雁屋哲の今日もまた

2024-01-21

新疆・ウィグルの旅(その2)

今回の、新疆・ウィグル旅行は正味10日間のものだった。

10日間で、あの広大な新疆・ウィグル地区を見て回るのは無茶と言うものだ。

しかも、その真意は、新疆・ウィグル地区における中国政府の圧制をこの目で確かめたいというのだから、最初から無理であることは目に見えている。

しかし、私の考えでは、中国政府による圧制の現場、収容所などの取材は何日かけても真相を摑むのは、今の中国政府の管理課にあっては不可能だろう。

基本的に、そのような現場に近寄れないし、近寄ったら、そのまま拘束ということも高い確率であり得るのだ。

それは,あまりに危険だ。

であれば、そもそも、新疆・ウィグル地区に行くこと自体が意味のないことになるのだが、そこは、物書き稼業を50年続けて来た私だ。

実際に収容所などの圧制の現場を見なくても、ウィグルの人びとの姿を見れば、分かることがある。

今の私にとって大事なのは、ウィグル地区の人びとの顔を見ることだ。

どんなに中国政府が圧制を隠していても、人びとの表情、立ち居振る舞い、声音、そう言うものを私自身の体で体験すれば、 何が行われているのか、掴むことが出来る、と私は考え,そんな思惑で、短期滞在新疆旅行を実行したのだ。

北京から、最初にカシュガルに飛んだ。

カシュガルは、新疆・ウィグル地区の一番西側の地方である。

人びともウィグル人が殆どで、北京辺りの漢民族中心の土地とは建物など街の趣が全く異なる。

中国とも違うのは勿論、日本とも、西洋とも違う。

私にとっては、見たこともない街の光景だった。

建物の色は茶色一色だ。

建材は土を干して作ったレンガのように見える。

私は大旅行家ではないが、それでも、日本とは雰囲気の違う国にはいくつか行ったことがある。

わずかな経験で言うのも何だが、この、カシュガルの雰囲気は私にとっては正に異郷のものであった。

このような光景は見たことがなかった。

茶色の二階建てか、三階建ての建物が石畳の道の両側に立ち並んでいる。

茶色の建物の壁にツタが這っている所もあるが、町中には樹木がない。

建物の壁には細かい模様が刻まれている。

イスラム風の先端が尖ったアーチがあちこちに見られる

その有様は,正にイスラム文化だ。

所々に小さな公園があってそういう所には樹木があるが、その樹木がみな丈が低い。

私の見た範囲では、丈が高く幹が太い樹木はない。

やはり、乾燥した気候のせいなのだろうか。

商店街は賑やかなものである。

食品から服飾品まで何でもある。

中でも面白かったのは、和田石という緑色の石が売られていたことである。

和田石というと、何やら和田さんの家の石と思ってしまうが(和田さんの家の石って一体何だ?)、和田とは、ホータンと言う地名を漢字で書いたものであって、残念ながら和田さんとは関係ない。

