雁屋哲の今日もまた

2012-01-24

日本の底力

震災以後、ろくな話がないのだが、私自身体験した、日本の底力について話したい。

2011年12月に小学校の同級生達と、大阪旨い物探訪旅行に行った。

このページでも何度も出て来るが、大田区立田園調布小学校の六年二組の同級生達とは、小学校の時のままの楽しいつきあいを続けている。1956年卒だから、年齢はお察し下さい。(私は、病気で二年遅れているので、同級生達より二歳年上です)

同級会は年に数回開かれます。さらに、正式な同級会とはしないで、都合の良い者どうしが集る会は頻繁に持たれている。

そして、年に一回は、旅に行く。

2011年は12月に大阪に旨い物食べの旅行に行った。

いつもは参加者の人数が10人を超えるのだが、今回は都合が悪くなった人間が多く出て、最終的に9人という小人数になってしまった。今まで一番人数の少ない旅行だった。

大阪で私たちが楽しんだ食べ物話はまた、次の回にして本題を進めよう。

 

12月1日、朝、我々六年二組の仲間は東京駅に集合した。

大阪へ新幹線で行くのだ。

新幹線の切符とホテルの手配は、六年二組のIT技師長サヨポン(本名・佐世子)が済ませてくれていて、私を除く他の仲間はすでにサヨポンから切符を受取っている。(ネットで新幹線代とホテル代こみで買うと、普通に買うより遙かに安くなる。この辺の技がIT技師長サヨポンの腕の冴えで、私たちには、一体どこをどうするとそんな手品みたいな事が出来るのか、さっぱり分からない。)

私の漫画に良く出て来るドカンとサヨポンが相談の結果、「トッちゃん(私のこと)に前もって切符を渡すと必ず失くす。当日駅で手渡さなければ駄目だ」と言うことになって、みんなは直接新幹線乗り場に行ったのに、私はドカンと東京駅の「銀の鈴」の待ち合わせ場で会い、そこでドカンから切符を貰うことになった。

私はこれまでに様々な失敗を重ねて来たので、六年二組の同級生達の信用を完全に失っている。

「トッちゃんは絶対どじる」とみんな確信している。

そう言う訳で、他の仲間はさっさと新幹線乗り場に行ったのにドカン一人だけ、私のために、「銀の鈴」待ち合わせ場で私を待っていてくれたのだ。

今まで、私の漫画にドカンは何度か出て来る。

本人は、「漫画に書かれた自分よりも、本人の方がずっと色男だ」と主張するので、今回特別に、ドカンの姿をお見せしよう。

 

我らのドカン

 

さて、そこでドカンに切符を貰い、新幹線乗り場に行き、そこで他の仲間達と合流して、男共とは「よお、よお、やあ、やあ」と挨拶を交わし、女性達とはハグをし、旅行出発の時の、あの浮き浮きした気分が盛り上がった。

何歳になっても、旅行出発前のあの気分の盛り上がりと言ったら、たまりません。小学校の遠足当日の朝の気分を思い出してください。

みんな孫がいる歳なのに、会うとあっという間に全員小学生に戻ってはしゃいでしまう。

騒いでいる内に、新幹線が到着しました。

全員乗車しました。

それぞれ、自分の切符に書かれた指定席に座る。

ぎゃお、ここで、大問題発生。

私の切符がない。体中くまなく探したが、どうしても、見つからない。私は切符を失くしてしまったのだ!

同級生達全員が慌てたが、サヨポンが「この辺9つの席は私たちが予約してあるから、みんなが座ったあとに空いた席が、トッちゃんの席よ。取りあえずその席に座っていなさい」と言った。

