雁屋哲の今日もまた

2015-12-06

ご無沙汰しました

ご無沙汰しました。

「雁屋哲の今日もまた」を再開します。

 

最初に、お知らせです。

12月8日、18時から、名古屋市公会堂4階ホールで、安川寿之輔先生、帯広畜産大学教授杉田聡先生(哲学)と私とで、

「福沢諭吉の見直し、アジア蔑視と侵略戦争で果たした役割〜日本の現代史を問い直そう」

という題で、講演を行います。

私は講演は苦手で、おまけに10月末に転倒して、右のすねを骨折して安静を指示されており、大変に痛いのですが、松葉杖と車いすで、神奈川県から何とかたどり着いて、安川寿之輔先生、杉田先生という学者の間に交ざり、恥をさらすのを覚悟で、福沢諭吉についての私の考え述べます。

名古屋近辺の方は、ぜひご参加下さい。

漫画原作者という絶滅危惧の希少動物の顔を見られますよ。

 

「美味しんぼ『鼻血問題』に答える」(遊幻社刊)を書いてから、私は福沢諭吉についての本をまとめるのに没頭しました。

本来、この本は2011年の8月には出版する予定でした。

それが、3月11日の福島第一原発の事故以来、私の心はそちらに完全に傾いてしまい、福沢諭吉本を書くひまがなくなりました。

 

「美味しんぼ」福島の真実篇1と2を書き終わった段階で、福沢諭吉に再び取りかかりましたが、そこに、「美味しんぼ」福島の真実編2の第22回で書いた「鼻血」が問題になり、身辺にわかに騒がしく、福沢諭吉の本に取りかかることがさらに妨げられました。

 

2015年2月に「美味しんぼ『鼻血問題』に答える」を書き終わってから、ようやく私は福沢諭吉の本を書く仕事に戻ったのです。

 

今度の福沢諭吉についての本の題名は「二年C組 特別勉強会 福沢諭吉」です。

これは架空の高校、善和学園の二年C組の担任の歴史の教師が、福沢諭吉自身の公に言った言葉,書物に残した言葉を取り上げて、

 

A 『天は人の上に人を造らず、人の下にも人を造らず』と言うのは福澤諭吉自身の言葉ではない。福澤諭吉自身の思想を表したものでもない。

 

B 福澤諭吉自身は、江戸時代からの封建的な身分差別意識を強く持っていた。

被差別民に対する差別意識も強く持っていた。

福沢諭吉は『民主主義者』ではない。

 

C 天皇は神聖であり、日本人は全て天皇の臣子である。一旦戦争になったら天皇のために死ぬべきである、と主張する『教育勅語』を歓迎する福澤諭吉が『民主主義者』の訳が無い。福澤諭吉は、第二次大戦に日本を引きずり込んだ『天皇制絶対主義』『皇国思想』を日本人に広く浸透させた。

 

D また、明治維新後、明治政府は朝鮮支配を推し進め、その朝鮮支配を巡って、清に、日清戦争を仕掛けたが、福澤諭吉は、それを言論で煽り、それだけでなく、自分自身、日本の朝鮮支配を進めるために、朝鮮宮廷内でのクーデターを計画し、その実行に加担した(甲申政変)、

 

E 福澤諭吉は朝鮮人、中国人に対する激しい侮蔑心を煽り、それが、日本人の朝鮮人差別、中国人差別を深め、ひいては現代までつながるアジアの人々全体に対する差別心を抱かせる元となった。

 

F 『軍国主義』を確立し、しかも、その軍を、天皇を最高指導者とし、兵は天皇のために死ぬ『皇軍』とすることに力を尽した。

 

G 福澤諭吉が「福翁自伝」の中で書いた、福沢諭吉の「大本願」である国権皇張を求めれば必然的にアジア侵略を導くものであって、事実、福澤諭吉は清国の侵略を強硬に主張し、『皇軍によるアジア侵略』という1945年の敗戦に至る道は、福澤諭吉が描いた通りになった。

福澤諭吉こそ、1945年の破滅に突き進むように、日本の方向を定め、人々をその方向に駆り立てた張本人の一人だった。

 

H 我々が、考えている『独立心』と『自尊心』を重んずる『独立自尊』と福澤諭吉の言う『独立自尊』とは意味が違うこと。

また、福澤諭吉は、『独立心』と『自尊心』を重んずる『独立自尊』の人間ではなかったこと。

 

と福沢諭吉が実際にいった言葉を示して授業の中で言ったところ、父母の中から「福沢諭吉を侮辱するものであり、真実ではない」と抗議が起こったと言うことから話が始まります。

 

