雁屋哲の今日もまた

2010-05-15

老犬介護

 またまた、ポチの話で、失礼します。

 我が家の老犬ポチは十六歳を過ぎた。
 人間の年齢にすると九十歳を超えているのだそうだ。
 流石に去年あたりから衰えが目立つようになり、最近は、階段を上るのもお尻を押してやらなければならないようになってしまった。

 もともと、ラブラドール・リトリーバーと言う犬種は、後ろ足と腰が弱いのだという。
 ポチも、子犬を生ませたかったのだが、獣医の意見によると、ポチに子供を産ませると腰、股関節に悪影響が出る、と言うのであきらめた。
 それくらいだから、歳を取ると後ろ足と腰の弱さが目立つ。
 よたよたと歩く。後ろ脚の動きが非常にぎくしゃくしている。
 その、よたよたと、ぎくしゃくが、一層目立つようになった。

 困るのはお漏らしをすることだ。お漏らしと言っても、大のほうである。
 幸い、固くてころころしているので、後の掃除はそんなに悲惨ではない。
 これは、腰が弱くて、容易に立ち上がれず、立ち上がろうと力むと、その拍子にポロリと出てしまうのだ、と次女は言う。

 競馬の場合、競走の前に、パドックで下見で馬を引回す時に、歩きながら糞をする馬がいる。
 その馬糞のことを、ボロ、とかポロという。
 家でもポチの物をポロという。
 人によっては、パドックでボロをした馬は走らない、などと言う。
 別の人は、緊張が解けて、腹が軽くなるから、走りが良くなる、とも言う。
 しかし、この競馬の通と言われる人達の言うことほど当てにならないものはない。

 大昔、東京競馬場でのレースで、今でもその名前は忘れられない、マルノムーティエという馬が、パドックでの下見を終えて、本馬場に出て来て、軽く足馴らしをする返し馬の時に、突然全力疾走をを始めてしまった。本馬場に入ってきた時からマルノムーティエは馬っ気を出しており(この言葉の説明はしません。分かる人だけ分かれば良い。上品ぶる訳ではないが、知らない人にわざわざ教える言葉でもない)
 観客の中から「ああ、これは、だめだなあ」などと言う言葉が上がっていたのだが、その言葉がマルノムーティエに聞こえたのか、マルノムーティエはいきり立って走り始めたのだ。
 しかも、観客がどよめく中を、マルノムーティエは東京競馬場のあの馬場を全力で一周走りきったしまったのである。
 騎手は必死に止めようとしたが、いきり立っているマルノムーティエは抑えが効かなかった。
 とんでもない勢いで、全力であの東京競馬場を一周走りきった瞬間、大勢の観客が立ち上がり、馬券売り場に走っていった。
 マルノムーティエの馬券を買った人達である。
 その日、マルノムーティエは人気があったので、マルノムーティエがらみの馬券はよく売れていた。
 しかし、競走の本番前に、馬場を全力で一周してしまったのでは、もう実際のレースでは走る力がない、とその人たちは思って、マルノムーティエがらみの馬券を全て、他の馬がらみの馬券に買い換たのだ。

 ところが、本番のレースが始まると、マルノムーティエは最初から先頭に立ち、そのまますさまじい勢いで一着でゴールを駆け抜けた。
 会場は、驚きと、嘆きの声に包まれた。
 大笑いしている人達も少なからずいた。「こんな、おかしな馬見たことがないよっ」と騒いでいる人達もいた。
 その後、マルノムーティエは馬っ気を出し過ぎると言うので、去勢され騸馬(せんば)となった。
 すると、あの勢いをすっかり失ってしまい、騸馬にされた後は一勝も出来ずに引退した。
 全く馬鹿げた話だ。馬にも可哀想だし、馬主も、厩舎も大損しただろう。
 東京競馬場を全力で二周疾走できる馬なんて、そうそういるもんじゃない。
 マルノムーティエはそう言う馬なのだから自然に任せておけば良かったのだ。
 馬の天然の性質を認めないなんて、そんな馬鹿な法があるものか。
 それは、競馬場には女性も沢山来るから、馬主にも、厩舎にも、その辺のおもんぱかりが有ったのだろうが、実に残念なことをした。

 おっと、話がずれた、ポチの、ポロの話だった。
 ポロも困るが、更に困るのは人が(特に、次女が)留守にすると、鳴くことである。
 鳴くと言っても、吠えるのだが、それが、悲痛な声なのだ。
 少し前までは、出かける前にはテレビを付けっぱなしにし、あちこちの部屋の扉を開けていかにも人がいるように見せかけたりして、ごまかせたのだが、最近は耳が遠くなり、視力も落ち、ただ勘だけが働くようで、人がいないと雰囲気で分かるらしい。

 で、最近悲惨なのがこの私だ。
 連れ合いと娘たちが出かけるとなると、まず、ポチを私の部屋の前に連れて来る。
「ほら、お父さんがいるからね」とポチに言い聞かせる。
 それで、女共は逃げるように出かける。
 ポチは、子犬の時から、私の書斎に入らないように厳しくしつけてあるので、今更「入っておいで」と言っても、絶対に入ってこない。
 仕方がないから、私は、私の部屋の扉を開けっ放しにして、ポチが私のいることを確認出来るようにしなければならない。
 シドニーは秋が深まってきて、扉を開けっ放しにしておくと寒いから私は辛い。
 しかも、私の部屋の前にじっとしてくれれば良いのだが、犬の気持ちは犬でなければ分からない。
 突然立ち上がって、玄関ホールの方に行ってしまう。
 で、しばらくすると、鳴き始める。
 行ってみると、玄関ホールから廊下の突き当たりの次女の部屋の方を見ながら鳴いている。
 実に不憫である。
「ポチ、ポチ」と声をかけてやっても、耳が遠くなっているので聞こえない。
 仕方がないから、尻を軽く叩いてやると、驚いて振り返る。
 頭を撫でながら「お父さんがいるかね。大丈夫だよ」と言ってやるのだが、ぼーっとした表情で、昔のように嬉しそうな様子を見せない。
 元来、犬は表情の豊かな動物だ。様々な感情を表現する。
 しかし、今のポチは老耄してその感情表現も衰えたのか、反応がない。
 これが、実に悲しい。
 それでも、私に撫でられて、安心するのか、鳴くのを止める。

