雁屋哲の今日もまた

2008-05-08

鮎の味

 最近、魚釣りに行っていないことを思いだし、無性に行きたくなった。
 私が好きなのは海釣りである。深山渓谷での渓流釣りも悪くないが、川釣りというのは向う岸が見えるのでつまらない。
 向う岸が見えたんじゃ、何だか限られた空間でうごめいているだけの感じがして、気持ちがすかーっと晴れない。それに、川釣りでは釣れる魚の種類があらかじめ分かっている。
 その点、海で釣りをすると、仲々向う岸は見えないし、魚の種類も一応狙いはつけはするが、実際にやってみないと何が釣れるか分からない(釣り名人ならそんなことはないんでしょうが、私は、五目釣りの哲ですからね。釣れる物なら何で釣ってやろうという、非常なる博愛精神に富んだ釣り師なんだ)。
 もしかすると、鯨を釣ってしまうかも知れない、シーラカンスを釣ってしまうかも知れない、てな妄想を描けるところも海釣りの良いところだ。

 それに、食べて美味しいのは、やはり海の魚に多いね。
 と言うより、川の魚は種類が少ないので味の多様性がないと言うことか。
 私は京都が好きで、東京以外の都市の中であれだけ頻繁に訪れたところはないのではないだろうか。毎年一二度は行かないと気がすまない。京都の食べ物は美味しい。
 私の京都行きは食べ物狙いのところが大きい。
 しかし、京都に三泊もして、あちこち料理を食べ歩くと、時にうんざりする。京料理は季節の味を大事にすると言うことは分かっている。しかし、アユの季節に行けば、どの料理屋に行ってもアユが出る。タケノコの季節に行けば、どこに行ってもタケノコばかり。
 アユは確かに美味しい魚だが、三日続けて食べれば飽きる。
 そこの所が海沿いの町に行くと違う。

 富山、高知、青森、どこへ行っても、海の魚が出されるが、これが一つ一つ味が違うから、飽きることがない。
 高知の、鰹のたたきにしても、料理する人によってまるで味が違う。
 高知に取材に行って、取材中何度も鰹のたたきを続けざまに食べたが、その度に味が違うので楽しめた。
 そこの所が、アユなどの川魚の弱いところではないか。
 大分の日田市の三隈川沿いにある料理屋「春光園」では、三隈川で取れた最高のアユとスッポンを食べさせてくれるが、ここのアユ料理は美味しい。
 単に塩焼きにするだけでなく、刺身にして、アユの塩辛であるところのウルカをまぶしたり、様々な工夫をする。
 アユ自体が素晴らしいところに、その工夫が見事なので、飽きることがない。
 はてよ、と言うと、京都の料理屋は研究が足りないのかな。どこへ行っても塩焼きばかりだもんな。
 有名なところへ行けば行くほど、塩焼き一辺倒ですね。

 その代わり、そのアユの穫れた川を自慢するね。
 何々川のアユが日本で一番です、そのアユの真価を味わって頂くためには塩焼きが一番です、と言うことになる。
 これが面白いねえ。人によって、どこのアユが美味しいか、言う事がまるで違う。お国自慢も入るから、一体誰の言うことを信じていいのか分からない。

 随分前だが、佐藤垢石という変わった人物がいた。
 もともと、報知新聞にいたが、その頃から酒を飲んでは出鱈目なことをして、何度も首になるのだが、首になっても平気で出社してきて元の自分の席を占領してしまって、他の人間を寄せ付けず、結局そのままずるずると居座ることを続けたりした強者で、会社を辞めたときの退職金を、数日で、料理屋で芸者を上げてどんちゃん騒ぎをしてスッカラカンに使い切ったと言うから、われわれ肝っ玉の小さい人間はただひれ伏すばかりである。

 その佐藤垢石は釣りの名人、中でも、アユ釣りの名人として知られていて、日本中あちこちの川でアユ釣りをしている。
 自分で釣って試してみた結果、どこの川のアユが美味しいかなどと書いている。
 佐藤垢石は先にも書いたように放蕩無頼な感じを受けるが、昔の人は、現在の我々とはその教養の深さがまるで違う。漢籍も読みこなし、古今東西の歴史にも通じていなければ書けないと思われる文章を沢山残している。
 後年「釣り人」という雑誌を興して、余計に釣りの神様みたいに祭り上げられたが、佐藤垢石の随筆を読むと、その該博な知識と体験に感嘆する。

