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	<title>雁屋哲の美味しんぼ日記 &#187; 未刊行　美味しんぼの日々</title>
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	<description>「美味しんぼ」原作者、雁屋哲の公式ブログ。</description>
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		<title>中華料理（香港おじさん）</title>
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		<pubDate>Tue, 10 Jun 2008 01:23:28 +0000</pubDate>
		<dc:creator>雁屋 哲</dc:creator>
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		<description><![CDATA[　私の家では最近「香港おじさん」と言う言葉が存在権を獲得したようだ。
「香港おじさん」とは早い話が、丸首半袖の木綿の下着だけを着た男のことである。
　これを説明するには、まず私の服装事情から話さなければならない。私はどう [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　私の家では最近「香港おじさん」と言う言葉が存在権を獲得したようだ。<br />
「香港おじさん」とは早い話が、丸首半袖の木綿の下着だけを着た男のことである。<br />
　これを説明するには、まず私の服装事情から話さなければならない。私はどうやら、北方の血を受け継いだらしく、やたらと暑がりである。真冬の東京で街を歩く時の私の服装は、シャツ一枚、その上にセーターを袖を通さずに羽織る、と言うもので、実に貧相で寒々しい。<br />
　しかし当の本人はこれで十分暖かいので、哀れに思わないで頂きたい。</p>
<p>　そもそも私が成年に達してお洒落などしようかという人並みの気持ちになった時、シャツの下に下着を着ること、スーツを着て足を組んだりした折りに裸の脛が見えることは男として許されざる事と深く実感したので私はそれ以来如何なる場合にもシャツの下には下着を付けない、スーツを着る際には膝までの長さの靴下をはく、と言う二点はどうしても守らないと気持ちが悪いのである。<br />
　どんなにおしゃれをしている男の人でも、ワイシャツの下に半袖やランニングシャツが透けて見えると、がっかりする。ましてや、目の前の男がスーツの下に短いソックスをはいていて、足を組むと毛ずねが見えたりすると「ああ、早く家に帰りたいなあ」という気持ちになる。<br />
　そう言う人並みのお洒落心のせいもあるが、実際の話、冬になると日本の都会ではどこもかしこも暖房を効かせすぎていて下着など着た日には暑くて汗もが出来る。で、私がシャツの下に下着を着るのは真冬に雪国に行く時くらいである。<br />
　所がこれがシドニーでは話が違ってくる。<br />
　シドニーの冬は最低気温が八度か九度くらいで東京より遙かに暖かいのであるが、これが妙に体に応える。特に穴蔵のような私の仕事部屋で仕事をしていると、しんしんと冷えてきて身震いが止まらない。そこで仕方が無く、シャツの下に下着を着る。<br />
　零下の東京で下着を着ずに、九度のシドニーでどうして下着を着るのか。これが私には分からない。シドニーでの私は精神的にゆるんでいるからなのかも知れない。<br />
　これだけなら、お洒落の規則を破ったことがばれずにすむのであるが、シドニーの気候は実に気まぐれで、時に夕食時に急に気温が上がることがある。<br />
　そもそも「飯食って、大汗かくも、下卑たこと」という川柳にもある通り、人間食事をすると体温が上がる。結果的に、暑くてたまらなくなり、ああ、我ながら恥知らずなことに、食卓で、シャツを脱いで、下着姿になってしまうことがかつて数回あったのである。<br />
　当然のことに、娘たちから囂々たる非難の声が挙がる。そこで、私はタオルで流れ落ちる汗を拭いながら、「今日は、ぼくは君たちのお父さんではない。香港のおじさんだ」と宣言する。<br />
　さて、ここでやっと話が本筋に向かう。香港で楽しいのは路地の料理屋巡りである。雑誌に紹介されている豪華な料理屋も良いかも知れないが、私が好きなのは、路地をうろついて、何か旨そうな物を作りそうな顔つき体つき目つきのおじさんを捜すことである。<br />