 やれ、やれ、これで大丈夫と私は部屋に戻るのだが、しばらくするとまた鳴き始める。私がいるのを忘れてしまうらしい。
 そこで、私はまた、なだめに行かなければならない。
 これの繰り返しだから、私は仕事が出来ない。扉を開けっ放しにしているから寒いし、落ち着かないし。
 連れ合いと娘たちが帰って来る頃には、私のいらだちは、極限に達している。
 帰って来た連れ合いと娘たちに「また、ひどい目に遭ったぞ」と文句を言う。
 連れ合いと娘たちは、「ごめんね、ごめね」と言うけれど、そう言っておきながら毎日私にポチの面倒を見させて出かけてしまうのはどう言う訳だ。

 獣医である次女が「ポチも、もうそろそろよ」と言ったのは去年の十月頃だ。
 それが、次女が手を尽くしているので、今日まで生き延びている。
 死なれるのは悲しいが、この介護もまた大変である。
 私の家の階段には、ポチの上り下りを楽にするために、次女がヘンテコなるカーペットをあちこちに敷いた。居間の板の間もポチの足が滑るからといって、これまた気持ちの悪いカーペットを敷いた。実に見苦しいことこの上ない。
 ポチ一匹に家中が翻弄されている感じである。
 家族全員そろって食事に行くことも、ポチのことを考えるとためらわれる。

 犬や猫は不思議なものである。
 猟犬に使うとか、そりをひかせるとか、そのような役に立つ犬もいるが、いま家庭で飼われて犬はそのような人間の仕事の役に立つことは何もしていない。
 役にも立たない生き物をなぜ人は飼うのか。
 豚や、牛や、ニワトリは、役に立つからこそ飼われているのに、何の役にも立たない犬や猫を飼うのは、豚、牛、ニワトリ、羊、などに対して申し訳ないのではないか。
 豚、牛、ニワトリ、羊が、「それは、あまりに不公平な取り扱いだ」と怒って反乱でも起こしたらどうする。
 何の役にも立たない犬や猫を飼うのは「可愛いから」の一言に尽きる。
 そして、実は、犬や猫がそばにいてくれるおかげで、人の心は非常に安まる。
 そう言う意味では、犬や猫は大変に人の役に立っているである。

 とはいえ、このように介護の日々が続くと、疲れます。
 人が犬を飼うのではなく、犬が人を飼っているのだと言うことを痛感する。
 2年前に死んだ犬は、突然激しい嘔吐を始め、ものを食べられなくなり、水も飲めなくなり、次女の働くクリニックに連れて行ったら肝臓がんの末期で、あと数日の命だという。それでは、苦しませるだけ可哀想だというので安楽死させた。
 ポチは、まだ、そこまではいっていないので、介護を続けなければならない。
 最近テレビや雑誌で、老人介護のもたらす悲劇が多く伝えられている。介護に疲れて自殺する人の話も伝えられる。
 犬でさえこんなに大変なのだから、自分の肉親だったらどんなに辛いことだろうか。
 こんなことを言うと、犬と人間を同一に論じるのは不遜だ、などと怒る人がいるだろうが、可愛がって一緒に暮らし続けた犬に対する愛情は、肉親に対する愛情とさほど変わるものではない。

 週刊朝日に「ペット自慢」のページがある(「犬ばか、猫ばか、ペットばか」)。
 読者が、自分の飼っているペット、(実に様々な動物をペットとしている人がいるのに感心したが、登場するのは主に、犬と猫である)の写真と、それについての思いを込めた文章を投稿するページである。
 一度、連載をやめたら読者からごうごうたる非難を浴びて、連載を再開したという曰くがある。
 このページ見たさに、週刊朝日を買う人も少なくない。
 週刊朝日としても、もう止めることの出来ない、ページだろう。
 犬や猫を飼っている人は、それだけ多くいるのだから、我が家のように老犬介護の辛さを味わっている人も少なくないはずだ。

 ある有名な避暑地の周辺には、ペットショップで買えば何十万もする血統書付きと言った犬や猫が多数、野犬・野良猫になっているという。
 避暑に来た人が、東京に帰る時に、面倒だから、そのまま捨てて行ってしまうのだという。
 来年避暑に行く時にまた新しい犬を買えばよい、そして、東京に帰る時に捨ててくればよい、と思っているようだ。
 そのような人間は老犬介護で苦しむことがなく、安楽な日々を送れるだろう。

(こおの外道どもがっ!そう言う人間は、避暑地の電信柱に鎖で繋ぎっぱなしにして放置してやればよいのだ)

 もう、介護はうんざりだ、などと言いながら、ポチの顔を見ると、可愛くて、不憫で、つい撫でてしまうのだ。

 老犬ポチよ、長生きしてくれよ。

雁屋 哲

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