雁屋哲の今日もまた

2011-08-15

再開しました

さて、この私のブログ、他人様の迷惑も考えずに再開致します。
弟にも注意されましたが、確かに、今までのブログの内容については、例えば「役人のクズ共」などという、汚らしい感情的な言葉を使うことがありました。
そう言う言葉を使うことは、実に物書きとして技術的に未熟な証拠であり、自分の人間性を恥じると同時に、自分の物書きとしての未熟さに恥じ入るばかりです。

これからは、姿勢を正し、油断なく物事を進めて行こうと思っています。

私は長い間「美味しんぼ」という漫画を書いていますが、地方の話題を取り上げることも少なくない。
「日本全県味巡り」というシリーズでは、様々な県の郷土料理・郷土の文化を紹介して来た。
その「美味しんぼ」に登場して頂いた方達の中で、今度の震災に被災した方達がいる。
色々人づてに、その人達の安否を確かめていたが、どうしても自分でその人達に会ってみなければならないと思い、5月30日から、6月3日にかけて、青森、岩手、宮城、の三県を回った。
なぜ肝心の福島がないのか。
それは、驚くべきことだが、今まで「美味しんぼ」で福島に取材に行ったことがないのである。
勿論、個人的には何度も福島に行っている。
そして、福島は、私が日本中で一番好きな県である。
美味しい物はあとで食べようと言う、卑しい性癖のある私は、「日本全県味巡り」で福島を回るのは、もう少し後にしようと大事にとって置いたのである。
まさか、こんなことになるとは夢にも考えていなかった。
どうしてもっと早い時期に、「日本全県味巡り」で福島を取り上げなかったのか、口惜しくて仕方がない。
今のような状況で、「日本全県味巡り」の取材に対する協力を福島の方達にお願いするのはとても無理だから、もっと落ち着いた時期に挑戦したいと思う。

もともと、この被災地巡りは、私の個人的な問題として、青森取材の時に協力して下さった斎藤博之さんにまた助けて頂いて、二人だけでレンタカーを借りて回ろうと計画していた。
その計画を、「日本全県味巡り」の島根県を取材している途中に、いつも「日本全県味巡り」にスタッフとして協力してくれている、ライターの安井洋子さん、カメラマンの安井敏雄さんにうっかり話したら(二人が同じ苗字なのは偶然である。二人一緒にいる時に、どちらの安井さんなのか区別するために、名前で呼んでいるので、此所でもこれからは名前で呼ばせて頂く)、洋子さんも敏雄さんも、「自分たちも行く」という。
「自分たちも取材でお会いした方達だ。その方達が今どうしておられるのか心配だ。どうしてもお会いしたい」という。
二人の熱意に根負けして、同行して頂くことになったが、二人に来て頂いて本当に助かった。
カメラマンの敏雄さんは、レンタカーの運転までしてくれたし、ライターの洋子さんは、道中起こった様々な問題を解決するのに力を尽くしてくれた。

