 鳩山由紀夫氏はアメリカに負けた。 基地問題に於いて、日本人が戦うべき相手はアメリカである。 アメリカと戦おうとしている鳩山由紀夫氏の足を掬い背中から攻撃をする。 日本人は、自分たちの敵を間違えている。 敵は鳩山由紀夫氏ではない。アメリカだ。 鳩山由紀夫氏が戦後の日本の首相として初めてアメリカと戦おうとしているのに、日本人は一致協力するどころか、鳩山氏の足を引っ張った。 日本人は、アメリカの基地問題に本気で取り組む気概を失っている。沖縄県人の苦しみを、他県の人間は自分の物とせず、他人事のように思っている。 まず、1)について。 朝日新聞社のAERAの5月24日号に、内田樹氏が、 「『無法を止める』から始める基地問題」 と題して次のように書いているので、引用させて頂く。 「沖縄米軍基地について、日本政府は過去65年にわたって『東アジアの地政学的安定のために不可欠』だという説明を繰返して、沖縄の人々に非道な犠牲を強いてきた。ここに貫かれているのは『属国は宗主国の要求がどれほど無法でも受け容れるしかない』というワイルドなルールであり、アメリカ・日本・沖縄は立場を入れ替えながら、同じ図式を反復してきた。 (途中要約〈冷戦は終わり、アメリカはかげりが見え、東アジアに基地はもう要らないという声がアメリカ国内にもあり、フィリピンのクラーク基地、スービック基地から撤退し、韓国内の基地の劇的な縮小を決めた〉) その中にあって、日本についてだけアメリカが基地撤去を受け容れないのは、東アジア唯一の敗戦国に対しては『無法が通る』と思っているからである。 (途中要約〈それと同じように、日本政府が沖縄県民に犠牲を強いているのは、沖縄には『無法が通る』と思っているからである〉) 日本政府はまずおのれの『無法を止める』ところから始めるしかないだろう。 そのときはじめてアメリカに対して『無法を要求するな』という『倫理的』権利を手にすることができると私は思う。」 氏は、これまで日本政府は「属国は宗主国の要求がどれほど無法でも受け容れるしかない」という「ワイルドなルール」に従って、沖縄の人々に非道な犠牲を強いてきた、と言っている。 正にその通りで、この65年間日本政府は沖縄の基地問題に限らずアメリカに奴隷のごとく仕えてきた。 「ワイルドなルール」を押しつけてきたのは沖縄の基地問題でけではない。 アメリカは、日本のすることなす事全てに、「ワイルドなルール」に従うように強要してきた。 それを示す物が、「年次改革要望書」であり、「思いやり予算」である。 この、過去の日本政府が積み上げてきた、属国としての奴隷的政策を理解しないと、沖縄基地問題を解決出来ない。 ◎「年次改革要望書」とは、アメリカが日本の産業、法制度、などについてその要求事項を日本政府に毎年送りつけ来る通達書である。 それがどのような範囲に及ぶかというと、 通信、情報技術、医療機器・医薬品、金融サービス、競争政策、商法および司法制度改革、透明性、その他の政府慣行、民営化、流通、なんと、日本の社会の重要な分野全てに及んでいる。 (2008年度の要望書は、アメリカ大使館のホームページに掲載されている。 http://japan.usembassy.gov/pdfs/wwwf-regref20081015.pdf 2004年度の要望書は、アメリカ大使館のホームページに掲載されている http://japan.usembassy.gov/j/p/tpj-j20041020-50.html) これは、要望などと言う生やさしい物ではない。 日本に対して、「こうしろ」という命令書である。 この要望通りに事が進んでいるか、日米の担当官が定期的に会合を持って点検する。 アメリカの通商代表部は日本政府に圧力をかけて、要望書通りの実行を求めるのだ。 どんな要望をしているか、その一例を挙げる。 「農業に関連する慣行:有機農産物輸入、安全な食品添加物、収穫前・収穫後農薬の検査制度に関してCODEX基準に準拠する。最大残留農薬基準に関して、できる限り貿易を制限することがない効果的な輸入措置を取る。 」 (CODEXとは、独立行政法人・農林水産消費安全技術センターによれば、FAO(国連食糧農業機関)とWHO(世界保健機構)が合同で、消費者の健康保護や公正な食品貿易の確保を目的に作る食品規格のこと) これを読んで、私は、腹の底から怒りがこみ上げてきた。 我々日本人が、自分たちの健康を守るために、自分たちの決めた安全基準を決めるのは当然のことだろう。 それを、こんなことをどうしてアメリカに指図されなければならないのだ。 一番の問題点は、「最大残留農薬基準に関して、できる限り貿易を制限することがない効果的な輸入措置を取る。」というところだ。 これは、言い換えれば、「アメリカの農産物の残留農薬について、うるさいことを言わずに輸入しろ」、と言うことだ。 日本は、アメリカから大量の食料を輸入している。 大豆は日本人の食卓に欠かせない物だが、その大豆の自給率は5パーセントでしかなく、74パーセント以上はアメリカから輸入している。 大豆、小麦、などは栽培中は勿論、収穫した後も虫食いなどを防ぐために収穫後(ポストハーベスト)に農薬を使う。 その農薬残留基準を高くすると、大豆を始め、アメリカの農産物の日本に対する輸出が不利になるから、そんなことはするなと言うのである。 そんなことは余計なお世話、と言うより悪質な内政干渉だ。 自分たちの食べ物の安全性は、自分たちで判断して決める。 どんな基準であろうと、それに従えと、アメリカに言われる筋合いはない。 アメリカは日本人の健康などどうでも良い。自分たちの農産物が沢山日本に売れれは良いのであって、その邪魔になるような残留農薬基準などアメリカに都合の良い数値にしておけ、と言うことである。 小泉首相は「改革、改革」と言いつのった。 その「改革は」はアメリカにせかされた改革だった。 郵政民営化も、小泉は最初郵貯の民営化だけを言っていたが、アメリカの要望書に従って簡保が柱となり、結局4分割された。 「法科大学」が作られたのも、アメリカの要望書に従った物である。 念のために言っておくが、この「年次改革要望書」はアメリカの利益になるように日本を改革しろと言う命令書なのだ。 日本のための改革ではないのである。 こう言う書類を受けとると言うだけで、日本政府は、自尊心も何も無い人間達の集まりであることを示している。 それも、毎年受取るとは、情けない。日本政府はどこの国の国民のための政府なのか。 日本の官僚はアメリカの要望書の命令を達成するために働いているような物だ。 こんな日本を独立国だと言えるか。 なぜ、アメリカが、こんな自国に都合の良い「改革要望書」を日本に突きつける権利があり、なぜ、日本政府は「改革要望書」を押し頂き、アメリカの意のままに自国の政治を運営するのか。 これほど惨めで無残な二国間関係は、昔の植民地でしか見られなかったことだ。 日本は、何から何まで、アメリカの指図通りに動かなければならない、と歴代自民党政府が決めてきたのだ。 歴代自民党政府は、文字どおりの売国奴、腰抜けの売国奴共の集団だった。 65年間、そんな関係を続けてきたから、アメリカにすこしでも、逆らうと、手ひどい目に遭う。 小泉はアメリカに行って、ブッシュの前で、自分がアメリカの忠犬であることを示すためにプレスリーの真似をして馬鹿をさらしたが、その馬鹿さ加減がブッシュを安心させて、大変ブッシュの覚えが目出度かった。 ところが、鳩山由紀夫氏が少しでもアメリ基地に異論を申し立てると、TIME、ワシントンポスト、などを動員してて鳩山をアホだの、馬鹿だのと罵る。 挙げ句は、シャツの趣味が悪いと、人格を貶めるような誹謗を尽くす。 (それに乗って、自民党の女性代議士が議場で、鳩山由紀夫氏にそのシャツの件でヤジを飛ばした。その女性議員はアメリカから、ういやつ、とおぼえが目出度くなるだろう。アメリカの奴隷試験に合格したのだ。おめでとう) 日本人の大半は、このアメリカが毎年通達してくる「年次改革要望書」の事を知らない。 小泉と竹中という2人の売国奴が騒ぎたてた、「改革」とは、アメリカの「年次改革要望書」通りに日本の姿を変えることだったのだ。 一度、私が上に挙げた、アメリカ大使館のホームページで、その「年次改革要望書」を読んで貰いたい。 これで、髪の毛が逆立たず、血も逆流するような感じを抱かなかったとしたら、貴方も既に立派なアメリカの奴隷ですよ。 この「年次要望改革書」は内政干渉どころではない。 まさに、宗主国が属国に下す命令である。 こう言う関係が、65年続いているのだ。 