私は今までに、丸山真男、を始め多くの学者の福沢諭吉論を読んできました。

どの学者も、福沢諭吉の書いた文章をそのまま取り上げて論ずるのではなく、自分の都合の良いように福沢諭吉の文章の中の一部を取りあげ、さらにそれを読み替えて、「民主主義の先駆者」として福沢諭吉を美しく描き出しています。

私も実はその美談で生きていたのです。

 

ところが、1987年に、「頭山統一解説 日本皇室論 帝室論・尊王論(1987 島津書房)」と言う本を手に入れて、一読して仰天したことがあります。

上等の和紙に題字を金箔で押した表紙の豪華本です。(今でも大事にとってあります)

私は解説を書いている頭山統一と言う人物の名前に惹かれました。

頭山統一という名前から、日本の右翼・国家主義運動の草分け、「玄洋社」の頭山満とのつながりを考えたのです。

後に、頭山統一氏は、頭山満の孫であり、1990年に頭山満の墓前で短銃自殺をしたことを知りました。自死の理由を私は知りません)

解説者の名前、帝室、尊皇と言う言葉。

この三つが、私がそれまでに教えられてきた市民的自由主義者としての福澤諭吉とどうしてもうまく繋がらないのです。

 

そこで、その「帝室論」・「尊王論」を読んだのですが、それまで、福澤諭吉は市民的自由主義者であるという刷込みがなされていた私にとっては、「まさか」、「そんなばかな」、と言うような文章が目の前に一面に広がり、ただただ、驚くばかり。

帝室論の中に、「日本国民は帝室の臣子なり」という言葉があるのを見たときには、私は、漫画的表現で言えば、あごが外れました。

それでは、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」も「独立自尊」もあったものではない。

それほどの衝撃を受けはしましたが、最初から「福澤諭吉は化石人間」と言う思いがあったので、「昔の人はこんなものだったのか」と落胆して、その本は書棚の一角に押し込まれました。

それから、生活に追われる忙しい日が続き、福澤諭吉は私の意識から消え去ってしまったのです。

いわば、福沢諭吉は百年前の人が訳も分からず偉いと崇めた人。

そんな人間は、現在の私達の生活には何の意味もない人間であると、私の意識の外に消え去ってしまったのです。

 

ところがです、それから20年近く経ったときに、朝日新聞社発行の週刊誌AERAの2005年2月7日号を目にしたんです。

そこには、「偽札だけではない、福澤諭吉の受難」という題名の記事が掲載されていましたた。

筆者は、長谷川熙(ひろし)氏。肩書きはライター、となっているので、朝日新聞社の社員ではないのでしょう。

読んでみると、これは、途方もない内容で、

当時静岡県立大学国際関係学助手の平山洋氏が「福澤諭吉の真実」という文藝春秋社刊の文春新書に書いた内容によれば、岩波書店から発行されている「福澤諭吉全集」の内、すくなくとも、「時事新報」の社説として掲載されている物の多くは、福澤諭吉自身が書いたものではなく、福澤諭吉の弟子(この記事にその名前はAとしか書かれていないが、前後の記事の文脈から、「福澤諭吉伝」四巻を書いた、福澤諭吉の中年から晩年にかけて、福澤諭吉が一番信頼していた石河幹明のことであることが分ります)が、福澤諭吉の意に背いて、自分で勝手に書いたものであり、さらに「福澤諭吉全集」を作るときに、自分の書いた「時事新報社説」を福澤諭吉の書いた文章として取り込んだ、と言うのです。

私は、前にも書いた通り、福澤諭吉にはまるで興味を抱いていなかったのですが、頭山統一氏が解説を書いた「皇室論」「尊王論」を読んだときの、あの腑に落ちない感じが、20年経った後も心の底に残っていたのでしょう、すぐに文春新書の「福澤諭吉の真実」を購入して読みました。

続いて、平山洋氏が、自分の説のよりどころとしている、井田進也氏の 「歴史とテクスト」と言う本も買って精読しました。(高かった! 6500円もした。買うのに勇気が要りましたよ)

AERAの記事を読んだ時から、私は、福澤諭吉は化石人間などではなく、その思想は生きていて、現在も日本に影響を与え続けていることを認識し、これは福澤諭吉についてまじめに考えなければならないと思い直し始めました。

平山洋氏の著書と、井田進也氏の著書についての、厳密で厳しい批判は、安川寿之輔、杉田聡の両氏によって行われているので、詳しく知りたい方は、安川寿之輔著「福澤諭吉の戦争論と天皇論」、杉田聡著「福澤諭吉 朝鮮・中国・台湾論集 国権拡張脱亜の果て」をお読みください。

ここで、私があれこれ言う余裕はありません。

端的に言うと、平山洋氏の「福澤諭吉の真実」は単なる妄想と狂想の書。

井田進也氏の著書は、著書全体はともかく、その「福澤諭吉のテクストの真贋の認定をした部分」は、非科学的であり、愚劣きわまるもので、氏自身をこれから終生苦しめることになる文章。