(実は洋子さんも、敏雄さんも、私と斉藤さんと言う凸凹コンビがうろつき回ることを心配されたようだ。私は突発的な行動に出る癖があり、斎藤さんも面白いことがあると飛びつく。そんな二人を野放しにすることを心配してくれたのだろう)
一度、こんなことがあった。
斉藤さんが前もって、宮古のホテルを予約して置いて下さったのだが、岩手県を回り、重茂(おもえ)漁港の取材を終えた時には夜の六時を過ぎていた。
重茂のあたりに宿はないので、宮古まで行かなければならない。
宮古に着くのは七時を大幅に過ぎる。八時を過ぎるかもしれない。
斉藤さんが、ホテルに「遅くなる」と電話をしたら、そのホテルは「五時までに電話をくれなかったから一部屋減らして二部屋にした」という。冗談じゃない。
こちらは、男性三人、女性一人である。
二部屋に泊まる訳には行かない。
今はどうなのか知らないが、その当時は各地からボランティアの人達がやって来るので、東北地方はどこへ行ってもホテルが満員だった。
その宮古のホテルにしても、本来四人なのだから四部屋欲しかったのだが、三部屋しか取れないと言うので、では男三人は二部屋に分かれ、洋子さんは一人部屋にすることで、予約を取ったのである。
それが、突然二部屋に減らすという。
そもそも、斉藤さんは予約する時に五時までに確認の電話を入れるなどと言っていない。
それなのに、一方的に二部屋に減らすという。
予約を全部取り消すというのならまだ話は分かるが(それにしても、五時までに電話で確認するなどという取り決めをしていない)一部屋減らすとはどう言うことだ。
斉藤さんは大変に温厚な方である。
丁寧に、紳士的に、相手の言うことが間違っていることを説いた。
今更二部屋に減らされたら困るから、予約通り三部屋用意してくれるように言った。
最初は女性が電話口に出ていたのが、とつぜん男性に変わって、理不尽にも「そんなこと言うなら、今夜は泊めてやらない」と言い出したのである。
ここにおいて、流石に温厚な斉藤さんも怒ったが、向こうは強気である。どうせ、どこのホテルも満員だとわかっているからである。
私たちは宮古に着いたが、泊まるところがない。
そこで、洋子さんが、重茂でお世話になった宮古市議会議員の方に電話を掛けて窮状を訴えた。
市議会議員の方はいざとなったら自分の家に泊まりなさいと言って下さったが、それは、あまりに心苦しい。
そこで、市議会議員方がこのホテルに当たってみたらどうだろうと言ってホテルの電話番号を教えて下さった。
実は、そのホテルは、以前斉藤さんがこの計画を立てる時に電話をしたのだが、津波の被害を受けて営業していないと断られたところだという。
それじゃ駄目だな、と落胆した。
今夜は、もう車の中で寝るしかない。
そう覚悟を決めた。
しかし、駄目で元々と洋子さんがそのホテルに電話をしたら、何と営業を再開していて、これからでも四部屋取れると言うではないか。
我々は歓声を上げた。
一週間前に再開したばかりで、まだ、余りそのことが知られていなかったのが幸いした。
行ってみたら、綺麗にリニューアルされていて、極上のホテルである。
地獄から天国に引き上げられた感じである。
ちかごろ、あれぼど「助かった」と思った事はない。
安心すると同時に、しかし、と私達は嫌な気持ちになった。
私たちの予約を勝手に取り消したホテルのことである。
全部取り消さずに、三部屋の内、二部屋だけにしたのはどう言うことなのか分からない。
ああだこうだ、と頭をひねって、最後に、こうではないかと気がついた。
「誰かが来たんだよ。で、その人間を泊めたら、四人に三部屋使わせるより、その人に一部屋使わせ、我々四人に二部屋使わせたら、一部屋分余計に儲かる。」
うはあ、そう言う計算だったのかと気がついて、みんなうちひしがれた。それは、汚すぎる。
ボランティアの人達は善意でやってきているのに、ホテル業者はここが稼ぎ時と、余計に儲けようと企む。
宮古のホテルは、斉藤さんにこう言ったそうである。
「被災地に来て置いて勝手なことを言うな」
それはひどい言い方だ。勝手なことを言っているのはそっちである。
被災地だからといって、金儲けのために客の信頼を破っていい訳がない。大体これは、旅客法という法律に違反した行為でなはないか。
実に、寒々と心の冷える体験をした。
こう言う時に面倒な交渉をしてくれたのは洋子さんである。
洋子さんが、市会議員の方に問い合わせてくれなかったら、その晩私たちは車の中で寝ることになっただろう。(私たちを泊めてくれたホテルの名前は「熊安」という。名前は古めかしいが内装は現代的で、リニューアルしたせいか、大変に綺麗。使い勝手も良く従業員達も大変に親切。宮古に泊まるなら「熊安」ホテルだぜい。私たちにひどい仕打ちをしたホテルの名前は敢えて記さない。)

