雁屋哲の今日もまた

2009-08-08

世襲議員について(穏やかに)

 8月4日に、「世襲議員について」と言う一文で、世襲議員を選び続ける有権者・日本人を口汚く罵る文章を2時間半ほどこの日記に掲載したが、削除した。
 口汚く罵ることによって、私の大事な読者諸姉諸兄の中には傷つく人もいるのではないかと思ったことが第一。
 そして、一晩寝て考えると言ったが、それから「美味しんぼ」の環境編に取り組んで忙しいまま、4晩も放っておく内に、自分に対していやな気持ちを抱くようになった。
 感情にまかせて人を罵るのは、その時は何か発散した気分になるかも知れないし、人の注意をひくことが出来る。
 しかし、世の中の誰が、口汚く罵っている人の言葉を真面目に真剣に受取ってくれるだろうか。
 大声や、口汚い言葉は、他人の注意をひくことが出来ても、説得力もなく、共感も与えない。
 大声で罵る人間の品性を下げるだけである。

 そのように考えて、「世襲議員について」の一文を、罵るところを削って、その意とするところを理解していただくために、穏やかな文章に書き直し、以下に掲載する。私も温厚になったもんだと我ながら感心する。

《始まり》

 まあ、私もこの歳までに恥知らずの人間を色々見てきたが、元首相の小泉某ほど、見事な腐れは見たことがない。見上げたもんだよ、屋根屋のふんどし、ってか。「自民党をぶっ壊す」と言っておいて、その実この日本という国を破壊し、息子を自分の後釜に据える。
 あさましい、の一言ではすまされない、醜いざまだ。
 その息子たるや、二十八歳のぼんぼんだ。
 何の社会経験もなく、大学を出て、アメリカの大学へ行き、アメリカのシンクタンクに勤めた、と言う経歴だけである。
 それがいきなり、親爺の跡を継いで代議士になるってんだ。
 てえしたもんだねえ。
 昔から、こう言う親馬鹿とおぼっちゃまの話はごろごろ転がっている。
「売家と唐様で書く三代目」と言う川柳がある。
 初代が苦労して築き上げた財産も三代目となると食いつぶす。
 その代わり、趣味に明け暮れて「唐様」(中国風の書法)で字を書くだけの洒落たことは出来るようになる。財産を食いつぶして、どうしようもなくなり、初代が建てた屋敷にその洒落た「唐様」で「売り家」と書いた札を下げる、と言う意味である。
 元首相小泉某は、政治家として三代目だが、運良く選挙区を手放さず、何かの弾みで首相まで上り詰めた。これが、日本にとって戦後最大の災厄となった。
 その息子は四代目となる。
 というと、「売り家と唐様で書く四代目」となるのかな。
 どんなぼんぼんかと言うと、選挙区の人々に挨拶をして回るぼんぼんに、対立する民主党候補が笑顔で駆け寄って握手を求めたら、その手が目の前に差し出されているのに、それを無視して選挙民の方に行ってしまった。それが、映像としてインターネットに流れて、インターネットの住民はぼんぼんの了見の狭い高慢ちきな態度に非難の声を寄せた。
 また、選挙民と握手するのも、普通は両手で相手の手を握り、嘘でもいいから親密感を強調するのに、ぼんぼんは、片手でお義理に握手するだけなので、自分のことをよほど偉いと思いこんでいるのではないか、いう批判も出ている。
 それでも、選挙区では、そのぼんぼんが圧倒的に優勢だと言うから、いい選挙民たちだね。

 最近、政治家の世襲制がやかましく言われているが、そんなことを政治家に文句を言っても仕方がない。
 どんな政治家も選挙で選ばれてくるのだから、世襲だろうと何だろうと、代議士自身は文句を言われる筋はない。
 文句を言うなら、世襲議員を選出し続ける選挙区の選挙民に文句を言うべきなのだ。
 世襲議員問題は、選挙民、ひいては日本人全体の愚劣さをはっきりと示してくれる。
 簡単に言えば、日本人が馬鹿だから世襲議員問題が起こるのだ。
 私は今日は馬鹿は馬鹿とはっきり言うことにする。
「馬鹿馬鹿と馬鹿を馬鹿馬鹿言う馬鹿は、馬鹿は馬鹿でも大馬鹿の馬鹿」
 という文句がある。私自身大馬鹿である。だから、馬鹿に馬鹿と言われても、気を悪くしちゃ駄目ですよ。

