雁屋哲の今日もまた

2016-11-11

増田義郎先生を悼む

増田義郎先生が亡くなられた。

増田先生は、新聞やインターネットでは、「文化人類学者」とか「中南米文化史研究者」と書かれているが、先生は英文学専攻だったのがラテン文学に興味を持ち、それをきっかけに中南米の歴史の研究に軸足を移されたと私は記憶している。

私は、東京大学の教養課程で増田義郎先生の英語の授業を受けた。増田義郎は筆名で、大学では増田昭三の本名で授業をしておられた。

1960年代の初めにすでに先生は「インカ帝国探検記」や「古代アステカ王国」などの本を出版されていて、私は、その「インカ帝国探検記」を読んで大変に感激していたので、増田義郎先生の授業というので興奮したが、授業は普通の英語の授業で、インカ帝国のことなど一つも先生は話されなかった。

その後、私は教養学部の基礎科学科に進学したが、ふと同じ教養学部の教養学科の授業予定表を見ていると、増田先生がインカに関する授業をしておられる。

こっそり授業に紛れ込んで聴講してみると、インかどころかインカ文明以前のプレインカ時代の話で大変に興味深く、先生に、「基礎科学科の学生ですが授業を受けさせて頂けませんか」、とお願いした所、よろこんで、「ああ、いいですとも、基礎科学科の学生がこんなことに興味を持つとはね」と仰言って快諾して頂いた。

先生のその授業は、殆ど考古学に近く、細かい地名は忘れてしまったが、インカの文明の地をある程度掘ってみると、その下に、それ以前の文明の遺跡がある、そこをさらにほると、またそれ以前の文明の遺跡が現れるというもので、遺跡を掘り下げると更にその下にそれ以前の文明の遺跡が重層的に眠っているという話が当時の私にとっては初めて知ることであり非常に興奮して面白かった。

私は、かなり熱心に先生の授業を受け続けた。

しかし、学期も終わりになる頃、先生の授業の試験の日と、本来私が所属する基礎科学科の重要な科目の試験日とが重なることが判明した。

さすがに、自分の専攻学科の試験を外すわけにはいかない。

で、増田義郎先生に、「申し訳ないのですが、先生の試験と基礎科学科の試験と日が重なってしまい、先生の授業の試験は受けられなくなりました」と謝りに行ったら先生は笑われて、「そりゃ自分の方を優先しなくちゃね。いいんだよ、そう言う人は良くいるから」と、おとがめも無かった。

私以外にも他の学科から先生の授業を聴講に来る者が少なくないと言うことが先生のそのお言葉から分かって、私は嬉しくなった。

ああ、こんなことも40年以上も前のことになるんだなあ。

先生について、人が「文化人類学者」というのもむべなるかなであって、先生は単なるラテン文学とラテンアメリカの歴史に造詣が深いだけでなく、プレインカについての考古学的研究もしておられたのである。

英文学から始まって、ラテン文学、中南米の人類学的な研究にまで進んで行かれた先生はそれまで日本人に殆ど知られていなかった分野を開拓されたのであり、学者として非常に先鋭で意欲的な方だった。

コロンブス以後、スペイン、ポルトガルなど国の一攫千金を狙う人間がアメリカ大陸に襲いかかり、その結果が今の中南米諸国の不安定な政治状況を作り出しているのだが、そのコロンブス以後の西欧の探検者冒険者たちが海を渡った時代を、現在「大航海時代」という言葉を日本では使われている。その「大航海時代」という言葉も、増田義郎先生が当時の状況を極め尽くして作られた言葉なのである。

今夜は増田義郎先生のご逝去を悼み、先生の御著書をどれか読んでみよう。とは言っても、増田義郎先生の御著書はどれも魅力的で、どれにするか非常に迷うのだ。

 

 

 

雁屋 哲

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