確かに、私以外の8人が座ると、1つだけ空席が出来た。

そこが、私の買った切符の席らしい。

運良く、サヨポンの隣の席で、「もう、本当に仕方がないわね」と怒られながら、神妙に座った。

しかし、切符がないと大変に不安な物である。

ドカンは、頭を抱えて

「ああ、あそこでトッちゃんに切符を渡したのが間違いだった。大阪まで、僕がずっと持っているべきだった」と嘆く。

こちらは、一言もない。大変に居心地が悪い。

私は、一体どこでドカンに貰った切符を失くしたのか、必死に考えた。

そこに、改札の乗務員が回って来た。

みんなの改札が進み、私に順番が回ってきたところで、やおら私が「実は、私、東京駅で切符を失くしました」と言ったら、「むむっ」と厳しい顔になった。

そこで、私は、はっと思いついた。

「あ、改札口を入ったところに『オーガニック・サンドウィッチ』と言う店がありました。

私はそこで、オーガニック・サンドウィッチとは一体どんな物か、眼鏡を胸のポケットから取り出して、点検しました。

その時、眼鏡を取り出す際に、切符が眼鏡と一緒に飛び出してその店の床に落ちたんだと思います」

と、乗務員に言った。

乗務員は、うなずいて、「そうですか、それでは、東京駅に確かめてみましょう。取りあえず、ここに座っていてください」と言って、車内の他の席の改札に向かった。

同級生達は、がっかりして、「そんなところで、切符を落としてもそれがいつまでも残っているはずがないじゃない」「それを、鉄道会社の人が探しに行くなんて考えられないよ」などと言う。

「いいよ、じゃ、新しく切符を買い直すよ」と私が言うと。サヨポンに怒られた。

「同じ指定席の切符が手に入るとは限らないわよ。しかも、私が買った方法じゃなくて、普通に買うと凄く高いのよ」

そう言われて、私もへこんでしまった。

折角の、楽しかるべき大阪旅行も、初っぱなの私のどじで、同級生達も意気阻喪して、いつもの賑やかさがなくなってしまった。

私も

「どうして、おれはいつもこうなんだろう。身の回りのもの、手に持った物を、一体幾つ失くしたことか。中には、大分時間が経ってから、『あれ? そう言えばあの物はどこへ行ってしまったんだろう』と気がついたが、その時は既に遅く、見つからず仕舞い、と言う物も数多い。

おれは、人生の落伍者だ。救いがない欠陥者だ。もう、生きていてもしようがない、死んでしまおう」

どうやって死のうかと考えているところに、乗務員が戻ってきた。

「東京駅に確かめたら、確かに、『オーガニック・サンドウィッチ』の店に、お客さんの切符が落ちていました。

お客さんが、ちゃんと切符を買って乗車されたことがはっきりしました」

私たちは、驚いた。

「ええっ、本当に、あったんですか」

「お店に確かめたの」

乗務員は、柔和な表情のまま、淡々として紙片を私に渡して言った。

「新大阪で降りるときに、改札口でこの紙を渡してください。それで問題ありません」

私は、その紙片を手にして驚いた。

(紙片には乗務員さんのお名前も書かれている。本来はプライバシーを守るためにそのお名前の部分を消さなければならないのかも知れないが、今回のような有り難いことをして下さった方のお名前を公にしても、問題ないだろうと判断して、そのまま載せます。

問題があったら,ご一報ください。直ちに、訂正します)

命の助けの証明書

 

「ええっ、これで、いいんですか」

「これは切符の代わりです。大丈夫です」

私は、お礼を言ったが、乗務員は何事もなかったかのようにさっさと別の車輛に移っていった。

その紙片は、同級生達の間に回った。

一同感心した。

「へえ、こんな用紙があるんだ」

「なくした切符を良く探してくれたね」

「良かったね、トッちゃん」

ドカンは、納得いかない風に言った。

「最初から、トッちゃんに切符を渡さずに僕が持っていたらこんな騒ぎにならなかったんだ」

ドカンの言うことは正しい。

しかし、お陰で私は大変な経験をさせて貰った。

私が切符を失くしたことで、ちょっと気分が沈んでいた同級生達もたちまち元の浮き浮きした気分を取り戻して,話が弾んだ。

おかげで、その後の旅行も愉快に楽しく進行した。

 

私の言いたいことはここからだ。

私は少なからず海外を旅したことがある。

主に、欧米の経験から言うが、今回の私の場合のように「切符を失くした」と言っても、十中八九、相手にされないだろう。

有無を言わさず、「新しい切符を買いなさい」となる。

大変に親切な場合でも「では、その切符を持っていたという証拠を見せなさい」と言うことになる。

運良く、私が、その切符のコピーでも持っていれば、認めてくれるかも知れない。

しかし、切符のコピーを取ってから列車に乗るなどと言うことは、まずあり得ない。

乗車料金を改めて取られるだろう。場合によっては、「怪しい」と疑われて車両から降ろされてしまうこともある。

それが、海外での常識である。

 