 日本人は、自分の馬鹿の程度にふさわしい議員を選んでいるだけのことだ。
 それを何を勘違いしたのか、新聞などマスコミは、政党や世襲議員が悪いように書く。
 読者におもねるな。悪いのは、国民だとなぜきちんと書かない。
 新聞も、片棒担いでいるだろう。安部某の時には何と書いた。吉田茂の三代目で吉田茂の意志を継ぐとか何とかはやし立てたじゃないか。
 新聞・マスコミの劣化は、国民の劣化と同時進行している。
 それは、当たり前だな。新聞社の記者も日本人であり、選挙民なのだから。中には馬鹿の先陣を切っている者が少なくないわけだ。

 私は地方に行くたびに、地方ではいまだに徳川時代の藩の意識を強く持っていることを知って驚く。
 同じ県の中で、この地方は旧あれあれ藩、この地方は旧これこれ藩、だから、同じ県の中でも、二つの地方の住民は角突き合わせていると言うのがある。
 そう言う地方では、明治の廃藩置県以降、それまでの藩の領域を無視して、新たに線引きをして県を作ったのが間違いの元だと本気で言う人が少なくない。
 また、旧藩主の子孫をいまだに自分たちの主人と思って大事にしているところも多い。
 藩主・大名の子孫も今は平凡なサラリーマンになっていたりするのだが、その地方へ戻ると、旧藩主扱いで大変だ。
 旧藩主の子孫と言うだけで、その土地の人間に対して尊大な態度を取っても、人々は当たり前だと思い、百年以上経っているのに旧藩主の子孫を崇めているのだ。

 こう言うのが、日本人の心の底に深く染みついた卑屈な拝跪の感覚だ。確立した自己を持っていないから、どんなものであれ権威のある者の前に跪づいてそれを拝み、長いものに巻かれて安心する。今の地方の自民党の代議士は、昔で言えば選挙区が藩で、選挙区の大名というわけだ。選挙区の選挙民は大名に隷属することを誇りにする隷属マニアで、何が何でも主家(代議士)に背いてはいけないと屈従する。だから、当代の跡を息子が継げば文句なしに、その息子に投票するのだ。

 日本人は、誰かを崇めて、その下に仕えたい、支配されたいと願う哀れで情けない根性の持ち主だ。

 だから、親分を持つと安心する。その親分が、由緒正しい三代目などと言うと余計に有り難く感じる。
 福沢諭吉はそのような日本人の根性を見抜いて、日本の大衆を愚民と規定し、愚民をまとめるのに一番良いのが天皇制であると考え、天皇制をもり立てた。
 福沢諭吉は日本の一般大衆を愚民視すること甚だしく、自分自身宗教は何も信じないのに、大衆を宗教でおとなしくさせようとした。
 福沢諭吉は1881年(明治14年)頃三田演説会で何回か宗教に関する演説をした。その時の演説の草稿として「宗教の説」という文章が残っている。全体に宗教のばからしさ、害を並べ立てておいて、最後に、宗教にも利益があるという。大山参りや、伊勢参りは「第1に体の健康を回復し、第2にお参りの途中にあれこれ見て知識を広くすることが出来る」と言うのがその理由である。
 そして最後に、凄いことを言っている。
(福沢諭吉の文章は漢語を沢山使った明治時代の文語体なので、若い人に分かりやすいよう、私が現代文になおした。意訳の部分もある。
 なお文中「片輪」などと言う差別語が出て来るが、これは、福沢諭吉が使っているのであって、福沢諭吉の感性を理解して貰うために、意図的に残した。私自身が差別的な精神を持っているのではない。

「(前略)自分自身を頼むことの出来ない人間が他の物を頼むのは必然の勢いである。酒や賭博を断つのに神や仏に誓って断つ。
(中略)自分で自分の心を頼む事の出来ない人間は、自分の足で歩けない者と同じだ。即ち片輪だ。神や仏、キリストなどの教えは、昔、片輪の時代に適した教えなので、世の中に片輪のある限りその教えも甚だ入用である。酔っぱらいの立ち小便にポリス、盗っ人に犬、意気地なし愚民に圧制的な政府、馬鹿と片輪に宗教、ちょうど良い取り合わせだろう」(福沢諭吉全集 第20巻 232ページ)

「天は人の上に人を造らず云々」と言った人間が、こんな身も蓋もないことを言うとは信じられない、と言う人が多いだろうが、これが福沢諭吉の真実の姿なのだ。
 福沢諭吉が現在の日本に新興宗教と世襲議員がはびこっているのを見たら、「馬鹿と新興宗教に世襲議員、ちょうど良い取り合わせだ」と言うのではなかろうか。「自分自身を頼むことが出来ない」というのは、自己を確立していない、ということだ。福沢諭吉は、日本人の精神構造を良く摑んでいたし、それが今に至るまで変わっていないことが情けない。

