雁屋哲の美味しんぼ日記


茶髪・金髪について その1

2008年6月26日(木)@ 15:05 | 雁屋哲の美味しんぼ日記

 茶髪・金髪に対する、書き込みが絶えない。
 私のホームページにコメントを寄せるためには、自分のメールアドレスを明記しなければならず、いい加減な匿名の書き込みはお断りするようになっている。
 それでも、これだけ、この問題に対する書き込みがあるのだから、もし、何の制限もなかったら、このホームページは炎上していたかも知れない。

 こうなると、「人の外観について余計なことを言う物ではないと反省した」などと、澄ましているわけにはいかない。
 書き込んでくださった方一人一人にお返事を差し上げることも物理的に無理なので、その方々に対する返事の形で、ここでもう一度、茶髪・金髪について私の考え述べてみよう。

 1)まず、驚いたのは、茶髪・金髪が日本の社会に深く浸透していることだ。それも、肯定的に受取られている。
 私の小学校の同級生の女性(私は、小学校の段階で病気で二年遅れているから、彼女は私より二歳年下だが、既に六十を越えている)が、「私も茶髪よ、何が悪いの」と言ってきた。
 そこで、私が「ある年齢から上の人は、白髪染めの意味もあるから茶髪も仕方がないんじゃないか」と答えたら、「年齢とか白髪染めとか言われると、返って眉根がつり上がる」と言われてしまった。
 いやはや、難しいものだと痛感したが、これだけ日本の社会にしみこんでいることを改めて知らされた。
 白髪染めなら、黒くすればよいことである。茶色に染めると言うところが、私の同級生の年代でも、すでに、茶髪・金髪を好意的に受け入れていることを示すものだ。
 結局、茶髪・金髪に染めている人は、それで心地よいのだろう。
 自分で心地よく思っているところに、私の意見を聞くと、悪口を言われたような気がするのだろう。
 私は、このブログを書き始めるに当たって、元日本ハムの新庄選手のことば「今年の目標は、人の悪口を言わないこと」を取り上げて、その精神で行きたいと言った。
 24日の茶髪・金髪についての文章は、その精神から外れていたようである。遺憾に感ずる。(この遺憾という言葉は、日本の政治家がよく使う言葉で実にいい加減な意味合いの言葉だ。しかし、今使って見て、大変に便利な言葉であると実感した。)

 2)「外観と中味は別だ」という意見もあった。
 敢えて言うが、その考え方は人間の存在についての考察を欠いており、完全に間違っている。
 人間が、お洒落をしたり、化粧をしたりするのは、自分を表現して、自分の存在を社会的に認めさせたいからだ。
 そもそも、人間は自分を表現しなければ生きて行けない動物である。
 そのために言葉がある。話し言葉でも、書き言葉でも、言葉があってこそ人間である。
 人間は言葉以外にも自分を表現する手段を持っている。
 音楽、絵画、彫刻、などがそうだ。
 同じように、人間は、服装、化粧で自分を表現する。
 人間に自己を表現させる物は何か。
 それは、その人間の心だろう。中味だろう。
 ロック・シンガーは長髪に派手な服装をして、自分がロックシンガーであることを表現する。
 ヤクザは、パンチパーマ、太い金のネックレス、黒一色か、ストライプの入った背広、金張りの腕時計、金のブレスレット、時に白い靴などで身を固め、自分がヤクザであることを表現する。
 このように、人間の外観は自分がどんな人間であるかを社会的に表現する物であって、その人間の心のあり方の表れである。
 人間の外観と言っても、生まれつきの肉体的特徴(皮膚の色、背の高さなど)、後天的に受けた障害による特徴、などは、その人間自身の責任による物ではないし、自分の心のあり方に関係のある物でもない。
 この意味でなら、「人間の外観と中味は違う」と言うのは正しい。
 しかし、服装、化粧のように、自分の意志で自分を表現するために選択した物は、その人間の心、中味の表れであって、「外観と中味は関係ない」のではなく、「外観は中味を語るもの」なのだ。
 したがって、茶髪・金髪は「生来の黒い髪ではなく、茶髪・金髪を選んだその人間の心」を露わに表現する物であって、その人間の中味と密接な関係がある。

(この続きは明日)


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  • おいらブログ
    — 2008年6月26日
    私も赤毛なんですが、、、 「地毛を染めるよう強要された」 元県立高校生徒が提訴  生まれつき赤みがかった頭