和歌山県篇で苦しんでいます
いやはや、もう死にそうだ。
何がと仰言いますか。
もう大変なんですから。(こんな、冗談、林家三平を知らない人間には面白くもなんともないね。今の、林家三平の息子、林家正蔵はこんなことを言いませんよ。ここで、落語論をぶちたいんだけれど、大体私が何か論じると、不快になる人間の数が圧倒的に多くなるという実績があるので、ここはあえて、三平の息子については語らない。天才の息子は何を語られても困るだけだろうと思うからだ)
何が、大変かというと、「美味しんぼ」の「日本全県味巡り」の「和歌山県篇」を今書いているのだが、まあ、これが実に凄いんだ。
最初から、和歌山県に取り組むのは大変だと分かっていましたよ。
異常な土地の構成だし(山と海が分け隔てなく合体している。これだけで、大変だよ)、それに加えて、日本の最大宗教者・弘法大師が今でも、生きているところなんだ。
皆さん、信じられないかも知れませんが、弘法大師は今でも生きているんですよ。
毎日、食事を運んでいます。46億5千万年後に弥勒菩薩として生まれ変わってくるまで御大師様はあの奥の院で生きておられるのです。
御大師様は別にして、和歌山県は険しい山にすぐに海が接している。
こんな難しい土地は、今までに、「日本全県味巡り」で取り上げたことがない。
取材を重ねた結果、スタッフのみんなに集めて貰った文章の記録、写真、ビデオ、その全てを見直して、こんなものどうやって漫画にすればいいんだ、と気が狂いそうになっている。
今までも、ずいぶん難しい県を相手に「日本全県味巡り」を書いてきたが、今回ばかりは難しすぎる。
弘法大師のことなんだが、これは、すごい。
日本全国に、弘法大師伝説が8000以上もあるという。
その、弘法大師伝説を集めた人が言うのには、殆どが同じ状況で同じ傾向の救いを与えているので、その弘法大師伝説の神髄を集めたら、せいぜい数十にしかならないのではないかと言うことだった。
まあ、それは、充分に考えられることであって、今と違って昔の地下水さえも充分に掘り出せないときに、弘法大師が、「杖でさして、ここを掘れ」と言ったら、そこから水が湧いてきた、という典型的な弘法大師伝説は、素晴らしい力を持っていたのだと思う。
私自身は、全くの反宗教論者だが、そのような効果があるとなるとまんざら全部否定することもないのかなと思ってしまうが、福沢諭吉のあの醜悪な帝室論・尊王論を読むと、そのような便宜上役に立つと思っていた物に、結果的には自分自身が縛られて最悪の思想家になってしまったという無惨な例を見てしまうから、安易に、「新年の、お宮参りならいいでしょう」とは簡単に言うべきではないと思うのだ。
日本の最高額の紙幣の顔である福沢諭吉に対して、言いたいことが沢山あるが、(顔つきがとても卑しいと言うことから始まって)それは、今日はやめにして、私自身が「美味しんぼ」の「日本全県味巡り」の和歌山県篇で四苦八苦して、殆ど死にそうになっていることを、どうも、下品だけれど、読者諸姉諸兄に泣きつきたい、とこう言う訳なんですよ。
「美味しんぼ」は私にとってはとても大事な漫画だ。
でも、それを書くのは、はああああ、辛い。
全て、実際の現実しか書かないと言う、自分の法律が自分を苦しめる。
想像だけで、書ければ、楽なんだけれどね。
と書いていて、ふと、思ったんだけれど、想像だけで食べ物漫画を書いたら面白いんじゃないか。
私は、もう、そんなことは出来ないが、これから食べ物に関する漫画を書こうと思っている人間にとって、現実離れした食べ物を書くのも漫画としては面白いんじゃないのか、と思う。
でも、そんな漫画はとても迷惑だけれど。
ああ、これから、また仕事だ。
「美味しんぼ」を書くのは私にとって、最高の喜びであると同時に最高の苦しみなんです。
でも、頑張ります。頑張りますとも!