被災地の樣子は悲惨を極めた。
テレビや、新聞雑誌の写真では絶対にその実感が掴めない。
私が行った時点で事故から二か月半経っていて道などはかなり復旧していたが、至るところ、曾て町が有ったところが、完全に壊滅している。
その、被災地の真ん中に立って四方八方を見渡して、「一体、こんなことが有ってよいのか」と、あまりのむごさに体中打ちのめされる思いがした。
幸いなことに、私が訪ねた方達は、その無残な破壊の中で必死に立ち上がろうと努力されていた。
その方達の災難にめげずに立ち直ろうとする姿は私の心を深く打った。
最初は、個人的な意図で、やって来たのだが、被災地の人達と会って話を聞いている内に、これは「美味しんぼ」で書かなければ駄目だと思った。
幸い敏雄さんが写真を撮ってくれているし、洋子さんが記録を取ってくれている。
この千年に一度の凄まじい被害を受けた被災地で、めげずに復興している人達の姿を、どうしても「美味しんぼ」で伝えたい。
これまでの予定では、九月から、「日本全県味巡り」の島根県篇を連載することになっていた。
そのための取材はすでに昨年と今年二度にわたって行った。
島根県の方達には大変申し訳ないが、急遽「被災地・めげない人々」篇を九月から連載することになってしまった。
「日本全県味巡り」の島根県篇は、来年二月頃から始める。
時間が経ったら腐るような内容ではないので、問題はない。
ただ、島根県で協力して下さった方達に申し訳ない思いで一杯である。

青森県種差海岸の「洋望荘」の佐藤さん一家、
岩手県重茂漁港の皆さん、
宮城県気仙沼の「福よし」の村上さん、
宮城県唐桑の「水沼牡蛎養殖場」の畠山さん
その皆さんの奮闘する樣子を、「美味しんぼ」で書く。
九月上旬から「ビッグ・コミック・スピリッツ」で連載するので、是非読んで頂きたい。

ただ、その中で、村上さんの仰言った一言が重く私の心にのしかかっている。
「何とか復興しようと努力しているんだよ。でも、福島のことを考えると、力が抜けて行くんだ」

そうだ、福島原発である。
福島原発の事故は、日本を、根底から変えた。
1945年の敗戦の時、日本中は焼け野原だった。
しかし、不思議に明るかった。
それまでの軍部の圧政から自由になって、新しい社会を作るという希望があった。
しかし、今回はそうは行かない。
震災からの復興はなったとしても、原発問題がある。
事故から、五ヶ月経つというのに収束の目安も立たず、毎日大量の放射性物質をまき散らして、福島からはるか離れた静岡県の茶葉まで汚染を広げている。
さらに、もう一つ何か事故があったら、破局的な事態に陥る。
我々は、とんでもない、魔物を抱え込んでしまった。
人類がかつて経験したことのない状況である。
不安、恐怖、不信感、こんな物に背中を焼かれる毎日を過ごさなければならない日本を誰が想像しただろうか。
私は3.11以前とそれ以後の日本は、まるで違う国になったと思う。
3.11以前の雑誌などに書かれた記事は、いまになってはあほらしくて読めない。
これは、日本だけでなく世界中に被害をまき散らす問題である。
私は、ここにおいて東電は、自分たちだけで自分たちのメンツを保つために、あるいは企業として生き残りを計るために、事実を隠し通して自分たちだけで始末を付けようとする幻想を捨てるべきだと思う。
何もかも事実を明らかにし、全てのデータを公表して、日本のみならず世界中の叡智を結集してこの事態の収束を計らなければ駄目だと思う。
今までの東電と日本政府のやり方を見ていると、とてもこの先に希望を抱けない。
東電は日本中、世界中に頭を下げて、本当に智恵ある人々の力を借りるべきだ。
それが本当の責任の取り方だ。

日本人は、東電と日本政府の隠蔽工作によって、福島原発で何が起こっているのか、放射線の何を恐れ、何を恐れる必要がないか、それをきちんと掴めていないと思う。
これから、私は、折を見て、私の掴んだ最新の知見をまじえて、多くの人に、何を心配すべきか、何を心配しないでよいのか、語って行こうと思う。

3.11以降の日本を、なんとか3.11以前の日本に戻すように私自身出来るだけのことをして行きたいと思う。
それが、このページの一つの意義であるかも知れない。

と言う訳で、これからもご愛読下さるようお願いします。

雁屋 哲

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