雁屋哲の今日もまた

2008-08-15

パレスティナ問題 その18

 さて、パレスティナ問題もいよいよ最後。

 これまで、パレスティナ問題について、私の観点から見てきたが、では、一体パレスティナ問題はどうすれば良いのだろう。

 どうすれば良いのだろうと言っても、私のような部外者には出来ることは限られている。
 こんな風な文章を書いて、少しでも多くの人にパレスティナ問題に関心を持って貰えるように努力することだ。
 日本人は余りにパレスティナ問題に無関心すぎる。
 もっと、関心を持って、今苦しんでいるパレスティナの人々に何かできることはないか、考えて貰いたい。

 現実的な解決は、今まで見てきたように、ユダヤ教とイスラム教という二つの宗教の対立が根底にあるから、容易なことではない。
 私のような無信仰の人間から見ると、どうして一神教が多神教より良いのか、一神教の方がより真実なのか、正しいのか、それが全く分からない。

 ユダヤ教徒、イスラム教徒は偶像を崇拝している人達に「そんな木や石で出来た偶像は何も作り出せないではないか。我々の神は、天地を創造し、人間も作った。
 だから、我々の神が本当の神だ」という。
 となると、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の信仰の根本は、「創世記」の神による天地創造にある。
 その、神による天地創造を信じなかったら、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教はその存在の根拠を失う。
 もし、天地創造を信じなかったら、神は我々の創造主ではないので、信仰に値しなくなる。

 しかし、今時、どうして「創世記」に書かれた天地創造を文字通り受け入れられようか。
 神が作ったという大地、天球、太陽、月、それらのあり方は全て四千年前の自然観に基いているもので、今の時代は小学生でも、その考え方のおかしさに呆れるだろう。
 今の時代に、天地創造を受け入れるとしたら、何か寓意を持った話として受け入れるしかない。
 しかし、寓話は信仰の根拠になるのか。
 寓話を信仰の根本とした宗教と、偶像を礼拝する宗教と、何か違いがあるのだろうか。偶像も寓意の塊だからだ。

 私は、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教を貶めようというのではない。
 彼らの誇る一神教がけっして、全人類に普遍的なものではない、と言いたいのだ。
 モーセや、ヨシュアが、カナンの地に侵略して先住民族と戦うところになると、神が出て来て加勢をする。
 ユダヤ教徒でもなく、そのカナンの地の先住民族とも何の関係もない、全くの第三者の私から見ると、「ずいぶん、不公平な神様だ」と思う。
 イスラエル人をひいきにして、イスラエル人が他民族の領土を侵略し、他民族を虐殺するのを、励ます。
 聖書の神ヤーヴエは、結局のところ、ユダヤ人・イスラエル人の氏神様だ。

 そのヤーヴエをキリスト教はキリスト教徒の氏神樣、イスラム教はイスラム教徒の氏神様に仕立て上げた、というのが、無信仰の第三者の私の見方である。
 その三つの宗教のどれも、全人類に普遍的な意味や価値を持つものではない。
 その宗教の信者にのみ、有効な宗教であり、神様だ。
 他の宗教と変わるところはない。
 どの宗教も全人類にとって、唯一絶対の宗教ではない。
「吾が仏、尊し」と言う言葉がある。
 自分の信仰している宗教は、何より大事に思えるのだ。
 それは、他の宗教を信じている人も同じだ。
 自分の信じている宗教以外の宗教を信じている人間は、人間扱いしない、と言う態度は、人類の歴史を振り返ってみれば分かるが、全ての悪の元凶である。

 その宗教が、他人に害を及ぼさない限り、他人がどんな宗教を信じていようと干渉するべきではないし、宗教の違いで互いに差別し合ったり、攻撃し合ったりするべきではない。

 ましてや、ユダヤ教も、イスラム教も、同じアブラハムの宗教だ。
 相手の宗教に対して寛容になるべきだ。(といっても、なれないんだね、あの人たちは)

 パレスティナ問題はイスラエルの建国によって始まった。
 であるから、パレスティナ問題の解決は、イスラエルにまず責任がある。
 このまま、パレスティナ人を追いつめて行けば、事態は一層悪くなる。
 聖書に書いてある通りにしようと思えば、パレスティナ人を皆殺しにしなければならない。
 ヨシュアの時代とは違う。そんなことは不可能だ。
(しかし、実際にイスラエル政府のやり方を見ていると、ヨシュアと同じことをしようとしているとしか思えない)

 イスラエル政府は、パレスティナ人との円満な共存を計る責任がある。
 1800年前に祖先が住んでいたから、この土地は自分たちのものだ、などと言って、強引に建国したそのつけを払うべきだ。
 1800年間の歴史の積み重ねを無視して、いきなり1800年前に戻す、と言うこと自体が、そもそも無理な話だったのだ。
 しかし、現実に建国して既に60年以上が経った。
 いまさら、イスラエルに国家として解散しろと言うのも、もはや無理だ。
 しかし、パレスティナ人との共存を計らないと、イスラエル自体の存続も危うくなることを、イスラエルは認識するべきだ。

 イスラエルは長い間アメリカの全面的な援助に依存して来た。
 アメリカは過去十年以上毎年30億ドルもイスラエル援助している。
 イスラエルの軍事費の20パーセントはアメリカの援助によるものだ。
 第4次中東戦争では、イスラエルはアラブ側の奇襲攻撃を受けて、一時危うかったが、アメリカに緊急の援助を仰いで反撃することが出来た。
 イスラエルが、今まで生き残ってこられたのも、アメリカの援助が合ってのことである。

