雁屋哲の今日もまた

2012-12-12

部落差別について

私は、七歳の時から東京に住み、その後鎌倉に引っ越したが、人生の大半を東京・神奈川で過ごした。
従って、私の友人知人の殆どは東京・神奈川県の人間であり、大学に入って初めて、その他の地域出身の人間と知り合った。
こんな生き方をしていて、しかも、生活範囲も極めて狭かったので長い間私は「部落差別」について、言葉も知らず、その意味も知らず、そのようなことが日本に存在することすら知らなかった。
これは、私に限らない。互いに六十歳を過ぎた頃、私の小学校、中学校の同級生達に尋ねたが、自分たちが子供時代に「部落差別」という言葉を知っていたと言う人間は皆無だった。(いい加減な土地だったのかな。東京の田園調布というところは)
概して、東京近辺の人間には「部落差別」という言葉は耳になじみがないのではないだろうか。(もっとも、江戸時代に「非人」という言葉が普通に使われていて、浅草弾正という非人頭の存在も知られていたのだが)
だから、私は中学生の時に島崎藤村の「破戒」を読んだ時に、その意味が全く分からず、まるで別の国での出来事のようにしか思えなかった。
大学に入る頃には、日本の社会についての知識も増え、部落差別と言うことが日本に存在することも、明治維新以後「水平社」という部落差別に対する戦いを続けて来た組織があることも学んだ。
とは言え、それはあくまでも頭の中の知識として知ったのであって、それも、他人事の問題として知ったのであって、自分自身に関わる問題として捉えることは出来なかった。
アメリカなどでの黒人差別に対しては強い反感を持ち、一般的な人種差別に対しては強い反対意識を持ちながら、自分の国内での「部落差別」に対して全く無智だったのである。

三十歳の半ばに、京都に行ったとき、タクシーの運転手さんにいろいろと京都市内を私の知らないところまで案内して貰ったが、あるところに来て、彼は言った、
「見て下さい、この道から向こうは別の世界です」
私は、彼の言葉の意味が分からず「どう言う意味なんですか」と尋ねた。
彼は、非常に率直な人間なので、はっきりと答えてくれた。
「部落ですよ。この道から向こうは部落なんです。京都の普通の人間は部落の人達とは付き合いません。私も、子供の時に、この道からむこうの子供達とは遊んではいけない、と言われていました。」
私は、心底驚いた。
「夜明け前」は単なるフィクションでもなく、百年前の話でもなく、現在の京都には厳として「部落差別」が存在するのだと言うことを、そのタクシーの運転手さんの言葉、態度からはっきりと理解した。

それまでにも、「部落差別」という言葉は聞いていた。
1963年には「狭山事件」が起こった。
埼玉県の狭山で女子高校生が殺害されたが、その犯人として死刑を宣告された人間が、部落出身故に罪を被された冤罪事件だとして、当時有名な作家などによって警察や検察に対する強い批判が行われた。
(1984年に被告とされた男性は仮出獄をし、無実を主張し再審を要求している)

漫画の世界でも、ある人気漫画がその登場人物の名前を、ある被差別部落の人間が多く通う中学の卒業名簿から取ったとされて、連載中止になった。

そんなことはあったのだが、目の前で、「ここから先の道は被差別部落です」と指し示された衝撃は私にとって大きかった。

「そんなことが実在するのか」という驚き、そういうことの存在を身近な物として捉えてこなかった自分自身に対する人間としての怠慢に対する驚き、二重の驚きに衝撃を受けたのだ。

私は、人が人を差別すると言うことが理解出来ない。
反対するより以前に、人が人を差別する理由が分からないのだ。
肌の色の違い、宗教の違い(無宗教も含めて)、体つきの違いなど、個々の人間の違いは分かる。
しかし、その違い故にその人間の人格を否定するような差別をする心理が分からない。
もし、相手が私に対して攻撃を仕掛けてくれば、それがどんな人間であろうと、私は自分を防御するために相手と闘う。
しかし、何も相手が自分に対して攻撃を仕掛けないのに、相手を敵、あるいは敵に準ずる者、あるいは自分以下の存在として扱う理由がない。
だから、差別という考え自体が私には理解出来ないのだ。

