雁屋哲の美味しんぼ日記


丸一年検診、その他

2009年3月13日(金)@ 18:59 | 雁屋哲の美味しんぼ日記

 昨日、膝の関節を人工関節に入れ替える手術をしてから、丸一年の検診に行ってきた。
 本当は、3月18日で丸一年なのだが、14日から日本へ行くので6日ばかり早めたのだ。
 結果は見事な物で、人工関節の軸を入れるために上部をぱかっと切開いたすねの部分の骨も、大腿骨を補強するために移植した骨もすでにしっかりとくっついていて、とくに、大腿骨に移植した骨(誰かさんに頂戴した貴重な骨だ)は私の大腿骨の一部に既になっていて、あと6カ月もすれば、完全に私の骨になってしまうと言うことで、我が体ながら人体の不思議さに打たれた。
 去年の9月まで、リハビリのために一歩一歩悲鳴を上げながら全身冷や汗にまみれて歩いていたことが嘘みたいだ。
 今は、膝の周りにゴムのチューブを巻かれたような違和感こそ感じるが、痛みは全くと言って良い程なく、何キロでも歩ける。
 一時はこの手術は失敗だったかと悲観的になったこともあったが、一年経ってみたら、本当に大成功。
 しかし、今改めてレントゲンを見ても凄い大手術で、医者に「本当に凄い手術だったんだな」と言ったら、「それを理解してくれて感謝する」と喜んだ。
 彼は自信満々医者であるが、流石に、私のような悪条件の重なった患者の手術は初めてで、彼としても、今度の手術の成功は非常に自慢できる物なのである。
 だって、ほかの名医と言われている関節の専門医が、出来ない、と言って断ったほどの物だったのだ。

 これであと10年は活動できるだろう。
 何か意味のあることをしなければならないな。
 あ、そんなおこがましいことを考えるのはやめにして、面白おかしく暮らしていくことを考えよう。
 大体今書いている「美味しんぼ」の「日本全県味巡り」和歌山県篇が、えらく大変だ。
 取材した資料の山を前に、青息吐息。
 自分で撮影した写真だけで2000枚以上。これは、完全に私的な物で、作品に使うのは同行してくれた安井カメラマンが撮ってくれた写真だが、これが、1万枚以上の中から厳選し抜いて1000コマ以上ある。(ところで、自分で撮った写真と、安井カメラマンの撮った写真と比べると、これが恐ろしいくらい出来が違う。私の撮った写真は、いかにも素人の撮ったスナップ写真だ。何故なんだろう。写真なんてシャッターを押せば誰にでも撮れる物なのだが、出来上がった写真は、まるで違ってしまう。そこでよくよく考えたのだが、プロのカメラマンは、撮す際に、ファインダーをのぞいてその画面の隅から隅までじっくり見極めてからシャッターを押すのではないか。私なんか、撮したいと思う物しか見ていない。プロのカメラマンは全体の構図と、どう取れば一番美しく撮れるか瞬時にして頭の中で計算しているのだ。やはりプロというのは恐ろしい)
 ビデオテープが28本。
 ライターの安井さんがまとめてくれたリポートが、120枚以上。
 本が20冊以上。
 これをとっかえひっかえ、目を通しながら、話を作っていく。
 一回分書き上げると、がっくりと疲れます。
 しかも、和歌山県は広かったせいか、取材した材料が非常に多い。
 あるいは、原作者としての腕が落ちて、まとめる手際が悪くなったのか、昨日第6回目を仕上げたのだが、やっと和歌山県全体の半分行ったか、と言う程度なのである。
 通常一つの県には9話使う。それが、単行本にしたときに一番収まりがよい。それ以上長いと困る。
 しかし、今回は、その困る方に行ってしまいそうだ。
 話を縮めるために七転八倒。

 去年の暮れから、一旦収まりかけていた鬱病が再発して、朝からその鬱にうちひしがれて、何もする気が起きないのだが、無理矢理に、こうやって字を書き始めると、30年以上も物書きをしてきたことが第二の本性になっているらしく、一瞬鬱を忘れて書くことに没頭してしまう事が出来る。

 こんなおかしな鬱はない。本当の鬱病じゃない。
 鬱病としても本当に軽い鬱病だ。
 などと言ったら、私は怒るぞ。
 鬱病は本当に辛いんだ。
 この辛さは、鬱病に落ち込んだ人間にしか分からない。
 私は文章を書くと言うことにしがみつくことで、なんとか、鬱病の死神の手からのがれているんだ。