それに、唯々諾々と従ってきた自民党政府がいなくなったからと言って、アメリカが急に態度を変える訳がないだろう。 鳩山由紀夫氏が何を言おうと、馬耳東風。 真面目になって言い続けると、突然兇悪な顔になって、脅迫的言辞をちらつかせれば、鳩山由紀夫氏も心がくじける。 それも、国民全員が、鳩山由紀夫氏を支持してくれるなら、がんばれるが、新聞、テレビで毎日のように、「宇宙人だ」とか、「信用できない」などと言われ続けられればとても、強力なアメリカ相手に戦う力が湧いてこない。 鳩山由紀夫氏自身、母親から貰った献金の処理がまずかったと言う愚劣さはあるが、そんなことは、「賢明なる検察官諸君」は何年も前から摑んでいるはずであり、それならその時に、問題にすればよかったのに、鳩山由紀夫氏が首相になった途端に動き出して調査に入り、捜査の過程を如何にも犯罪が犯されたかのように連日リークし、それに合わせてマスコミが、鳩山由紀夫氏が大罪を犯した大悪人であるかのように騒ぎまくって、国民感情を扇動した。 国民も簡単に扇動に乗って、世間全体が「献金問題、献金問題、献金問題」と騒ぎ、「あんな途方もない金持ちに庶民の心など分かるはずはない」というやっかみも加わり、鳩山由紀夫氏に対する支持率が極端に低下した。 これでは、手足を縛られて、ボクシングをしろと言われているような物で、何も出来ない。 さらに、マスコミは「鳩山由紀夫氏は普天間問題を解決出来ない」「鳩山由紀夫氏にその能力はない」などと書き立てた。片言隻句をとらえて「鳩山迷走」とか「閣内にも鳩山不信感」などと責め続けた。 これでは、鳩山由紀夫氏が動けなくなるのは当然だ。 あの状況で、どう動けばよいのか。 普天間基地移設問題で、反対運動をしていた人達の多くも、鳩山由紀夫氏の献金問題で、検察のリークの通りに動かされているのではないか。 もう一つ、日本が情けない属国であることを示すのが「思いやり予算である」 日本人の大半は、この「思いやり予算」などと言う言葉を知らないか、知っていても関心を払わない。日本人全体に、奴隷根性がしみこんでいるのだ。 今この文章を読んでいる貴方。私は貴方のことを言っているんですよ。 他人事のように読まないでね。 ◎「思いやり予算」とは1978年、円高ドル安に配慮して、在日米軍基地で働く日本人従業員の給与の一部負担(62億円)を日本政府が決めたのが始まりで、その後、米国側の要求で、基地内の光熱費、水道費、施設建設費、さらには米兵のリクリエーション施設の経費などの厚生費まで範囲が広がり、金額も上昇した。 2010年4月7日のNHKの「ニュース9」によると、1978年から2010年までの32年間で、総額5兆5千億円に達する、というからすごい。 なぜ、「思いやり予算」などという訳の分からない名前がついたかというと、1978当時の金丸防衛長官が「思いやりの精神で米軍駐留軍の負担増に応じる」と述べた事による。 これは、全く奇怪である。 沖縄に駐屯しているのはアメリカの海兵隊である。 元朝日新聞社会部記者で軍事ジャーナリストの田岡俊次によると、いざ戦争などが起こった時に、海兵隊の取る行動の優先順位は次のようになっていると言う。 自国民(米国人)の救出・保護 アメリカの永住権であるグリーンカードを持つ人の救出・保護 友国であるカナダ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランドの人の保護。 その他の人 この、4番目のその他の人の中に、日本人が入っているらしい。 いずれにしても、沖縄にいる海兵隊は、沖縄県の人間を助けるにしても、まず、自国、友国(アングロサクソンの国)のあと、余裕があればと言う程度である。 元防衛大臣の石破自民党政調会長も優先順位の1位が在留米国人であることを認めており、日本人はせいぜい「在留米人を救出した後、空席があればついでに助けてもらえる」程度なのだといっているそうだ。 こういう、日本人のことなど考えていない海兵隊が、何か事があった時に日本を助けてくれるとはとても信じがたい。こう言う軍隊に、何を思い遣ってやる必要があるのだろう。 お人好しというか、奴隷根性もいい加減にして貰いたい。 「思いやり予算」の内容を、日本共産党の「しんぶん赤旗」が詳しく調べている。 (私は日本共産党とは意見を異にするし、彼らの政治論など受け付けられないが、彼らは他のマスコミが調べないようなこともきちんと調べているので信用できる部分もある。) 以下が、その「しんぶん赤旗」、2005年5月19付けの紙面である。 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-05-10/03_01_0.html 2010年4月7日のNHKの「ニュース9」の「思いやり予算」についての部分はYouTubeでみられる。 http://www.youtube.com/watch?v=PzLPhuzMtEQ これは、是非見て貰いたい。 アメリカ側の勝手な言い分。贅沢な施設。横須賀基地で日本の税金で働いている多くの日本人技術者たち。そんな姿を実際に見ると、日本人として生きているのがいやになる。 (「しんぶん赤旗」は1979年から「思いやり予算」で使った金額を2兆円と書いているが、それは、住宅建設に限定された金額ではないか。 「ニュース9」の番組中で示された、5兆5千億円超という数字が、正しいと思う。NHKの計算は、赤旗よりも詳しい。) この「思いやり予算」ほど、これまでの自民党政府がどんなに腰抜けで、アメリカの言うがままに、アメリカに尽くしてきたか、物語るものはない。 アメリカは、日本がアメリカに、金を貢ぎ、アメリカの基地を維持するのに日本人の税金を費やすのが当然と思っている。 ここでまた、「しんぶん赤旗」にお世話になる。 2010年3月19日の「しんぶん赤旗」に次のような記事が載っている。 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik09/2010-03-19/2010031902_03_1.html 「恩恵」と来たよ。途方もないことを言う物だ。居直り強盗、とはこのことだ。 NHKの番組の中でも、米軍関係者が「日本のGDPからすれば、大した金額ではない」といっている。 贅沢なジムなどの施設について「娯楽と思われかも知れないが、米軍兵士の士気を高めるのに必要だ」という内容のことを言っていた。自分たちの兵士の士気を高めるのは、自分たちの金でやれよ。自分たちの軍隊なんだろう。 あの兵士たちは、イラクやアフガニスタンで無差別市民殺戮を繰り広げている連中ではないか。 どうして、そんな残虐かつ非人道的な兵士たちの士気を我々日本人が高めてやらなければならないのだ。 フィリピンのクラーク基地、スービック基地から撤退し、韓国の基地も縮小したのに、米軍が日本から基地を撤退しないのは、この「思いやり予算」の存在が大きい。 アメリカは、おかげで大変に安い費用で基地を維持できる。 5兆5千億円も払ってくれる国がどこにあるか。 グアムに移すとなると、全て自前で基地を維持しなければならない。 勘定高いアメリカ人が、そんなことをする訳がない。 アメリカが、日本から基地を撤退する訳がない。 したがって、今の日米の力関係、歴史的に自民党政府が行ってきた屈辱的な隷属政策からして、沖縄から米軍が基地を撤退したり移転する訳がない。 「年次改革要望書」で、日本政府は自国の政策をアメリカに決められ、「思いやり予算」でアメリカに徹底的に貢ぐ事を続けて来た。 アメリカは、その「思いやり予算」はもう当然の権利だと思っている。 そんな状況で、鳩山由紀夫氏が普天間基地の県外移転を言い出しただけで、今までの状況をひっくり返す衝撃があったのだ。 鳩山由紀夫氏の公約を、「人気取りだとか」言う人が多い。 実際に、挫折したことをあざける人も多い。 しかし、これまで、歴代の自民党政府はアメリカと交渉することさえせず、県外移転を言葉に出すことさえしなかった。 鳩山由紀夫氏は結局アメリカに負けたが、とにかく日本の歴代の首相として初めて沖縄基地に対してアメリカの意に反することを言った。 一体、誰が鳩山由紀夫氏をあざけることが出来るのか。 韓国の米軍基地が大幅に縮小されたのは韓国人が全体となって、基地反対運動を続けたからだ。 日本人はどうか。 韓国人の根性のひとかけらも持ち合わせていない。 原子力空母が横須賀を母港にしているのに、反対する人々はいない。(ごくたまに、ほんの少数の人々が反対表明をするだけである) 横須賀の基地は、東京のすぐそばにある。