Shock Doctrine
(今回も、読者のご指摘で、二点、過ちを訂正しました。いつもに変わらぬ読者諸姉諸兄のご親切にお礼を申し上げます。どうも、誤植や勘違いなど、恥ずかしい事が続きますがお見捨てなきようお願いします。)
Naomi Klein(ナオミ・クライン)の「Shock Doctrine」(ショック・ドクトリン)は2008年に出版されて評判が高く、世界的なベストセラーになった。
日本語にも翻訳されて、あちこちで取り上げられた。
6年前の本を、どうして今更取り上げるのかというと、今の日本の社会の状態がナオミ・クラインの言う「Shock Doctrine」に寄る政策が実際に行われているのではないかと、疑うからだ。
ナオミ・クラインは1970年生まれのカナダのジャーナリストである。
2000年に「No logo(Taking aim at the Brand Bullies)、日本語訳「ブランドなんか、いらない」(はまの出版社刊)」を出版し、これも世界的なベストセラーになった。
ナオミ・クラインの言う「Shock Doctrine」とは一口に言って、自然の大災害、戦争などの災害などが起こった時にそれまでの世界が破壊され、人々が呆然となっているその隙を突いて、それまでなら人々が受け入れがたいような、社会的・経済的変革を一気に行ってしまう、と言うことである。
その変革を行うのは、Corporate(企業)=Capitalist(資本・資本家)である。
企業に利益をもたらすような、社会的・経済的変革を、災害を利用して行ってしまうのである。
この、「disaster capitalism」(災害を、儲かる市場を作り出す好機として利用する資本主義)は、世界的に有名な経済学者で、ノーベル賞も受賞したMilton Friedman(ミルトン・フリードマン)の考えが元になっている。
《ここで、言い訳です。
ここで引用しているナオミ・クラインの文章は、私がPenguin Book版で読んだものを、私が理解しやすいように、意訳も交えて、日本語に変えた物です。
このナオミ・クラインの「ショック・ドクトリン」は日本語訳が出ていますが、私は、その「日本語訳版」を今の段階で手に入れることが出来ず、仕方が無くPenguine版をここに使うしか方法はありませんでした。私の場合、原文の逐語訳ではなく、自分の理解し得たように、内容を読み替えてもいます。意味は間違いなく掴んでいるつもりですが、私と逆に英語版が手に入りづらい方、逐語訳、あるいは権威のある翻訳書を読みたい方は、日本語翻訳本をお読み下さるようお願いします》
フリードマンの考え方の基本は、ナオミ・クラインが書いたように、「Laissez faire」(フランス語で、『するがままにさせる』という意味)、要するに、
「政府による企業に対する規制を全て取り除き、企業が自由に経済活動を行えるようにすれば、全ての経済活動が円滑に動き、結果的に、今より良い社会が出来る」
と言う考え方である。
フリードマンの考え方に寄れば、現在国が管轄している公的事業も全て、国の規制から自由になって、民営化することが必要である、と言うことになる。
(ミルトン・フリードマンについては、経済学の専門家が色々と難しいことを書いている。
私のように経済学をきちんと学んだこともない人間がフリードマンについて語ると、間違いだらけになる。
ここは、ナオミ・クラインの説くところのフリードマンをなぞることにする。これで、十分にミルトン・フリードマンの議論の本質は捉えられると思う。
ミルトン・フリードマンについて詳しく学びたい方はそれこそ山のように解説書などがあるので、そちらを参照して頂きたい)
ミルトン・フリードマンのFree Market理論(自由市場理論)をかいつまんで言えば、次のようになる。
Free Market(自由な市場)は、完全な科学的なシステムである。
Free Market(自由な市場)の中で、個人は自分の利益と欲望に従って動けば、全体のためにも最大限の利益を創出する。
生態系が自律的に生存を調整するように、市場を自分自身の自律に、任せておけば,労働者が自分の作る商品を自分の賃銀で買えるような市場になるだろう。
豊かな雇用があり、無限の創造力があり、インフレーションはゼロという楽園になるだろう。