百歩譲って、自分自身と少しでも違う人間は自分とは区別して(差別と区別とは違う)て、敵あるいは自分以下の存在と見なすことがあり得るとして、(人種偏見の根底的な感情である)、同じ国に住み、同じ祖先を持ち、同じ言語を話し、肌の色も体格も私自身と何一つ違うことのないいわゆる「部落」の人間を、私はどうして差別できるのか。
これが、もう、私には全く理解不能のことなのである。
差別がよいとか悪いとか言う以前に、差別自体が不可解だ、と思う。

歴史を読むと分かるが、つい最近まで「奴隷制」が存在していた。
旧約聖書にも奴隷の存在自体を認める記述が沢山あるから、四千年以前から人類は奴隷制度を持っていたことが分かる。
昔の国家制度は、現在のように「国民によって作られる国民国家」制度ではなく、権力者が作る国家だったから、戦争によって相手の「国」を打ち破った者は、打ち破った国の住民を自分の思うように処理して良かった。

私の大好きな小説、アレクサンドル・デュマの「モンテ・クリスト伯爵」の中にも、モンテ・クリスト伯爵に忠実なアリという僕は、モンテ・クリスト伯爵が購入した黒人奴隷であり、モンテ・クリスト伯爵の最後の愛人となるエデも伯爵が奴隷市場で手に入れた者として描かれている。
この、「モンテ・クリスト伯爵」が書かれたのは、千八百年代前半(ナポレオンの後)のことである。
その時代には、フランスでも、奴隷(黒人・白人を問わず)の存在を読者はなんらいぶかしい物に思わなかった証拠である。
「奴隷」にされた人間は、その人間自身に何の咎もない。
単に、戦争に負けた、武力に負けた、と言うだけのことである。
これから見えて来ることは、奴隷を持った人間は、武力が奴隷にした人間達より強かっただけの話だということである。
弱肉強食が奴隷制度を生み出したのだ。
人類の歴史を見ると、武力の強い人間が道徳的に正しかったことはないと言って過言ではない。

そもそも、「歴史」は戦いに勝ったものだけが書くことの出来る物であるから、最初から戦いに負けた方の言い分は一切書かれない。
だから、奴隷にされ方の言い分は全く後世に残されていない。
唯一と言って良いのは、アメリカのアレックス・ヘイリーによって書かれた「ルーツ」ではないだろうか。
と言っても、ヘイリーの祖先達に言い分も何もありはしない。
アメリカや中南米の黒人奴隷のの場合は、アフリカの黒人は何ら欧米の白人達に戦争を仕掛けた訳ではなく、一方的に狩猟のようにして狩られて連行されてきたのだから、ヘイリーの「ルーツ」は如何にアフリカ人たちが、欧米の白人達によって非人道的にアフリカから連れ出されたかを描いたものでしかなく、ヘイリーの祖先たちに取っては、いきなり、奴隷狩りにあって連行されたと言うだけのことである。

日本の「部落民」もそのように、時の権力者によって普通の人間が持つ事のできる様々な権利を奪われた人達である。
その「部落民」が他の一般的な人達と異なるところは何も無い。
時の権力者から人間として権利を奪われたと言うことだけで、貶められた人達である。
例えば、江戸時代には、幕府の定めた法律に背いた者は「非人」という「人間としての人格を認められない存在」としての枠に入れられた。
この枠の設定は、時の権力者による全く恣意的なものでしかなく、枠に入れられた人間の、人間として人格、尊厳、とは全く無縁のものだった。

権力者は、自分の権力の及ぶところの人間全てに、自分の意志を守ることを要求する。
それは、どう言うことかというと、「部落民」「非人」として権力者が権力を奪った人間に対しては、自分の支配下の人間も権力者の意志に従って権力者と同じように振る舞えと言うことである。
権力者のいうことを聞く人間、権力者の言うことに従順な人間、すなわち、私やあなたたちは権力者の決めたとおり、「部落民」「非人」に対して差別を続けなければならないと言うことである。