首都のすぐ近くに米軍基地があっても、何も感じない日本人は、性根を抜かれてしまっているのだ。 鳩山由紀夫氏が「米軍基地の県外移転」を言い出した時、日本人全体は本当に愛国心があるなら、米軍基地問題を真剣に考えるだけの根性があるなら、鳩山由紀夫氏に協力するべきだったのだ。(母親から貰った金の処分の方法は確かにまずかった。それに対する弁明も、愚かだった。しかし、汚職で貯めた訳ではない。沖縄の基地問題と比べて、どちらが重いのか) それを、結局不起訴にしかならなかった問題で大騒ぎして、鳩山由紀夫氏を大悪人に仕立て上げ、折角米軍基地に日本人全体が反対して撤去・移転させる良い機会だったのに、その機会をつぶしてしまった。 検察と、新聞、テレビなどのマスコミは、今度もアメリカの手先になった。 自分たちで、手先になったという自覚がないとしても、結果としてアメリカを喜ばせた。 私は今回の、マスコミの、小沢・鳩山叩きを見て、「はて、これはかつて見たことのある情景だと思った」 そうだ。1972年に起こった「沖縄密約事件」だ。 1971年に、時の総理大臣佐藤栄作がアメリカと「沖縄返還協定」を結んだ。 毎日新聞の西山太吉記者は、71年の調印直後、井川外務省条約局長とスナイダー米駐曰公使との間で交わされた極秘扱いの電信文を入手した。 それを元に、返還協定上はアメリカが自発的に支払うことになっていた400万ドルの補償費(具舞金)を日本が肩代わりする、という「密約」疑惑について毎日新聞に書いたが、大して反響を呼ばなかった。 その後、西山記者は、当時の社会党の横道孝弘議員へ、その極秘電文のコピーを渡し、横道議員が衆議院予算委員会で佐藤栄作をその件で追及したことで、電文の存在が暴露されてしまう。 さあ、ここからが、実に奇怪なことなのだが、その密約より、その極秘電文を西山太吉氏が外務省の女性職員から手に入れたことが問題にされた。 外務省の女性職員が国家公務員法100条の守秘義務違反容疑で逮捕され、西山太吉記者も同法111条のそそのかしの罪、で逮捕された。 これは、恐ろしいことであった。 逮捕するべきは、国民に嘘をついた佐藤栄作であるのに、逆に、その嘘を暴いた西山太吉氏と女性職員を逮捕した。正悪逆である。 不正を正すのが検察の役目なのに、邪悪を許し、正しいものを捕まえる。 検察は、佐藤栄作とその背後のアメリカのために、佐藤栄作とアメリカの計画に邪魔になる西山太吉氏と女性職員を陥れたのである。 検察は勧善懲悪の逆だ。悪を勧め正義を懲らしめる。 さらに、事態は醜悪な様相を呈してくる。 検察は、西山太吉が、外務省の女性職員と「情を通じて」秘密電文を入手したと起訴状に書いた。(こう言うことを、普通書くか。西山太吉記者と、外務省の女性記者を貶めるために、公の場でこんな言葉を使ったのだ。ああ、日本の検察は、本当に品性がありますね。気高くて恐れ多いですね。牛の糞の次に品性がありますね) すると、マスコミは、沖縄密約を忘れて、西山記者と外務省女性のスキャンダルを報道することに熱狂した。 たしかに、西山太吉氏の取材過程における行き過ぎはあっただろう。 しかし、男女の問題と、沖縄密約の問題と一体どちらが重要なのだ。 日本人にとって死活問題なのは、そのような密約をアメリカと交わしたことだろう。 あとで、その密約がもっと途方もない物を含んでいることが分かった。 事件後50年経ったことで、アメリカでは公文書の公開が始まって、ほかにも密約が幾つもあることが次々に明らかになった。 主なものだけでも、 ◎日本がドルを連邦準備銀行に、25年間無利子で預け、その利子の分アメリカに1億1200万ドルの利益を与える、と言う密約。 ◎沖縄返還後、核再持込みに関する密約。 戦争が起きた場合は沖縄に再び核を持ち込むことを認める。 ◎沖縄返還時、費用肩代わりに関する密約。 沖縄返還にあたり、アメリカ軍が基地として使った土地を田畑に戻すための費用を日本が変わって支払う。 などがある。 このような密約がばれるのを恐れて、検察は、西山太吉氏を起訴し、日本にとって極めて重大な問題を、「男女の関係」に矮小化した。 すると、新聞、テレビは、連日、西山氏と女性職員の男女問題を騒ぎ立て、いつのまにか、肝心の沖縄密約の件は綺麗さっぱりと忘れ去られてしまった。 国民が、その問題を忘れるように、仕向けたとしか言いようがない。 日本人も、何が問題の本質かを忘れ、マスコミにおどらされて、西山太吉氏と外務省の女性職員の人格を貶めて喜ぶという、自分自身の劣情をかき立てて熱狂した。 西山氏の問題を論じるなら、その数倍を密約問題に費やすべきではないか。 なにが、日本という国にとって大事なものなのか、マスコミの人々は判断がつかないような頭をしていたというのか。 そうではあるまい。あれは意図的に起こされた騒ぎだったのだ。 検察と、マスコミが手を結んで、国家の犯罪を隠蔽したのである。 これで一番得をしたのはアメリカで、次に、当時の佐藤栄作である。 私は、あれよあれよという間に、話が沖縄密約から男女の問題に変わって、その件をマスコミが騒ぎ立て、密約の問題が消えてしまったことに驚いた。 今回の鳩山由紀夫氏叩きも、これとよく似た図式である。 アメリカの不利になると、アメリカに飴をしゃぶらされてきた、あるいは日常的に恫喝を受けている、マスコミ首脳、検察庁幹部、はアメリカのために、鳩山由紀夫氏叩きになりふり構わず力を尽くした。 今日、クリントン国務長官が、鳩山由紀夫氏を賞賛したというニュースが入ってきた。アメリカの勝利宣言である。 日本のマスコミ、検察幹部たちにも、ご褒美が届くだろう。 楽しみにしていなさいね。 自分の頭で考えて、何が正しくて何が不正か理解できない者は愚民である。 マスコミに扇動されて、何が正しくて何が不正か分からなくなる者も愚民である。 1972年の沖縄密約事件で、佐藤栄作とアメリカのために検察とマスコミの仕掛けた扇動に乗って、西山太吉氏を屈辱に追い込んだ当時の日本人は愚民だった。 今、また、検察とマスコミの扇動に乗って鳩山由紀夫氏を叩き、基地問題の解決を不可能にした日本人は、1972年当時の愚民状態から抜け出しているのだろうか。 最初に戻る。 2)基地問題に於いて日本が戦う相手はアメリカである。 今までに述べたことから、いかにアメリカが日本を蹂躙しているかお分かり頂けただろう。 基地を取り戻したかったら、アメリカと戦うのだ。 敵はアメリカだ、鳩山由紀夫氏ではない。 最大の敵を討つためには、鳩山由紀夫氏資金問題は、一時置いておいて、一緒に戦って、そのあとで資金問題を詰めれば良かったではないか。 物事には順番がある。順番を間違えると、取り返しがつかないことになる。 ところが、アメリカは、外務省をも、検察をも、政治家達をも、評論家たちをも抱き込んでいるから、アメリカの意を呈した外交評論家などを、新聞テレビなどは総動員して、「日本にとって一番大切なのは日米関係である」と言わせて、アメリカのいうことを聞けと日本人に説教を垂れる。 そんな評論家たちがどんな人種かというと、先日、元自民党の幹事長だった野中広務氏が、小渕内閣の官房長官在任中(98年7月~99年10月)、内閣官房報償費(官房機密費)を毎月5000万~7000万円程度使い、国会での野党工作のほか複数の政治評論家にも配っていたことを明らかにした。 そんな評論家たちが、マスコミに動員されているのである。 これが、アメリカに対する隷属状態が65年も続いた理由の一つである。 そして、ついに、検察、マスコミ連合の力の前に鳩山由紀夫氏は屈してしまった。 無残なる敗北である。味方によって、背後から撃たれたら戦いようがないだろう。 この鳩山由紀夫氏の敗北を見せつけられると、この後、誰が首相になっても日本のこのアメリカに対する隷属状態を解消しようとする勇気を持つ者はいなくなるだろう。 鳩山由紀夫氏の敗北と共に、沖縄の人々が米軍基地から逃れ出る希望は潰えたのである。 日本がアメリカの隷属状態から抜け出す機会も消えたのである。 3)について言えば、日本に米軍基地があるのは沖縄だけではない。 全国に134個所もある。 そのうちの米軍専用基地は90個所(そのうちの面積の70パーセントは沖縄)、残りは自衛隊との共同使用の形を取っている。 横須賀基地、横田基地、など、首都東京のすぐ近くで人口密集地なので、住民たちの苦しみは一方ならぬものがある。 しかし、基地から離れている人達は、基地について何の関心も示さない。 沖縄は、遠く離れているので、余計に他人ごとのようだ。 