雁屋哲の今日もまた

2008-12-31

狂気のシー・シェパード(グリーンピース一派)3

 読者の方から、シー・シェパードはもとグリーンピースに所属していた人間の中で過激な人間が、独立して作った組織であると言うご指摘を受けた。
 直ちに、題名を、狂気のグリーンピースから、狂気のシー・シェパード(グリーンピース一派)に変更する。
 ご指摘いただいた方に感謝します。

 さて、この、シー・シェパードのテロ行為を支援してきたオーストラリアに対して、日本は黙っていてはいけない。
 外交的に、厳重なる抗議をするべきだし、同時に直ちに経済的な制裁を行うべきだ。

 どの様な制裁かというと、まず、現在南オーストラリアから輸入している畜養マグロを一切輸入禁止にすることだ。
 南オーストラリアで行っている畜養マグロは、マグロ資源の枯渇を促進する、環境を破壊する経済活動である。
 南オーストラリアでは、マグロの幼魚(せいぜいの所、日本でメジマグロと呼んでいる程度の、まだ成魚になっていないマグロ)を捕まえてきて、生け簀に飼って、大量の餌を与えて大きくし肥らせる。
 この、南オーストラリアの畜養マグロと来たら、大げさに言うと頭のてっぺんからしっぽの先まで「トロ」と言う具合に、脂がごってり乗っている。
 トロ信仰の強い日本人は、その脂がごってりの畜養マグロを買う。
 回転寿司とか、妙に値段の安い寿司屋で出て来るトロは、この南オーストラリアの畜養マグロであることが多い。

 この畜養マグロが何故環境破壊かというと、捕まえられた幼魚は生け簀の中で餌を食べさせられて肥るだけで、性殖の機会が与えられないと言うことである。
 幼魚を沢山捕まえてきてそれに性殖の機会を与えなければどうなるか。
 マグロは繁殖することが出来ない。
 この畜養を繰返していれば、マグロの数が減っていくのは理の当然である。

 一方、日本の近畿大学で最近成功したマグロの養殖は、成魚に産卵させ、その卵を孵化させ、生まれた稚魚を生育させる所から始まる。
 このマグロの成魚に産卵させ孵化させることが出来たと言うことは大変な技術で、これなら、マグロを増殖することが出来る。

 南オーストラリアの畜養マグロは、マグロ資源を枯渇させる環境破壊の行為である。
 オーストラリアは、どんなに日本が科学的に、クジラを枯渇しないように数を制限して捕獲する、といっても聞く耳を持たない。
 クジラを獲ること自体、大変な犯罪であるように言う。
 その一方自分たちは、マグロ資源を枯渇させる活動を大々的に行っているのである。
 しかも、その畜養マグロは殆どを日本に売る。
 南オーストラリアの畜養マグロを行っている町は全人口の4分の1が畜養マグロ産業に関わっているそうである。
 テレビで見たが、畜養マグロに関わっている人達は経済的に大成功していて、マグロ御殿と呼ばれる豪邸が幾つも建ち並んでいる。

 今世界的にマグロ資源の枯渇が問題になっている。
 マグロの捕獲量制限もヨーロッパなどを中心にして叫ばれている。
 実際問題として、マグロの資源保護は重大な問題である。
 クジラとは比較にならない世界的に大きな影響を持つ問題である。

 それなのに、オーストラリアでは畜養マグロを行っている。
 日本が提唱している科学的な捕鯨を行えば、クジラの数が減ることもないし、ましてや絶滅することなど絶対にない。
 それを、オーストラリア政府は認めない。
 畜養マグロを続ければ確実にマグロ資源は枯渇する。

 さて、このような非科学的で偽善的なオーストラリアのやり方を、黙ってみていてはいけない。
 彼らが偽善的な人生を送ろうと、かれらがクジラカルトの虜となる非科学的な人生を送ろうと、私達には関係がない。

 しかし、シー・シェパードの暴挙を助け、マグロの資源枯渇につながる経済活動を行っているとなると話は別である。

 彼らが如何に偽善的で、実際に環境を破壊していること(畜養マグロもそうだが、シー・シェパードの投げた酪酸は前回にも書いたが水中生物に大きな害をなす)を、理解させてやるために、日本はまず、畜養マグロの輸入禁止から始めるべきである。

 こう言うと、安いトロが食べられなくなる、と文句を言う人が必ず出て来るだろう。
 しかし、よく考えて貰いたい。
 畜養マグロなど続けていてマグロの資源が枯渇したら、もう、トロなんか食べられなくなるのだと言うことを。