と、物の分る人間は誰でもそのように認定するでしょう。

 

ここまで、私は井田進也氏と平山洋氏について批判的なことを書いてきましたが、実は私は両氏に対して心からの感謝を捧げたいのです。

と言うのは、前記AERAの記事の中で長谷川熙氏は、「安川氏の言動への疑問も湧いてくる」と言って、慶応大学非常勤講師(当時)の吉家定夫氏の言葉を引いて、安川寿之輔氏がその著書「福澤諭吉のアジア認識」の中で、あやまちを犯したかのように批判していたからです。(私はAERAのその記事をコピーしていまだに持っています)

私は、それまで安川寿之輔氏のお名前すら知らなかった。どんなことを書いておられるのかも当然知りませんでした。

直ちに安川寿之輔氏の著書「福澤諭吉のアジア認識」を手に入れ、一読して、私が二十年近く抱いてきた福澤諭吉に対する「腑に落ちない感じ」が何だったのか良く分ったのです。

私は、その「福澤諭吉のアジア認識」につづいて、丸山真男の福澤諭吉論を批判する「福澤諭吉と丸山真男」(出版の順序は逆だが)、井田進也氏と平山洋氏に対する反論の書「福澤諭吉の戦争論と天皇制論」、さらには安川寿之輔氏がまだ三五歳の時に書いた「日本近代教育の思想構造」も古書店で手に入れて精読しました。(「日本近代教育の思想構造」は現在、オンデマンド出版でインターネット経由で買うことが出来ます)

安川寿之輔氏の諸書を熟読して、私が福澤諭吉に対して抱いていた「腑に落ちない感じ」がきれいにかたづきました。胸がスーッとした思いです。

安川寿之輔氏の叙述の仕方は、全て、科学的思考方法に合致しています。

科学的な思考方法とは、

1 誰もが手に入れることが出来、誰もが検証することの出来る事実としての、「福澤諭吉全集」「福澤諭吉書簡集」などの文書をもとにして、

2 誰もが、批判、検討、検証できる論理の過程を、緻密に作り上げ、

3 日本では偉人に祭り上げられている福澤諭吉を批判することは、批判する自分自身が世間的に葬られることになること(地獄へ導かれること)を恐れず、純粋に論理の帰結するところとして、冷静に福澤諭吉批判を行ったこと。

 

私が安川寿之輔氏の著作を評価するのは、安川寿之輔氏の福澤諭吉についての論説が、福澤諭吉に対する個人的な好悪の感情とは全く離れて、純粋に科学的であるからです。

ここまで、科学的に緻密に構築された安川寿之輔氏の福澤諭吉批判を、逆批判することは非常に難しい。

出来ることは、AERAで長谷川熙氏が行ったように、明治大学名誉教授(当時)三宅正樹氏、慶応大学名誉教授(当時)村井実氏、前記吉家定夫氏のような、世間的に有名な人々を駆り出して、事実に基かない感情的な反撥を示すか、あるいは全く無視することしかありません。

 

私は安川寿之輔氏の諸書を読んで、今まで福澤諭吉偉人説に抱いていた「腑に落ちない感じ」が一掃されると同時に、明治維新から日清戦争までの近代史に対して不勉強だったことを痛感しました。

私は、明治維新前後、日中戦争から現代までの歴史、については多くの本を読み勉強してきたつもりでしたが、なんと、明治維新から日清戦争までの日本の歴史について余りに無知だったことに気がつきました。

日清戦争、日露戦争、については、司馬遼太郎に代表される日本美化論者によって、「明るい明治、暗い昭和」などとうんざりするほど聞かされていたので、それに反撥して、かえって深く勉強しようと思わなかったのです。

福澤諭吉を理解することは、明治維新後日清戦争に至るまでの日本の歴史をきちんと理解することであると私は認識しました。

それ以来、この十年間、私は日本の近代史をかなり十分に勉強しました。

同時に、福澤諭吉に対する理解も深まり、私自身、本当に納得して、心が晴れ晴れとしたのです。

これは、ひとえに、AERAの記事で、安川寿之輔氏の名前を知ったからであり、そのきっかけを作ってくれた、井田進也氏と平山洋氏に深い感謝の念を捧げるゆえんです。

 

納得したのならそれで良いはずなのに、同時に心の中でむらむらと何かが煮えたぎり始め、このままでは収まらない、と言う思いが募って来たのです。

何が私の心を煮えたぎらせたか。

それは、日本人は福澤諭吉の真の姿を、以前の私同様、余りに知らなさすぎる、ということです。

敗戦後の日本では、丸山真男が福澤諭吉を「近代的市民的自由主義者」と持ち上げたばかりに、丸山真男の権威に大方の学者がなびき、福澤諭吉は「民主主義の先駆者」として、偉人としてまで祭り上げられ、一万円札の肖像にまでなってしまいました。

