駒場友の会
4月17日、駒場の東大教養学部で開かれた新入生歓迎の催し物の一つである講演会の講師として出かけていった。
なにしろ、同級生中、成績一番の人間で、駒場で物理の教授をしている「ひ」の命令なので断るわけにはいかないのである。
まず出だしから大変だった。
今私は鎌倉の実家に滞在している。
鎌倉から東大前まで電車で行こうと思った。
ところが、二十年も日本を離れていると、電車の切符を買う機械の扱いがビデオゲームをするような、感覚になる。私はビデオゲームは苦手である。
鎌倉駅に切符売り場の人がいない。
自動販売機に向かって、鎌倉から、東大前まで電車の切符を買おうとしたが、もう、私の理解を超えているので、東急東横線の切符で良いことにした。後は乗り越しで精算すればよいと思ったのだ。ところが、鎌倉で買える東急東横線の切符は学芸大学前までであって(と私は勝手に理解した)渋谷まで行かないのである。
で、切符を買って、ついでにグリーン車の切符を買おうと思ったらこれがまた難しい(私がグリーン車にしか乗らないのは、「美味しんぼ塾」の第一巻にその理由を書いてあるので読んでください。それまで勤めていた会社を辞めるときに、親友に「お前はこれから貧乏になる。貧乏になったからと言って貧乏な根性を持ったら人間駄目になる。例えばウナギ屋に入って、上、中、並と有ったら必ず上を食べろ。電車もグリーン車以外に乗るな。そうしないと心まで貧乏人になる。」と忠告された
素晴らしい忠告だと思って、すぐその男に金を借りてウナギ屋に行って特上の蒲焼きを食べた。親友の忠告を守って、1973年1月1日以来、どんなに金がなくても無理をして、グリーン車に乗ってきたのだ。)
横浜までのグリーン券をどうして買ったらよいのか分からなくてうろうろしていたら、突然、自動販売機の裏の窓が開いて駅の人間が顔を現した。何か言っているのだが、私はグリーン券をどうしたらよいのか分からない。で、その駅員にどうすればよいのか、一つ一つ教えて貰ってボタンを押して買った。そこで、思い出した、「あれ、おれはさっき学芸大学前までの切符を買ったはずだが、それはどこに行ったんだろう」そこで、販売機の裏の駅員さんに、「すみません、さっき私は、学芸大学前までの切符を買ったはずなんですが、それはどうなっちゃったんでしょう」というと、駅員さんは笑って「だから、こうして窓を開いてあげたんじゃないの。これでしょう」と言って、私が買ったつもりの切符を渡してくれた。
ああ、どうして、電車の切符を買うのがこんなに難しいことになってしまったのか。
私は、世界の田舎者になってしまった。
更に、横浜駅で東急、東横線に乗り換えようとして、逆上した。
いつの間にか、あれこれ取り混ぜて、地下の駅になっているのだ。
しかも、「みなとみらい線」などと言う電車も出来ている。
どうしたら、東横線に乗ることが出来るのか、私は、しばし駅のあちこちをかぎ回って、東横線乗り場にたどり着いたのである。
あああ、それは、なんと言うことか地下にあった。
東横線は地下鉄ではなかったはずだ。
でも、とにかく乗りました。
車内は満員で、老人・障害者優先席にも、頑強な若い人達ががっちり座っていて私は座れない。
もっとも、東横線のあの座席では、今の私は座ったところで膝を十分に曲げることが出来ないから、前に立つ人の迷惑になる。
それで、戸口の脇の隙間に立っていました。
すると、日吉からどっと人が乗り込んできて、納豆のように人と人とがくっつき合うことになってしまった。
おお、これぞ、満員電車だ。
私は考えましたね。
私は1972年の12月に会社を辞めてから、満員電車に乗る必要がなくなった。
こうして、満員電車に乗るのは、1972年12月以来なのではないか。
親しくもない人間と、例え洋服を間に挟んだとしてもくっつき合うのは実に気持ちが悪い。
インターネットや、新聞で、痴漢の話を読みますが、あの状態でそのような気分になれる人というのは、やはり、普通ではない。
私は途中で気分が悪くなり、ずっと出入り口近くの隙間の壁に頭を乗せて、目をつぶっていました。
それでも、恐ろしい現実を見てしまった。
「多摩川園前」駅がない。「田園調布」の駅が地下に入っている。
ああ、これが、昔、毎日乗っていた東急東横線なのか。
もう、私は浦島太郎だ。
渋谷の駅に着いたときには、そこから、駒場東大前行きの井の頭線に乗る勇気は失せていて、一刻も早く駅を出て、タクシーに乗ろうと思いました。
ところが、もう、昔の渋谷駅ではないのですよ。
迷路です。