どうして、誰も反対の声を挙げ、運動を始めないのか。 沖縄の人々は怒っている。どうして、神奈川県の人間は怒らないのか。他県の人間は怒らないのか。 沖縄の人々も、誰が鳩山由紀夫氏を潰したか、冷静に判断して、その怒りをその人々に向けるべきだ。鳩山由紀夫氏が公約を守れなかったのは、アメリカの意を受けた彼の力を上廻る連中がいたからだろう。 沖縄の友人たちよ、間違えてはいけない鳩山由紀夫氏は真の敵ではない。 真の敵はアメリカだ。 敵を見失うな。敵に通じている裏切り者を見失うな。 沖縄以外の県の人間で、鳩山由紀夫氏が公約を守れなかったからと、ののしり、非難する人々は自分たちの愚かしさを罵るが良い。自分たちが何もしなかったくせに、鳩山由紀夫氏をどうして非難できるのだ。 昔のことわざに、「鷸蚌之争」(いっぽうのあらそい)というのがある。 「鷸」(いつ)は鳥の「シギ」のこと。 「蚌」(ぽう)は、ハマグリのこと。 「鷸蚌之争」とは、「シギが、ハマグリを食べようとすると、ハマグリが殻を閉じてシギのくちばしをはさんで押さえ込んでしまう。シギもハマグリも困って立ち往生する。そこを、漁師が喜んでつかまえる」ということで、「二者が愚かな争いをしているところを、第三者の食い物にされてしまう」という意味になる。 鳩山由紀夫氏と検察・マスコミのを争いは、まさに「鷸蚌之争」である。 この場合、アメリカにそそのかされて「蚌」である鳩山由紀夫氏に攻撃を仕掛けた検察とマスコミが「鷸」だろう。そして日本人同士馬鹿な争いをしている内に、漁師=アメリカは大きな利益を得たのだ。 クリントンは、シギとハマグリの争いで大きな利益を得て、良い機嫌になっているのである。 これで、日本がアメリカの隷属状態から抜け出るのは早くとも21世紀半ばまでには無理だということになった。 実に残念だ。私は、とうとう、アメリカの植民地の人間として一生を終えることになるのだ。 ああ、くやしいなあ。
- 2010/05/19 - 竜巻 昨日の午後、晴れていた空が曇ってきて、外を見たら不思議な雲がみえる。 雲から、しっぽのような物が垂れて下がっていく。 竜巻の雲だ。 ベランダから写真に撮った。 この位置からは見えないが、右側は太平洋が一望できる。 実は、この写真を撮る前に、海の上まで届く竜巻雲が出来ていた。 あわてて、カメラを撮りに行く僅かの間に、その部分から雨が降り始め竜巻雲は見えなくなった。 残念、と悔しがっていると、すぐに、左側から雲が垂れ下がり始めた。 家並みが邪魔になるが、その背後は太平洋である。 しかも、この、竜巻雲が一個所だけでなく、二本、三本とあちこちに出現した。 私は、竜巻雲をこの目で見るのは初めてなので興奮した。 しかし、この竜巻雲も、あっという間に姿を消した。 実に不思議な現象だ。 すると、今日のSydne Mornig Herald紙に、その竜巻を海岸から写した写真が載っていた。 Waterspouts whip past Sydney これは不安定な上昇気流が生じて、上空の雲を引き寄せて生じたもので、その近くにいたら大変に危険だが、この竜巻は陸に近づくにつれて弱くなってしまうという。 この写真を見ると、サーファーが慌てて逃げて来たように思えるが、サーファーは気がついていないのではないか。 シドニーは実に気候の変動が激しく、さっきまで快晴だと思っていると、突然一天にわかにかき曇って土砂降りになったりする。 残念なのは、竜巻雲が、二本も三本も、垂れ下がっているところを撮影できなかったことだ。 カメラはいつも手元に置いておかないと行けないと反省したが、そうは言ってもなあ。望遠レンズまで、いつも手元に置いておけませんや。
- 2010/05/15 - 老犬介護 またまた、ポチの話で、失礼します。 我が家の老犬ポチは十六歳を過ぎた。 人間の年齢にすると九十歳を超えているのだそうだ。 流石に去年あたりから衰えが目立つようになり、最近は、階段を上るのもお尻を押してやらなければならないようになってしまった。 もともと、ラブラドール・リトリーバーと言う犬種は、後ろ足と腰が弱いのだという。 ポチも、子犬を生ませたかったのだが、獣医の意見によると、ポチに子供を産ませると腰、股関節に悪影響が出る、と言うのであきらめた。 それくらいだから、歳を取ると後ろ足と腰の弱さが目立つ。 よたよたと歩く。後ろ脚の動きが非常にぎくしゃくしている。 その、よたよたと、ぎくしゃくが、一層目立つようになった。 困るのはお漏らしをすることだ。お漏らしと言っても、大のほうである。 幸い、固くてころころしているので、後の掃除はそんなに悲惨ではない。 これは、腰が弱くて、容易に立ち上がれず、立ち上がろうと力むと、その拍子にポロリと出てしまうのだ、と次女は言う。 競馬の場合、競走の前に、パドックで下見で馬を引回す時に、歩きながら糞をする馬がいる。 その馬糞のことを、ボロ、とかポロという。 家でもポチの物をポロという。 人によっては、パドックでボロをした馬は走らない、などと言う。 別の人は、緊張が解けて、腹が軽くなるから、走りが良くなる、とも言う。 しかし、この競馬の通と言われる人達の言うことほど当てにならないものはない。 大昔、東京競馬場でのレースで、今でもその名前は忘れられない、マルノムーティエという馬が、パドックでの下見を終えて、本馬場に出て来て、軽く足馴らしをする返し馬の時に、突然全力疾走をを始めてしまった。本馬場に入ってきた時からマルノムーティエは馬っ気を出しており(この言葉の説明はしません。分かる人だけ分かれば良い。上品ぶる訳ではないが、知らない人にわざわざ教える言葉でもない) 観客の中から「ああ、これは、だめだなあ」などと言う言葉が上がっていたのだが、その言葉がマルノムーティエに聞こえたのか、マルノムーティエはいきり立って走り始めたのだ。 しかも、観客がどよめく中を、マルノムーティエは東京競馬場のあの馬場を全力で一周走りきったしまったのである。 騎手は必死に止めようとしたが、いきり立っているマルノムーティエは抑えが効かなかった。 とんでもない勢いで、全力であの東京競馬場を一周走りきった瞬間、大勢の観客が立ち上がり、馬券売り場に走っていった。 マルノムーティエの馬券を買った人達である。 その日、マルノムーティエは人気があったので、マルノムーティエがらみの馬券はよく売れていた。 しかし、競走の本番前に、馬場を全力で一周してしまったのでは、もう実際のレースでは走る力がない、とその人たちは思って、マルノムーティエがらみの馬券を全て、他の馬がらみの馬券に買い換たのだ。 ところが、本番のレースが始まると、マルノムーティエは最初から先頭に立ち、そのまますさまじい勢いで一着でゴールを駆け抜けた。 会場は、驚きと、嘆きの声に包まれた。 大笑いしている人達も少なからずいた。「こんな、おかしな馬見たことがないよっ」と騒いでいる人達もいた。 その後、マルノムーティエは馬っ気を出し過ぎると言うので、去勢され騸馬(せんば)となった。 すると、あの勢いをすっかり失ってしまい、騸馬にされた後は一勝も出来ずに引退した。 全く馬鹿げた話だ。馬にも可哀想だし、馬主も、厩舎も大損しただろう。 東京競馬場を全力で二周疾走できる馬なんて、そうそういるもんじゃない。 マルノムーティエはそう言う馬なのだから自然に任せておけば良かったのだ。 馬の天然の性質を認めないなんて、そんな馬鹿な法があるものか。 それは、競馬場には女性も沢山来るから、馬主にも、厩舎にも、その辺のおもんぱかりが有ったのだろうが、実に残念なことをした。 おっと、話がずれた、ポチの、ポロの話だった。 ポロも困るが、更に困るのは人が(特に、次女が)留守にすると、鳴くことである。 鳴くと言っても、吠えるのだが、それが、悲痛な声なのだ。 少し前までは、出かける前にはテレビを付けっぱなしにし、あちこちの部屋の扉を開けていかにも人がいるように見せかけたりして、ごまかせたのだが、最近は耳が遠くなり、視力も落ち、ただ勘だけが働くようで、人がいないと雰囲気で分かるらしい。 で、最近悲惨なのがこの私だ。 連れ合いと娘たちが出かけるとなると、まず、ポチを私の部屋の前に連れて来る。 「ほら、お父さんがいるからね」とポチに言い聞かせる。 それで、女共は逃げるように出かける。 ポチは、子犬の時から、私の書斎に入らないように厳しくしつけてあるので、今更「入っておいで」と言っても、絶対に入ってこない。 仕方がないから、私は、私の部屋の扉を開けっ放しにして、ポチが私のいることを確認出来るようにしなければならない。 