雁屋哲の今日もまた

2008-06-15

「美味しんぼ」の登場人物 辰さん

「美味しんぼ」の登場人物は、原作者の私が思い浮かべ、それを花咲アキラさんが、具体的な人物像に仕上げてくれて出来上がる。
 いくら私が、こんな人物を、と頭で考えても、具体的な人物の形を画家が作ってくれなくては、何の意味もない。
 その点、花咲さんは極めて優れていて、私が言葉だけで説明した人物像を私の思った以上に魅力的に仕上げてくれる。
 花咲さんからの絵が届いて、その中に私の考えた登場人物が具体的な姿で表れて、それが私の考えたとおり、あるいはそれ以上のものだったとき、「あ、これは動かせる」と私は思うのである。

 漫画の原作を三十年以上書き続けてきて、一体何人の漫画家と組んで仕事したか分からないが、この、私の頭の中にある人物像を見事に具現化してくれた漫画家はそんなに多くはない。

 漫画の成功、不成功は、漫画家の画力に掛かっている。
 私は、「これは絶対」と意気込んで渡した原作が漫画として仕上がってきた段階で意気消沈してしまったことは何度もある。
 当然、その様な漫画は成功しない。
 勿論漫画家だけが悪いわけではない。漫画家に、想像力、創造力を十分に掻き立てさせるだけの力を私の原作が持っていなかったことも大きな原因だろう。
 また、相性という事もあるだろう。

 そう言う意味で、私は、花咲アキラさんという画家と出会った事は生涯の幸せだと思っている。
 花咲さんは数々の魅力的な人物像を作り上げてきてくれた。

 その、登場人物について、これから時々語っていこうと思う。

 最初は、浮浪者の辰さんである。
 私は、これは自分の勝手な思い込みで、浮浪者を美化しすぎているのだろうとは思うが、浮浪者が大好きである。
 浮浪者は、この世の人々を縛り付けている人間関係から完全に自由である。
 浮浪者は、生きて行ければそれで良いので、それ以上のことは望まない。
 当然、会社などの組織には絶対に属さないし、人に使われるのも好まない。
 人に指図されるのも、人に指図するのも嫌いだ。
 社会の隅で、人様の迷惑にならずに、自分の存在も誇示せず、のんびりと生きていくことだけを考えている。

 1970年代始めまでは、その様な浮浪者は現実にいた。
 今もいるだろうと思う。
 しかし、最近は、ホームレスと言う人々が多くなって誰が浮浪者なの分からなくなった。
 ホームレスは浮浪者とは言わない。彼らは、追いつめられて仕方が無く、あのような生き方を選んでいるのであって、十分な職が得られれば明日にでもホームレスをやめるだろう。

 辰さんは真正の浮浪者であって、職を持とうとか、家を持とうとか、健康保険に入ろうとか、そんな考えは抱かない。
 交通事故や、病気で倒れたりして、周りの人間によって病院に担ぎこまれれば、治療を受けることを拒まないが、自分から毎日健康のことを気にかけて、定期健康診断など受けたりはしない。体の具合が悪くても自分から病院に行ったりもしない。
 野生動物と同じで、死ぬときが来たら、静かに死ぬ。
 一切の欲がないから、嫉妬もないし、焦りもない。失望もない。
 澄み切った、清明な気持ちの持ち主である。

 私は辰さんの生き方に憧れる。
 一切の人生のしがらみが無く、ふわふわとシャボン玉のように生きて行く。
 シャボン玉はパチンと割れれば、きれいさっぱり姿を消す。
 私は若い頃、そんな生き方をしようと、固く心に決めていたのだが、世の中そんなに甘くなかった。
 私も、読者諸姉諸兄と同じように、様々なしがらみでがんじがらめになって、動く度に体中ぎしぎし音がするような人生を送ってきた。

 それは、欲と煩悩から逃れられなかったからである。
 そう言う私から見ると、辰さんの生き方は理想的だ。
 今度生まれることがあったら、辰さんのように生きたいものだ。

「美味しんぼ」には、花咲アキラさんのおかげでいろいろと面白い人物が登場する。
 しかし、こんな生き方をしたい、と原作者である私自身が思うのは、辰さんだけだ。
 考えてみると、辰さんは、私の抱く聖人像なのかな。

「美味しんぼ」の第1巻第4話「平凡の非凡」の中で、辰さんと他の浮浪者たちが地下鉄構内で酒盛りをする場面が出て来るが、あれは実際に私が見たことである。
 1960年代の末、地下鉄銀座駅には数人の浮浪者が殆ど住み込み状態で存在していた。
 浮浪者同志、仲が良く、楽しげに車座になって酒を飲んだりしていた。
 それを見て、たいていの人は眉をしかめ嫌悪感を露わにしたり、怖がったりしたが、私は「おお、いいな」と思った。
 だから、漫画に描いたのだ。

 他にも、銀座から築地界隈で良く出会った「みの虫おじさん」がいた。
 この「みの虫おじさん」というのは私が勝手に付けた名前で、勿論浮浪者だから本当の名前は分からない。
 みの虫と私があだ名を付けたのは、そのおじさん(当時で50歳を過ぎていたように見えたが本当のところは分からない)がみの虫のような恰好をしていたからだ。おじさんは、雑巾みたいな布をビニールで包み、それを何枚もつぎはぎにして、外套のように着ている。
 体に近い順に古くなると捨てていって、新しい布をビニールで包んで新たに一番上に縫いつけると私は見た。そのようにして、つぎつぎに布を継ぎ足して着ている姿がみの虫みたいに見えたのだ。
 このおじさんは、体や着ている物を洗ったりしたことはないようで、たいへんかぐわしいにおいを周囲に発散していた。
 中央通りの銀座と築地の中間あたりで、おじさんと遭遇することが多かったが、姿は見えなくても、そのかぐわしいにおいで、おじさんが近くにいるのが分かる。「あ、みの虫おじさんがいるぞ」と私が感じ取ると、確実にすぐにおじさんの姿が目に入ってくる。

 どうも、このおじさんは、1970年代初頭に、築地電話局の前に寝ているところを若者に襲われて殺されたようだ。
 最近若者の残酷な犯罪が問題になるが、1970年代から、そんな若者は沢山いたのである。
 若者たちに面白半分に浮浪者が殺されたという新聞の記事を読んで、その記述から私は殺されたのが、あの愛すべきみの虫おじさんだと直感的に思った。
 その後、銀座築地あたりでおじさんの姿を見かけなくなったし、私の友人も、殺されたのはあのおじさんだと言っていたから、私の直感は正しかったのだろう。

 最近はホームレスを追い出すために、ちょっとした空間にわざわざ石を置いたりする自治体が増えてきた。
 ホームレスはもとより、浮浪者も住みづらい世の中になった。

 浮浪者がのんびり暮らすことを許さない社会は、ろくな社会じゃない。

 私は辰さんに現実の社会で会いたいな。

雁屋 哲

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