雁屋哲の今日もまた

2014-04-09

つげ義春と私

2014年1月号の「芸術新潮」は「つげ義春」特集だった。

1960年代最後から、1970年代にかけて、つげ義春という漫画家は漫画を本気になって読む人間にとって、自分自身の生き方を問われるような奥深い意味を持つ漫画を次々に発表する、目がくらむような人間だった。

私は、つげ義春の全集を持っているし、手に入る限り他の著書を持っている。

この、「芸術新潮」によれば、つげ義春は1987年以来何も描いていないという。

一番長い、休載期間だという。

その「芸術新潮」につげ義春の最近の写真が載っていた。

年齢としては、1937年生まれと言うことなので、現在75歳。

以前に色々の機会でみた写真の顔と別人のようなので、驚いた。

そして思った。天才は老いても天才の顔だ。普通の顔では無いのだ。

つげ義春を一言で表現したいと思ったら「天才」という言葉以外は思い浮かばない。

私は、大学生の時に、つげ義春の「ねじ式」を読んで、天地がひっくり返るような衝撃を受けた。

「ねじ式」が発表されたのは1968年。いまから、46年も前のことになる。

この「ねじ式」が少しも古くならない。

46年経った今読んでも、その人の心をえぐる衝撃的な力は衰えるどころか、もはや、古典としてこれからも人の心をえぐり続けるだろうと思う。

つげ義春の作品の流れの中で、現在に至る休筆までの最後の14作品を掲載したのは、「comic ばく」誌である。

この、「comic ばく」の編集長夜久弘(やくひろし)氏は、実は私が「漫画ゴラク」で、「野望の王国」を連載した時の最初の担当編集者だったのだ。

夜久さんは極めて物静かな人で、漫画について、熱っぽく語ることは無く、私は夜久さんが漫画に非常な情熱を抱いていることを知らなかった。

私が、「漫画ゴラク」に書かせててもらった「野望の王国」は、私のしたいこと、言いたいことを全て 書く事の出来た作品で、私の漫画原作者として、これならと言えるのは「男組」「野望の王国」「美味しんぼ」の三作であるが、どれも、つげ義春の描く漫画とは格が違う。

つげ義春の漫画は芸術作品である。

私の書く漫画は(私は絵を描けず原作だけ書くので私の場合は漫画を「書く」と表記する)一般大衆向けの娯楽作品である。

私の書く物が一般大衆向けの娯楽作品だからと言って卑下するつもりは全くない。

自分の言いたいことを思い切り生の言葉で表現できるのは大衆向けの漫画でしかあり得ず。表現者としての漫画原作者である私は、その大衆向けというところに最大の意義を見いだしていて、それだから漫画の原作を書くという気合いが乗るという物なのだ。

しかし、つげ義春は第三者のためでは無く自分のために漫画を描いている。

つげ義春は第三者に漫画を読んでもらうことなど考えていないのではないかと思う。

つげ義春が、精神的に非常な不調に陥るのは、自分の作品を第三者に読ませるために雑誌に発表することが耐えがたいからなのではないかと私は思う。

夜久さんは私のことを、「大衆に売る漫画だけを描く、売り屋」だと、軽蔑していたのではないかと、今になって考えると心苦しい。

つげ義春に面と向かえば、だれでも劣等感にとらわれるだろうと思うが、私とつげ義春の間に夜久弘氏が介在するので余計に複雑である。

1984年に、夜久さんが「comic ばく」の第一号を持って現れた時の驚きを私は忘れられない。

夜久さんは、非常にクールな感じのする方で、漫画の編集という仕事も、世を忍ぶ仮の姿という案配で、私の提出する原作に一切文句をつけず、漫画作家への原作配達係のように、淡々とした態度で、私の漫画には向かっておられた。

 

その夜久さんが「つげ義春を中心にした漫画雑誌を発行します」

といって、「comic ばく」の第一号を体中から気合いのほとばしるような勢いで、私に下さるというより突きつけた。

1974年に「男組」で、劇画の世界に出て、そこそこ評判の良い作品を描き続けることが出来て、一息ついているところに、つげ義春だ。

「comic ばく」に載っているつげ作品はすごいけれど、私にはもはや、そのような世界を探索し、その世界に没入する感覚を失っていた。

その作品に感動し,涙を流し、作品の前に跪き、地面に頭をすりつけるだけでは収まらず、つげ義春の作品を完成するためのアシスタントとしてでも雇ってもらいたいと思いはしたが、絵と言えばへのへのもへじ、しかかけない男に出る幕は無かろう。

夜久さんはつげ義春の作品を掲載したいためにこの「comocばく」を発刊されたという。

一人の作家のために一つの雑誌を立ち上げる、その力、意気込み。

私は目の前にいる夜久さんが、それまで私の知っている夜久さんとは別人であることを確認した。

夜久さんは私の書く「野望の王国」には何の興味も抱いておられなかったのだろう。

だから、内容に文句の一つも言わず、淡々と原稿を受け取ってこられたのだ。

芸術作品を書く漫画家と、大衆娯楽作品の原作を書く原作者と、その両者に対する編集者の態度の違いを、目の前で見せられて、私は衝撃を受けた。

しかし、私の漫画は大衆に読んでもらわなければならない理由がある。「男組」を書き始めた時に固めたものなので、「大衆に読んでもらう作品を書く」という決意は揺るがない。

それに、絵を描けないのでは、芸術としても漫画など、描ける訳が無いのだ。

「comicばく」を見て、「わあ、昔のガロみたいだな」と思った。

夜久さんが、「ガロ」に代表される純粋漫画の熱烈な愛好者であることをこの時に始めて知ったのだ。

夜久さんは、ランニングの本で有名になっているようだが、さいきんはどうしておられるのか、私が1988年にオーストラリアに引っ越して以来連絡が無い。

会いたいな、夜久さん。

 

この、「芸術新潮」の1月号を見て、いまだにつげ義春をまともに、評価してくれる人たちが、これだけ多くいると言うことを知って、私は、泣きたくなるほど嬉しかった。

 

と言うのは、私の昔から友人が、つげ義春の事を知らなかったのだ。

私は、その男との長いつきあいを考えて信じられない事だった。

「ねじ式」も彼は知らないという。

私は仰天して思わず叫んでしまった、「ねじ式を知らないで漫画を知っていると言えるのか」

その友人は、私の脅迫にも耐えて盛んに首をひねっている。

私は、彼に、筑摩書房刊の「つげ義春全集」を送ることを約束した。

 

この私の友人のことを考えると、今や、つげ義春は今の時代からは捉えられない漫画家になっているのかも知れない。

私は、つげ義春を知らなかった私の友人をさんざん責めて罵詈雑言を浴びせたが、考えてみれば、つげ義春を同時代的に知るとこが出来、その作品の故に、自分の生きる道を色々と点検させられた私達は幸せだったのだと思う。

つげ義春の作品を、日本人全員は読め、と私は言いたい。

つげ義春こそ、物狂おしいほど、日本人を追求した作家である。

雁屋 哲

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