シドニーは秋が深まってきて、扉を開けっ放しにしておくと寒いから私は辛い。 しかも、私の部屋の前にじっとしてくれれば良いのだが、犬の気持ちは犬でなければ分からない。 突然立ち上がって、玄関ホールの方に行ってしまう。 で、しばらくすると、鳴き始める。 行ってみると、玄関ホールから廊下の突き当たりの次女の部屋の方を見ながら鳴いている。 実に不憫である。 「ポチ、ポチ」と声をかけてやっても、耳が遠くなっているので聞こえない。 仕方がないから、尻を軽く叩いてやると、驚いて振り返る。 頭を撫でながら「お父さんがいるかね。大丈夫だよ」と言ってやるのだが、ぼーっとした表情で、昔のように嬉しそうな様子を見せない。 元来、犬は表情の豊かな動物だ。様々な感情を表現する。 しかし、今のポチは老耄してその感情表現も衰えたのか、反応がない。 これが、実に悲しい。 それでも、私に撫でられて、安心するのか、鳴くのを止める。 やれ、やれ、これで大丈夫と私は部屋に戻るのだが、しばらくするとまた鳴き始める。私がいるのを忘れてしまうらしい。 そこで、私はまた、なだめに行かなければならない。 これの繰り返しだから、私は仕事が出来ない。扉を開けっ放しにしているから寒いし、落ち着かないし。 連れ合いと娘たちが帰って来る頃には、私のいらだちは、極限に達している。 帰って来た連れ合いと娘たちに「また、ひどい目に遭ったぞ」と文句を言う。 連れ合いと娘たちは、「ごめんね、ごめね」と言うけれど、そう言っておきながら毎日私にポチの面倒を見させて出かけてしまうのはどう言う訳だ。 獣医である次女が「ポチも、もうそろそろよ」と言ったのは去年の十月頃だ。 それが、次女が手を尽くしているので、今日まで生き延びている。 死なれるのは悲しいが、この介護もまた大変である。 私の家の階段には、ポチの上り下りを楽にするために、次女がヘンテコなるカーペットをあちこちに敷いた。居間の板の間もポチの足が滑るからといって、これまた気持ちの悪いカーペットを敷いた。実に見苦しいことこの上ない。 ポチ一匹に家中が翻弄されている感じである。 家族全員そろって食事に行くことも、ポチのことを考えるとためらわれる。 犬や猫は不思議なものである。 猟犬に使うとか、そりをひかせるとか、そのような役に立つ犬もいるが、いま家庭で飼われて犬はそのような人間の仕事の役に立つことは何もしていない。 役にも立たない生き物をなぜ人は飼うのか。 豚や、牛や、ニワトリは、役に立つからこそ飼われているのに、何の役にも立たない犬や猫を飼うのは、豚、牛、ニワトリ、羊、などに対して申し訳ないのではないか。 豚、牛、ニワトリ、羊が、「それは、あまりに不公平な取り扱いだ」と怒って反乱でも起こしたらどうする。 何の役にも立たない犬や猫を飼うのは「可愛いから」の一言に尽きる。 そして、実は、犬や猫がそばにいてくれるおかげで、人の心は非常に安まる。 そう言う意味では、犬や猫は大変に人の役に立っているである。 とはいえ、このように介護の日々が続くと、疲れます。 人が犬を飼うのではなく、犬が人を飼っているのだと言うことを痛感する。 2年前に死んだ犬は、突然激しい嘔吐を始め、ものを食べられなくなり、水も飲めなくなり、次女の働くクリニックに連れて行ったら肝臓がんの末期で、あと数日の命だという。それでは、苦しませるだけ可哀想だというので安楽死させた。 ポチは、まだ、そこまではいっていないので、介護を続けなければならない。 最近テレビや雑誌で、老人介護のもたらす悲劇が多く伝えられている。介護に疲れて自殺する人の話も伝えられる。 犬でさえこんなに大変なのだから、自分の肉親だったらどんなに辛いことだろうか。 こんなことを言うと、犬と人間を同一に論じるのは不遜だ、などと怒る人がいるだろうが、可愛がって一緒に暮らし続けた犬に対する愛情は、肉親に対する愛情とさほど変わるものではない。 週刊朝日に「ペット自慢」のページがある(「犬ばか、猫ばか、ペットばか」)。 読者が、自分の飼っているペット、(実に様々な動物をペットとしている人がいるのに感心したが、登場するのは主に、犬と猫である)の写真と、それについての思いを込めた文章を投稿するページである。 一度、連載をやめたら読者からごうごうたる非難を浴びて、連載を再開したという曰くがある。 このページ見たさに、週刊朝日を買う人も少なくない。 週刊朝日としても、もう止めることの出来ない、ページだろう。 犬や猫を飼っている人は、それだけ多くいるのだから、我が家のように老犬介護の辛さを味わっている人も少なくないはずだ。 ある有名な避暑地の周辺には、ペットショップで買えば何十万もする血統書付きと言った犬や猫が多数、野犬・野良猫になっているという。 避暑に来た人が、東京に帰る時に、面倒だから、そのまま捨てて行ってしまうのだという。 来年避暑に行く時にまた新しい犬を買えばよい、そして、東京に帰る時に捨ててくればよい、と思っているようだ。 そのような人間は老犬介護で苦しむことがなく、安楽な日々を送れるだろう。 (こおの外道どもがっ!そう言う人間は、避暑地の電信柱に鎖で繋ぎっぱなしにして放置してやればよいのだ) もう、介護はうんざりだ、などと言いながら、ポチの顔を見ると、可愛くて、不憫で、つい撫でてしまうのだ。 老犬ポチよ、長生きしてくれよ。
- 2010/05/08 - 草食系の若者と吉田松陰 一昨日NHKのテレビで草食系の若者たちと、少し年輩の人達との討論会が行われた。 しばらく聞いていたが、うんざりして、途中テレビを消して、終わりの部分を再び少し見た。 そこに集まった若者たちの言い分は、 出世したいとは思わない。 自分のしたいことは仕事ではない。 趣味などの自分の好きなことをするのに時間を使いたい。 お金は、そんなに欲しいとは思わない。 普通に暮らせればよい。 海外にも興味がない。 自動車にも興味がない。 大体こんな所だっただろうか。 女性作家が、多分四十代なのだろうが、若者たちを挑発するような言葉を甲高い言葉で投げつけても、大抵の若者たちは、迷惑そうな顔をするだけである。 ある飲食業の経営側の人が、韓国人や中国人の新入社員の方がやる気がある。新入社員は25パーセントそのような外国人を取る、といっていた。 色々話を聞いていて、そこのスタジオに集って話をしている若者たちは、彼らの今の生き方を批判されると、強く怒ると知った。 自分の今の生き方が一番だと思っていて、それを年上の人に、意見を言われると目上視線でものを言われるようで不愉快だという。 彼らは、今の自分たちの生活に文句を付けられることを非常に嫌う。 大勢の人間が一堂に集まって話すと、大体話がまとまらない。 一つの方向に収斂することが無く、右に行くかと思うと左に行く。 一つの話題を深めることもなく、すぐに次の話題にふらふらと移ってしまう。 こう言う形では、深い討論は出来るはずもないので、現在の草食系という若者たちの本当の意識などを摑むこと不可能だと思ったが、一つだけ私が心に引っかかったことがあった。 それは、今の若者たちは今の社会に強い不満を持っていない、ということだ。 「いまのままでいい」と言う言葉が一番多かったのが、私にとっては、意外だった。 私は、彼らに、「本当に今のままでいいのか」と尋ねる前に「『今日』の『今』が、明日も続くと思っているのか」と尋ねたい。 どうして、そんなに、「今」に安心していられるのだろう。 私から見ると、彼らはあまりに現在の状況に安心しすぎている。現状に満足しすぎている。 不必要に仕事に精を出さず、毎日を何とか食い扶持を稼ぐだけ働いて、後は趣味をして時間を過ごしたい。 彼らの意見をまとめると、そうなる、と思った。 このさき、日本に難しい問題が起こるとは思っていないようなのだ。 安心しきっている。自足しきっている、と私には見えた。 自足した人間の顔は美しい物はではない。 彼らのその自足した生き方を続けられるのは、いつまでだろう。彼らのその生活を支えているのは今の日本の経済力だ。この経済力を作ったのは、草食系若者たちではない。 肉食系で頑張った、草食系若者たちの父親以上の世代だ。草食系若者たちは自分たちで何かを生み出す新しい産業を作り出さない限り、父親世代の寄生虫でしかない。 経済力が落ちて、職を得られなくなると、それこそ毎日仕事を探し回り、趣味どころではなくなる。寄生虫の生活は楽だが、自分で経済を構築する力はない。こんどは、中国とか、韓国に寄生するか。 そうなった時に、今の言い分が通じるだろうか。 人間、何か働かなければ食っていけないはずだが、これ以上の不況になると、簡単には職を得られなくなる。 