 

どう言う訳か私の周囲は慶応義塾出身者が多いのです。

妻の兄、姉の夫、私の弟、小学校以来の親友、勤めたことのある会社の同期入社以来の親友、と揃っています。

で、私は、姉の夫、弟、親友たちに、「福澤諭吉の書いたものをどれだけ読んだことがあるのか」と尋ねました。

私に尋ねられると、全員、にやにやして困った表情を浮かべて、「いや、ま、学問のすすめくらいは」「あまりな・・」「学問のすすめの最初の方は読んだかな」などと、実にあやふやなことを言います。

私の弟は中学(中等部)から大学まで慶応なのに、私に言いました、

「兄ちゃん、それはむりだよ。中等部の時に、福翁自伝の一部を授業で読まされたけれど、慶応出身の人間みんなに聞いてご覧よ。福澤諭吉の書いたものを色々読んでいる人間なんか、いやしないって。いたとしてもほんの一つまみだけだよ」

私は、私の身の回りの慶応義塾出身者が、特別に怠惰な人間だとは思いません

他にも、慶応義塾出身者に同じ質問をしましたが、みんな、私の身の回りの慶応義塾出身者と変わらないか、それよりひどい人間もいました。ある人間は私に尋ねられて「慶応卒だからといって福澤諭吉とは関係ありませんよ」と言いました。

慶応義塾出身の人間達でも、福澤諭吉の書いたものをろくに読んでいない。

であれば、世間の人たちが福澤諭吉の書いたものをきちんと読んでいる訳がない。

これから考えるに、権威ある学者とされる人たちが、福澤諭吉を偉人であると持ち上げれば、世間の人たちはその学者達の権威に盲従して、福澤諭吉を偉人として祭り上げただけなのではないか。

福澤諭吉を偉人として意識的に祭り上げた人たちの中には、福澤諭吉が「国家主義者」「天皇主義者」「国権拡張主義者」「侵略推進主義者」であるから、偉人とした人がいるだろう。

そう言う人間が、福澤諭吉を一万円札の肖像に使うことを決めたのだ。

しかし、世間一般の人たちは、福澤諭吉を「民主主義の先駆者」「市民的自由主義者」だから、偉人と思い込んでいるのです。

そういう人々の思い込みは、「学問のすすめ」初編をきちんと最後まで読むだけで、崩れるはずなのに、大半の人たちはそれすら読んでいない。

まして、私がこの本で取り上げた福澤諭吉の書いたものを読むはずがない。

私は、世間一般の人たちに福澤諭吉の真実を知ってもらいたい、と心から願ったのです。

それには、安川寿之輔氏の本を読んでもらうことがいちばん良い。

日本人全員が、安川寿之輔氏の本を読むべきだ。

私はそう思います。

しかし、安川寿之輔氏の本は学術書です。

私の妻や姉弟達のような、世間一般の人間にとっては、取っつきにくい。

しかも、安川寿之輔氏の本に取り上げられている福澤諭吉自身の文章も、氏の議論に必要な部分だけで、文章全体が見渡せない。その上、福澤諭吉の生の文章そのままだ。

福澤諭吉の文章は平明だが、さすがに明治時代の人間の書いた文章は、今の人間には読みづらい。

これでは、世間一般の多くの人たちに読んでもらうのは容易なことではない。

ではどうすれば良いか。

 

散々考えたあげくに、「おお、私は漫画原作者ではないか」と気がつきました。

安川寿之輔氏の本を漫画と漫画の原作のハイブリッド形式にまとめれば、世間一般の人たちも取っつきやすいのではないだろうか。

一九七四年以来、漫画の原作を書き続けてきたことが、役に立つといました

そこで、この本を書き始めたというわけなのです。

 

さて、何時もの通り長々しい文章になりました。

今回は、これで終わりにします。

 

 

読者のみなさんが知りたい「美味しんぼ」のつづきはどうなるのか、と言うことに対しては、次の回でお答えします。

ただ,今度福沢諭吉を批判する本を出せば、今まで以上に雁屋哲は攻撃されると思います。

原発問題どころではないだろうと恐れます。

で、このブログの再開の最初に私の思いを詩の形で書きます。

これから、この気持ちでブログを書いていきます。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

「流されない」

 

濁流の中に

流されず 残った岩がある

その岩の上に

私は立っている

 

濁流は

世間様の流れ

時代の流れ

 

私が立ち続けていることに苛立つ

憎悪が流れてくると

私の立つ岩に激しくぶち当たり

憎悪の水しぶきは私の全身を包み込む

足元が揺らぐ

 

それでも

私は立つ

流されない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雁屋 哲

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