雁屋哲の今日もまた

2011-12-31

福島報告2

今回私は、福島県の浜通りと、会津を回った。

中通りの取材は、次回に回す予定だ。

福島取材の第1回は、原発の被害の一番大きいところと、原発の影響がほとんど無いところと言う二つの地域に行ったことになる。

前回も書いたように、あと二回取材をする予定なので、詳しい報告は取材全部が終わってからのことにして、取りあえず、今回は、浜通りで特に気がついたことを書く。

放射線については、前回私が生まれて初めて高い放射線量の空間に入ったときの驚きを、私の間抜けな上ずった声を聴いて頂いてお分かり頂けたと思う。

8ヶ月も経って、何を今更そんなに驚くのか、と言われるかと思うが、初めての事なので仕方がない。

何を今更驚くのか、と言う方がおかしいのだ。

私が最初に驚いた、0.34μSv/hなどより遙かに高い線量のところに現在も住んでいる人々が大勢いる。その方達は、どんなに不安な思いをしておられることか、あるいは全てあきらめておられるのか、その方々の心境は察するに余りある。

この放射性物質を現在の人間の持つ科学の力では取り除くことは非常に困難である上に、現在も福島第一原発からは毎日大量に放出され続けているので、事態の改善は容易なことではない。

前回、震災後8ヶ月も経ってから、福島に行くのは遅すぎるのではないかと思ったが、実は遅すぎることはなく、8ヶ月経った時点だからこそよく分かることがあった、書いた。

震災直後の被害が如何に甚大であるか、テレビや、新聞で、知ることが出来た。

ここ数年、日本以外の様々な国を震災や津波が襲った。

それらの国々の大多数では、1年も経てば、それ以前の生活を基本的に取り戻すことが出来ている。あるいは、取り戻すめどが立っている。

ところが福島では、震災後8ヶ月経っても、復旧が仲々進んでおらず、この先復旧のめども立たない所が広い範囲にわたって存在する。

震災直後に福島に行ったのでは、地震、津波、など直接的な被害に眼が行って、今回の福島の災害の本当の大本を理解することが無かったのではないかと思う。

震災直後のあの混乱がある程度収まると、福島県が受けた本当の被害の意味が分かってくる。

単なる、地震と津波による、一過的な破壊ではない、解決の先が見えない被害に現在福島がさらされていることを震災から8ヶ月経ったからこそ、はっきりと認識できたのである。

復興が進んでいない地域を取り上げてみよう。

◎ 相馬市、原釜、松川浦

原釜地区には松川浦新漁港と言う大変立派な漁港があった。

それが、地震と津波で漁港自体も、その周辺の漁業産業の建物も全部破壊された。

で、8ヶ月経ったあと、どうなったか。

それは、次の写真を見て頂きたい。

左、上方に見えるのが、魚市場である。

その周辺は、加工工場、冷凍工場、など様々な漁業産業の建物があったところである。今は、ご覧の通り、地震と津波で破壊された跡を片付けているが、そこに新たに、魚市場、漁業関連産業を立て直すという動きは見られない。

それは何故なのか。

原発である。

福島第一原発から漏れ出し続けている放射線物質のために、福島県沿岸の海域は激しく汚染されている。

そのために、福島県沿岸で魚を捕ることは禁止されている。

建物だけ復興して魚市場作ったところで、それでは何の意味もない。

漁港が稼働しないのであれば、漁獲物の加工工場なども、立て直す意味がない。

下の地図を見て頂きたい。

この地図の右の下の方に、松川浦があり、その上に港ので具に架かった橋がある。橋のたもとに、「川口神社」がある。私が撮った《写真1》はここに架かる橋の上から漁港を向いて写した物である。