 しかし、世界の情勢は大きく変わりつつある。
 アメリカは、アフガニスタン、イラク、に攻め込んで以来、多額の軍事費を消費し、それに、サブプライム問題などの金融不安によって、国力が大きく衰えている。
 今までのように、アメリカがイスラエルに対する援助を続けられるとは思えない。
 続けられたとしても、原油価格の高騰で世界中の富がアラブ・イスラム諸国に集っている。
 アメリカは自国の金融機関の破綻を防ぐためにアラブ諸国から投資をして貰わなければならない状況になってしまった。
 世界の力関係は、ここ数年で大きく変わった。

 アラブ・イスラム諸国が一致して、イスラエルを攻撃した場合、たとえ持ちこたえられたとしても、壊滅的な打撃を受けるだろう。
 イスラエルが今のような態度をとり続ける限り、その様な事態を招く危険性は大きい。
 イスラエルは、自分たちが生き延びるためにも、パレスティナ人との和解を図る必要があるだろう。

 パレスティナ人も、全く意味のない自爆テロなどをやめて、イスラエルとの和解を図るべきだ。
 そんなテロ行為を続けても、何の効果もないことは、この六十年間ではっきりしたことではないか。

 パレスティナ出身で、後にアメリカに渡り、コロンビア大学の教授を勤めた、エドワード・サイードは比較文化が専門だが、パレスティナ問題について、様々な論文を書いている。
 その「無知の衝突」という小論の中でサイードは、インドで生まれアメリで活躍した政治学者、イクバール・アフマドの論文を紹介している。その一部を読んでみよう。

「イクバール・アフマドはムスリムの読者に向けて、宗教的右派の根元と名付けたものを分析している。
 絶対論者や狂信的な暴君は、個人の行動を規制しようという考えにあまりにも強くとりつかれているため、『イスラムの秩序からヒューマニズムも美学も知的探求も宗教的帰依もことごとく取り去ってしまい、単なる刑法へと矮小化されたもの』を推進するようになり、イスラムの教えを台無しにしている、と彼はこっぴどく非難している。
 ここから、必然的に『宗教の中の、ある一つの、それもたいていは前後の文脈から切り離された一側面だけを取りだして絶対化し、ほかの部分は全く無視するということが起こってくる。そのような現象は、それが展開するところでは必ず、宗教をゆがめ、伝統をいやしめ、政治手続きを歪曲させる』。」

「アフマドは『ジハード(聖戦)』と言う言葉が本来含蓄に富み複雑で多元的な意味を持つものであるのに、現在はもっぱら『敵と定めたものに対する無差別の戦い』の意味だけに限定して使われていると批判する。これでは、『イスラムの宗教や社会や文化や歴史や政治を、ムスリムたちが太古の昔から実生活で体験してきたものとして理解する』ことは不可能だとアフマドは主張する。
 現代のイスラム主義者たちは、『魂ではなく権力にばかり関心を寄せてきた。政治的な目的を実現するために人々を動員することばかりにかまけていて、困難や理想をみなで分かち合い和らげることには興味がない。彼らが追求するのは、極めて限定的で時間に縛られた政治課題である』と言うのがアフマドの結論だ。事態を一段と悪くしているのは、同じような歪曲と狂信が、『ユダヤ教』や『キリスト教』の世界の言説においても起こることである」(E.W.サイード 「戦争とプロパガンダ」 みすず書房刊より引用)

 この最後のサイードの言葉「同じような歪曲と狂信が『ユダヤ教』や『キリスト教』の世界の言説においても起きることである」は重い。

 イスラム教徒が「ジハード」と称してテロ行為を行うこと、それに対しててイスラエルやアメリカが、「対テロ作戦」として対応すること。
 その両方共、それぞれの宗教の歪曲と狂信によるものなのだ。

 その、宗教の歪曲と狂信を押さえない限り、パレスティナ問題の解決は難しい。

 実際、いまのイスラム教徒とユダヤ教徒の対立は、簡単には解けないだろう。
 しかし、双方共に、自分の主張を押し通すだけでは駄目で、妥協し合い、和解しなければ、共倒れになるだろう。
 このような状況で、一方の側の完全な勝利などと言うことはない。

 我々日本人も、パレスティナ問題を他人事と知らん顔をしているだけではなく、出来ることをしていかなければならない。
 パレスティナ問題が悪化して、中東で争いが起きたら、世界中、勿論我々日本も、影響を受けるのだ。

 それよりも何よりも、これほどのひどい人権無視の状態が続いているのを無視していては、良心を疑われる。
 我々日本人も何かパレスティナ問題の解決について協力できることを見つけて始めていかなければならない。

 パレスティナ問題を締めくくるには余りに力のない結論だが、少しでも、読者諸姉諸兄のパレスティナ問題を考える糸口を作ることが出来たら、私は、それで満足だ。

雁屋 哲

最近の記事

過去の記事一覧 →

著書紹介

頭痛、肩コリ、心のコリに美味しんぼ
シドニー子育て記 シュタイナー教育との出会い
美味しんぼ食談
美味しんぼ全巻
美味しんぼア・ラ・カルト
My First BIG 美味しんぼ予告
My First BIG 美味しんぼ 特別編予告
THE 美味しん本 山岡士郎 究極の反骨LIFE編
THE 美味しん本 海原雄山 至高の極意編
美味しんぼ塾
美味しんぼ塾2
美味しんぼの料理本
続・美味しんぼの料理本
豪華愛蔵版 美味しんぼ
マンガ 日本人と天皇(いそっぷ社)
マンガ 日本人と天皇(講談社)
日本人の誇り(飛鳥新社)
Copyright © 2024 Tetsu Kariya. All Rights Reserved.
掲載の記事・写真・イラスト等のすべてのコンテンツの無断複写・転載を禁じます。