 木下謙次郎の「美味礼賛」は日本でもかなり初期に出た食の本で、これが大当たりして三巻まで出たが、その第三巻は佐藤垢石の代筆らしい。
 木下謙次郎は大分県選出の代議士でもあったから、忙しくて佐藤垢石に代筆させたのかも知れない。
 木下謙次郎もまた大変な人で、その「美味礼賛」は教養の固まりと言うべき本である。昔の日本人の教養の基礎は漢文にあったことが良く分かる。私など、返り点レ点が有っても漢文を読むのは苦労するが、木下謙次郎の本には返り点もレ点もつかない、漢文そのまま(いわゆる白文)が書かれていて、こうなると私には手も足も出ない。その木下謙次郎が代筆を任せたことから、佐藤垢石がどれほどの教養の持ち主であったかが分かる。この本は当時のベストセラーになった。昔の人はこんな本を自由に読んだのかと思うと、昔の人と我々との教養の差に、愕然となる。
 私から見ると、今の二十代の人間はまるで教養がない。こうして、年々人間は劣化していくのだろう。

 いや、アユの話だが、佐藤垢石の経験によれば、「水成岩の古生層の地帯を水源地方に持つ川に育った鮎が、最も肉も豊かに香風も高いようである。それに次ぐのが、火成岩の岩塊が河床に転積している川がよろしい。味と香りの最も劣るのは、火山岩や火山灰に埋まった川の鮎である」と「狸のへそ」という随筆集に書いてある。
 さらに、「鮎は大体に於いて暖国の魚であるだけに、西国の方が味に富み、東北地方から北海道へ行くと姿も味も劣ってくるようである。しかし、これも川の岩の成り立ちによって、風味を異にし一様であるとは言えない」と言っている。

 鮎の味が川の岩の成り立ちで変わって来るというのは、佐藤垢石ならではの洞察である。
 私は自分で詳しく調べたわけではないから、佐藤垢石の説が正しいかどうか言う事は出来ない。
 しかし、佐藤垢石の鮎に対する深い思い入れが分かる。
 京都の料理屋も、それぞれに、自分の仕入れた鮎に対する思い入れがあるのだろう。だから、一番味の分かる塩焼きにして食べさせたいのであって、私のような味の分からぬ人間が、「また鮎か」などと言うのはおこがましすぎるという物だろう。

 いや、釣りの話だった。
 シドニーにも釣り好きの人間は沢山いて、大抵の町にはつり道具屋があって、生きた餌を置いてあるところも少なくない。
 釣り道具屋に置いてある釣り竿、リールの類の殆どは日本製である。
 かつて、リールはアメリカ製、スエーデン製が一番と言われていた物だが、今は日本の釣り具会社のリールが一番信頼性が高く人気がある。
 明日は釣りに行くぞ、と張り切って釣り道具屋に入っていくときほど心が高鳴るときはない。
 釣り道具屋も心得ていて、あの辺は今良く釣れるよ、などと煽る。
 煽られた挙げ句、 よし、魚屋を開けるくらい釣ってくるからな、と余計に様々な釣具や餌を買うことになる。
 で、釣果ですが、二十年前は大きい鯛が厭になるほど入れ食い状態で釣れた物だが、いまはシドニー近辺も釣れなくなった。環境破壊がここでも進んでいるのだろう。
 それでも、一寸大きいボートを仕立てて湾の外に出るとまだまだ、大物がかかる。
 一度、私の友人が釣ったカンパチは、これまで食べたカンパチの中で最高の味だった。

 う、う、う、そんなことを考えていると血が騒ぐ。
 早く釣りに行きたい。そのためにも、リハビリだ。
 さあ、今日もリハビリに行って、悲鳴を上げてくるぞ。

「雁屋哲の食卓」は明日から、開きます。

雁屋 哲

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頭痛、肩コリ、心のコリに美味しんぼ
シドニー子育て記 シュタイナー教育との出会い
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