同じ場所で、振り返って、背後の松川浦の方を撮したのが次の写真である。

地図も付けます。この地図を見れば状況がよく分かるでしょう。

この辺の説明は、日本全県味巡り、青森県篇以来お世話になっている、歩く百科事典、世の中に知らないことは何も無い(ただ血圧についてだけは知らないのか,知りたくないのか血圧値210で動き回っているという自殺志願の哲学者・民俗学者・ラーメン研究者であるところの、斎藤博之さんの文章を、無断で使わせて頂く。

何度電話をかけても出てくれないので、著作権は私の物になったと判断した。(なに、乱暴すぎるとおっしゃいますか。乱暴でなければこんな乱世はわたれない。

以後、斎藤さんの文章を引き写す。)

「松川浦の港に3艘ほど船が写っていますね。(雁屋註・写真を拡大すると分かります。細七菜が苦延びた堤防に停泊しています)

川があって、

松川浦という汽水湖に注ぎ、

河口があって、

砂州のむこうに太平洋がある。

宍道湖や十三湖・小川原湖などと同じように、

じつに多様な生物がここにいました。

海で漁をするための港と、

湖で漁をするための港が、

隣り合わせに並んでいるということじたいが、

奇跡的な環境であったことを教えてくれます。

 

たとえば、この海で捕れる魚に

松皮鰈(雁屋註・これは松川鰈の誤変換ではありません。その海域一帯で獲れる大変美味しい鰈だそうです。私はまだ食べたことがありません。あるいは食べたのに記憶が失せたのかも知れません)があります。

 

松皮鰈は、昔は茨城や福島の沖で捕れたようなのですが、

現在の産地は三陸沖から北海道にかけてが主な産地です。

原釜の沖にこんにちでもこの鰈の漁場があるということが、原釜の海の豊かさを示しています。

松皮鰈の刺身は、歯ごたえも、旨みも、季節によっては平目を上回るかもしれません。

脂が乗っているので、焼いても、煮ても、うまい魚です。

松川浦の漁港に接して温泉宿が建ち並んでいますが、

ここでこういう魚をつつきながら、湯浴みできたわけです。

 

3月11日以降、

海も川も放射能に汚染されてしまったので、

この土地がかつての豊かさを取り戻すのは、

容易なことではありません。

それでも海で生きようとしている原釜の人びとが、

外洋に目を向けているのは、理由のあることでした。」

斎藤さんのこの文章を読んで、当時のことを思い返すと、悲しくなってきます。

震災から8ヶ月経って、失った物の大きさ、そしてそれを取り返すことが至難の業であることがはっきりしたのだ。

松川浦はラムサール条約の候補地で、非常に自然が豊かだった。

その豊かな自然も海嘯で壊滅した。

更に地盤沈下が甚だしく、潮が満ちてくると、それまで陸地だったところにまで水が上がって来る。

松川浦は、美しい自然を楽しめる、環境公園があった。

それが、地盤沈下のために、満ち潮になると、このように入り江のようになってしまう。(引き潮になると地面が顔を出すが、以前の美しい公園の姿はない)