職を得られるのは、何か人に秀でた物を持った者達だけだ。 日本の景気が良くなって、能力に関係なく全ての人に一様に職を提供できるようになれば問題ないが、そんな国はどこにあるだろう。 自由資本主義、強奪資本主義の世の中にあって、強力な金融を動かすこと出来る一握りの人間が世界を支配している。 我々は、いまでこそ、その強奪資本主義者のおじさんたちのおこぼれを頂戴できているが、彼らは何時までも甘くない。 水道の蛇口を彼らが閉めるのも、遠い日の話ではなさそうだ。 幕末に、長州(山口県)に吉田松陰という男がいた。 年齢は、一昨日テレビに出た草食系の若者たちと同じ年頃で、政府の方針に逆らったので死刑になった。 私は、吉田松陰の「尊皇主義」はとてものことに受け入れられないが、あの当時、押し寄せてくる西洋の勢力に対して、日本を何とか守って、西洋に対抗させる力を付けなければ行けないと焦った気持ちは良く分かる。 どんな人間でも、その時代の枠から逃れることは出来ない。 吉田松陰も、封建武士としての意識に貫かれ、その意識を抱いて外国に対抗する攘夷論(外国を撃つ)を主張する点で、今から見れば時代遅れだが、当時としては最先端思想だった。日本人が外国の攻勢にあったのは初めてのことだったのに、どうすれば良いか二十歳そこそこの松蔭は智恵を振り絞ったのだ。 松蔭は、国をどうするかという意識を強く持っていたが、一般の人々の民政までは頭になかった。外国と日本との関係のことで切羽詰まっていたのだ。そこまで、余裕がなかったというか、封建武士の限界と言うべきか。 このままでは、日本は西洋の支配下に置かれてしまう。何とか立ち上がらなければならない。しかし、他者はついてこない。 変革のために主君を責めなければならないが、封建武士として主君に対する忠義を貫こうとすれば、それもかなわない。 それでは、新しい社会など作り上げようがない。 のんびりしている社会に向かって、西洋が攻めて来て国に災いをなす、などと言えば、狂人扱いされる。 (ここから、鹿野政直氏の「日本近代思想の形成」を援用する) そこで、吉田松陰は、自らを「狂愚」とよんだ。 「狂は常に進取に鋭く、愚は常に避趨(ひすう)(逃げ出す動き)に疎し」 要するに、「狂」は積極的に何事かを進み取ることに鋭い。「愚」は逃げたりすることに疎い。 すなわち、 「狂」は積極的に行動する人。 「愚」は退くことを知らぬ馬鹿正直な人間。 「狂・愚」あわせて、積極的に行動する、至誠の人、馬鹿正直な人、とうい積極的な意味をもっている。 この自分を「狂愚」と捉える考え方は、社会に対する絶望の表現である。 社会をどんなに批判しても社会は、馬耳東風で動こうとしない。 逆に、頭がおかしいと扱われる。 こうなると、社会を批判する自分自身は、社会における例外者として捉えざるを得なくなってくる。 社会を批判する自分を、例外者として規定することは、深い敗北感を形成する。 結果として、吉田松陰は政府によって死刑にされるが、そのひたむきな行動に対していまだに信奉者が少なくない。 私自身、吉田松陰の考えを丸で受け入れられないが、その、一途な思いで突進していくひたむきな生き方には心を揺さぶられる。 この吉田松蔭が、いまの草食系若者たちを見たら、どんな顔をするだろう。 時代の変化は恐ろしいものだ。 たぶん、草食系の若者たちに、松蔭の言葉など、何一つ響かないだろう。 ああ、やんぬるかな、だ。
- 2010/05/04 - 鳩山由紀夫氏を攻撃するのは誰か 鳩山由紀夫総理大臣が、普天間基地についての対応に対して多くの人びとに批判されている。 しかし、その批判、非難、攻撃は、鳩山由紀夫氏が受けるべき物なのだろうか。 考えて貰いたい。 沖縄を米軍の基地にしたのは誰なのか。 それは、昭和天皇である。 昭和天皇が「沖縄にずっとアメリカ軍に存在して貰いたい」といったのが始まりではないのか。 昭和天皇の沖縄についての発言は、いちいち、私はここで挙げないが,様々な文書で明らかにされている。 もし、私の言葉に疑いを抱く人がいたら、ちょうど良い機会だ、昭和天皇の言行録を、当たって欲しい。ちょっとした図書館に行って、昭和天皇についての書籍を調べれば、すぐに分かることだ。(その意図があるから、私はわざと、文書をここに引用しないのだ。読者諸姉諸兄が自分の目で、昭和天皇が何を言ったのか読んで欲しい。それで、驚かなかったら、おかしい) 昭和天皇が、沖縄をアメリカに渡すと言った言葉に従って、その後の政府は忠実にアメリカに沖縄を自由に使うことを許してきた。 歴代の自民党政府が六十年以上にわたって、アメリカに沖縄を自由に使うことを許してきたのだ。 今まで、日本をアメリカの奴隷にしてきたのは、自民党政権である。 鳩山由紀夫氏に直接の責任はない。 私は、民主党を支持しない。なぜなら、その党員の中に、自民党の最右翼と同じ考えの人間が多く存在しているからだ。 自民党と民主党との絶対的な違いはない。 ただ、鳩山由紀夫氏が、沖縄から米軍基地の移転を表明したことは画期的だった。 我々、日本はいつまでアメリカの奴隷になっていなければならないのか。 その、基本的な疑問に答える一つの回答だった。 しかし、アメリカは強力である。 日本ごとき、ただのアジアの小国、としか思っていない。 少しでも撥ねれば、叩く。 アメリカの有力雑誌、TIMEの、2010年4月19日号(Australia版、多分アメリカ版と同じだと思う)では、「鳩山はfading Japanを改革しようとしているが、彼は、改革より混乱を生み出している」という記事を巻頭に載せた。 この「fading Japan」というのが、実に嫌みだ。fadeとは 「衰え、消え去る」という意味である。「fading Japan」とは、「衰え消え去ろうとしている日本」、と言う意味だ。悪意と、侮蔑を込めた言葉だ。 この、タイトルからTIME誌の意図が明らかだが、(と言うよりアメリカという国の意図)、記事の内容を読んでも単なる嫌みと、脅しでしかない。 こう言う嫌みと脅しは、自民党が政権を握っている限り、絶対に出てこない物だっただろう。 TIMEのいうことは、日本をアメリカの隷属化に置くことが必要だというアメリカ政府、あるいはアメリカの有力勢力の考えを表す物だろう。 この六十年間のことを考えて貰いたい。 長い間、自民党、政府はアメリカに奴隷的に仕えてきたのである。 CIAの秘密文書がアメリカで明らかにしたことは、歴代の日本の自民党の首相がCIAから金を貰っており、CIAにはかれら秘密のコード・ネームが残されていたことだ。 なさけないね。日本の首相が、CIAからコード・ネームを与えられていたなんて。 そう言う国は、まともな独立国ではない。 私は、民主党を支持しないが、鳩山由紀夫氏が少なくとも、アメリカに対して日本人の思いを主張しようとしたことは認める。 しかし、鳩山由紀夫氏がどんなに頑張っても、この1945年以来の日米の関係を突然変えられる訳がない。 変えようといっただけで、私は、鳩山由紀夫氏を評価する。 今までの、自民党政府の誰がそんなことを本気で言ったか。 残念ながら、TIMEが嘲笑したように、日本はアメリカにとって、隷属国家でしかない。 そんな立場にある日本という国の立場を、日本人全体が、日本人全国民がおかしいと思い、それを正そうと思わない限り、日本のアメリカに対する隷属関係は変わらない。 鳩山由紀夫氏を今回の沖縄の基地問題で非難する人間は、戦後の日米の歴史を知らないか無視している。 私から見れば、鳩山由紀夫氏の言うことすら、日本人全体のあり方を考えた場合不十分だと思う。 ところが、その、鳩山由紀夫氏のやわい言葉にさえ、アメリカは厳しく反応するのだ。 この百年間、世界で最悪のテロ活動を続けてきたのがアメリカである。 貿易センタービル2棟が倒されたとアメリカ人は騒ぐが、では中南米で、東南アジアで、中東で、イラクで、アフガニスタンで、アフリカで、いったい何万何十万の人間をアメリカは殺してきたのか。 貿易センタービル2棟で釣り合いの取れる数ではない。 その、テロの基地の一つが、沖縄なのだ。 沖縄の基地から、イラク、アフガニスタン、以前はベトナムに、アメリカ軍が派遣されてきた。 その、テロ基地の一つ沖縄を、縮小することは世界の平和に大きく寄与することである。 だが、力関係は如何ともし難いし、この六十年間の保守政権のアメリカ隷属体制になれたアメリカは、この関係を少しでも変更しようとする勢力に対しては、全力を挙げてつぶしにかかるだろう。 岸信介から、日本政府の売国奴としての体制は変わっていなかったのだ。 