もし、インフレーションや失業の増大などと言うことが起こったとしたら、それは市場が完全な自由市場でなかった事によるものだ。
その市場の自由を妨害する物、市場のシステムを歪める物、それは、政府による企業に対する規制、である。
そのような大企業に対する規制を取り除けば、我々はその自由市場の中で、幸せになれると言うのがフリードマンの主張である。
フリードマンは次のように主張する。
1)最初に政府がするべき事は、企業が利益をあげるのに邪魔になる全ての規則や規制を取り除くことである。
2)つぎに、政府の持っている資産は全てその資産を用いてより多くの利益を作り出すことの出来る企業に売りはらうべきである。
(日本の郵政事業、鉄道事業、タバコと塩を売る専売公社のように)
3)政府はドラマティックに社会保障制度を切り捨てるべきである。
もう、ここまでで、心臓が口から飛び出してしまうような衝撃を受けた方達が多いと思うが、フリードマンは更に続ける。
気をしっかり持って読んで下さいよ。
4)税金は低い方が良い。それも、富める者貧しい者も、同じ率でかけること。
5)企業は自分の製品を世界中どこでも自由に売る事が出来ること。
6)全ての商品の値段は、労働賃金に至るまで、市場が決めること。
7)最低賃金制度は認められない。
8)更に、民有化について、フリードマンは、健康保険、郵便、教育、年金、さらには国立公園までもそれを用いて利益を上げて運営することの出来る企業に売り渡せと言っている。
ここで、気を失ってはいけてない。(私は、この文章を読んだ後立ち直るのに、ずいぶんの時間がかかったが)
フリードマンは更に言う。
8)政府は地方の産業や地方の所有を保護してはいけない。
9)労働者と政府が公共の費用で、一生懸命何十年も掛けて作り上げ築いた資産を売れという。
フリードマンが売れと言っている資産は、長い年月を掛け公共の金を投資し、ノウハウをつぎ込み、結果として価値の有る物になった物である。
フリードマンは,このような共有財産は原則的に、民間に委譲するとしている。
要するに、フリードマンは純粋な資本主義で世界を覆うことが人類にとって一番良いことだと考えているのだ。
フリードマンの考えは、強者による身勝手な考え方であり、実際社会における人間の真の姿に対する考察を全く欠いている。
公共の福祉まで、利益を上げる物にする、となると、公共の福祉などと言うものはなくなってしまうではないか。
フリードマンの考えは、金持ち=資本家が自由勝手に振る舞って自分たちの財産を増やすのには都合が良いが、金には縁のない一般市民にとっては悪夢そのものだ。
このような、金持ち=資本家の身勝手な振る舞いを制限し、競争社会で後れを取った者達に対して救済策を立てて実行しようというのが、最近になって日本でも実現の数歩手前まで進んだ福祉国家と言う考え方だろう。
ナオミ・クラインは、言う。
フリードマンはいつも、経済学は科学である、とか数学を持出してきて胡麻化すが、フリードマンのヴイジョンは多国籍企業の利益と一致する。
多国籍企業は巨大な規制のない市場を 欲しているからである。
資本主義の初期の段階では、資本家たちは、北米、南米、アフリカ、インド、中国などを発見したと称して、その土地に乗り込み、その自然の産物をその土地の住民たちに、なんら見返りも与えず奪ってきた。
フリードマン一派が現在行っているのは,「福祉国家」「大きい政府」に対する闘いである。
この闘いは資本家にとって手っ取り早い利益を約束するものだが、今回は新しい土地を征服するのではなく、国自体を征服の最前線とする。
国のもつ公共財(教育、水道、医療など)を実際の価値より遙かに安い値段でオークションにかけようというのである。
いかにフリードマン一派でも、このような乱暴な政策は常時においては行えない。
そこで、「Disaster capitalism」(災害を、儲かる市場を作り出す好機として利用する資本主義)をフリードマンは考え出した。
一旦災害が起きたら、社会が災害のショックでうろたえている内にそれまでに練っておいた政策を一気に実行に移す。
社会が災害のショックから我を取り戻して、現状にまた戻ってしまうまでに、もう後戻りのできない、変更不可能な政策を実行してしまうのだ。
