雁屋哲の今日もまた

2013-05-06

「在特会」の本質

《この二つ前のページにも「在特会」の事を書いてあります》

 

ヨーゼフ・ロートと言う作家がいる。

1894年に現在のウクライナに生まれたユダヤ人で、ベルリンなどでジャーナリスト、作家として活躍したが、1933年にヒットラーが政権を握ってからパリに亡命し、1939年に亡くなった。

ホロコーストで分かるとおり、昔からヨーロッパでのユダヤ人差別はひどかった。

同じ人間なのに、他のヨーロッパ人はユダヤ人を人間扱いしない。

ロシア、東欧ではポグロムといって、ユダヤ人をただユダヤ人と言うだけで虐殺することが頻繁に起こっていた。

そのように、厳しい差別を受ける側で育ったから、ヨーゼフ・ロートは人種間、民族間、人間間の差別に敏感で、差別の愚かしさ、意味のなさ、下らなさ、醜さについて色々と書残きしている。

ヨーゼフ・ロートの「放浪のユダヤ人」というエッセイ集(平田達治/吉田仙太郎 訳。法政大学出版局刊)の中の「反キリスト者」というエッセイを読んでいると、ところどころ、これは「在特会」の人々の本質をそのままえぐり取って私達に示している、と思われる箇所がいくつかあった。

ヨーゼフ・ロートが亡くなったのは1939年。

現在2013年。

74年前に亡くなったヨーゼフ・ロートの言葉が当てはまるというのだから、「在特会」の人々の本質は時代錯誤の典型というか、もう21世紀になっているのに、正しい人間であれば容易に乗り越えることの出来るわずかに低い土手に足をすくわれて、人間外の世界に転がり落ちて人間としての資格を失い、人外魔境をさ迷っている人たちなのだと私は思わざるを得ない。

では、ヨーゼフ・ロートはどんなことを言っているのか、それを、「在特会」の方々のためにも紹介したい。

ただ、ここで問題があって、ヨーゼフ・ロートは正統派ユダヤ人の家庭で育ったので、彼の書くものは正統派ユダヤ人としての信仰が思想の中心になっていることは否めない。

私は、ヨーゼフ・ロートの憎む「無神論者」である。

ヨーゼフ・ロートは神の存在を当然のものとしていて、かなりの部分宗教談義に費やされて辟易するが、無神論者の私でもしっかり共感できる人間社会に対する鋭い洞察と、分析を示してくれるので、ヨーゼフ・ロートとの言いたいことはしっかり私の心に届き、私はヨーゼフ・ロートの言葉を自分の助けになるものとして、使わせて貰おうと考えているのだ。

ヨーゼフ・ロートはユダヤ人であって、ヨーロッパのユダヤ人差別に苦しむと同時に、自分を差別する側の人間が如何に人間として劣った存在なのか、書き記してきた。

次に、私が今回ヨーゼフ・ロートのエッセイ集を読んだ中で発見した、「在特会」の皆さんに当てはまると思われる文章を選んでみた。

ヨーゼフ・ロートの文章は宗教色に染まっていて、とてもそのままでは読めないので、無神論者の私が、ヨーゼフ・ロートの真意を曲げないように、宗教色だけを取り除いてアレンジしてみた。(宗教色を取り除いたり、アレンジしたり、それではヨーゼフ・ロートに対する冒涜だと言う声も聞こえてくるが、ヨーゼフ・ロートは真実に命をかけた人間であり、私もヨーゼフ・ロートの思想の核をしっかり掴んでいるので、私のすることを大目に見てくれると信じる。私がヨーゼフ・ロートと共有しているのは、この世の真実である。その点で、ヨーゼフ・ロートは私に祝福を与えてくれるに決まっている)

《これから書く文章は、上記の「反キリスト者」を利用させて頂いた》

1) ヨーゼフ・ロートの言葉と思想を借りて、私が「在特会」の皆さんに言う。(言葉を借りる、と私が言っていることに注意して下さい。ヨーゼフ・ロートの言葉そのままではなく、ヨーゼフ・ロートの言葉を借りて、それをアレンジして、結果として私の言いたいことを言っているのです)

