体調最悪なのに
体調最悪。
「美味しんぼ」の「和歌山県篇」の第二話の原稿が中々進まない。
この最悪の体調の時に、他の仕事も始めてしまって、どうにも困っている。
というのは、この日記で、反「嫌中・嫌韓」を書く度に、メールを頂戴するのだが、私の書くことに非常に反感を示す物が多い。
それは構わない。人それぞれ意見は違う物だから。
しかし、反感のメールをお書きになる方が、どうも実に歴史を知らなさすぎることが気に掛かる。
日本の近・現代史をまるで知らない。というか、史実をねじ曲げたり、大事な史実を無視して、日本に都合の良いようなことを言う。
しかも、書いてくることの内容がどれもこれも実に似通っている。
みなさん、何か同じ種本を読んで、それを信じ込んでお書きになっているのではないかと想像される。
とにかく、こんなことも知らずに何を言うんだ、とあきれるほど、史実をふまえず愚かと言うのも可哀想なほどに無残なことを書き立てる。
どうも、これはいけない。
無知な人間を、無知だと決めつけるだけでは、無知な人間は無知のままで少しも世間は良くならない。
ここは、大変面倒だが、日本と中国・韓国に関する、基本的な歴史を分かりやすく書こうと考えた。
ことは、明治維新に入るやいなや始まったので、そこから史実を年表風にまとめて、分かりやすく説明できるようにすることにした。
と、口で言うのは簡単だが、簡単にまとめる、というのは大変なことだと、始めて見て分かった。
しかし、ここは一つ頑張ろうと思う。
自由主義主観、だとか、自虐史観などと言う言葉が、大手を振ってまかり通っている。
そう言うことを言う人は大きな勘違いをしている。
歴史を、一つの「史観」から見るのは間違いだ。
歴史は、史実を一つ一つ丁寧に、探っていって、何が起こったのか第三者が見ても公平に明晰に判断できるように、偏りなく、科学的に記述するべき物だ。
日本が過去に犯した過ちを点検することが自虐的だなんて言う人は、本当に、真実を見すえる勇気のない、心の弱い、根性のない、嘘で身を飾ることを何とも思わない卑怯者だと思う。そう言う人は、自分のしたことに対しても嘘をついて胡麻化す人だろう。
誰だって、自分の国が美しい国であって欲しいと思う。
しかし、過ちを犯さない人間がないように、特に国際関係が絡むとその政治に関わる人間個人個人の善悪とは無関係に、国は過ちを犯す物である。組織の論理、国の論理はおうおうにして個人の善悪の意識を超えて働いてしまい、結果的に間違いを犯すことがある。
その過ちを点検することは大事なことだ。
なぜなら、歴史という物、歴史的過去と言う物は単に過ぎ去ってしまって、忘却の彼方にある物ではなく、実は今、現実に私達の目の前にあり、私達の将来にまで影響を及ぼすからである。
過去を正しく認識することは、これから先を正しく生きることだ。
「嫌中・嫌韓」を唱える人達は、中国人、韓国人が反日だからと言う。
では、どうして、彼らが反日を唱えるのか。
かれらが、反日を唱えるようになった理由を知らずに彼らを非難するのは、公平な態度といえるだろうか。あるいは、自尊心を持った人間のすることだろうか。
さらに、かれらの、「反日」を解消せずに、日本はこれから先将来を生きて行けるのか。
中国、韓国とわだかまりを持ったままで、日本の将来はないだろう。
私は、少なくとも、私の子供たち、私の孫たちの世代に於いては、日本、中国、韓国が手を取り合って生きていって貰いたいと思う。
そうでなければ、日本、中国、韓国の未来は暗い。
日本、中国、韓国の連帯と協力は、アジアの未来、ひいては世界の未来に大きな影響を及ぼすのだ。
わだかまりをとくためには、きちんと過去の歴史を知ることがまず第一歩だ。
嫌中・嫌韓などと言っている人は、そう言いながら一度鏡を見て欲しい。自分が嫌中・嫌韓を唱えているときに、自分がどんな顔をしているか気がついて驚くから。目がつり上がって、険しい顔をしているよ。美容のためには大変に良くないと思いますよ。
美容に良くないことは心にも良くないんだ。
おおっと、「美味しんぼ」が先だ。
何とか、今夜中に、書き上げないと。
反「嫌中・嫌韓」については、ちょっと時間がかかることをお断りしておきます。