この大災害は、天災でも、人が引き起こした戦争などの災害でもよい。
こう言う乱暴な行為を日本では火事場泥棒と言って一番軽蔑される行為である。
ノーベル経済学賞を受けたミルトン・フリードマンは火事場泥棒の親玉なのである。
ナオミ・クラインが取り上げている自然災害は、
1)2005年にアメリカの、アラバマ州、ミシシッピ州、ルイジアナ州を襲った「ハリケーン・カトリーナ」
2)2004年に津波に襲われたスリランカ
の例である。
1)「ハリケーン・カトリーナ」の場合、一番甚大な被害を受けたのはニューオーリンズであり、ハリケーンによる高波によって、町の八割が水没した。
ナオミ・クラインが取り上げているのは、ニューオーリンズの教育システムである。
災害以前にニューオーリンズには123の公立学校があった。
それが、避難していた貧しい地区の住民が帰還する前に、公立学校は123から4つに、私的に経営されるCharter Schoolが31になってしまった。
(Charter Schoolとは、我々日本人には馴染みのない言葉だ。
アメリカで1980年くらいから実験的に始められた学校経営のことで、ある達成目標を持ちCharterと言う特別認可を得た団体が経営する学校をCharter Schoolという。
公的な資金援助を受けて作られるが、団体によって運営される私立学校であり、授業料はかかる)
災害以前ニューオーリンズの教師たちは強力な教職員組合を持っていたが災害後、4700人の教師たちは解雇され、そのうちの若い教師たちはCharter schoolに再雇用されたが、給料は減らされ、しかも大多数の教師たちは再雇用されていない。
フリードマンのシンクタンクは「長年かかってもできなかった、ルイジアナ州の教育改革を 、ハリケーン・カトリーナは一日でやってのけた」と熱狂した。
公立学校の教師たちは、災害の被害者を救うための金が公立学校を再建するのではなく、私立学校を建てるのを見て、フリードマンの計画は「教育の横領だ」と言った。
2)スリランカの場合は、2004年の津波に美しい海岸線が襲われて、そのショックで土地の人が立ち直れないうちに、外国の大資本が入って来て、そこを国際的なリゾート地に変えてしまった。
何千人の漁師たちが、それまで自分たちが漁をして生活していた海岸に近寄ることができなくなったのである。
さて、今の日本の状況を考えてみると、日本は2011年の東北大震災のショックからまだ立ち直っていないのではないと私は見る。
あれから丸三年経とうとしているのに、立ち直ろうにも、立ち直れないのが日本の現実だろう。
現実に、四つの原発から毎日大量の放射性物質は放出され続けているし、汚染水もしょっちゅう漏れている。
その汚染は日本全土、全海水域に確実に広がっていて、東京と千葉の間の江戸川のウナギは基準値以上の放射線量を検出され、江戸川の天然ウナギは食べられなくなった。
東京都の金町浄水場近辺の線量も高い。
確実に汚染が広がって行く今の事態はひとびとを不安から少しも解放しない。それどころか、不安は更に深く広がって行く。
こんな危うい状況では、日本人は東北大震災のショックから冷めたくても冷めることが出来ない。
日本人は長く続くショック状態から立ち直れず、冷静な判断力を失っている。
福島以外の県の被災地の人から何度も聞いたが、「立ち直ろうとは思うんだよ、でもなあ、原発があれじゃあなあ」
被災地の人に限らず、一度でも福島の原発の実情を知ってしまった人の心の中には、放射能を吹き出し続ける福島第一原発の姿が居座り続けて、どうしたら未来に向けて溌剌とした希望を懐くことが出来るのか、誰に聴いても答えは返ってこない。
「忘れろ」「気にするな」「心配ないって」「政府を信用しろよ」「日本の技術は世界一なんだ」
返って来るのはそういう声ばかりだが、実はそのような言葉にはとっくに何度もだまされてきた。
日本人の心の中には、あの崩壊した福島第一原発の姿と、「東電」「政府」による、数々の虚偽の発表、ぺこぺこテレビに向かって頭を下げる「東電」「政府」の人々の姿が焼き付いていて、それが、人々の不安のもととなっている。
「いつ何が起こるか分からない、いや、かならず何かが起こるだろう」
この不安な精神状態は日本人がかつて経験したことがないものだ。