今回の出来事で、私が、凄いと思った事を列挙する。

1)切符を持っていない私に乗務員がいきなり別料金を課さず、席をどけとも言わず、其の場に留まるのを許したことが凄い。

2)その乗務員が私の言葉を信じて、「東京駅に確かめよう」と言ったことが凄い。

3)実際に乗務員が車内から東京駅に電話をかけて確かめることが凄い。

4)東京駅の係員が、列車の乗務員の要請を聞いて、私の切符が本当にその店にあるかどうか、確かめに行ったのが凄い。

5)その店の人間が、私の落とした切符を保管していてくれたことが凄い。

6)東京駅の係員が、列車の乗務員に「切符があった」と報告し、それで私が正当に切符を買って列車に乗ったことを認めてくれたことが凄い。

7)その報告を受けた乗務員が、直ちに書類を作り、その書類の写しを乗車券代わりに私に渡したことが凄い。

(あとで、私の友人にこの件を話したら、「写しが正式の書類なんですよ。ボールペンで書いた物は改竄できるが、カーボンコピーした物は改竄できないでしょう」と言われて、目から鱗が落ちる思いがした。それでは、あの乗務員が私にくれた書類は実に価値の有る物だったのだ)

8)以上の流れが円滑に進んで、一人の乗客の窮地を救ったと言うことが凄い。

 

何をくどくどと大げさなことを言うのか、と思われる方は、日本の社会の心地よさに浸っていて、その有り難さが分かっていないのだ。

1)から8)までにあげた、それぞれのことが、きちんと行われる社会というのは、世界中探しても、滅多にある物ではない。

 

私は、日本の底力、と言った。

その底力とは、上に挙げた1)から8)までの規律の取れた動きのことを言うのかと、思った方はまだ考えが浅い。

 

私が、心底驚いたのは、乗務員に貰った書類の写しだ。(友人によれば、書類の真物)

私は、このような書式が存在することに驚いたのだ。

なぜ、驚くのか。

それは、こう言う書式が存在すること自体、新幹線の会社が、乗客に対する「信頼」を基本的な物として持っていることの証しだからだ。

乗客を信頼しなければ、切符を持っていない乗客は最初から相手にしない。失くしたと、と言っても信用しない。

それならば、あんな書式の書類を用意するはずがない。

しかし、新幹線の会社は、乗客を信頼するという基本的な態度があるから、あのような書式の書類を作り、乗務員全てに持たせているのだ。

乗務員は、今回の私のような問題が起きたとき、直ちにその非をとがめるのではなく、まず言い分を聞く。

そして、その言い分が正しいかどうか確かめる。

これは、基本的に客に対して「信頼する」、と言う態度がなかったら、あり得ないことである。

世界中どこへ行っても、まず人を疑ってかかる、疑心暗鬼の虜になっている人々が圧倒的に多い今の時代に、素性も分からない乗客をまず信頼するという、新幹線の会社の基本的態度は驚くべき物である。

私は、感動した。

そして、この相互「信頼」こそが日本の底力だと気がついたのだ。

2011年3月11日以来、東電・政府・東電に餌付けされた学者達、のあの無責任で醜悪な姿を見ていて、日本という国に対して自信を失いかけていた私だが、今回の切符紛失事件で、「信頼」という物が、如何に日本の社会を力強く円滑に公正に動かしているのか、それを痛感して、心が和らいだ。

東電と「原子力村」の連中は、この日本人にとって大事な「信頼」を崩した。

早く心を入れ替えて、みんなの「信頼」を取り戻すようにして貰いたい。

日本の社会に色々目を配ってみると、しっかり動いているところは、みなこの「信頼」がきちんと定まっている。

「信頼」こそ、日本人の底力なのだ。

それを今回、新幹線の会社が私に教えてくれた。

 

切符を失くすというドジのお陰で、日本人の底力、と言う物に気がついた。

その後、旅行は大変楽しく、美味しい物を沢山食べて、我々六年二組は幸せでした。

そうだ、私を救ってくれた乗務員さん、ご親切に感謝します。

東京駅の係員の方も、「オーガニック・サンドウィッチ」のお店の方も有り難うございました。

双方の方の親切心は世界に誇るべき物です。

私は、このことを,世界中に自慢して回るつもりです。

皆さんのような方がいる限り、日本は大丈夫です。

ああ、うれしい!

雁屋 哲

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