　そう言うおじさんは路地に殆ど屋台のような小さな店を構えていて、そこでどでかい中華鍋と鉄のしゃくしを振り回している。<br />
　互いに目を合わせること数十分の一秒、それで、気持ちが通じて、次の瞬間、おじさんは、籠の中の生きたウズラの首を捻り、毛をむしり、直ちに素晴らしい炒めものを作ってくれる。<br />
　ウズラの身はしゃきしゃき、歯ごたえが爽やかで、味が透明、真に高貴な味わい。で、このような素晴らしい料理を作ってくれる香港のおじさんはと見ると、みんな、丸首の下着一つなんだよ。<br />
　格好付けた調理服なんか着るような野暮なことはしない。丸首の下着。それも二三日洗濯していない事が明らかな色合いのもの。そして通訳を通してまともな質問をしても「へらへらへったら、へらへらへーっ」てなことしか言わない。<br />
　ああ、これぞ、中華料理の真髄であると私は心と胃袋を打たれて平伏する。<br />
　そのような味の素晴らしい料理をいとも軽々と一切の気取りを交えずに作る香港のおじさんを私は崇敬するあまり、今まで守ってきた服装の決まりを破って丸首シャツ一枚になったりするこの頃なのだ、などと自分のだらしなさの言い訳をしてしまった。<br />
　香港おじさん許してね。</p>
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		<title>ローストビーフ</title>
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		<pubDate>Tue, 27 May 2008 00:47:06 +0000</pubDate>
		<dc:creator>雁屋 哲</dc:creator>
				<category><![CDATA[未刊行　美味しんぼの日々]]></category>

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		<description><![CDATA[　今は私はすっかり怠け者になってしまったが以前は大晦日になると私はロースト・ビーフを焼いた。
　一キロから二キロほどの肉を焼くのにちょうど良い大きさのオーブンを連れ合いが持っていて、それを借りて焼く。
　私の好みの焼き方 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　今は私はすっかり怠け者になってしまったが以前は大晦日になると私はロースト・ビーフを焼いた。<br />
　一キロから二キロほどの肉を焼くのにちょうど良い大きさのオーブンを連れ合いが持っていて、それを借りて焼く。<br />
　私の好みの焼き方はレアーである。表面はこんがりぱりっとしていて、中は充分に火が通っているが焼けてしまってはいない。鮮やかな赤みが残っていて、肉が軟らかくなければならない。<br />
　完全に火を通してしまうと噛んでも美味しい肉汁が口の中に溢れると言う事が無く、ぱさぱさして触感が悪い。どんなに良い肉を使っても、それでは意味が無くなってしまう。<br />
　私はオーブンの前に座ってワインを飲みながら時々、肉に串を刺して、串の穴から出て来る肉汁の色で焼け具合を見る。<br />
　一度、どう言う訳か火を通しすぎてしまったことがあった。そのとき、私は、庭の真ん中に出て天を仰いで嘆いたそうだ。<br />
　それを見ていた連れ合いの母は、その私を余りに可哀想に思って、これから失敗しないようにこれを使いなさい、と言って肉のかたまりの内部の温度を測る温度計を贈ってくれた。金属の串の上に丸い計器盤がついていて、串の先端で検知した温度を計器盤で表示する仕掛けになっていた。その串を肉に刺しておくと焼け具合を温度で知ることが出来るのである。<br />
　しかし、何かにつけて無精な私は、折角貰った温度計を使わず、勘に頼り続けている。</p>
<p>　どう言う訳かレストランで食べるローストビーフで美味しいことは滅多にないが、私が今までの人生で一番美味しいと思ったローストビーフは「Kihachi」の熊谷喜八さんがまだ葉山の「ラ・マレ・ド・チャヤ」にいた時に作ってくれたものだ。</p>
<p>　その日は京都の有名な料理人たちが集る食事会だったが、その主菜として熊谷さんが作ったのだ。味にうるさい京都の面々に何を出したらよいのか熊谷さんは悩んだが、「やはり、最後は自分の真骨頂を見て貰うことにしました」と言ってローストビーフに決めた。当日、熊谷さん風の海の幸を使ったフランス風の料理をたっぷり楽しんだ後に、ローストビーフが登場した。<br />