この辺の浜は美しく,潮干狩りも人気があった。

その潮干狩りの入場券を販売していた事務所も、満ち潮になると水につかってしまう。

この建物は海岸を通る道のすぐ脇である。

民家も水に迫られている。

近くのスーパーの駐車場も、海が近いので、下水道を通じてだろうか、水が上がって来る。

この写真を撮影した後、水はもっと上がってきて、道を走るのに、小川を走るような感覚になった。

松川浦は放射能だけでなく、地震による地盤沈下にも苦しんでいる。

◎ 新地町、大戸浜

松川浦の漁港もそうだが、最初の地図を見てください。

原釜の北に大戸浜「釣り師浜」の漁港がある。

その光景を見ていただきたい。

漁港に漁船が並んでいるが、周囲の漁港の設備は荒廃したままでだ。復旧しないのは、松川浦の漁港が復旧できないのと同じ理由である。

背後に豊かな三陸の海が広がっている。本来なら、豊かな海の幸をこの港に水揚げできたはずだ。

それが、福島の海では漁業禁止、となっては、建物だけ復旧しても意味がない。

◎いわき市、小名浜

放射線汚染による海の荒廃は、福島北部だけではない。

福島の一番南部、いわき市の小名浜漁港は三陸でも屈指の水揚げ量を誇る漁港なのだが、今は殆ど機能していない。

漁船は、この通りあるのだが、福島の海域には出漁できないのだ。

この船も、手入れをしているが、出漁できない。

中央に立っているのが船主なのだが、出漁できなくても乗組員をクビにすることは出来ないから、引き続き働いて貰って、こうして船と用具の手入れをしているのだと言った。

小名浜は地図を見ていただくとお分かりのように、茨城県に接している。これまでも茨城沖で漁をしていたので、これからも茨城沖に出漁することを許可して欲しいと思っているのだが、海上保安庁が厳しくて出漁できないという。

事実、私が話を聞いた後すぐに、海上保安庁に人間が来て、「出漁するんじゃないだろうな」と確認に来たという。

茨城沖で獲っても、小名浜に陸揚すると福島産の水産物となって買い手がついても叩かれるという。

◎ いわき市、薄磯

さらに、小名浜のすぐ北に、薄磯と言う浜がある。地図で見れば塩屋崎灯台が小名浜の北にすぐ見つかる。

その塩屋崎灯台の北に広がる浜が、薄磯である。

この薄磯は、ウニ、アワビ、が良く獲れるところでしかも質がよい。

ここでは、獲れたばかりのウニを、ホッキガイの貝殻に詰めて焼いた物を「貝焼き」(この辺では、「かやき」という)として市場に持って行くと、80グラムのウニを詰めた物が2000円以上で売れたと言うから、凄い。

この写真の一番右の海に少し見えているがここの磯が宝の山だったのである。

こんな近くの海に潜るだけで、豊かな漁獲量を得られたのである。

それが、今は海に出ることも禁止されている。

常に海上保安庁が目を光らせていて、ちょっとでも海に入ると、捕まるのだそうだ。

ここで、何十年もウニとアワビ漁で生計を立てていた、漁師の方二人とお話を伺ったが、一体どうしたらよいのか、分からないと、力を失っていた。

しかし、ここで体験した放射線量が、今回最悪の物だった。

浜辺で、ウニ、アワビ漁師の方にお話を伺っている間中、0.65μSv/h

を下回ることがなかった。

全く、気が気ではないのだが、その方たちはもうなれてしまっているのだろう。

高線量を気にすることがないのだ。これは恐ろしい。

上の写真、前方に煙突が見える。

東電の火力発電所で、この背後に、福島第一原発がある。

驚くべきことに、この方面から風が吹いてくると、空間線量が突然上がる。

0.65μSv/hから、いきなり0.75μSv/hに上がる。

これには仰天した。

お話を伺っているときに、その方々は、もうなれきった樣子で「風向で線量が変わるんですよ」と言った。

風向きで線量が上がるとは、今も、福島第一原発から、日常的に大量の放射性物質が放出されていることの証拠である。

ついでに、灯台下の砂の吹きだまりでは、1.5μSv/hを計測した。

なんと言ったらよいのか、言葉もない。

さて、今回の報告は、ここまでにしておこう。

これが、震災後8ヶ月の福島の浜通りの実状である。

つまるところ、原発である。

事故後九ヶ月経った今も、福島第一原発は、毎日大量の放射性物質を放出し続けている。

結局、福島、なかんずく、浜通の復旧、復興は、福島第一原発の今後にかかっている。

既に汚染された海域をどうすればよいのか。

原発事故直後心配されたことが、8ヶ月経って、予想されたより深刻になっている。

今のところ、誰も回答を持っていない。

次回、来年の、5月、6月に取材に行くときには、少しは復興の方向に向けたことを報告できるようしたいと思う。

(写真は、クリックすると、大きくなります)

雁屋 哲

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