総崩れ状態で自滅した民主党政権から、棚からぼた餅状態で政権を手に入れた安部首相は、ショックから冷めることの出来ない国民相手に、それまでだったらとても不可能だった法律を成立させた。
これほどたちの悪い法律は海外にも例のない「特別秘密保護法」を成立させた。
靖国神社を公式参拝し、日本がはっきり右に向かって舵を取った事を世界に示した。
これで、韓国と中国の関係、さらにはアメリカとの関係も悪化した。
憲法96条を改正して、憲法改正自体をしやすくしようという。それは、9条を書き換えて、日本を戦前のように軍事力を周辺国家に振るう国にするためである。
起業に対する税金を減免する経済特区をいくつも作ると言う。
多国籍企業が日本で自由に経済活動が出来るようにするためである。
ホワイトカラー・エクゼンプションと言って、普通のサラリーマンに対する残業の規制などを取り除くという。
これが通れば、日本の会社は全てブラック企業になる。
消費税を10%から20%にまで上げる、と言う。
年金も減らし、国民の医療費負担を増やすという。
こう言うことをするぞ、と安部首相は公言している。
すべて、フリードマンの狙ったとおりの大企業がより大きい利益を得るための政策である。
靖国神社・憲法改正となると、フリードマン上を行くすごさだ。
しかし、国民の反応は鈍い。
読売新聞の調査では、調査対象者の60%が安倍晋三内閣を支持していると言う。
これほど、自分たちの生活を破壊することを公言している首相を支持するとは、どう言うことなのだろうか。
私は日本人の心の中に長く続く不安感が原因だと思う。
不安感の一つは、さっき書いた原発による不安、もう一つは経済的な不安である。
厚生労働省の2013年度の「国民生活の基礎調査」によれば、一世帯あたりの年間平均所得額は、1994年度の664万2千円を頂点として、2011年度には、548万二千円に下落している。
一世帯あたり120万円近くの減収は厳しい。(この統計は、富裕層も低所得者層も一緒なので、中間所得者層、低所得者層はもっと厳しいものがあるだろう。)
この、経済的不安に加えて福島の原発事故である。
ナオミ・クラインの説く「ショック・ドクトリン」はハリケーンや戦争、クーデターなどの災害による「ショック」で人々がうろたえて判断力を失っている時に、大急ぎで常時では受け入れられない過激な政策を施す、と言うものだが、そのように、人々がうろたえ、判断力を失うのは、ハリケーンの災害や、戦争やクーデターなどによる短期的な一過的なショックだけではない、と私は思う。
日本人は、1994年から2011年までに、一世帯あたり120万円近くの収入減という経済的ショックに加えて、福島原発の事故で、自分たちの住む国土自体が危険にさらされると言うショックを受けた。
二つとも、ハリケーンによる災害のように一過的で短期的な物ではない。
じわじわ、長く、深く続く不安である。
この、長く深く続く不安は、ハリケーンなどの災害による「ショック」より、人の心を強く押しひしぐ。
フリードマンは、そのような災害などの「ショック」が起きたら、人の心が通常の状態に戻らないうちに、大急ぎで過激な政策を実行しろ、と言ったが、要するにフリードマンが必要としたのは、人々がうろたえて判断力を失っている状況であって、普通ならすぐに人は日常の意識に戻る。
しかし、日本のばあいフリードマン一派は慌てる必要はない。
長引く不況に加えて福島の原発事故で、日本人の心はうろたえ、いまだに正常な判断力を失っている。
「ナオミ・クライン」の「ショック・ドクトリン」で取り上げた「ショック」の例の一つに、現在の日本を私は付け加えたい。
長く続く「ショック」はあるのである。
「ナオミ・クライン」は、ニューオーリンズやスリランカのように単純な経済政策だけでなく、チリのアジェンデ政権の転覆、インドネシアのスハルトのクーデターなど、政治政策にも「ショック・ドクトリン」が有効であることを語っている。
安部首相はアジェンデを倒した,ピノシェ、あるいは、インドネシアのスハルトのような政策を、長いショック状態にある日本人に対してやすやすとやってのけられるだろう。
日本人はいつこの「ショック」状態から抜け出して、まともな判断力を取り戻せるのだろう。