雁屋哲の美味しんぼ日記


第一章 その1

2008年5月20日(火)@ 11:47 | 雁屋哲のシドニー子育て記

子育て記 第一章
(1988年から1989年まで)

 私達は1988年5月20日、シドニーに引っ越して来た。
 引っ越して来たと言っても、これは隣町に引っ越すのとは訳が違って、実に様々な障害があった。
 一番大きな問題は、引っ越す先が日本国内ではなく外国であること、そして、経済的事情である。
 私の職業は物書きで、しかも日本語でしか書けない。私にとっての物書きとしての市場は日本しかない。その私が日本を離れることは大変にまずいことだ。職を失うことを意味する。
 ただ、有り難いことに、技術の進歩が目ざましく、ファクスがあれば世界中どこからでも原稿を日本の出版社に送ることが出来ることはそれ以前に十分経験していた。1980年代の初めまでは、例えばフランスなどに行くとファクスが中央電話局にしかなく、ホテルから中央電話局まで行かなければならなかったし、京都でもやはり電話局まで行かなければならなかった。香港の町で、ファクスを探し歩いてへとへとになったこともある。しかし、急速にファクスは普及し、大抵のホテルには設置されるようになり、わざわざ電話局まで行く必要が無くなった。
 しかも、そのうちに、携帯型のファクスが出来たので、私の行動半径は大いに広がった。電話回線さえあれば、携帯型のファクスを使って世界中から原稿を送ることが出来るようになったのだ。
 当時の私はホテルに入ると、先ず最初にその部屋の電話回線の取り入れ口をねじ回しやナイフなどを使って開けて、壁の中から電話線を引き出した。
 今でもヨーロッパに行くと、壁についている電話機用のコンセントの型は国によって違うが、当時はそのコンセントすらなく、電話線は壁の取り入れ口から直接壁の奥に繋がっていることが多かったので、そうするしか他に手は無かったのである。電話線は何本かの線の束になっていて、どの線がファクスに使えるか調べなければならない。自分で持って来た携帯型のファクスに鰐口クリップでつないでみて、発信音が聞こえればそれで良し。ファクスは使える。
 その作業が済むとほっとしたものである。そんな私を見て連れ合いは「まるで007ね」などとからかった。
 で、私はファクスさえあればオーストラリアからでも原稿を送ることが出来るから、当分はしのげると考えたのである。
 だが、漫画の仕事は厳しいもので、読者の人気が落ちると連載を打ち切られてしまう。当時「美味しんぼ」はまだ読者の支持があったが、それがいつまで続くか全く分からなかった。「美味しんぼ」が終われば仕事がなくなる。そうなったら、どうして食べて行けば良いのか分からない。新しい仕事を始めるためには準備がいる。「美味しんぼ」が終わると決まったらすぐに他の仕事を探さなければならないが、オーストラリアにいてはそんなことは出来ない。
 この生活の不安というものは大きいものである。夜中にふと目が覚めて、仕事が無くなった時の事を考えると、とても寝てはいられないような気持ちになったりする。
 その当時私は漫画の原作の仕事を始めて十年以上経っており、自分では十分稼いだつもりになっていた。で、連れ合いに私は幾ら財産を持っているかと訊ねたら、連れ合いの答えは「今住んでいるこの家だけ。それも、まだローンが沢山残っている」と言う。私は驚いて、私は随分稼いだじゃないか、と言うと、連れ合いは「稼いだお金は全部哲ちゃんが食べちゃった」と答えた。
 確かに私は美味しい物を食べるのが大好きで、他の物にはひどくけちなのに、食べ物やワインについては全く経済観念を失ってしまう。美味しい物を食べに外国に行くことも平気だった。それでは、どんなに稼いでもお金は残らない(おかげで、「美味しんぼ」を始めて数年間は、全く取材をせずそれまでの自分の経験だけで書くことが出来たのだが、そんなこと何の自慢にもならないな)。
 そんな経済状況でオーストラリアに二、三年暮らしてみよう、などと言うのは無茶な話だが、私の持って生まれた性格で、無茶と分かるとなおのこと突っ走らないと気が済まない。
 駄目になったら、それまでだ。その時は家を売ればローンの残りを差し引いても半年やそこらは生きて行けるのではないか。その間に新しい仕事を何とか探そう。とにかく、やりたいことはやってしまえ、と腹を括った。
 勿論、それ以前に夫婦で良く話し合ってはいたが、そんなお金の心配がある上に、オーストラリアなどと言う見知らぬ国に行くことで、連れ合いはひどく心細かったのだろう。シドニーに来てからもしばらくの間、心配気で、表情が仲々柔らかくならなかった。
 今でも私は、最初にシドニーに着いた最初の日、私の決めた家に向かう車の中で、三歳の次男をしっかり抱え不安気に窓の外の景色を見ていた連れ合いの表情を忘れられない。その表情の記憶が、いまだに私を苦しめる。しかし、それも私のように日本の常識に合わない男と結婚した連れ合い本人のせいだ、と私は考えることにした。


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