自分がどこにいるのかも分からない。
そこで、とにかく、苦労して地表に近いところに出て行きました。
そこには、様々な店舗が並んでいて、まるで、駅全体がデパートになったような状態だ。
これでは、出口も分からない。タクシー乗り場など、ましてや分からない。
そこで、商店の並んでいる入り口近くでお客を呼び込む仕事をしているとおぼしき青年に、「タクシー乗り場はどこですか」と尋ねたところ、大変に困った、と言う表情をして、「口では説明するのは難しいんですよね」という。
それで、断られるのかと思ったら大間違い。
「ついて来てください、案内します」と言って、私を案内して歩き出すではないか。
ここは青森県かと思いました。(青森の人はみんなとても親切です)
東京の渋谷のこの人間地獄のようなところで、そんな親切な若者がいるのか。
若者は、駅の出口まで私を案内して、「あの横断歩道を越えると、タクシー乗り場があります」と言って、厚くお礼を言う私に笑顔を残して立ち去った。
その青年の、お店の名前も記憶にない。顔だけ記憶に残っている。生涯忘れない。素晴らしいことだ。
おかげでタクシーに乗ることが出来て、実に難しい紆余曲折の道のりをたどって、駒場東大構内まで入ることが出来た。
で、私が行きたいのは、101号館だ。
私がタクシーを降りたのは、駒場の本館、第1号館のそばだ。
どこが101号館なのか、何しろ何十年ぶりに来たので忘れてしまった。
そこで、通りかかった学生を捕まえた。
その学生に「101号館ってどこだっけ?」と尋ねると、その男の学生は、「そこが、第1本館だから、101号館はその中に有るんじゃないでしょうか」と抜かしやがった。
おい、ふざけるなよ。
なんで、第1号館の中に、第101号館があるんだ。
私が、「なにい」と顔色を変えると、その学生は「すみません、新入生なもんで」と言いやがる。
あのねえ、そう言うの、新入生だろうと、二年生だろうと関係ないの。
単なる、常識的な思考力の問題だよ。
1号館の中に101号館がある?
それはね、漫画で例えると「美味しんぼ」の第101巻はどこ、と尋ねられて、「第1巻の中にあります」と答えたのと同じだ。
ああ、実に情けない。これが、東大生の実態だ。
論理的な思考能力を欠いた奴等が駒場の東大の中にうろうろしているんだ。
講演自体は、何とかごまかせました。
散々乱暴なことばかり言ったのに、会場に集まってくれた人達はみんな寛大で、質疑応答の時にも、淑女・紳士的な質問ばかりで、助かった。
その後、私を講演会に引き出した同級生の物理学教授「ひ」とそのほかの皆さんと、東大前の料理屋で色々飲み食いして楽しい時間を過ごしました。
しかし、駒場の様子はまるで変わってしまった。
三つあった寮もなくなってしまったし、第一、私の卒業した基礎科学科のあった第4本館がなくなっていた。
何でも、安普請だったので、今や八階建ての建物を新築してそこに引っ越したという。
しかも、第2基礎科言う学科が出来て、それが名前を変えて、駒場には、専門学科が3つになったという。
さらに、東大中の数学科は全部駒場に引っ越してきてしまって、本郷には数学科の事務部門のような物はあるが全ての教授、すべの数学科の学生は駒場にいるのだという。
あまりの変わりように驚いている私を見て、「ひ」が、「しまった、もっと早く来て貰って、構内ツアーをするべきだった」と言った。
私も、あの銀杏並木はどうなったのか、同窓会会館はどうなったのか、色々気になることがあったので、本当に学内を見て回りたかった。
で、みんなと話しているうちに、「駒場友の会」という会のシドニー支部長を仰せつかってしまった。
実は、数年前に、この「駒場友の会」の会報になにやら私は書いたらしいのだが、書いた本人の私が忘れていた。
その罰の意味も込めて引き受けた。
「駒場友の会」というのは、駒場の周りをうろうろしている人なら、東大に入学しようと卒業しようと関係なく入っていただく会である。
東大の学生の父兄まで入っていただいている。
シドニーに、駒場近辺に親近感を持っている人が何人いるか分からないが、東大とは関係有ろうと無かろうと、駒場、と言うことで、是非参加していただきたい。
と言うわけで、何十年ぶりかに、駒場を訪ねることが出来て楽しかった。この機会を作ってくれた「ひ」に心から感謝している。
私は、東大に対する愛校心など皆無だが、自分が若いときに何年か過ごした場所を久しぶりに訪れるというのは、中々感慨深い物があると言うことを実感した。
しかしなあ、東大生よ、勉強してくれよ。