雁屋哲の美味しんぼ日記


どんぶり物

2008年4月24日(木)@ 13:04 | 未刊行 美味しんぼの日々

 もともと稲作は東南アジアから来たものだから当然の事ながらアジア各国で米が沢山食べられている。しかしながら、御飯を日本のどんぶりのように大きな器に盛るところは他にないのではないか。箸を使う食文化の国では、小さな飯椀によそって食べる。そうだ、どんぶりに限らず、飯椀自体も、日本の飯椀は大きいな。箸を使わない食文化の国では皿に御飯をよそう。日本のように巨大などんぶりに飯をてんこ盛り、なんてのはあまり見たことがない。ここに日本人の国民性の謎を解く鍵があるようだな。
 さらに、そのどんぶり飯の上に食べ物を載せて一つの料理にしてしまうと言うのも他では見たことがない。物を食べる時の作法は国によって非常に違うが、日本ではおかずを御飯の上に乗せたりするのは作法に反するだろう。おかずは、それだけ口に運んで、しかる後に御飯を口に運ぶ。おかずと御飯は口の中でしか出会ってはいけないのである。口の中で出会う前に飯椀によそわれた御飯の上におかずが遊びに行ったりするのは許されない。これを、古来から日本で固く守られてきた「おかず御飯不純異性交遊禁止法」と言う。
 ここで気がついたから言って置くが、時に「御飯をよそる」という人がいるね。これは、本当は間違いなんだよ。正しくは「よそう」であったのが、御飯を「盛る」という言葉が有るばかりに、「盛る」につられて「よそる」と言い出す人間が現れて、それがはびこってしまったのだ。私は保守的な原理主義者であるから当然「よそう」を使う。読者諸姉諸兄におかれても私に習って、きちんと「よそう」と言って貰いたい。
 日本の作法では御飯の食べ方はこうなっている。上品で美しい女性がたおやかな手で、たなごころに収まるちょうど良い大きさですっきりした焼き味の飯椀を持つ。飯椀の中には真っ白で粒が立ってぴかぴか光る炊きたての御飯が七分目ほどよそわれている。女性は一方の手に持った細からず太からず長からず清潔な感じの箸で、うっすらと桃色がかったすぐきの漬け物を一切れ取って、口紅なんぞという下卑た物を塗らない素肌のままのしっとりと桜色をした唇をそっと開いて、優雅にすぐきを口の中に納める。さくさくと良い音を立ててすぐきを噛みながら、箸で御飯を一口すくって口に運ぶ。こうして、御飯とおかずは美しい出会いを果たすのである(どうして、美しい女性でなければならないか、って?たりめえだろが。私みたいな汚らしいひげオヤジが物を食べるところなんざ、考えたくもねえだろべ)
 かくも画然とした「おかず・御飯分離原則」を作法の根源として持つ日本人が、どうして、どんぶりの御飯の上に、天ぷらを載せて天丼、鰻のかば焼きを載せて鰻丼、鳥肉の卵とじを載せて親子丼、などという不埒な物を考え出し、しかも、溺愛し続けているのか。保守的な原理主義者である私としては、実に許せないことである。てなことを言って置いてなんですが、この「どんぶり物」というのは日本の食文化の中でも燦然と輝く物の一つだと断言したいね。(何で突然違うことを言い出すのか、とお咎めか。ふっふ、誰が「どんぶり物」のうまさに逆らえるかってえの)
 世に「どんぶり物」は無数にあるが、私の気にいりの「どんぶり物」を紹介しよう。その名を「焼き海苔どんぶり」と言う。御飯は米からして良い物を選ぶのは常識だね。上手に炊いて、ふっくらぴかぴか粒がくっきり立つように仕上げたら、どんぶりに軽くよそう(多すぎると美味しくない)。御飯の上に素早く生醤油をかけ回す。その上に、下ろしたわさびを、ちょいちょいと、ばらけた感じに塗る。(ワサビは天城産のぶっとくて充実した奴にしてくれ。ワサビ下ろしも鮫皮の物で頼む)そこに、炭火で炙って鮮やかな緑色にパリパリとなった海苔をちぎって御飯の表面を覆う。後は一気に食べる。
 この味たるや、ねえ・・・・。


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