『在特会』の方々は、韓国人・朝鮮人に対する憎しみを糧に生きているのです。

韓国人・朝鮮人に対する憎しみで、この憎しみだけで自分たちの心を満たしていらっしゃる。

そして、この憎しみを人々の間に広めている。

これは簡単なことで、今の世の中、怒りの炎がみんなの胸の底に、特に若い人たちの胸の底に眠っている。

それは、韓国人・朝鮮人に関係がない。

安い給料、不安定な雇用条件、結婚すらままならない未来への希望の欠除、そのような苦しい環境にある人間・若者たちの心に、既に現状に対する不満と怒りの感情が漂っている。

怒りが破裂しかけて、火の粉もちらほら舞って、何かきっかけがあれば引火して怒りが爆発する。

そのような人々に、『在特会』の皆さん方が、これが憎むべき対象だと韓国人・朝鮮人を指し示して、大声で喚いて憎しみをあおり立てれば、怒りの感情を既に臨界点に達するまで抱え込んでいる人たちは、事の善悪を深く問うことをせず、目先の鬱憤晴らしの快感に誘惑され誘い込まれるのです。

それまで、韓国人・朝鮮人に対して悪意すら抱いていなかった人たちまでもです。

 

2)さらに、ヨーゼフ・ロートの言葉と思想を借りて「在特会」の皆さんに言う。

わたしはこれまでも悪人を沢山見てきました。しかし彼らの悪は人間的な悪でした。

彼らにはそれぞれ騎士道の精神が残っていたのです。彼らの心の愛情や善意がすべて死に絶えたときでさえ、なおもそこから正義心が現れ得るあの人間の特性です。

でも、『在特会』の皆さんの場合にはそんなことは全くあり得ませんね。

若い人たちを扇動して、韓国人・朝鮮人を憎む気持ちをかき立てる、そう言う『在特会』の皆さんは、通常の憎しみを抱く人間よりはるかに悪い人間です。騎士道の精神を欠いた憎悪者です。

 

3)ここからは、私自身の言葉。

私は、これまでに色々な国を旅した。

欧米で、これまでに数回、「あ、私は今人種差別をされているな」と感じたことがある。

あからさまに、不当な扱いをされたこともある。

その時、私を差別している人間の顔を見て強く感じた。

「人種差別をしている人間の顔は大変に醜い」。

無惨なほどに醜い。

それを何度か経験して、私は人種差別だけはするまいと心に深く思っている。

それは、差別された人の立場を考えることも第一だが、自分の顔と心が醜くなっている事を強く恐れるからだ。

人種差別をしている人間ほど醜い顔をしている人間はない。

韓国人・朝鮮人を口汚く罵っているときの「在特会」の皆さんの顔を見れば分かるでしょう。

何故「在特会」の皆さんの顔が醜いか。

その理由は、「在特会」の方々が人間としての誇りを失っているからです。

人間としての誇りが少しでもあったなら、あのように汚い言葉で罵ったり、あのようにぶざまな振る舞いが出来る訳がない。

人間としての誇りを失ったら、最早人間ではない。

「在特会」の方々はどうして人間としての誇りを失ってしまったのか、考えて見ましょう。

《ここから、再び、ヨーゼフ・ロートの言葉を借りる》

ある特定の民族を、他の民族と区別して、あの民族は変わった特異な民族であると言うことは出来ません。

韓国人・朝鮮人を日本人と区別して、韓国人・朝鮮人は日本人と変わった民族だと言うことは出来ないのです。

人間はまず何より人間なのです。あらゆる人間は互いに異なっているよりも、むしろ同じであるという自明の真理が全世界において、この地球上のすべての言語でもって語られるべきです。

その真理が語られない限り、民族の類似性、同一性をさしおいて、それぞれの民族の違いを言い立てるのは罪であると思います。

確かにいろいろな人種や民族の間に違いもあります。

しかし、その違いは、民族と民族、人種と人種を結びつける類似性、同一性よりもずっと小さいのです。

もし私が日本人の特殊性だけを強調し、韓国人・朝鮮人との類似性を強調しなかったら、私は不正を犯すことになると思うのです。

《ここからは、私の言葉で。》

「在特会」の皆さんが、人間としての誇りを失ってしまったのは、韓国人と朝鮮人に対する憎しみだけで心を満たし、そのほかには何も無い空っぽの心で、上記の「罪」と「不正」を犯し、しかも自分たちがその「罪」と「不正」を犯していることに気づくことなく、人種差別行為を行っているからなのだ。

的外れの憎悪以外は何も無い空っぽの心。

無惨とか悲惨とか言うのは「在特会」の皆さんの心を表現するための言葉だったのだ。

「在特会」はまことに、無惨で悲惨で醜い存在である。

雁屋 哲

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