　このローストビーフを今思い出しても身体の芯が震える。驚くほど大きな肉のかたまりがワゴンに乗せられ運ばれてきたのだが、この焼き上がりの姿が美しかった。表面は肉の焼けた色が付いているが、後は芯まで鮮やかな桃色なのだ。<br />
　一枚が大人の手のひらより大きい寸法に切ってくれたが、肉はしなやかで柔らかく、噛むと味わい深い肉汁が口の中に広がり、香気が鼻に抜けていく。牛肉の旨味の全てを引き出し、凝縮したのが熊谷さんのローストビーフだった。<br />
　それぞれ一家言も二家言もある京都の料亭の主たちも驚嘆・賛嘆・感嘆、そしてにこにこと良い顔になった。美味しい物は人の心を豊かにふくらませ和ませるのである。</p>
<p>　熊谷さんのローストビーフを思い出すと自分でローストビーフを焼くのが悲しくなるが、素人は素人なりに楽しめばよいのだ、と居直ることにした。</p>
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		<title>御飯</title>
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		<pubDate>Wed, 14 May 2008 02:26:41 +0000</pubDate>
		<dc:creator>雁屋 哲</dc:creator>
				<category><![CDATA[未刊行　美味しんぼの日々]]></category>

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		<description><![CDATA[　シドニーの中華街で中国人が食事をしているところをそれとなく見ていて気がついたことだが、かなりの人間が料理を一旦御飯の上に乗せてしまう。そして、料理を御飯と一緒に威勢良く掻き込む。
　日本では御飯を掻き込むのは下品とされ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　シドニーの中華街で中国人が食事をしているところをそれとなく見ていて気がついたことだが、かなりの人間が料理を一旦御飯の上に乗せてしまう。そして、料理を御飯と一緒に威勢良く掻き込む。<br />
　日本では御飯を掻き込むのは下品とされていて、懐石料理を筆頭とする上品な食事の席では、してはいけなことになっている。<br />
　しかし、中国人の行儀作法は日本人のものと大分違うようで、大抵の中国人が盛大に行う。<br />
　日本人は御飯を掻き込むとしても、箸を斜めに持って横方向から御飯を運ぶが、中国人はひじを張って箸を顔の前に垂直に立てて持ち、大きく開けた口の中に御飯を真っ直ぐ正面から掻き込む、と言うよりぐいっと押し込む。実に豪快というか気合いが入っているというか天晴れである。<br />
　大体大抵の食べものはそれ自体単独である時より御飯の上に乗せた時に余計に美味しく思える。更に押し進めれば単独で食べるより御飯と一緒に口の中に入れた方が美味しい。<br />
　となると、おかずを一口食べて次に御飯を一口、などと言う上品な食べ方より、御飯もろとも料理を口の中に入れる、すなわち掻き込む方が美味しいのだと言うことになる。</p>
<p>　日本にだって、御飯の上に何かを乗せて盛大に掻き込まなければその真価を味わえない物がある。<br />
　丼物である。その丼物を食べる時に、例えば鰻丼を食べる時に、鰻をまず一切れ口に入れ、咀嚼した後に嚥下し、ややあってやおら御飯を口に入れる、などと言う食べ方をしたんじゃ美味しくない。うなぎとご飯を一緒に口に放り込んでこそ美味しいのであって、その様な食べ方をしようとすると、いきおい掻き込む形にならざるを得ない。<br />
　カツ丼だって、牛丼だって、親子丼だってみんなそうだぜ。カツ丼なんてとろりと良い塩梅に火の通った卵に包まれた揚げたてのトンカツを御飯と一緒に、ドスコイ！　と口に叩き込む。<br />
　そこで何度もくちゃくちゃ噛んだりするなよ。丈夫な歯があれば物を噛んだりするのは二三度で充分だ。にちゃらねちゃらと執拗に咀嚼を続ける人間を見るとちょいとばかり苛立つね。<br />
「なにをねちゃもちゃやってやんでえっ！さっさと飲み込め！歯で噛み足りなけりゃのどちんこで噛みやがれっ！ずごずごっと勢い良く食わねえかっ！」なんて声を荒げたくなる。<br />
　卵に包まれたトンカツを御飯と一緒に一気にぐぐぐーいっ！と呑み込むと、その喉を通っていく時の快感たるや、ああ、思わず涙ぐんでしまうじゃないか。<br />