 だから、本当は一時の休みもなく書き続けていれば良いということになる。
 それが、私の文章の長い原因かも知れない。

 ただ、この「日記」のような好き勝手を書いている分にはよいが、「美味しんぼ」のような物は、書いていると返って鬱に陥るね。
 それは、やはり、漫画の原作という物は厳しい物で、漫画にしたときの効果、主人公を如何に引き立たせるか、全体の枚数、最後をどうやって次回に繋ぐか、などを物語とは別に考えながら書かなければならない。
 こう言う面倒な仕事は、やはり精神的に負担がかかるから、鬱病には良くないと思うが、私が、この4年間鬱病と闘ってこられたのも、原稿を書くという仕事に没頭している間は、我を忘れていることが出来たからだ。
 去年は人工関節の手術の後リハビリが余り辛くて、鬱病どころではなかった。

 はてな、こんなのはやはりちょっとおかしな鬱病なのかな。
 でも、本当に辛いんだよ。

 ところで最近大変に困る相談を受けた。
 会社を定年退職して暇が出来たから、漫画の原作を書きたい。
 どうすれば良いのだろうか、と人づてに尋ねられた。
 この質問が一番困る。
 他にも、漫画の原作を書いてみたいと思われる方がいるかも知れないので、私の返事を書いておくことにする。
 実は、漫画の原作には、こう書かなくてはいけないという決まりも、形式もない。
 私の原作は、状況の説明、人物が何をするか、人物の台詞、をつなげるだけである。
 映画のシナリオとは違うし、小説とも違う。
 漫画の原作者の第一人者、というより、漫画の原作という仕事自体の創始者の一人小池一夫先生(もう一人の創始者は、梶原一騎先生)に、私が原作者になりたての頃に、「遊びにおいで」と先生の事務所に呼んで頂いて、ご親切にご自分の原稿を見せてくださったことがあった。
 それは、先生の傑作「子連れ狼」の原作で、まあ、その原稿のきれいなこと。
 きれいな字で、流れるように、その場面がわかりやすく書かれ、さらに、頭注と脚注がついて、漫画家が何をどう書けばよいのか、完全に分かるように書かれている。
 それと私の原稿と比べると、これは、月とスッポン。
 私なんか、まだ素人に毛の生えた程度のものだ、とその時思い知らされた。
 もう35年前のことだが、小池先生のその寛容さご親切さ、にはいまだに有り難いと思い続けている。
 駆け出しの原作者を招いてくださって、原作について色々教えていただき、あまつさえ、ご自分の原稿をそのまま見せてくださるなんて、もう、普通の心の狭い人間に出来ることではない。
 漫画の原作を志す者は、目の前に、小池一夫山脈、梶原一騎山脈という巨大山脈が聳え立っていることに気づく。
 私は、何とか、そのお二人に迫りたいと頑張ってきたが、どんなに頑張っても、どうしても越えることが出来なかった。

 で、漫画の原作を書きたい人に対する、私の答えであるが、どんな形式でも良いから、書きたい物を書きたいように書いて、とにかく漫画の編集者に見せることだ。
 たた一つだけ、漫画を書くときに忘れてはいけないのは、漫画は筋書きが第一ではない。
 主人公の魅力が第一であると言うこと。
 どんな魅力的な主人公を作り出すか、それが、漫画の一番大事なところで、主人公が魅力的なら、その主人公が勝手に動くだけで漫画は面白くなる。
 勘違いする人が多いのは、筋書きにまず、専念してしまうことだ。
 漫画は筋書きは二の次。
 まず、魅力的な主人公を作ること。それが第一。
 あとは、原作の形式は、気にする必要は無い。
 シナリオ形式でも、小説形式でも、何でも構わない。
 中身が面白ければ、編集者が漫画になるように、適当に、教えてくれる。
 他の漫画の原作者の原稿を見て、「こんなもんでいいのか」と驚くことがあるが、それで、ちゃんと人気漫画になっている。
 だから、漫画の原作者を志す人に対する忠告としては、どんな魅力的な人物を持っているか、ということ。
 ただ、それだけです。
 形式など、こだわる必要ない。
 最近、漫画の原作者を志す人が少なくて、淋しくて仕方がない。
 何も難しいことはないんだ。
 小池先生は「まず、キャラを立てろ」と仰言る。魅力的な主人公を作ること。
 漫画はそれに尽きる。

 漫画の原作者を目指す人が、どんどん現れてきてくれればこんなに嬉しいことはない。
 絵が描けないからと言って、漫画の世界にはいることをあきらめる必要ない。
 原作を書くという手があるんだ。
 一度、素晴らしい画家と組んでいい作品を作ると、もう、その快感はたまらない物がありますよ。
 私なんか、稀代の絵師、池上遼一さんと最初に組めたのが最高の幸運だった。
 作品が出来上がる度に、「ええっ! 私の書いたあんな原作がこんな凄い漫画になるの!」と興奮した物だ。
 それは、体の震えるような興奮で、あの興奮を味わったばかりに、私は35年も、漫画の世界に生息してしまった。
 どうか、多くの人が漫画の原作に挑戦してください。
 本当に面白いから。


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