雁屋哲の美味しんぼ日記


長い前書き その1

2008年4月3日(木)@ 5:26 | 雁屋哲のシドニー子育て記

長い前書き
《何故、私達はオーストラリアに来たのか》

 私は1988年に、神奈川県横須賀市秋谷からオーストラリアのシドニーに引っ越して来た。最初は二、三年暮らすつもりだったのが、気がつくと2008年でまる二十年をを超えることになる。
 日本から出ることについては色々事情があったが、一番大きな問題は子供の教育だった。

 シドニーに来て二年を過ぎた1990年十月から、私はシドニーの日本語雑誌「ジャパン・プレス(JP)」に「豪州子育て日記」と題する小文で、子育てにまつわるさまざまなことを毎月書いたが、その第一回目にその辺の所を軽く触れてあるのでそれを先ず読んで頂くことにしよう。(ジャパン・プレスは二年ほど前に廃刊になった。 日本の、マガジン・ハウス社の腕利きの編集者信原さんが、どう言う訳かシドニーに引っ越して来て、広告費だけで収入をあげるフリー・ペーパーとして、ジャパン・プレスを立ち上げた。初期は大変調子が良かったのだが、色々と事情が有ったのだろう。廃刊になったのは残念なことだった。以後、ジャパン・プレスに掲載した記事は、JPを文頭に着け、掲載した年月を記載する。)

 ◎JP「1990年・十月」 
  教育難民

 私は四人の子持ちである。
 長男・長女は双児で十三歳。次女が九歳。次男が五歳。
 私の考えでは、子供は十五、六までは、たっぷり遊ぶことが仕事である。
 学校は友達と楽しく遊ぶための場所であってつめこみ勉強をするところであっては困る。
 思い切り遊ぶ。ただし本だけはしっかり読む。
 絵を画く。最低一つの楽器はこなせるように音楽を楽しむ。
 そんなことをしているうちに、十六、七になったときに何か目標を見出して、勉強しようと思い立ったらしめたもの。
 その時こそ血の小便が出るまで必死に勉強する。

 これが私の考え方なのだが、こんな教育を日本でしたら子供たちはたちまち「落ちこぼれ」として人生の出だしですでに失格とされてしまう。だがオーストラリアでなら、そんな教育をあたえることが出来そうだ。それが私たちがオーストラリアヘ引越して来た理由の一つだ。私たちは教育難民と言えるかもしれない。

 今、私の子供たちは四人全員、シュタイナー教育をするグレネオンという学校に通っていて、ほぼ私の目論見どおりの生活を送っている。この教育の結果はどう出るか、私にも妻にも分らない。半分楽しみ、半分こわごわ、子供たちを見守っているのである。

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 と、こんな案配に書いてあるが、誌面の都合で極めて簡潔にまとめなければならなかったので、言いたいことを十分に書くことは出来なかった。これでは、意を尽くしているとは言えないので、私が家族全員を引き連れてオーストラリアまで引っ越して来た意図をもう少し書いてみようと思う。


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