　御飯なんて物は、ウグイスが餌を食べる時みたいにちょびちょび食べたんじゃ本当の快感は得られません。その意味で盛大に掻き込んで食べる中国人の正しさは我々丼物を愛する日本人（丼物が嫌いな人はこんな文章を読まないだろうから、そう言う人は無視するぞ）が見事に証明した。<br />
　我ながら見事なもんだ。御飯掻き込み問題で連帯の意を表することで、今何かとこじれている日中関係を少しはほぐしただろう。</p>
<p>　と自慢して置いて何ですが、ここにおいて、韓国方面から文句が出るかも知れない。<br />
　と言うのは、「掻き込む」ためには背中を真っ直ぐに伸ばし両肘を張り、一方の手で飯椀なり丼なりを抱え、箸でもって御飯を口の中に勢い良く力を込めて叩き込んでくれないと感じが出ない。<br />
　ところが、韓国では食器を卓から持ち上げて食べるのは作法に反するのである。例えばビビンバであるが、あれなる物も丼は卓の上に置いたまま、顔を丼に近づけてサジですくって口に運ばなければならない。<br />
　さらに、石焼きビビンバと来た日には丼自体が加熱してあるから手で持ち上げることなど不可能である。このような状態に置いて、日中流の「掻き込み」式食べ方は出来ない、と韓国人が文句を言い出してもおかしくはない。<br />
　しかし、こんなことくらいで、外交感覚に優れた私はひるまないね。<br />
　ことの要諦は具と御飯を一緒に大量に一気に口の中に放り込むことである。私はビビンバで試してみた。<br />
　ドンブリを卓においたままの俯いた姿勢でも、その気になれば一度に大人のこぶし大の分量を口の中に掻き込むことは出来た。<br />
　大丈夫、韓国人も御飯を掻き込むのに問題はない。ああ、良かった。<br />
　これで、日韓問題も大丈夫だ。</p>
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		<title>カレー</title>
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		<pubDate>Sat, 03 May 2008 01:38:08 +0000</pubDate>
		<dc:creator>雁屋 哲</dc:creator>
				<category><![CDATA[未刊行　美味しんぼの日々]]></category>

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		<description><![CDATA[　私の母はシドニーにやってくると、カレーを作る。私達家族は母のカレーが一番好きなのだ。
　母がカレー作るとなると半日掛かる。母のカレーは父のカレーを受け継いだもので、まず小麦粉を丁寧に炒めてルウを作る。これが実に手間と時 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　私の母はシドニーにやってくると、カレーを作る。私達家族は母のカレーが一番好きなのだ。<br />
　母がカレー作るとなると半日掛かる。母のカレーは父のカレーを受け継いだもので、まず小麦粉を丁寧に炒めてルウを作る。これが実に手間と時間が掛かる。カレー粉も炒める。<br />
　良くカレー作りの通という人が「カレー粉は炒めたら駄目。香りが飛んでしまう」と言うが、カレーの本場スリランカでも、カレー粉は炒めている。炒めたカレー粉と、炒めてないカレー粉の二通り市場では売っていて、炒めたカレー粉は、香りが一際立って魚介類の生臭さを消すから魚介類のカレーを作る時に使うと言う。<br />
　私は日本の通よりも、現地スリランカ人の味覚を尊重する。日本の通と言われる人はどこかで仕入れてきた知識を金科玉条として、あれはいけない、これは正統に反する、と実に口うるさい。そうこうしている内に、そう言う半可通が、権威としてまかり通るようになってしまうから日本という国は奇奇妙妙である。<br />
　私の母のカレーはこの念入りに小麦粉を炒めるところに旨さの秘訣がある。母の作ったカレーは香りが良く、味わい深く、いくら食べても飽きない。他のどこでも食べられない旨さだ。<br />
　母は日本へ帰るとなるとその前に一日かけて大きな鍋に一杯カレーを作ってくれる。私達はそのカレーを小分けして冷凍する。母が日本へ帰ってからも、母のカレーの味を味わえるのだ。<br />
　カレーは有り難いことに、早めに食べれば冷凍して置いても美味しく食べられる。母が帰った後皆で母のカレーを解凍して食べると、母が一生懸命カレーを作ってくれている姿が眼前に浮かぶ。母の愛のこもったカレーの旨さはひとしおだ。<br />