 歳の最後に、また不愉快な話を書いてしまった。
 不愉快なまま今年を終わりたくない。
 一つ楽しい話題で行こう。

 私は何度も書いているが、宗教を信じることが出来ない。
 超自然的な事柄も信じることが出来ない。
 従って、占いなどと言う馬鹿らしいことは一切信じない。
 驚くべき事に、週刊朝日には毎週見開きで、星占いの記事が出ている。週刊朝日は、もう何十年も毎週購読しているのだが、「ロダンの心」をやめたのが許せない。(いま、AERAに移ったので朝日新聞社自体に対しては、少し許してやっても良い気持ちになっているが、以前は、週刊朝日一頁を使っていたのに、現在のAERAではページの一部を使って、しかもたったの4コマだ)
 下らない占いなんか載せないで、「ロダンの心」を見開きで載せてくれ。あ、知らない人に説明しますが「ロダンの心」というのは、ロダンという名前の、ラブラドールが主人公の漫画で、飼い主家族とラブラドールの関係がとても心暖かく描かれている。そして、話は常に、ラブラドールであるロダンの目から見た人間社会の面白さを描く形で作られている。繪も暖かく、じつに良い漫画である。なんと言うか、人間を信じられる気持ちにさせてくれる。こんなに、しみじみとした良い漫画はほかにない。週刊朝日よ、占いなんかやめて、「ロダンの心」を復活させてくれ。これは、週刊朝日全読者の気持ちだと思う。
 週刊朝日は、一度ペット自慢のページを、やめたが、読者の猛反発を食って再開して、それがいまだに大人気であると言う事実を忘れてはいけない。「パパはなんだか分からない」も永久に続けてくれ。あの漫画をやめたら、暴動が起きるぞ。
 いや、そんな私なのに、自分自身が占いをすることは好きなんだよ。
 家族の者達に、呆れられている。
 あれだけ、宗教を批判し、超自然的な考えを批判し、科学的に物事を考えることを強調し、あれだけ星占いとか、四柱推命とか、スピリチュアルなどを、批判していながらどうして自分が占いなんかするのか、その精神の分裂状態が、理解できない、という。
 子供たちには、「お父さんって、本当に理解できない人間だ」などと言われている。

 私も、おかしいなと思っている。
 人生は決定論では語れないし、未来など人間が読めるわけがない。
 ところが、私の占いは、どう言う訳か非常に良く当たるんだよ。
 これが気持ち悪いくらいだ。
 自分でも、こんな非理性的なことをしていてはいけない、と思うんだが、他人の占いなんて鼻も引っかけないほど馬鹿にしているのに、暮夜ひそかに、「易」の本を広げたり、タロットカードをいじったりしているのである。

 占いなんて馬鹿な物は、相手にしてはいけない。あんなものを信じる人間は、頭のおかしい人間。あんなものに頼る人間は、クズのクズと公言している私としては、本当はちょっと恥ずかしくて人に言うべき事ではないのだが、実は昨夜ちょいと日本の来年の運勢を占ってみたんですよ。
 これは、三枚の硬貨を使って、中国の「周易」にそった方式で行う占い。擲銭法(てきせんほう)と言って、三枚の硬貨を投げて(投げることを擲という)その裏表の出方で陰・陽を判断する。
 これを、六回繰り返す。(書いているだけで、馬鹿馬鹿しくなってきた)

 これで占うとですね、来年は「萃(すい)」と出ましたね。
 萃とは万物が集ることを象徴する。
 この「萃」という、占いの意味を簡単に説明すると、
「民心が大いに集る。優れた指導者が立てば、積極的に事業を興しても上手く行く。大きな犠牲を払っても構わない。
 前進するのによい。ただし、正しい心がなければ駄目だ。」
 と言うことになる。
 ううむ、今の日本の世界の厳しい経済状況を考えるとどう言うことになるのかな。
 日本が戦争に負けたのは、当時の指導者たちが、外国の指導者たちに比べてひどく能力が劣っていたからだ言われている。
 バブル経済が破裂して経済戦争に敗北して失われた十年などと言う苦しみを味わったのも、その当時優れた指導者がいなかったからだという。
 来年あたり、日本に優れた指導者が現れ、民心が集ったら日本は立ち直れるだろう。
 そういう風に、読むのかな。
 総選挙に期待しろと言うことかな。

 ま、占いなんて遊びですからね。
 こんな物、信じちゃいけないよ。
 明治時代初期、高島嘉右衛門という大変に占いを良くし、同時に経済的に大成功した人間がいる。
 横浜に高島町という地名があるでしょう。その、高島町は、高島嘉右衛門の名をとってつけたそうだ。
 高島嘉右衛門の占いは本当に当たるという評判を取った。
 いまでも、高島易断などと言う看板を良く見るが、それは全部高島嘉右衛門にあやかって付けた名前なのだ。(例外はあるかも知れないが)
 大変に良く当たるというので、政財界の有力者たちからも大変に尊敬され、大事な決定をするときに頼りにされていた。
「高島嘉右衛門占例集」という本があって、高島嘉右衛門が実際に行った占いの例が沢山でているが、確かにずばずばと当たっている。
 これが、本当なら、えらいことだ。
 しかし、その高島嘉右衛門、なんぞ計らん、ある時尋ねて来た暴漢に刺されて殺されてしまうのである。
 これ一つ見ても、占いなんて、何の意味もないと言うことが分かるでしょう。自分の運命も分からない占い師なんて、お笑いだよね。
 だから、占いなんて、絶対に信じてはいけない。
 鼻もかけてはいけない。知らん顔をしていなさい。

 でも、私の占いは、中々のものですよ。
 う、う、なんだか、自分でも支離滅裂になってきた。
 ま、年の暮れだ、こんな遊びも許されるでしょう。

 では、来年が皆さんによいお歳になりますように。
(私の占いが当たるといいね)、って、まだ言っている。おかしな人間だねえ。
 でも、少しは心が明るくなったでしょう。ねっ!

雁屋 哲

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