退院しました
10月19日、朝4時に起きて「美味しんぼ」の原稿を仕上げ、6時に編集部に送り、そのまま眠ろうとしたが気持ちが高ぶって眠れない。
この連載一回分の原稿に、一体何日かかったことか。3週間以上だ。
最後の10日間は入院中に点滴を打ちながら書いたが、この点滴を打つと頭がぼーっとなり起きているのも辛くなる。
少し休んでは、また少し書く、また休む、この繰り返しで仕事は恐ろしく捗らない。
苦しかった。こんな苦しい原稿の書き方も初めてだ。
災難の後に、また災難有り、こんな辛い思いをして書いた原稿だが読者が面白くないと言えばそれまで。
疲労困憊した。
仕方がないから7時に起きてシャワーを浴びて、9時から最後の点滴。
12時に終わって、これで今回の治療終了。
結果は今のところめざましい物ではないが、入院時より改善された点もあり、私としては満足している。
今回の入院生活は実に快適だった。
医師、看護師、助手、掃除係、みなさん大変に親切で患者の身になって対応してくれて、本当に有り難かった。
中でも有り難かったのが、食事だ。
普通、入院すると病院の食事がまずくて食べられないことが多いが、今回の東大病院の入院食は大変に良かった。
10日間、毎日違うメニューが出た。一つとして同じメニューは出なかった(朝食はパン食だが、普通の食パン、ロールパン、クロワッサン、黒パン、など日ごとに変わるのだ)。
朝食にウィンナー・ソーセージが二度出たが、1度目はぱりっと焼いてあり、2度目は湯通しをしてさっぱりした感じで出て来た。抜かりはないのである。
昼食に出たカレーは、肉は鶏肉で、野菜が沢山入っており、実に素直で軽い優しい味で、化学調味料で舌が曲がることもなく、懐かしいという感じを抱いて、堪能した。
昨日、退院前夜の食事はちらし寿司で、まるで私の退院を祝ってくれるように思えて、嬉し楽しく食べた。
毎食、待ちかねて、運ばれるやいなや、5分もかけずに、がつがつ、ぺろりと一つ残さず食べる。
最初は食堂に食べに行っていたのだが、他の人に比べて私の食べ方はがつがつと余りにせわしなく食べるので、それが下品で他の人に不愉快な思いをさせるのがいやだし、私も恥ずかしいし、部屋に運んでもらって、気の済むように下品にがつがつ食べた。
ガイドブックで星を三つ貰った、二つ貰ったと競い合う料理師もいれば、このように病院で入院患者のために精魂込めて料理を作る調理師もいる。
どちらも大変な仕事だと思うが、今回私は病院の栄養士、調理師には本当に心を打たれた。
高価な材料で、思うさま腕をふるうことの出来る有名料理人と違って、材料の制約、患者の体調、治療方針、そのような様々な条件の下で、患者の毎食を楽しい物に作り上げる、栄養士と調理師の仕事は実に尊いと思った。
私が「美味しんぼ」で繰り返し書いてきたのは、食べて貰う人への思いやり、如何に相手の身になってもてなすか、と言うことだった。
その点、東大病院の栄養士、調理師はまさに「美味しんぼ」でこれぞ料理人として取り上げてきた人達と同じである。
私は、10日間、「美味しい、美味しい」と言ってがつがつ食べながら、ふと考えた「私は、美味のまた美味を求めるために、無駄な贅沢をしてきたことはなかったろうか」
そう思うと、頂門の一針、というか、滝の水に全身を打たれたような気がした。
まだ、私の美味への挑戦は浅すぎた。深くなかった。
東大病院の入院食には、患者を思う気持ちがあふれていた。
ここに人間の真実があると思える味だった。
人が人を思い遣る。すると、このような自然で、さわやかで、素直な味の料理が出来るのだ。
見栄や飾りは一切無い。実直そのもの。
私は毎食食べながら、作っている人達の顔を思い浮かべていた。
どんな人達が作っているのだろう。
お顔を会わせる機会はこれからもないだろうが、作って下さった方たちの心は充分に私に伝わった。
本当にいい経験をした。
今度の入院は、全て心から満足だ。
誰かに、入院したいがどこがいいだろうと聞いたら私は迷わず東大病院を勧める。
病院食の思わぬ利点がもう一つあった。
今日退院するので、入院してきたときにはいてきたズボンをはいたら、なんと腰回りは緩い、
東大病院の入院食はダイエットにもなるのだ。
毎食あれだけがつがつと、一つ残さずぺろりと平らげて、それで体重が落ちているのだからありがたい。
連れ合いに話したら、「私もダイエットのために東大病院に入院しようかしら」と言った。
いや、病気は辛いが、楽しい入院生活だった。
東大病院の、医師、看護師、掃除係、助手、栄養士、調理師の皆さんに心から感謝します。
私は、大きな病気にかかったら絶対に東大病院に入院しようと決めた。
子供のころから入院経験多数の私が言うのだから間違いない。
東大病院は最高です。
価値ある10日間だった。