　それにしても、ふしぎだなあ。そもそもが異国の料理であるカレーが今では国民食だ。それぞれの家によってカレーの味が違うというのは、そこまでカレーが日本に深く根付いた証拠だろう。ま、自分の家庭のカレーの味が作れるようになったらその家庭も一丁前と言うことになる。</p>
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		<title>どんぶり物</title>
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		<pubDate>Thu, 24 Apr 2008 03:04:45 +0000</pubDate>
		<dc:creator>雁屋 哲</dc:creator>
				<category><![CDATA[未刊行　美味しんぼの日々]]></category>

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		<description><![CDATA[　もともと稲作は東南アジアから来たものだから当然の事ながらアジア各国で米が沢山食べられている。しかしながら、御飯を日本のどんぶりのように大きな器に盛るところは他にないのではないか。箸を使う食文化の国では、小さな飯椀によそ [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　もともと稲作は東南アジアから来たものだから当然の事ながらアジア各国で米が沢山食べられている。しかしながら、御飯を日本のどんぶりのように大きな器に盛るところは他にないのではないか。箸を使う食文化の国では、小さな飯椀によそって食べる。そうだ、どんぶりに限らず、飯椀自体も、日本の飯椀は大きいな。箸を使わない食文化の国では皿に御飯をよそう。日本のように巨大などんぶりに飯をてんこ盛り、なんてのはあまり見たことがない。ここに日本人の国民性の謎を解く鍵があるようだな。<br />
　さらに、そのどんぶり飯の上に食べ物を載せて一つの料理にしてしまうと言うのも他では見たことがない。物を食べる時の作法は国によって非常に違うが、日本ではおかずを御飯の上に乗せたりするのは作法に反するだろう。おかずは、それだけ口に運んで、しかる後に御飯を口に運ぶ。おかずと御飯は口の中でしか出会ってはいけないのである。口の中で出会う前に飯椀によそわれた御飯の上におかずが遊びに行ったりするのは許されない。これを、古来から日本で固く守られてきた「おかず御飯不純異性交遊禁止法」と言う。<br />
　ここで気がついたから言って置くが、時に「御飯をよそる」という人がいるね。これは、本当は間違いなんだよ。正しくは「よそう」であったのが、御飯を「盛る」という言葉が有るばかりに、「盛る」につられて「よそる」と言い出す人間が現れて、それがはびこってしまったのだ。私は保守的な原理主義者であるから当然「よそう」を使う。読者諸姉諸兄におかれても私に習って、きちんと「よそう」と言って貰いたい。<br />
　日本の作法では御飯の食べ方はこうなっている。上品で美しい女性がたおやかな手で、たなごころに収まるちょうど良い大きさですっきりした焼き味の飯椀を持つ。飯椀の中には真っ白で粒が立ってぴかぴか光る炊きたての御飯が七分目ほどよそわれている。女性は一方の手に持った細からず太からず長からず清潔な感じの箸で、うっすらと桃色がかったすぐきの漬け物を一切れ取って、口紅なんぞという下卑た物を塗らない素肌のままのしっとりと桜色をした唇をそっと開いて、優雅にすぐきを口の中に納める。さくさくと良い音を立ててすぐきを噛みながら、箸で御飯を一口すくって口に運ぶ。こうして、御飯とおかずは美しい出会いを果たすのである（どうして、美しい女性でなければならないか、って？たりめえだろが。私みたいな汚らしいひげオヤジが物を食べるところなんざ、考えたくもねえだろべ）<br />
　かくも画然とした「おかず・御飯分離原則」を作法の根源として持つ日本人が、どうして、どんぶりの御飯の上に、天ぷらを載せて天丼、鰻のかば焼きを載せて鰻丼、鳥肉の卵とじを載せて親子丼、などという不埒な物を考え出し、しかも、溺愛し続けているのか。保守的な原理主義者である私としては、実に許せないことである。てなことを言って置いてなんですが、この「どんぶり物」というのは日本の食文化の中でも燦然と輝く物の一つだと断言したいね。（何で突然違うことを言い出すのか、とお咎めか。ふっふ、誰が「どんぶり物」のうまさに逆らえるかってえの）<br />