 小泉某以後の総理大臣は全て世襲議員だ。
 晴れて選挙民に選ばれて、「おらがの先生」として国会に送り出されてきた人間たちである。
 世襲議員が下らなくて悪いのではない。そんな議員を選び続ける選挙民が下らなくて悪いんだよ。
 金正日は自分の権力を行使して自分の地位を息子に世襲させようとしているが、日本は選挙民が金正日なのだ。

 日本人は思考能力を失ってしまっているのではないか。
 こう言う人間を自分たちの代表や、首長に選んだら自分たちの生活が破綻すると言う考えすら抱かず、パフォーマンスに騙されたり、テレビに出ているから、有名な俳優の兄だからと言うだけで、知事などを選んでしまう。

 石原某などが都知事に選ばれたのは、有名な俳優の兄と言うだけの理由だろう。三流の元代議士だった石原某を都知事に選んだ理由が他にあるか。
 その石原某は、都民の税金を1400億も、自分で作った銀行につぎ込んでしまった。
 どこの銀行も信用金庫も金を貸そうとしない絶対に危ない会社に金を貸して、それも、石原某の取り巻きと公明党・創価学会とつながりを持つ連中に金を貸して、それが、大破綻している。
 それでも、都民は黙っているんだから、偉いというのか、何も考えようとしない思考麻痺にかかっているというか、無表情の、のっぺらぼうの人間の集まりみたいだ。
 こう言う惨憺たる例を見ていながら、千葉県では、また、最初から疑惑だらけのもと芸能人の男を知事に選んでしまう。
 千葉県民に東京都民の馬鹿がうつったのか、最初から馬鹿だったのか。同時多発馬鹿と言う奴か。
 千葉県民も東京都民のような、災厄を味わうことだろう。

 私の敬愛するある大先輩は、さる地域の酒造組合の会長をしていたことがあって、その時期に、仕方がないから酒造組合の会長として政治家に挨拶に行った。
 そのあと、私に会ったら、開口一番、「いやあ、自民党の代議士連中ってのは、何だいあれは。野郎共の顔は、泥坊、巾着切り、やくざの三下、の顔だ。人間、顔を見れば分かるよ。ひでえもんだな、この国は」と言った。

 大宅壮一だったかな、誰だったかな、昔の人がこう言った。
「人間の顔は履歴書である」
 本当だ。
 今の自民党の大臣たちの顔を見れば、いやあ、良心なんか何もない無残・陋劣な人生を送ってきたんだな、と言うことがよく分かる。
 政治家が陣笠代議士から大臣に成り上がるまでのことを表現して、昔の自民党の政治家がこう言った、
「ぼうふらも、人の血を吸うような蚊になるまでは、泥水飲み飲み浮き沈み」
 自分たちのことをありのままに表現して上手いことを言うもんだと感心したが、みごと、人の血を吸う蚊どころか、ハイエナになり果てたのが、あの政治家達だ。

 民主党も、同じような顔の人間がいるね。腐れが少なくない。
 民主党が政権を握っても、どれだけもつかな。
 自民党より良い政治が出来るのかしら。
 暗殺された石井紘基代議士みたいに根性のある議員が、民主党に他に何人もいればいいのだが。
 もし、今度の選挙で民主党が政権を握ったとしても、民主党が失敗すると、日本人は、支配されたがる習性があるから、矢張り昔のご主人様の方が良い、と言って、次の選挙ではまた自民党に投票するんじゃないだろうか。

 日本人よ、選挙の時くらい、まともに物を考えろよ。
 首の上についているのは、スイカなのかカボチャなのか。
 しっかりしてくれよ。
 何が、世襲議員問題だ。
 議員が世襲なら、日本人全部、世襲の馬鹿ってわけだ。
 このまんまじゃ、日本は落ちていくばかりだ。

 偉そうなことを言うお前は日本人じゃないのかだって?
 てやんでえ、おらあ、正真正銘の日本人だよ。
 正真正銘の日本人だから、日本人を批判できるのだ。
 こんなことを外国人に言われたら、私は怒るよ。
 外国人に言われる前に、日本人どうし、何とかならないかと文句を言っているんだ。

 これだけ言って、少しは腹の虫が治まったかな。
 でも、なんだか、福沢諭吉に似ちゃったみたいで、いやだな。

雁屋 哲

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