雁屋哲の今日もまた

2008-05-12

今日は、特別の日

 今日、5月12日は私にとって特別な日である。
 今日発売の、ビッグ・コミック・スピリッツ2008年度、第24号で、1983年以来続けて来た「美味しんぼ」に一区切りをつけるからだ。

 25年、単行本102巻、589話、自分でも良く書いたと思う。
 1話がその1とか、その2とか、複数回にわたることが多いから実質的に書いた話の数は、589ではなく、1000を超える。
 最初の頃は手書きの原稿を直接編集者に渡し、次に手書きの原稿をファクスで送り、10年ほど前から原稿はインターネットを使ってメールの添付書類にして送っている。(まてよ、最初の頃はインターネットが今ほど進んでおらず、いわゆるコンピューター通信、の形で送っていたな。私はNIFTYのごく初期からの会員だ)

 25年前と今とでは、日本の食の環境は大きく変わった。
 当時私が書いて、読者が「へええ」と感心したようなことが今は常識になってしまっている。
 始めた頃、私は自分で食についての知識は持っているつもりだったが、今は私より遙かに沢山の知識を持った若い人が増えている。
 ただ、その知識が、食の楽しみ、面白さ、珍しさ、と言うところに的が絞られていて、食の安全、本物の食品という点については、まだ本気で取り組んでくれる人の絶対数が足りないのが残念だ。

 25年間の間には色々なことがあった。
 本物、安全、と言うことを追求していくと、どうしても今の食品業界を批判しなければならないときがある。
 食品業界の反応は、その批判を受け入れるのではなく、誤魔化しと、私に対する攻撃だった。
 最近の、食品の偽装、危険物の混入、など食品業界の道義は地に落ちている。
 それを批判すると、広告主としての金の力で、出版社やテレビ局に迫ってくる。
 企業だから儲けなければ成り立たないのは分かるが、倫理観念のない業者、会社が多すぎる。
 そのあたりの事をもっと厳しく「美味しんぼ」で追求したかったのだが、力不足で及ばなかったのが残念だ。
 一漫画原作者の力は所詮カマキリの斧程度の物でしかなく、相手は本物の巨大な斧を振りかざしてやって来るのだから、勝負にならない。善戦すれども及ばずと言うところだ。
 それに、業界の不正などについて書いていると、書いているこちらの気が滅入ってしまって、「こんな、暗い話は面白くないや」と、途中でやめてしまったことが度々ある。
 もう一寸踏ん張るべきだったと、そこの所が口惜しい。
 第101巻を読んで下さい。あれが、業界を批判できるぎりぎりの所なんですよ。

 お金のことを言うのは卑しいようだが、それにしても、「美味しんぼ」は対費用効果の悪い作品だった。
 もともと私は美味しい物でなければ食べたくない、と言う主義で、漫画の原作を書き始めてから稼いだ金の多くを食べ物に注ぎ込んできた。その損を取り戻そうと思って、食べ物漫画の原作を書き始めたと言うところもある。
「美味しんぼ」以前に私の担当だった編集者たちは、私をご馳走してやるのに、私が一々文句を言う物だから、うんざりしていた。
 だから、私が「美味しんぼ」を書き始めたとき、「ああ、雁屋さんが食べ物について書くのは当然だよ」と言ってくれた。
 しかし、「美味しんぼ」も最初の4巻くらいまでは自分のそれまでの食べ物経験で書けたが、それ以降は意図的に食べて回ることが多くなった。
 フランスのミュシュランの三つ星レストランは1980年代に全て食べ歩いた。フランスの最高のワインも、随分集めて飲んだ。今でも、私のワインのコレクションを見ると、飲むのが怖いようワインが何本も転がっている。

 しかし、フランスのレストランを幾つ回っても、「美味しんぼ」には書けなかった。それは、日本の読者が、三つ星のフランスレストランの話などにはまるで興味を示さなかったからだ。やはり、あまりに日常からかけ離れた食べ物について書かれても興味の持ちようがないと言うことだろう。

 であるが、こちらとしては、フランス料理も、イタリア料理も、本場の最高の物を食べておかないと、世界の中での日本料理について云々出来ない。そこで、フランスやイタリアや、ヨーロッパ各国、アジア各国を食べ歩くのであるが、それは、単に自分の中に蓄積されるだけで、一銭のお金にもならない。

 頂く原稿料と、単行本の印税のかなりの額が食べ物で消えた。ただ、私としては、「これは読者に代わって、食べ、飲んでいるのだ」といつも考えていた(ウソつくんじゃないよ。調子の良い、言い訳だね。本当のところは、美味しいもの、美味しお酒を飲みたかっただけなのにね)。
 とは言え、「美味しんぼ」が想像だけで書ける話だったらもっと楽だったのになあ、と不埒なことを考えることもある。

 さて、これからの「美味しんぼ」だが、昨日も書いたように、やめるわけではない。ただ、今までとは進め方が違う。
 私は、地方を回る毎に、地方がどんどん疲弊していっているのを痛感する。地方の人口が減り、なかんずく若者の数が減っていると言う事実に激しい悲しみを覚える。
 このままでは日本は、根っこを失う。日本の根っこは地方にある。
 都会に人間生活の真実はない。
 都会は地方という土壌から栄養を摂って咲く花である。地方が疲弊してしまったら、都会も疲弊する。もう、その兆候は日本中顕著に表れている。
 私は日本の文化を守りたい。私達の後の世代に伝えたい。
 文化の中で、一番人間に密接しているのは食べ物である。だから、郷土料理は日本の宝物として、大事にし、後世に伝える義務が我々にはある。
 その意味で私は、力の続く限り、小学館がさせてくれる限り「美味しんぼ」で「日本全県味巡り」を続けたい。
 現在までに、大分、宮城、山梨、大阪、富山、高知、長崎、青森、そして一寸半端な形だが沖縄、の9県を回ったに過ぎない。
 日本は47都道府県がある。
 私が生きている間に全部回れるかどうか分からないが、出来るだけ多くの県を回って、郷土の食文化を記録にとどめておきたいと思う。
 我田引水で、思い上がった言い方に聞こえるかも知れないが、私は一つの漫画の寿命は長いので、何かを記録しておくのに力があると考えている。雑誌や記録文をまとめた活字の本は、出版された当時は話題になるが、長い年月持続して読まれると言うことがない。
 それに比べて、漫画は息長く読み継がれる。
「美味しんぼ」など、20年以上前の漫画を改めて編集し直して出すと若い読者が読んでくれる。「私の生まれる前の漫画です」とか、「私が小学生の時に父が読んでいたのを、今、読んでいます」などと言う読者の声を聞くと、漫画の寿命の長さを実感する。

 だから、「日本全県味巡り」で各県の郷土料理、郷土の文化を「美味しんぼ」に記録しておくことには意味がある、と思うのだ。

 もう一つは、やはり、昨日も言ったことだが、「食の安全」の様な大事な事柄について、一冊の単行本にまとまるように書いていきたい。

 と言うわけだから、一区切りをつけると言っても、「美味しんぼ」は終わりません。
 これまでとは違った形になるが、命の続く限り、読者諸姉諸兄のご愛顧が続く限り、書き続けるつもりです。
 いや、本当に読者諸姉諸兄だけが頼りです。

 これからも、どうか、ご愛顧を賜りますように。
 よろしくお願いします。

雁屋 哲

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