　世に「どんぶり物」は無数にあるが、私の気にいりの「どんぶり物」を紹介しよう。その名を「焼き海苔どんぶり」と言う。御飯は米からして良い物を選ぶのは常識だね。上手に炊いて、ふっくらぴかぴか粒がくっきり立つように仕上げたら、どんぶりに軽くよそう（多すぎると美味しくない）。御飯の上に素早く生醤油をかけ回す。その上に、下ろしたわさびを、ちょいちょいと、ばらけた感じに塗る。（ワサビは天城産のぶっとくて充実した奴にしてくれ。ワサビ下ろしも鮫皮の物で頼む）そこに、炭火で炙って鮮やかな緑色にパリパリとなった海苔をちぎって御飯の表面を覆う。後は一気に食べる。<br />
　この味たるや、ねえ・・・・。</p>
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		<title>鍋料理</title>
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		<pubDate>Tue, 15 Apr 2008 01:12:42 +0000</pubDate>
		<dc:creator>雁屋 哲</dc:creator>
				<category><![CDATA[未刊行　美味しんぼの日々]]></category>

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		<description><![CDATA[　鍋料理も鍋の良い物を使ってもらいたいものだな。最近、一応土鍋の形をしているが、鍋本体も妙に薄っぺらで、普通の焼き物のようには見えず、蓋の模様もおざなりのものがあちこちで安値で売られている。ご多聞に漏れず、中国製の大量生 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　鍋料理も鍋の良い物を使ってもらいたいものだな。最近、一応土鍋の形をしているが、鍋本体も妙に薄っぺらで、普通の焼き物のようには見えず、蓋の模様もおざなりのものがあちこちで安値で売られている。ご多聞に漏れず、中国製の大量生産の物だ。これを私は土鍋と呼ぶ勇気がない。敢えて言うなら一見土鍋風の土鍋もどきだろう。シドニーの中華街でも鍋料理は人気である。鍋料理の中でも一番豪勢なのはアワビのしゃぶしゃぶだが、そんなアワビのしゃぶしゃぶにも、シドニー一の豪華中華料理屋が、その安っぽい土鍋もどきを使う。鍋料理は鍋自体も味のうちなので、鍋が良いものでないと、折角の鍋料理の味が落ちると私は思う。シドニーに限らず、最近は日本でもあまり食器に気持ちを使わない店では、その安っぽい絵柄で薄手の器体の味気ない土鍋もどきが幅を利かせているようだ。最近の世の中の風潮は何でも安ければ良いと言う値段第一主義に染まっている。本当の物の善し悪しより、まずそれが安いかどうかを問題にする。レストランでもそうだ。どうしてこんな安い値段で物を作って食べさせることが出来るのだろうと、不思議で仕方がないような値段の店が繁盛している。余計なお世話だが、その様な安い料金設定の店の話を聞くたびに、私はざっとその店の一日の売り上げを計算してみて、暗澹となる。その売り上げで、店舗を維持して、料理人から給仕の人まで雇って、どうやって皆で食べて行けるのだろう、と心が痛くなるのだ。<br />
　物を安く食べさせるためには、どうするか。結局食材にしわ寄せが行く。安いもの、安いものと消費者が要求しすぎることで、結果的に消費者は安全と本物からは遠い食材を食べることになる。自分で自分の首を絞めるとはこの事ではないだろうか。<br />
　食材だけではない、食器なども良い物は使えない。もともと中華料理の世界では、香港の高級中華料理店でも恐ろしく粗末な食器を使う傾向にあるから、土鍋もどきくらいで驚いていけないのだが、日本の土鍋料理に土鍋もどきを使われると、落胆すること甚だしい物がある。<br />
　と言って置いて、私の家の恥を話さなければならなくなりました。と、ほ、ほ、ほ。<br />
　と言うのは、ある時、忽然として我が家の食卓にその土鍋もどきが出現したですよ。驚いて連れあいに尋ねると、この辺の雑貨屋で買ったのよ、千円もしないのよ、と嬉しげにのたまう。おい、待ってくれ、家には赤楽の良い土鍋がある、銅の八角鍋もある。それなのに何が悲しくて、こんな土鍋もどきを使わなければならないんだ、と私が言うと、連れ合いは平然と、だってこの方が気が楽なんですもの、と答える。私の家の実質的な支配者は長女と次女である。その長女と次女は当然連れ合いの肩を持つ。二人は私に言う。あーら、お父さん、あの赤楽の土鍋を使う時にどんなにお母さんが気を使っているか知らないの。このお鍋で何が悪いの、普段使いの鍋は気楽に行きましょう。勿論私は抗議をしたです。しかし、娘二人の権力の前に私は手も足も出ないので御座います。<br />