A級戦犯だった岸信介が、どうして釈放され、どうして日本の首相になれたのか。 あの、1960年の安保改正の時の騒ぎを考えればよく分かる。 鳩山由紀夫氏は、戦後の首相の中で初めて、アメリカに対して異議申し立てを行った人物である。 私は、政治における陰謀論は簡単に受け入れてはいけないと思うが、戦後の日本におけるアメリカの存在の強さは無視できない。 首相自体が売国奴だったのだ。他にも、いくらでも、アメリカのために国を売る人間がいてもおかしくない。 現実に、名指しは避けるが、アメリカにこびを売るか、アメリカに弱みを握られたか、何らかの理由でアメリカに日本を売り渡す行為を続けて来ている政治家・官僚は、いやと言うほど存在する。 そのような、政治家・官僚と比較すると、鳩山由紀夫氏は少なくともアメリカの奴隷から、この日本という国を解放しようとする意志を持っていると私は思う。 しかし、繰返すが、アメリカは強力であり、日本国内にもアメリカのために働いている人間が多い。 このような状況で、直ちに、沖縄のアメリカ軍基地を縮小しようと言っても、力関係から言って通るはずがない。 通るはずがないことを、公約にした氏を公約違反だと攻めることも可能だろう。 しかし、それは、あまりに戦後の日米関係を無視した意見だと思う。 どんなことであれ、しかも、それが大きなことであれば、最初の第一歩を踏み出すことが一番難しい大事業だ。 1945年以来の対米隷属の日本の立場を、少しでも、良くしようとすることは、難事業中の難事業だ。 それを、公約にしたことの全部が出来ないからと批判すること自体、アメリカのためにする言葉だと思う。 鳩山由紀夫氏が、今回、公約を全て守ることが出来なくても、これは、アメリカに対する隷属関係から自由になる第一歩を日本国民に示した重要な意義があると、私は考えたい。 無闇に、鳩山由紀夫氏を批判する勢力の正体を、国民は知るべきだ。 (その正体は凄いよ。どろどろしているよ。目をふさぎたくなるよ。そう言う人間が、大手を振って跋扈しているのが今の日本なんだよ。) 結局、鳩山由紀夫氏は、アメリカと、アメリカに仕える日本人の有力者たちによって、打ち負かされるだろう。 公約を守れなかったのは鳩山由紀夫氏個人の責任である、と言い立てるのは、そのような人達とそのような人達に盲従する人達だ。 日本政府の実力と、アメリカの実力の差を冷静に計算して、弱肉強食の原理の元に、今回の沖縄の基地問題と鳩山由紀夫氏の責任問題を、感情的にならずに議論するべきだと思う。
- 2010/05/04 - この「市民団体」とは何者だ「市民団体」の申立によって、「検察審査会」が審査会を行い、民主党の小沢一郎氏に対する不起訴が否定され、「起訴相当」とされた。 私は、法律関係に疎く、この「検察審査会」なる物の存在すら良く知らなかった。 私の、この頁を読んでくださる読者諸姉諸兄は、今まで頂いた書き込みなどから判断するに、大変に知的に程度の高い方たちばかりであると思うが、それでも、この、「検察審査会」について、よくご存じの方は多いとは思えない。 そこで、私は、時間を費やして、この「検察審査会」と、小沢一郎氏を「検察審査会」に訴えた「市民団体」について調べてみた。 調べると言っても、私自身、シドニーにいる立場だから、日本の各地に行って、色々な人びとに尋ね回ると言うことは出来なかった。 結局は、ネットを回ってみて、このあたりなら信頼できるかも知れない、と言うところを選ぶしかなかった。 しかし、選ぶ基準は、それ以前に私の中に構築された価値判断を基にして行った。 さて、今回は、小沢一郎氏を検察審査会に持込んだ団体について語りたい。 小沢一郎氏の今回の問題については、例えば、朝日新聞の以下の文面のように、書かれている。 小沢一郎氏「起訴相当」と議決 陸山会事件で検察審査会 小沢一郎・民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地取引事件で、東京第五検察審査会は27日、政治資金規正法違反(虚偽記載)容疑で告発された小沢氏を東京地検特捜部が不起訴(嫌疑不十分)とした処分について、「起訴相当」とする議決をし、公表した。 特捜部は今後、再捜査して再び処分を出す。昨年5月に施行された改正検察審査会法では、再捜査の末に再び不起訴としても、それに対して審査会が2度目の「起訴すべきだ」とする議決をすれば、裁判所が指定した弁護士によって強制的に起訴されることになる。 特捜部は2月、小沢氏の元秘書で陸山会の事務担当者だった衆院議員・石川知裕被告(36)ら3人を同法違反罪で起訴した。その一方で、小沢氏については「虚偽記載を具体的に指示、了承するなどした証拠が不十分で、共謀は認定できない」として不起訴にしていた。 これに対して小沢氏を告発した東京都内の市民団体が「証拠の評価が国民目線とずれている」として、「起訴相当」の議決を求めて審査会に審査を申し立てていた。 以前に何度も書いたが、私はインターネット上の匿名の書き込みは信用しない。 しかし、今回、「検察審査会」について調べてみたところ、匿名ではあっても、他の信頼できる情報を元にした物もあり、さらに、これは怪しいと思う人間が、本人自身の名前で公表している頁もあり、ある程度正確な認識を得ることが出来た。 怪しい本人自身が、YouTubeなどに恥ずかし気もなく、自身の犯罪的な動画をアップロードしていることも知って、いまや、YouTubeが、そのような怪しい運動家の重要なメディアとなっていることも確認して驚いた。 まず、ことの大本は、国に尋ねるしかない。 そこで、国の裁判所のホームページ(http://www.courts.go.jp/kensin/index.html)から、入ってみた。 (私はネエ、嫌みじゃないんだが、六十歳以上の人間で、アメリカ語に得意でない人間はこの頁に入れないとおもう。単に、www.saibanにすればまだ分かりやすい。だが、courtsとはなんだ。こんなアメリカ語は通常の日本人の語彙にございません。頼みますよ、法務省のお役人方。もっと分かりやい言葉を使って下さいませ。別に、隠したい訳じゃないんでしょう。役人にとって、自分のしていることを出来るだけ分かりやすいように国民に知らせるのは義務だぜ。 こう言う馬鹿なことをしているから、役人減らせ、なんて言葉がわき起こるんだ。 一事が万事と言うぜ、考えてみてくれよな。) 事のついでに、日本のIT産業に対する官僚の取組みに苦言を呈したい。 いま、日本の検索業界はGoogleに90パーセントの市場を奪われている。 だが、中国を見ろ。百度と言うのが一番の検索エンジンで凄いビジネスを展開しているじゃないか。もちろん、それも、中国独特の著作権無視で他人の作ったソフトを勝手に使う風土と、中国共産党の締め付けがあっての話だが、それにしても、それとGoogleを手本にして、締め付けなしに、世界を納得させる検索エンジンの開発などに、役人が本気で携わってこそ今の日本の窒息状態が回復するのではないか。 こんな事言っても、日本の役人たちは全然動かない。 動かない理由を二万八千六十一個ほど、すらすらと述べる。 何もしないための理由を考えるために、丸1日を過ごすのが彼らの仕事なのだろう。 日本の官庁には、即ち、官僚には、日本でも優れた人材が配置されているはずだ。 その優秀性を発揮できなかったのが、日本をここまで落ちぶれさせた原因だ。 私は、東京大学で同学年の官僚予備生を沢山見た。その中には、クソにカビの生えたような奴も大勢いたが、極めて優秀な人間も少なからずいた。 あの、優秀な人間達が、どうしてこのような日本の経済的・政治的敗北を招いたのか私には理解できないのだ。 あの連中の優秀さを発揮させないような妖怪が日本の官庁に住み着いているに違いない。 それはさておき、その中の「検察審査会ってどんなところ・・・」と言う頁を開いてみた。 そこには、交通事故での例が、絵解きで説明されている。 交通事故で、被害にあった女性が、警察の調べの結果、相手が不起訴になったので、「検察審査会」に申立をして、それを受けて、「検察審査会」は審査会を開き、検察庁から取り寄せた記録を調べたりして審査し、その結果、検察官はもっと詳しく捜査すべきと言う「不起訴不当」の議決をした。 それに従って、検察官は、検察審査会の議決を参考にして、再度捜査、検討した結果、相手が起訴されることになった。 という例が書かれている。 