和田石は宝石ではなく、玉(ぎょく)である。

宝石のように固くなく、価値は高くないが、身の回りの装飾には充分すぎる美しさがある。

民芸品にも面白いものがあって,私はコマを買った。

大人の拳大の大きさがあって、脚は長くない。

ひもを脚から胴体にかけて回して、地面にたたきつけるようにして回転させる。

一旦回転し始めたら、コマを回すのに使ったひもで、コマを回転方向に叩いてやる。

すると、回転の勢いが良くなる。

うまく扱うと、一旦ひもをかけて回し始めたら、ひもでコマを叩き続けるといつまでも回し続けることが出来るのだ。

街の一角に、「茶餐庁」、英語で「Old House Food」と看板に書かれた店があった。

飲食をさせる店なのだろう。

その店の、大通りに面した正面の部分が表にせり出している。

かなり盛大にせり出していて、何やら舞台という感じがしないでもない。

舞台には木の骨組みが組み立てられていて,その上に黄色の布がかけられて、それが屋根のように見える。

舞台には左右から階段が延びていて、左右どちらかでも上がり下りが出来る。

舞台の上では数人の男たちが音楽を演奏していた。

胡弓、小太鼓、棹の部分が異常に長い弦楽器、オーボエのような管楽器、大太鼓、などを合奏している。

西洋の音楽の,音程と、音階と、和音になれてしまっている私には、その音楽がよく分からない。

ただ、響きが大変に心地よい。

西域の音楽とはこれか、と思った。

カシュガルの、味わいのある街の中で、西域の音楽を聴くとは、実に嬉しいことだった。

ところが、嬉しいことは続くものだ。

商店街の大通りに突然陽気な音楽が流れたかと思うと、賑やかな隊列が現れた。

これが凄かった。

太鼓、胡弓、棹の長い管楽器、オーボエのような楽器と、先ほどの「茶餐庁」の上の楽隊と同じ楽器編成の音楽隊、民族衣装に着飾った女性たちが隊列を組んで行進して来るのだ。

その人たちを見て、私の妻が声をあげた。

「まあ、綺麗な人たち」

隊列の中にはらくだに乗った女性たちもいて、私の妻が思わず「綺麗な人たち」と声をあげたのも当然。

衣装、髪型、被り物全てが絢爛豪華であったが、それより以前に、女性たちいずれも目が大きく彫りが深く、細おもてで中国では見ることの出来ない美しさだった。

さて、これからちょいとばかり、うるさい話をする。

新疆・ウィグル地区の問題を明確に理解するためには必要なことなのだ。

世界的に見て、人間は、肌の色から次の三つに分けられる。

白色人種、黄色人種、黒色人種。

それとは別に、遺伝学的な立場から、一般的に次の四種類に分類される。

◎コーカソイド(ヨーロッパ人、インド人、イラン人、アラブ人、北アフリカ人)

◎モンゴロイド(中国人、日本人、韓国・朝鮮人、東南アジア人)

◎ネグロイド(サハラ以南のアフリカ人)

◎オーストラロイド(アボリジニ、ニューギニア人)

ただし、この4種類の人間同士、遺伝子の基本は変わらない。だから、違う人種同士が結婚しても子供は生まれる。

新疆とは、中国語で新しい土地、と言う意味である。

1800年代末に、この地域が清の乾隆帝の時に中国の領土となり、清はこの地を新疆とした。

それからも変遷があり、1944年にはウィグル、カザフ両族は「東トルキスタン共和国」を樹立したが、1949年に現在の中国に組込まれて「新疆・ウィグル地区」となったのである。

トルキスタンとは、トルコ人の国、と言う意味である。

(スタンとは、アフガニスタン、パキスタン、などのように使われる)

ここで、「トルキスタン」のトルコだが、これが少しばかり面倒くさい。

トルコ人は、もともと中央アジアのアルタイ地方から出て,西方に発展移住した民族で、そのトルコ系諸国の中で一番繁栄したのはオスマントルコである。

中央アジアの民族の興亡は実にめまぐるしく複雑だ。

とてもこのページで簡単に語れるものではない。

西方に向かって発展していったトルコ民族の中央アジアに作った国が、「東トルキスタン」であると言うことだけ、理解して頂ければ良い。

いくつかの史書によれば、トルコ人は中央アジアに端を発するのでモンゴロイドに属すると書かれている。

西方に発展するにつれて他民族と混交してコーカソイドの肉体的な特徴を備えるようになったと言う。

民族の混淆とは難しいものであるが、中国人とウィグル人とは見た目が違う。

モンゴロイドの血を感じさせる人間もいるが、中国人とは明らかに違う。

コーカソイドの色合いの強い人間も多い。

妻が「まあ、綺麗な人たち」と思わず声をあげたらくだに乗った女性たちは、コーカソイドの血が濃かった。

ウィグルの人たちは、漢族の中国人とは似ている所もあるが、基本的には別の人種だと私には思えた。

さて、ここで最初の中国政府によるウィグル人に対する圧制の話だが、私はカシュガルで、西域の情緒を楽しんでいる間にも、否応なしに目に入ってくるものがあって、それが感興の妨げとなった。

それこそが、中国政府によるウィグル対策による物だった。

それについては,次回に詳しくお話しする。

雁屋 哲

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