　そんな風にしていつの間にか私の家に土鍋もどきが居座ってしまった。また、その土鍋もどきが丈夫と来てやがるんですよ。ちっとも壊れない。その土鍋もどきで湯豆腐を食べると、人生の悲哀を感じるです。しかし、流石に連れ合いも娘たちも、それでは余りに私が可哀想と思うのでしょう、銅の八角鍋は使ってくれます。でも、赤楽の自慢の土鍋は、最近食器棚の奥に隠れっぱなし。<br />
　最近厚手のステンレス製で、底面積は大きいが高さの低い鍋を連れ合いが買ってくれました。それで豚の常夜鍋を作ると上手く行きます。土鍋もどきより数倍気分がよい。結婚前の若い紳士諸君に言っておきますが、結婚すると妻は必ずボスになります。娘は更にボスの上に君臨します。土鍋もどきくらいで気落ちするような神経では結婚生活は出来ませんぜ。私のこの話を参考に、今から神経を鍛えておくように。</p>
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		<title>江戸料理</title>
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		<pubDate>Wed, 02 Apr 2008 18:27:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator>雁屋 哲</dc:creator>
				<category><![CDATA[未刊行　美味しんぼの日々]]></category>

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		<description><![CDATA[　良く関西の人が東京の味付けが濃すぎるという。「あんな、真っ黒な汁のうどん、食べられまっかいな」と言うことになる。
　東京のそば屋のそばつゆも関西の人は辛すぎると言う。
　私は、浅草並木のそばつゆが一番好きだが、関西の人 [...]]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>　良く関西の人が東京の味付けが濃すぎるという。「あんな、真っ黒な汁のうどん、食べられまっかいな」と言うことになる。</p>
<p>　東京のそば屋のそばつゆも関西の人は辛すぎると言う。<br />
　私は、浅草並木のそばつゆが一番好きだが、関西の人はあのつゆも気にいらないらしい。そう言う人の話を良く聞いてみると、そばをそばつゆの中にたっぷり浸して食べている。<br />
　それじゃ、しょっぺえのはあったりめえだ。</p>
<p>　並木のそばなんて物は、たぐったそばの一番下の三分の一くらいをそばつゆにつけ、つつつーっとすすり込むもんだ。最初につゆも何もついていないそばその物の味と香りが口の中に広がって、すすり込むと、そばつゆの味が後を追ってくる。そこで、そばとそばつゆの味が口の中で渾然とまじりあって黄金の口福を作り出すのだ。<br />
　それをだな、そばをつゆの中に浸して、くちゃくちゃもぐもぐ、牛が反芻でもするみてえに食やがったら、そばの味なんてえもんは分かるこっちゃねえんだ。</p>
<p>　そばというと聞く話だが、そば通と言われた江戸っ子が死ぬ間際に「一度でいいからそばをそばつゆにたっぷりつけて食べてみたかった」と言ったなんてのがある。そばつゆをちょっとしか付けないのは、格好付けたがりの江戸っ子のやせ我慢で、本当はそばつゆはたっぷりつけた方が美味しいんだ、とその話をする人は大抵の場合得意げに鼻を動かすね。<br />
　それは、飛んでもない間違いってもんだ。そりゃ逆なんだよ。</p>
<p>　そばの味を一番良く味わうにはどう食べるか、それを考えた末に、そばつゆは辛くして、そのかわりそば全体を浸すのではなく、ちょっとだけつけようと言うことになったんだよ。するってえと、そばその物の旨さも生々しく味わえ、しかも、そばとつゆの合わさった旨さも味わえるのは今書いた通りだ。</p>
<p>　東京の料理は味付けが辛くて下品だなんてえことは、よく考えてから言って貰いたいもんだね。東京の味ってえのはぴんと一本筋の立ったいなせな味わいが命なんだよ。</p>
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