さらに、引用すると ◎検察審査会とは、 《選挙権を有する国民の中からくじで選ばれた11人の検察審査員が,検察官が被疑者(犯罪の嫌疑を受けている者)を裁判にかけなかったこと(不起訴処分)のよしあしを審査するのを主な仕事とするところ》 ◎審査の方法は、 《検察審査会は,検察審査員11人が出席した上で,検察審査会議を開きます。そこでは,検察庁から取り寄せた事件の記録を調べたり,証人を呼んで事情を聞くなどし,検察官の不起訴処分のよしあしを国民の視点で審査します。 なお,法律上の問題点などについて,弁護士(審査補助員)の助言を求めることもできます。 また,検察審査会議は非公開で行われ,それぞれの検察審査員が自由な雰囲気の中で活発に意見を出し合うことができるようになっています。》 ◎審査の結果は、 《検察審査会は,審査の結果,不起訴相当(不起訴処分は相当であるという議決),不起訴不当(不起訴処分は不相当であり更に詳しく捜査すべきであるという議決),起訴相当(起訴するのが相当であるという議決)のいずれかの議決をします。そして,不起訴処分をした検察官を指揮監督する立場にある地方検察庁の検事正にその結果を通知します。起訴するかどうかについて最終的な責任を負っているのは検察官なので,検察審査会の議決は,原則として,検察官を拘束するものではありません。検察官は,議決の内容を参考にして再検討し,その結果,起訴するのが相当だという結論に達した場合には,起訴の手続をすることになります。 ただし,平成21年5月21日以降に行われた起訴相当の議決に対して検察官が起訴しない場合には,改めて検察審査会議で審査します。その結果,起訴すべきであるという議決(起訴議決)があった場合には,検察官の判断にかかわらず起訴の手続がとられます。》 ◎そして、これまでに、審査した事件は、 《これまでに全国の検察審査会が審査をした事件は15万件に上り,その中には,水俣病事件,羽田沖日航機墜落事件,日航ジャンボジェット機墜落事件,薬害エイズ事件,豊浜トンネル岩盤崩落事件,雪印集団食中毒事件,明石花火大会事件といった社会の注目を集めた事件もあります。 また,検察審査会が審査した結論に基づいて,検察官が再検討した結果起訴した事件は,1,400件を超え,その中には,懲役10年といった重い刑に処せられたものもあります。》 とある。 私は、不勉強で、「検察審査会」がここまで、重要な役割を果たしているとは知らなかった。 特に驚いたのは、《「検察審査員会」が二度、「起訴相当」と判断すると、強制的に起訴される》と言うところである。 これは、本当に民主主義的な制度なのか。 最近になって、一般の裁判に民間の裁判官が選ばれることについて、激しい議論が行われたが、裁判以前の検察の段階で、このように民間の検察審査会が持たれていて、そこまでの力を発揮しているとは全く知らなかったのは、なんと言うことだろう。 読者諸姉諸兄におかれてはご存知だったのだろうか。 問題はその先だ。 政府の「裁判所」の頁で示された例では、「検察審査会」に申立を行ったのは、事件に巻き込まれた本人である。 それも、明らかに、肉体的に経済的に実際の被害を受けた人間である。 ところが、今回、小沢一郎氏を「検察審査会」にもう一度検察をするように申立をしたのは、「市民団体」とある。 朝日、毎日、読売、その三大新聞のいずれもが、上記朝日新聞の記事のように単に「市民団体」と書くだけで、その市民団体とはどう言う人の集った団体なのか、全然説明がない。 一応、市民団体の名称としては「真実を求める会」、「世論を正す会」などが挙げられているが、これがまた定かではないので、私がここに書いた名称は間違いかも知れない。 私が間違いを犯したとしたら、それは、きちんとその名称を明記しない新聞などのマスコミが悪いのであって、私のせいではない。 だが、私が、ネットで調べいる内に、自分が「検察審査会」に申立をしたと言う人のページを発見した。 それは、桜井誠という人で、氏のホームページ、「Doronpaの独り言」に書かれてあった。 氏は、「在特会」(在日特権を許さない市民の会)の主導者である。 「在特会」は、その、ホームページに書かれた、設立目的によれば、 『在日特権を日本から無くすこと』を目的に設立された団体です。 本来「在日」という言葉は「在日外国人」を示すものですが、現状日本では「在日=在日韓国人・朝鮮人」を示す言葉として使われております。 これだけみても在日韓国人・朝鮮人(以下、在日)がいかに特異な存在であるかがご理解いただけるのではないでしょうか? 移民でも難民でもない外国人、すなわち在日は「特別永住資格」(以下、特永)という特権をもって日本に存在しています。 そしてこの特永という特権は在日にほぼ無条件で日本永住を認めており、さらに子々孫々それこそ在日十世、百世と日本という国家が存続する限り棲みつき寄生することを認めているのです。 もちろんのことながら、日本に滞在する在日以外の外国人に対しては通常このような特権が認められることはなく、滞在する目的に応じてビザが発給され期限が切れれば延長手続きを取るか、祖国へ帰るかの二者択一になります。(中略) 特永のみならず、通名問題、生活保護問題など「既得の」在日特権や、年金問題や参政権問題など在日が厚かましくも日本に要求している「これからの」特権問題など、在日特権問題はますます深刻化しています。 在日特権問題は突き詰めれば、戦後六〇年以上の自虐史観に基づく極左思想の蔓延が生み出した「日本を絶対悪とみなす加害者史観」という病的妄想にたどり着きます。 「日本が全て悪いのだから、在日のいうことを聞いてあげよう」 と訴える狂気としか思えない極左思想を排除し、冷静に歴史を振り返り、日本が過去の歴史において何らとして朝鮮に頭を下げるいわれなどないことを周知していかなければなりません。 日本国民が不必要な罪悪感を払拭できたときが、朝鮮問題・在日特権問題を解決する第一歩となるのではないでしょうか。(後略) とある。(どうも、これ以上彼らのひどい文章を引用するのは、辛すぎる。ここまででも、吐き気がする) これを見れば、明らかだが、「在日特権を許さない」というのは、在日朝鮮人・韓国人に対する異常な敵意の表れである。 以前、私が、この頁に書いた「日本と韓国の歴史」をお願いだから、読み返して頂きたい。 日本が明治以来、韓国に対してどんなに非道なことをしたのか、それは、左翼とか右翼とか政治的な立場を抜きにして認めざるを得ない、歴史上の事実である。 しかも、 「日本が全て悪いのだから、在日のいうことを聞いて上げよう」 などと、そんなことを日本がしたことがあっただろうか。 在日の朝鮮人、韓国人の生の声を聞いてみたことがないからそんなことを言うのだ。 私は、小学校、中学校、大学、から社会人になっても、いつも周囲に在日朝鮮人・韓国人が周りにいた。シドニーに来て、一番仲良くしているのは、韓国人である。 (ここで、共和国と書かず、朝鮮と書くのは、便宜上である。共和国の友人たちには申し訳ないが、通常の日本人に話しかけるには、朝鮮人の方が訴求力が強いからだ。共和国というのは、日本では極めて認知度が低いのだ) そして、彼らが、どんなに日本人による差別に苦しんでいたか私は自分の目で見た。 大阪の韓国人街で会った、ある大学生は、極めて優秀であるにも関わらず、日本の大企業に就職することは最初から無理だとあきらめていた。(10数年前の話である。今は、積極的に韓国人を雇用する企業が増えたという。) 私自身、欧米、オーストラリアで、日本人、あるいはアジア人であることによる差別を体験してきた。 差別をされるのは、実に苦しいものである。 しかし、同時に、理解したのは、差別をしている人間が如何に醜いかと言うことである。 私は、私を明らかに差別している欧米人の顔つきを見て、「私は、絶対にこんなに醜い顔の人間になりたくない」と心に誓った。 差別をしている人間は、自分たちがどんなに醜い存在であるか、意識していない。 だから、醜さが何重にも重なるのだ。 「在特会」の人びとも、自分たちの醜さを認識していない。 YouTubeにアップロードされている彼らの活動の記録を見ても、「会」の人びとの醜悪さに辟易する。 「朝鮮人は日本から出て行け」などと大声で叫ぶのは、毎度のことだが、身体障害者に対する攻撃には驚いた。 次の、動画を見て下さい。 http://www.fooooo.com/watch.php?id=aj_9Ti0Vveo 氏の街頭行動に反対意見を示した車椅子の男性に対する、この行為は何だろう。 車椅子の男性が、氏のあまりにひどい言動に耐えかねて、自分の脇の地面を杖で叩いた