思い起こして欲しい。江戸時代は「士農工商」そして、その下に「非人」という階級制度を人々に課していた。
この、人々の間に階級を設定する制度こそ支配階級に便利なものはない。
階級の下ものものは階級の上のものに従え、しかも、一番下の階級のものがその制度に対して不満を言おうとすると「安心せよ、お前たちより、もっと下に『非人』があるから」ということになる。
「非人」階級は、最初から武力で押えつけられているから、文句の言いようもない。
自分より下の者がいる、と言う意識は、封建時代の最下級の貧しい者達にとっては、ある意味で支えになっていて、階級制度の不満を少数派である「部落民」「非人」に ぶつけることで、階級制度の最下層の人間の不満を解消させる働きがあった。

人間の間の階級制度は、古い制度の社会の支配者には有利なのものであるが、民主主義の世の中では通用しないはずである。
それが、未だに日本で「部落民」に対する差別が横行していると言うことは、日本は本当の民主主義の国ではない、この国の実権を握っているのは、我々一般民衆では無いと言うことを示している。
我々が、部落民、在日外国人に対して差別をするときに、たとえ自分自身が自発的に差別を行っていると思っていても、それは、我々を上から操っている権力に踊らされているのだと言う事実を認識する必要がある。

さて、今、誰が我々の世の中を実効支配しているのか、それについてて語るにはこのページはふさわしくない。
もっと別の所で、こってりとやらかそう。
この長い間生きて来て、皆さんの知らなかったこと、わざと知ろうとしなかったこと-、知ると怖いと思って考えないようにしててきたこと。
そういうことは後で語る。

読者諸姉諸兄にお願いしたいのは、平等に言うことをいって、拒否された、むかつく態度取られた、脅かされた(実はこれが一番多い、)と言うような、時にどうするかです。
絶対に相手の土俵に乗ってはならない。
私たちは、権力側を批判するが ケンカをする気はない。
お互いに真実をゆるゆると、語り合いたい。
相手も同じ日本人だろう。論理を尽くして語り合おう。

さて、ここから、10月26日号の週刊朝日の、佐野真一氏の書いた記事に話を移す。

この記事に対しては、橋下氏が極めて強い反発を示し、週刊朝日編集部が部落差別をしたと主張し、週刊朝日編集部は全面的に橋下氏の主張を受け容れ、連載を中止し、編集長も更迭し次の号で見開き2ページを使って謝罪した。

この件が、今回私に部落差別に対する文章を描かせる元となった。

私は前にも書いたように自分自身部落差別というものを肌で感じたことがないので、私の言うことは、実際に差別を体験している人達からすると、抽象的に過ぎると思われるだろう。

しかし、私のような部落差別という事実から遠い人間だからこそ客観的に言えることがあると思って、敢えてこの文章を書いている。

部落に対する差別は私たちの世代で必ずなくさなければならない。こんなものを、次世代に持越したら、末代までの恥だ。
部落差別は、ただの歴史上の事象に還元するべきだ。

ただ、今回の週刊朝日問題での橋下氏の態度は間違っていると私は思う。
折角の機会だ。部落問題を徹底に討論する場を作るべきだったのではないか。
あのように、ただ怒りを爆発させる態度であれば,これから、部落問題を取り扱う人間はいなくなる。
みんな、触らぬ橋下に祟りなしで、これで部落問題はをたんに「触れたらいかんのじゃ」「戦中のご真影に触れるのと同じやで」「触ったらお終いやど」「最悪のタブーやないけえ」となって、部落問題に対する議論を封じられ、これではなんら「部落問題」を解消するための根本的な議論に導かない。

橋下氏は折角の機会だったから、部落差別の本当の所を述べて、部落差別自体の下らなさ、非人間性を追及する可きだったのでないか。

全国に何十万人もいる全く無意味な部落差別で苦しんでいる人達に強い力を与える絶好の機会だった。
それを、週刊朝日と,佐野真一氏を叩くだけで終わってしまった。
本当に、差別の問題を考えるなら、この件を自分の選挙潰しとだけとらえす、問題をもっと発展させて日本にはびこる部落差別問題を取り上げれば、それだけで立派な争点になり、上手く行ったら、日本一の民主政治家として歴史の教科書に、何百年も乗り続ける立派な政治家となっただろう。。
今の様な、橋下氏の態度をとり続けると、差別を根底からなくそうとする人間は橋下氏から離れ、逆に橋下氏自身、すりよっきてた日本一の差別男と一緒に思いもよらぬことを口走るのではないか。

雁屋 哲

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